わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

人と話すってこんなに楽しいことなんだ!~今年も再就職支援プログラムが始まった

2021-09-26 08:33:41 | オトナの学び
今年も福岡女子大の再就職支援プログラムが始まった。
今年で3年目のこのプログラムは、家庭の事情で仕事を離れた人の再就職を支援する120時間に及ぶもので、途中60時間の有償のインターンシップもある。大学が教育プログラムとして就職支援を行うのは非常に意義と価値があることだと思っている。出口=就職率、ではなくて、彼女たちがこれから先の人生を歩むために伴走する、そんな思いで作ったプログラムでもある。
わたしはその中で、最初の2日間を担当している。ともに学ぶ仲間を知り、関係性を作り、チームとなっていくプロセスを支援している。平たく言っちゃうと、2日間で彼女たちが仲良くなって、他者の話を聞いて、自分の話をすることに躊躇がなくなる、そんな状態を目指している。


緊急事態宣言下につき、オンラインでの開講となったわけだけど、とてもよいスタートが切れたので、備忘を兼ねてだらだらと書き記しておく。


受講者は、仕事を辞めて家事育児に専念していた40代が大半。このコロナ禍に仕事を始めようと思うこと、そして、半年近くかけて学ぼうと思うこと、それ自体がすごいチャレンジなわけだ。
新しいことを始めるのは勇気がいる。環境になじめるか、一緒に働く/学ぶ人との関係性が作れるか、家族の理解は得られるか、自分自身の能力や体力がついていけるか、心配ごとは尽きない。仕事ができるならなんでもいい、どこでもいい、ではなく、これからの人生を見据えて仕事を、働くってことを考えようとして約半年間のプログラムに飛び込んだ彼女たちの勇気には心から敬意を表する。


2日間の授業で印象的だったのが、彼女たちの多くが、「家族以外の人と話すことが久しぶりで、人と話すことはこんなに楽しいことなんだ!」と言っていたこと。これは去年までにはなかったこと。コロナ禍というのはこういうことなのだ、と痛感した。他者との関わりが圧倒的に少なくなっているのだね。


はじめてZoomを使いましたって人がほとんど。いまだZoomが使えない人、苦手意識のあるビジネスパーソンも多い中で、果敢にチャレンジしたことはとにかく素晴らしい。もうねぇ、これが乗り越えられたんだもの、絶対にだいじょうぶ、仕事は見つかるし、そこで力も発揮できるはずって思ったよ。


みんな、話をするの初めてなんだよね?会ったばかりだよね?っていうくらい打ち解けてて、ブレイクアウトルームで地蔵になる、なんて現象は皆無。それは女性がコミュニケーション能力が高い、とか、会話に飢えてる、といった理由もあるかもしれないけれど、それだけじゃない。会話、対話を進める上での手順、段階をきちんと踏んだから、だと思っている。


まずは自分で考える、考えたことを話す、聴いたことに感想を言う、このサイクルを丁寧に繰り返す。何度かやると、相手の話を聞いて、考えて、話すが自然にできてくる。そうなるともうだいじょうぶ。安心して自分の考えが言えるようになる。
受講者として参加していて、時折出会う残念なグループワークがある。「今から15分で話し合ってください」とだけ言い放って放置されるケース。ちょっとだけ気を遣われるときは「最初に自己紹介をしてから、進行役、書記役を決めてください」という指示があるけれど、なんだか乱暴だなぁ、それだけで話ができるのか?と思うことはしばしば。そしてブレイクアウトルームに放り込まれてから、「じゃ、まずは個人で考えましょうか?」という無音な時間が流れる。それ、メインでやってよくないか? グループワークはグループで取り組む時間なんだよなぁ。そんな愚痴はさておき、グループワークがグループワークとして機能するように心を砕く必要は絶対にある。放っておいても話が弾む、対話が進む、なんてことはない、と思って設計すべきだと思っている。


