わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

まちおこしとか地方創生とか。2つの温泉地で考えたこと。

2019-09-20 23:56:24 | コトバ・ニッキ

小浜温泉の足湯。絶景だねぇ。


昨日、わたし史上最長ドライブ(1日に走った距離としては)で、長崎県は雲仙小浜温泉に行ってきた。小浜地区の中心地の活性化/再開発プロジェクトのワークショップの様子をグラレコしてほしい、という依頼をいただいて。聞けば、ワーキンググループを構成するメンバーの半分が移住者、しかもアーティストやウェブデザイナーなどの若者で、半分が生粋の地元民。こういう融合って割と珍しいのでは?
これから先も続くプロジェクトだし、出た意見を実現させていくためにも、”外”のわたしが描くよりも、”中”の人が描いた方が絶対にいいですよ、そのためのお手伝いは喜んでやらせていただきます!とお伝えしたところ、賛同いただき、講座+グラレコを実施してきたわけです。


プロジェクトの進行は、地元の商工会から依頼を受けた関西のコンサルティング会社が取り仕切っていて、その構図はよくありがちではある。
グループワークでは、はじめのうちは「〇〇がない」「△△が必要」といった、ないものねだり的な話が多くなされていたんだけれど、ファシリテーションが素晴らしく、「ないものを作る、という発想ではなく、今すでに小浜にある価値や魅力を掘り起こしてみましょう」という問いからは建設的な議論が行われていった。


小浜温泉は、島原半島の海沿いの位置している。小浜地区に入ると、海の青、湯けむりの白、そして山の緑のコントラストが本当にきれい。
ワーキングに参加されていた方からも「ここの夕日は本当にきれい」という声がたくさん上がっていた。夕日を見るだけでも小浜温泉の価値がある。だから、日の入りの時刻を発信するなどもっと夕日=サンセットをアピールしては?SNSであればコストもかからずに発信できる、など具体的なアイデアも湧き出ていた。


このワーキングは今後も何度か開催され、参加者の意見やアイデアを地区の活性化、再開発に活かし、実現に向けて、具体的にしていく。その第一弾として、魅力を再発見して、できることから始めよう、という機運が高まったことは素晴らしい成果だと思った。


そのほかにも、まちの中を回遊してもらえるように、いくつかおススメのルートを設定するなど、まちの回遊性を高めるような施策のアイデアも出ていた。


最後に旅館業を営んでいる方から、「旅館での滞在体験が豊かなものにならないと、いくら、いろいろな施策を打ってまちの魅力を高めたとしても、また来ようとは思ってもらえない。旅館業、観光業のわたしたちが危機感を持って、意識を変えて取り組んでいかないと。」という発言があった。こういう本質的な意見や発言が出るってこともまた素晴らしい成果だ。


ワーキング会場の温泉旅館の大広間。なかなか味わい深い。



そして、先週は長岡ゼミのゼミ合宿に参加して、山代温泉でNext Commons Labのお話しをお聞きした。
Next Commons Labもまちおこしの役目を担っているのだけれども、そのアプローチはいわゆるまちおこしや地方創生とはちょっと違っている。極端に言うと、ビジネス視点から発している、ってこと。まちにあるリソースを活用して事業を行う、そのメンバーとして起業家やデザイナー、コーディネーターなど外の人と中の人が協働しながら活動していく、そんな感じ。まちの特産品に価値をつけて流通させたり、ブランディングに近いこともやっている。


「まちおこし」に対する一般的なイメージは前者(小浜温泉)だと思う。まちそのものをブランディングしたり、再開発したりしながら足りないものを補っていく。
わたしがずっと感じていたまちおこしや地方創生に対する違和感はここにあって、足りないものを補って、特産品をブランディングしていく、移住者を増やす(インターネットさえあれば地方にいても仕事ができるよ、的にweb関連の企業を誘致したりとかね。)…それだと結局、ほかのまちと同じになるだけなんじゃない??ってこと。似たような地方都市、地方のまちをたくさん作るだけなんじゃない??ってこと。


「移住」ってことばにも、ずっともやっとしたざらつきを感じている。
自らの意思で移住してきた人は、「このまちのために」って思いが強かったり、たまたま今はこのまちが気に入っているから住んでいるけど、違うまちに住むかもね、というジプシー的なにおいがぷんぷんしたり…。←あ、これはわたしの偏見もかなり入ってますw


いわゆるホワイトカラー系の仕事は、インターネットがあれば比較的どこでも同じように仕事ができるわけで、だからこそ、場所、まちにこだわらない。もっと住みやすい場所や気に入ったまちができたら、移っていっても、「仕事」はできるわけだ。(東日本大震災以降、東京から離れたクリエイター系の人たちを見ているとことさらにそう思う。)


でも、そのまちで生まれ、そのまちで暮らし続けている人は、そう簡単にはそのまちを出られない。物理的には、出られるのかもしれないけれど、「出る」っていう選択肢を持ち合わせていないってことも往々にしてあると思う。
青くさいし、きれいごとかもしれないけれど、そういう人たちが「なぜ自分はこのまちに住み続けているんだろう」「何があるからこのまちに住んでいるんだろう?」と考えて出す答えこそが、まちおこしの原点な気がする。
昨日の小浜温泉における「夕日」みたいなことだ。


だから、まちおこしとか、地方創生に関わる外の人(行政から委託を受けたコンサルとかね)は、そんなまちの誇りとか、愛着といったこと、ものを表出させて、言語化していくお手伝いをしていってほしいと思う。


グラレコもそう。
昨日の依頼は、発表内容を書き留めてください、というものだった。もちろん発表内容はきちんと網羅して書き留めたけど、発表用の言葉ではなくて、最後に感想としてつぶやいた言葉の数々、これこそが可視化、言語化して残しておくべきものと思ったので、急遽付け加えて記録した。
雲仙市の担当者が、グラレコを見て感激していたけれど、その「感激」はグラレコに対する感激ではなく、描かれていた内容、発言に対する感激だった。グラレコの効果はそこにあると思っている。何気なく発した言葉、感情が動いた言葉、熱量がこもった言葉…そういったものを書き留めることこそがグラレコなんだと。


グラレコの話はさておき。
加賀も雲仙も温泉地としては全国区だけれど、いわゆる消滅可能性都市でもある。観光地としてどう存続させるのか?ということもだいじだし、移住者を増やし定住させていくこともだいじだけれど、そこに住む人たちが住み続けられる、住みやすいまちにしていく、そのための「誇り」を再発見することが何よりもだいじな気がしている。まちおこしや地方創生は門外漢ではあるけれど、移住者の端くれとして、わたしがこのまちに住み続ける理由をこれからも探していこうと思ったよ。


2週にわたって温泉地でまちおこしに触れる。
せっかく温泉地にいったのに、ほぼほぼタッチアンドゴーだったので、集合時間までの30分で足湯につかっただけっていうね(涙)名物も食べてないし(涙)こんどはゆっくり行きたいなぁ。



山代温泉ではかろうじて古総湯に行けました。なかなか刺激的な脱衣所であったよ。



湯上りどころは、狭い階段を登り切ったところに。おばあちゃんの家に来たかのような癒し空間。


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35周年を味わい尽くす

2019-09-14 20:59:43 | キッカワコウジ
台風15号もあってそわそわした気持ちのまま迎え、終わった35周年ツアーファイナル@幕張。


今年の目標に「35周年を味わい尽くす」を掲げていたので、この辺でちょこっと35周年を振り返っておこうと思う。と言ってもいつもの独り善がりなだらんだらんな日記です。


35周年のスタートは2月1日、2日の武道館から。その日の朝の新聞一面広告に
「吉川晃司、起動」



30周年の時も、COMPLEX日本一心の時も、朝日とっててよかった♡と思ったけど、今年も。継続契約しました(笑)


初日は、手作りのアニバーサリーTシャツで、2日はりばさんみほさん夫妻と4人でお揃いのオリジナルK2Tシャツで。ペアルック恥ずかしい、とか、そういう概念は吹き飛んでおります(笑)



ツアー再開してのわたし的初日は横須賀。
思ったよりも横須賀が遠かったり、着いたときには既にアニキ人形が売り切れていたり、横須賀中央駅前のショッパーズが退店していたり…。
劇場って感じのホールは包み込むような一体感があって、楽しかった。


横須賀から帰ったら不在通知。いわきのチケットが届いておりました。
寝かせたらいい席になってるかな?というのはさておき、しばらく経ってから開けてみたら、なんと1列目。
もうねぇ、無事にいわきまでたどり着けるよう、体調崩さないようにやたらと気を使いながら過ごす日々が始まったのでした(笑)


1列目はもはや記憶がない(笑)
あまりにも近くて、毛穴まで見えちゃう至近距離。息遣いや衣擦れの音まで聞こえちゃうんだもの。
でもね、席は関係ないんだなーって思った。そりゃー没入感は違うけど、どんな席でもカッコイイし、楽しい。


