去年の春に大学院を修了し、秋にラーニングイノベーション論を修了し、そして今、ワークショップデザイナー育成プログラムに通っている。
こういった学びの類は、終わった後に、じゃ、そこで学んだことを生かしてどーすんの?という問いを突きつけられる。
あたしが行ってた大学院は修論は学術論文ではなく、実践論文。自分の所属する組織の課題を解決するのが大テーマ。そのアプローチの中に経営学的な要素を盛り込む。実践することを目的としているので、調査探求や理論よりも、実現可能性といったことが重要視されていた・・・ように思う。
だから、あたしの論文がおもしろがられたわけだ。
そして、ラーニングイノベーション論。
中原先生らしいアプローチだなぁ、とあらためて思うけど、「じゃあ、あなたはどーするの?」っていうのが最後に突きつけられる問い。
まさに「ダイアローグ 対話する組織」のあとがきで書かれているように、学べと言ってる、成長しろと言ってるあなたはどうなの?ってこと。いろいろ学んだでしょー、人が育たないのは組織のせいだ、とか、現場マネジャーのせいだ、とか人のせいにしない、あなたがやらなくてどーするよ?ってことなんだと思う。
なんどかここでも書いてるけど、ラーニングイノベーション論で学んだのは、理論や実践例ではなくって、この「覚悟」なんだと思っている。
実行、実践するための覚悟を持つこと、そのための裏付けとしていろんな理論や実践例を学んだんだと思う。
(余談ながら、あたしにとっては、この「理論」がおぢさんたちの了解を取り付けるのに功を奏しているし、実際に現場で語るときにも一目置かれる。姫が語る言葉に説得力はないが、○○って学者の説でね、身に覚えあるっしょ?って言うと説得力が出るようだ。)
だから、LIN論で宣言したからやらなきゃ、とか、修論に書いたことは絵にかいた餅になっても仕方がないよねー、という考えは正直全然ない。
人に関わることだから、課題が変わればアプローチも変わる。そのときそのときの状態をきちんと見て、対応していくことが大事なんだろうな、と思っている。軸がない、とも言えるけど(汗)
それでも「宣言」は「宣言」として、言ったことはちゃんとやりたいし、「覚悟」を持つことが大学院やラーニングイノベーション論での学びだったのなら、その覚悟に応じた振る舞いをしていけばいいんだろうな、と思う。
人事や人材開発部門にいなくても、人に関わっている以上、誰もが持つ覚悟とそれに応じた振る舞いをするってことだ。
で、ワークショップデザイナー育成プログラム(WSD)。修了まであと1か月もない。
子ども相手のワークショップを自分たちで行うとその高揚感もあって、「よっしゃ、このまま終わらないよね~、次も行くぞー!」って勢いになっちゃうのは差し引いても、すごいのは、みんながみんな「終わった後、どうする?」っていうのを考えていること。
中学校の先生は、自分の授業でできないか?って考えているし、某演劇スクールを経営されている方は地域にそういった施設を作って運営できないか?って考えているし、そのほか実践の場を持っている人だけではなくって、手伝いたい!やりたい!って気持ちにあふれている。
飲み会の場で「で、どーすんのよ?ここで学んだあとさ。」というツメがフツウに行われているってのがすごい。
修論の発表会が終わった後に先輩から言われたこと。
「次の目標を早く決めた方がいい。僕はなんだか抜け殻になってしまった。」
へぇ、そんなもんかなぁ、って思ってた。すでに次の学びを決めてたし。
確かに、同期の中には燃え尽き症候群なんだ~って言う人もいたし、もうしばらく勉強はいいや、って言うM2生もいる。
忙しい仕事の合間を縫って、その間、同僚や部下・後輩に負荷がかかっていたからその分、今年は仕事する(勉強は二の次)!っていうのもありだし、家庭を第一に考えるってのもおおいにありだと思う。
でも、WSDでは燃え尽き症候群なんてないんだなぁ。なぜかって言ったら、実践するために学んでいる、を超えて、実践するのはアタリマエ、すでに実践していて足りないことを学び/掴みにきているからなんだろうな。学びのスタンスが違うとイマベップさんもおっしゃっていたけど、確かにそう。
大学院で書いた実践論文、そしてLIN論の「宣言」。いずれも学んだことを実行せよ、という後押しがある。それでも、その宣言、実践はときとして絵にかいた餅になってしまい、「宣言」のための宣言に陥ってしまう。どーせ誰も見てないもんね~、みたいな(爆) かく言うあたしもそうなりがち。
大学院で書いた実践論文を実践している人ってどんだけいるのかなー?とあえて書いてみる(笑)
学んだ先に実践があるのではなく、実践しているからこそ学びが必要。
WSDに行って、何がよかったかって、ワークショップの技法や運営方法などなどテクニカルなこと、教育的社会的な理論的裏付けを学べたことももちろんだけど、それ以上に「学びのスタンス」の違いに気づけたこと、そして実践しているからこそ学んでいる人たちに出会えたことなんだよなぁ。
なんだか、ガツンと頭撃たれた感じ。
あたしは多分、「学び」と「実践」の間を行ったり来たりしていくんだろうな。
そうして、気づいたら、いっぱい学んでたー、いっぱい実践できてたーって状態になれていたらいいなと思う。