この講座、無料の託児が利用できる。対面で大学での授業の場合には、お子さんを一時保育に預けて受講する。オンラインの場合にはご自宅で育児をしながら受講することになる。オンラインでの開講が濃厚になったときに、「育児をしながらの受講は難しいから、大学に来てもらって託児に預けて、教室からオンライン授業に参加する」かどうか、議論になった。確かに育児をしながらの受講だと集中して取り組めないかもしれない。けど、人流抑制のための緊急事態宣言、対面で集まることを避けてオンライン開講になったのに、大学に来るってどういうことなのかちょっとわからないし、いやいや、自分の家”ホーム”から参加できるオンラインのメリットを活かせばいい。事務局には、「お子さんを見ながらでも参加できるよう、進行に余裕を持たせたり、多少離脱しても大丈夫なように設計する」と伝え、みなさんはご自宅からご参加いただくこととなった。
子どもがぐずったり、話し声が聞こえても、それでいい。いろいろな環境・状況で学ぶ、働くってことを体感でき、それこそがダイバシティであり、助け合いも生まれるはずだもの。実際に、お子さんがぐずってしまった人もいて、途中ちょっと離脱してしまったケースもあったけれど、自然発生的に互いにフォローし合ってくれた。


もうひとつの仕掛けとして、お昼休み中に「自慢のグッズや宝物を探しておいてください、午後はそれを披露してもらいます」って宿題を出した。これは意図がいくつかある。自宅=ホームから参加しているメリットを感じてもらうこと、その人の背景(環境)を知ることで互いを理解すること、そして、大事にしているものを実際に探して人に見せるというプロセスを通じて、自分の大切にしていること/価値観に気づくこと、そんなことを目指していた。実際に、家族が宝物です、とお子さんを紹介してくれたり、ペットや長年愛用しているお母さまからプレゼントされた大切なバッグを紹介してくれたりと、その人らしさがあふれる和やかな場となり、大切にしていることに触れる機会にもなった。


生活が見えるということ、その人の置かれている状況がわかるということ、それによって思いやりや助け合いが生まれる。これも、オンライン環境のメリットであり特徴でもあるのかもしれない。


2日間が終わって、口々に、
オンラインでもこんなに深くみんなことが知れるんだ、たくさん話ができるんだと感動した
対面もどっちも体験できてラッキーだ
って言っていて、頼もしさを感じた。前向きさが本当に素晴らしい。
その前向きさで、この先のプログラム、そしてその先の就職も乗り越えて行ってほしい。
今年もみなさんの一歩目に関わることができて幸せでした。対面授業が再開されたら必ず会いに行くよ。



開講式もオンラインで実施されたので、思い立って講師、事務局用にバーチャル背景を作った。ウェルカム感が伝わったかなー


お姉さんプログラムの「学び直しプログラム」1期生の伴さんが描かれた絵を使わせてもらって、アートカード(名刺サイズ)を作った。事前にご自宅に送付して、当日はカードを見ながら対話。いろんな意味付けができて、とっても豊かな時間になりました。あらためて伴さん、ありがとうございました!


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スタイルを決めることと迷う楽しさ~PLEATS PLEASEを着るおばちゃんになろうと思った話。

2021-09-20 19:45:24 | お洋服・美容


たくさんお洋服を持っているのに「着る服がない」って状態や、何着たらいいかわからない!!状態を避けるには、スタイルを持つことだよ、なんてファッション誌の特集でよく見かける。
いろんなことを自動化していくことで、余白(余力)ができて、新しいことができるという理屈もわかる。
いつも同じスタイルをすることで、ブランド化もできる。ジョブズみたいにね。


若い頃、おばさんになったらどんな服を着たらいいんだろう?とずっと疑問であり、不安でもあった。すっかりおばさんと言われる年齢になっても、これがわたしのスタイルよ!と言えるものもなく、何を着ていいのかわからず、流行りものに手を出したりしている。
もうこの年になったんだから、世間体とか人の目を気にせずに、着たいものを着ればいいじゃんねぇ、と思いながらも、やっぱりどこかで日和ってしまって、“ちゃんとした”ジャケットにスカートってスタイルもワードローブに入っている。1年に1回も着ないのにね、もったいない。


それでも最近は、自分の中での定番ができつつあって、以前と比べて悩まなくなった。
トップスはTシャツ(福岡Tシャツ)かボーダー、ボトムは神戸スカートか、GAPのクロップド丈のパンツ。時々もんぺ。
この組み合わせでほぼどこでも出かけちゃう。登壇系もコレでOK。OKなところしか登壇しない、ともいうw


先日、外出の合間に空き時間ができたので、百貨店に足を踏み入れた。秋物に入れ替わっていて、それだけでなんだかテンションが上がる。特に探しているものもなく、回遊していたら、目に飛び込んできたんですよ、PLEATS PLEASEのニューライン。目が覚めるようなライトグリーンのパンツ!プリーツの幅が広くて、丈もちょっと短め(つまり、わたしにはちょうどよいサイズ)。
これは!!!かわいい!!!とアドレナリン出まくり!
買うつもりなんてまったくなかったけど、これはもう運命かもしれない、と購入。
(ウエストがアジャスターでかなり縮められるにもかかわらず、変な皺が出ずにシルエットがキレイ♡だったのも決め手になった)