横須賀、いわきはひとり参加だったので、ライブの感想をあれこれ語らうこともできず、ネタバレになるからオットにも言えず、うぅううぅううん、早くあそこがよかった、ここがかっこよかった!と言いたい!という思いにさいなまれながらの7月、地元福岡。やっとオットと一緒の参加です。
ピックが飛んできたり(取れなかったけどw)、晃司絶対わたしたちのこと見た!って妄想(ええ、周りの人みんなそう思ってますから)も堪能できて、ライブ後に焼き鳥とビール片手にあれこれ語らえるシアワセ噛み締めました。


この地に来てから行くように(行けるように)なった広島。地元ってこともあって、いつもご機嫌だし、饒舌だし、広島弁バリバリだし、わたしたちも楽しい。この日は影ナレがウエノコウジの広島弁バージョン。こういうサプライズはほんとに楽しいし嬉しい。
(ちなみに、翌日は島根までほてーさんのライブに。裏COMPLEXツアー的なwww 備忘録的に、ほてーさんのライブ会場の益田市のグラントワは美術館が併設されていて、この企画展「いのくまさん」がすっごいよかった!しかもコンサートチケット持ってると割り引いてくれる。)


そして、静岡。
前日に実家に帰りつつの静岡移動だったんだけど、この時も台風予報。ところが「台風どこに行っちゃんだろう?」ってくらいの青空。暑かったねぇ。髪の毛降ろしていられずに結んだのは初めてだったかも。
実家に帰ったこともあったので、高校時代の友人5人と再会。めちゃくちゃ久しぶりだったけど、会えばすぐにあの頃に戻れるっていうのはステキだ。晃司がまだアイドルだった時代に出会ってたんだなーって思ったら、なんだか感慨深い。そして年をとったことを自覚するなど(笑)


地方最後は名古屋。この日もりばさんみほさんと4人でお揃いのTシャツ着て参加。ひとりでも楽しいけど、みんなと一緒だとさらに楽しい。


ラストの幕張。
いろんなラッキーと事前の予定変更が功を奏して、台風の影響をそれほど受けずに行って、帰ってこれたんだけど、いろんな葛藤があったんだろうなと推察して、ちょっと心が痛い。
もちろんライブはライブで楽しいし、全力なんだけど、どこかに「台風大丈夫かな」「みんなちゃんと帰れるのかな」「何かあったらどうなっちゃうのかな?」みたいな心配がよぎってしまって、余韻を楽しむことができにくかった。それは残念ではあったけど、ファイナルにふさわしい素晴らしいステージでした。
あんまり(っていうかほとんど)キッカワ友達いないんだけど、以前、氣志團との対バンイベントをご一緒した方が「負けてらんねーって思った」ってつぶやいていて、そうそう!そういう元気ややる気をもらったステージだった。


月光浴が生SEだったり、「せつなさ」が追加になったり、恋とめでピンクのテープが降ってきたり、サムライロックでは火柱が上がったり、ファイナルならではのお楽しみもたくさんあったねー。


幕張では、フェスっぽい!とテンション上げて、キッチンカーで販売していた広島焼を食べたり、



タピオカドリンク飲んだり(ステッカーはがしてくるの忘れたw)



ツアトラの前で写真撮ったり、

満喫した。
こういうのが楽しい。

あ、はじめてネイルもK2仕様にしたし。



そうそう、ツアー日程が発表になったころ、ちょうど今年の授業日程を組んでいて、ファイナルいつになるかな?24日かな?31日かな?なんて予想していて、そうなると授業と被って行けないなーと思っていたら、9月8日!授業外れてる!!!と嬉しさのあまり、うっかり新潟の先行予約を忘れたっていう失敗もありました(汗)
で、その日、九州縦断ツアー中の大沢誉志幸さんが福岡に来てたので、行ってきました。ラビアンローズをうたうときに、晃司とのFNS歌謡祭の思い出を話してくれたり、サポートに酒井麿さんが入っていたり、晃司を感じるライブだったなぁ。そんなことも嬉しい。そんなことが嬉しい。
Wowowの特集もオンタイムで夢中になって見たし、ある町の高い煙突も見に行けたし、三国志の前売りも買ったし、現在我が家が絶賛断捨離中につき過去の思い出グッズを紐解いていることもあって、懐かしいDVDを視聴したりと、何かと晃司を堪能しております。


このツアー中、毎回Dream Onで涙腺決壊。なんででしょうね?泣くような歌詞でもないけど、この歌が出た頃のことをあれこれ思い出してなんだか泣ける。そういう琴線に響く歌、感情を動かす歌があるっていうのはシアワセなことだよなーと今、しみじみ思ったり。


35周年、あっという間だったなー。
でも、ひとつひとつが楽しかったし、思い出深い。以前のように、細かなことが覚えていられなくて、フロー状態で駆け抜けちゃうんだけど、ひとつひとつのライブが愛おしい。


あ、そして、今ツアー中にわたしの晃司ライブ100回も達成しました。名古屋で。
200回目指してがんばるぞ。晃司もがんばれ(笑)


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学ぼうとする姿勢が学びを阻害する⁉~長岡ゼミ合宿に参加してきた

2019-09-14 17:42:12 | オトナの学び


5月にゼミにお邪魔してグラレコのワークショップをやった。そのとき、ゼミ合宿をそろそろ決めないと、今年は金沢に行く、という話が繰り広げられていて「行きたーい!」とつぶやいたら、ぜひぜひー!と社交辞令半分のお返事いただいたので、図々しく合流してきた。


ゼミのみんなは金沢から移動、わたしは小松空港から移動しての加賀、山代温泉。
ゼミ1期生の小杉さんが、この春からこの町に住んでいて、山代コドンというコミュニティカフェの運営をしながら、まちおこしっぽいことに携わっている。そのお話しを聞く、というのがゼミのメインテーマ。


(ここが山代コドン)


小杉さんは、Next Commons Labという団体に属していて、ここは、行政から委託を受けていわゆる町おこしを行うコーディネーター。その町を舞台に何かビジネスを興そう、興せる起業家や町の人を繋いで活性化していく役目、でもある。
小杉さんと、同じNext Commons Labでデザイナーとして加賀茶の再興を手掛ける直地さん、お二人のお話を聞いた。


お二人のお話を通じて、地域創生や町おこしに対する一般的な価値観が覆った。
人口が減っていく今、どんな人が住んでいて、どんな産業があって、どんな推移なのか…そうしたデータ先行で打ち手を考えるいわゆるマーケティング的な考えから入りがちだけど、専門家として自分のスキルやコンテンツでまち、まちの産物、まちの人に関わる。まちは、このまちでなくてもいい。自分の価値が発揮できるのであれば、この地にこだわらない、ってスタンスがとっても心地よかった。これはあくまでもわたしの受け取り方だけど。


小杉さんは、前職の時に感じていた違和感を置き去りにせず、この町に来てもその違和感を抱えながら、やってみたいと思ったことを自分のできることから始めている。小杉さんの役割は「まちおこし」なのかもしれないけれど、いわゆるまちおこしっぽくない。
それは、まち(場所)起点ではなく、小杉さんが自分の中の問題意識を具現化しているからなんだろうな。


地方創生とかまちおこしの文脈では、長岡ゼミのチューターのくりちゃんとTwitterでやりとりして、わたし自身もあれこれいろいろ考えた。このへんはあらためて言語化したいんだけど、今回は長岡ゼミに参加して、あぁ、やっぱりここはわたしにとって知的刺激溢れる場だなぁ、と実感したので、そのことについて少しだけ書いておこうと思う。


長岡ゼミでは恒例ですが、ゼミの最初にチェックインを行う。何を話してもいい、今感じていること、思っていることを素直に話す。「がんばります」は要らない。順番も決めない。正解も優劣もない。先生もコメントを入れたり、入れなかったり。


このチェックインでの問い。
「春学期に学んだことは?」


この問いに対して、みんなの答えがステキだった。
プレゼンの仕方、グラレコ、〇〇さんの話を聞いた、カフェゼミを開いた…といったコンテンツではなく、みんながマインドや態度を話していた。それがよかった、とってもよかった。


振り返りをしなさい、と言われると「要約」になりがち。だから学んだ“コンテンツ”を思い出して、それを羅列してしまいがち。体験したことから何を学んだか?は振り返り、内省が必要で、それは口で言うほど簡単じゃない。毎回のゼミの後のツイート、それもただ振り返るんじゃなくて、ほかの人と共有して「共に振り返ること」ができるようなツイートをしてきていることもあるだろうし、場に貢献する、ってことを叩きこまれているからなんだと思う。


