わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

学びの距離感~孫子女子勉強会にオンラインで参加して感じたこと。

2019-06-18 15:51:55 | オトナの学び





孫子女子勉強会というなんとも不思議で楽しくおもしろい勉強会があります。会計士の田中先生が主催されている月に1回の勉強会です。田中先生は「会計の世界史」を書かれた今やベストセラー、ロングセラー作家。基本的には東京開催なのですが、かつて「福岡に頻繁に行くんだけど」という田中先生の一声から期間限定で始まった福岡孫子女子勉強会にお声かけいただいたのをいいことに、メンバーに加えてもらいましたー。ほんと図々しいw


そんな孫子女子勉強会、数か月前からはテクノロジーの力を借りて、オンライン中継が始まりました。なんとヒューストンと繋がってるんだよ。すごいすごい。


で、先日の孫子女子勉強会には、わたしも福岡の自宅から、愛犬真次郎にぺろぺろされながら参加しました。
勉強会の内容についてもきちんと振り返っておきたいのだけれど(攻めと守りの話とかね。)、オンラインでの勉強会についてあれこれと感じたことがあったので、ちょっと振り返っておこうと思います。


これとは別に、先日、参加者なんと400人という「組織開発の探求」を題材にしたオンライン読書会に参加しました。このオンライン読書会は「参加」にもグラデーションがあって
 ・各章のレジュメをつくって発表、各地のプレ読書会を主催するプレゼンター
 ・各地のプレ読書会に参加して事前に読み込みを行ったメンバー
 ・オンライン読書会に参加して、顔出し、ディスカッションに参加した「参加者」
 ・耳だけ参加でディスカッションには参加せず
といったところです。わたしは、恐れ多くもプレゼンターを仰せつかったので、かなりがっつりと「参加」したことは間違いない。
間違いないんだけど、オンライン読書会当日はどこか「距離感」を感じておりました。距離感っていうか、とらえどころがなくてふわふわとしている感じ。魂がどっか行っちゃった、とでも言おうか。


それってなんでだろ?


オンライン参加ではあったけれども、10人くらいで集まってサテライト会場的に参加したことも一つの理由かもしれない。パブリックビューイング的な、テレビを見ている、そんな感覚で、学んでいるって手ごたえがあまり得られなかった。もちろん、ナカハラ先生の解説やコメントはめっちゃわかりやすいし、裏話や思いもお聞きできたし、各章のサマリ、プレゼンもすばらしくて、本の内容は理解できた。けど、なんだか参加しているっていう実感がなかったんだよねー。


それがこの前の孫子女子勉強会では、学んでいる、参加しているっていう手ごたえがばっちりあった。
孫子女子勉強会は10人程度の参加者、それに対してオンライン読書会は400人っていう数だけの違いじゃない気がするんだよね。
オンライン読書会では、参加者どうしの対話の時間が設けられているなど「参加型」のプログラム設計がなされていた。孫子女子勉強会は、田中先生がテーマを設定されてレジュメも用意してくださっているけれど、非構造的というか即興的というか、アウトラインだけが決まっていてあとはその場に委ねられている。オンラインで参加しているわたしたちに対しての気遣いは良い意味で「ない」。オンラインで参加している人の意見も聞かなくちゃね、といった配慮は基本的にはなくて、話したいと思えばカットインして話すことができる。聴いてるだけでも問題ない。参加態度は参加者に委ねられている。もっと詳しく言えば、参加者のその時その時の心持ちや感じ方によって参加態度が変わることが許容されている。発言しない人は場に貢献していない、的な圧もないし、誰もしゃべらないからわたしが言わなくちゃ、的なプレッシャーもない。


2つのオンラインの勉強会を比較するとこんな感じ。チョー乱暴www




わたし自身の参加態度としては、
孫子女子勉強会では、グラレコ(スケッチノート)しながら聞いていた。
オンライン読書会ではほとんどメモも取らずに過ごした。
この違いは、わたしの中ではかなり大きい。グラレコしたい、残したいって思うかどうか、の違いなんだよな、ぶっちゃけ。
それは、オンライン読書会の内容が残すに値しないとか、そういうことではない。学問として学ぶ、事実や情報としてインプットするのであればレジュメがあるからグラレコしなくていい。だから、その場の話を集中して聞くことができる。実際に、かなり集中して聞いていたから、ナカハラ先生がどんな話をしていたのか、フッサールってどんな考え方してる人なの、とか結構ちゃんと覚えてる。
孫子女子勉強会は、事実や情報としてインプットするというよりも、「へぇー」「ほほー」な発見やインサイトが満載すぎて描きたい!という衝動を抑えきれない。だから知らず知らずにたくさん描いている。
やっぱりね、気持ちが動いたことを記録するっていうのは自然なことなんだなー。