お手入れの方法を聞いたり、新作を紹介されたりしていて、ふと思った。
こういう一癖も二癖もあるブランドって、それだけでスタイルが出来上がるから、逆に言えばそれさえ着ておけばよい、という安心感がある。そして、同じブランドで揃えられたら、それはそれは強力なスタイルになるよねぇ。PLEATS PLEASEを着るおばさん、悪くない。ってか、結構いいぞ。わたしの定番コレクションに入れたいなぁ。わたしもPLEATS PLEASEを着るおばさんになろうっと。



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きかせてくれてありがとう 描かせてくれてありがとう

2021-09-18 23:35:47 | グラレコ


大学院同期のみなさんのこれまでのキャリアのことをお聞きして、それを1枚のグラフィックにまとめてお渡しする通称「キキカキ」なるプロジェクトを始めて半年が経ちました。
話してもいいよって言ってくださる方をゲストに、頼りになる同期のむーちゃんが「徹子」としてあれこれ話を引き出し、深めてくれて、わたしはそれを「へー」とか「ほぅー」とか言いながらグラレコして、後日1枚にまとめるってことをしている。インタビューはZoom上で公開収録っぽく行っていて、ふらりとラジオ感覚で聴いてもらったり、チャットに感想を残してくれたり、ゆるやかに和やかに開催しています。
これまでにお話しお聞きしたのは19人。ひとえに話してくださる方、聴いてくださる方がいてこその場で、本当にありがたいなあ、と思っております。


半年続けてきて、何のリフレクションにもなっていませんが、思うことをつらつらと書き残しておこうかと。


これまでもご依頼いただいて、キャリアをお聞きして1枚にまとめることはしていた。そのときにいつも意識していたのは、「まとめようと思わない」ことだった。


キャリアの専門家でもなんでもなく、ちょっとは長く生きているもののふらふらとさまよい迷っているわたしが「まとめる」ことなんてできるはずもないんだけれど、「あぁ、この出来事が転機だったんだな」とか「このエピソードは描かないと」などと総括することはせずに、丁寧に聴こうと思っていた。できているかどうかはさておき(汗)


そうやって聴いていると、当たり前のことではあるけれど、その人の人生はかけがえのないもので、どのエピソード、どの話をとってみても大切なものだってことがあらためてわかる。アウトプットを意識すると、ついついまとめよう、総括しようというモードに入りがちなんだけど、大切な話をしてくれたってことに真摯に向き合いたいって思った。


そんなふうに聴くと、描き起こすときにも意識は変わる。
キャリアの話だから時系列に書けばよいのかもしれないし、効率を考えたり、ある程度の品質を担保しようとしたらレイアウトをパターン化していくのもありだと思う。けど、それをしちゃうのは違うと思った。
もちろん自分の表現の幅を広げたい、という手前勝手な理由もあったけれど、同期だからこその安心安全な場だからこそ話してくれたエピソードを、定型化していいはずがない。一人ひとりの人生が違うように、わたしが描くものも違うのが自然だよね。


で、毎回、どんなレイアウト/構成で描こうかかなり悩む。毎回、手順も違う。要素を洗い出して組み立てたり、最初にレイアウトや全体像を作ってから各項目に入れる内容を決めたり、試行錯誤を繰り返している。大変ではあるけれど、つらい作業ではない。描いている間はフロー状態で、気づいたら2時間経ってた!とか、ごはん食べるの忘れてた!とか、結構起こりがち。でも楽しい。そして、喜んでくださるのがとっても嬉しい。それだけでごはん3杯食べられね(ん?)


