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わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

何をやるか、よりも、誰とやるか

2013-04-21 07:54:02 | カイシャ・シゴト
カテゴリー名変えました。「仕事の流儀」じゃカッコよすぎるのでwww
単に、さらりーまん生活の思い出をつらつら書いてるだけだし。


木曜日にお邪魔した長岡先生のカフェゼミで、「場作りよりも縁作り」「誰を呼ぶか?から始まる」的な話があった。
前回、大人のカフェゼミの企画をしていたときも、何をするかも重要だけど、誰を呼ぶか、にこだわりたい、それがたとえ閉鎖的であっても、な話をしていたけれど、振り返って考えてみると、あたしのさらりーまん生活は、「誰とやるか?」が判断軸だった気がする。


都合、3回転職して、いま4社目にいます。
転職の理由は様々で、まぁ、ひとことで言っちゃえば、ある日突然、辞めよう、と思った、っていうのが共通点。そんなこと?ではあるけれど、そんなこと、です。はい。


理由はさておき、では、転職活動をしていてその決め手にしたのは何か?って言ったら、面接官に一目惚れしたってこと。
「この人と働きたい」って思っちゃったんだよねー。そこからは一直線、迷いもない。


最初の転職のときは、これは今だから言えますが、選考中でいつ電話がかかってくるかわからない時期に旅行に言っちゃってて、留守電聞いたら今日の昼から面接ですって、あたし、今きょーとにいますけど、みたいな不埒な状態で、失礼を承知で面接日を変えてもらったという、そりゃー、フツウは落ちるじゃろ?(笑)
そのときに会った面接官が、メリル・ストリープみたいなゴージャスなおばさんで、真っ赤な口紅に、肩パットががっつり入ったスーツ着てハイヒール履いて、っていう絵にかいたようなバリキャリでした。でも、語り口がとてもエレガントで、この人素敵、この会社で働くとこんなふうになれるのかな?と勘違いしてしまったことが発端です(笑)


次の転職のときも同じような理由。
ここでも、なんですかー?この美しい方は???っていう本当におきれいな営業部長さんに、「いつか、パリのヴァンドーム広場に出店することが夢なの。」とキラキラと語られて鯉に落ちました(笑)
一緒にがんばりましょう、とネイルがキレイに施されて、ゴールドの指輪がキラキラ輝く手を差し出されては「はい!がんばります!」と言ってしまいますよ(笑)


こう書くと、キレイならなんでもいいのか?って感じだけど、お2人に共通していたのは、営業部長という肩書きからもわかるように仕事はちゃんとできるし、実績も残されている。その反面、当時、年の頃50を迎えようという年齢で、もともとの顔立ちがキレイなのはさておいても、それを磨き続けていること、そして、それが嫌味なく、時折見せる天然な可愛らしさがあって、さらりーまんという男社会の中で「女性」性をきちんと出されていたことでした。


ある頃会いの年齢になったときに、女性がいかに女性性を持ち続けられるか、ってのは永遠のテーマ。この2人にはそれがあった。少なくともそのときのあたしには、ある、と思えたのです。


そして、今のカイシャに入るとき。
仕事自体も今までとは畑違いなら、鯉に落ちるポイントも違ってた。

なんどか書いてるけど、おぢBに圧迫面接をされたこと、これが決め手でした。


正直、全然畑違い、やったこともない仕事に飛び込むのは勇気がいる。
それを後押ししたのは
「君は、安定と混沌とどっちを選ぶ?」
っていう、何それ?どう答えれば満足ですか?という意地の悪い質問だったような気がする。


そのときどう答えたのかは正直よく覚えていない。
けど、このときに「この人に認められたい、認められるような仕事をしたい」と思ってしまったんだよね。


あたしという仕事人としての全人格が認められているとは思っていないけど、事あるごとに「お前、今回の○○はよかったよ、感動した」と仕事の成果を認めてくださっているから、少しは「この人に認められるような仕事」ができているのかな?そうだといいな。
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自分がいちばん、会社の中で障害者雇用のことを考えているか?

2013-04-19 00:21:02 | カイシャ・シゴト
今年に入ってからの、中原先生のブログ更新が半端なくすごい。しかも、原点回帰な感じがする、というようなことをつぶやいたら、「大人の学びを研究テーマにして10年、第二創業期だと思ってます」というお返事をいただいた。


という前置きとは関係あるようなないような、実は、今年でわたくしサラリーマン生活20年になります。第二創業期、と言い切れるほどのやりきってる感も実績も知見もないけれど、それでも20年もサラリーマンをやってれば、それなりにはいろんなことを経験するのだから、意識的に、仕事について感じることやあたしなりの仕事のスタイル、流儀についてつらつらと書き残しておこうかなーと思っております。
いつまで続くかわかんないけどね。


というわけで、時系列でもなんでもなく、思いついたことを記録しておくことにします。


ドライビング・クエスチョンというコトバをはじめて聞いたのは、中原先生のラーニングイノベーション論だったと思います。確か、三井物産の組織・風土改革物語的なセッションで「よい仕事とは?」という問い掛けではじまる社内ワークショップの事例をご紹介いただいた回でした。


ドライビング・クエスチョンとは良質な問いかけ、という意味で、乱暴に意訳しちゃうと、この問いの答えを探すプロセスにおいての活動や思考に価値がある、ってことだと思う。(間違ってたらごめんなさいw)


あなたには、あなたの組織にはドライビング・クエスチョンはありますか?


