わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

シンプルなことが難しくなる

2010-12-31 02:52:43 | キッカワコウジ
今年のライブ納め。行ってきた KIKKAWA KOJI LIVE2010 WINTER GROOVE @代々木第二


今年最後のライブにふさわしく、最高にかっこよく楽しいライブでした。
レポにはならんね、いつものことだけど。


昨日は、オープニングのあの曲が「うぅ、歌えるけどなんだっけこれ?」と悶々と思い出していて出遅れたんだけど、今日はすっきり!すっごい集中力で2時間ちょっと駆け抜けました。そうそう、この感覚、25周年ツアーのときみたい。始まっちゃうと何がなんだかわかんないけど、一緒に歌って踊ってひたすら手を振り続けて、気づけば終了~、みたいな(笑)


今日は席がミラクルだった。スタンド席だったのでステージからの距離はあるけど、PA席後ろど真ん中。
しかも関係者席だったらしく、前の人たちは立たないもんだから、視界良好、遮るものなし。ステージとほぼ同じ高さだったので、晃司の視線の先にあたしがいる(えぇ、えぇ、自意識過剰ですから)「晃司、あたしのこと見て唄ってる?」くらい勘違いしそうなそんな席。音も抜群にいいし。
昨日はほとんど聴こえなかった可久さんのギターもよく聴こえました。


おうちでDVDを見ているかのように全体が見渡せる。こんなに照明きれいだったんだー
晃司くんのライブは照明がホントにキレイ。今年はライブハウスばっかり行ってたからこんなに作り込んだ照明久々!
あたし的萌えポイントは
  TARZANのグリーンのバックライトに照らされるシルエット
  「ジェラシー~」のときの包み込むような白いライト 途中でそのライトが客席に向かうところは鳥肌もの
  Fame&Moneyのときの黄色いライト 晃司のシルエットがキレイだった
やっぱり、晃司くんはシルエットが美しい。特にピンク系のライトに照らされるとそのスタイルの良さが際立ちます。ギリシャ彫刻みたいにキレイ。うっとり(笑)


今日はなぜかTARZANで涙腺切れた、なぜ?なぜそこで泣く?(笑)
TARZANツアーと25周年ツアーを思い出してなんだかじんわり来ちゃったんだよね。
そして24時間テレビでも紹介された、広島の小学生が作った詩に曲をつけた「あの夏を忘れない」。これは子供たちの曲だからね、完成してないけど、2010年未完成で歌っちゃうとこうなるよってのを唄います、みたいなことを言っていた。そして、子供たちがこの曲を広めて行きたいと思っているんだって言っていた。愛おしそうに。で、やっぱり、あたしはここで涙腺決壊


今日のMCはずいぶんとまぁ端折りましたね、って感じで、おかしかったのが「どうせ調べればいろいろ出てくるんだろ?気になる人はポチっとやってくれ」とブログやTwitterに書かれることを想定してのお話。そしてTwitterとか全然わかんない、そういう関係の仕事をしたらしいけどわかんない、と。消しゴムで消した過去になっちゃったのね(笑)でも、今回の御衣装は戦場カメラマンぽかったけど(笑)


でも、いいことたくさん言ってたよ。

  
   正義と悪は一つずつしかないんだ、必ず正義が勝つんだ
   物事は意外とシンプル。
   でもそういうシンプルなことが年を取ると逆に難しくなる、
   それを仮面ライダーから教わった(やや意訳)


   これからも好き勝手やりますんで放っておいてください 
   でも15、6の頃からぶれてない
   価値観は変えてない


2011年のコトバアートカレンダーは会報のインタビュー記事から抜粋したんだけど、12個並べるとホントにこのことを体現しているな、って思った。そんなに肩肘張らんでもいいじゃん、もっと気楽にすれば、って言いたくなるくらいに一途。ホントにこの人はぶれないし、自分の価値観や信念にひたすらに正直なんだ、って。だから惹かれるんだと思った。息苦しくなっちゃうくらいに真剣。だから一つひとつのコトバに重みもあるし、説得力もある。ぐだぐだっとしたMCに聴こえるけどいちいちぐっとくる。


最後はある意味定番のJuicy Jungle。年末なんでしんみりと帰ってもらうのもなんなので、明るい曲で、と言いながら「明るい曲ないんだよなー、次のアルバムでは2曲くらい明るいの作ろうと思う。ギターを掻きならしてわけわかんねーと言われるけど、そういうのが好きなんだよ」とややキレ気味に言いつつも、やっぱりこの曲はエンドロールとしては最高。みんなで手を上げて、アナコンダ巻いて、ジャンプして。昨日今日は巨大なバルーンが客席を飛んだ。GODのライブみたいだ~!とそれだけでまたじんわり 