キャリアを語ること、それを可視化すること、聴いてくれる人/仲間がいること・・・それによってこれまでの自分のキャリアが意味づけされたり、自己肯定感を高めたりする効果もありそうで、そんなこともいつか探求していけたらなぁ、と妄想しているけれど、でも今は、話してくれる人、聴いてくれる人がいるこの環境、関係がとてもありがたくて心地よい。


卒業したときに「キキカキ完走したね~」と言い合えるといいよね。そして、おばあちゃんになったら、みんなのキキカキその後をキキカキする旅に出よう。それを励みに生き延びよう、長生きしよう(笑)
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燃え尽きたよ、真っ白にね~学び直しプログラムモジュール2が終わったよ

2021-09-05 16:57:17 | オトナの学び
2か月に渡る福岡女子大学学び直しプログラムモジュール2「創造性を磨く」が終わりました。


このプログラムは4日間の対面授業とその間のフィールドワークやチームで課題に取り組む計40時間。
初日、2日目はデザイン思考の基礎をざっくりと学び、リサーチの準備をし、3日目までの1か月の間に各チームごとにインタビュー調査を実施、3日目、4日目でアイデアを創造し、プレゼンテーションをする、という濃密でタフな内容です。
開講した7月10日は緊急事態宣言が明けて、いよいよオリンピックが始まるって頃だったので、対面での授業。翌週の授業もなんとか対面で実施ができたものの、東京に緊急事態宣言が出るってよ、これまでの傾向では3週遅れくらいで福岡にも緊急事態宣言が出されるから、3日目からはオンラインの準備をしておいた方がいいかもね、なんて話してたら、やっぱり3週遅れで緊急事態宣言発出。3日目、4日目はオンラインでの実施となりました。


2か月間の学びの軌跡 みんなが発表準備をしている間、ブレイクアウトルームを覗きながらしこしこ描いてました。


講座の内容もタフだけど、運営もタフで、そしてわたしにとってはとってもチャレンジングな2か月間でした。
2年前の2019年に講座の内容を一新して、初めてメインファシリとして担当したときも相当なプレッシャーでしたが、2年ぶり(去年は講座自体が開講を見送った)の講座はさらに強烈なプレッシャーのもとでの運営でした。


今、大学院の学際デザイン領域でデザイン思考をベースに修了研究を進めていて、いやいやいや、修了研究でひーひー言ってて、もう脳みそが耳から流れ出そうなくらい苦しんでるのに、そんなわたしが、デザイン思考のプログラムを教えてていいのか?っていう、もうどうしようもない葛藤に苛まれていた。
「できる」と「教える」は違う能力でもあるし、先生というよりも、一緒に学ぶガイドみたいな役割だし、学び手の気持ちがわかるんだから、それは強みじゃーん、ワークショップデザイナー/ファシリテーターとして課題を発見して解決するアプローチをみんなと一緒に学んでいくってスタンスで取り組めばいいじゃん、とかとか、自分を納得させて、鼓舞させての2か月間4日間の授業でした。ひやー、すんごいプレッシャーだった。


その上さらに、対面からのオンラインの実施。
対面授業も2年前のそれとは大きく環境が変わっていて、アクリル板が設置されていて自由に動き回れない、声が聞き取りにくい、ツール類は共有・使い回しを避ける、マスクで表情が見えないなどなど、対面でできる喜びはあるものの、いろんなことが制限される不自由さや、感染リスクも抱えながらの、異常な緊張感。
そして、オンライン授業への変更。対面を前提としたプログラム設計だったので、オンラインでの実施で学びの効果が薄まらないように、設計し直して、ツール類もシンプルにして、事前に送付したりと、何をどうやって準備していたのか、今となっては記憶が曖昧なくらいバタバタ(おいおい) 
当日もほぼワンオペで、ブレイクアウト―ルーム作ったり、タブレットで共有ファイルの書き込み状況見ながら、進捗を確認(推理)したり、脳みその容量を軽くオーバーしてたと思うw


そして、無事に昨日2か月間に渡るプログラムが終了したわけですが、これがもう、受講生のみなさんの意欲と好奇心に支えられて、本当に素晴らしい場だったのですよ。
オンラインだから、とか、対面だから、とか開講形態なんて関係ないね、学ぶ内容と学ぶ仲間がいかに大事かってことにあらためて気づかされたわけです。


今やオンライン授業はそれほど特別なことでもなくなってきているけれど、でも、やっぱりどこかで、オンラインと対面の違いを挙げて、やっぱり対面の方が効果が高いよね、とか、オンラインでもここまでできる、的なことを言っちゃいがち。でもね、「オンラインでもここまでできる」じゃなくて、「オンラインだとこんなことができる」っていうおもしろがるマインドが学びの効果を促進すると思ったよ。


