わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

2019年あけましておめでとうございます~やりたいこと、やってみたいことを100個書いてみた

2019-01-04 07:07:05 | コトバ・ニッキ



あけましておめでとうございます。
WSD仲間のてっちゃんが毎年元旦にやりたいことを100個書く、というイベントをFacebook上で行っています。去年はこっそり参加(笑) 去年のほぼ日手帳には100個のリストが書けるページがあったのでそこにしこしこ書いてみた。
最初に書いたのは、「ウェブサイトをつくる」。これ、見事に達成。(見事って自分で言う?(笑))自分のウェブも会社のウェブも作ったよ。


ということで、2019年もやってみることにした。以下100個。


1、 現状維持
2、 今の生活バランスをキープする
3、 見極める 本当にやるべきこと、自分にしかできないことをやる
4、 仕事を受ける基準をつくる、持つ
5、 グラレコ親子講座のブラッシュアップ
6、 グラレコ親子講座もう1回は必ず実施する
7、 グラレコ講座の時間、内容に応じたプライシングをする 
8、 グラレコカード(ミニマニュアル的な)をつくる
9、 スケッチブックを増刷する
10、 大学生向け、学生向けに開催したい
11、 画力をつけたい
12、 似顔絵もうちょっと頑張る
13、 中原先生の似顔絵マスターする
14、 聞き取る力、切り取る力をつける
15、 グラレコに関するコラム的ブログを書く
16、 ひめチルドレンと何かやりたい
17、 福岡、東京以外のまちで何かやりたい
18、 東北に行く
19、 かんちゃんに会う
20、 イブニングダイアローグ開催する
21、 4期の修了をきちんと見届ける
22、 5期開講
23、 メッセージをぶらさない(説明会、オリエンテーション、授業、最終回)
24、 モジュール2の設計、ファシリ
25、 デザイン思考に関する知見を深める
26、 違和感を言語化する
27、 読書記録をツイートする
28、 小説を読む
29、 積読を片づける
30、 社会学に関する本を読む
31、 3ヶ月振り返りを継続する
32、 新しいワークショップにチャレンジする
33、 「学び直し」に関するワークショップをやる
34、 ジムに月2回は必ず行く
35、 倒れない(ようにする)
36、 真次郎と花見
37、 真次郎とりんごの花保育園まで散歩する
38、 真次郎の2歳アニバーサリーTシャツ作る
39、 いのしし親子のlog撮る
40、 自分に誕生日プレゼント
41、 実家にただ帰る(定期的に)
42、 姪っ子甥っ子のお祝い予定カレンダーつくる
43、 断捨離(今のスタイルに合わないものは持たない)
44、 晃司の35周年を楽しむ
45、 オリジナルツアーTシャツつくる
46、 会報に投稿する
47、 ライブの感想を言語化する
48、 ニューカマーなライブに行く
49、 エンタメ40回
50、 美術館に行って、ひとり対話型鑑賞をする
51、 腰を据えて何か勉強したい
52、 システム思考を勉強する
53、 PC内のドキュメント整理
54、 優先順位をつけない すぐやる
55、 月次決算を今よりスムーズに 月内にできることはやっておく
56、 月次決算書式をリニューアルする
57、 もうちょっと戦略的に会計する
58、 体重キープ
59、 歯医者に行く(クリーニング)
60、 温泉に行く(スーパー銭湯にぶらりと行く)
61、 お肌のメンテナンス 
62、 人間ドッグに行く
63、 脳ドッグに行く
64、 保険の見直し
65、 これまでの講座の資料のファイリングし直し 思い出は捨てる
66、 500円玉貯金を続ける
67、 貯金額〇〇円!
68、 今後のおうち計画を考える
69、 気仙沼ニッティングをオーダーする
70、 ひめくりカレンダー作る
71、 2020カレンダーの配り方
72、 靴のメンテナンスをしっかりやる 磨く
73、 シャツのオーダー
74、 福岡土産の開拓
75、 行ったことのない場所に足を踏み入れる
76、 ぱるおさんのお誕生日をお祝いする
77、 ルーティーンをつくる
78、 スケッチブックグッズを集める つくる
79、 白いスニーカーを買う
80、 黒のノーカラーのショートダウンを買う
81、 前倒しでなんでもやる
82、 お正月飾りを手作りする
83、 何もしない、を楽しむ
84、 漢字検定準1級にチャレンジ
85、 越境する(居心地の悪い場所に身を置く)
86、 印鑑ケースを探す、買う
87、 洗濯機を買う
88、 webの更新を怠らない
89、 おもしろそうなことに敏感になる
90、 いいバッグを買う
91、 味噌汁のバリエーションを増やす
92、 おいしい梅干しを見つける
93、 12月24日までに年賀状を出す
94、 干支の置物コンプリートする
95、 基山に行く
96、 キャリバラの原稿 バージョンアップさせる
97、 真次郎のおさんぽキャリーバッグを買う
98、 窓ガラスをきれいにする
99、 髪型変える
100、思い通りにならなくてもくよくよしない



中長期的な目標や夢は昔から立てるのが苦手で、ほんのちょっと先の目標しか持てない。だから達成もしやすい。モチベーションも維持しやすい(笑)
今年はどれだけできるかな?
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モチベーションってなんだ? 2018年を振り返る

2018-12-31 14:40:13 | コトバ・ニッキ
早い早い、もう1年が終わり。
今年のうちに今年の振り返りを少し。


コーディネーターをしている社会人講座の授業で、毎回前回の授業からの1か月間のモチベーショングラフを書いて、チーム内でシェアをしています。アイスブレイク的な感じで。
で、みなさんが書いて、チームで話をしている間、わたしも毎回しこしこと書いているのですが、前回(11月後半~12月後半の1か月)のグラフを書きながら、「そもそもモチベーションってなんだ?この波形の上げ下げは何を指してるんだ?」ともやもやしてしまったのです。


今年の夏、かなり激しく体調を崩してしまって、体調がイマイチだとなんとなくやる気にもならないし、がんばろうという気にもならない。体調の不安もあって、あまりあれこれ活動せずにおとなしく過ごしていたので、モチベーショングラフも「低位安定」な波形でした。モチベーションってそんなもんだ、と思っていた。


で、この1か月、人さまが見たら「ひめさん絶好調」な勢いであれこれ大き目のイベントやら仕事やらを乗り切ってきました。順当にモチベーショングラフを書けば「高位安定」となるんでしょう。


ところが、書こうとして、はたと手が止まった。
順調だったり、大きな仕事をしたり、楽しいこと、嬉しいことは山盛りあったけど、当の本人はテンションも上がらず割と淡々と穏やかに過ごしていたのです。やる気、というか、やらかそう!とか、これやりたい!といった衝動が起きなかった日々なんですよね。


それってなんでだ?とぐるぐると考えていて、まだ答えは出ていないんだけど、あぁ、わたしの生活(暮らし)や仕事(はたらき)が変わってきたんだなぁ、という感触があります。


SNSにあがってくるみなさんの充実した様子を見て焦ったり、やばい!わたしも頑張らなきゃ、みたいに思うことはあまりなくなった。以前は結構強かったと思う。で、勝手に落ち込んだりしていた。


