わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

この手と

2010-10-30 07:56:07 | オトナの学び

※中原先生のTwitter画像より拝借

握手した


今年、「この手が」で始まる記事を2回書いた。どっちもあたしの右手の画像。あたしの右手がichiroさんと握手して、晃司とハイタッチした。そしておととい、中原先生と握手した。
なんか、すごい。


ラーニングイノベーション論、感動のフィナーレが終わりました。ポスターセッションの話や、全12回で学んだこと(あ、11回目の記事書いてないや。ついでに関根さんの特別セッションの話も。)、リフレクションムービーもなんとかして動画にしてどこかにアップしたい、けど、今日は、今ここでのキモチを優先するF型全開でいきます


長岡先生と共同研究をされている先生として、中原先生のことは2年前から存じ上げていました。確か、授業でワークプレイスラーニング2008のことを教えていただいたのがはじまり。共著の「ダイアローグ」も発売直後に読んだし、学部生時代からのブログも全部遡って読んだし、セミナーとかワークショップとか、もちろんLearning Barへも、中原先生が登壇されるセミナーは仕事の融通がつきやすい日程だったら即申し込み。もうパブロフの犬状態(笑)


修論書いてたときに、やっぱり影響受けたのは長岡先生と中原先生だった。意識下に、お二人の論やアプローチが刷り込まれていたように思う。精神的、というか、思いの部分で影響受けたのは上田先生だったけど。


でも、この頃は、げーのーじんやミュージシャンのそれと同じ位置づけで、ミーハー的におっかけていたんだよね。だから名刺交換なんてとんでもない!って感じだったし、下手に修論なんか書いてて自分のできなさ、知識知見知恵の足りなさっぷりを痛感してたから、「こんにちわ、はじめまして」の次が続かないっ(>_<)と思ってた。
サードプレイスコレクションのとき、上田先生にCDにサインしていただいた勢いを借りて、勇気を振り絞って、名刺交換させてもらった。「修論の発表会、ディフェンスしてきてくださいね(にっこり)」と言ってもらって、この『にっこり』で38度も熱あったけど、晃司Zepp 2DAYSともろかぶりだったけど、口角上げて乗り切れた。(先生は覚えてないだろうけど(^^ゞ)


学者のおっかけって、こちらがその気になればいくらでも接点があって、ただ見ているだけじゃあんまり意味がなくて話をして、その内容を高めて行くってプロセスが大いなる学びなわけで…とぐるぐるしてたけど、それでもやっぱりあたしにとって中原先生はアイドルってゆーか、違う世界の人、いうなればステージ上のスター☆だったわけです、手が届かないからいい、みたいな(笑)


だから、ラーニングイノベーション論もこんなミーハーな心持ちで受講しちゃいかんだろ、と自己規制かけてました。観るだけ、聴くだけにとどめておきなさい、って。そう、アイドルとケッコン出来るなんて思っちゃいかんように(笑)
 

ラーニングイノベーション論の1期は大学院に行ってた時期だったから時間的にも経済的にも通うのはムリでした。大学院が修了して、さ、何しようかな?って考えたときに、なんとなーく、中原先生は今年でラーニングイノベーション論はおしまいにするんじゃないか、って妖怪アンテナが作動して、「迷ったら行け!」と勢いで申し込み。とーぜん自費。日中のプログラムもいくつかあって、休み取らなきゃならないので、上司に相談するも「ひめ個人が学ぶことはアグリーだけど、協力はできない、参加できないことも前提でなら」と言われてたし、物理的には相当しんどいときもあった。つらくて悲しいこともあって、授業や課題どころじゃないって精神状態のときもあった。けど、あたしの妖怪アンテナは間違ってなかった、って思う。


ホント楽しかった。スイーツの差し入れ、裏セッション、Twitter、懇親会やら暑気払い、お誕生日サプライズ、卒業文集…、卒業文集のメタファできょーこちゃんが「ラーニングイノベーション論は部室」って書いてたけど、学生時代のノリと勢いと青臭さが心地よかった。


それでも、やっぱり「個」として先生に向き合うのは今でも(きっとこれから先も)自信がないし、怖い。
それって何かって言ったら、あたしにとっての「学び」はOne of themでしかなくて、いろいろあるけどその中のいっこであり、そこに真剣味はないから。あたしにとっては中原先生も、晃司もichiroさんも同じなんだ。同列で語ること自体がそもそもおかしいけど(笑) 
楽しいから学んでいる、学びの場にいる、ってだけ。学んだことを何かに生かそう、なんて思ってなくて、素直に「知らないことを知るのは楽しい」し、それがステキな人好きな人と一緒だったらもっと楽しいってだけなんだよね。
でも先生は、ベースに「学び」があるんだと思う。ご自身の学び、周りの方への学び…その土台があって生活をとりまくいろいろなものがあるんだと思う。