という問いかけがセッションの中(事後課題かな?)でなされた。


Rグループならば「で、お前はどうしたい?」になるんでしょうね(笑)


あたし?
おぢBに言われた「自分がいちばん、会社の中で障害者雇用のことを考えているか?考えていると胸を張って言えるか?」ってもの。


このコトバは20周年記念誌を作っていたときに言われた。
社長、役員はじめ関係者のコメント原稿をつくっていたときのこと(え?ゴーストだったの?というのは不問で)。役員であるおぢA、おぢBの口を借りて、当社が創業以来、大事にしてきた考えや守り続けたスタンスを紹介しようと記事を書いた。
校正をお願いしたおぢBから帰ってきたのは、赤入れではなく「違う、何かが違う」ということでした。
てにをはをはじめとする文章そのものではない、伝えたいことは間違っていない、でも、何かが足りない、と言われた。そう、キレイにまとめすぎてないか?暑苦しい思いが足りなくないか?ってことを暗に言われたんだと思う。


時間がないのはわかるが、だいじなことだから、もう1回考えないか?話をしよう、とご飯をたべた感覚すら忘れるくらい本当に忙しい方だったのに、最優先で時間をつくってくれて、思いの丈をぶつけられた。そのときに言われたのがこれ。


「自分がいちばん、会社の中で障害者雇用のことを考えているか?考えていると胸を張って言えるか?」


記事の内容に直接は影響しないかもしれないけれど、これを言われたことで、あたしにはどう表現すればいいか、どう伝えればいいか、ということがわかった気がした。
そう、つまり、そのくらいの覚悟を持って書いているのか?2ページの原稿を書くことが仕事じゃない、メッセージを伝えられてこそだと。アタリマエすぎるくらいアタリマエだけど、時間とあたし自身の語彙力、文章力、思考何もかもが不足している中で、納期を優先させた結果、思いが中途半端になっていたことは否めない。


その後、すぐに書きなおした原稿を、おぢBは、これだよ、これが言いたかったことなんだよ、と言ってくれた。


あたしにとっては、原稿が間に合った、褒められた、ということも当然大切だけど、だいじな何かを気付かせてもらった出来事だった。


青くさいかもしれないけどね、やっぱり「思い」ってだいじ。
拙い文章だったかもしれないけれど、「思い」があったから、原稿として成り立ったんだと思う。


そして、この「自分がいちばん、会社の中で障害者雇用のことを考えているか?考えていると胸を張って言えるか?」という問いはこのカイシャで仕事をする上ではドライビング・クエスチョンであることは間違いない。
それはわたしです、と胸を張って言えるか?と自問自答する行為がだいじなんだと思う。


残念だけど、あたしは、「自分がいちばん、会社の中で障害者雇用のことを考えているか?考えていると胸を張って言えるか?」に胸を張ってYESとは言えない。


けど、これだけは自信を持って言える。


「あたしがいちばん、カイシャの中で、この会社のことを魅力的に伝えられる。」


それが、このドライビング・クエスチョンに対するあたしなりの答え。


今のあたしにとってのドライビング・クエスチョンはなんだろ?
それを考えることがサラリーマン生活21年目の問いな気がするよ。
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私の仕事のこだわりは「できることは全力でやる」です。

2013-04-08 01:09:04 | カイシャ・シゴト
この数カ月、そしてラスト3週間は本当に追い詰められてた大仕事が昨日終わりました。

ボスからの「今年の社員総会は、”内”に目を向けたい。うちの強みは『きちんとした仕事』。それを伝えられないか?」というばくっとしたオーダーに応えるべく、12月から調査、企画、根回しを開始。
ボスをはじめ、誰も確たるイメージは持ってないから、とにかく聞いて回って、それをいつものスケッチブックにポンチ絵描いては「こんな感じですか?」と何度も何度も確認して、コンテンツを創り上げた。

最終的に、8つの仕事を3つのパートに分けての動画と、知的障害を持つメンバーの1日を密着取材したドキュメンタリーに、23人の仕事のこだわりを語ってもらったショートムービーを、入社3年目と3カ月のフレッシュな2人に進行してもらうスタイルで行いました。


結果、
大成功だったんだと思う。
何人もの人から、よかった、感動した、これをグループ会社の人たちにも見せたい、と言っていただいた。

おぢBに至っては
「お前、これをこのままにしておくのもったいないから、ちゃんと次につなげられるように使え。DVDにしてくれ、いろんな奴らに見せたい」と、またそんなどでかい仕事を(+_+)

あたし自身はまだ客観的に振り返れていないし、あれもやっておけばよかった、これもやっておけばよかった、なんで気付かなかったんだろう?と凹むばかり。いつもこういう企画を終えたときにはそういう思いにさいなまれるけど、今回もご多分にもれず。過去最大級に凹んでいる。