孫子女子勉強会では、「D」と「B」という言葉が頻出します。
マズロー先生のD動機(欠乏の不安から生じる動機)とB動機(こうありたいという欲求から生じる動機)にあてはめて、生き方や働き方、学び方などなど、いろんな視点や題材で考えていくんだけど、おそらくね、オンライン読書会はD動機っぽい学びの場だったんだろうなーと思うのですよ。足りないことを埋める、知らないことを知る、っていうのは学ぶ上では大切なことだし、読書会に参加したことで少なくともわたしはたくさんの知識を得たし、組織開発についてあれやこれや考えることができた。その点においては自信を持って「学んだ」と言える。
一方で孫子女子勉強会では、一体全体何を学んだの?という問いには窮してしまう。けど、確実に何かを学んだし、手ごたえがあった。同じ話、エピソードを聞いても感じること、受けた印象、そこから持ち帰るもの、気づくことは人それぞれ違う。人それぞれ違うってこと自体が「B」の学びなのかもしれないねぇ。そして、学びの成果を強要されないっていうのも「B」の学びっぽい。


「D」がよくないとか、「B」がいいとか、そんな単純なことではなくて、同じような体験をしても受ける印象は違うし、そこから学ぶことも違う。
同じ“オンライン”を用いた2つの勉強会を体験して、いかに自分ごとにしていくか、ってだいじだよなー、観客になっちゃったら自分ごとにはできないもんなー、グラレコしてると自分ごとになるよなー、でも自分ごと=自分の感情が動いたときしかグラレコってできないもんなー、結局はどれだけ自分の感覚を研ぎ澄ますことができるかってことだよなー(好きも嫌いも含めて)、なんてことをつらつらと考えたのでした。


2つの勉強会はほんとに豊かな学びの場、時間だったのですよ、それだけは間違いないし、これからもそんな場にはすみっこでいいから参加していきたいなーと思ったよ。

「攻め」と「守り」の話もちゃんと振り返っておこうと思うんだけど、ちょっと長くなっちゃったので今日はこのへんで。


あらためて田中先生、孫子女子会のみなさん、電気屋祭り!なひと時をありがとうございました!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとつすっきりして、またもやもやを持ち帰る~オンライン読書会に参加して学んだこと。

2019-06-08 06:38:55 | オトナの学び

先日「組織開発の探究」を題材にした300人超が集まるオンライン読書会に参加しました。
今回が2回目。前回は400人もの方が、それこそ育児の傍ら、移動中の新幹線、送迎中の車の中、バーの片隅から参加されていた。すごいね、テクノロジーは時間と距離の壁を超える。
※1回目の読書会の様子は中原先生のこちらのブログをどうぞ。


恐れ多くも1回目、2回目ともにプレゼンターを仰せつかり、WSD九州のメンバーとプレ読書会と称して結構がっつりと読み込んで、いろんな話をして迎えた当日。稚拙な表現ではありますが、いろんな「学び」がありました。ってことで、ちょこっと振り返っておこうと思います。だらんだらんだよ、そして思考と感情だだもれの独りよがり満載のブログだよ。



・本の読み方がわかった

わかった、っていうか、再発見した。今回、「読書会」って名のつくものにはじめて参加して、(最近はやり?のActive Book Dialogueには参加したことあったけど)「はて、そもそも読書会ってどういうもんなんだっけ?」と『読書と社会科学』ってご本を読んでみた。

これが、すんごいよかった。(まぁ、なんてチープなw)


いわく、本を「情報」として読んでいないか?「哲学」として読んでいたら、一読明快ってことはなくて、読むごとに違う解釈が出てくる。読書会も同じでみんなで読むことで最大公約数になる場合と、最初は一緒なんだけど徐々にひとりひとり違う解釈になっていく。著者と自分へのリスペクトを忘れない…といったようなことが書かれていた。(相当意訳)