今言えること。
中原先生に出会えてよかった、ってこと。
先生が提供されるいろんな場に出かけて行って、そこで感じたこと、思ったこと、感激したこと、考えさせられたこと、悩んだこと・・・それは間違いなくあたし自身の何か、にはなっているはず。願わくば「知」だったり、人としての深みだったりしていたいけど。
オトナの学びってそういうことなのかも。これを身につけました、ってことではなくて、学んだことで「あたしがあたし自身に自信がもてるようになる」ってことなのかも。あたしは大学院とこの1年学んできて、知識や思考レベルでの自信は持ててないけど、あたしはどうありたいのか、何をしたいのかってことは結構明確になった。これが「自信」なのかもしれないって思う。


そして、何よりも先生が提供される場でこれ以上にないステキな出会いがたくさんあった。ラーニングイノベーション論2期生の皆さんと出会えて、深くて暑い、もとい、熱い時間と空間と文脈を共有できたこと、これがかけがえのない財産だと思うし、その中にいられたこと、ホントにシアワセです。


上田先生がおっしゃっている「憧れの最近接領域」。あの人とだったら乗り越えられる…、”あの人”にたくさん出会えたラーニングイノベーション論でした。あたしも”あの人”になれるように自信をつけていきたい、そんなふうに今は思うのです。


中原先生、Class of 2010の皆さん、ワガツマさん、そしてホーヤさん!ほんとにほんとにありがとうございました!



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じゃがいもから何を学ぶか

2010-10-16 08:30:20 | ライブ・イベント
100人の上野展に行ってきた。

これは写ルンですを使って町の風景を写真に収め、それを時系列で展示するというイベント。
長岡先生の定性調査の授業で慶應の加藤先生がゲストでいらしたのがきっかけで2年前から見に行っている。去年は築地、その前は東京タワーがテーマだった。


このイベントのおもしろさ(実際に撮影会には参加したことないんだけど)っていうのは、アナログカメラであるということに尽きるような気がする。撮り直しが効かない、今しか収められない、誰が撮っても写真としてのクオリティは変わらないってこと。


100人が39枚撮りで撮影するので都合400枚の上野の写真が集まるわけです。もちろん4000枚を1枚1枚丹念に見ていく、その中からお気に入りの1ショットを見つけるっていう見方もできるし、4000枚を俯瞰して4000枚が1セットで上野なんだ~って見方もできると思う。


町おこし、町イベントとしても、今まで見えていなかった風景を再発見できるというおもしろさがある。


昨日はシンポジウム付き。どっちかって言うとあたしはこっちがメインでした。加藤先生が登壇されるっていうんでいそいそとお出かけしてきました。


加藤先生のお話はすごーーーーーくおもしろかった。これまた月並みな表現しかできないところがもどかしいんだけど、へぇ、ほぅ、っていう気づきがたくさんあった。
前の晩、加藤先生が盛んに「じゃがいも」の話をツイートしていて文脈がわからんなぁ、と思っていたけど謎が解けました。


ワークショップの題材としてじゃがいもを使ったそうです。
まず、じゃがいもを人数分用意する。そしてその中から任意の1個をそれぞれが選ぶ、そしてまた元に戻す、じゃ、さっき自分が選んだじゃがいもを取ってみて、って言われたら大抵の人は選べない。それはじゃがいもをじゃがいもとしか認識していないから。


そして再び。
今度はじゃがいもを選んだあとじっくりと2分くらい観察する。そしてまた元に戻す、そして、さっき自分が選んだじゃがいもを取ってみて、と「せーの」で取ると、マイじゃがいもを選ぶことができる。


これってなんで?


2分間の間にじーっとじゃがいもを見ていると、ひとつひとつに個性があることが分かる、くぼみや芽、色、形・・・顔に見えてきたりもする、名前もつけたくなっちゃう。まさにマイじゃがいも。


このワークから何を学ぶか?


