尊敬するタナカジュンさんがブログに、
「人事/HR系のイベントで、ディスカッション/対話になると帰る人事担当者が多い。もったいないし、ヤバい。」(相当乱暴な意訳)
とここんとこ何度か書かれてる。
先のAcademicHackで投げかけられた質問。
「越境学習していることを社内に公言してますか?」にその場にいた人のほとんどが手を上げられていた。あたしは上げられなかったから言うわけじゃないけどね、「仕事」としてそういう場に行けるだなんてよだれが出るほど羨ましい。
ステキなHR系のイベントや勉強会があっても、ずーーーっと有休使って行ってた。仕事で行かせてくれ、ってお願いする理屈を考えるのがめんどくさかったりってのもあったし(おい)、今のケイエイキカクシツというスタッフ部門にいるからできることなんだと自分に言い聞かせ、今の境遇に感謝しつつ、外ばっかり行ってちゃらちらして、と言われないようにと気を使ったりもしている。
外に学びに行ったり勉強会の主宰したりしてることはカイシャのみなさんも知ってはいる。ここ4年くらいでじわりじわりとやってきて、ひめさんはそーゆー人だから、と容認された、に近い。肯定も否定もされず、特別な存在なんだろうな、と思う。
そうやって半ば隠れて外に学習しに行ってることはエライともなんとも思ってなくて、AcademicHackのときに豊田さんの発表にあった勉強会に行く理由に当てはめると、「ライフ・インフラ」…外に出ることがアタリマエ、生活の一部…に近いんだろうな、と思う。
で、そうして出かけた勉強会やセミナーでの振る舞いについて、である。
あたしは、自分の金と時間を使って行くときにはやりたくないこと気がのらないことはやらない。っつかそもそも、気が乗らない場所には行かないし、やらない。対話がめんどくさいときだって当然ある。良質な講義を聞いて、それで満足っていうことだってあり、だと思ってる。
けど仕事で行ってるときにはそうではない。
あたしがそのセミナーなりに参加している時間に「できていたはずの仕事」と引き換えにカイシャが時間とカネを投下してくれたんだから、と気が乗らなくても100%以上のインプットをしようと思うんだなー。
貧乏性っていうか、前世代的っていうか…。これはたぶん前職で12日間の豪華おフランス・イタリア視察ツアーに連れて行ってもらったときに埋め込まれたものかもしれない。
その金と時間はあたしという個人に投下されただけではなく、会社全体に投下されたわけなのだから、なるべくたくさんのお土産を持ちかえることが派遣された人の努めだと思うのですよ。
だから、鬱陶しいなー、と思っても、ときには「?」と思うグループワークでも(話される内容が必ずしも満足行く内容とは限らないので)、前のめって参加してきたつもり。で、それはレポートや報告書というかたちではなく、実践というかたちでカイシャに還元してきたつもり。まだまだ全然できてないけど(^_^;)
コミュニケーションが大切だとか組織開発だとか言ってる人事担当者が、他者の話を聞いて、自分はどう思うのかを内省し、他者ん考えを取り入れたりする、、、そういう多様な他者から学ぶってスタイルでないってのもヤバいけど、カイシャの金使って学びに来てるってことに思いを馳せられないってのはカイシャ人としてヤバくないかい?と思うのです。特に人事なんつー間接部門にいるのだから尚のこと。売上作れない人事をはじめとする間接部門は、間接部門だからこそ持ち得るノウハウやらネットワークやらを事業につなげることができてこそ成り立つと思うのですよ。だから、インプットは怠らず、アウトプットは惜しみなく、だと思うのですよ。これまた自分を思い切り棚に上げて言っておりますが(^^ゞ
と、うだうだ書いてきましたが、要は羨ましいわけです、会社のカネと時間を使って勉強会やセミナーに行けるだけの物理的なヨユーがあることと、そういう土壌、風土にあることが。そういう風土・土壌を作っていくことがあんたの役目だろ、と言われることは承知でwww
最後にオチもなんにもないし、まだアタマん中で整理されていませんが、人事の仕事について思うこと。
「人事の仕事<カイシャ」なマインドの人の方が人事に向いてるんじゃない?