この場に貢献するってこと。
知識がない、経験がないから意見が言えないのではない。場に貢献しようとする気持ち、つまり学ぶとは場に貢献することで、質問でも感想でもなんでもいいから自分の考えを場に出して、創発(双発)させるってことが大事なんだってこと。自分が知識を吸収して、自分が成長しようとするのは学びではないってこと。場に貢献することは、後から振り返ってみたときに、自分の成長になっているかもしれないけれど、“成長”をはじめから意図して振る舞うってわけじゃない。


この学ぼうとする(吸収しようとする)姿勢が学びを阻害するって長岡先生のお話しは、胸に突き刺さった。アイタタタ((+_+))



場に貢献するためには、勇気も必要。特に自分には知識もない、経験もないと思っていたら、なかなか発信、発言はできない。その殻を破るために必要なのが「試行錯誤」であり、試行錯誤ができる場。それって、ワークショップや最近よく言われる「安心安全な場」「心理的安全」ってことなんだろうけど、ここではもうちょっと突っ込んだ解釈があるように思う。


安心・安全な場ってワークショップのしつらえ(アイスブレイクやります、レイアウトや空間を整えます、リラックスできる環境をつくります、みたいな…)のことではない。「ワークショップとは非日常である」という原点なんだと思う。
ワークショップが学びのためのツールや仕掛けであるとする。学びとは、これまでの自分とは違う何か新しいものを身につけることでもあるわけで、その状態はフツウのことをやっていたのでは到達できない。だから非日常に身を置いて、「できる」「できそう」という感覚を身につけてトライするってことが大事なんだと思う。非日常というのは何もキラキラした世界のことではない。いつもと違う場所、いつもと違う人といつもと違う話をする、そういうべたでひと手間かけた空間、時間、場のことを言うのではないだろうか。


長岡先生とお話をすると、原点回帰というか、忘れていたことや隅に追いやっていたことを思い出す。
なぜわたしが「ワークショップ」にはまったのか、いろいろな場でワークショップをやってきたのか?それは、学ぶためのツールだったから、にほかならない。楽しいから、みんなにも体験してもらいたいから、という思いから出発していたけれど、それは楽しい学びの存在を知ってほしい、って思いでもあった。


ワークショップという言葉や手法が市民権を得て、今やいろいろなところで展開されている。ええ?と思うような場もある、少なからずある。玉石混合。
出来栄えはどうでもいい(極論すぎw)。何のためにやるのか、なぜワークショップなのか?を考えて実施しているだろうか?プログラムデザインとか、仕掛けといった小手先に逃げていないか?と自問自答しながら、もういちどワークショップができることを深く考えてみたい。


ひとつの話を聞いて、それを基にあれこれ考えたり、振り返ったり、自問自答したりできる長岡ゼミは、わたしにとって最高に知的刺激溢れる場なのです。定期的に浴びないとダメかも。いや、そろそろ自家発電しなさいって。いい加減オトナなんだし。


図々しくも合流させてくれた先生、ゼミのみなさん、くりちゃん、小杉さん、直地さん、本当にありがとうございました。また来年も合流したいな。グラレコもさせてもらいたいな。そうなるようにあれこれがんばろう。



※※※※※※※※※


本当に夢のような時間だった。
10年前に、亡くなった部下の男の子のお墓参りに富山経由で金沢、山中温泉を訪れた。できたばかりの20周年誌を持って。ご両親と妹さんと思い出話をして、「いい会社に勤められて幸せだったと思う」と言っていただいて、それがわたしが働く上での指針になった。初心を思い出して背筋が伸びる、北陸はそんなまちなんだな。
また行けるかな。また行きたいな。


小松空港上空より

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知ることで覚悟も生まれる~『寄り添う障がい児ケアの未来。私たちにできること。』キックオフイベントに参加して

2019-07-11 23:21:03 | オトナの学び
早くも1週間が経ってしまいました(汗)
7月4日(木)、いろんなタイミングと奇跡が重なって、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANが主催するイベントに行ってきました。





たまたま、その日の午後に東京で仕事のご依頼をいただいていて、日帰りするつもりでいたのですが、Facebookからエトー先生がモデレーターを務めるイベントがある!と流れてきて、これはいつもの朝イチ便コースに変更しなければ!と参加を決めました。ちょうど、その日の仕事はグラレコ絡みだったので、お道具を持っていることも手伝い、グラレコも描かせていただきました。


このイベントは、ラオスの障害児ケアを支援するクラウドファンディングのキックオフも兼ねていました。
病院はつくった。けど、つくっただけじゃダメで、次は育成だってことで次なるチャレンジへ。
クラウドファンディングの詳細はこちら。


ちょうど1年前、授業の合間のエトー先生と弾丸トークランチ会をしたときに、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN代表の赤尾さん、杏林大学の加藤先生との不思議で素敵な出会いのお話しや、ラオスの障害児ケア、病院のお話をお聞きしていたので、微力ながらクラウドファンディングにも協力させてもらった。
サンキューレターやアニュアルレポートも送っていただいていたので、活動については理解しているつもりだった。けど、字面で読むことと、実際に現地で活動している人の話を聞くのとは、大きな違いがある。温度感というか、臨場感というか、「生」の声、生きてるんだ、という熱量が違う。


医療従事者、医療関係者でなくても十二分に理解できる平易な言葉でお話しくださったし、何よりも赤尾さん、加藤先生のお話がリアルで熱くて、グラレコ描くのは本当に楽しかった。楽しいという表現はあまり適当ではないんだけど、“フロー”状態とか、没入感、という意味に近い。夢中で聞いて、夢中で書いて、そして、いろいろなことに思いを馳せ、いろいろなことを考えさせられた。


医療が遠い、というお話。
字面だけを見て、わたしが受けたイメージは「経済的な理由や、医療を受けるという選択肢を持っていない」、貧困や無知から生じるものだった。それだけではなく、すべてにおいて「遠い」のだ。病院までの距離、距離だけではなくて悪路を行かなければならない。例えば薬を〇時に飲んでください、と言われても、時計を使う生活をしていないので時間(〇時)の概念がないといったことも起こる。


そんな中で、障害児のケアに取り組むのは本当に容易ではないはず。
何度も赤尾さんがおっしゃっていたけれど、「障害」という概念がなかったから「〇〇ができない▽▽ちゃん」というラベルだけで終わっていた。病気をして、医療にかかっても、病気に対する対処だけで終わってしまい、障害についてはケアがなされない。ラオスには障害を認定したり等級を表したりするような制度はないため、赤尾さんたちが評価を行った。でも、それで終わりではない。そこからが長い長い葛藤とケアのスタートになる。


「障害」を認識してケアをしようとする。けれどもラオスの実情では、できないケアも当然ある。家族、住環境、リソース・・・・様々な要因が重なって、できないことが出てくる、選択肢を提示することもできいないときがある。それでも、何ができるか?を考え、一緒に迷い、一緒に悩むことが大切だ、と赤尾さんはお話しされていた。


医療が進歩したことで、我々の寿命は飛躍的に伸びた。これはとっても幸せなことだけれども、一方では静かに弱って自然に命が終わっていたものを、医療の力で伸ばしている、とも言える。経済的、技術的なリソースがふんだんにあれば、医療の進歩による寿命の長期化は嬉しいことだし、喜ばしいことだ。けど、経済的、技術的なリソースがない場合には、せっかく灯った明かりを消されてしまうような、そんな無為な状況にもなり得る。
知ってしまったからこそ生まれる痛みなのかもしれない。


ふだんのわたしは、新しいこと、知らないことを知ることは楽しい、と無邪気に言っている。それって恵まれた環境にいるからこそ言えることなのかもしれない。久しぶりに無力感を感じた。東日本大震災の時に感じた無力感と同じ。恵まれた環境にいて、痛みを知らずにいて、でも、飛び込んでいくには技術も度胸も思いも備わっていない。
そんなわたしができることはただひとつ。知らないでいることをやめること。知ってしまったからアクションを起こさなきゃ、と思うのは自然なことだけど、でも、そんなに簡単に行動を起こせるわけじゃない。だったら、知らないでいることをやめる。表面的にしか理解できないかもしれないけれど、それでも、知ろうとする気持ちが大切なんじゃないかと思う。


知ってしまったことで生まれる苦しみや悲しみ。そんなつらい思いも全部飲み込んで活動し、凛とされている赤尾さんは本当に素晴らしいし、ステキだ。


「ひとりひとりができることを無理なく」
最後のフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANからのメッセージ。
わたしも無理はせずに、でも、知らないでいることをやめよう、と思う。そして、この活動のことを知った以上は細ーく長ーく、できる範囲で支援し続けようと思う。


あらためて、こんなことを深く考えるきっかけをつくってくださったエトー先生、赤尾さん、加藤先生、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANのスタッフの皆さん、会場でお会いしたみなさん、本当にどうもありがとうございました。



















