わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

対話するひめくりカレンダー31日目

2019-03-31 06:45:58 | ひめくりカレンダー



31日間チャレンジ。無事になんとか完走できましたー。
毎日毎日、ブログを更新し続けているナカハラ先生、まじすごい。


つい先日のブログがまさにこれ。わたしのチャレンジ、知ってる?みたいな ←自意識過剰(笑)


31日間チャレンジを行うにあたって、自分で課したことが2つあります。
写真付きで掲載すること、同じアングルでは撮らないこと。
そして、その日に書くこと。


「その日に書く」のは、意外と骨の折れることでした。朝の時間を使えばよかったのかもしれませんが、家人の出勤時間が日によって変化することもあって、朝は何かと落ち着かない。寝る前に書こうと思っていたのですが、日をまたぐことも少なくない。それでは「その日に書く」が達成できない…。結果として、日中の隙間時間になんとか時間を見つけて「えいや!」と書いた31日でした。


深い内省ができた日もあれば、時間がなくてあっさりと終わってしまった日もあります。
ただ、今回は「深い」内省よりも、その日その時の気持ちや感情を優先させました。そのときの自分がこれらの言葉に対峙して、何をどう感じたか?何を思ったのか?何を想起したのか?ココロに響いたこと、アタマに浮かんだことを文字にしていきました。


2010年から2012年にかけて、1日に5つの「ありがとう」を記録する感謝日記を書いてました。日付が変わることもあったけど、ほぼ毎日。
それより前、2006年から2010年にかけては、毎日ブログを書いてました。思考の垂れ流し、みたいなどうしようもない内容で、その日の授業のことや、その日に会った人の話、仕事でイラっときた話や嬉しかったこと、買い物や美容、晃司やライブのことなど、まぁー厚顔無恥な内容www 短いときは500字、長いと3,000字くらい。


ナカハラ先生もブログに書かれていたけれど、そうやって書き続けているときは、「書く」ってことが苦痛ではない。うまいかどうか、わかりやすいかどうかは別にして、言葉はすらすらと出てくる。
でも、今、写真多用のSNS投稿に終始してしまっているので、長い文章が書けない、特に文章を書き出すことがとっても億劫になっている。


それじゃあ、いかんねぇ。
もやもやしたことをコトバにすることが学びなのに、文章が書けないんじゃまったくダメ。


今回、31日間続けてみて、文章を書くってこと、自分の思考を外化することが苦痛ではなくなってきた。そして、一つのお言葉から、あれこれ考えを巡らせることができたのがとってもよかった。(あぁ、なんてチープな表現なんだ。)真の意味を考えたり、さらっと流してしまいそうな言葉をあえて疑ってみたり、そういう思考になったことがとってもよかった。


そして、過去に書いたブログを読み返してみて、自分で自分に教わることがたくさんあったのもこのチャレンジの収穫。
青臭いし、思考も振る舞いも子どもっぽいけど(それは今でもあんまり成長してないw)、熱量や情熱、行動力には自分で自分にびっくり。昔のわたしができてたんだもん、今のわたしにできないことはないぞ、とちょっとだけやる気になってます(ちょっとだけ?(笑))。
ブログを書き続けることが目的ではないので、習慣化させるかどうかは微妙だけど、でも「思考の外化」はきちんとやっていこうと思ったよ。言葉にすることで明確化するし、何よりもログが残るっていうのはいいことだ。過去の自分にも教えてもらえるんだもの。


で、内省しすぎちゃって、あぁ、自分がやりたかったこと(やりたくないこと)はこういうことだったんだなぁ、ってことが分かって、逆にもやもやしているというねw


そして人生は続く。



あ、どーでもいいことだけど、最後の「そして人生は続く」も語尾をあれこれ変えてみる、ってチャレンジもやってみた。
日本語としておかしいのもたくさんあったけど(笑)