なんだかんだとその会社、その会社に居る人のことが好きでなければできない仕事なんだと思う。前時代的、と言われようと。でなければ、なぜ人事の仕事がアウトソースされずに残るのか。いろんな企業の人事部門を渡り歩くって言うのがどうにもイメージできなかった理由がよくわかりました。人事のプロってそういうこっちゃないような気がする。この会社の行く末、将来を真剣に考えて、そのときにそこで働く人をどうしたいのか、っていうのがベースにないといかんような気がする。そうなると「人事」の仕事がやりたい、できるって人よりも、会社のことを誰よりも好きでいる人に人事の仕事をやってほしいなぁ、と思うのです。
「人事/HR系のイベントで、ディスカッション/対話になると帰る人事担当者が多い。もったいないし、ヤバい。」(相当乱暴な意訳)
とここんとこ何度か書かれてる。
先のAcademicHackで投げかけられた質問。
「越境学習していることを社内に公言してますか?」にその場にいた人のほとんどが手を上げられていた。あたしは上げられなかったから言うわけじゃないけどね、「仕事」としてそういう場に行けるだなんてよだれが出るほど羨ましい。
ステキなHR系のイベントや勉強会があっても、ずーーーっと有休使って行ってた。仕事で行かせてくれ、ってお願いする理屈を考えるのがめんどくさかったりってのもあったし(おい)、今のケイエイキカクシツというスタッフ部門にいるからできることなんだと自分に言い聞かせ、今の境遇に感謝しつつ、外ばっかり行ってちゃらちらして、と言われないようにと気を使ったりもしている。
外に学びに行ったり勉強会の主宰したりしてることはカイシャのみなさんも知ってはいる。ここ4年くらいでじわりじわりとやってきて、ひめさんはそーゆー人だから、と容認された、に近い。肯定も否定もされず、特別な存在なんだろうな、と思う。
そうやって半ば隠れて外に学習しに行ってることはエライともなんとも思ってなくて、AcademicHackのときに豊田さんの発表にあった勉強会に行く理由に当てはめると、「ライフ・インフラ」…外に出ることがアタリマエ、生活の一部…に近いんだろうな、と思う。
で、そうして出かけた勉強会やセミナーでの振る舞いについて、である。
あたしは、自分の金と時間を使って行くときにはやりたくないこと気がのらないことはやらない。っつかそもそも、気が乗らない場所には行かないし、やらない。対話がめんどくさいときだって当然ある。良質な講義を聞いて、それで満足っていうことだってあり、だと思ってる。
けど仕事で行ってるときにはそうではない。
あたしがそのセミナーなりに参加している時間に「できていたはずの仕事」と引き換えにカイシャが時間とカネを投下してくれたんだから、と気が乗らなくても100%以上のインプットをしようと思うんだなー。
貧乏性っていうか、前世代的っていうか…。これはたぶん前職で12日間の豪華おフランス・イタリア視察ツアーに連れて行ってもらったときに埋め込まれたものかもしれない。
その金と時間はあたしという個人に投下されただけではなく、会社全体に投下されたわけなのだから、なるべくたくさんのお土産を持ちかえることが派遣された人の努めだと思うのですよ。
だから、鬱陶しいなー、と思っても、ときには「?」と思うグループワークでも(話される内容が必ずしも満足行く内容とは限らないので)、前のめって参加してきたつもり。で、それはレポートや報告書というかたちではなく、実践というかたちでカイシャに還元してきたつもり。まだまだ全然できてないけど(^_^;)
コミュニケーションが大切だとか組織開発だとか言ってる人事担当者が、他者の話を聞いて、自分はどう思うのかを内省し、他者ん考えを取り入れたりする、、、そういう多様な他者から学ぶってスタイルでないってのもヤバいけど、カイシャの金使って学びに来てるってことに思いを馳せられないってのはカイシャ人としてヤバくないかい?と思うのです。特に人事なんつー間接部門にいるのだから尚のこと。売上作れない人事をはじめとする間接部門は、間接部門だからこそ持ち得るノウハウやらネットワークやらを事業につなげることができてこそ成り立つと思うのですよ。だから、インプットは怠らず、アウトプットは惜しみなく、だと思うのですよ。これまた自分を思い切り棚に上げて言っておりますが(^^ゞ
と、うだうだ書いてきましたが、要は羨ましいわけです、会社のカネと時間を使って勉強会やセミナーに行けるだけの物理的なヨユーがあることと、そういう土壌、風土にあることが。そういう風土・土壌を作っていくことがあんたの役目だろ、と言われることは承知でwww
最後にオチもなんにもないし、まだアタマん中で整理されていませんが、人事の仕事について思うこと。
「人事の仕事<カイシャ」なマインドの人の方が人事に向いてるんじゃない?
なんだかんだとその会社、その会社に居る人のことが好きでなければできない仕事なんだと思う。前時代的、と言われようと。でなければ、なぜ人事の仕事がアウトソースされずに残るのか。いろんな企業の人事部門を渡り歩くって言うのがどうにもイメージできなかった理由がよくわかりました。人事のプロってそういうこっちゃないような気がする。この会社の行く末、将来を真剣に考えて、そのときにそこで働く人をどうしたいのか、っていうのがベースにないといかんような気がする。そうなると「人事」の仕事がやりたい、できるって人よりも、会社のことを誰よりも好きでいる人に人事の仕事をやってほしいなぁ、と思うのです。