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「Bの学び」は感染する?~「Dの学び」と「Bの学び」

2019-07-06 08:13:33 | オトナの学び
孫子女子勉強会という「孫子の兵法」を参考にしながら、会計士の田中先生を中心に働き方や生き方をあれこれ語らいながら学ぶ不思議で楽しい会があります。
その孫子女子勉強会ではおなじみのワードに「D」と「B」があります。


マズローのD動機(欠乏の不安から生じる動機)とB動機(こうありたいという欲求から生じる動機)にあてはめて学びや働き方、身の処し方などなどを分類(?)しています。


ここ最近の孫子女子勉強会でのホットワードは「Dの学び」と「Bの学び」。
これについては、孫子女子勉強会メンバーの岩山さんがとってもわかりやすくまとめてくださっていますが、「Dの学び」がわかりやすく役に立つことを求めていて、学び=情報獲得になっている。対して、「Bの学び」が何を学んでいるのかよくわからないけど、確実に“何か”を学んでいるし、何より楽しみながら学んで知る。たぶん、「Bの学び」の最中にいるときには、学んでいるという感覚すらないのかもしれません。


わたし自身は、わりとどんなことでも楽しめちゃうし、内省が好物なので(!)、どんなことからも学べると自負しているんだけど、これって実は意外と難しいことなのかもしれないな、と最近つらつらと考えているのであります。


ありがたいことに、グラフィックレコーディングの講座はいろんなところからお声をかけていただいています。これまでに(一斉授業を除くと)700人近くの人に受講していただいて、「楽しかった!」「やってみます!」という嬉しい感想を頂戴している。
基本的には、個人向けの講座(やりたい!って人が自発的に参加する)がメインなので、そりゃー、そういう感想になるでしょうよ(笑)


けどね、講座を始めてからずっと、20人~30人にひとりは「つらそう」な人がいることが気になって仕方がなかった。
ほとんどの人が「これ楽しい!」「あっという間だった!」と自然に笑顔になって描いて帰っていくのに、なぜ自分でやりたい!って思って参加した講座でこんなにつらそうなんだろ?


  やっぱり絵を描くのが苦手だから?
  人の話を聞くのが嫌いだから? 
  集中できないから?(飽きちゃうから?)


いろんな理由を考えていたんだけど、この孫子女子勉強会での「Dの学び」「Bの学び」の話、やり取りを重ねながら、ぼんやりとわかってきたことがあります。


それは、参加者の中の「目的」が違うんだなーってこと。参加者にはおおむね3つのパターンがあって、
  1)楽しそう、グラレコやってみたい!(B動機)
  2)グラレコが流行ってるみたいだから知っておかないと(D動機)
  3)授業や研修で必須参加だから仕方なく参加してる
このうち3)は致し方ないとして(でも、意外とみんな楽しそうに取り組んでるし、実践してたりする。)、どうも苦しそう、つらそうなのは、この2)のD動機の人たちのようなのです。


毎回、グラレコ講座では、今日のルールとして次のことをお願いしています。

  絵が描けない、できないはNGワード。
  うまいへた、ルール、正解はありません。
  自分自身が描いたものが「正解」です。
  とにかく今日は楽しくたくさん描きましょう!



大抵、みなさん「絵心ないんだけど…」「絵は苦手だから不安…」と言いながらも、途中からそんなの嘘でしょ?ってくらい楽しそうにペンを走らせます。ほかの人に見せるのも恥ずかしがらなくなる。


たまにいらっしゃるのですよ。
感じたままに記録することが何よりなのに
  「うまく描けません。」
  「(●●のイラストの)描き方のコツや書き順を教えてください。」
  「正しい書き方があるはずだから、それを教えてくれ。」
というリクエストを頂戴することが。


気持ちはわからなくもないんだけど、それじゃあ、これまでのノートや議事録となんら変わらないわけでしょ?
グラレコって、わたしはその場の雰囲気や空気、温度みたいなものを聞き手であり描き手である自分が感じたままに描くのがいちばんいいと思ってるし、そうお伝えしている。だから、正解もうまいへたもない。あなたが描いたものが最高だし、正解なのよー。


  グラレコ、おもしろそう!
  こんなふうにノートがとれたら楽しいだろうな
っていうB動機でスタートした人は、ほんとに好き勝手にカスタマイズして、自分の好きなように思うように描いてくれる。すぐにわたしなんかのレベル?技量?を超えてしまう。それでいいし、それがいいし、それが何よりも嬉しい。


一方で、
  グラレコ流行ってるみたいだから知っておかないと
  自分も描けるようにならないと
  〇〇さんが描いてるのを見て、自分も…
みたいなD動機で受講している人は、「うまくできませんでした」「難しい」という感想をおっしゃる。わたしの力量不足が原因なんだけど、でも、つらい思いをしてまで学ばなくてもいいんじゃない?と思わずにはいられない。


こんなこと言うと怒られちゃうかも、だけど、グラレコなんて世の中からなくなっても何も困らない。寂しくなるかもしれないけど(笑)
だったら、好きなように楽しんでやればいいのに。特にわたしがお伝えしているグラレコは「自分のノートを楽しくする」なんだから、無理に取り入れる必要は全然ないし、誰かと競うものでも、比較するもの
でもない。


最近、ほんとにいろんなところからグラレコ描いてほしいと依頼をいただく。残念ながら、キャパとスケジュールが合わなくてなかなかお受けできないのですが、D動機の人たちの中には「グラレコ描けたら、スキルとして活用できるかも?(仕事になるかも)」的な色気をお持ちの方もいるのかもしれない。その気持ちは否定しないけど、それじゃあ、ほんとにつらいだろうなぁ、と思わずにはいられない。楽しいはずのグラレコが修行になっちゃってるんだもの。
ゼミや授業、講座などでグラレコを体験して「グラレコ、楽しい!」「もっと描きたい!」って思った人たちは、ほんとにいろんなところで描いている。これが何よりも嬉しいし、そうやって広がっていくのがいいなぁ。


最近、学生が企画してくれて、小倉で講座を開催しました。たくさんの方にお集まりいただいて、大盛況だったんだけど、何がいちばんよかったかって、企画して運営してる学生たちが何よりも楽しんでたってこと。自分たちが学びたい、やってみたい、もっとやりたいって思ったことを企画して、自分たちも楽しむ。そして、学んだことを早速いろんな場で使ってみる。
「グラレコやりたい」という動機は「D」だったかもしれないけど、その場の過ごし方やその後の展開の仕方を見ていると、彼彼女たちの学びは間違いなく「B」だ。
でね、「B」は感染するんだよね。楽しそうにやってる人の周りには人が集まるし、〇〇さんがが楽しそうにやってるグラレコ、わたしもやってみたい!って気持ちになる。


なんてことをつらつらと思っていたら、主催のゆきぽんがとっても素敵なブログ(開催レポート)を書いてくれてました。
ほんと、こういうのがとにかく嬉しい。こうやって広まっていくことが何より嬉しい。


ノウハウ流出しちゃうじゃん、とか、ひめさんならではのものなんだからもっとブランディングしたら?的なことはよく言われるんだけど、いや、むしろ、わたしの講座に参加してくれた人が自分なりのカタチでどんどん広めていってくれた方がよっぽど嬉しいでしょ。Bの学びってそういうもんでしょ。
これからも「やりたい」「やってみたい」って思いには、応えていきたいなーって思ったよ。


あらためて、idea+のみなさん、繋いでくださった下田先生、ご参加くださったみなさん、ありがとうございました!またご一緒しましょう!
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学びの距離感~孫子女子勉強会にオンラインで参加して感じたこと。

2019-06-18 15:51:55 | オトナの学び





孫子女子勉強会というなんとも不思議で楽しくおもしろい勉強会があります。会計士の田中先生が主催されている月に1回の勉強会です。田中先生は「会計の世界史」を書かれた今やベストセラー、ロングセラー作家。基本的には東京開催なのですが、かつて「福岡に頻繁に行くんだけど」という田中先生の一声から期間限定で始まった福岡孫子女子勉強会にお声かけいただいたのをいいことに、メンバーに加えてもらいましたー。ほんと図々しいw


そんな孫子女子勉強会、数か月前からはテクノロジーの力を借りて、オンライン中継が始まりました。なんとヒューストンと繋がってるんだよ。すごいすごい。


で、先日の孫子女子勉強会には、わたしも福岡の自宅から、愛犬真次郎にぺろぺろされながら参加しました。
勉強会の内容についてもきちんと振り返っておきたいのだけれど(攻めと守りの話とかね。)、オンラインでの勉強会についてあれこれと感じたことがあったので、ちょっと振り返っておこうと思います。


これとは別に、先日、参加者なんと400人という「組織開発の探求」を題材にしたオンライン読書会に参加しました。このオンライン読書会は「参加」にもグラデーションがあって
 ・各章のレジュメをつくって発表、各地のプレ読書会を主催するプレゼンター
 ・各地のプレ読書会に参加して事前に読み込みを行ったメンバー
 ・オンライン読書会に参加して、顔出し、ディスカッションに参加した「参加者」
 ・耳だけ参加でディスカッションには参加せず
といったところです。わたしは、恐れ多くもプレゼンターを仰せつかったので、かなりがっつりと「参加」したことは間違いない。
間違いないんだけど、オンライン読書会当日はどこか「距離感」を感じておりました。距離感っていうか、とらえどころがなくてふわふわとしている感じ。魂がどっか行っちゃった、とでも言おうか。


それってなんでだろ?