昨日はなかなか鳴りやまない拍手に業を煮やして、「新しいメンバーだから出来る曲がないんだよ」って言いながら、The Gundogs。やっとギター持ったー!そして、可久さんに「あなた新入りだからギターソロ弾きなさい」と無茶ぶり(笑)
可久さんのギターソロ、専門的なことはよくわかんないけど、きゅい~んと泣くような音がキモチよかった。
そして、やっぱり今日もラストはThe Gundogs。


楽しかった~、かっこよかった~、そして汗かいた!真冬とは思えんほどに汗かいた!


2010年の初ライブは金沢でした。そして〆も晃司。最高で最強な一年を予感させるスタートだったんだ。
今年はあんまりライブ行ってないなーと数えたら、それでも19本+おともだちのライブが7本。結構行ってるね。
19本のうち、晃司が11本。25周年ツアーが6本、夏のAX3DAYS、そして今回の代々木2DAYS。1本1本が思い出深い。
金沢ではブログを通じて知り合って、病気やつらいときにいつも励ましてくれるかめちゃんと一緒に参戦、直前まで論文と原稿書いてた名古屋、行けるけど行かないつもりだった福岡、38度の熱と論文の審査会が重なって最悪なコンディションだったZEPP2DAYS。18歳の晃司をバックに44歳の晃司が歌う姿に涙腺決壊した武道館、平日3日間後ろ指さされながらも定時ダッシュで駆けつけた夏のAX3DAYS、晃司とあたしのお誕生日も一緒に迎えることが出来ました。そう、FC限定ライブでは整理番号18番を引き当てほぼ中央の最前列をGET。それだけでもすごいのに、ハイタッチのプレゼントまで。そして、昨日、今日の代々木。
晃司のことを好きでよかったと思った一年でした。最高で最強な2010年をありがとう~


次のツアーが楽しみです!

   
おまけ。
今回のTシャツ。今朝早起きしたのはこれをお洗濯したかったから。
丈長め、ちょいシェイプされててシルエットはキレイ。でもこのデザインはこのあと部屋着ケッテイだね











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会社が楽しいから がんばって治す

2010-12-30 11:21:10 | カイシャ・シゴト
リツコさんがFacebookの企画に立ちあげてくれた「今年最後の課題!仕事と学び、2010リフレクション&2011の抱負」を書く前に自分の中で整理しておきたいことがあるので(いつものことですが・・・)、非常に個人的な内省だけど、振り返っておきたいことがあります。


あえてブログには書かないでいたけれど、今年とても思い出深い方にお会いしました。


あたしが今のカイシャに入ったときの最初の部下に重度の心臓疾患を抱える男子がいました。当時はまだその部門はそれほど障害者雇用が進んでいなくて、多くの派遣スタッフさんのなかに当社の障害を持つメンバーがぽつりぽつりといる状況。受け入れる側もおっかなびっくり・・・どんな仕事をしてもらえばいいのか、どんな指導(それこそ生活態度的なことも含めて)をすればいいのかを決めあぐねていて、外から来て何の先入観もなかったあたしにとっては「なんでそんなに遠慮してんの?」が率直な感想。


とても優秀なのに、体にハンディキャップがあるだけで、補助的な業務しかできないのはおかしいじゃん、もっと仕事ってつながりがあるし、しんどいことも多いけど楽しいこともあるよ、って伝えたい思いもあって、周りの人にはびっくりされたけど、彼らをリーダー的な存在に仕立てて、当時取り組んでいたプロジェクトの残課題の整理を行うことにした。しんどそうだったけどね、派遣スタッフさんに相談に行ったり、まとめの資料を作ったりして、それなりに楽しんでやっていたように思う。


もともととても社交的で人懐こいタイプだったので、派遣スタッフさんにもかわいがられて、部署のムードメーカーとしてがんばってやってくれていました。


今でも、あたしは「障害」に対する知識や理解が乏しくて、ときにデリカシーのない対応を取ってしまったりするんだけど、当時はもっと無知で、「障害」を取り除いた彼のスペック、キャラクターでしか見ていなかった。


『仕事が楽しい、だから、がんばる』
これって、アタリマエのことなんだけど、重度の障害を抱えていた彼にとっては、その先には「体調を崩す」という方程式があった。そして体調を崩すと、あたしたちのそれなんかとは比較にならない事態に陥る。聞けば普段から、常に息切れしている状態で、平衡感覚もあまりないとか。そんなこともわからないで、あたしはあまりにもフツウに接してしまっていた。