まずは『観察する力』。
単なるじゃがいもなのに、観察する、見つめ続けることによって、なんだかしみじみと愛着がわいて、やさしいまなざしになる。素朴に“見る”ってことができる。ちっちゃい子や動物をかわいいなぁって思うのと同じ感情かもね。


そして、『言葉を与える』。
ずっと見ていると愛おしく思えてくる。形に見えてくるし、名前をつけたい衝動も出てくる。一個のじゃがいもが個性を持ち始めるわけです。


そして『語り口が変わる』。
じゃがいもがマイじゃがいもになると、それはもうあたしのものになるわけで、個人的なかかわりを感じるようになる。特別なあたしだけのものだから価値があるわけで、あなたのじゃがいもは単なるポテトサラダの材料としてのじゃがいもでしかないけれど、あたしのじゃがいもは特別なわけ。


どーってことのないものでも、時間を共有すると愛情が湧き、特別なものになる。
そして、愛情を持つことでその中に価値をどんどん見出だすことができる。


上田先生がName the Worldっておっしゃっていたけど、それに通じるような気がする。この世にあるものは、あるだけではそれは物体でしかないけれど、名前を付けることで特別な何か、に変わる。そしてそのプロセスこそが人のかかわりだったり、コミュニケーションだったりするんだろう。


コミュニケーションというのは単なるプロセスで、何かをなすときに過程のやりとり、と捉えることが、あたしにはしっくりくる。一般的にコミュニケーションというと「仲がいい」的なゆるゆるなおともだち関係のようにも思えるけど、そーじゃないよね、って。
こうして関わること、時間を共有すること、特別な何かを作るときのプロセス、その過程こそがコミュニケーションなんじゃないかなと。決して言葉を交わしたり、あいさつしたり、会話したり、ってことだけではないような気がするんだよね。まだ全然整理できてないし、こなれてもいないけど。


ポスター作りのワークショップの話もおもしろかった。


人はフツウに生活していたらポスターになることなんかない、けど、あの大きさのインパクトと、被写体がそこにいるという距離感。え?このポスターの人?というのは会話のきっかけになりえる。思わず話しかけたくなるっていうのはコミュニケーションの、ニンゲン関係、かかわりの基本かも。さぁ、話そう!声をかけよう!と気合入れるようなもんじゃないもんね。この人のこと知りたい、って思う純粋な動機に突き動かされるような気がするもん。
だから、そこに貼ってあるポスターの人なんですねー!っていうのは思わず話しかけたくなる、という自然なコミュニケーションを誘発する仕掛けなんだろうな。
アフォーダンス、ですね。(←最近覚えたコトバを使いたくなる罠)


加藤先生のお話をお聞きしていたあらためて思った。
ジンザイイクセイとかジンザイカイハツとか、それはそれでおもしろい。けど、あたしの興味はもっと基本的なことなのかもしれないって。体系的な教育プランを作るとか、人事マンとしてどうネットワーカー的に動くか、とか、それはそれでとても楽しいし、興味ある。
けど、人と人をつなげる、つながる場を作ったり、そこで発生するコミュニケーション、そんなお手伝いができたらステキだなーって思った。
これをどう仕事や生活の中に生かしていけばいいのかはわかんないけど。


とっても元気が出るお話だった。
がんばろ。
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あたしがブログを書く理由。

2010-10-10 01:50:19 | コトバ・ニッキ
バーチャルの世界だけでなく、リアルな世界でもお世話になっているJ-centerさんのブログが連続1000日更新
すごい、これ、ホントすごい。毎日あれだけの内容、しかもかぶりなしで書き続けるってホントすごい。続けるという精神力も、書くという文章力も、そして書く内容の網羅性を含めた知識・知見も。ホントすごい。あたしもブロガーのはしくれですが、足元にも及びません


J-centerさんはブログを書く理由として以下の7点を挙げられていました。
  ①アウトプットの場
  ②リフレクションの場
  ③検索データベースとして
  ④「書く」こと自体が好き
  ⑤世代継承欲求
  ⑥近況報告の場
  ⑦新たなネットワークの起点


あたし?
ブログを始めたのは4年ちょっと前。その当時ブログつながりでステキな人たちに出会えていて、あたしも始めてみようかな?と思ったのと、ちょうどその頃、「1日に見聞きすることを全部記録しようとすると文庫本24冊になる」っていうのを何かで読んで、そりゃすごい、そんなにたくさんのこと経験してるのになんにも覚えてないじゃん、もったいない、と思って記憶を記録することにしたから。


最初はココロに残ったコトバとそのエピソード+晃司くんのことを書いていたんだけど、徐々に仕事の話(主に怒る話)になり、大学の話になり、病気の話になり、晃司くんだけでなくichiroさんのこと、そのときどきのセキララ?なレンアイ話になり、大学院の話になり、中原先生の話になり、読書の話になり、お弁当の話になり、障害者雇用の話になり、オトナの学びの話になり・・・とそのときどきに経験したことをつらつら、だらんだらんと書き続けている。