オンライン参加ではあったけれども、10人くらいで集まってサテライト会場的に参加したことも一つの理由かもしれない。パブリックビューイング的な、テレビを見ている、そんな感覚で、学んでいるって手ごたえがあまり得られなかった。もちろん、ナカハラ先生の解説やコメントはめっちゃわかりやすいし、裏話や思いもお聞きできたし、各章のサマリ、プレゼンもすばらしくて、本の内容は理解できた。けど、なんだか参加しているっていう実感がなかったんだよねー。


それがこの前の孫子女子勉強会では、学んでいる、参加しているっていう手ごたえがばっちりあった。
孫子女子勉強会は10人程度の参加者、それに対してオンライン読書会は400人っていう数だけの違いじゃない気がするんだよね。
オンライン読書会では、参加者どうしの対話の時間が設けられているなど「参加型」のプログラム設計がなされていた。孫子女子勉強会は、田中先生がテーマを設定されてレジュメも用意してくださっているけれど、非構造的というか即興的というか、アウトラインだけが決まっていてあとはその場に委ねられている。オンラインで参加しているわたしたちに対しての気遣いは良い意味で「ない」。オンラインで参加している人の意見も聞かなくちゃね、といった配慮は基本的にはなくて、話したいと思えばカットインして話すことができる。聴いてるだけでも問題ない。参加態度は参加者に委ねられている。もっと詳しく言えば、参加者のその時その時の心持ちや感じ方によって参加態度が変わることが許容されている。発言しない人は場に貢献していない、的な圧もないし、誰もしゃべらないからわたしが言わなくちゃ、的なプレッシャーもない。


2つのオンラインの勉強会を比較するとこんな感じ。チョー乱暴www




わたし自身の参加態度としては、
孫子女子勉強会では、グラレコ(スケッチノート)しながら聞いていた。
オンライン読書会ではほとんどメモも取らずに過ごした。
この違いは、わたしの中ではかなり大きい。グラレコしたい、残したいって思うかどうか、の違いなんだよな、ぶっちゃけ。
それは、オンライン読書会の内容が残すに値しないとか、そういうことではない。学問として学ぶ、事実や情報としてインプットするのであればレジュメがあるからグラレコしなくていい。だから、その場の話を集中して聞くことができる。実際に、かなり集中して聞いていたから、ナカハラ先生がどんな話をしていたのか、フッサールってどんな考え方してる人なの、とか結構ちゃんと覚えてる。
孫子女子勉強会は、事実や情報としてインプットするというよりも、「へぇー」「ほほー」な発見やインサイトが満載すぎて描きたい!という衝動を抑えきれない。だから知らず知らずにたくさん描いている。
やっぱりね、気持ちが動いたことを記録するっていうのは自然なことなんだなー。


孫子女子勉強会では、「D」と「B」という言葉が頻出します。
マズロー先生のD動機(欠乏の不安から生じる動機)とB動機(こうありたいという欲求から生じる動機)にあてはめて、生き方や働き方、学び方などなど、いろんな視点や題材で考えていくんだけど、おそらくね、オンライン読書会はD動機っぽい学びの場だったんだろうなーと思うのですよ。足りないことを埋める、知らないことを知る、っていうのは学ぶ上では大切なことだし、読書会に参加したことで少なくともわたしはたくさんの知識を得たし、組織開発についてあれやこれや考えることができた。その点においては自信を持って「学んだ」と言える。
一方で孫子女子勉強会では、一体全体何を学んだの?という問いには窮してしまう。けど、確実に何かを学んだし、手ごたえがあった。同じ話、エピソードを聞いても感じること、受けた印象、そこから持ち帰るもの、気づくことは人それぞれ違う。人それぞれ違うってこと自体が「B」の学びなのかもしれないねぇ。そして、学びの成果を強要されないっていうのも「B」の学びっぽい。


「D」がよくないとか、「B」がいいとか、そんな単純なことではなくて、同じような体験をしても受ける印象は違うし、そこから学ぶことも違う。
同じ“オンライン”を用いた2つの勉強会を体験して、いかに自分ごとにしていくか、ってだいじだよなー、観客になっちゃったら自分ごとにはできないもんなー、グラレコしてると自分ごとになるよなー、でも自分ごと=自分の感情が動いたときしかグラレコってできないもんなー、結局はどれだけ自分の感覚を研ぎ澄ますことができるかってことだよなー(好きも嫌いも含めて)、なんてことをつらつらと考えたのでした。


2つの勉強会はほんとに豊かな学びの場、時間だったのですよ、それだけは間違いないし、これからもそんな場にはすみっこでいいから参加していきたいなーと思ったよ。

「攻め」と「守り」の話もちゃんと振り返っておこうと思うんだけど、ちょっと長くなっちゃったので今日はこのへんで。


あらためて田中先生、孫子女子会のみなさん、電気屋祭り!なひと時をありがとうございました!

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ひとつすっきりして、またもやもやを持ち帰る~オンライン読書会に参加して学んだこと。

2019-06-08 06:38:55 | オトナの学び

先日「組織開発の探究」を題材にした300人超が集まるオンライン読書会に参加しました。
今回が2回目。前回は400人もの方が、それこそ育児の傍ら、移動中の新幹線、送迎中の車の中、バーの片隅から参加されていた。すごいね、テクノロジーは時間と距離の壁を超える。
※1回目の読書会の様子は中原先生のこちらのブログをどうぞ。


恐れ多くも1回目、2回目ともにプレゼンターを仰せつかり、WSD九州のメンバーとプレ読書会と称して結構がっつりと読み込んで、いろんな話をして迎えた当日。稚拙な表現ではありますが、いろんな「学び」がありました。ってことで、ちょこっと振り返っておこうと思います。だらんだらんだよ、そして思考と感情だだもれの独りよがり満載のブログだよ。



・本の読み方がわかった

わかった、っていうか、再発見した。今回、「読書会」って名のつくものにはじめて参加して、(最近はやり?のActive Book Dialogueには参加したことあったけど)「はて、そもそも読書会ってどういうもんなんだっけ?」と『読書と社会科学』ってご本を読んでみた。

これが、すんごいよかった。(まぁ、なんてチープなw)


いわく、本を「情報」として読んでいないか?「哲学」として読んでいたら、一読明快ってことはなくて、読むごとに違う解釈が出てくる。読書会も同じでみんなで読むことで最大公約数になる場合と、最初は一緒なんだけど徐々にひとりひとり違う解釈になっていく。著者と自分へのリスペクトを忘れない…といったようなことが書かれていた。(相当意訳)






(プレ読書会用に、このご本の要約もKPを作った)


そうか!すっきりしない、腑に落ちない、でいいんんだ。読み重ねる=解釈を積み重ねる、でいいんだ。とちょっと気持ち的にもラクになって、プレ読書会では、事前に準備したざっくりサマリーをネタにあれこれ自由に語らった。

これがすんごいよかった。(まぁ、なんてチープなw(2))

今回、プレ読書会のメンバーは青学ワークショップデザイナー育成講座で学んだ面々、期は違うけど同じ学びを共有している安心感があった、普段の活動はそれぞれバラバラだけど、「対話」をする前準備ができていた、っていうのは大きい。いろんな角度、視点からの話ができて、プレ読書会での学びは本当に大きかったなぁ。何よりも楽しかったし。お付き合いいただいたよっしーさん、オオタカさん、ピッピさん、本当にありがとうございました。


そして、プレ読書会も含めて、わたしは何度も何度も「組織開発の探求」を読んだ。べたに読む、ってこういうことだな、ってくらい言葉一つ一つを流し読みせずに確認しながら読んでみた。そして、まとめる。そして、話してみる。
この過程が、大事なんだなーと思った。今回これだけ読んでまとめて、話してみた、っていうプロセスを踏んだので、たぶんね、この内容はしばらくは忘れないと思うんだな。みなさんがわたしのプレゼンは「自分の言葉で語っていてわかりやすかった」と仰ってくださっていたけど、そう、加工貿易的な感じで、本を読む(材料を仕入れる)→プレ読書会・プレゼン準備(製品に加工する)→プレゼンする(輸出する)みたいな(笑)
手間はかかるけどね、こうやって読み込むことってだいじだし、たまにはじっくりしっかりやってみたい、と思ったよ。