正直、限られたリソース、時間の中でできる最大限の成果だったと思う。

けど、
本当にたくさんの人にインタビューをして、あたし自身が「すごい」「おもしろい」と思う仕事を選んで、さらに取材して、撮影して、編集して、テロップつけて、司会の2人に語ってもらうことを決めて・・・もっとうまく伝えられたんじゃないか、もっと魅力的に映せたんじゃないか、という思いが消しきれないのです。

そう、
話を聞きに行くと、本当にみんなが、自分の仕事を誇らしげに語ってくれる。あいつ、うまく話せるかな?とおぢらが心配してたメンバーも本当に饒舌に語ってくれる。
それを100%、いや、それ以上に伝えられてこそ、だったのにね。

この仕事を通して感じたこと。
愚直に仕事をする姿は本当に美しいし、かっこいい。
みんな、自分の仕事のことは語れるし、語りたいんだ。


中原先生にインタビューしていただいたときにも言ったけど、ほんと、みんな喋りたいんですよ。それに、ちゃんと喋れるんですよ。

今回、動画に登場してもらった人は、言葉を選ばずに言っちゃうと地味な人。地味だから、表舞台にはあまり登場しない。だからおぢらは心配する。あいつだいじょうぶかな?って。
でも、そういう人にスポットを当てたい、というボスのこだわりだったし、あたしも確信があった。絶対にだいじょうぶ、みんなちゃんと語れる、って。

いい思い出でした、と言えるほどに消化できてないけど、ほんとーーーーに大変でツライ仕事でした。

誰もイメージも答えも持っていない。けど、いつものように、できたものに対して「んー?なんかちょっと違う、もっと面白くできないかなー」的な無邪気なオーダーはやってくるし、仕事内容をインタビューさせてもらおうとお願いしたら、言論統制が敷かれてるんじゃ?っていうとある部署では「マネジャー会議で人選について話し合うから待ってて」と言われ、とにかくたくさんの人の話を聞きたいんです、ボスの要望が「普段は目立たなくて地味だけど、実はすごいって仕事、人を取り上げたい」なのです、と食いついても、○○さんは△△な理由で取り上げてもらうと困るだの、室のキックオフとかぶるだの、とにかく「難航」した。

でも、現場のみんなが本当に協力的で、仕事の話をいきいきとしてくれる。それにとにかく助けられました。

企画の最後に流した23人が登場する「仕事のこだわり」ムービー。
お金と時間の関係で、あたしがビデオを回して編集して制作した。
23人分の撮影もそりゃー、大変でした。1日に別ビルを4往復したこともありました。

それでも、その場で語ってくれる仕事のこだわりに、うんうん、とうなずき、感動し、そのたびにパワーを貰ってなんとか乗り切れたような気がする。


そのラストに流したクレジットがこれ。
これからも、それぞれのこだわりを大事にしていけるそんな会社でありたい。

++++++++++++++++++++++

○○○(社名)はメンバー一人ひとりの
仕事のこだわりでできている会社。

そして

このこだわりから生まれる、
お客様の「ありがとう」や「笑顔」を
エネルギーにしている会社。

今期も
たくさんの「ありがとう」や「笑顔」に出会えるように
自己ベストを尽くそう。

++++++++++++++++++++++

ちなみにタイトルは、ムービーのラストに登場した車いす男子のこだわり。
こんなに力強く言えるか?と自問中。
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みんなのこと好きーーーーっ!が起点なのかも。研修事務局やファシリテーターは天職か?な話。

2013-01-30 23:02:43 | カイシャ・シゴト
すんごい久しぶりのブログ。しかも、すんごい久しぶりに人事、人材育成系のネタ。


ひょんなことから、というか、とーーーーーっても光栄なことですが、あたしが社内で行っている研修やワークショップの事務局業務、企画設計業務、ファシリテーションに関して中原先生からインタビューを受けた。


インタビューを受けることは内省を促すことであり、自分が無自覚、無意識にやってきたことを意味づけする力があります。そして、新たな気づきも。


当社は、リーマンショック以降の構造改革の名のもとに行われた経費削減の中で、大幅に教育研修費を削られ、そのタイミングで全社の人材開発担当になったわたくしは、やむを得ず、「内製化」に踏み出したわけです。


(「内製化」の定義はぼんやりしていますが、ここで言う「内製化」とは、教育研修プランを立てて、当日のファシリテーションを含めての行為をとりあえず指します。)


もともと、事業部門にいたときに、勝手に若手を集めて勉強会をやったり、新任のスーパーバイザー(班長みたいなもんね)対象にチーム作りを考える研修をやったりしていたので、それなりの土壌、というか下地はあった、とは思う。