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対話するひめくりカレンダー30日目

2019-03-30 19:08:00 | ひめくりカレンダー


2007年TARZANツアーのグッズ「COZYくん」。晃司と同じ位置にホクロもつけてみたw




31個のお言葉の中で、これがいちばん響く。今の自分には殊更に。


場づくり…講座や授業といった学びの場をデザインして、ファシリテートして、ということをかれこれ10年くらいやっています。
最初の頃は、自分が体験した学びをおすそ分けする感じだった。こんなに楽しくて元気になれることをみんなにも体験してほしい!という思い込み、思い入れだけで突っ走ってた。なんでそこまで熱量高くやっていたのかっていうと、「楽しくて元気になったら、仕事が楽しくなって会社が好きになる、そしたら毎日が楽しいよね。」って論法だった。まったくロジックになってないけど(爆)
当時は雇用率の維持や組織活性がわたしのミッションで、「人材育成はなぜ行うのか?」に対するわたしなりの答えが「辞めないこと」だったので、学びの場づくりにどんどん傾倒していった。


そして、今。
「仕事」として、学びの場づくりを行っている。先生や講師、ワークショップデザイナーといったいわゆる同業の人ともたくさん出会う。参加者となって参加することも多い。


場づくりをこなす。


この言葉を聞いて思ったのが、誰もこなしてはいないんだろうな、ってこと。こなしているつもりは全然なくて、常に「新しいこと」を取り入れてチャレンジしている、って自負があるんだろうな、ってこと。


自戒を込めて申し上げますと(爆)、新しいコンテンツやネタを投入していると「こなしている」状態から離れて、チャレンジしている気になってしまわないだろうか?


ちょっと意地の悪い見方かもしれないけど、新しいコンテンツを次々と投入している場面に出くわすと、ちょっと、いや、かなり違和感がある。もちろん、目的やゴールに沿ってプログラムを設計して、コンテンツを決めているんだろうけど、チャレンジとは、新しいことをやることではないと思っている。
ずっと同じコンテンツ、ツールを使い続けていたとしても、こなさずにチャレンジはできる。いや、「こなさない」場とは何か?って言ったら、しっかりと参加者に見て、感じて、向き合うことだと思う。少なくともわたしはそう思っている。できているかどうかは、100%言い切れないけど、常にその心持ちで場に臨んでいる。これだけは自信を持って言い切れる。


新しいことに挑戦するってことは素晴らしいことだ。
だけど、新しさを追求するよりもまず、そこにいる参加者にどうなってほしいか、どう過ごしてほしいか?から目をそらしてはいけないと思う。どうしたって、この世の中、今の時代は、「新しいこと」「これまでとは違うこと」がよいことだとされがちだ。やっていることは同じに見えても、場は常に違う。集まってくる人たちも同じ顔触れになることはない。目の前の人に集中すること、それこそが「こなさない」場づくりなんじゃないかなーと思うのです。


年末に、「ワークショップをとらえなおす」読み語り会で加藤先生がおっしゃっていた「ファシリテータ―に必要なものって観察する力なのかもしれないね、それは場数を踏めば身に着くとは一概には言い切れないかもしれないね、1回で身に着く人もいるかもしれない」が、わたしにとってはものすごく納得感のあるファシリテーターとしての振る舞い、心持ちだったのです。


これからも、「新しいこと」よりも、目の前の人に集中すること、その場を楽しみ味わうことをやっていきたい。それこそが、わたしにとっての場づくりの挑戦なのだから。
そして人生は続くぞ。
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対話するひめくりカレンダー29日目

2019-03-29 21:40:55 | ひめくりカレンダー



どっちやねん問題(笑)


26日は「アウェイはない」って言ってた。


Facebook上でたまみさんがツッコミいれたら


  俺にアウェーはない=すべてアウェーだ
  アウェイ人生、まっしぐら=すべてアウェーだ
  なんです(笑)。
  いや、ほんと。
  こじつけじゃないよ。



とご本人談。哲学的すぎるwww


っていうか、アウェーなのか、アウェイなのか、どっちやねん(笑)


どこに行ってもアウェイ感を感じるけど、一方で、どこに行ってもそれなりに楽しめる。それは、知らないことを知るのは楽しいって思ってること、仮にざわつく場や荒れる場に出くわしたとしても、それはそれで、「そういうこともあるのね」と捉えておもしろがれること、そして、いろんな場に出かけて行って場慣れしてきていること、があるのかも。とはいっても、自然体でおもしろがってるわけではなくて、「楽しもう」「何が起きてもおもしろがろう」とスイッチを入れてるキライもあります。


過去のブログを読み返していたら、ラーニングイノベーション論を受講していた頃に同期のホンマさん(今やちょー有名人になった凄い人。)から、とっても嬉しいメールをもらったって記述があった。