・まとめる、伝えるのにグラレコは威力を発揮するかも。

普段、グラレコ講座でみなさんにお伝えしていることに
「まずは自分のための記録を」
「楽しんで描いたものを他の人と共有することで、誰かの役に立つかもしれない、ほかの人の記録が自分の役に立つかもしれない」
「グラレコはそんなふうに使ってもらえると嬉しい」
があります。
それを実感できたひとときでもありました。

グラレコ風にまとめたプレゼン資料は、プレゼン用に作ったというよりも、自分の理解のためにまとめた、と言った方がしっくりくる。本当に「プレゼン用」に資料を作成するのであれば、グラレコ風は使わない。パワポで作りますw 
プレ読書会の準備をするときに、自分自身の理解のために内容を手描きで図解、構造化してみたら、これがすごいよかった。自分自身の思考の整理になった。なので、そのまま使い続けた。
結果として、このグラレコ風のプレゼンは「何これ?」という誘因力にもなったし、へたうまな絵によって「組織開発ってそんなに難しいことじゃないのかも?」と煙に巻く、もとい、ハードルを下げることに少しは貢献できたんじゃないかと。そして、「わかりやすい」とある一定の評価をいただいた。

そう、グラレコ的な記録って、絵や図をつかって“きれいな”アウトプットをすることが重要なんじゃなくて、一度聞いた話、体験したことを、自分の体の中に取り入れて、考えて、理解して描く(構造化に至るプロセスを瞬時に行う)ことが重要なんだよなー。だからグラレコ風に記録したものって、忘れないし、記録を見ると”記憶“がよみがえる。それは、一度曲がりなりにも自分で理解しているからなんだ。

と、これまでの講座で伝えてきたことの手ごたえが得られたっていうのは、とっても嬉しい。少しだけ自信をもっていこう。




・わかりやすい説明は思考を停止させる?

これはわたしの悪い癖だなぁと思うのですが、表面的に分かった気になっちゃって深掘りしない。中原先生のお話は本当にわかりやすい。難解なことを秀逸なメタファを使ってわかりやすく説明してくださる。そうするとどういうことが起きるのか、(あ、あくまでもわたしの場合ですよ)
深く考えることをやめてしまう…orz
分かった気になっちゃって、自分の中でしっかりと咀嚼して、自分なりの解釈、理解をしようとしなくなってしまう。
という悪い癖が認識できたので、いじわるに「ほんとに?」と問い直してみる癖をつけてみようと思う。
そして、わかりやすい説明を心掛けるのはこれからも変わらないんだけど、一方で、わかりやすい説明はそれ以上考えるってことをやめさせる、ってことにも気をつけながら「もやもや」を残すような投げかけ、問いかけができるようになりたいなーと思った。




・そしてやっぱり「組織開発」は苦手…

なんで「組織開発」に苦手意識を持ってしまうのか?少しその理由がわかった。
組織開発って“風呂敷”みたいなものだし、組織を機能させるための働きかけなんだから、その実態ややり方は各社、各所によって異なっていい。けど、今「組織開発」というラベルが貼られているものは、問題をあぶり出しましょう、みんなで対話しましょう、これから先のビジョンをみんなでつくりましょう、というなんだか優等生的な感じで、多くの職場(特に中小企業)では「そんなことやってる余裕なんかねーよ」と思ってしまうような施策のように感じている。そこに違和感と苦手意識がある。

ひとつは、ビジョンづくり。これが苦手。ビジョンがないとダメなんですか???
あった方がいいことはわかる、目指す姿がなくてどうやって進んでいくのさ?という疑問はごもっとも。けど、10年後のビジョンとか、ありたい姿とかって耳障りのいい目標を掲げていったとしても、働くひとたちの動機ってもっとシンプルだし(安全に安心して仕事に取り組める環境とか、お給料と休みがちゃんともらえるとか)、目の前の仕事を一生懸命やる、で十分なんじゃないか?って思いがずっと拭えない。

そして、もうひとつは、今、巷で語られてる「組織開発」ってブルジョワっぽいよね、ってこと。
誤解を恐れずに言うと、問題課題が山積みな状態だったら、「組織開発」なんてこと言わずに、みんなで力を合わせて危機を乗り切っていくしかないし、対処療法的に課題を解決していくんだと思う。そして、そんな短期的な取り組みを続けていくことこそが、「組織開発」なんじゃないか、って思えて仕方がない。
対話とか、ビジョンづくりとかやってる暇も余裕もない!っていうのが多くの企業の本音なんじゃないだろうか?でも、そういう企業の経営者や社員の多くが、「組織開発」っぽいことを何もやっていないか?って言ったら、やってるんですよ。業務改善とか、制度変更とか。それで十分じゃん、と思うのです。会社をよくしよう、もっと働きやすくしたいとか、従業員のことを考えていない経営者はいないと思うしね。


サーベイして、対話して、ビジョンを作る。確かにこのプロセスで丁寧に進めて行くことで、組織は変わるし、よくなると思う。でも、このプロセスを経ることができるのって、一握りの人、会社に過ぎないんじゃないかなーと。サーベイ取るのにもお金がかかるし、ワークショップやるにもお金がかかるし、どうも、「組織開発」には、悪いコンサルのお金儲けの手段的なにおいがしてしまって、苦手なんです…。
これはもう沁みついてしまった価値観なので、簡単にははがせそうもない。
けど、オンライン読書会で、中原先生が「組織開発って言葉じゃなくて、皆さんの組織にフィットする名前をつけてください」と仰っていたことを思うに、組織が機能するような働きかけは「組織開発」だし、それを「組織開発」と呼ばなくてもいいってことを自分で自分に納得させた。少しは「組織開発」が好きになれるかな?(笑)




と、いろんな学びがあったオンライン読書会でした。
まだまだあれこれ振り返りたいけど、時間が来てしまったのでこの辺で。


本当に貴重な経験でした!機会を授けてくださったみなさんに心からの感謝を。どうもありがとうございました!

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よいライブに席の良しあしは関係ない!?

2019-06-06 07:55:32 | キッカワコウジ



「真面目に頑張ってれば、いいことあんねんな」
蒼井優ちゃんと結婚した山ちゃんに、相方しずちゃんが言った言葉。いやー、感動した、感激した。


感動した、感激したのは山ちゃんと蒼井優ちゃんの結婚だけではなくって…


ついに、ついに、ついに、わたしにもやってきました1列目!!


かねてより、「ホールライブの1列目が来たらもうライブは卒業してもいい」と公言していましたが、ほんとに来ちゃった、1列目。
いまだに夢うつつ、というか、あぁあぁあぁああ、1列目だったんだーと夢心地なので、勢いのままに書いておきます。
ライブレポートじゃないよ。


晃司ライブに行き出して15年、都合96回目にして初の1列目!
こんだけ行ってて1列目が来ないのは、晃司からの「また来てね」ってことだと思う、とポジティブにとらえてきましたが、ついについに1列目、来た!
ライブハウスの最前列は3回ほどあったけど、自分のスペースがあるって全然違う。没入感が違うー。
負け惜しみでもなんでもなくって、後方の席のときには会場全体の盛り上がりとか一体感を感じることができるし、スポットライトがすーっと伸びていく様を見るのは大好きなんだけど、やっぱり最前列には魔力や磁力がある。ずーっとフロー状態であっという間に過ぎ去っていった。あんなポーズがあった、あんなこと言った、ここで間違えた、この表情萌えポイント!とかとか全部覚えてるけど、全部夢だったんじゃないか?ってくらい全部忘れてる、みたいなそんな時間感覚。


靴のかかとまでガン見(笑)
毛穴まで見えるんじゃないか?ってくらい(笑)
足音や、お洋服がはためく音まで聞こえちゃう感じよー。


「真面目に頑張ってれば、いいことあんねんな」
1列目が来たのは、わたしががんばったからでもなんでもないんだけど、行き続けていれば、やり続けていればいつかいいことあるんだなーって思った。確率論的には、1列目が当たる可能性ってどのくらいなのかわからないけど、行き続けていたから当たったわけで、行き続けられる環境や周りの理解、体調などなどあらゆるものに「ありがとーーーーー!」って叫びたい気持ちです。
もちろんね、行きたいけど行けないって状況だってあるし、「続ける」ってことが困難なことだってたくさんある。いつなるかわからない腸閉塞におびえてたのも事実だし、元気に笑顔の再会ができるってホントに嬉しく幸せなことだ。奇跡と言ってもいいかもしれない。


福岡―いわき1200キロ、移動時間約6時間。日程的に行ける土曜日だったのでチケット申し込んだものの、あまりの遠さにちょっと萎えてた自分を叱りたいwww



そして、ひとりでも十分楽しいけど、やっぱりねー、あれやこれやと「かっこよかったねー」「あそこがよかったねー」とたわいもない感想をいいながら、焼き鳥&ビールを楽しみたいなーと思ったよ。
なので、次の目標は、オットと1列目!です。だからライブは卒業しないよw
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持ち寄るのは「自分自身」、持ち帰るのも「自分自身」~対話するひめくりカレンダーで対話してみた