自分でもそれなりに手間はかけているなぁ、とは思っていたけど、あらためて「そこまでやってる人はいないですよ」と言われて気づいたこと。


たぶん、研修事務局やファシリテーターをやりたい、という欲求であったらここまで手間はかけずに効率的にやったと思います。仕事だからね、生産性が高い方がいいわけで。


でも、なんでそこまで手間をかけているか、と言ったら、やっぱり、
「この人のために何かしたい」
「なんとかしたい」
という思い、な気がするのです。


だから、事前の根回しや、一人ひとりに個別にコメントつけて返したり、研修に来る前の普段の様子を見聞きしたり、そういうことが苦痛ではないし、むしろ、そっちが本来の人材開発部門の仕事、だと思っているのです。


普段の仕事ぶりは細かいことはわからないけれども、200人規模の会社であれば、噂も含めていろいろ聞こえてくるし、経営企画室、なんていうスタッフ部門にいるので、実際に見に行っちゃうことだってできる。
おぢ会議では人事情報も話されるから、「ふむふむ、上はそう見ているのね」という目線、視界の違いもインプットできる。


弱っている人、ちょっと躓いている人には元気になってほしい。


当社に限らずどんな会社でも、みんな、入社したときはキラキラいきいきしているのですよ。つまりはキラキラな状態をみんな経験しているし、持っている。
けど、月日が経って、仕事が覚えられない、とか、イマイチ人間関係がうまくいってない、とか、いろんな負の要素が絡みあってキラキラな状態から離れちゃう。離れた状態を見ているおぢたちが「あいつはイマイチだ」的なレッテルを貼る。それってなんだかなぁ、と思うわけで。
そりゃー、現場はつらい。仕事は楽しいことばっかりじゃない。けど、キラキラな状態を少しでも長く維持してほしいじゃない。自家発電できればいちばんよいのだけれどね。


研修ってそんな要素もおおいにあると思うのです。


その研修受けて何かいいことある?的におぢたちからはアカウンタビリティを求められます。さらに即効性も求められます。次の日から人が変わったように仕事できるようになる、とかね。


んなわけないじゃーん。と思うのです。


もちろん、それができればそれに越したことはないけれど、数時間、長くても数日間の研修で人が変わったように仕事ができるわけがない。
研修って、日常の仕事場から離れて、日常では味わえないことを体験して(それは知識のインプットだったり、思い出すことだったり、対話によって違和感感じることだったり…)、「次」への活力とかきっかけになる、その程度のものだと思うのです。
プアーな表現ですが、「元気になる」ね。


中原先生から「ひめさん、この仕事、天職ですね。きっとまたどこかでやると思う。」と言われましたが、うーん、どうだろ?
たぶん、人ありき、なので、この人たちのこと好きーーーーーーってなるかどうか、な気がする。


逆に言うとね、みんなのこと好きーーーーって思える人たちと関わって仕事ができている、ってことはホントにシアワセなことなんだろうな、と思うのです。ありがとうありがとうありがとう。



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なんだか温かい気持ちになりました。トレーニングビートをやってみた。

2012-11-20 00:43:42 | カイシャ・シゴト
当社は通年採用がメインなので、毎月のように入社者を迎えています。同期がいる人もいない人もいて、さらには前職のキャリアや年齢もまちまちなので、よくあるいわゆる階層別研修、年次研修というものが今一つマッチしません。

とは言え、同期の存在って精神的支援の柱としてもだいじだし、せっかくお迎えした仲間だもの、だいじに育てていきたい、入社当時のキラキラと希望に満ちていた思いはずっと持ち続けてほしいし、ずっと元気でいてほしいという思いは誰にでもある。

研修やります、と言うと「それやって何の意味があるの?」と二言目には、いや、一言目から言われる昨今ですが、入社約半年が経過したメンバーとのフォローアップ研修だけは、すんなりと送り出してくれる。ありがたいことです。
半年もたてばそれなりの戦力ではあり、半日からの時間、職場を離れるわけですから。


このフォローアップ研修では、半年間の振り返り・・・どんな人と関わって、どんな経験をしてきたのか、一人ではできないことが組織だ、その組織の一員としてあなたはだいじな存在なのですよ、ということをメッセージしている。


今までは、レゴブロックを使っての振り返りを行っていたんだけど、今回はマッサージルームの施術師、視覚障害のメンバーが2人ほど参加するので、レゴで表現、といった視覚的要素の強いプログラムはそぐわないよなー、と思って、さて、どうするか?とあれこれ考えたり、試したりして、先日、MALLのイベントで体験したトレーニングビートをやってみることにしました。

トレーニングビートって何?はこちら


もちろん、素人なのできちんとしたファシリテーションはできるはずもなく、ここは、チームを体感することに徹することに。
シェイカーを右隣の人に正確に渡すShaker Take A Passのワークをあたしも入って8人でやってみました。
前回、MALLのイベントで体験したときには30人くらいの巨大な輪で実施したものを8人という小規模になったらどうなるんだろ?別の場所でちょっと実験してみたりしたけど、きちんと狙い通りにいくかどうかはまったく五里霧中。ドキドキでしたよ。


ただ、8人という小規模でも難易度は下がらない、という確信はあった。
視覚障害が2名、上肢障害(左手指の欠損)が1名と、配慮が必要なメンバーが約半分だからおのずとみんなが少しずつ協力し合わなければ成り立たないだろう、と思っていた。