それまでも体調を崩して休むことは多かったけど、桜が咲く頃、ムリが祟ったのか、その時は違った。
体調が悪いと言って帰って、即入院。そのままICUへ。結局、彼が職場に戻ってくることはなかった。


彼が亡くなる前日の夕方、ほんの10数時間前にあたしは、彼に会っていた。意識も朦朧としていて、本当ならば部外者に会わせるような状態ではなかったんだろうけど、彼のお母様のはからいで会うことができた。

 みんな待ってるからね、ゆっくりでいいからね

と声を掛けたら、うなずいた気がした。



   「会社が楽しいから、頑張って治して、絶対に戻る」



ずっと、そう言っていたそうです。そのくらいカイシャが楽しかったんだって。1歳まで生きられないと生まれたときにお医者様に言われた彼が25歳まで生きて、仕事をして、楽しいって言えた人生は悔いがないと思うとお父様がおっしゃっていましたが、それでもやっぱり残された者としては、悔いが残る。80まで生きられなかったとしても、もうちょっと楽しいこと、厳しくても楽しいことをカイシャで、仕事で、経験してもらえたんじゃないかな、って。


「会社が楽しいから、頑張って治して、絶対に戻る」
このコトバは今でもあたしを捉えて離さない。
彼が楽しいと思ったカイシャ・・・今のカイシャはそうだろうか?あたしはそんな楽しいカイシャを作れているだろうか?
今、彼が生きていたら、今のカイシャを楽しいと思ってくれるだろうか?


そして、障害を持ちながら働くという過酷さ。普段は全く意識しないし、させない働き方をするのが当社の方針でもある。けど、この現実はある。明日の命が分からない人もいる、ということ。
ラーニングイノベーション論の最終課題でも書いたけど、あたしはまだここを乗り越えられていない。やっぱりびびっている。軽々しく「将来を考えなさい」とか「彼の将来を考えたら、○○を経験させて・・・」みたいなことが言えない。いや、言えるだけの覚悟を持てていない。


今年の春、機会に恵まれて、彼が眠る富山に行くことができた。
亡くなって5年、その間、思い出すことはあっても、なかなか行動に移せないでいた。これも縁かもしれない、このタイミングを逃したらまたずるずるとしてしまう、と思いきってお母様に連絡したら、とても喜んでくださった。


彼の妹さんがデザインしたという墓石に手を合わせ、ご両親と妹さんと思い出話をした。ちょうど20周年誌を作った頃だったのでそれをお渡ししたら、知っている名前がたくさんある、と懐かしんでおられた。
小さいときから病弱なお兄さんをそばで見ていた妹さんは、お医者様になるとの宣言通り、今年6年生で、いよいよ国家試験を受けるそうです。なんと去年生まれた男の子のママでもあり、パートナーは高校時代の同級生で一足早く大阪でお医者様になっているとか。
5年間、いろいろな変化があったけど、でも、やっぱり彼はまだまだそこに生きていました。


  カイシャではどんな様子でしたか? 
  お昼ごはんには何を食べていましたか? 
  スーツ着て通ってたんですか?


そんなたわいもない会話が家族にはかけがえがないんだな、って。そしてそれこそが生きてきた証なんだな、って。


  いつもカイシャが楽しいって言ってた、
  障害に関係なくちゃんと働いて、一人で生活できる分のお給料がいただけて、
  いい会社に入れて本当によかったって思ってます。
  短かったけどいい人生だったと思います。


そうご両親が言ってくださった。お兄ちゃんが住んでた東京は私たちにとっても故郷みたいなものなんですよ、とも。


会いに行って本当によかった。
ご両親と妹さんとお話ししたことで、何かの確信が得られたわけじゃないし、今でもやっぱりまだまだ怖いし、乗り越えられてない。けど、彼が楽しいと思ってくれたカイシャを作れているんだろうか? 今、彼がいたら、楽しいと思ってくれるんだろうか?っていうのはあたしにとっては最上級のDriving Questionで、この答えを探す、実現するためにまだカイシャにとどまっているような気がする。




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こっちが本業ですから

2010-12-30 08:28:49 | キッカワコウジ
行ってきた KIKKAWA KOJI LIVE2010 WINTER GROOVE @代々木第二

  


25周年ツアーが終わって、今年は夏と冬に「GROOVE」と銘打ったライブ。
基本的には全部参加、なんだけど、今回は「やっと会える」的なわくわく高揚感もなく、淡々とその日を迎えた感あり。


ということで、レポっていうより、(ま、いつものことですが)あたし的目線での感想をつらつらと。


楽しかった!かっこよかった!


