わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

ラーニングイノベーション論に参加して何が変わったのか

2012-12-17 00:38:59 | オトナの学び
来年の年賀状を作りながら、あー、あれこれいろいろやったし(特にワークショップ、場作り方面)、人さまが見たらさぞや充実した生活に見えるんだろうなー、でも、実際にはうじうじもやもやと悩んで迷った(っつか、今が超絶迷い中www)一年でした。
その迷いはどこから?って言ったら、ここ数年続けている「エッキョウガクシュウ」への違和感、「ジンザイイクセイ」への違和感だったんだろうな、と、先日のラーニングイノベーション論の大忘年会を経てあらためて思ったわけです。


忘年会で出されたお題が
「「私はなぜラーニングイノベーション論に来たのか」「ラーニングイノベーション論に参加して何が変わったのか」。


尊敬するタナカジュンさんがブログで振り返りを書かれていたので、あたしもちょこっとリフレクションしようと思います。


あの場であたしが語ったことは、
・中原先生をおっかけてたから
・超える、っていうよりも「離れる」って感覚
というおバカさんな回答でした。


でも、あらためて振り返ってみて、あたしの学びや活動の源泉って「好き」ってこと以外になかったなぁ、と。


タナカジュンさんは
①中原先生の講座だったから
②ホーヤさんが事務局だったから
③一期生になれるから
④松尾先生の話が聞けるから
⑤体系的に人事を考えられるから
⑥MCCだから
とまとめられていました。


そういや、委員長は「ハズレなしのラーニングバーなんだよ」って受講動機を語っていたなぁ。


云じゅうまんえんという大金をはたいて、おっかけだから、という理由もなんだかなぁ、とは思いますが、今振り返ってもそれ以外の答えってないんだよね。
いちお、あたしも大学院なんぞ出ておりますので、修論書くときの先行研究や拠り所の論として中原先生のことは尊敬しているし、単純にすげぇ、と思っている。だから、これは以前にも書いたかもしれないけど、名刺交換して「はじめまして」の次の話題ができるようでありたい、と思っていた。それは今でも変わらない。
ミュージシャンやアイドルをおっかけてても、こっちがどんなにがんばってもステージ上の上の手の届かない存在であり続けるのだけれど、学者のおっかけは違う。がんばれば手が届く、ちゃんと勉強して、実務家としての持論を持てていれば振り向いてくれるし。振り向いてくれる、っていうか、認めてくれる。
だから、はじめまして、の次が続くようにならなくちゃ、っていうのが動機だったんだろうな、と思うのです。


そして、
「ラーニングイノベーション論に参加して何が変わったのか」。


ひとつは、中原先生に物おじしなくなった(え?)(笑)
一緒に研究会やらせていただいたり、適度にいじってカレンダーなんか作っちゃったり。
それって、あたしが、はじめましての次が続くような持論を持てているわけでも、きちんと勉強しているわけでもなく、単にフィールドが違ってきたからびびらなくなっただけな気がする。ガチ人材育成な世界から、もっとゆるくてぬるいコミュニケーションを紡ぐ世界に軸足を変えたから、な気がする。


そして、「離れる」。
ここがここ最近のあたしの最大の迷い、悩みであるのだけれど、障害者雇用の世界にいて、いろんなジレンマや矛盾を感じている。どーしたって雇う側の視線、目線でしかないわけで。もっと泥臭く青臭く「はたらく」ってことに関わりたいなー、と、それこそ女子大生とキャリアやしゅーかつの話をしてきて思った。「はたらく」ってしんどいこともあるけど、楽しいことも多い。そして何より自分で自分の生活をなんとかする、っていうとてもシンプルなこと。そういうことを愚直にやっていきたいなー、と。関われる範囲はとてもとても狭いんだけど。


そういうことをつらつらと考えていくと、
一部のホワイトカラーエリート層を対象にしているラーニングイノベーション論じゃなくて、あたしが関わるのは「はたらく」「いきる」ってことに必死な人たちなんだろうな、と思うのです。あ、暴言失礼しました。
通っているときから、このギャップには苦しんできたし、いろいろと越境学習してきた先でも苦しんできた。でも、苦しんだから、逆に今はすんなりと「離れる」ことができるような気がする。


「離れた」っていうのはいわゆる「守・破・離」なんてかっこいいことではなく、単に「離れた」ってことなのです。
ピボットターンの軸足まで変えちゃった感じあるけどねー(^^ゞ


具体的に何をしたい、とか、こうしよう、と決めたことはひとつもないんだけど、たぶん、大きな転機を迎えているような気がする。
今年一年に関わった人、始めた勉強、自分自身のふがいなさ、カラ回りっぷり、外での活動の違和感・・・・いろいろなことが作用して、迷いが少しずつ確信に変わってきているような気がする。


その意味でも、口に出して語ったってことは大きい。
離れた、って口に出したら、なんだかすんなりと腹落ちできた気がする。


というわけでは、今回もオチも何にもない終わりですが、ラーニングイノベーション論を受講したからこそ、いろんな人と出会い、つながり、今に至っているわけで、それは本当に感謝してもしきれません。皆さん、ホントにありがとう、繋いでくれたもの、導いてくれたものすべてに感謝を。ありありがとうありがとう。
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純粋に楽しかった。DaSH第1回ジャム子さんと考えるこれからのジンザイイクセイが終わったー。

2012-12-04 01:17:26 | オトナの学び
ワークショップデザイナーとして関わっているお仕事(といっても無給なのでいわゆるプロボノですね)に、町にあるコミュニティスペースSHIBAURA HOUSEという「場」を使ってのワークショップの企画っていうのがあります。