シェイカーを隣の人に渡す、そのスピードを速める、落とさないように正確に渡す、そのためにできること、どんな工夫をしたらいいかをみんなで出し合ってやってみる・・・たったこれだけのシンプルなワークなのに、またたくさんの気づきをいただきました。


MALLのイベントのときにも思ったこと
・意見を言ったら、すぐに取り入れる → トライアンドエラーのしやすさ、敷居の低さ・・・普段の仕事だって、そうじゃん。とにかくやってみよう、うまくいかなかったら別の方法をやってみればいいじゃん、っていうマインドはだいじだよね。(なんでそうなれないのかはここでは不問でwww)

・声を掛け合う、出すことの大切さ → 手渡しするときに「はい」と声をかける。これだけでものすごく安心するし、声を出し合うことでなぜだか一体感が醸成される。あいさつってだいじなのよね、とあらためて基本的なことに気づかされる(これまたなんでできてないの?はここでは不問でwww)


これに加えて、今回、ものすごく大きな発見と気づきがあった。


ひとつは、視覚障害と手の不自由なメンバーが参加していたことによる。彼らはどうしたってハンディキャップがあるからパスを送る人、受ける人がなんらかの気遣いをする必要がある。手の位置は固定にして、ちょっと手のひらを曲げてシェイカーを置きやすくする。これによって、彼らは”見なくても”ここに置けばいい、という距離感を計ってスムーズにおける。でも、位置がずれているかも、と疑った瞬間に”見ないで”置く、ということができなくなる。相手への信頼があってはじめて成り立つ。


もうひとつ、大きな大きな気づき。
ことの始まりは参加者の一人がぽろりと言った一言「これって8個(一人1個)使わないとダメなんですかね?」


え?意味わかんない、と思ったけど、8人で7つのシェイカーをパスしていくっていったいどういうことになるんだろう?といいからやってみよう、な精神でやってみることにした。


これが、めちゃくちゃ大きな気づきがあったのですよ。


パスするときの「はい!」という掛け声と、この場に置いてね、という手の位置は変えない。それが大前提。
8人で7個のシェイカーをパスするということは、”エアー”シェイカーなときが8回に1回やってくるのです。あれ?シェイカー受け取るはずなのに、ない!!! ”エアー”シェイカーを受け取って、掴んで次の人に渡すという”エアー”パスを行うわけです。


ものすごくだいじなこと。


シェイカーがないからと言って、次の人に”エアー”で渡さないとリズムが崩れて、パスがつながらない。自分には関係なくても、きっちりと次の人につなぐことで全体の仕事が成り立つ。


仕事に無駄なことは何もないんだ、と言ってくれたメンバーがいたけど、ホントその通りだと思う。


”エアー”な状態で渡されたシェイカーをパスする・・・一見、無意味だけど、この行為を行わないと全体が成り立たない。深い。


そして、”エアー”な状態は最初はものすごい違和感があるんだけど、パスが回ってきた、という安ど感と、”エアー”であっても回された→回す責任感が生まれる。


くるくるとシェイカーを受け渡しているだけなのに、なんて豊かな気づきがあるんだろう、と感動感激。
そして、なんだか最後にはひとつのチームとしての一体感が生まれるから不思議。


もちろん、参加してくれたみんなの協力や姿勢があったからこその気づきだったんだと思う。


「温かい気持ちになれた研修でした。」


これ以上ない嬉しい感想です。みんなを元気にするはずの研修であたしがいちばん元気をもらったかも。
そして、ここで出会って一緒にパスを回した仲間とは最高の同期になってほしい。
それぞれの職場でつらいことも大変なこともあるだろうけど、同期もがんばっている、だから、がんばれることもたくさんある。あたしもあたしのフィールドでちゃんとがんばろうと思う。


ありがとうおつかれさまでした。


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そんなこと、な仕事をしてみて思ったこと。労働とは尊いものなのだ。

2012-10-02 23:02:46 | カイシャ・シゴト
ちょっと前になりますが、親会社の分社や、ロゴ変更を控えて、当社の事業部門がてんやわんや(古)ってことで、我々スタッフもちょっとばかりではありますが、お手伝いに行きました。
入館証の差し替え、封入作業など。ボリューム対応ですから、単純作業っちゃあ単純作業です。


そんなこと、な仕事かもしれませんが、そんなこと、な仕事をしてみて思ったこと、感じたことがいくつかあります。


あたしは封入作業のお手伝いに。1500部、6種類のペラやとオーダーシートを封入する、って作業。この仕事を通じて、最近、ことごとく言っている労働の尊さをあらためて実感した。


ひとつは、
目の前の仕事がどんどんと減っていくってことがとても嬉しいんだ、ってこと。1500部、絶対に終わらないと思ってたと、当該部門のリーダーが言ってたけど、終わらせたっていう達成感は確かにある。それも強固に。


もうひとつは
工夫のしがいはいくらでもある、ってこと。
50部ずつ仕分けした束を、封入する順に作業机に並べる。そしてそれを封筒に入れる。
封筒の向きを、封入口を上にすれば封入しやすいのはもちろんだし、移動/稼働距離を短くするように、封入物を横一列に並べるのではなく、L字に並べたり、きちんと6種類の封入物が入っているかを確認できるように6種類を少しずつずらして封筒に入れる、とかとか・・・。
これねぇ、結構、クリエイティビティ発揮できます。