(プレ読書会用に、このご本の要約もKPを作った)


そうか!すっきりしない、腑に落ちない、でいいんんだ。読み重ねる=解釈を積み重ねる、でいいんだ。とちょっと気持ち的にもラクになって、プレ読書会では、事前に準備したざっくりサマリーをネタにあれこれ自由に語らった。

これがすんごいよかった。(まぁ、なんてチープなw(2))

今回、プレ読書会のメンバーは青学ワークショップデザイナー育成講座で学んだ面々、期は違うけど同じ学びを共有している安心感があった、普段の活動はそれぞれバラバラだけど、「対話」をする前準備ができていた、っていうのは大きい。いろんな角度、視点からの話ができて、プレ読書会での学びは本当に大きかったなぁ。何よりも楽しかったし。お付き合いいただいたよっしーさん、オオタカさん、ピッピさん、本当にありがとうございました。


そして、プレ読書会も含めて、わたしは何度も何度も「組織開発の探求」を読んだ。べたに読む、ってこういうことだな、ってくらい言葉一つ一つを流し読みせずに確認しながら読んでみた。そして、まとめる。そして、話してみる。
この過程が、大事なんだなーと思った。今回これだけ読んでまとめて、話してみた、っていうプロセスを踏んだので、たぶんね、この内容はしばらくは忘れないと思うんだな。みなさんがわたしのプレゼンは「自分の言葉で語っていてわかりやすかった」と仰ってくださっていたけど、そう、加工貿易的な感じで、本を読む(材料を仕入れる)→プレ読書会・プレゼン準備(製品に加工する)→プレゼンする(輸出する)みたいな(笑)
手間はかかるけどね、こうやって読み込むことってだいじだし、たまにはじっくりしっかりやってみたい、と思ったよ。




・まとめる、伝えるのにグラレコは威力を発揮するかも。

普段、グラレコ講座でみなさんにお伝えしていることに
「まずは自分のための記録を」
「楽しんで描いたものを他の人と共有することで、誰かの役に立つかもしれない、ほかの人の記録が自分の役に立つかもしれない」
「グラレコはそんなふうに使ってもらえると嬉しい」
があります。
それを実感できたひとときでもありました。

グラレコ風にまとめたプレゼン資料は、プレゼン用に作ったというよりも、自分の理解のためにまとめた、と言った方がしっくりくる。本当に「プレゼン用」に資料を作成するのであれば、グラレコ風は使わない。パワポで作りますw 
プレ読書会の準備をするときに、自分自身の理解のために内容を手描きで図解、構造化してみたら、これがすごいよかった。自分自身の思考の整理になった。なので、そのまま使い続けた。
結果として、このグラレコ風のプレゼンは「何これ?」という誘因力にもなったし、へたうまな絵によって「組織開発ってそんなに難しいことじゃないのかも?」と煙に巻く、もとい、ハードルを下げることに少しは貢献できたんじゃないかと。そして、「わかりやすい」とある一定の評価をいただいた。

そう、グラレコ的な記録って、絵や図をつかって“きれいな”アウトプットをすることが重要なんじゃなくて、一度聞いた話、体験したことを、自分の体の中に取り入れて、考えて、理解して描く(構造化に至るプロセスを瞬時に行う)ことが重要なんだよなー。だからグラレコ風に記録したものって、忘れないし、記録を見ると”記憶“がよみがえる。それは、一度曲がりなりにも自分で理解しているからなんだ。

と、これまでの講座で伝えてきたことの手ごたえが得られたっていうのは、とっても嬉しい。少しだけ自信をもっていこう。




・わかりやすい説明は思考を停止させる?