場はあるけど、さてどーしよーね?というSHIBAURA HOUSEからの声にワークショップデザイナー推進機構がソフトと人を提供しますよ、っていう構図。
企画段階からお手伝いしていて、とりあえず、やってみましょう、走り出しましょう、ってことで不肖わたくしが第1回の企画を同じくWSD(ワークショップデザイナー)のふたちゃんとジャム作りワークショップをやってきました。


当日のレポートはSHIBAURA HOUSEのはるかさんがWebに掲載してくれたのでそちらをごらんくだされ。


ここではやはりきわめて個人的にだらんだらんと振り返ります。


なんでジャム作りワークショップをやろうと思ったのか、っていうと、おはぎを作るのに小豆を煮たときに「小豆を煮るのとジンザイイクセイって似てるよね」ってつぶやいたことがきっかけ。
思いがけずたくさんの方からコメントいただいて、あら、これって理論と裏付けたらおもしろいかも。しかも作ったジャムを試食しながらダイアローグしたらさらにおもしろいかも。と、妄想スパークしちゃったから。


例えばね
ジャムって手作りできるんだ、という発見、しかも簡単 ←スーパーで買ってくれば数百円で手に入るけど、買ってくるものって決めつけてない?簡単にできるんだよ。人も決めつけて見てるんじゃない?気づいていないけど意外といいとこ(長所)があるかもよ?

・材料の種類は少ない(果実と砂糖とレモン汁のみ)← あれこれ欲張っちゃダメ。メインの仕事を決めたらそれをきちんと任せる

・材料は○○産などにこだわら
なくても、おいしいジャムはできる ←偏差値や学校名だけで決めつけない、可能性は誰にでもあるのだ 

・煮詰める過程で、あるときふっと粘度が出てジャムになる ← 誰にでも一皮むける瞬間がある 

・種を取る、皮をむくとい地味な作業を怠らずに行うとつやつやのジャムができる ← 人を育てるのは手間暇がかかる

などなど。


いつかどこかでやりたいなー、と思いながらもキッチンが借りられるスペースだとレンタル費用もそれなりにするから、参加費高くなっちゃうしなー、とうじうじしておりました。


それが、今回SHIBAURA HOUSEとのコラボでワークショップやりましょう、って話になったとき、IHヒーターがある、お料理ワークショップは定番企画として実施実績があるなど環境が整っていたので、これは!!!と思っちゃったわけです。


これは後付けの理由ではあるけれども、SHIBAURA HOUSEとコラボするんだから、ワークショップ自体も通常では結びつかない何かを結び付けたいな、と思った。
で、ジャムと人材育成。


最初はもうちょっとラーニングな匂いを充満させようと思って、ナカハラジュンの次に来る、と勝手に言ってるタナカさんに「学習理論的な裏付けってできますかね?」と傍若無人に質問したりした。


タナカさん曰く、
学習理論は、学習者がどう、何にモティベートされるかという学習者視点なのでちょっと違うかも。


(>_<)


仰る通り!あたしのジャムと人材育成を掛けた理屈は、教える側、育てる側の視点でした。さすが新進気鋭の学習理論者だ。


ただ、ここで手ごたえ、というか、イケるかも、と思ったのは、「こういうフツウだったら結びつかないようなことから人材育成とか学習を考える視点がおもしろい、どうしたら思いつくんですか?」と言っていただいたこと。はい、そういう妄想は得意です(笑)


で、当日。
フツウにおもしろく、おいしかったです。


誰かとやるっていいな、と思ったことが2つ。
1つめは視点の多さ。


あたしなりに、ジャム作りをいろんな角度で見て、考察したつもりだったけど、のんのん、そんなもんじゃないくらいみなさんと一緒に作って語ったことで気づきがあった。


ジャム作りって簡単。簡単だから次もやってみよう、という気になる。最初からフランス料理は作れないけれども簡単なものから順番にマスターしていけばよい。そして、家に帰ってもう1回やってみようかな、と思える程度の簡単さがいい。継続することに効果、だよね。


目の前のことに集中できるのがよい。
無心なんですよ、撹拌したり、つぶしたり、皮をむいたり、切ったりしてるときって。しかも、それ=食材、しか見てない。このくらい集中して何かを見るってなかなかできないけど、だいじなこと。


もう1つは、一緒にやる人がいる安心感。決して逃げてるわけでも、責任転嫁するわけでもないけどね、いつも、こういう場を企画して運営した後って、あれもできなかった、これもやっておけばよけった、と反省することばっかりで、めちゃくちゃ凹む。99人がよかったよーと言ってくれても、1人がイマイチそうな顔をしているだけでダメ。ツカハラさんからは研修講師とか絶対ムリだね、と言われるほど。これは性分だから仕方がないwww


けど、今回はふたちゃんという心強いパートナーがいたこと、そうちゃん、かぶさん、ばーびー(当日、野呂ウィルスで無念の欠席)という事務局メンバーがいたことで、いつもの反省猛省モードにならずにいた。もちろん、あれこれ反省点はあるけどね、純粋にジャム作るの楽しかったって声と、ふたちゃんがとても楽しそうにしていたこと、それだけでなんだかほっこりシアワセな気持ちになったんだよねー。
やっぱりなんでも一人で、ってムリなんだなー、って。きっと企画立てたり、運営設計したり、事務局業務やったりするのは一人でできるのかもしれないけど、誰かと一緒にやるからこそ、な達成感や満足感、安心感があったもの。


なんでも一人でやろうとしなくていい。ホントだね。










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