もともと手先はそこそこ器用だけど、2時間もやっていると熟達していって、左手をスライドさせながら紙を掴んで、その厚みで「あれ?もしかして足りない?」なんてことに気付けるようになっていく。この過程が、自分でもおもしろかった。1500部3時間ちょっと。異様に速い、まさか1500部全部終わるとは思わなかった、と褒められました、いぇい(*^^)v 


さらにもうひとつ。
作業だ、って思うと、封入物の向きや汚れは気にならないし、封入した封筒をばさっと投げたりすることもどーってことなくなっちゃう。
けどね、シューカツ中の学生さんに渡ったときに、中身を見て「リ●ナビの登録用紙が入ってなかった」とか「パンフレットが折れてきたなかった」となったら、そりゃー凹むと思うのですよ。縁起悪い・・・と思ったりね。そりゃ、責任重大だ、間違えちゃならねぇ、と思い至るわけです。
そういう想像力(妄想力ともいう)を働かせると、単なる封入物ではなくて、学生と社会をつなぐお仕事をしているんだなぁ、と思えるわけです。そりゃ、毎日毎日やっていたらそんなに思いは馳せられないだろうけどね。


さらにさらにもうひとつ。
リ●ナビ登録用紙が入っていたので、「ねぇねぇ、後学のために教えて。これって、この登録はどこでやってるの?」と訊いてみたら、
「僕が就活中の大学生だとするでしょ、説明会に行きます・・・・」と流れを細かく説明してくれたのです。
アタリマエなのかもしれないけど、あたしは結構、感激したのです。ちゃんと自分の仕事が全体の中のどの部分を担っているのか、ということを知っている。知っていて、派遣スタッフさんはじめメンバーに指示を出しているんだってことが。


てな具合に、そんなこと、って言われる仕事をしてみて、あたし自身はとってもたくさんのことに気づいた。そして、あらためて、労働の尊さ、みたいなことを実感したのです。


ところが、おつぼーねさまは、声を震わせて「ねぎらいの言葉がなかった」「手伝いたい気持ちはあるけど、派遣スタッフの代わりならわたしは行きたくないし、行かせたくない」と仰っておりました。
ふーん。わからなくもないけどね。
確かに、あたしやおつぼーねさまの人件費で、こういう軽作業をやるのはバランスが悪い。もっと企画チックな仕事をしろ、ってことは重々承知。でもね、現場のことはわかるし、役にたってる感はあるし(実際にもちょっとは役に立ったわけだし)、自分自身にとっても「働く」って意味を再認識できるわけだし、あたしはそんなに構えずに、工数に余裕があるならいつでも手伝いに行きたいなぁ、と思った。んで、もうちょっと図々しく、ここはこうしたら?的に口出してこれたら尚よいんだと思った。


ついでにいうと、派遣スタッフやアルバイトの代わり・・・って表現は彼・彼女らの仕事をバカにしとるぞ。こういう地道な仕事をやっている人がいるってことを忘れちゃいけないし、そういう人に支えられているんだと思うのですよ。


なんでしょうね?この、作業を軽視する風潮。そんなに文系ホワイトカラーが偉いんかい?


知的障害のメンバーと一緒に仕事をしていて常々感じていることがあります。
うちの部署にいるHくんは、朝は8時20分には出社して40分からの仕事に備えています。日中は常に小走りで仕事をし、17時半のチャイムと同時にそそくさと、ときにダッシュで帰ります。
お母様曰く、家に帰るとご飯を食べて、テレビを見て、早めに休む、それだけのシンプルな生活です。休日は、お給料日の直後だと時刻表や路線図が好きな彼はひとりで遠くに出かけて、時には豪華に鰻を食べたりするそうです。一方、給料日前になると、コンビニ弁当で済ませるとか。りそーすべーすどびゅー、そのものだ。


とてもシンプルな生活です。
これでいいんじゃないか?と思うのです。ウィークデイの日中、彼は力を100%発揮できる仕事をして、そこでは一生懸命、自己ベストを尽くしています。


がつがつ働くのは嫌だ、とか、もっとのんびり行こうよ、とか、それもわかります。
あたしだって競争はキライだし、ガチで切った張ったな世界は苦手です。
でも、だからと言って、自分のフィールドから、自分が100%の力を発揮することから、降りちゃダメなんだと思うのです。
彼らがすごいのは、常に100%だ、っていうことです。


思考したり、もやもやしたり、という喜び(苦しみ?)を知らない彼らは、ホワイトカラー文系な目から見たら不幸かもしれない。けど、毎日毎日、自分の仕事を全力でやりつくす、そんな喜びを知っている彼らはとても幸せなんだろうな、と思うのです。そして、自分の仕事を全力でやりつくせないあたしたちの方がずーっとずーっと不幸なのかもしれないなぁ、と。