他人と自分を比べることはしなくなったんだけど、もしかするとわたしが比較しているのは過去の自分なのかもしれない。月300時間くらい働いていた30代前半、仕事が楽しくて、使命感もってやってたから労働時間の長さなんて全然苦痛じゃなかった。30代後半以降はほぼ毎日、定時で退社して大学行ったり、外に学びに行ってた。
その感覚、充足感?があるから、今の生活、働き方になんだかうしろめたさがあるのかもしれない。もちろん仕事もしてるし、体調体力も考えるとこのバランスがベターなんだろうけど、いわゆるフルタイムで働いている人やフリーランスでがっつり働いている人と比べるとかなりゆるい。そのことに申し訳なさを感じるのはの1年でだいぶ薄まったんだけど、かつての自分と比較して、「このままでいいのかな?」と思うことはある。あの頃みたいにはできないけど、このまま隠居しちゃっていいのか?的なw もうあの頃には戻らないんだから、できなくていいはずなのに、また忙しい生活に戻ったらわたしはついていけるんだろうか?と考えてしまうことは少なくない。なんでそんなに強迫されてるのか自分でも意味不明だけど。


今年、体調を崩してからは徐々にこの考え方が薄まってきた。もちろん体調優先にした、という経緯もあるけど、ほんとに必要なこと、自分にしかできないことをちゃんと見極めてやっていけばそれでいいじゃん。広げて行くことよりも深めることをしていくフェーズだよ、と思えるようになった。


ありがたいことに、いろいろとお声をかけていただく機会も増えて、「はい」「Yes」「喜んで!」でお受けしているとどんどん広がる、という嬉しい状況になってきました。これまで、それなりにやってきたからこそ、なのだとは思うのですが、広げて行くチャレンジよりも、深めるチャレンジをしていきたい、と思うようになりました。深めるというか尖らせるというか、ピポットターンの軸足をしっかり決めつつ、あまりあれこれ動かず、ちゃんとシュートが打てる状態に整えていきたい。


とは言え、今年はいろいろなチャレンジの機会がありました。
大教室での150人一斉グラレコ授業や、場づくり講座など、生み出す苦しみはあったけど、得るものも巨大でした。そしてこのときに苦しんだことが、次の仕事や場に繋がっているのは本当にありがたいことだなぁと思うのです。


来年の目標は「現状維持」。
後ろ向きでもなんでもなく、今を維持することが難しいお年頃になってきたので、退化しないでいるために努力したい。そして、あれこれ手を広げるのではなく、わたしの軸はこれです!と胸を張って言えるようにしたい。
だから、「がんばらない」をがんばる。もう無理はできないので、本当に自分に必要なこと、自分にしかできないこと以外はがんばらないw 本当に必要なこと、自分にしかできないことをがんばるのだ。
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がんばらない移住。もう「移住」って言葉つかうのやめてもよくね?

2018-12-30 13:24:54 | コトバ・ニッキ
今年のうちにどうしても書いておきたいことがあるので、勢いのままに書きますよ。


東京から福岡に「移住」してきて5年経ちました。
最初の1年は、行動範囲がめっちゃ狭くて、会社と家とスーパーとの往復くらいしかしてないから、もちろん新しい友達もできない。でも、日常生活はそれなりに楽しく、日々は穏やかに過ぎて行った。これでいいのかな。これでいいんだよね。と思って暮らしていたわけです。


青学ワークショップデザイナー育成講座の仲間と再会&出会って、イタヤさんに「あなたたちは友達になるべき!」とサンコダさんを紹介していただいて、さらにひょんなことから、福岡女子大の社会人学び直しプログラムのコーディネーターの職に就いてからは、一変した。知り合いがどんどん増えていく。


知り合いが増えることはそんなに重要なことではない。けど、「生活」していくと、こういうふうにじわじわと広がっていくことなんだ
なーと思えるようになったのはつい最近のこと。


福岡に来てから、これまでとは違う生活をしようと思っていたから、ことさら活動することもなく、あえて福岡の地に馴染もうともせず、淡々と省エネな感じで暮らしてました。生活するってそういうことだと思ってたから。


移住してきた人たちが、コミュニティを求めていろんな場所に出かけて行ったり、交流関係を広げて行ったり、「地域」ってキーワードであれこれ活動している姿を見て、すごいなーとは思っても、わたしにはできないし、しなくていいや、って思ってた。これは今でも変わらない。だって、ずっとその地に住んでいたら、そんなに頑張って「溶け込もう」としないでしょ。毎日の生活を送る中で少しずつ関係を構築していって今があるわけでしょ。東京に出て行った人たちがことさらにコミュニティづくりをしないのは、規模の大きさもあるかもしれないけど、生活することが第一になってるからなんじゃないかな、って。


なのに、地方に「移住」すると、がんばっちゃう。地元に溶け込もうと「地域」に関わろうとする。これにどうしても馴染めなかった。淡々と生活していく中で、少しずつ馴染んでいけばいいじゃん、って思ってた。だって、わたしはこの地にずーっと住んでいくんだもん。だから「移住」したからと言って、能動的にあれこれ活動するというより、きちんと税金払って(!)、地元で買い物して、ご飯作って食べて、消費して、ってことをやっていくことが大事だと思ってたし、そういう日常生活の延長上に「移住」者の活動があればいい、って思ってた。


それは今でも変わらない。


つい先日、某女性誌が「地方で暮らす」をテーマにした特集を組むので、ついてはご紹介させてくださいとお声をかけていただいた。残念ながら、ターゲット的にやや(いや、かなり)おねえさん、もとい、おばさん世代だったため、わたしが題材になることはなかったんだけど、その際に何人かご紹介した。彼女たちはいずれもご家庭の事情で「移住」された。しっかり地域で生活して、学んで、仕事をしてらっしゃる。まず「生活」がある。
そのときに、「ご自分の意思で移住されてきた方をご存じないですか?」と問われ、あれこれと思いめぐらせた。いる。たくさんいる。けど、その人たちは来年の今頃、ここにいないかもしれない予感がする。


そう、これなのよ。移住者に対してわたしが勝手に抱いている偏見。
ご自分のキャリアや、仕事、生活を考えて…ご自身の意思で移住してきた方は、もっといい場所、もっと住みやすい場所、もっと働きやすい場所、もっと成功しやすい場所があれば、ひょいっと場所を移していく、そんなイメージがある。福岡じゃなくてもいい。日本国内だけでなく、シンガポールとか台湾とかオランダとか、選択肢の中のひとつの街なのかもしれない。


わたしはこの街、この土地に暮らすことは唯一絶対の選択肢なのだ。ことさら馴染もうとがんばったりしないのは、ずっと暮らす場所だから。だから急いで馴染まなくても、毎日の生活を送っていればおのずと馴染んでくるし、居場所になる。


今、佐賀県の女性リーダー育成の仕事をしている。その講座の中で、ゲスト講師にいらした方が、こうおっしゃっていた。
「佐賀で育った女性たちには、佐賀に住んで、仕事をして、家族を持ってほしい。そのために住みたい街にしないと。」
佐賀はこの15年の間にかなりの人口減少が進んでいる。危機感もハンパない。住みたい街、住みやい街にしようといろいろな施策を検討したり、移住者が増えるように助成したりしがちだけど、住み続ける、生活し続ける、ってことが大事。


あとね、地方ってランニングコストをかけずに生活できる。居住費は圧倒的に安い。だからか、フリーランスで働いたり、起業もしやすい。フリーになると、自分って何?自分って何ができるの?てことを考える。狭い商圏だったりするから、居場所や仲間も欲しくなる。そうなるとコミュニティをつくる、入る。でも、コミュニティも人も生きているから、新陳代謝といおうか、アップデートされていく、次々と新しいコミュニティに入る、作る…っていうことを繰り返していくうちに、コミュニティの残骸があちこちに残っているような、そんな感覚がある。新しいものを求めて行動するのはステキなことだ。けど、もうちょっと地に足つけてじっくりじんわり生活するのもいいんじゃないか?って思うわけだ。