この一言に尽きる。始まっちゃうと、ホント、何がなんだかわかんないけどとにかく楽しい。
でも、このキモチを味わいたくてライブ行ってる感じもあるなー。細かいことなんかどーでもよくて、ただただ一緒になって飛び跳ねて踊って声出して、ってのが楽しいんだよね。
セトリがどうこう、とか、音がどうこう、とか、MCでこんなこと喋ってたとか、もうどーでもいい感じ…ステージの上に晃司くんがいて、歌って動いていてくれれば、そして一緒にそれを体感できるだけで。


MCもほとんどなくノンストップ。
曲と曲のつなぎも「おいおい、それはちょっと強引じゃないの?」ってアレンジもあって楽器チェンジがタイヘンそうだったけど。この疾走感がイイ。


セトリは深夜に大思い出し大会を行った結果、ほぼほぼ判明しましたが、そうだったのか!もたくさんあり。ファン歴長くても途中中抜けあったり、ライブ行き始めたのはここ6~7年だったりするので、ライブで初めて聴いた!って曲もたくさんありました。
いきなりオープニングの曲が思い出せなくて悶絶しておりましたが。一緒に歌えるのにね、なんでタイトル出てこないんだろうね?
アイドル時代のあの曲も、今の晃司くんの声で聴くとまったく別のものに聴こえる。カッコよすぎる COMPLEXも今の晃司くんの声だとまた別の味わい。これまたカッコよすぎる


伊藤可久さん、普段何やってる人なんだろーね?とまったく予備知識も何もなく・・・でもめっちゃかっこよかった。急に振られたギターソロも弾きこなしちゃう、やっぱプロは違うね~。「ふぇちくんとは違うな~」とRyoichiさんが言ってたのが笑えたけど、そりゃそーだ、プロだもん(笑)
それにしても小池さんのコーラスは見事、小池さんがいなかったらきっと2割くらい感動も減っていたような気がする。そのくらいステキ


夏ごろアフリカ行った件の件、どうやらお蔵入りっぽいけど、
 
  誰も責められない、
  みんなよくやってくれた、
  自分にとってはものすごいいい経験になった

というようなことを言っていた。そりゃー、あたしたちも観たいけど、何度も「スタッフを責めるようなことは辞めてくれて」的なことを言っていて、現地での経験だけではなくって関わった人たちとの交流含めて、ホントにいい経験だったんだろうな、って思う。コトバに出しちゃったり、映像にしたりすると軽くなっちゃうから、もう言わんでいいよ、晃司くんの中に溜めておいてくれれば、なんて思ってしまうほどに。


いろいろやってますけど、こっちが本業ですから、と。
アルバム作るからな、秋くらいからツアーに出るから、とのこと。さて、貯蓄に励もう!


ここからは非常に個人的なことですが・・・。
今年はとにかくいろんなことがあって、もちろんそれは全部自分で選択して、自分で決めてきたことだから、過程も結果も自分でオトシマエがつけられる。けど、やっぱりアタマとキモチとカラダが追いつかない、バランス取れない時期とかもあって、今までみたいに晃司にはまる、ってことがなかった。ichiroさん然り。エンタメ方面の情報収集が全然できんかったもん。
もちろん、ライブがあれば行くし、行けばめちゃくちゃ楽しいし、元気にもなる。でも、それを励みにがんばろ、って感じでもなく、あ、もうライブなのね、くらいの感覚。
当然、普段の晃司の楽曲を聴く、ということもしておりませんでした。武道館のDVDも通して1回観ただけだし
夏のライブからこっち全然、晃司の楽曲聴いてないじゃん、と思って、25周年ツアーのセトリを聴きながらお出かけしたんだけど、Purple Painで既に涙腺切れた。脆すぎ。25周年ツアーはツアー自体も思い出深いけど、そのときの自分の状況とか、出会った人とかいろんなことを思い出したらなんかじんわりきちゃって、うるっときた。ヤバい、この調子だと、今日泣くかも。El Doradoなんか聴いちゃたら、その瞬間号泣かも、くらい思ってました。
でも、泣かなかった。
なんでだろ?そこはよくわかんないけど。もちろんライブが楽しいってのが一番大きい。
今年いちねんいろんなことを経験して、つらいことも悲しいこともたくさんあったけど、なんとか乗り越えられてるからなのかな?