ちょっと前まではTwitter的に旅先で画像アップしたりしてたけど、それはTwitterに取って代わり、日々のつれづれは感謝日記を始めたのでそっちに移行し、ここはどんどんと長文化しております。そして、感謝日記が基本ポジティブなんで、ここでは毒吐いたり弱音吐いたり(まー、最近は感謝日記でも弱音吐いてますけど)、好き放題(笑) 読者のことなんてお構いなし(笑)


閑話休題。
で、上記の7つ。
うーん、④はあながち外れてない。書くことはキライじゃない。でも相変わらず端的に書けないし、完全に個人の視座。しかもかなり偏った。
①のアウトプットの場、というのはインプットしたことを発表する、というよりもあまりにもいろんなことを受け止めすぎちゃってあたしの小さなメモリーではいっぱいいっぱいになっちゃうので、外化しているまでで… 吐き出さないと膿がたまりそうだし。
②は、振り返るとそうかもなーと思う。書くことで「ほほー、そういうことか」と思うこともある。あと、1年の終わりには全部読み返して年賀状のネタにしている。
⑦はJ-centerさんのように高尚ではないけれども、でもブログやってたおかげでホントにたくさんのステキな人に出会えた。かけがえのない出会いもあった。30年ぶりの再会もブログがあったからこそだし。ついでに、ichiroさんからも、中原先生からもコメントいただいちゃったし


このブログはあたしの世界を広げてくれたと言っても過言ではない。
ここでうじうじ悩んで、吐き出して、そのたびにいろんな人が励ましてくれて背中押してくれて、そうやって先に進んできたような気がする。
ここで出会った人たちに、「あたしは元気でやってるよー」って伝えたくて続けてるのかもしれない。


ためになることも、役に立つことも、深いぃイイ話も書いてなくて、完全に独りよがりなあたしの視座でしか書いてないし、毒も弱音も吐いてるし、決して心地よいステキなブログではないけれど、あたしにとっては相棒みたいなもんかも。ここに吐き出せるから、つらいことがあってもバランス取れているような気がする。病気のことも、ここがあったから乗り越えられてる。それは励ましてくれた人たちのおかげ、でもある。ホントにホントにありがとう。


J-centerさんは
>永遠に続ける気持ちはありませんが、何となく習慣化しているので、やめるのももったいないかなぁという心境です。
と書かれていたけど、やめないで~というのがあたしの願い。たくさんの気づきと学びと元気をもらってるし、こんな気持ちをもっともっといろんな人にも持ってほしい。


あたしは多分やめないかな?更新頻度は落ちたとしても、このアーカイブはあたしが悩んだ歴史じゃもん。捨てたくない。
Twitterの機動性や広範性、即時性、手軽さも魅力的だけど、ぐるんぐるん悩んで立ち止った軌跡が見えるブログがあたしのホーム。
これからも独りよがりに書き続けます。


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ロックな路地裏 防災のまち。 まち見世さんぽに参加した。

2010-10-05 00:04:08 | ライブ・イベント


まち見世さんぽIN向島に行ってきました。


そもそも「墨東まち見世」自体をきちんと語れる自信がないのですが、墨東エリアを舞台に、町とアートをつないだコミュニケーションしようよ、ってことだと解釈しています。街作りとか、アートとかって言っちゃうとちょっと敷居高いけど、自分の住む町は素敵だよ、って大声で言う、そんな取り組みな気がします。


ひょんなことから、まち見世サポーターになってみました。と言っても、墨東エリアなんて全然馴染みもないし、こういうボランティア的なことも今までまったく無縁できているので、何ができるのかは全然わかんないんだけど。でもこだわりないから何でもできるかなーって。


で。街歩きのイベント(まち見世さんぽ)あるから一緒に歩いてみてはどーですか?町のことも知れるし、とお勧めいただいて参加してきました。
これが、想像をはるかに越えて楽しく興味深く、非常に勉強になり、考えさせられた。


昨日は東工大の真野先生と歩く「災害街歩き」。ちょうど区内の小学校でカエルキャラバンという防災のイベントをやっているので、それと掛けて、曳舟⇔東向島界隈をぐるんぐるんと路地裏散策2時間半。


ロックな路地裏と防災、都市計画や都市開発がどう関係するのかまったく白紙で散歩。向島界隈の地理がわかればいいか、くらいなイージーな気持ちで。
 
 
 