昨日の授業の最後は、これまで各チームで取り組んできたテーマから導き出されたアイデアのプレゼンテーション。対面授業のときは、寸劇(スキット)でプレゼンしてもらっていた。画用紙や折り紙、テープ、リボンなどの工作用品をずらーっと並べてプロトタイプを作ったり、小道具を作ったりして、学芸会のようにそれはそれは楽しく準備をして、実施していた。それをオンラインでやるとどうなるのか?3Dが2Dになっただけじゃん、と腹をくくって、同じように寸劇でプレゼンをしてもらったのですが、これがもう、ものすごーーーーーーーーーくよかった!バーチャル背景を使って場面転換をしたり、無声映画さながらに演技をしたり、画面共有を使いながら2画面で表現したり、限られたリソースを最大限に使いこなしていて、しかもそれを楽しみながら、おもしろがりながら取り組んでいたのが、本当に素晴らしかった。ブレイクアウトルームを覗くたびに、「ねぇねぇ、あれやってみない?」「こうしたらいいんじゃない?」と改良改善が次々になされていて、まさにデザイン思考のプロセスそのものを、発表準備のグループワークの中で体現していた。


5月に開講してからずっと「とりあえずやってみる」「やったら振り返る」を合言葉に、中途半端でもオッケーだし、うまくやろうとしないでいいからとにかく楽しみながらやってみましょう!と、さまざまなちょっとムリ目、無茶ぶりなワークに果敢にトライしてきてくださった皆さんは本当に素晴らしいなぁ、と発表を聞きながら(寸劇見ながら)、お腹がねじれるくらい笑って、そして、感動して泣きそうになった。


もちろん、雑談がしにくい、とか、会話をかぶせることができない(一人ずつしか喋れない)といった弱点はあるかもしれないけれど、考える、対話をする、という学びの原点はオンラインだろうが、対面だろうが等しく実施できると思っている。ここにこだわってプログラム設計をすれば、対面だから効果が高い、オンラインだから効果が下がる、といった不毛な議論はなくなるようにも思っている。


ここ最近、グループワークって何のためにやるんだろう?という根源的な問いに、自問自答している。というのも、今、ビジネス法務や税務のコースで学んでいて、基本的には弁護士や税理士の先生から必要な知識を伝授していただく知識獲得型の超導管モデルなわけですよ。でも、ものすっごい学びがある。豊富な事例を紹介いただいて、じゃあ、自社の場合にはどうなる?って咀嚼して考えて行くから、理解も深まる。インタラクティブさは1ミリもないけど、いやいやいや、学びはめっちゃ深い。それがですね、時折、グループワークがあるんですよ、事例を読んでグループで一つの解を出しなさい、っていう。正解がある(判例がある)問いをグループで考えさせる意味ってなんなんだろう?って。先生の解説を聞けば10分で済むところ、1時間かけてあーでもない、こーでもないと議論するわけです。正解にたどり着くまでの、合意形成のプロセスを学ぶ、とか、主張が異なる場合にリーダーとしてどう振る舞う?といった目的だったらわかるんだけど、だったら事例を6個教えてほしいわー、と思っちゃう。


対して、学び直しプログラムでは、グループ演習を前提としたプログラム設計になっている。それは正解がない問いに取り組むからこそ、他者の視点や意見を取り入れ、どう合意形成していくか、そのプロセスこそが学びであり、そのプロセスを体験することで得た力、スキルを世の中に還元してほしいと思っているから。
そして、ひとりでは乗り越えられないことも、みんなと一緒だったら乗り越えられるって経験が何よりも大切だと思っている。そう、憧れの最近接発達領域ね。


グループワークってなんのためにやるんだろう?と、ここ最近、ちょっと懐疑的だったけれど、昨日の授業を経て、あぁ、やっぱり意味があるんだなぁ、でも、グループワークをやればいいってわけではなくて、なぜやるのか、グループワークを通じてどうなってほしいのか、ってことをちゃんと考えて、ちゃんと設計しないとダメだよな、強く強く思ったのでした。自戒を込めて。


いやはや、タフで濃密な2か月間でした。みなさん、ほんとうにおつかれさまでした!
今月末から始まるモジュール3も豊かな学びの場となるよう、精いっぱいがんばりますー


おまけ
学び直しプログラムの授業ではユニフォーム代わりに福岡Tシャツ着てる。
4日間の授業で着たTシャツたち。基本、キッズサイズっていうのが泣ける(笑)



BALENCIAGAかとおもいきや、BAKACHINGA(金八先生の口調でどうぞ)
鮎川誠さんイラストの福岡のライブハウスを救おうクラファンのリターン品
明太ラブに、西鉄バスコラボTシャツ。
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