やっぱり、ライブに行くと、晃司が歌うと、晃司がステージにいると元気になれる。ありがとう。今年もたくさんのステージを観せてくれて。


今日もまた会える。元気がもらえる、シアワセです

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妄想迷子  墨大「迷子学入門Ⅱ」に行ってきた

2010-12-12 08:50:44 | オトナの学び
墨大の授業「迷子学入門Ⅱ」に行ってきた、もとい、受講してきました。
迷子学って何?って言うと、ですね、まぁ、墨東の街を迷子になりながら歩きましょ、歩く過程で見つかるものがあるかもね、っていうこと。すごい乱暴な要約(笑) 詳細はシラバスみてくださいm(__)m


前回の迷子学、まち見世散歩、どっちも出たかったんだけど、出れなくって、残念ーっ、でも寒そーってつぶやいたら、木村さんから「ヒートテックがあればだいじょうぶ」ってお返事いただいていたので、先週、ユ●クロでヒートテック購入して防寒対策ばっちりで参加。お天気もよかったし、気温も高めで、迷子日和。


15:00にキラキラ橘商店街のはじっこにある田丸稲荷神社に集合です。
昨日は、木村さん(墨大における教授)、名誉教授・スーパー職員のなかじ、そして、あたし。贅沢な授業。
生徒が少ないので、教授も職員も昨日は迷いました。


どんなふうに迷うかって言ったら・・・
京島地区の白地図、それも縮尺もないし、目印もないめちゃくちゃあっさりした地図と2つのさいころを渡されます。

 

田丸稲荷神社をスタート地点にして、3つ目の角に来たら、方角が書かれた(←、→、↑、FREE=どこに進んでもいい、3 minites=3分その場でたたずむ・・・)さいころを振って自分の行く方角を決めます。でまた3つ目の角にきたら、同じようにさいころをふります。これを繰り返します。そう、自分の意思とは関係なく、行先はさいころが決めます。


そして、もういっこ、数字のさいころは何をするかというと、これが今日の迷子のポイント。ミッションさいころです。
ミッションは先生と生徒でその場で考えます。

  ①その場所に名前をつける
  ②何か拾ってくる
  ③その場所の痕跡から何かストーリーを妄想する
  ④誰かに話しかける
  ⑤その場所でいちばん古そうなものの写真を撮る
  ⑥上の1~5のうち、好きなことをする

このミッションさいころは6つ目の角にきたら振ります。


ってなルールをざっくり決めて、1時間後に再集合!と地図とさいころを持ってスタート。


楽しかった!
縮尺がわかんなくて、自分ではまだ全然進んでないと思って歩いてたら、いつの間にやら明治通まで来ていて意外と歩いていたり、うう、あの路地おもしろそう!行ってみたいって思っても、さいころがそっちを示してくれないといけなかったり、進みたいのに「3分たたずめ」って出ちゃったり。この、どーでもいいゆるさなのに、どーにもならない制約がおもしろい。


1時間たって、ふたたび田丸稲荷神社に集合して、墨大京島校舎でリフレクションです。
大きな白地図に自分が歩いた軌跡を書きこんで、そこで行ったミッションを書きこみます。こんな感じね

 


そのあと、それぞれ、自分が迷子になった道≒歩いた道を発表。これ、楽しい。


あたしは、結構、まんべんなく歩けたかも。キラキラ橘商店街の一本、二本曳舟寄りの路地をぐんぐん進んで、明治通りにぶつかりそうになる手前の路地をぐるぐる歩いて戻ってきた。


路地裏で、スカイツリーがキレイに見える場所で①のミッション引き当てたり
 
題して「目線は45度上ポイント」とか、


開発が進む路地でミッション⑤を引き当てて、やむなくいちばん古そうな住居表示版を撮影したり
 
家は建て替えられてるのに、住居表示版は引き継ぐんだね、っていうのは新発見。


明治通りにほど近い路地では、名字が2つある、でも名前はいっこ、という奇妙な表札見つけて
ミッション③の妄想爆発。
 ヤマダタロウが本名で、タナカタロウは芸名。タナカタロウは浅草公会堂で、なんちゃって美輪さんとして結構人気がある女装の役者とかとか。こういうの得意。ずっと考えていられる(笑)


ほかにもブルーのストライプのひさしがいかした古い民家の前でまたまたミッション③を引き当てたので妄想爆発。
カズコという洋裁学校を出たお嬢さんが働く洋装店で、そこに出入りしている生地問屋の二代目マサオのラブストーリー(笑)