  気遣い感じてました。
  空気を読んで、健全に流していくそういう雰囲気をつくっていってくれる人だなあと思ってました。
  100人に1人くらいのセンスだなあって。
  ひめさんがいるとやりやすかった。これホントです。ありがとう。


このときにも、こんなに褒められるような人間じゃないけど、ホンマさんにこんなふうに認めてもらえて、嬉しいし、それに恥じないようになりたい、って書いていた。
今でも、全然できてないけど、もしもこんなふうに思ってくれる人がいて、少しでもアウェイ感を薄めることができていたらいいなぁ、と思う。
雑談とかおしゃべりは苦手で、ひとこともしゃべらなくても苦痛ではないけど、初めての場で初めて会う人とでもそれなりに対話は楽しめる。それは越境したからできるようになったことなのかもしれない。雄弁に語らなくても、対話を楽しめるんだよ、ってことを伝えていきたいなぁ。それが越境先でたくさんのものをいただいてきたわたしの恩返しみたいなものかも。


そして人生は続いていくことになるのです。



どーでもいいんですけどね、2010年の7月の日記にこんな記述があった。
徳光さんの番組にゲストで出たキッカワさんの話。
***
徳光さんに「そんなんだから結婚できないんだよ」と突っ込まれ、「あ、やっぱり」(笑) でも「(結婚して)守るものが出来た自分を見てみたい」んだそうだ。っていうか、そんな理由で結婚されてもなぁ、ぢょしは喜ばんだろうに。だからあんた結婚できんのだよ、と軽く突っ込んでみた。ってあたしに言われたくはないだろうけど(笑) 電撃結婚を期待しております、キッカワさん。
***
っていうか、既にこのとき子どもいたんじゃん。そして1年後に結婚報告ってねぇ。どの口が言うんじゃ?(笑)


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対話するひめくりカレンダー28日目

2019-03-28 20:55:06 | ひめくりカレンダー



またきた!「暴れる」。
暴れん坊っぽいイメージのあるキッカワさん。仮面ライダースカルはかっこよかったよねぇ。





1か月間毎日お言葉リフレクションブログをアップするチャレンジ、今日を入れてあと4日。ふぅ。もう少しでゴールが見えてきた。
リフレクションっていうか、お言葉から想起されたことをつらつらと書いているだけだけど、それでもいろんなことを考えたり、過去を振り返ったりして、めっちゃ内省してる気がする。
そして、過去に自分が書いたブログを読み返して、励まされたり凹んだり泣いたり。ログを取っておくっていいな、と思った。青臭くてこっぱずかしい内容が多いんだけど(っていうかほぼそんな感じ)、そんなこと考えてたんだ、結構いろいろがんばってたし、行動してたねーと自分で自分に感心している。仕事や会社が好きだったんだなぁっていうのも、あらためて確認できた。


「暴れる」ねぇ。
最近のわたしはまったく暴れていない。ここで言う「暴れる」とは、既成概念とか、予定調和とかそういう旧態依然としたやり方を疑ってみて、自分で考えて自分で行動する、と定義します。
基本的には、常にそういう心持ちで行動しているし、仕事もしているんだけど、なんていうかね、熱量がない。怒ったり、嘆いたり、っていう感情が欠落してる気がする。理不尽なこと、うまくいかないこと、抵抗勢力に邪魔されること、そんなネガティブな感情を揺り動かす事態になっても、怒ったり嘆いたり感情を揺らすことが少なくなった。年を取って、いろんな経験をしてきて飲み込めるようになったからかもしれないけど、これまでのわたしだったら、「それってどうなのよ?」と額に青筋が2本くらい立っちゃうようなことも、「腹は立つけど、今ここでコトを荒立ててもねぇ。」と飲み込むことが多い。結果、その場はとっても友好的に穏やかに収束する。けど、それでいいのかなー、って気持ちもふつふつと。


この地は、スタートアップが盛んで、地場の大企業はあるけれども、基本は中小企業がメイン。大企業が素晴らしいと言いたいわけじゃないけど、でも大きな組織の論理というか、仕事の進め方っていうのはある。承認に次ぐ承認でことが決まっていく。面倒なルールもたくさんある。すぐには決まらない。それをスピード感がない、と切り捨てるのは簡単だけど、そうやって組織の論理を知っていくこと、ステークホルダーの存在を知って、それらをかわしたり、味方につけたりしながらことを進めていくおもしろさっていうのもあると思うんだよねー。
そんなめんどくさくて、一筋縄にいかない組織の中で、暴れたい。暴れるっていうか魚のようにゆらゆら泳ぎながら渡っていきたい。そういう仕事の仕方が好きなんだな。