なるほど、アタリマエだけど、ロックな路地裏は救急車も消防車も入れないから、災害時はおおごとなわけで。だから、先生たちは路地を隈なく歩いて、ここの路地は行き止まりだ、とか、ここに通路を作ると通り抜けができるとか、災害地図を作ったり、災害時になんとかどーにかなるような都市開発に貢献されている。
この界隈は昔赤線があったところで、非常に淫靡というか、だからなのか、いちいち奥まっていて狭い。廃屋もそこかしこに点在していて、建て替えなんかも進んでいるようです。建て替える際には今までの境界線よりも数メートル下げて建築すると助成が出るんだって。そうして通路、路地を広げていくことが災害対策なんだ。
区でも、空地を買い上げて行って、通路(抜け道)にしたり、ゴミ集積所と貯水タンクを設置した『エコ路地』にしたり、と街ぐるみで真剣に取り組んでいる。


で、カエルキャラバン。

 

地域と学校、消防が協力して作り上げてるイベントで、次世代のこどもたちに、防災対策を身近なものとして感じてほしいって思いがこもったステキなイベント。地元の墨田川高校の生徒さんたちもお手伝いされていました。


この仕組みが秀逸なのですが、
子供たちは、地蔵坂通りの各所(公園とか広場とか)で開催されているいろんな催しに参加する。催しに参加すると1カエルポイントがもらえる。
この催しは例えば・・・

・毛布で担架タイムトライアル
ペットボトルを詰めたカエルの人形(大体40キロ)を4人ひと組で毛布を担架に見立てて持ち上げ、土俵くらいの大きさを回る。
 


・持ち出し品なぁにクイズ
災害の時に持ち出すと便利だよ、ってグッズを1分間で覚えて、それを当てる 全問正解だと2カエルポイント。


・防災カードゲーム
災害のときにどういう行動をとったらいいかをクイズ形式にして、正解をカードで答える トレーディングカードみたく難易度があがるとポイントがそれに応じて上がる


・対決!バケツリレー!
ま、その名の通りバケツリレー。


・紙食器を作ろう
折り紙で食器を作る  災害時には必要なサバイバル能力じゃよね  


てな感じで、このカエルポイントを貯めて、おもちゃと交換できるという経済のお勉強までできちゃうという一挙両得な企画。
最後にはオークションもあるので、ほしい大物おもちゃがある子はポイントをどう有効利用しようかアタマを悩ませるんだとか。すごい、競争戦略じゃ。ブルーオーシャン狙えばおもちゃはゲットできるけど、負ければ何も残らない・・・・防災と経済。


途中、消防団長(かな?)でこれらの活動を推進している方にちょっとお話を聴くチャンスがあったんだけど、向島地区で目指すのは
  地域、家庭、学校、企業が一体となった防災対策
  そのためには未来を担う子供たちに防災に対する意識を楽しみながら持ってもらうこと
おっしゃっていました。


普段、東京の西(京浜地区)の下町のマンション住まいで近所の人との交流もないあたしがなぜに東京の東の下町で、”町”のイベントに参加してるのかなんだか不思議だけど、でも、昨日の散歩は楽しかったし、いつもまったく気にしていない、気にも留めていないことを考えさせられるめちゃくちゃいいきっかけになった。


仕事柄、災害対策は身近なものでもあるし、向島では弱者≒お年寄り、と捉えていたけれど、あたしの会社には弱者≒障害者がたくさんいる。BCP作ったり、防災訓練、防災対策勉強会や、イーバックチェアという階段降りる専用の避難具の実習とか、それなりに真剣にはやってきたけど、でもどこかで、実際に起きたらどーにもならないよね、そこまで真剣に考えてもねぇというあきらめもあるし、ホントに災害が起きたらどーすんだろ?と心臓ばくばくするような思いもしている。
地域には何もしてなかったなー、何ができるんだろ?そして何か一緒にできないものかなー?なんてことを考えるきっかけになりました。


早速、一緒にBCP作ってるだんしに共有して、またおちゃらけた感じで「となりの月○第二小学校とコラボして何か出来たら楽しいよね~」と妄想スパーク中。これはすぐにはできないし、相当に難しいけど、でもトライしてみたいと思った。タイヘンだけど、なんか楽しくなってきた。


がんばろ。


そんなわけで、まだまだ向島地区は地図なしには歩けないけど、なかなかおもしろい。
今週末も行くよ
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とにかく祝う  ようこそあらふぉーワールドへ。

2010-10-03 23:30:17 | ライブ・イベント
上期最大のイベント、中原先生あらふぉー突入前夜祭。
Learning Barで曽山さんも成長をいざなう組織は「とにかく祝う」だっておっしゃっていたので、自信を持って決行