2019-06-03 09:10:25 | オトナの学び



ラーニングイノベーション論10周年を記念して作成した中原先生の珠玉の名言を集めた日めくりカレンダーを使って対話するという会を開催しました。日曜の朝10時というなんとも贅沢な時間に、なんとも贅沢なメンバーで、なんとも贅沢に慶応MCCの教室をお借りしての開催。ホーヤさん、いつもいつもありがとうございます。


妄想と勢いとたくさんの方のご協力で作ったこの「ひめくりカレンダー」を使ってなにかしたいよね、と、カレンダーを一緒につくった三井さん、ホーヤさんとずっと妄想しておりました。
この日にこのタイミングで実施したのは、100%わたしの個人的な事情と妄想から。前日に晃司アニバーサリーライブでいわきに行くから、おぉ、飛行機の時間を調整すれば日曜の朝に開催できるぞ。じゃ、何する?1か月間お言葉からインスパイアされた内容でブログも書いてみて、いろいろ語れるなぁ、と思っていたので、「自画持参」形式でやってみたらおもしろいんじゃなかろうか?と妄想むくむくと。ホーヤさんのご厚意で休日なのに教室をお借りしてゆるっと告知して開催。12名の方にお集りいただきました。っていうか、わたしの上京に合わせて企画した時間帯なのに、みなさんが面白がってお集まりくださって本当にありがたいなぁ、うれしいなぁ、もうしわけないなぁ、という気持ちでいっぱいです。


実際にその場で語られたことは、その場だったからこそ出てきたことでもあるので、詳細を記述するのはやめておきますが、これがまた、とっても深いお話が出てきて、なんとも心温まり、そして、深く内省することができたのです。あらためて、集まったくださった皆さん、話題を提供してくださった皆さんに感謝します。


ここでは、話の内容ではなくて、「場」ということについて、今今感じていることを、だらんだらんと書き記しておこうと思います。


カレンダーを作って何がよかったか、って言ったら、講座に通っていた時以来かも???な懐かしい方から直接メッセージいただいたりと、あぁ、学びの場で出会った人との縁ってこんな感じでずーっと続いていくんだなぁ、別にがつがつと繋がろうとしなくても、「何か」し続けていればいつかまた繋がれるんだなぁ、って思えたこと。これが何よりも嬉しく幸せなことでした。
昨日も6年ぶり!にお会いした方も。「わー!久しぶり!」だし、学んでいた時とは環境も仕事も違っていて、今の時点での共通点は少ないのかもしれないけど、ちょっと話始めるとすぐに一緒に学んでいたころのモードに戻る。これって地元の同級生と同じ感覚かも。
ベース、というか、共通項があるから、安心できる。で、こうやって、とってもお久しぶりな人が何かのきっかけやタイミングで「久しぶりに来たけどやっぱりいいね」「懐かしいよね」「またいつか行きたいね」って思ってくれるっていうのが、「場」の持つ力であり、そういう「場」を作りたいし、持ちたい、と思った。


これが「ホーム」ってことなのかもしれないねぇ。


あと、今回の会はあまり「集客」をがんばらなかった。(最近、自分が関わる場は大体そんな感じなんだけどw)
なんていうかね、集まるべくして集まった人たちだからこそ、の話ができるんじゃないか、場になるんじゃないか?って思いがあった。これは、WSD仲間で尊敬するよっしーさんが、いつもキャリアバラエティを運営するときに仰っていることで、人を集めることよりも、何かに引き寄せられて集まった人のパワーというか、温度をだいじにしたいよね、って思いにわたしはおおいに共感していて、毎回のキャリバラトーク会のあったかさ、楽しさがそれを物語っている。だから、今回もがんばらなかった。
コンテンツが「自画持参」だったから、余計に集まるべくして集まった人と作りたい、という思いは強かった。持ち込むのは「自分自身」なんだもの。その人自身が「何か」を感じてその場に集まるってだけで、コンテンツになり得る。この場に来れば何かが得られるはず!という肉食系知識獲得型の方には極めて肩透かしな内容になるのかもしれないけれど、対話ってそういうことなんじゃないか?って思う。そこで話されていることから直接得られるものが少なかったとしても、違いやゆらぎ、みたいなものを感じて、自分自身の中に取り入れて反芻して、内省する。
持ち寄るのが「自分自身」なら、持ち帰るのも「自分自身」なんだね。
(昨日の場はその場で話されていること自体が「なるほどー」「そうだよねー」な連続でしたが。)


今回はホーヤさんのご厚意ご尽力で会場をお貸しいただいたことや講師料といった実費が発生しなかったことも大きいんだけど、もしも、会場費や講師料の負担が発生したとしても、それでもやっぱり集客は頑張らない気がする。
それってなんでだ?って言ったら、基本、好きでやってるから。経済的な部分を請け負ってでも、やりたいと思うから。もちろん、そんな甘いことじゃダメだよ、ちゃんと価値の対価はとらないと、と言われることもわかってる。けど、わたしの「場づくり」のスタートが、経済的基盤を持った上での活動だったので、どうしてもそういうマインドになる。自分が好きでやってるから、コンセプトや“そもそも”にこだわれる。経済的にペイしないとダメだよね、というプレッシャーが生じると、やりたくないこともお金のためにやらなきゃいけなくなることもある。そんな気持ちで取り組んで作った場だっとしたら、集まった人はハッピーなんだろうか?何よりもわたしが楽しくないし、ハッピーじゃないもん。
(と言いつつ、前日にはしゃぎすぎて、かなり調子が悪かったことはナイショです。その点ではあんまりハッピーじゃなかったけど、力が入らな過ぎたことで逆に場が和んだのかもしれませんwww)


いつものごとく、帰りの飛行機が迫っていて、バタバタとご挨拶もそこそこに失礼してきちゃって、みなさんとじっくりお話しできなかったのが心残りではあるのだけれど、それは「またね」って意味だと思って、引き続きゆるっとがんばっていこうと思った次第です。
あらためて、お集まりいただいたみなさん、ホーヤさん、三井さん、そして中原先生、ありがとうございました。またお会いしましょう!
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学びをあきらめなくてもいい⁉ 「組織開発の探究」オンライン読書会に参加して感じた5つのもやもや

2019-05-10 22:53:59 | オトナの学び


(ナカハラ先生のインスタから拝借してきましたm(__)m わたしのプレゼン資料が映ってるヾ(≧▽≦)ノ)


昨日「組織開発の探究」を題材にした、なんとなんと400人が集まるオンライン読書会に参加しました。
(詳細はナカハラ先生のブログ 学びをあきらめる時代は終わった!? : 400人規模のオンライン読書会という「知的暴挙」の夜!?を参照ください。)


畏れ多くもプレゼンターを仰せつかり、それもトップバッターという超大役。プレ読書会ではWSD九州メンバーと結構がっつり読みこんで、レジュメを作って、「10分ですよ、10分」というプレッシャーの中でプレゼン。めっちゃ緊張したー。


プレゼン自体の振り返りは別途行うとして、このオンライン読書会に参加して、合間合間のナカハラ先生のコメントやみなさんとの対話の中で感じたことを言語化しておきたいなーと思って、勢いのまま書くことにします。


一晩経って、もやもや最高潮で、まぁ、これはわたしの悪い癖なので仕方がないんだけど、知的興奮冷めやらぬ場に立ち会うと、むくむくと「それでいいのか?」と問うネガティブひめさんが現れる。
今回もまさにそれ。
何にもやもやしているのか?をざくっと整理してみたら、おおよそ次の5つになった。



・言い訳できないしんどさ

ツールやテクノロジーの力で距離や時間の制約が取っ払われると、あきらめなくてよくなるかもしれないけど、言い訳できない、やらざるを得ないしんどさがやってくるよね

・これって新手の24時間戦えますか?じゃね?

オンラインツールは便利だけど、夜中とか朝とか24時間繋ぐことができちゃって、家庭の中の侵襲感がハンパなくなっちゃう。どんどん境界がなくなっちゃうけど、それってほんとにいいことなんだろうか?

・地方は東京とは違う「よさ」や「もの」があるはず

ツールの力で地方と東京の差は埋められるかもしれないけど、それって、結局、東京と同じことをする、東京に追いつけって言われてるような気がするんだよね。

・オンライン読書会のそもそものゴールってなんだったんだろ?