なんかね、この地に来てから、行く先々でアントレプレナー的働きがよろし、独立万歳!と言われているような気がしていて、それにはなんだか違和感。いわゆるサラリーマン、会社員的な仕事の仕方をしていないこともあって、今どきパラレルキャリアの具現者的なことを言われてしまうことも少なくないんだけど、それにも違和感。
そういえば、以前、学びの場でご一緒した行政にお勤めの方が「独立することを奨励されていて、組織の中で粛々と仕事をしていくのは悪だ、と言われているような気がしてもやもやする」と仰っていたけど、この感覚、めっちゃわかるー。そう、昨今は独立すること、起業すること、組織から離れることをよろし、とする風潮がちょっと強すぎるような気がする。もちろん、独立したほうが影響力が発揮できる範囲が広がることもあるでしょう。でもね、大企業の場合、組織の中で変化を起こしていった方が影響力が大きいことだってあると思うんだよね。社員数数万人の会社が変わったら、それはインパクトが大きいもの。
独立するのも、組織の中でがんばるのも、どっちも尊い。尊いはずなのに、わたしたちは、違うこと、新しいことをやる方が「よい」こと、と思いがち。でも、ずっと続けて行くこともまた尊い。もっともっと、陽の目を見てもいいと思うんだよねー。

「暴れる」からずいぶんと離れてしまったけれど、わたしにとっての「暴れる」は、「ほんとにそう?」と問い直すことから始まっているのかも。誰かに対して、社会に対して、外に対して「暴れる」のではなくて、自分の凝り固まった考えや価値観に対して「暴れる」ことを忘れないでいたい。

そして、最近とみに思うのです。


組織の歯車になりたーーーーい(笑)


と、まじめに言ったら、まじめに「人間を歯車に例えるなんて失礼です!!!」と激怒された方がいた。ぬぬぬ?歯車がなかったら動かないんだもん。歯車で十分だし、歯車であることに誇りを持ちたい。


そして人生は続くんですよね。
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対話するひめくりカレンダー27日目

2019-03-27 23:53:19 | ひめくりカレンダー



今日は、イベントを中心にお手伝いしているシェアオフィスのお花見。天神中央公園の区画を借りて、カップ寿司(お手製よー)と桜餅でお花見。
桜は三分咲きって感じだけど、天気が良くって気持ちよかった。もれなく花粉もたっぷり浴びて、今、くしゃみと鼻水に苦しんでおります。でもって、ピントが合ってないっていうね(涙)


これ、ナカハラ先生が言ったコトバじゃない気がするんだよねー。
邪悪な顔したノッポさんの画像が印象的なこれ?




だからなのかな?なぜだか内省が進まない、深まらない。この言葉にぐぐっと来ない、えぐられないんだよねー。


その通りだ、とは思う。
けど、できない理由を探したくなっちゃう気持ちは理解したい、って思う自分もいる。弱ってるときには「弱ってる」って言った方がいい。無理に頑張りすぎずに、弱音吐いたり、できない、って言っちゃったったいいと思う。ポジティブを強要されるのはちょっとしんどいときもあるよね。


今、別に弱ってるわけでも、ネガティブなわけでもないけど、今日はなぜか筆が進みませぬ。
「日記」ならたくさん書ける。今日は楽しいこともステキなことも学びもたくさんあった。それをひとつひとつ言語化していきたい、って思う気持ちもあるけど、今日のお言葉と今の自分を繋げて何かを語るってことがとっても難しい。
そろそろ日付も変るしね。こんな中途半端な状態だけど、そんな中途半端さも許してあげましょう。明日はもうちょっとちゃんと内省しよう。
そして人生は続いていくしかないのだから。
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対話するひめくりカレンダー26日目

2019-03-26 21:23:10 | ひめくりカレンダー



どこに行ってもアウェイ感を感じるけど。


いわゆる「越境学習」というものをはじめて10年くらいになるけど、越境初期はどこに行っても「場違い感」ハンパなくて、「すみません、すみません、わたし、こんなとこ来ちゃって…」と気後れして、名刺交換もドキドキしながらだった。大学院修了して、ナカハラ先生の追っかけしながらいろんなイベントや勉強会、研究会に行きまくって頃は、どこに行っても知り合いができていたこともあったし、見るもの聞くものが新鮮で、仕事にもすぐに取り入れたりして、楽しくて仕方がなかった。そして、ここ最近はどこに行ってもアウェイ感満載。それってなんでだ?