ことの発端は、地下鉄降りてカイシャまでの道すがら。
あたしは同僚が通らない道を通って行くんだけど、それはなぜかと言うと1年くらい前まで月●第二小学校に永井大風の爽やか先生がいたから(笑) で、途中にドラッグストア(パ●ス)があります、カイシャまであと数十メートルってところ。なぜか、パ●スの前を通ると「!」とスイッチ入って、あれやらなきゃ、これやらなきゃ、というMUST案件だけではなく、あれやったら楽しいかも、これもやってみようというWILL案件もアタマに浮かぶ不思議な事象が起きております。


で、今回もそう。確か9月22日。パ●スの前を通過した瞬間に「そーいや、中原先生のおたんじょうびって切りのいい日じゃなかったっけ?10月1日とか11月1日とか…」「10月1日だったら次回の授業の翌日じゃん!」「これは何かしなくっちゃ!」と妄想スパーク。
中原先生の過去ブログを検索したら、あったー!10月1日は34歳の誕生日でした、という記事。ってことはですよ、今年35歳じゃん、あらふぉー仲間入りじゃん。とさらに妄想暴走。


早速、Twitterアクティブユーザーのみなさんにダイレクトメッセージをお送りする。
「10月1日、中原先生のおたんじょうび、次の授業でサプライズ仕掛けたいと思うんですが、どーでしょ?」
すごい勢いで「ぜひやりましょー!」「盛り上げましょー!」とリプライ続々!


もうこの瞬間に妄想はトップギアに入りました


ホワイトデーにナイトくんからいただいた“ドラえもんも泣いて喜ぶ直径30センチの愛”どら焼きの衝撃と感動をぜひ誰かにも味わっていただきたいと思い、ご提案。
他に何か先生のお好きなものとかご存じないですかー?と投げかけたら、リツコさんが「淳」という日本酒を探してくださった。


そのほか当日の段取りについても、ご意見続々。もう楽しすぎて楽しすぎて黙っていても顔がにやけちゃう。
事務局のホーヤさんに「ホーヤさんは絶対にのってくれる前提です、ご協力お願いします」とメールしたら即レス。楽しいことには即レスです、ですって。このノリ、ステキ
そりゃさすがにどーなんだろ?っていうクラッカーもOK、荷物の受取もOK、スライドの投影も講師用のPCとは別につないでおきます!ってどんだけ前のめり(笑)


月曜日に有楽町のハンズでクラッカーやろうそくを買い出し、MCCにお届けしつつ、さっくり打ち合わせ。


で、当日。
上期最終日、とてもとても定時退社できるような状況じゃなかったけど、後ろ指さされつつ、後ろ髪ひかれつつ振り解いてMCCへ向かう。
なんと、どら焼きはサーバールームで冷やされておりました。それにしてもデカイ、重い そしてインパクト大。


セッション終了し、いつもの先生のラップアップも終了し、ホーヤさんのまとめと連絡が終わって、皆様おつかれさまでしたー!と言った後、教室の照明が暗くなり…フクイさんの合図で完コピの「お誕生日おめでとうございまーす」スライドが投影され、クラッカーが鳴り響く。
実際にはあたしとイマベップさんとちょーさんはろーそくに火を点けたり、プレゼント運ぶために退室していたので、盛り上がりを観ていないのですが、♪はっぴばーすでーつーゆー♪の歌声が聞こえてきてました!


なかなか火がつかないというぐだぐだっぷりでしたが、お約束のローソク吹き消し。


ろーそくは先生がよくメールの末文に書かれているHAVE FUN! どら焼きに刺しちゃうのはなんだなーとない知恵絞ってコルクに刺してみた。

次、53歳とか5歳のおともだちのときに使ってください(笑)

「授業中は厳しい顔をされていた先生がとっても嬉しそうな顔になってた」と皆さんおっしゃっていましたが、最後は自分たちが勝手に楽しんじゃった感あり、悪乗りにもほどがあるかねぇと思っていたけど、この笑顔を拝見したら、もうそれだけで大満足です。やってよかったーって思ったよ。


事前に講師の酒井さんには「こんなサプライズを考えています、一緒に盛り上げてくださるとうれしいです!」とご案内していて「素晴らしいです!」とメッセージいただいていた。それだけでも大感激なのに、ななななななんと!「サプライズに感激したので、僕からも皆さんにサプライズを!」と書店では売り切れ続出の酒井さんの新著「これからの思考の教科書」をみんなにプレゼントしてくださった!しかもサインまでしてくれちゃいました!!!
もう大感激


帰りに
「楽しかった~、今期最大かつ最高の達成感かも。みなさんありがとう、先生おめでとう!」ってつぶやいたら、続々リプライ。
 >同じく!
 >ステキな会だった~
 >ホント楽しかった
 >充実感たっぷり
 >最高の一日でした
そして、先生からも
 >三日月さん、皆さん、ありがとうございました。嬉しかったです!