なかじは、キラキラ橘商店街の裏手の路地にはまり込んでしまって、全然抜け出せない。迷子っていうよりも、パズルを解くみたいな感じかな?でもひとつところにいるからこその発見とストーリーがあって面白かった。
落ちてたBB弾や、一本不足しているポールから「開発推進派VS開発反対派」の仁義なき戦いを妄想するあたりはさすが。


木村教授は、ついに明治通りを越えて、八広まで行かれたそうです。そしてさすがな木村さんは、さいころの目が「1」と「6」ばかり。この引きのよさはきっと何かあるに違いない(笑)


もちろん、墨東のまちの再発見っていうのもあるし、ただフツウに歩いていてもいろんなものが発見できる街ではある。


ジンザイイクセイっていうか、オトナの学び的にむりやり意味付けするならば、最後に木村さんが「あぁ、あの道おもしろそう、って思っても行けない、そういう制約がある」「最近は迷うことを許容されなくなってきている」とおっしゃっていたけど、うん、なんとなくわかる。
日常生活では最短距離でしか歩かないじゃん。出発地点と目的地をいかに効率的に移動するかってことが求められてて、回り道するなんてフツウは考えない。ましてや迷子なんてありえんし。リアルに迷子になったら今やケータイで位置確認できちゃう時代だしね。それをあえて迷う、っていうのがイイ。フツウに生活してたら見えない、見ない風景を見る。
あー、この前、長岡先生が言っていた「事象」⇔「概念」の話に似てるなー。見えた風景≒事象に意味があるというよりも、見えた風景から何を感じるか?っつか感じられるココロの余裕ありますか?と問いかけられたような気がした。



墨東、京島という狭いエリアの中、しかも自分の足で歩ける範囲、その中で自分の意思とは関係なく進んでいかなきゃならない。
でもポイントポイントのミッションは、与えられたものかもしれないけれど、自分で自由にデザインできる。
人生も一緒かも。おおげさかもしれないけど。


京島っていうあるエリアの中限定の迷子っていうのは、自分の領域っていうか、身の丈ってのはある程度あるってことにもつながるし、
ときには制約やしがらみがあるから自由にはできなくて(家を継がなきゃいけないとか、学校やカイシャに通うことだってルールで縛られているわけだし)、
でも、そんな中で与えられた課題(迷子学ではミッション)は自分なりに楽しめる。名前をつけるのも自由、誰に話しかけるのも、どんな話をするのかも自由。制約もあるし、キャップははめられているけれど、紛れもなくそこは自分自身の気の持ちよう、アタマの使いようでどーにでもなる。楽しいことにもなるし、苦行にもなる。
キャリアの節目はしっかりデザインしなさいよ、それ以外の間は流れてもいいからさ、という金井先生のお話(これまた乱暴な要約だ)とか、そのときに起きた偶発的なできごとがキャリアの節目になったりするよというPlannedhappen Stanceにも似てるかなー。言うまでもなく、さいころを振る6つ目の角が「節目」。


純粋におもしろかったし、普段気にしないものを気にして見るってことだけでも迷子になってみてよかった、って思うから、迷子学をジンザイイクセイやカイシャの仕事のリソースに直結させようとは思わない。けど、ここでの気づきって言うのは、なんらかインストールできそうな気がするし、少なくともあたし自身はいろいろ気づけた。


楽しかったです、迷子。
また迷いましょー(^O^)/



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おっさん まだまだやれるぞ

2010-12-10 00:50:24 | キッカワコウジ
うっかりしてたら12月。
そう、来週からライダー公開じゃん。昨日は完成披露試写会があったとか。おやっさん、黒の3ピースにお帽子がかっこいい


大黒摩季さんとのユニット「大吉」(って名前もどうかと思うけどねー)も予約してないし、
おやっさん=鳴海荘吉の公式フォトブックも予約してないし、
そもそもロードショーでちゃんと観れるんか?ってくらいキモチ離れてました
とーぜん、広島でやってた松田優作の朗読劇のことなんか忘却の彼方。
日常の方がよっぽどドラマチックでろまんちっくだったりするんだもん。


深夜の密林でぽちぽちとやってたのが昨日。お務め完了です。


で、本日。
家に帰ったら、宅配ボックスが光ってる。まさかもう届くわけもないし、と思ったら、年末ライブのチケットでした。


もう席決まってるんだけどね、封を開けるときは合掌して、正座(笑)


どきどきどきどきどきどき・・・


おおおぉぉおぉぉおおおーーー!図柄コンプリートだ!!!