ありがたいことに、最近はどんな種類の勉強会やセミナー、練成会といった学びのコミュニティに行っても、コミュニティの中心に居させてもらってる。これ、ほんとにありがたい。必ず声をかけてもらえるし、学びもたくさんある。その理由のひとつには、グラフィックで話をまとめることができるっていう側面もあるんだと思う。


けど、なんだかどこに行っても違和感、というか、アウェイ感を感じる。いや、みなさん、ほんとにフレンドリーであったかく迎えてくれて、わたしもそのコミュニティに居られることはこの上なく嬉しいし、楽しいし、幸せだなーって思ってる。けど、違和感。


それってなんでだ?
ひとつには、コミュニティがコンテンツを中心に成り立っているから、な気がする。ツールの使い手としてスキルアップ、ブラッシュアップしていくためのコミュニティなので、実践的で実利的な学びが獲得できる。それはものすごいメリットだし、本当にありがたいことだ。


けど、ツールは手段であって、目的ではない、というのが身に沁みすぎているのか、なんだかコミットできない自分がいる。と言いながら、この地に来てからは、ツール優先の学びにばかり手を出していたりもする。自己矛盾www


アウェイ感を感じることはイヤじゃない。ひとりでいることがそんなに苦痛じゃないし、イベントで知らない人ばかりの中で誰とも話さなくてもだいじょうぶだし、逆に「お近くの人と対話してください」というのも適当にこなせる。
(まー、この「お近くの人とお話ししてください」っていう、乱暴な「対話の時間」のなんと多いことか…。そりゃー、話も弾まないし、深まらないよねぇ、と思うことしばしば。自戒を込めて申し上げますと(爆)、場をつくる、あたためる、話せるだけの準備をきちんとする、そして「問い」を設定する、そういうことを丁寧にやらないと、「対話」はできないよねぇ。)


なんとなく、なんですけどね、アウェイ感を感じる場の方が学びが多い。特に学びの場においてはそれが顕著。たぶんね、「批判的学習モデル」的に学ぼうとするからな気がする。きちんと理解しないとはじまらない、真剣に取り組むからこそ、批判的な視点が持てるんじゃないかなぁと。


アウェイ感ばっかりだとしんどいけど、アウェイ感を感じる場に身を置くってだいじだ。最近、置いてないなあ。っていうか、アウェイ感もなにも学びの場に身を置いていない(汗汗)
春だしね、ちょっと越境してみよう。
そして、人生は続いていくに違いないのだから。
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対話するひめくりカレンダー25日目

2019-03-25 23:11:28 | ひめくりカレンダー


ラーニングイノベーション論同期の酒将一押しのお言葉。


「自戒を込めて申し上げますと」
この言葉はスパイシーなことを言うときの枕詞のようなものだけど、これを使って発する言葉って、自分自身に鋭く帰ってくるよね。あいたたたたー。よっぽどの覚悟がないと言えない感じ。


あぁあああぁああぁあ、わたしは、自分のことを棚に上げてばっかりだよー。ダメダメだぁ。謙虚な気持ちカムバーック。


この「対話するひめくりカレンダー」で振り返ってブログを毎日書くチャレンジ、コンプリートまで、あと1週間を切りました。意外と書ける。でも、どーにも書けないときもある。今日もそんな感じだけど、とにかく書き続けてみようと思う。


今から10年くらい前までは毎日ブログ書いてた。そして2010年から2012年の6月までは毎日、感謝日記を書いていた。
「人勢塾」の中で神戸大学の金井先生が紹介されていた「感謝日誌法」。その日に起きた感謝すべきことを5つ記録します。そうすると、人生により好感を持ち、いきいきとエネルギーに満ち溢れているという自覚の度合いが高まって、次の日に前向きな気持ちになれるんだそう。毎日5つの嬉しいこと、ありがとうって言いたいことを書いてた。今日、久しぶりにその頃のブログを読み返してみて、いろいろ毒も吐いてるし、子どもっぽい独りよがりなこともたくさん言ってるけど、どこにそんな情熱とパワーがあったんだ?ってくらい、暑苦しく仕事したり、人に関わってた。それに引き換え、今のわたしはどうなんだ?昔のわたしにいろいろ教わっている。