酒井さんからも
>人に喜んでもらえるのは嬉しいですよね!
>そんなサプライズを、たくさん生み出していきたいです。
とリプライいただきました。


うん、ホントにステキ過ぎ。皆さんとこうして一つのことに向かって楽しめて、お祝い出来て、楽しかった。シアワセです


くどいくらいに、皆さんありがとう!先生おめでとう!




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おもしろうそうにやる Learning Barの話。

2010-10-03 00:32:27 | オトナの学び
Learning bar@Todaiに行ってきた。なんと200名の席に対して800人の応募、倍率4倍、どん。
絶対○○枠あるよねってくらいMCCの同期も抽選に当たった、あたし自身もこれでかれこれ8 rend show
しかもコメント欄に「スイーツ楽しみです、秋だから栗?アップルパイとかどう?」なんてちゃらけたこと書いたのに当たっちゃってこれはちゃんとレポ書かねば、という感じです、外れたみなさんごめんなさい。でも、やっぱりいつものだらんだらんなレポしか書けそうにありません


今回はサイバーエージェントの人事本部長の曽山さん。
あたしもアメブロでお世話になってますm(__)m


講演の内容はご本にも書かれていたり、いろんなところですでに紹介されていることだったりするので、簡単に。


サイバーエージェントは若い会社だし、ベンチャー特有のノリっていうか、楽しいけどハード、この仕事は好きだけどずっとはムリだよなー、あのノリについていけないと居にくいよなーって社風なんだと思う。
創業して5年くらいは離職率が30%だったとか。そりゃすごい、離職率って正直どういう計算式なのかわからないし、率だけで測れるものでもないけど、3人に1人は辞めていく、ってことだもんね、そりゃすごい。


人材流出、採用にはお金がかかっているから早々に辞められちゃ合わないし、何より、エンドユーザー相手の商売の場合、働きやすくないカイシャって風評立っちゃったらそれはそれでやりにくいだろう、特にネット、個人のブログが主要ってことは何書かれるかわかんないわけだし(>_<)


サイバーエージェントもご多分にもれずITバブルの崩壊の荒波にもまれ、しかも資金調達なんかしちゃってたものだから、世間からも叩かれるし、タイヘンだったそうです。
そのときに取り組んだのが、ビジョンの明文化と人事強化。
ちゃんとしたカイシャになろう、そしてそのためには人の強化だ、と。そしてそれに真剣に取り組んだ、あの手この手を使って。


曽山さんのお話で印象的だったのが「人事には矛盾しかない」ってこと。
新卒を大事にすれば、中途や中堅を大事にしないのか、と叩かれる
仕事は楽しいと思っている生え抜きと、こんなのカイシャじゃないって思っている中途
部下は設立時からいる生え抜きなのに、上司は中途
とか矛盾だらけ


でも、サイバーエージェントがすごいのは、矛盾があるのはアタリマエ、それを前提にして対立する2軸を実現させるために向き合い続けたバイタリティ。
Aなの?Bなのどっち?というORで答をだすのでなく、AもBも、ANDで考える。これをやりたい、そしてこれを考えること自体がイノベーションなのだ、と。
これは中原先生がよく引用される「優れた知性とは対立した二つの考えを同時に機能させようとする」に通じる。


人事に限らず、あたしたちの世界は矛盾だらけ。あっちを立てればこっちが立たず、ってことはたくさんある。食べたい、でも、痩せたい、みたいな(笑)
でも、それをあきらめちゃうんじゃなくて追求する、そしてその過程こそが大事なのだと言い切れる強さってのはうらやましいし、そうありたい。


もうひとつ、印象的だったのが
「いい提案だけど、現場はしらけるでしょ」
これ、激しく納得、同意。これも対立する2軸なのかもしれないけど、現場に歩み寄りすぎてもそれはいい提案とは言えないけど、これはいい提案だからやろうよ、と上から押し付けたってうまくはいかない。どう実装させるか、そのためにはどう共感してもらえるか、ってことなんだろうな、と思った。そのためには、現場と人事(経営)の信頼関係なんだろうな。人事は現場のことを何でも知っているっていう現場チャンピオンとしての顔を持っていなくちゃいけないし、経営のコトバを現場が共感できるように伝えるトランスレーターの役割も持っていなくちゃいけない。言うほど簡単じゃないけど、ずっと追求し続けないといけない。
それにしても、この言葉はシンプルでいい。この言葉を言われたらめちゃくちゃショックだけど、はっと気付かされる。