「よそもの・わかもの・ばかもの」が新しいことをする、風穴を開ける、的なことはよく言われる。確かに、その地に馴染んで地元の人と一緒に何か新しいことを成す移住者がいることももちろん知っている。
誤解を恐れずに言うと「移住」がファッションになっているような、そんな感覚すら覚えるのです。東京のがつがつした空気はもうダサいよね、地方でミニマムな暮らしがいいよね、みたいな。


わたしはじんわりじっくりと、これまでと変わらないペースで生活していこうと思う。だって、ずっと暮らしていく街なんだもの、焦る必要もないし、急ぐ必要もない。そう言い聞かせながら、今日もゆるゆると過ごしているのでありました。
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自分の価値を高めるような学びを!~シアターMALL IN 福岡が終わったよ

2018-12-16 09:45:16 | オトナの学び



昨日の夜、わたしのFacebookのウォールには、きれいになった福岡女子大の写真があふれかえってました。
MALL(経営学習研究所)が主催する大型イベントが東京を飛び出して、初の地方開催がここ福岡。いろんな偶然と必然と勢いと巻き込み力、巻き込まれ力のおかげで、福岡での開催が実現した。これってほんとにすごいことだ。


ただ単に中原先生にお話ししにきてもらうだけじゃない、日本を学習大国に!という旗印のもと、自らが東京から地方(福岡)に越境しての開催なんだもの。


イベント自体のリフレクションはあれこれしておきたいところなんだけど、勢いのままいくつか振り返っておきたいことがあります。
全然まとまってないけどw



現地事例紹介のコーディネートをさせていただいたのですが、わたしがこだわったのは、地方ならではの学びってなんだ?ってこと。
東京にいた頃から今まで、いろいろな「越境学習」をしてきた。東京にいた頃のわたしや、周りの人たちは、どちらかというと、学んだことを自分自身の仕事に活かしたり、自分の組織に還元したり、というケースが多かったように思う。独立される方もいらしたけど。学びの成果が割とすぐにあらわれる、とでも言おうか。



けど、ここ福岡ではちょっと違う感触がある。
それは何かというと、学んだことを身近な人に還元している、ってこと。それはもちろん自組織の人に対して、も含まれるけど、自分が体験したこと、自分がなんとかしなきゃ!と思ったことにストレートに向き合うから、身近な人に向かってアクションするんじゃないかと思う。
地方創生と言っちゃうとかっこいいけど、学んだあとに地域でいろいろな活動を始めるのって、この人のためになんとかしたい!という思いがなせるアクションなんじゃないかと。 
身近な人、住む町に還元しているっていうのが、とっても特徴的だなぁと思っていたのです。
なので、そこにこだわりたかったのです。


学び直しプログラムの修了生のみなさんが、なぜあんなにも活動、活躍なさっているのか?
それは「身近な人」「この人のために」っていうのが強いし明確だから、なのはもちろん、プレゼンでもお伝えした通り、「解くべき問は何か?」「本当の問は何か?」にこだわるからじゃないかと。プログラムの中ではことさらにこの言葉を口にはしていないけど、テーマ設定に時間をかけるのも、きれいなプレゼンテーションを求めていないのも、成果発表会でポスターセッションをやっているのもすべてそれ。


その問はあなたが本当に解くべき問ですか?
そう、自分が解かなきゃならない問、解決しなきゃならないことだからエンジンがかかる。表層的な世間一般で言われている課題には、自分ごとにはなかなかなれないもん。だから、どんなことでもいい、自分自身の興味関心にとことん向き合って、それを知る、ってことが大事なんだと思ってる。大学で1年間学ぶっていうのは、そういう「贅沢な時間」が許されるってことなんだと思う。


会社では、課題はそこにあって、最短距離で解くことが求められる。でも、本当にそれが課題なのか?を問い直していくことは多くない。回り道かもしれないけど、本当に解くべき問をみつければ、おのずと解は見つかるし、アクションも起こせるはず。


アインシュタインも言ってたもん。
問題解決に20日かけられるなら、19日 は問題定義(発見)に使いたい



ご近所対話のテーマの2つ。わたしもあらためて考えてみた。

①越境とはどういうことか?
健全な劣等感を持つこと。
中原先生の講演の中でも、越境すると自己効力感は下がる、とあったけど、「わたしまだまだダメだなぁ」と思って凹んで、できない自分を自覚することがわたしにとっての越境なのです。
そうやって苦手なことがわかると、逆に自分がやっていて心地よいこと、楽しいこと、没入できることがわかる。それがホームになる。そして再びアウェイな場所に行って劣等感を持つ。この繰り返しがわたしにとっての越境、越境学習なんだな。

②副業を「福」業にするためには?
経済的基盤を持つこと。
本業をしっかり持つ、ということではないよ。いわゆる複業で経済的には問題ない人もたくさんいる。やっぱり日々の生活が心配なく送れてこそ、の「福」業だと思うんですよー。自分もハッピーでないと、人もハッピーにはできないじゃん。



中原先生の講演の中で、「学びのイメージをアップデートしていく必要がある」というお話があった。
そう、学びは苦しくつらいものなのだというマインドセットは根強いし、特権階級(意識高い系)のものなのだ、とやや冷めた目で見る人もいる。
けど、知らないことを知るのは楽しいし、知ったら人に言いたくなる、やりたくなる、それが人間の根源的能動性なんだと思う。
学びの対象は何でもいい。けど、それが、自分の価値を高める学びになっているか?は問い直していきたい。



福岡来るとき、違う人生を歩もうと思っていたわたしに、中原先生が「きっと福岡でも同じことをやると思う」と仰ってくださいました。で、結局、同じようなことをやっているというw
福岡の地で再会した中原先生から、
「きっと、福岡で、同じ事をやりますよ」と予言した自分を褒めてあげたいです(笑)。そうなると思っていました。学ぶことの素晴らしさをぜひ福岡、九州にて!」
とステキすぎるメッセージをいただきました。わたしが福岡に来た理由はこれかもしれん、と勝手に自己効力感MAXな状態になっておりますw、やばいぞ<自分w 越境せねばw



最後にもうひとつ。
昨日のイベントはとっても熱量高く、豊かな場でした。また福岡で!というお声もあり、理事のみなさんに福岡という街を気に入ってくださったこと、福岡の学ぶ人たちの力を感じていただいたことはとっても嬉しい。素直に嬉しい。
でも、また福岡で開催、というのはナシなんじゃないかと思うのです。
日本を学習大国に、なら、全国で開催しないと。福岡でリピートしちゃったら、そこがホームになってしまう、全然、越境じゃないじゃんw そして、昨日参加されていた志高い皆さんが地元で、自分のフィールドで広めていくことが大事なんだと思うのです。
日本全国に、この楽しくステキな学びの場を、学びの経験を広めていきましょうよー。それがわたしの切なる願いです。



あらためて、中原先生はじめ理事のみなさん(多大なる巻き込み力を発揮した板谷さん)、500秒でプレゼンしてください!と無茶なお願いにお応えしてくださった平山さん、齊藤さん、ご参加くださった皆さん、女子大関係者の皆さん、本当にありがとうございました!