ちょうど7年前の今頃、社員総会の準備の真っ最中で、「復興」をテーマにしたこともあったので、結構追い詰められながら準備をしていた。その頃の感謝日記の中にこんなくだりがあった。


===================================
週末のキャンプ(ゼミ合宿的な?)の準備に余念のない橋本先生のツイート。

  「手を抜くより、本気でやった方が面白い」ってことや、
  「そもそも不器用な人間が手を抜くのは痛々しい位ダサい」ってことを言いたい。


それに対する長岡先生のコメントがまたステキ。
  
  本気を見せるには、モノを山ほど持ち込むのがいい。


本気でやるってことは、そこまでやる?ってことだ。がんばる。ステキな視点をありがとうございます。

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ほぼ一人で企画から運営、そのほか細々とした事務仕事まで一手に引き受けていて、失敗が許されない仕事に相当に追い詰められていたわたしには、このツイートが支えになっていたのかもしれない。すっかり忘れていたけど、こうやってふとした言葉やつぶやきに意味を見出して、それに勇気づけられて、自分を鼓舞してがんばっていた。
そういうの最近ある?
そして、とことんまでやる、そこまでやる?って言われるくらい思い入れもってやってることってある?


昔の自分に教わることもあるんだね。昔の自分ができていたことを、今の自分ができないはずないもんね。
自戒を込めて、とはちょっと離れちゃったけど、過去の自分が、自分を戒めに来てくれました。あれこれ、熱量高く、しっかりとやっていきますよ。
そして、人生は続くのでしょう。
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対話するひめくりカレンダー24日目

2019-03-24 23:43:32 | ひめくりカレンダー

今日行った飯塚生活体験学校の近くの鳥羽池のほとりでパシャリ。


スパイシーってなんだ?
辞書によると「香辛料が利いている状態」らしい。「ぴりっとした」って意味もあるみたい。


ホットやビターではなくて、スパイシー。
辛い(からい/つらい)経験はわりとたくさん思い出せるし、ほろ苦い経験も思い出せる。けど、スパイシーって言われると、ううむ、なんだかぴんと来ない。
ホットやビターには、ある程度の期間、時間をかけた出来事のようなイメージがある。それに対して、スパイシーは、「ぴりっとした」という意味からも、出来事の中のある一部分を切り取っているようなイメージ。


わたしにとってのスパイシーな経験(それも、「育った」と思われる)を、振り返ってみようと思ったんだけど、そもそもスパイシーの意味でつまづいている(汗)


中原先生のブログには、「スパイシーなフィードバック」という記述は山盛りでてくるんだけど、スパイシーな経験が人を育てる、という記述は見当たらない。
たぶん、「スパイシーな経験をしただけでは成長はしない、振り返りが大事」っていうことなのかなー。そして、振り返りには他者の視点、フィードバックがだいじだよ、ってことなのかなー。そして、そのフィードバックもポジティブ一辺倒ではなくて、耳の痛いことを言ってくれるような存在が必要だよね、ってことなのかなー。


会社員だった頃、それはそれはフィードバックされてました。今から思うと、相当きちんとしていたなーと思うのですが、社員全員に半期ごとにミッションが振り分けられていて、半年後に自己評価した上で、上長が評価し、査定会議にかけられる。入社間もない新人もベテランも管理職も全員。そして、査定会議の結果もきちんとフィードバックされる。フィードバックの仕方は、正直なところ、人によって差はあった。点数(AとかBとか)だけを淡々と伝えるだけの上長もいれば、ひとつひとつできたこと、できなかったこと、こうすればよかったんじゃない?なアドバイスをしてくれる上長もいた。全社員が半期ごとにたとえ30分だったとしても、仕事ぶりに関して本人と上長で意見交換ができる場があったというのはすごいことかもしれない。