目的がたくさんありすぎて、結局、ちゃんと「組織開発」について学べたんだろうか?という疑問。(なんか途中から「社会実験」「ツールが格差を解消する」みたいなことが声高に言われるようになっちゃって、ちょっと居心地の悪さが…)

・やっぱり「組織開発」にはネガティブな感情を持っちゃうんだよなあ…
組織開発をしなくてよくなることが、組織開発の最大の目標なはず。なのに、やっぱりみんなやりたがる。

ひとつのもやもやは、それだけで1記事書けちゃうくらい悶々としているんだけど、ひとまず、今の勢いで一個ずつ書いていこうと思います。


=============

・言い訳できないしんどさ

ツールやテクノロジーの力で距離や時間の制約はなくなる。昨日みたいにオンラインで全国、全世界から参加できたり、聞くだけの参加、家事や育児をしながらの参加も可能になる。これってすごいことだ。
学ぶことをあきらめなくてよくなるかもしれないけど、一方で、言い訳できない、やらざるを得ないしんどさがやってくるような気がするのです。

そう、学ぼうとする人はツールの力を借りてハンデを乗り越えようとする、そして、乗り越える。それがスタンダードになる。そうなると、学ばない人は「なんで?お金も時間もかからないし、わざわざ行かなくてもできるんだよ、なんでやらないの?」と攻撃されちゃうわけだ。みんながんばってるんだから、あなたもがんばりましょうよ、的な圧。

学び続けないと生き残れないよ、というプレッシャーはみんな少なからず感じている。けど、それを強要しちゃうことにどうにもしっくりこないのです。

たくさんいろんなところで学んできて、今でも機会と体力が合えばできる限り学びたいとは思っているけれど、でもやりたくない気分のときも、やらないときだってある。そんなときに参加しないこと、学ばないことが悪であるかのように(信じられないー!もったいないー!みたいなw)言われちゃうことはある、少なからずあるもの。もっと寛大でいたいなぁ。




・これって新手の24時間戦えますか?じゃね?


オンラインツールは便利だけど、夜中でも早朝でも24時間繋ぐことができちゃう。22時からの会議なんて、リアルな会社内の会議だったらありえないけど、これがオンラインで学びとかコミュニティとかプロボノ関連の会議や打ち合わせだと大いにあり、になっちゃう。これ、結構不思議。

そして、家庭の中への侵襲感。(侵襲って言葉初めて知ったw) 「わたし、定時で帰ります」で吉高ちゃんが言ってた。

 「定時で上がって、美味しいごはんを好きな人と食べるだけで幸せだけどな」(相当意訳)

これ、めっちゃ同感。意識低いと言われても全然かまわなくて、わたしにとって今の生活で何が一番だいじかって言ったら、オットとよるごはんを一緒に食べること、なんだな。だから、夜はできるだけ予定を入れたくない。オンラインであっても。

昨日、プレゼンターのヤガミさんが、なんとお子さんの送迎中とのことで車の中から参加されていた。素直に「すごい!」「すばらしい!」と思った。オンラインツールがあるとこんなこともできちゃうんだ、育児しながらでもやりたいことをあきらめなくていいんだ!って素直に思った。

でも、次の瞬間、「わたしにはできないな(しないな)」って思った。わたしは、東京の時間軸(仕事も学びも遊びもあれもこれもいろんなものやコトがあって、常にキャッチアップしなくちゃって思っちゃう時間感覚、とでも言おうか…)から離れて、インプット量は少ないかもしれないけど、美味しいごはんを食べてしっかり眠る、シンプルな生活を送りたいと思っている。(できているかどうかは不問でw) 

時間や制約をやりくりしてでも、学ぶ、やりたいことをやるためにツールはとっても有効だし、雄弁だ。でも、わたしは時間や制約はやりくりせず、時間や制約にアジャストさせることを選んでいる。たぶん、東京にいた頃の3分の1も活動していない。けど、それで十分だし、十分すぎるくらいだもの。

でも、やきもきはするんだよね。昔のわたしはもっと動けてた、って昔のわたしと今の自分を比較して、なんだか焦ってしまう。もうそういうの辞めたい、それがもやもやの正体なのかも。



・地方は東京とは違う「よさ」や「もの」があるはず

ツールの力で地方と東京の差は埋められるかもしれない。昨日のオンライン読書会は、少なくとも参加した地域によって受け取るものが違うってことはなかった。みんなが等しく同じだけ学べた。
けど、なんだか、この「地方にいても学べる」っていうのが、東京でやっていることを地方にいてもキャッチアップできる、同じことが学べる、すなわち、東京中心であることに変わりないんじゃないか?と思えて仕方がなかった。

一個前のもやもやで書いたように、地方には地方の時間軸や特性っていうのがあって、なんでもかんでも東京と一緒、っていうのはちょっと違うような気がする。じゃ、地方は何をするの?何ができるの?と問われると、答えに窮してしまうんだけど。

でもひとつ言えることは、MALL@福岡のときにもメッセージしたけど、この街のひとたちの学びは、学んだことを身近な人に還元しているってこと。学ぶために学ぶ、ではなく、実践するために学ぶ。否、実践しているからこそ学ぶ。本当に、この街の学び場で出会う人たちは、みんな一様に「次」がある。学んだらそれっきりではなくて、やってみる。たぶんきっと、それがこの街のよさと強みなんだと思う。学ぶものや学ぶスタイルは、東京のそれとは違っていいんじゃないか、って思ってる。これについてはもうちょっと真剣に考えてみたい。考えよう。



・オンライン読書会のそもそものゴールってなんだったんだろ?

ナカハラ先生はこの読書会で5つの壁を壊したい、と仰っていました。
それはとっても素敵なことで、感激しちゃうんだけど、あれ?そもそも読書会って何するところなんでしたっけ?という素朴な問が…。

プレゼンターを仰せつかってレジュメを作るときに、
「はて、このレジュメは、「組織開発の探究」という本のサマリ、質問なんだろうか?それとも「組織開発」という分野に対するサマリ、質問なんだろうか?」
ともやもやしておりました。プレ読書会メンバーでもあるよっしーさんが
「「組織開発の探究」のサマリをしつつ、質問を通じて“組織開発”を再考するイメージでは?」
とアドバイスくださって、ちょっとすっきりしたんだけど、「組織開発」はちゃんと学べたんだろうか?という素朴な疑問。個人的には、キレッキレな「知的暴挙」満開のナカハラ先生の解説、コメントは本当にわかりやすくて、あぁ、これずーっと聞いてたい、と思ったくらい学びは多かったし、ナカハラ先生が掲げていた5つの壁は壊せた(壊しかけた)感はあるけど、なんだか、途中から、「組織開発」に対する理解や「組織開発の探究」を読み解くことよりも、「社会実験」のための、「ツールが格差を解消する」ための読書会へと姿を変えて行ったような感覚に陥ってしまって、なんだかとーーーーーってももやもやしたのです。




・やっぱり「組織開発」にはネガティブな感情を持っちゃうんだよなあ…

白状すると、ずーっと、「組織開発」苦手でした。組織開発が、っていうよりも、組織開発やってる人たちが。わたしも組織開発っぽいことは組織の中でやっていたけど( ̄▽ ̄)

「組織開発をするタイミングっていつですか?」(困ったことがなければ組織開発しなくてよくね?)という質問に、ナカハラ先生が「組織開発をしない組織が、よい組織」(相当意訳)と仰っていた。そうそう、そうだよねー。組織開発をしなくてよくなることが、組織開発の最大の目標なはず。同じようなことに「ワークショップって言葉がなくなることが、(ワークショップをやっている)自分の目標」とか「男女共同参画って言葉がなくなることが目標」みたいなものがありますね。なのに、やっぱりみんなやりたがる。
なんだろ?やっていること、対話していることに酔っちゃうのかな?

そして、いいことだからやろう、うちの組織でもやった方がいい!(特に上層部にやらせたい)と、なぜか上から目線で言っちゃう不思議。やらせたい、やった方がいいって思うなら、自分でやりゃいいじゃーん(暴言失礼)。
これ、時間の関係で質問から省いたんだけど、組織開発って、自らやりたいと思うのか、それとも「あの組織、問題があるから組織開発しなくちゃね(させなくちゃね)」って思うのか、どっち?? なんで、みんな「させたい」側から話すのかなー?という疑問。


(これが省いた質問のスライド)


なぜわたしは「組織開発」にネガティブな感情を持っちゃうのか、もう少し自分に向き合って考えてみたい。
次回の読書会までに少しは明確にしておきたいなー。



と、あれこれ書いてきましたが、とは言え、こんな歴史的(!)な瞬間に立ち会えて、大きなお役目も頂戴して、一応無事に全うできて、貴重で素晴らしいチャレンジの機会をいただいたことは、感謝してもし切れません。推薦してくださった板谷さん、プレ読書会にお付き合いくださったWSD九州メンバー、昨日、基山に集まってくれたみなさん、1.2章を割り振ってくださったナカハラ先生、ダイヤモンド社の永田さん、藤田さん、プレゼンターのみなさま、本当にありがとうございました!
次回もしっかり準備して、この壮大な社会実験を楽しみつつ、わたしはわたしのもやもやを晴らせるようにしっかりがんばりまーす。


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