これはわたしの悪い癖だなぁと思うのですが、表面的に分かった気になっちゃって深掘りしない。中原先生のお話は本当にわかりやすい。難解なことを秀逸なメタファを使ってわかりやすく説明してくださる。そうするとどういうことが起きるのか、(あ、あくまでもわたしの場合ですよ)
深く考えることをやめてしまう…orz
分かった気になっちゃって、自分の中でしっかりと咀嚼して、自分なりの解釈、理解をしようとしなくなってしまう。
という悪い癖が認識できたので、いじわるに「ほんとに?」と問い直してみる癖をつけてみようと思う。
そして、わかりやすい説明を心掛けるのはこれからも変わらないんだけど、一方で、わかりやすい説明はそれ以上考えるってことをやめさせる、ってことにも気をつけながら「もやもや」を残すような投げかけ、問いかけができるようになりたいなーと思った。




・そしてやっぱり「組織開発」は苦手…

なんで「組織開発」に苦手意識を持ってしまうのか?少しその理由がわかった。
組織開発って“風呂敷”みたいなものだし、組織を機能させるための働きかけなんだから、その実態ややり方は各社、各所によって異なっていい。けど、今「組織開発」というラベルが貼られているものは、問題をあぶり出しましょう、みんなで対話しましょう、これから先のビジョンをみんなでつくりましょう、というなんだか優等生的な感じで、多くの職場(特に中小企業)では「そんなことやってる余裕なんかねーよ」と思ってしまうような施策のように感じている。そこに違和感と苦手意識がある。

ひとつは、ビジョンづくり。これが苦手。ビジョンがないとダメなんですか???
あった方がいいことはわかる、目指す姿がなくてどうやって進んでいくのさ?という疑問はごもっとも。けど、10年後のビジョンとか、ありたい姿とかって耳障りのいい目標を掲げていったとしても、働くひとたちの動機ってもっとシンプルだし(安全に安心して仕事に取り組める環境とか、お給料と休みがちゃんともらえるとか)、目の前の仕事を一生懸命やる、で十分なんじゃないか?って思いがずっと拭えない。

そして、もうひとつは、今、巷で語られてる「組織開発」ってブルジョワっぽいよね、ってこと。
誤解を恐れずに言うと、問題課題が山積みな状態だったら、「組織開発」なんてこと言わずに、みんなで力を合わせて危機を乗り切っていくしかないし、対処療法的に課題を解決していくんだと思う。そして、そんな短期的な取り組みを続けていくことこそが、「組織開発」なんじゃないか、って思えて仕方がない。
対話とか、ビジョンづくりとかやってる暇も余裕もない!っていうのが多くの企業の本音なんじゃないだろうか?でも、そういう企業の経営者や社員の多くが、「組織開発」っぽいことを何もやっていないか?って言ったら、やってるんですよ。業務改善とか、制度変更とか。それで十分じゃん、と思うのです。会社をよくしよう、もっと働きやすくしたいとか、従業員のことを考えていない経営者はいないと思うしね。


サーベイして、対話して、ビジョンを作る。確かにこのプロセスで丁寧に進めて行くことで、組織は変わるし、よくなると思う。でも、このプロセスを経ることができるのって、一握りの人、会社に過ぎないんじゃないかなーと。サーベイ取るのにもお金がかかるし、ワークショップやるにもお金がかかるし、どうも、「組織開発」には、悪いコンサルのお金儲けの手段的なにおいがしてしまって、苦手なんです…。
これはもう沁みついてしまった価値観なので、簡単にははがせそうもない。
けど、オンライン読書会で、中原先生が「組織開発って言葉じゃなくて、皆さんの組織にフィットする名前をつけてください」と仰っていたことを思うに、組織が機能するような働きかけは「組織開発」だし、それを「組織開発」と呼ばなくてもいいってことを自分で自分に納得させた。少しは「組織開発」が好きになれるかな?(笑)




と、いろんな学びがあったオンライン読書会でした。
まだまだあれこれ振り返りたいけど、時間が来てしまったのでこの辺で。


本当に貴重な経験でした!機会を授けてくださったみなさんに心からの感謝を。どうもありがとうございました!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よいライブに席の良しあしは関係ない!?

2019-06-06 07:55:32 | キッカワコウジ



「真面目に頑張ってれば、いいことあんねんな」
蒼井優ちゃんと結婚した山ちゃんに、相方しずちゃんが言った言葉。いやー、感動した、感激した。


感動した、感激したのは山ちゃんと蒼井優ちゃんの結婚だけではなくって…


ついに、ついに、ついに、わたしにもやってきました1列目!!