春から学ぶものは決めたけど、まだ何の準備もしてないや。さっさと行動しよ。
こういった学びの類は、終わった後に、じゃ、そこで学んだことを生かしてどーすんの?という問いを突きつけられる。
あたしが行ってた大学院は修論は学術論文ではなく、実践論文。自分の所属する組織の課題を解決するのが大テーマ。そのアプローチの中に経営学的な要素を盛り込む。実践することを目的としているので、調査探求や理論よりも、実現可能性といったことが重要視されていた・・・ように思う。
だから、あたしの論文がおもしろがられたわけだ。
そして、ラーニングイノベーション論。
中原先生らしいアプローチだなぁ、とあらためて思うけど、「じゃあ、あなたはどーするの?」っていうのが最後に突きつけられる問い。
まさに「ダイアローグ 対話する組織」のあとがきで書かれているように、学べと言ってる、成長しろと言ってるあなたはどうなの?ってこと。いろいろ学んだでしょー、人が育たないのは組織のせいだ、とか、現場マネジャーのせいだ、とか人のせいにしない、あなたがやらなくてどーするよ?ってことなんだと思う。
なんどかここでも書いてるけど、ラーニングイノベーション論で学んだのは、理論や実践例ではなくって、この「覚悟」なんだと思っている。
実行、実践するための覚悟を持つこと、そのための裏付けとしていろんな理論や実践例を学んだんだと思う。
(余談ながら、あたしにとっては、この「理論」がおぢさんたちの了解を取り付けるのに功を奏しているし、実際に現場で語るときにも一目置かれる。姫が語る言葉に説得力はないが、○○って学者の説でね、身に覚えあるっしょ?って言うと説得力が出るようだ。)
だから、LIN論で宣言したからやらなきゃ、とか、修論に書いたことは絵にかいた餅になっても仕方がないよねー、という考えは正直全然ない。
人に関わることだから、課題が変わればアプローチも変わる。そのときそのときの状態をきちんと見て、対応していくことが大事なんだろうな、と思っている。軸がない、とも言えるけど(汗)
それでも「宣言」は「宣言」として、言ったことはちゃんとやりたいし、「覚悟」を持つことが大学院やラーニングイノベーション論での学びだったのなら、その覚悟に応じた振る舞いをしていけばいいんだろうな、と思う。
人事や人材開発部門にいなくても、人に関わっている以上、誰もが持つ覚悟とそれに応じた振る舞いをするってことだ。
で、ワークショップデザイナー育成プログラム(WSD)。修了まであと1か月もない。
子ども相手のワークショップを自分たちで行うとその高揚感もあって、「よっしゃ、このまま終わらないよね~、次も行くぞー!」って勢いになっちゃうのは差し引いても、すごいのは、みんながみんな「終わった後、どうする?」っていうのを考えていること。
中学校の先生は、自分の授業でできないか?って考えているし、某演劇スクールを経営されている方は地域にそういった施設を作って運営できないか?って考えているし、そのほか実践の場を持っている人だけではなくって、手伝いたい!やりたい!って気持ちにあふれている。
飲み会の場で「で、どーすんのよ?ここで学んだあとさ。」というツメがフツウに行われているってのがすごい。
修論の発表会が終わった後に先輩から言われたこと。
「次の目標を早く決めた方がいい。僕はなんだか抜け殻になってしまった。」
へぇ、そんなもんかなぁ、って思ってた。すでに次の学びを決めてたし。
確かに、同期の中には燃え尽き症候群なんだ~って言う人もいたし、もうしばらく勉強はいいや、って言うM2生もいる。
忙しい仕事の合間を縫って、その間、同僚や部下・後輩に負荷がかかっていたからその分、今年は仕事する(勉強は二の次)!っていうのもありだし、家庭を第一に考えるってのもおおいにありだと思う。
でも、WSDでは燃え尽き症候群なんてないんだなぁ。なぜかって言ったら、実践するために学んでいる、を超えて、実践するのはアタリマエ、すでに実践していて足りないことを学び/掴みにきているからなんだろうな。学びのスタンスが違うとイマベップさんもおっしゃっていたけど、確かにそう。
大学院で書いた実践論文、そしてLIN論の「宣言」。いずれも学んだことを実行せよ、という後押しがある。それでも、その宣言、実践はときとして絵にかいた餅になってしまい、「宣言」のための宣言に陥ってしまう。どーせ誰も見てないもんね~、みたいな(爆) かく言うあたしもそうなりがち。
大学院で書いた実践論文を実践している人ってどんだけいるのかなー?とあえて書いてみる(笑)
学んだ先に実践があるのではなく、実践しているからこそ学びが必要。
WSDに行って、何がよかったかって、ワークショップの技法や運営方法などなどテクニカルなこと、教育的社会的な理論的裏付けを学べたことももちろんだけど、それ以上に「学びのスタンス」の違いに気づけたこと、そして実践しているからこそ学んでいる人たちに出会えたことなんだよなぁ。
なんだか、ガツンと頭撃たれた感じ。
あたしは多分、「学び」と「実践」の間を行ったり来たりしていくんだろうな。
そうして、気づいたら、いっぱい学んでたー、いっぱい実践できてたーって状態になれていたらいいなと思う。
春から学ぶものは決めたけど、まだ何の準備もしてないや。さっさと行動しよ。