わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

学び→実践  実践→学び  学び⇔実践

2011-02-24 23:41:22 | オトナの学び
去年の春に大学院を修了し、秋にラーニングイノベーション論を修了し、そして今、ワークショップデザイナー育成プログラムに通っている。
こういった学びの類は、終わった後に、じゃ、そこで学んだことを生かしてどーすんの?という問いを突きつけられる。


あたしが行ってた大学院は修論は学術論文ではなく、実践論文。自分の所属する組織の課題を解決するのが大テーマ。そのアプローチの中に経営学的な要素を盛り込む。実践することを目的としているので、調査探求や理論よりも、実現可能性といったことが重要視されていた・・・ように思う。
だから、あたしの論文がおもしろがられたわけだ。


そして、ラーニングイノベーション論。
中原先生らしいアプローチだなぁ、とあらためて思うけど、「じゃあ、あなたはどーするの?」っていうのが最後に突きつけられる問い。
まさに「ダイアローグ 対話する組織」のあとがきで書かれているように、学べと言ってる、成長しろと言ってるあなたはどうなの?ってこと。いろいろ学んだでしょー、人が育たないのは組織のせいだ、とか、現場マネジャーのせいだ、とか人のせいにしない、あなたがやらなくてどーするよ?ってことなんだと思う。


なんどかここでも書いてるけど、ラーニングイノベーション論で学んだのは、理論や実践例ではなくって、この「覚悟」なんだと思っている。
実行、実践するための覚悟を持つこと、そのための裏付けとしていろんな理論や実践例を学んだんだと思う。
(余談ながら、あたしにとっては、この「理論」がおぢさんたちの了解を取り付けるのに功を奏しているし、実際に現場で語るときにも一目置かれる。姫が語る言葉に説得力はないが、○○って学者の説でね、身に覚えあるっしょ?って言うと説得力が出るようだ。)

 
だから、LIN論で宣言したからやらなきゃ、とか、修論に書いたことは絵にかいた餅になっても仕方がないよねー、という考えは正直全然ない。
人に関わることだから、課題が変わればアプローチも変わる。そのときそのときの状態をきちんと見て、対応していくことが大事なんだろうな、と思っている。軸がない、とも言えるけど(汗)


それでも「宣言」は「宣言」として、言ったことはちゃんとやりたいし、「覚悟」を持つことが大学院やラーニングイノベーション論での学びだったのなら、その覚悟に応じた振る舞いをしていけばいいんだろうな、と思う。


人事や人材開発部門にいなくても、人に関わっている以上、誰もが持つ覚悟とそれに応じた振る舞いをするってことだ。


で、ワークショップデザイナー育成プログラム(WSD)。修了まであと1か月もない。
子ども相手のワークショップを自分たちで行うとその高揚感もあって、「よっしゃ、このまま終わらないよね~、次も行くぞー!」って勢いになっちゃうのは差し引いても、すごいのは、みんながみんな「終わった後、どうする?」っていうのを考えていること。
中学校の先生は、自分の授業でできないか?って考えているし、某演劇スクールを経営されている方は地域にそういった施設を作って運営できないか?って考えているし、そのほか実践の場を持っている人だけではなくって、手伝いたい!やりたい!って気持ちにあふれている。
飲み会の場で「で、どーすんのよ?ここで学んだあとさ。」というツメがフツウに行われているってのがすごい。


修論の発表会が終わった後に先輩から言われたこと。
「次の目標を早く決めた方がいい。僕はなんだか抜け殻になってしまった。」


へぇ、そんなもんかなぁ、って思ってた。すでに次の学びを決めてたし。
確かに、同期の中には燃え尽き症候群なんだ~って言う人もいたし、もうしばらく勉強はいいや、って言うM2生もいる。
忙しい仕事の合間を縫って、その間、同僚や部下・後輩に負荷がかかっていたからその分、今年は仕事する(勉強は二の次)!っていうのもありだし、家庭を第一に考えるってのもおおいにありだと思う。


でも、WSDでは燃え尽き症候群なんてないんだなぁ。なぜかって言ったら、実践するために学んでいる、を超えて、実践するのはアタリマエ、すでに実践していて足りないことを学び/掴みにきているからなんだろうな。学びのスタンスが違うとイマベップさんもおっしゃっていたけど、確かにそう。


大学院で書いた実践論文、そしてLIN論の「宣言」。いずれも学んだことを実行せよ、という後押しがある。それでも、その宣言、実践はときとして絵にかいた餅になってしまい、「宣言」のための宣言に陥ってしまう。どーせ誰も見てないもんね~、みたいな(爆) かく言うあたしもそうなりがち。
大学院で書いた実践論文を実践している人ってどんだけいるのかなー?とあえて書いてみる(笑) 



 学んだ先に実践があるのではなく、実践しているからこそ学びが必要。



WSDに行って、何がよかったかって、ワークショップの技法や運営方法などなどテクニカルなこと、教育的社会的な理論的裏付けを学べたことももちろんだけど、それ以上に「学びのスタンス」の違いに気づけたこと、そして実践しているからこそ学んでいる人たちに出会えたことなんだよなぁ。


なんだか、ガツンと頭撃たれた感じ。
あたしは多分、「学び」と「実践」の間を行ったり来たりしていくんだろうな。
そうして、気づいたら、いっぱい学んでたー、いっぱい実践できてたーって状態になれていたらいいなと思う。