かねてより、「ホールライブの1列目が来たらもうライブは卒業してもいい」と公言していましたが、ほんとに来ちゃった、1列目。
いまだに夢うつつ、というか、あぁあぁあぁああ、1列目だったんだーと夢心地なので、勢いのままに書いておきます。
ライブレポートじゃないよ。


晃司ライブに行き出して15年、都合96回目にして初の1列目!
こんだけ行ってて1列目が来ないのは、晃司からの「また来てね」ってことだと思う、とポジティブにとらえてきましたが、ついについに1列目、来た!
ライブハウスの最前列は3回ほどあったけど、自分のスペースがあるって全然違う。没入感が違うー。
負け惜しみでもなんでもなくって、後方の席のときには会場全体の盛り上がりとか一体感を感じることができるし、スポットライトがすーっと伸びていく様を見るのは大好きなんだけど、やっぱり最前列には魔力や磁力がある。ずーっとフロー状態であっという間に過ぎ去っていった。あんなポーズがあった、あんなこと言った、ここで間違えた、この表情萌えポイント!とかとか全部覚えてるけど、全部夢だったんじゃないか?ってくらい全部忘れてる、みたいなそんな時間感覚。


靴のかかとまでガン見(笑)
毛穴まで見えるんじゃないか?ってくらい(笑)
足音や、お洋服がはためく音まで聞こえちゃう感じよー。


「真面目に頑張ってれば、いいことあんねんな」
1列目が来たのは、わたしががんばったからでもなんでもないんだけど、行き続けていれば、やり続けていればいつかいいことあるんだなーって思った。確率論的には、1列目が当たる可能性ってどのくらいなのかわからないけど、行き続けていたから当たったわけで、行き続けられる環境や周りの理解、体調などなどあらゆるものに「ありがとーーーーー!」って叫びたい気持ちです。
もちろんね、行きたいけど行けないって状況だってあるし、「続ける」ってことが困難なことだってたくさんある。いつなるかわからない腸閉塞におびえてたのも事実だし、元気に笑顔の再会ができるってホントに嬉しく幸せなことだ。奇跡と言ってもいいかもしれない。


福岡―いわき1200キロ、移動時間約6時間。日程的に行ける土曜日だったのでチケット申し込んだものの、あまりの遠さにちょっと萎えてた自分を叱りたいwww



そして、ひとりでも十分楽しいけど、やっぱりねー、あれやこれやと「かっこよかったねー」「あそこがよかったねー」とたわいもない感想をいいながら、焼き鳥&ビールを楽しみたいなーと思ったよ。
なので、次の目標は、オットと1列目!です。だからライブは卒業しないよw
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

持ち寄るのは「自分自身」、持ち帰るのも「自分自身」~対話するひめくりカレンダーで対話してみた

2019-06-03 09:10:25 | オトナの学び



ラーニングイノベーション論10周年を記念して作成した中原先生の珠玉の名言を集めた日めくりカレンダーを使って対話するという会を開催しました。日曜の朝10時というなんとも贅沢な時間に、なんとも贅沢なメンバーで、なんとも贅沢に慶応MCCの教室をお借りしての開催。ホーヤさん、いつもいつもありがとうございます。


妄想と勢いとたくさんの方のご協力で作ったこの「ひめくりカレンダー」を使ってなにかしたいよね、と、カレンダーを一緒につくった三井さん、ホーヤさんとずっと妄想しておりました。
この日にこのタイミングで実施したのは、100%わたしの個人的な事情と妄想から。前日に晃司アニバーサリーライブでいわきに行くから、おぉ、飛行機の時間を調整すれば日曜の朝に開催できるぞ。じゃ、何する?1か月間お言葉からインスパイアされた内容でブログも書いてみて、いろいろ語れるなぁ、と思っていたので、「自画持参」形式でやってみたらおもしろいんじゃなかろうか?と妄想むくむくと。ホーヤさんのご厚意で休日なのに教室をお借りしてゆるっと告知して開催。12名の方にお集りいただきました。っていうか、わたしの上京に合わせて企画した時間帯なのに、みなさんが面白がってお集まりくださって本当にありがたいなぁ、うれしいなぁ、もうしわけないなぁ、という気持ちでいっぱいです。


実際にその場で語られたことは、その場だったからこそ出てきたことでもあるので、詳細を記述するのはやめておきますが、これがまた、とっても深いお話が出てきて、なんとも心温まり、そして、深く内省することができたのです。あらためて、集まったくださった皆さん、話題を提供してくださった皆さんに感謝します。