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来てくれてありがとう。嬉しいです~和田唱 1st SOLO LIVE TOUR 2018“一人宇宙旅行 

2018-12-10 00:23:10 | ライブ・イベント



トライセラトップスの和田くんのソロツアー「一人宇宙旅行」IMSホールに行ってきた。
今までやってなかったことにチャレンジしてみたい。バンドっていうホームがあって、そこに頼ってた。だから自分で曲を作って、自分で演奏してってそれがソロだった。やることいっぱいあるから超疲れるけど、でも、超楽しい!とソロ活動をスタートした時に語っていた和田くん。自ら「超楽しい!」って言えちゃうそんなソロ活動、これは何が何でも行きたい!同日、ほてーさんのライブもあったけど、チケット持ってたけど、アルバムが想像以上に楽しくて素晴らしくて、和田くんがやりたかったんだなー、好きなんだなーってことがめいっぱい詰まってたから、これを生で体験したくて、和田くんのライブを選びました。ほてーさん、ごめんw


なんていうかね、ライブ前に「今日はどんなライブになるんだろ?」ってわくわく、ドキドキした気持ちになったの、久しぶりだった。サポートミュージシャンもいない、かといって弾き語りでもない。どんなライブになるんだろ、いつものトライセラの愉快な気の置けない会話のキャッチボールがなくなって、和田くんはひとりでどんなMCをするんだろ?とか、何が出てくるのか分からないドキドキ感があった。


こんなライブ初めてだった。ネタバレになっちゃうから、というわけでなく、どうあがいても言語化できないので、ライブ・ステージを文字で再現することは辞めるけど、「一人宇宙旅行」にふさわしい冒険であり、挑戦であり、地球を懐かしむ感覚もあり、一人ぼっちの寂しさもあり、なライブだった。
ちょうど同じ時間にほてーさんは「ようこそ宇宙一のロックンロールショーへ!」ってシャウトしてたみたいだけどw


このアルバム、このライブは、和田くんから音楽へのラブレターなんだなー。
アルバムを聴いたときにも思ったけど、音楽に出会えた環境、ルーツ、今、それらに対する感謝や愛に溢れてる。


トライセラのライブでもそうだけど、和田くんはあれこれさらけ出す。かっこつけたり、取り繕ったりしないで、間違ったら「ごめん、間違えた!」「俺、ヤバい!」と言っちゃう。そして会場を巻き込んでしまう。プロとして、その品質はどうなのよ?と思わなくもないけど、さらけ出すことで音がさらにリアルに響いてくる気がする。今回もたくさん間違えてたw 


トライセラのライブは音圧がずんずん来て、音の隙間がない感じ。ソロの和田くんは、バンドじゃないからそうは言っても音の厚み、圧はそれほどはない。音に空間、隙間がある。けど、それが心地よい。トライセラもいいけど、こんな温かな空気にくるまれるライブもいいなーって思った。


久しぶりにライブ行って、泣いた。
歌詞が言葉が響いて、っていうのもあるけど、紡がれた言葉に重なり合うような情景が見えてきて、なんかじんわりきちゃったんだよね。


最後、トライセラの“マイナー”なあの曲。「うずいちゃったら、感じるままに踊って」と和田くん。客席も総立ちでグルーブしてた。いつものトライセラの音とは違ってちょっとメロウで大人な“マイナー”なあの曲だった。こういうのもいいねぇ。


「今日は来てくれてありがとう。嬉しいです。」
そんな気持ちに溢れていた心温かになるライブでした。ちょっと早めのクリスマスプレゼントをもらった気分。やっぱりライブっていいね。音楽っていいね。


時折、腕上げがしんどいのは五十肩なんだろうか?違う違う、そうじゃない、と思いたいけど、たぶんキット間違いない。残念だけどw 晃司の35周年ツアーまでには治るかなー。


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ひとつすっきりして、またひとつもやもやを持ち帰る~「ワークショップをとらえなおす」読み語り会

2018-12-04 21:43:17 | オトナの学び



今年の夏に飛行機の中で興奮状態で一気読みした加藤先生の「ワークショップをとらえなおす」。
ちょっと涼しくなったころ、WSD仲間のうらりんの「この本で読み語り会するって言ったら来る?」というつぶやきに反応して、ほんとに読み語り会が開催されちゃった。しかも著書の加藤先生までいらっしゃるという超スペシャル豪華な会に行ってきました。


この本は、かれこれ20年近く前、はじめて「ワークショップ」というものに出会った長岡先生と加藤先生が「ワークショップがやりたい!」「何かやろう!」とゼミ生たちと宿泊型のゼミ合宿?ワークショップ?を実施した報告書が出発点なんだそう。
まだ、「ワークショップ」という言葉がなかった時代。あったのかもしれないし、既に「ワークショップ」をやっている人はそこかしこにいた時代。それから約20年経って出版されたわけだけど、20年も経てば考え方も変わるし、ワークショップを取り巻く環境も変わる。何よりも「ワークショップがやりたい!」という思い自体が「そうは言ってもワークショップってツールだから、ワークショップやりたい!ってどういうこと?」と自分で自分を否定するような感じでもある。加藤先生曰く「終わらない宿題」をやっと片づけた、そんな感じなんだって。


昨日の読み語り会では、いろんな話が出た。その場で結論が出ることなんてなくて、著者である加藤先生から「答え」がもらえるわけでもない。フルスロットルで頭ん中で考えて、たくさんのことを学んで掴んで、そしてもやもやもさらに増幅させて帰ってきた、そんな場でした。


会の中でかなりの時間をかけて語られたワークショップの「質」というお話。
質と言ってもいろいろあって、提供するワークショップの質を担保するということ、でも、それって、いつなんどき誰が対象でも同じことができるってこと?でも、それってマンネリというか、ある型の中に収まってしまうってことじゃない?ファシリテーターの質なの?ワークショップ≒コンテンツの質なの?参加者にとっての質ってどういうこと?などなど、ほんとうにいろんな話が出た。


質ってことに関連して、わたしの中で腑に落ち切れていないのが「場数」ってこと。
確かに場数は必要だし、グラレコ講座では「場数だいじです!」と言っているけど、でも、相手があるワークショップを、ファシリテータ―の場数のために開催するってありなんだろうか?ともやもやもやもや。
これはいいワークショップだ!だから体験してもらいたい!わたしはファシリテーターとしては初心者だけどみんなに知ってもらいたいからやらせて!っていう論法なら納得するんだけど(ワークショップに出会った頃のわたしがこんなだったw)、コンテンツの使い手になるために、人を集めて場を作るっていうのがどうにも腑に落ちない。
この人にどうなってほしいか、そのために〇〇っていうコンテンツが必要だ、だからやる。ファシリテーターとして未熟であったとしても、目的がちゃんと握られているから、技術の未熟さはカバーできると思う、そうやって場って作られていくんじゃなかろうかと。そんなことを日々つらつらと考えていたわけです。


昨日の会で、この疑問、もやもやに明確な答えを得たわけではないけど、ひとつすっきりしたのが、ワークショップやる人にとって領域を問わず普遍の力ってどんなことだろう?という問いに対して、観察することじゃないかな?という話。
ヒアリングやインタビューなど「聞く」ことだけではわからないことがあるし、参加者その人自身を見ていくってこと。それはやっぱりワークショップは相手があって成り立つことだし、他者との関係性の構築であったり変化であったりが、ワークショップの神髄なのだから、コンテンツも大事だけど、人を見るってことがやっぱり何よりもだいじなんだよなーと思う。
その力(観察する力)ってどうやったら身に着くか?って言ったら、場数じゃないのかもしれないね。その場での集中力や深くかかわろうとする覚悟や責任だったり、五感を研ぎ澄ませてその場にいることであったり。そうなると「まずは100回」みたいな指標はそんなに重要じゃない気がする。