春から学ぶものは決めたけど、まだ何の準備もしてないや。さっさと行動しよ。

コメント (2)
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わたしの扱い、なんか雑。

2011-02-05 10:59:38 | コトバ・ニッキ
今年は本家イチハラヒロココトバアートカレンダーも使ってます。
これまた、ココロに響く、いや、突き刺さるコトバの数々。


今月はこれ



世の中には「ちゃん」で呼ばれるタイプと「さん」で呼ばれるタイプがいます。あたしは圧倒的に後者。いや、「さん」も付けられずに呼び捨て系。
いくつになっても「ゆみちゃん」とか「なっちゃん」とか「名前+ちゃん」で呼ばれる人と、「スズキさん」とか「レイコさん」みたいに「さん」で呼ばれる人。中間としては「スズキちゃん」っていうのもあるか。
カイシャでの呼ばれ方は特に顕著、っていうか特徴的だなーって思います。


今回、中途入社の導入研修をやったときに、中途入社2名+出向受け入れ2名の4名というそこそこの所帯だったこともあって、ワークショップ的に、名札を作るところからスタートしました。
この研修中に呼ばれたい名前を書いて名札に書きこむ、というワーク。これ、ワークショップ的には「肩書や役割を外す」ために効果がある要素だったりします。今回は親和性を高めることを目的にしました。この4名はすべて同じ部署に着任するので、仲良くなってね、の意味も込めて。


これ、意外とみんな苦手なんだよね。ご多分にもれずあたしもですが
思いつかないーっと四苦八苦してた。「カオルさん」でも「タニちゃん」でもいいよ、と助け舟出してはじめて書きこめる。まぁ、そんなもんか。で、大抵は名字や名前をもじったものね。ワタナベだったら「ナベちゃん」、コジマだったら「コジィ」とか。


最近、バーチャルな世界で会った人や、ワークショップなどでは図々しくも「姫」と呼んでもらっていて、そう呼ばれることにも慣れてきたけど、リアルな世界で「姫」って呼んで、とはやっぱり言いにくいもんなー。特に仕事関係では。姫キャラじゃないし。むしろ姐御キャラ、おばちゃんキャラだし(爆)


話がそれました。
ちなみにあたしはカイシャ関係では、トヨカワエツシを「トヨエツ」って呼ぶような省略系。上司からは「さん」も「ちゃん」もつかない。呼び捨て。年が近い人だったりすると「ちゃん」がつくこともあるけど。
あとは「石田」を「いっしー」と呼ぶような短縮系。おともだちにも同じだ、名字+ちゃん、が多いかな。まずもって下の名前を呼ばれることはない。
学生時代からずっと思ってたし、カイシャ・仕事の場面では尚更なんだけど、名字呼び捨てがいちばんしっくりくる。特に男子、男性上司からはそう呼ばれるのが心地よい。遠慮されてない感じがいい。対等感もあるし。


ちなみに、お局様はあたしよりも年上ですが、「ゆきちゃん」(仮名)と呼ばれております。
これ不思議。なんでだろ?もちろん、あたしたち下々は「タナカさん」(仮名)と名字+さんの通常バージョンで読んでいますが、役員はじめおぢさんたちはみんな「ゆきちゃん」(仮名)。異動着任してきたおぢさんもそう。


なんでだろ?
ってずっと思ってたんだけど、あたしの中でいっこわかったことがあります。あくまであたしの中で。
そう、いい年して(おっと、失礼)「ゆきちゃん」(仮名)と呼ばれるようなタイプは、周りがそう仕立てているきらいも大いにあるけれども、ご自身も「女の子」感が抜けきれない。やさしくして、いたわってオーラがバンバン出てる。体調悪い、仕事が忙しい、こんな大変なことを言われた・・・自分がピンチになったときに、黙々とそれを内包させたまま消化するってことはあまりせずに「もう!こんなに大変なんですよー!」とめっちゃアピールする。
そしてこれはあたしのかなりうがったバイアスがかかっておりますが、だんしのことを「●●くん」と呼ぶ。そしてちょっとばかり声のトーンが変わる。上にね。


おー、そしてバブルを経験している人が多いかも。女の子としてちやほやされた経験をお持ちなんだろな。これ、完全に偏見です(爆)


おばちゃんなのに女の子。だから、上の人も「ゆきちゃん」(仮名)と呼ぶ。
うーん、あたしは40過ぎて「ゆきちゃん」(仮名)と呼ばれたくないぞ、ちょっと寒い。おばちゃんなのに女の子の呼ばれ方するのって怖くないか?せめて「ゆきさん」と呼ばれるようなオトナとしての深さを身につけたい。
「ちゃん」付けで呼ばれるよりは呼び捨てにされたい。


ただねー、扱いが雑なんじゃん?って思うことは大いにあります。
力仕事もばんばんやるし、段ボールつぶすのなんて誰よりもうまい自信あるもん(笑)
そういうことをだんしにやらせてのほほんとしてる人が「ゆきちゃん」(仮名)と呼ばれるわけなんだな。ダメだ、自分でなんでもやっちゃう女子高出身のかなしい性だ


さてと、排水管清掃も終わったし、地デジ電波チェックも終わったので、午後からワークショップ演習に合流です!
行ってきます!






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