左の真ん中の顎のライン。右下の上腕二等筋。この2枚がイイ。


さすがに夏のミラクルの再現はなりませんでしたが、まぁ、そんなもんでしょ、というお席。アリーナだし、よしとしましょう、大満足です


楽しみ楽しみ 最強の2010年の締めくくりが晃司ライブ。やっぱり最強だ。


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「墨東とわたし」 自画持参0.9回に行ってきた!

2010-12-04 08:53:05 | オトナの学び
自画持参ワークショップ0.9回に行ってきました。墨大の授業でもある。
なんで、0.9回かって言ったら、長岡先生が参加できなかったから、2人揃わないところで記念すべき第1回をやっちゃうのはないよね、という加藤先生のはからいだそう。


自画持参についてはこんなやり方をします。

  1)名前を書いた紙をガチャ玉に入れます (A)
  2)その日のテーマに即した「聞きたい話」のお題を考えて紙に書き、ガチャ玉に入れます (B)
     ここまでは参加者全員がやります。
  3)(B)のお題のガチャ玉をひとつ引きます
  4)自分が話者になったら何を喋るかを2分間考えます
  5)(A)の名前の書いたガチャ玉をひとつ引きます 話者決定です。 3分間話します。
  6)ゆるゆるダイアローグ

以上。


今回は、リアルに本物のがちゃがちゃを使っての自画持参。
 

この仕組みのおもしろさはいくつかあって
・予定調和的に、登壇者があらかじめ決まったテーマで話さない、話せない。
・話し手と聞き手がいとも簡単に入れ替わることの緊張感(個人的にはそこから生まれる助け合い精神的なものが興味深い)
・3分間で話を組み立てる、オチまで考える そしてそのテーマは直前にしか知らされないし、自分が書いたものかもしれない 
・とにかく喋らなければならないので、ありえない、そー来たか!的な話が聴ける(こともある)ここから創発的なものが生まれる?
などなど。


0.9回は墨大の授業も兼ねていたので、参加者は加藤先生、岡部先生、まち見世事務局、もとい墨大職員のなかじ、加藤ゼミの学生さんたちにあたし、ともうひと方社会人のかわべさん。
加藤ゼミが主流派でそこはリアルで知っていて、既に親和しているから「はじめまして」的な緊張感はあんまりない。


今回のテーマは「墨東とわたし」。4回のガチャトークでガチャ玉から出てきたのは以下。
 ・懐かしさ
 ・好きな店
 ・はじめてスカイツリーを見た日
 ・墨大をもっと知ってもらうために何をすればいいですか?

上3つは加藤ゼミの学生さんが引き当てた。結構上手に喋っていて感心したー。最近の大学教育は違うんですかね?一方的に話を聴くだけでなくアウトプットが求められるから?シューカツの威力?何にしてもあたしたちが大学生の頃ってこんなにうまく喋れただろうか?と思っちゃった。いまどきの、なんて言うのはもっと彼らと付き合ってからにしないといかんよね、と。
最後のはあたしが引いた。今回は伝説の木村さんがいなかったからなぁ、確率が高まりました(笑)


印象的だったこといくつか。


2分を過ぎると、いったんそこで話すことがなくなる。これは2分間で考えて3分で喋る、という設計上、致し方ないのかな?でも2分間、一字一句考えているわけではなくてプロットを組み立てるんだから、2分の思考で3分のトークって言うのは理屈上では可能なはず、でも、なぜか2分で「え?まだあと1分あるの?」となる。この時間感覚の不思議さ。
実際に話し手になってみてもそうだった。こう見えても(どう見えて?)社会人だと限られた時間でプレゼンするって機会はあるから、それなりに時間に収めるってことはできる。たかをくくってたけど、やっぱり残り1分ってところで「うっ」と詰まった。


だからと言って、残り1分のトークが「ほんとに言いたかったこと」なわけでもなさそう。
残り1分のアタマが真っ白になって、でもとにかく喋らなきゃならないっていう切羽詰まった状況に追い込まれている状況で、アタマに浮かんだことが本音なんだよ、はオチとして美しいけど、今回はそんな感じはしなかったなー、つけ足して無理やり話しを引っ張ったって感じがした。実際のところはどうなんだろ?