このフィードバック面談以外にも、ありがたいことにボスたちからよくフィードバックを受けてました。まぁ、ダメ出しとも言いますが(爆)
基本、M体質なので(!)、フィードバックは嫌いじゃない。アンケート調査も「どうせなら厳しいコメントもらいたいので、ネガティブな答えになるように設問を変えましょう」と言ってドン引きされたこともあるくらい(笑)
もちろん、ダメ出しされれば落ち込むし、凹むけど、こと、仕事に関してはマイナス評価の方が俄然やる気になる。改善できることがたくさんある方がわかりやすいし、取り組みやすいもん。逆に高評価をいただくと、「ほんとに?」「真意が伝わってないんじゃ?」と不安になる。どこまでも天邪鬼。



「スパイシーな経験」から話がそれた(汗)


わたしにとってのスパイシーな経験ってなんだろ?
事業の立ち上げには何度か関わってきた。社長勅命のプロジェクトで顔を真っ赤にして怒られたこともあるし、魑魅魍魎がぎったんばったんしているようなプロジェクトの事務局もヘビーだった。英語もろくにしゃべれないのに、ヨーロッパに市場調査に行けと言われたり、障がい者雇用の重要性を親会社の役員に理解してもらうにはどうすればいいか?というばくっとしたテーマが与えられたこともあった。80人くらいのチームの管理職採用で転職した時には、トラブル対応の際に古参のスタッフさんから「ひめさんが、どう捌くのかお手並み拝見しましょう」と言われたし(こわーっ)、不正があった店舗の立て直しに行かされたり、予算10万円で創立20周年の記念誌つくれ、ついでにセレモニーやれ、と言われたり、まぁ、かなりスパイシーで汗だらだらな経験はしているかも。


でも、それがわたしを成長させたんだろうか?もちろん、仕事の面ではレベルアップというかスキルアップというか、経験値は上がって行って、似たようなことが起きたときにはそれなりに対処ができるようになっていったし、何よりも、「たぶんだいじょうぶ、なんとかなる」と腹をくくれるようにはなった。けど、成長したのかどうか、はよくわからない。最近は、むしろ悟りの境地。なんとかなるでしょう、なんとかしましょう、っていう境地に近い。気持ちはどこかに置いてきている、そんな感じでもある。
暑苦しくことにあたっていた頃の自分が懐かしいなぁ。あの頃のわたし、カムバーック(笑)
でも、いろんな経験をしてきたから、「だいじょうぶ、なんとかなる」って思えるのは悪くないかも。一度経験してきたことなら、二度目はもうちょっとうまくやれる。そんな成長でもいいかも。


そして、人生は続いていくしかないのです。



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対話するひめくりカレンダー23日目

2019-03-23 16:03:13 | ひめくりカレンダー



2日続けて「変化」を突き付けられるというね…。結構ハードだ。


春は何かと変化する季節でもあります。卒業、入学、就職、異動、昇進というトランジションや、年度の切り替えもあるし、引っ越しして環境が変わる人もいる。


ずーっと春が苦手でした。3月~5月くらいまでの日が長くなっていく頃。春だから心機一転始めなきゃ、みたいな圧や、新しい世界に羽ばたいていくキラキラ健全なオーラを見せつけられる感じがして、勝手に苦手意識を持っていました。
今でも、そんなに得意じゃない。何か始めなきゃ!って気持ちにさせられる。誰に強要されたわけでもないのに、自分で自分を追い込む感じ。


これまでの人生、それなりの「変化」を体験してきたと思う。転校も何度かしたし、引っ越しも15回は優にしているし、転職も5回?6回?くらいした。でも、これらの「変化」は、わたしにとっては「変化」ではなかったような気がする。


環境が変わるっていうのは、物理的に変化が起きているだけで、それまでの経験が通用しない、イチから学び直さないといけないような痛みを伴うものではない。少なくともわたしにとっては。これまでの経験の中から適用できそうなことを抽出して、移植して、均していく…そんな感覚。


なんとなく、「変化」って言葉には、痛みを伴うようなしんどさが付きまとう。これまでの常識が通じない、価値観がひっくり返る、そんな感じ。それに、「変化」というワードを使う側も、意図的にそういうしんどさ、大変さ、すごさ、を醸し出しているようなそんな感じがする。


「変化を起こせ!」的なことをよく言われがちなんだけど、そこまで大変そうに言わなくてもいいじゃんねーって思うことも少なくない。今日の延長上の明日でもいいはずなのに、変わっていないとダメなふうに言われちゃうのはちょっとしんどい。