そして曽山さん。
なんでそんなにモティベーション高いんですか?という質問に苦笑されていたけれども、ホントに朗らかでさわやかで暑い、もとい熱い。ラガーマン的熱さ(笑)
行為と演技、ということをおっしゃっていたけれども、人事本部長としての役割は演じている。人事本部長なら人事本部長としての振る舞いもあるし、おのずとそうなってくるってこともあるだろうし、外から見られたイメージってものも大事なんだと思う。そう、見た目も含めて人からどう見られるかってのは大事だ。


「楽しそうにやる」ってこともおっしゃっていました。人事本部長はじめ役員が楽しそうにしている演技は必要だ。そりゃそうだ、役員が楽しそうでない仕事やカイシャなんて、社員が楽しいと思うだろうか。笛を吹くあたしたちは朗らかで楽しそうでいたい。
うーん、これ、激しく共感し響いた。けど、結構きついよね、実際にやると。あたしもスタッフ部門にいて意識的に「毎日楽しくって」オーラを出すべくデフォルト笑顔で過ごしているけど、たまに仮面が外れるときもあるし、自分の素のキモチとのギャップが大きい時なんかは相当キツイ。
でも、こうありたい。


Learning Barの運営も中原研の院生たちがディレクションしているそうで、今回も随所に新しい試みがありました。
中原先生は「常にバージョンアップすることが必要だけど、自分で壊すのは怖い」とおっしゃっていましたが、院生たちもここは安心して失敗できる場ってわかっているから挑戦ができるようにも思う。そうだ、今回のテーマは「挑戦と安心」だった。
つまり、オーディエンス自身にこの場=新Learning barを形成しようという卒意がある、そして、この場のルールが決まっている、だからその中では自由に挑戦ができる。これは人の成長を支援する上でも必要なことかも。見守る他者、一緒に作る他者、ルールが徹底されている場、多少の失敗はOKという風土…。うーん、全部を取りそろえるのは難しそうだ…。


新しい試みのひとつ、「ゆるゆるネットワーク」、あたし的にはすごくよかった。受付で配られたカードに色のシールが貼られていて、その色が指定したエリアで食べ物取ってくださいね、そこで対話もしてくださいね、ってもので、立っているし、食べ物がすぐ近くにあるから、なんとも気軽で気楽なキモチで話し始めることができる。立って話すってもしかしたらすごく安心感を与えるのかもしれない。イスに一回座っちゃうと位置関係を変えるのって難しそうだけど、立ったままだと微妙に変えられるし、浮遊、というか、流動というか動きがあるのがよかったです。


今回、Learning Barに行って感じたこと。以前、MCCでご一緒しているフクイさんが「Learning Barにはもやもやを感じない」っておっしゃっていて、そのあとツカハラさんの修論のインタビュー受けたときにも、Learning Barとイブニングダイアローグの違いって?って話になったときにも、そうかもねー、なんて話をした。で、今回行ってみて、確かにもやもやは感じない。直前のMCCの授業がもやもやの最高峰の長岡先生のセッションだったからかもしれないけど、非常にすっきり。曽山さんのお話もすっと入るし、中原先生のラップアップもすっと入る。周りの人との対話も、へぇ、ほぅ、なるほど、と思うだけで「?」とは思わない。どっちがいいってことではないんだと思うけど、これってなんなんでしょうね?というか、そもそもLearning Barは「人の話を聴くのはおもしろい」導管型の場なのかもしれない。聞く考える対話する気づく、には違いないんだけど、その流れが淀みない。Learning Barでの講演と対話はUnleanではなくてInputなのかも、、、なーんてことを思ったり。


でも楽しかったです。
以前お会いしましたよね~って方に再会したり、いつもの仲間に会えたり、学生さんたちとしばしの会話を楽しんだり・・・いちいち、「今日の和菓子のポイントはなんですか?」とかしょーもないことをきいてぢょしだいせいとお話ししようとするオヤヂのようなあたし(^_^;) 何よりもあたしがこうした場に慣れて、こうした場で100%、いやそれ以上だな、楽しめる、楽しむってことができるようになったから、ってのが大きい。
オトナの学びには「楽しむ」ってことも必要な要素だね。



そうそう、曽山さんのお話しで、サイバーエージェントでは「何かと祝う、何かと褒める」と表彰制度のお話しや職場風土のお話しがありました。「何かと祝う」・・・ほほー、あたしたちが仕掛けていた翌日のサプライズ、まさに何かと祝う、ですね、と自信を深めた事は言うまでもありません。そして曽山さんが中原先生と同じおたんじょうびってのも偶然とは言え運命的。
翌日のサプライズの話はこのあとに続く…(笑)
コメント (2)
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