今から10年くらい前に、はじめて加藤先生にお会いして、墨東大学や自画持参などいろんなワークショップに参加した。いつもその場は楽しいんだけど、なにかしらもやっと、ざらっとしたものをおみやげに持って帰る、そんなワークショップだった。そして、もやっと、ざらっとしたことを、なんとか解消、咀嚼、消化したくて、あれこれ振り返ってみたり、意味づけしてみたり、ワークショップが終わったあともずーっと活動が続いているようなそんな感覚だった。長岡先生もそう。その場は楽しいし、なんだかわかった気になるんだけど、帰り路で「で、いったいなんだったんだ?」「あのときのあれはどういう意味だったんだろう?」ともやもやの絶頂になる。それが、わたしのワークショップの原点なんだなー。
昨日の読み語りの会に参加して、久しぶりにそんな感覚を味わった。そう、ひとつすっきりして、また別のもやもやが生まれた、そんな感じ。そして、そのもやもやをしつこく内省して、言語化しておきたい、そんな衝動に駆られております。


(たぶん、この本を興奮状態で一気読みしたのも、同じ感覚なんだと思う。読んでるときは、「そうそう!そうなんだ!」と明快に感じたことが、あとから「あれ?」となる。その「すっきり⇔もやもや」の往来がわたしをフローに持っていったのかもしれない。)


SNS慣れして、すっかり長文が書けなくなってしまったので、今日はこのあたりでw
昨日の読み語りの会ではあと2つくらい書きたいトピックがあったので、しつこく内省してまたブログ書こう。


あらためて、つぶやいてくれたうらりん、加藤先生、ご一緒したみなさん、本当にありがとうございました。

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ワンダフルな恋=コミュニケーション⁉ ~なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?

2018-11-29 07:25:27 | ドクショ



WSD(ワークショップデザイナー)仲間であり、尊敬するファシリテーターでもあるザキさんが書かれた「なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?」。
一気読み。はじめてザキさんのワークショップに触れたときもそうだったけど、なんていうんだろ?体の底からじわじわっとくる手ごたえや温かさがあって、いろんな人に知ってほしい!という気持ちが沸々と湧いてくる、そんな本だった。


ザキさんは、会社員時代から長く「対話型鑑賞」を実践なさっていて、ビジネスパーソン、学生、子ども・・・さまざまな人に向けてワークショップや研修を行っている。その知見と思いが詰まった1冊。


ここからは、わたしのリフレクションも兼ねただらんだらんな記録です(汗)


アート作品を見ることがなぜ研修になるのか?いろんな意味付けはできると思うし、本の中で紹介されているワークを行うことで身に着く力はあると思う。けど、合目的的に「対話型鑑賞」を体験するのってなんだかもったいない気がしてならないのです。


ワークショップを体験すると、それが自分にとって新しい体験だったり、思いもよらない発見や感覚があったりすると、「やる側」に回りたくなる。新しいネタを求めてワークショップやセミナーに精力的に参加する人も少なくないと思う。もちろん、わたしにもそういう側面はある。


けど、これが何の役に立つのか、どんな力がつくのか、今のワークにはどんな意味があるのか・・・そんなことを考えずにただただその時間、そのワークを味わいたい。そう思わせる何かがザキさんのワークショップ(ファシリテーション)にはある。


わたしが「対話型鑑賞」が好きな理由は、いくつかあって、無理にしゃべろうとしなくてもいいこと、他者の発言を聞くだけでもいいこと、そして何より同じものを見て話すこと、これが一番大きい気がする。


1枚の絵を見て何を感じたか、どう思ったか?という「解釈」を語ることが対話型鑑賞でもあるんだけど、解釈っていうのは人それぞれ違う(別の言い方をすれば価値観みたいなものかも)。じゃあ、解釈はどうやって生まれてきたのか?というと、絵に描かれている「事実」から導き出されてきたってこと。絵に描かれている「事実」は誰にとっても同じだけど、それをどう見るか?は人によって違う。赤いリンゴが描かれていたとしても、「おいしそう」と思う人と「毒が入っているかもしれない」と思う人と、ここにりんごが描かれている理由を考える人などなど様々だ。なぜそう思ったのか?それを絵に描かれている事実(要素)から紐解いていく思考の旅がおもしろいんだよなぁ。


こう書くと、対話型鑑賞は思考のプロセスを詳細化していくことができるから、思考力を養うのに役立ちそうだ、とか、絵の細部を見ていくから観察力がつきそうだ、とかすぐに考えてしまいがちなんだけど、そんなことを考えずに味わいたいのだよなぁ。


そして、対話型鑑賞におけるファシリテーターの関わり方がまたステキ。本の中で、「自己主張しない研修講師に初めて会いました」と感想をもらったと書かれていたけど、ザキさんのファシリテーションは本当に心地よい。自己主張はしないけど(笑)、だからといって個性がないとか、なにやったかわかんない、みたいなこともない。


対話の場におけるファシリテーターの役割って、参加者同士が相互に対話ができるように問いを投げかけ、参加者同士が学び合う、対話し合うようになったら姿を消すくらいがいいとされている。ファシリテーター⇔Aさん、ファシリテーター⇔Bさんではなく、Aさん⇔Bさんの対話がなされていることを目指す。
対話型鑑賞では、ファシリテータ―は発言の交通整理役として介在する。一見、ファシリテータ―⇔Aさん、ファシリテータ―⇔Bさんの構図のようにも見える。でも、AさんとBさんはお互いの発言の中から何かを感じとって学んでいる。AさんとBさんは直接的には対話をしていないかもしれないけど、発言を聞くことで、何かを感じ、考える。これこそがコミュニケーションであり、対話なのかもしれない。


(こんなイメージね。)


それってなんでだ?
1枚の絵、同じ対象物を見て話をしているから。そして、問いが具体的で、絵=対象物から離れないから、な気がする。


これが、人の話を聞いて感想を言い合いましょう、的な問いだと、どこを切り取るかは人によってまちまちで、一見、対話が促進されているように見えても、その実、違いを知ったり、発見や学びは少ないのかもしれない。


「学び」ってなんだ?
この問いに対する答えは難しい。けど、ひとつ答えを出すなら、思い込み=これまでの価値観を壊す、外す、ことなのかもしれない。思い込みの覆いを外すのは他者であり、自分もまた相手の覆いを外す他者である、ってことを対話型鑑賞では教えてくれる。


自分のモノの見方を疑って、じっくりと見てみるってことが大切で、それをこの本の中では「ワンダフルな恋」と言っています。アート作品のことはわからなくてもいい、でも、じっくりと見続けることでアート作品と自分との間に恋が生まれ、コミュニケーションが続くんだって。なんだかとっても素敵でドキドキしちゃうよね。


美術館に行きたくなっちゃう、画集をじっくり見てみたくなる、そしてザキさんに会いたくなる(笑)、そんなご本でした。


ザキさん、ステキな本を世の中に送り出してくれてありがとうございますー、多くの人に届きますように。




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サーベイ結果はちゃんと使わないとダメだよね~あぁ、あれって組織開発の仕事だったんだ、な話

2018-11-09 08:04:20 | カイシャ・シゴト
つい先日の中原先生のブログに、サーベイフィードバックのことが書かれていた。
めちゃくちゃ強引乱暴に要約すると、サーベイしっぱなしじゃダメだよね。ちゃんと組織にフィードバックして、これからどうするか?を組織のみんなと考えて(対話して)行かなきゃダメだよね。でもそれって難しいよね。サーベイと対話って別物、対立軸にあるもの、と捉えがちだけど、ニコイチじゃね?ってこと。


そうなの、そうなんだけど、わたしにとっては「へ?いまさら?」的な感想を持ってしまったのです。
というのも、かれこれ10年くらい前、経営企画部門に異動になったわたしが最初に取り組んだのが、このサーベイフィードバックだったから。


もともと、組織活性度調査という名目で年に1回、各組織別(課単位)で調査を行っていました。
あなたの職場には目標がありますか?それは周知されてますか?
業務の改善や効率化を目指していますか?
上司はメンバーの特性を理解し、適材適所で業務遂行を行っていますか?
などなど。組織だけでなく、リーダーの多面評価の要素もありました。


わたしが中途入社した時からルーティンワークとしてなされていた。このころは「採点する側」で、結果は集計されてるはずなのに、全く開示されないし、たまぁにオープンな上司は「ほれ!」と結果をそのまま見せてくれたりしたけど、で、この結果ってなんなの?そもそもなんのために調査してんの?と頭の中は「?」でいっぱいでした。


で、経営企画部門に異動になって、「今年も組織活性度調査の季節だねぇ」という話が出始め、上司の「サーベイ取ったきり、っていうのが気に入らないんだよね、やるならちゃんとやりたいんだよね」というつぶやきもあったので、サーベイは通常通りに実施し、サーベイ結果をきちんと読み解いて、全社、部門別に経営ボードにレポーティング、マネージャーにはサーベイ結果の読み解きトレーニング(研修)を実施して、部門別にフィードバックミーティングを実施する企画を立てることに。
サーベイの実施から、ミーティングまで3~4か月かかったし、忙しいとかそういう言い訳は一切聞かずに全グループ(課)がミーティング終わるまできっちり並走した。


会社を辞めるまで5年くらい続けたけど、毎年毎年、このサーベイ結果の読み取りは吐きそうになりながら行ってた。量ももちろん多いんだけど、この結果(データ)から何を読み取れるか?読み取ったものをどうフィードバックして、どう活用してもらうか?メンバーはどんな思いでこの調査を行ったのか?などなど一人ひとりの顔が思いうかんだり、組織の様子が見え隠れしちゃったりして、ほんとに吐きそうだった。


初年度は、サーベイを実施している研修会社に、データの読み取り方をレクチャーいただいて、それまで単に「4.5点、高いねー」「2.3点、ちょっと低くね?」くらいの点数だけを見て一喜一憂していたんだけど、素点が高いなら高いなりに問題はあるし、ばらつきや、あまりにも似通った点数ばかりをつけるケースに起こりがちなことなどなど、いろいろな角度から「データ」を見ることを学んだ。コンサルタントの方の読み解きはさすが!と唸ることしばしばで、そうそう、このチームはこういう問題抱えてるよね、とぼんやりと感じていたことを「このチームでは、表面上はうまくいっているように見えるけど、上司の力が強大でメンバーはそれに従っているだけ、従っている方がうまくいくと思っているけど、自分で行動することをしたがらなくなっていないか?」というふうに具体的に言語化してくれた。わたし自身がデータから見る効果や効力を感じたので、マネジャーにも、点数の高い低いに一喜一憂するのではなくて、数字から見えるものを探りましょう!と動機づけをして研修を行った。データを読み取るだけ、の研修ね。


これが、思った以上に効果があって、これまでは、数字が意味することを考察もせずに、上司からも点数のみをフィードバックされていたから、サーベイには懐疑的、否定的だったマネジャーたちだったけど、数字を読み解くことで、自分の組織の課題や強み、自分のリーダーシップの課題や強みが見えてきた。ダメ出しをする場ではなく、あくまでもデータを読むのだ、と定義したのもよかったのかも。


ミーティング?そんなめんどくさいことやってられるかい!(怒)という批判があることは覚悟していたけど、意外とすんなりと受け入れられて、どのグループも1時間から2時間、長いところは半日間のミーティングを実施した。
ミーティングも、ただ開催するのではなく、事前に、どんなことを話し合うのか?このミーティングで何を得ようとしているのか?を明確にしてもらったうえで、ミーティングの設計をしてもらった。


もちろん、ミーティングの粒度はさまざまで、マネジャーが意図した通りに進み(ある意味、誘導)、対話が促進されたとは言い難いグループもあったけど、それでも概ねほとんどのグループでは、自分たちのグループのことを真剣に考えて、これからどうしていこうか?を考えるきっかけ、機会にはなった。


経年によって、組織改正で統合された部署や、新設された部署、新任のマネジャーなど、状況はどんどん変化するから、毎年同じサーベイ項目であっても、対話の場のきっかけ、話のネタとしては機能し続けた。同じサーベイ項目だからこそ、経年変化、比較ができる、というメリットもあったかも。


今でもこの施策が継続されているかどうかはわからないけど、少なくとも5年続いたってことは、それなりの効果や成果があったんだと思う。
なぜ、それなりに機能したのか、いくつかの理由があると思うけど、一番大きいのは、データの読み解きをきちんと行ったこと。数字に一喜一憂せずに、読み込むことをトレーニングしたことが大きい。そして、経営ボードにも毎年きちんとレポーティングしたこと。何よりも、サーベイしたらそのままじゃなくて活用したいんだよね、とつぶやいて、後押ししてくれた上司の存在が大きい。全グループが1時間~半日のミーティングを実施するなんて、経営のバックアップがなければできないもん。


当時、組織開発をしているなんて自覚はまったくなかったけど、あぁ、そうか、これが組織開発だったんだーと最近気づいた次第(汗)
で、やっぱり、組織開発ってしんどくて泥臭い仕事なんだよ。ガチな対話の前には、準備も必要だし、そのためには吐きそうな思いもたくさんする。大変なのはアタリマエ。はやってるから、みたいな理由でサーベイフィードバックを行うことは否定しないけど、組織に関わる人たちが、楽しくいきいきと仕事をするためのものなんだってことだけは忘れちゃいけないって思う。


サラリーマン時代、ほんとにいろんな仕事をさせてもらって、今、あらためてその頃の仕事に助けられてる感じです。みなさんほんとにありがとう。



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やめられないとまらない大人の学び~イブニングダイアローグ特別編のこと

2018-11-02 22:17:20 | オトナの学び


10月31日、渋谷の街が大変な騒ぎに包まれている頃、お隣の代官山で、産能大学院OBOG交流会「イブニングダイアローグ」を開催しました。


いつもは、前回ゲストから指名されたトークゲストのキャリアと学びヒストリーを紐解き、イシヤマさんのキレッキレ解説に、参加者のみなさんとのダイアローグ、イタヤさんの超絶ラップアップという流れで行っているこの会ですが、今回は特別編! 
今年の夏に「なぜあのリーダーはチームを本気にさせるのか?」を出版された2002年修了の広江さんに、出版記念講演をしていただこう!とノリノリで企画を進めました。ありがたいことに、広江さんからも「母校でできること、みなさんとコラボできることが嬉しいです!」と仰っていただき、もうわくわくしかない、この会がおもしろくないはずがない、そんな確信に満ちていたことは言うまでもありません(笑)


今回ももちろん、イシヤマさんのキレッキレ解説あり。なんと、20分でこれまでのリーダーシップ論の変遷がわかっちゃう超超お得で濃密な内容です。しかも、イシヤマさんのレクチャーが前座的扱いという贅沢さwww


イシヤマさんの解説の何がすごかったかって、20分でリーダーシップ論がざくっとさらっと理解できるようにまとめてくださったことに加えて、事例が豊富!そして、幹事のイタヤさん、涼子さん、わたしの3人をリーダーシップの類型にばさっと当てはめての解説。たぶん、あの場にいたみんなが「変革型リーダーシップ」ってこういうことなんだー!って一生忘れないはずwww


そして、広江さんのミニ講演。事前に資料を頂戴していて、せっかくなので、ワークショップをやりましょう!とご提案をいただいたので、時間も拡大してたっぷりとみなさんに広江さんのワークショップを味わっていただきました。約50分という短い時間にも関わらずさまざまなアクティビティを体験しながら、リーダーシップとは?組織構造とは?を体感的に理解できる。そしてひとつひとつのワークやツールに一切の無駄がない!!!これがプロの仕事だ!と感嘆いたしました。




当初の予定よりも、たっぷりと時間をとってのワークショップだったので後半は少し巻き気味に、振り返り&イタヤさんの秀逸ラップアップ。広江さんとイタヤさんは大学院の同級生で、あれから17年、こんなに立派になって…(涙)となぜか母心全開www 
学ぶって楽しい!学ぶから人生が楽しい!(超意訳)というイタヤさんのメッセージで会は終了。



ここからは、わたしのひとりリフレクション。


イブニングダイアローグはもともとは大学院のOBOG交流会ではなく、2009年に長岡先生を中心に、「知的かつ創造性あふれるダイアローグ(対話)を通じて、人と組織の未来を考える人材育成マネジャーのための“インテリジェント・サロン」としてスタートしたもの。当時はめっちゃ斬新でオシャレで、ドレスコードがあったり、会場の装飾やフードに至るまで、本当にスタイリッシュな学びの場だった。
テーマはめっちゃ多様で、しかも、すっきりとした納得感なんてまったく得られずに、残るのは「もやもや」ばかり…いう長岡先生ならではの問と仕掛けに満ち溢れてた。楽しいんだけど、なんだったんだろ?わたしはどんな学びを得られたんだろ?と酔いがさめると同時にふわふわとした気持ちがしぼんでいく、毎回がそんな感じでした、わたしにとっては。


2011年頃から実施していたOBOG交流をメインにした勉強会に参加してくださった長岡先生が「この場はすごくいいよ、みんなこういう場を作りたくて仕方がない!」と絶賛してくださって(ほんとはもっと深い意味があるんですが、うまく言えないので割愛。要は大人が主体的に参加して学んでいて、権威=センセイがいないのがいい!っておっしゃってくださった)、それならば、と図々しくイブニングダイアローグを名乗らせていただいて今に至るわけです。


で、今回のイブニングダイアローグ。わたしにとっては、オリジナルイブニングダイアローグを思い出させる懐かしい匂い、感触があったのです。テーマがあって(今回は「リーダーシップ」)、それに対するインプットがあって、体感して考える、集まっている人たちはある程度の同質性を持っている。(ここでは、同質性=学びを楽しむ大人とひとまず置くことにします。) 
東京にいてあちこちの学びの場に足を運んでいた時にご一緒していた懐かしい方と再会したっていうのもあるんだけど、「あぁ、これ、この感じが楽しくて、わたしは学びの場に出かけて行ってたんだよなー。」って思った。最近はすっかり出不精になってしまって、学びの場にも出て行かなくなっていて、感覚がさび付いてたかも。研ぎ澄まさなきゃ―。


会の仕立てについて。
わたしたちがやり始めてからのイブニングダイアローグは、ゲストが繋がって行くことで、会を繋げて行くことを大切にしてきた。もともと交流会からスタートして、単に集まって飲み食いするだけじゃもったいない。せっかくMBAホルダーなんだしさ、少しはアカデミックな場にもしたいよね、ってことでイシヤマさんのアカデミック解説を武器に(笑)これまでやってきた。
でも、過渡期っていうか、別のやり方もあってもいいかもな、って思った。別に何百人も集めるようなイベントにするつもりはないけど、交流の場、再会の場として在る以上、存続させることは大事なことだ。離れていた人も時機がきたら戻れる…みたいな場は必要だと思うし、そういう場でありたい。久しぶりに参加したけどやっぱりいいね、あの頃を思い出すね、みたいな気持ちになったら素敵じゃない?
そうなると、ゲストを指名していくリレー形式ってある限界があるのかもしれない。OBOGと言っても、2年間しか通っていない学生生活、どうしたって同期とその前後しか知らないわけで、指名する対象は非常に狭い。そうやってどんどん若い世代に繋いでいく、でいいと思ってはいるんだけど、じゃあ、幹事(事務局)も新陳代謝した方がいいんじゃね?という思いは拭えない。


そして、これまでは参加者を産能関係者+ゆかりのある方に限定していた。赤裸々(!)にキャリアを語っていただいていたこともあるので、クローズドの会にしていたわけだけど、閉じた世界でいいのかな?という疑問もふつふつと…。やってる方も参加しているみなさんも楽しい。けど、それって同質化してしまって、変化を好まなくなっているってことでもあるんじゃね?みたいな疑問も…。新しい人たちの新しい視点や考えを注入することで、もっともっと広がりを持ちたい。何よりも凝り固まったわたしの思考をほぐしてほしいwww



今回は広江さんの出版記念、お祝いでもあるので、少しオープンにして参加者を募った。おおよそ半数が修了生という状況だったんだけど、いい感じで混ざり合ってた気がする。そんなに入念なチェックイン(導入)もしていないけれども、比較的居心地のよい場になっていたのではないかと。楽しかった!アウェイ感を感じなかった!心地よかった!という感想もたくさん頂戴したし。
参加いただいたみなさんが、テーマ(リーダーシップ)になんらかの関心をもっていたからなのかもしれないけど、こういう混成な場もこれからのイブニングダイアローグにあってもいいかも、と終わった後に名刺交換を盛んにされている皆さんを拝見して思った。


じゃあ、何のためにイブニングダイアローグをやってるの?と逡巡してみたんだけど、やっぱり参加した人が「楽しかった!」と言って帰っていく姿なんだなー。楽しいって感情は元気になるし、元気な人は周りを元気にする。
イブニングダイアローグやり始めたとき「ここに集まる人たちは、そうは言っても一部だし、一部の人だけが元気になっても仕方がない。もっと働きかけるべき人たちはたくさんいるんじゃないか?とも思うけど、でも、こうやって元気になった人がまたほかの誰かを元気にする、そんな連鎖でいい」って思ってたけど、やっぱり今でもそう思う。わたし一人が働きかけられる人には限りがある。だから、たとえ少人数でも関わった人を大切にしたい。これからも、たとえ少人数でも「楽しかった」「元気になった」って言ってくれる人がいる限り、やり続けたいなぁ、やり続けるよ。


最後にわたし自身の場の関わりについて。
イブニングダイアローグ始めた頃って、一つのイベントやワークショップを実施すると疲労困憊、廃人感ハンパなくて、それは体力的に…というわけではなくて、ああすればよかった、こうすればよかったという超反省モードに突入してしまって、どんどんローに落ちて行ってた。(ツカハラさんに研修講師はムリだね、って言われたくらいw)クヨクヨするの好きなんで。
でも、ここ最近はその疲労困憊感、ネガティブモードがない。
場数を踏んだ、っていうのもあるのかもしれないし、今でも授業やステークホルダーが跋扈しているような場では、いつも燃え尽きてるし、クヨクヨしてるけど、手離す(手放す)ってことができるようになったから、な気がする。事前準備はかなり綿密にやる、けど、始まったらその場を信じて委ねる。何よりも、「これを持ち帰ってもらわなきゃ!」というヘンな使命感がなくなって「それぞれが思い思いに持ち帰ってもらえばそれでいい」という気持ちになったから、な気がする。そう、学びの成果は強制するものじゃないんだよね。学びは楽しい、楽しいものなのだ、ってことを伝えられるように、これからもほそーくながーく、あれこれやっていきましょう。


弾丸日程で体力的にはちょっときつかったけど、行ってよかった、やってよかった。また次回も楽しみましょう。



ひとりずつセットを用意したのは今回のわたしのちょっとしたこだわり。おかげで発注は非常に難しかったですがwww




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言語化と画像化~長岡ゼミでグラレコやってきた

2018-06-08 16:04:27 | グラレコ



今年で3回目となる法政大学長岡ゼミでのグラレコワークショップ。
長岡先生のキレッキレのゼミ指導も体験できちゃう特典付き。昨日も、わたしの方が勉強になったぞ、ってくらい学び多き時間でした。


昨日のゼミは、ゼミ生3人のプレゼン、それを受けてのペチャクチャ(ワールドカフェ)、そしてグラレコ、という仕立て。
昨日がプレゼン初日ということもあって、プレゼンの内容、仕立て、姿勢、準備などに温かな愛ある、そしてスパイシーなフィードバックが繰り広げられておりました。


どうしても言いたいことがたくさん出てきて、そして、“きれいな”“かっこいい”言葉で語りたくなってしまって、盛り込みすぎ作りすぎなプレゼンになりがち。そうすると、一番言いたかったことが薄れてしまったり、まだ自分の中で消化しきれないことは上滑りな表現になってしまう。流暢に話せたか、スライドが上手に作れたか、なんてことはそんなに大きな問題じゃなく、大切なのは「たったひとつの言いたいこと」。その「たったひとつの言いたいこと」があれば、あとはそれに何を付け足していくか?を考えていくだけ。きわめてシンプル。だから難しい。


オーディエンスが話したくなるようなプレゼンなのか?っていうのも至極納得。説得や情報伝達ではなく、あくまでも話題提供、プレゼンを聞いて「それについて話したい!」と思えたら、間違いなくそのプレゼンは素晴らしいものだよね。


そして、オーディエンスはプレゼンする仲間を助ける役割がある、ってこと。
コメントをきちんと出す、それは、批評するのではなく自分の感性で判断したコメントを出すことを意味します。そうやって聞き手と話し手がそれぞれの役割を全うしていくことが「みんなで場をつくる」ことにつながるんだなぁ。もちろんそのときには、聞き手はかくあるべし、というルールや正解はなくて、自分の感性に素直に従うのがいちばんいい。


そんなプレゼンにまつわるあれこれを受けてのグラレコ。


グラレコワークショップも授業も含めると2年間で1000人を超える方にご参加いただいて、試行錯誤、紆余曲折しながら、わたしがお伝えするグラレコってこれよ!が見えてきていました。


「残したいものを楽しく描く」
「正しい記録よりも楽しい記録を」


そう、きちんと正しく記録するとか、絵が上手に描けるとか、人が読んで共有できるとか、そんなことは割とどうでもよくて、この場で感じたこと、体験したことを残したい!というシンプルな動機で十分だと思っている。だから、誰かのためのものではなくて、自分のため。自分が描いて楽しい、読み返して楽しい、そんな記録でいいと思っている。そんな記録がいいと思っている。だから、正解もルールもない。


でも、この正解やルールがないことがどうにも曖昧ですっきりしっくりこないのもまた事実。
コツや書き方を教えてほしいというニーズはたくさんいただくし、どうしたらうまく描けるでしょうか?全部書けない、何を描いて何をそぎ落とすのかの判別が難しい・・・という質問もたくさんいただきます。


上手い下手もルールもないし、自分がこれは残したい!って思うことだけでいいんですよ、とお伝えしても、やっぱりもやもやは残るわけですよ。このジレンマwww


そんなジレンマも抱えながら、長岡ゼミのみなさんとグラレコワークショップをやってきたのですが、いくつか発見、開眼したことがあります。


ひとつは、楽しいってことは集中(没入)してこそ現れる感覚なんだな、ってこと。
「楽しい」っていろんなところで言われていて、楽しく学ぶとか、楽しみましょう!とか、ちょっと安易に「楽しい」って使ってない?楽しむマインド持ってないといけないの?的に、「楽しみましょう」圧がちょっとうざい感じを受けていたのです、ここのところ。これ、あくまでも自分感覚ですがw


昨日のワークショップ、「楽しかった」「時間を忘れた」という感想も聞かれたけど、みんなの顔つきが変わって「楽しい」雰囲気になったのって、グラレコ100本ノックと呼んでいる線を引く、絵を描く練習をしている時からだった。夢中になって線を引く、〇を描く、そして、話を聞きながら一言も聞き洩らさないぞ!と一生懸命聞いて、どうやって描こう、この絵はどう描く?なんてことを頭の中でぐるぐるぐるぐる考えている・・・そんな状態を称して「楽しい」って言っていたんだなー。


「戯れ」と「楽しむ」は違うって長岡先生もツイートされていたけれど、その違いはその場に一生懸命でいるかどうか、集中しているかどうか、ってことでもあるのかもしれない。
安易に容易に「楽しい」ってことを使いすぎていたなーとちょっと反省。集中する、集中できるためにはどうするか?ってことを少しだけ丁寧に考えていこうと思ったよ。


そして、画像化と言語化。
これは長岡先生が最後にまとめられていたことですが、
「言語化」は概念を明確化することであって、どんどんとそぎ落とされてシャープになっていく。
対して「画像化」は曖昧なままでもその場の雰囲気や印象を残すことができる。「言語化」していく段階でそぎ落とされた曖昧さや雰囲気といったものを残すのには画像化=グラフィックが役に立つ。
重要なのは、この2つをうまく使い分けることではない。どっちでもいい。どっちもあり。でもどっちも必要。どの場面で「言語化」するか「画像化」するかを決めるのは自分で、ルールや法則にあてはめないで自分自身でその考えることが大事。


そう。この自分で決めるってことが大事だと思うのですよ。
ルールも正解もないし、正しい記録とは言えないかもしれないけど、自分が一番印象に残ったことを描けばいい、って伝えていたのはそこなんだ!と腑に落ちた。
判断基準は自分自身。もっと言えば自分の感性。自分の感性を通して記録していくことが手描きではできる、ライブでもできる。そう、グラレコがもっとも得意とすることが、そこなんだと思う。


だから、自分が何に一番心を動かされたか、ってことを意識しながら聞いて描くのがいちばん大事だと思うのです。プレゼンにおける「たったひとつの言いたいこと」と一緒だね。


何を取捨選択して描いたらよいのか迷う、って質問に長岡先生はこうも仰っていた。
「そこに描かれていること(あなたが描いたこと)が正解」
つまり、描かなきゃいけないことがある、と思ってしまうことは、すなわち正解や正しい書き方があると思ってしまうってこと。自分の感情が動かされて描いたことが何よりも大事にしたいこと=正解なんじゃないのか?ってこと。


テクニック的なことやコツをお伝えしようと思えばそれはできます。けど、それじゃあ、わたしがやる意味がないし、アナログに手書きでその人のフィルターを通して描く意味がない。
自分が何に心を動かされたか、感動したか、印象に残ったか・・・それを描きたいし、描いてほしい。
今朝の秋風先生も言ってたもん。「オリジナリティとリアリティ。」グラレコも一緒だ。


勝手にもやもやしてたことを、勝手にクリアーにして帰ってきました。
毎年毎年、楽しく豊かな時間をご一緒できて、長岡先生には感謝してもしきれません。
長岡先生、ゼミ生の皆さん、チューターのくりちゃん、本当にありがとうございました!


気づけばお会いしてから10年になるのですねー。ひやー、時の流れは早い、早すぎる。


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