ちょっと話は変わりますが、グラフィックレコーディングの講座を開催してきて、いつも最後に5分くらいの時間をとって「わたしの考えるグラレコ」「今日お伝えしたグラレコがみなさんにとって、こうだったらいいな」というのをお話ししています。
詳細は割愛しますが、要は「自分のノートを楽しくとる」でいいじゃん、ってことです。「変化を起こさないツールは意味がない」的なお叱りを受けたり、楽しく描くだけのグラレコってどうなんすかね?と言われることも少なくない。確かにね、その一面もあるとは思う。何のためにやってるの?っていうのはわたしもいつも気にしているところではある。けどね、まずは「自分のため」でいいじゃん、同じノートをとるなら楽しくやれるといいじゃん、って思ってる。たぶん、こういう発言を快く思ってない方もいらっしゃるとは思うんだけど、楽しくないと何事も始められないし、続かないもの。まずは、そこからでじゅうぶんじゃないかって思うのですよ。


そうなの、わたしが違和感を感じるのは、この「変化」しないことはよくない、という風潮。ずっと同じでいる、っていうこともまたステキなことだよ。この変化が激しい時代にあって、変わらずにいられるっていうこともまた、変化に対応している、ということなのかもしれないよ。


今日の朝日新聞の折々のことば。



こういう心持ちでありたい。こういう姿勢でことにあたりたい。
そして、人生は続いていくんですよね。




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対話するひめくりカレンダー22日目

2019-03-22 19:17:51 | ひめくりカレンダー



右が18歳の晃司。そして左が35年経った晃司。
インタビュー等でしゃべっている(主張している)ことは35年前も今もあんまり変わってないけど、それでも変化はしてると思う。同じ言葉を吐いていても、その背景に抱えるものは違うはずだし、たくさんの経験に裏打ちされたものもあるはずだと思うもの。


先月、20年ぶりに高校時代の友人と再会した。ほとんど没交渉だったんだけど、いろんな縁と偶然が重なっての再会。
そこで感じたこと。


「久しぶりー」の後の第一声が


「変わってないね」



そうか?
そんなことないぞ。
っていうか、そんなことあるはずがない。
20年だよ。見た目の変化は間違いなくあるし、20年、フツウに生きて生活しているだけだって、たくさんの経験をしていて、その経験は必ずや何かしらの変化をもたらしている。


わたし自身、自分で自分のことを変わった、と思っている。もちろん、ずっと変わらずに苦手なこと、できないことはたくさんあるけど、昔はもっと傍若無人というか、根拠のない自信があって、堂々としていた。今は、何事にも自信が持てない。よく言えば謙虚w 人の前に立つのも目立つのも苦手。昔はここまで苦手じゃなかった。今は縁の下の力持ち的裏方仕事が好きだけど、昔は好きじゃなかった。もっと自分が自分が、と前に出るタイプだったと思う。
それに、こんなに思索にふけるタイプでもなかった。あまり考えたりせずに上澄みだけで物事を判断していたし、考えるってことをしていなかったと思う。内省が好物な今のわたしからは程遠いw


それに、見た目も間違いなく変わっているのですよ。経年劣化ももちろんある。面影はあるかもしれないけど、2サイズくらい小さくなっているし、重力に抗えなくなったからかなぜか目が大きく二重になっているし、久しぶりに会った親戚のおじさんに気づかれなかったくらいだもの。


何が言いたいかというと、「変わってないね」って安易に言い過ぎじゃね?ってこと。ほめ言葉のようによく言われるけど、いやいやいや、変わってなかったらおかしいでしょ、毎日毎日なんらかの出来事があって、それらの経験から何かを学んで身につけているのに、「変わっていない」なんて。それは逆に失礼だし、ほんとに「変わっていない」のだとしたら、毎日何やって生きてるんだ?って話でもある。(暴言失礼w)


「変わってないね」はほめ言葉なんかじゃなくて、「いい天気ですね」くらいの枕詞に過ぎないんだろうけど、でも、あまりにも安易に使われることにはちょっと抵抗がある。世の中は変化している、とよく言われてるし、きっと誰もがそう感じている。そんな変化している世の中の中で生活しているんだから、わたしたちだって「変わって」いるはずなんだと思うもの。


むしろ、わたしは「変わったねー」と言われたい。
変わってないところはあるけど、それでも、変わったところの方が多いはずだもの。これからも変り続けたい。おばちゃんになっても、おばあちゃんになっても変り続けられたら最高じゃない?
そして人生は続くのです。
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