ここでは、話の内容ではなくて、「場」ということについて、今今感じていることを、だらんだらんと書き記しておこうと思います。


カレンダーを作って何がよかったか、って言ったら、講座に通っていた時以来かも???な懐かしい方から直接メッセージいただいたりと、あぁ、学びの場で出会った人との縁ってこんな感じでずーっと続いていくんだなぁ、別にがつがつと繋がろうとしなくても、「何か」し続けていればいつかまた繋がれるんだなぁ、って思えたこと。これが何よりも嬉しく幸せなことでした。
昨日も6年ぶり!にお会いした方も。「わー!久しぶり!」だし、学んでいた時とは環境も仕事も違っていて、今の時点での共通点は少ないのかもしれないけど、ちょっと話始めるとすぐに一緒に学んでいたころのモードに戻る。これって地元の同級生と同じ感覚かも。
ベース、というか、共通項があるから、安心できる。で、こうやって、とってもお久しぶりな人が何かのきっかけやタイミングで「久しぶりに来たけどやっぱりいいね」「懐かしいよね」「またいつか行きたいね」って思ってくれるっていうのが、「場」の持つ力であり、そういう「場」を作りたいし、持ちたい、と思った。


これが「ホーム」ってことなのかもしれないねぇ。


あと、今回の会はあまり「集客」をがんばらなかった。(最近、自分が関わる場は大体そんな感じなんだけどw)
なんていうかね、集まるべくして集まった人たちだからこそ、の話ができるんじゃないか、場になるんじゃないか?って思いがあった。これは、WSD仲間で尊敬するよっしーさんが、いつもキャリアバラエティを運営するときに仰っていることで、人を集めることよりも、何かに引き寄せられて集まった人のパワーというか、温度をだいじにしたいよね、って思いにわたしはおおいに共感していて、毎回のキャリバラトーク会のあったかさ、楽しさがそれを物語っている。だから、今回もがんばらなかった。
コンテンツが「自画持参」だったから、余計に集まるべくして集まった人と作りたい、という思いは強かった。持ち込むのは「自分自身」なんだもの。その人自身が「何か」を感じてその場に集まるってだけで、コンテンツになり得る。この場に来れば何かが得られるはず!という肉食系知識獲得型の方には極めて肩透かしな内容になるのかもしれないけれど、対話ってそういうことなんじゃないか?って思う。そこで話されていることから直接得られるものが少なかったとしても、違いやゆらぎ、みたいなものを感じて、自分自身の中に取り入れて反芻して、内省する。
持ち寄るのが「自分自身」なら、持ち帰るのも「自分自身」なんだね。
(昨日の場はその場で話されていること自体が「なるほどー」「そうだよねー」な連続でしたが。)


今回はホーヤさんのご厚意ご尽力で会場をお貸しいただいたことや講師料といった実費が発生しなかったことも大きいんだけど、もしも、会場費や講師料の負担が発生したとしても、それでもやっぱり集客は頑張らない気がする。
それってなんでだ?って言ったら、基本、好きでやってるから。経済的な部分を請け負ってでも、やりたいと思うから。もちろん、そんな甘いことじゃダメだよ、ちゃんと価値の対価はとらないと、と言われることもわかってる。けど、わたしの「場づくり」のスタートが、経済的基盤を持った上での活動だったので、どうしてもそういうマインドになる。自分が好きでやってるから、コンセプトや“そもそも”にこだわれる。経済的にペイしないとダメだよね、というプレッシャーが生じると、やりたくないこともお金のためにやらなきゃいけなくなることもある。そんな気持ちで取り組んで作った場だっとしたら、集まった人はハッピーなんだろうか?何よりもわたしが楽しくないし、ハッピーじゃないもん。
(と言いつつ、前日にはしゃぎすぎて、かなり調子が悪かったことはナイショです。その点ではあんまりハッピーじゃなかったけど、力が入らな過ぎたことで逆に場が和んだのかもしれませんwww)


いつものごとく、帰りの飛行機が迫っていて、バタバタとご挨拶もそこそこに失礼してきちゃって、みなさんとじっくりお話しできなかったのが心残りではあるのだけれど、それは「またね」って意味だと思って、引き続きゆるっとがんばっていこうと思った次第です。
あらためて、お集まりいただいたみなさん、ホーヤさん、三井さん、そして中原先生、ありがとうございました。またお会いしましょう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする