わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

じゅうまんえん払って違和感を買う じゅうまんえん払って刺激と気づきを買う

2016-01-20 06:35:45 | オトナの学び
言語化して、外化しないともやもや最高潮になりそうなので、この違和感の元はなにか?を書き残しておきます。


先週末から、某ビジネススクールに通っているのですが、そこで感じたこと。

このスクールでは評価基準が明確で、出席、レポート、そして積極性、つまりは発言回数。ちゃんと「毎回出席して、レポートを出しても、発言がない場合にはD評価になります」と記載があるほど。
そして、講師も「正解なんてないから、とにかく発言しろ」と煽る。
勢い、授業では小学生だってこんなにがんばって手を挙げないだろ?ってくらい積極的に手を挙げる。そして指されて答える、が繰り返される。

これがひとつめの違和感。

中には、指されてから答える人も。それでいい、との講師評なのでそのこと自体はよいのですが、これって、アクティブに学んでいるのかしら?ということ。
問題に対してすばやく反応する、つまり考える数を積み重ねることは思考の訓練にもなるし、きっと思考も深まっていくことになるんだと思う。熟達にはかけた時間が必要なように、考えた時間が増えていくのだから。

大人なので、評価を気にして手を挙げている、というわけでもなさそうだけれども、「積極性」が求められる場でのお作法に染まっているだけ?な気がしてしまうのです。

今まで、いろんな授業やセミナー、講座に出ると、必ず適切なタイミングで発言し、その発言がそれまで誰も指摘したり、思いつかないような本質をついたものだったという「この人すげー!」と思う人がいたのですが、今回はそれがない。
もちろん、次々に回答していくスピード感なので、じっくり考えてのきらりとひかる回答は求めていないんだろうけど、先生からの「いいねぇ」「そうだね」「ほかには?」「それは?」という質問にどんどんと答えていくことで、先生が教えたい解を言わされている感を覚えたのです。
なんていうか、先生からは学んでいるのだが、他者から学んでいない。それがすごーーーーくしっくり来ない。


そして、もうひとつ。授業が終わった後の振り返りがメーリングリストを埋め尽くしています。このことは志高く意欲的なビジネスパーソンが集まっていることの現われなのだけれども、これが、
「意欲的な皆さんとの学べることがとにかく楽しいです」
「刺激を受けました」
「気づきがたくさんありました」
のオンパレードで、その日に学んだコンテンツに言及しているものも当然あるのですが、「●●の重要性を学んだ、実践していきたい」というのがほとんどで・・・。


ふむー。


もちろん、意欲の高い人と一緒にいられるだけで十分に刺激的だし、自分もがんばろうと思うし、楽しい。
けど、それを振り返りに書くってあまりにもプアーじゃないか?といじわるなわたしは思ってしまったのです。
学びの振り返りだよ?学びの場の感想じゃないのだよ。



さらに、飲ミニケーションを強要、もとい、推奨されること。
毎回、授業のあとに懇親会をセッティングされるってちょっと窮屈。もちろん、そういう場での交流もあるだろうし、酒の力を借りた本音の振り返りもできるのかもしれない。(私は酒の席ではガチなリフレクションはできない、と思っているけど。)
ワーママとか家族の介護とか、時間的な制約を持ちながら学んでいる人だっているだろうに、懇親会の出欠を取るにあたって「これって、欠席の数を数えた方が早いですね」と無邪気に言えちゃう人がいるってこと。わたしもちょっと前まではそっち側だったのかも、と猛省いたしました。


とはいえ、知らないことを知るのは楽しいし、できない自分を自覚できることはとっても貴重だし、それがしたくて通っているのだから、わたしはわたしなりに頑張ってみます。
コメント
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