0.5回のときは、オトナばかりだったからか、はたまた必要以上に「脱・予定調和」を意識していたからか、どんなテーマが出てくるのか、誰が喋るのかっていうのにびくびくドキドキしていた。でも今回は全然ない。学生さんたちは緊張してたんかな?でも引いちゃったらその時はその時、なんとかなるっしょ、っていういい意味でのゆるさ、があったように思った。
0.5回のときは「まったく喋れなかったどうする?初の立ち往生?」というビビりがあったけど、今回は全然ない。
それは、参加者がある程度親和していて、ここでは失敗してもだいじょうぶ、笑って許されるっていう前提があったからかな?あたしにとっても、学生さんたちとは「はじめまして」だけど加藤先生や岡部先生、なかじ、と知ってる人がいるから安心感はあった。かわべさんが引いてたたらまた何か違ったのかもしれないけどね。


あと、0.5回の時はお題をひねり過ぎ、ってのもあったのかも。ええええええええー?これで喋れと???というようなお題。ギャル文化、パギャル文化とかね。だから余計にドキドキした。それは誰が引いても「何を喋ったらいいんだー?」というおろおろっぷりが伝わってきちゃうから、聞き手はめっちゃ傾聴する。だいじょうぶ?見守ってるよ、何話してもいいよ、的な助け合い。
で、この傾聴があるから話し手は平常心を取り戻して3分間喋れる。(そういや、0.5回のときには「あと1分?話すことないよー」は感じなかったな。)
でも、今回はあんまり「傾聴」感は感じなかった。オトナ特有のものなんかな? 加藤先生や岡部先生、途中参加の大橋さんからは傾聴をばんばん感じて、それで安心できた、っていうのもあったかなぁ。


で、この自画持参ワークショップ。
いろんな目的に使えるなーと思っていて

  1)話すテーマの面白さ/多様さ
    →何が出てくるかわからない、誰が話すかわからない、
     そして切羽詰まった状況なので、思いがけない話ができる
     ある意味、イノベーティブな創造が生まれる?

  2)プレゼンテーションとしての面白さ
    →準備はたったの2分。それだけでオチまで考えて3分間のトークをする。
     話力、構成力がつくよね

  3)リアルな場での会話
    →その場所で会って話すことの意味がある
     多分、今回は「墨東」で「墨東」のことを語ることに意味があったように思った


どれもあり、なんだろうけど、この手法を意図的に取り入れるならば、どこかに軸足を持った方がいいな、とは思った。


ちなみに、今回のあたしは明らかに2)だった。ホントにそれが販促効果があるのかと考えたわけではなくって(もちろん2分間の間にはそれなりに考えたけど)3分間でどう話をまとめるか、どうオチを作るかに重きを置いていた。まさに3分間のエンタメショー。旨く行ったかどうかで行けば3分ちょうどで収まったし、Aの話をしてたらもうネタ切れになっちゃったので、Bの話をしまーす的にはならず、終始Aの話が出来たので、3分のトークを完成させる、と言う点では旨く行ったんだと思う。


なんとなく、なんですけどね、ワークショップ的には1)の方が、らしい。
思いがけない話が出てきて、そこから何を学ぶか、何を掴むかってことがうまくコーディネートできたらおもしろいだろうなぁ。


来週、自画持参形式を取り入れたワークショップをやるんだけど、そこでの目的は1)に置いている。


研修の一環でやるので、絶対に伝えなきゃならないこと、持ち帰ってもらいたい、いわば予定調和なものがあるから、話してもらうテーマはみんなには決めてもらわずあらかじめセレクトしておく、けど、話すのは誰かわからない。そして話すテーマはジンザイイクセイに関するもので、はっきり言っちゃうと答えはない。やる気のないメンバーをどうすればいいと思いますか?的な話題
だから。
答えのない問題を考えるには教わっちゃダメで、自分で考える。だから研修、ワークショップのコーディネーター、ファシリテーターである三日月さんがなんらかヒントをくれる、最後にはまとめてくれる、ではなくって、『わたし』がみんなに教える、という主客逆転、というか、誰もが教える存在になるのだ、ってことを狙っている。そう、自分ごととして考えるためのツールとして使おうと思っている。


そして3)っていうのも重要な気がする。
その場だから話す意味っていうのもあるような気がする。それは単に土地や地域だけの問題ではなくって、集まった人がそこで、リアルな場で話すことの意味。まだうまく考えがまとまっていないんだけど、0.9回は『墨東』で『墨東』を語れて、道行くおぢちゃんたちの奇異な視線も含めて、『墨東』っていうリアルな場でのガチャトークだったからおもしろかったような気がする。


0.5回とは違う気づきあり。いよいよ1.0回のときにはどうなるんだろ?
そして、来週の社内ワークショップ、楽しみ!

 
  



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