そう、額に汗して、愚直に労働している人は美しい。あたしもそうありたい。



いちお、補足、追記しておきます。
上記の彼らの話は美談ではあります。実際には、加齢によって「できていたことができなくなる」こともあるし、時には「あれ?この前はできていたのに・・・」ということもあります。人それぞれだし、状態も状況も日々違います。すべてが彼のように100%の力を発揮して働いているというわけでもありません。サボることを覚える人もいます。それもまた事実です。
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女を武器に仕事するのも悪くない、な話。

2012-09-26 01:22:16 | カイシャ・シゴト


昨日、実践女子大の学生さんから「女性としてのキャリアライフ」ってテーマでインタビュー受けた。産能の荒木先生のワークショップでおしゃべりしたご縁で、実践女子大の松下先生に出会い、実現したもの。なんでもゼミ活動の一環で、インタビューしてオリジナルのメディアを作る、というワークをされているそうです。
バリキャリでもワーキングマザーでもなく、ネガティブな理由で転職してるし、スキルアップなんてんことを考えずに、ただ働いてきただけなあたしなんかの話でいいんですか?とお話しいただいたときにお訊きしたら、がつがつしてない、けど、最小限の活動量なわけでもない「スマート女子」っていうスタイルを浸透させたいんです、っておっしゃっていただいたので、まぁ、スマートっていうほどかっこよくはないけど、中庸な女子でもゆるゆると働き続けていいんだよ、っていうモデルになれば、とお受けした。


よく、中原先生も仰っているけれど、インタビューを受けるって内省を促す。昨日も大きな気付きがあった。


仕事を続ける上で大変なことは?(やや意訳)って質問に答えようと逡巡して思ったのは、

この仕事は合わない、とか、会社を辞めたいって思うことはあったけど、働くことを辞めたい、と思ったことはなかった。
生活かかってるからって言っちゃえばそれまでだけど、働く、労働するってことはものすごくシンプルな欲求なのかもしれない、少なくともあたしにとっては。

ってこと。
正社員だろうが非正規だろうが、たぶん、労働し続けるんだろうな、って思った。


女性として働く上で性差って感じますか?って問い。


あたし自身は女だからと不当な扱いを受けたことってあまりない。そりゃー、“出世”という点では確かに不公平を感じることもあるけど、おもしろい仕事もしんどい仕事もさせてもらった。ストレッチの効いた仕事や、しゃちょーに怒鳴られる経験、朝4時の新店引き渡し+設営、2泊3日弾丸新店立ち上げ4店舗ツアーとかとか・・・。それはとてもシアワセなことだと思う。働いていたからこそできた経験はたくさんある。


若いころは「女だからってなめられたくない」的に多少肩肘張ってたかもしれないけど、今は逆に女であることを逆手にとっている。結果として仕事はものすごくやりやすい。
にっこり笑って、教えてください!って突撃するとおぢもおばもみんな親切に教えてくれる。消防署のおぢちゃんも親切に教えてくれるし、工事やビル管理のおぢさんも親切。差し入れ持っていくのだって女子だからこそ、倍くらい効果があるわけで。「いつもありがとな」ってお願いごとをするときにもすんなり聞いてくれるのも、やっぱり女子だからこそ、な気がするのですよ。


せっかく女子に生まれたんだもん。オシャレを楽しむのと同じように女性ならではの武器は使った方がいいよなーとおばさんと呼ばれる年齢になって気付いた。もっと早くからやってたら違う人生あったかも(笑)
めんどくさい仕事を任せると「それってあたしの仕事ですか?」的にまくしたてたり、すぐに泣いたりするような扱いにくい女の子になっちゃいけないけど、女であることは忘れずにしたたかに生きていくってのはありなんじゃないか、って思うのですよ。そのためにはミニスカだってはいちゃいます(笑)


ケッコンとかシュッサンとかはどう考えてますか?って問いは「あいたたたた(>_<)」でありました。
ここは全く参考になるようなこと言ってあげられないんだよねー。残念ながら。
タイミングと縁だものねー。
キャリアが途切れるだなんて考えてはいなかったんだけど、今の生活捨てるの億劫、って気持ちが強かったかも。そんなこと思わずに飛び込んでみたら、これまた違う人生があったかもね。あの頃のあたしに言ってあげたい、「迷ったら行け」(笑)


まぁ、なんにしても今の生活は楽しい。ひとつ何かやると、次の何かを連れてきてくれる、公私ともに。そんな連鎖を感じられるのはステキなことだ。
あと10年早くこんな生活してたら、もっともっと楽しかったのになー、と思うけど、それはできない相談ですもの(笑)
老化と引力に負けずにがんばるよー。


それにしても女子大生たち、可愛かった。
いまどき学生は、もちろん人によるんでしょうし、出会った先生にもよるんでしょうが、いろんなことやっててホントにすごいなーと思う。あたしなんか、ゼミゼミバイトサークルサークルサークルゼミバイト・・・って感じだったもの(^_^;) 
そ、当時の「よい先生」「よい授業」の定義は「出席しなくても単位がもらえる」だったもの。今じゃ許されないですな(笑)


あらためて、松下先生はじめ導いてくれたものすべてに感謝。貴重な機会をありがとうございました。

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あなたなら頑張れますね。

2012-08-27 02:04:14 | カイシャ・シゴト
”越境学習”している先で出会う人は尊敬する人ばかり。とても親身になって相談に乗ってくれたり、エールを贈ってくれたり、ともに学ぶ/働く人を支援しようという思いが自然にあふれているステキな人ばかり。先日もとっても嬉しいメッセージをいただいた。


ことの起こりは、ずいぶんと前からキャリアカウンセリング、相談室的な機能があったらいいんじゃない?というようなことを、上司に具申していた。その当時はリソースもなくて、軽くスルーされていたけど、去年、キャリアカウンセラーの資格を持つ人が着任したことや、社員全員にキャリア面談と称した面接を行ったことからにわかにそれが現実化してきた。


キャリアと言っても、みんなが直線的なキャリアを描くわけじゃないし、あんまり先のことを考えていないメンバーが多いし・・・と「キャリア」について語ること自体が受け入れられてないなーという感覚はずっと持ち続けていました。
(キャリア、については人それぞれの捉え方もあるので、ここでは深くは言及しません。)


で、相談室的機能を作りたい、という起案をおぢ会議でしたところ(あたしが起案者ではありませんが)、


猛反発。


曰く
キャリア面談、支援はマネジャーの仕事だ、マネジャーのプライドを踏みにじる気か?
とか
もうすでにこれらの機能は室内でわたしが(おぢD)がやっている 人事にやってもらう必要はない


ふむー。


起案者的には、直属の上司に言えないから駆け込み寺的な機能が必要なんじゃん?という忸怩たる思いもあったようですが、それでも、メンバーにとっては相談できる先がある、というのは悪いことじゃない。
相談したら、不満を言ったら、解決してくれるのは会社、ではなく、自分でもできることあるよね、と自己変容を促すようにしていくことはだいじだと思う。


で、一度は流案となってしまったのですが、このままつぶれてしまうのは双方にとってよろしくないしなー、とちょっと思いついて、伊藤忠の浅川さんのところに行ってみませんか?と上司に提案したら、おぢらにも声かけてみるよー、おぢになるとなかなか学びの機会がないからインプットしに行くことは大事だと思うよー、と言ってくれて、根回しをしてくださいました。



先月、おぢC、おぢDと上司をお連れして浅川さんのところにお伺いして、たくさんのお話しをお聞きした。


・個のサポート⇔組織としてのあるべき姿の間でいまだにジレンマを感じている

・伊藤忠でもキャリアの定義はない  伊藤忠の社員でも、自身のキャリアややりたいことを明確に持っていない 
 ※持っていないという前提に立つ

・Mgr、課長に期待しすぎ(メンバーは新型うつ、上からは業績達成を求めらる…)
 課長が 話をする時間、人の話を聞く時間、教養を身に着ける時間、考える時間、家族と過ごす時間、ボランティア・・・これらの時間を取ることで生活が豊かになり仕事も豊かになる

・室を開設しても相談者は来ない  来てくれてありがとう という気持ちが相談員にはだいじ

・通常のカウンセリングでは、主訴はなに?から入ってしまうが、それはしない 信頼関係がベース

・相談内容 転職や職場の人間関係に関することがメイン ほとんどが複合
 ハラスメントほどではないが、どこかかみ合わない、やりたいことと違う、などの訴え
 ほとんどは思い込みや感情論 上司の説明不足が原因 来室者には感情と理屈を整理するだけですっきりする人も

・改善してほしいという意見には? 
 上司へのアプローチは原則行わない 上司へアプローチする場合には直接的に、ではなく、その上司に話を聞きに行くスタンス
 
・言っても解決してくれないという不満にはどう対応しているのか? 
 守秘義務の原則を冒頭に伝える 自分で解決すること 解決してほしいときには開示するように伝える 

・ゆっくりと話をする/聞ける場所があることが大事

・人事部員は行きにくいのでは?  
 人事とはフロアも機能も分けている  人事であっても行きたくなる場でなければならない
 開設しようとする人に必ず言っていることは「あなたが一番先に行きたいと思う場でなければならない」

・浅川さんの思い
 自分のキャリアを大事に 周囲との関係を大事にする姿勢を持っていれば組織、会社はいきいき・わくわく・キラキラなものになる 仕事はつらく耐えるものではない


思いって伝わるんだなーって思ったのが、      


帰り道、いちばん否定的だったおぢCが
「ひめが紹介する人はみんな熱いよなー。やっぱりそれくらいじゃなきゃダメなんだよなー。」とやけに上気して語っていた。そのあとも、ご自身の部下のマネジャーたちに熱くとうとうと語っていたらしい。

とか

別件でおぢDと打ち合わせをしたときに、最後に「個人的に聞きたいんだけど、CDAとGCDFどっちがいいかな?ちゃんと勉強してみようかと思っていろいろと調べてるんだ」。


とか、


何かにつけておぢCはあたしの外活動について聞きたがったり

とかとか…。



で、先日、再起案した相談室機能が承認されて準備に入ることになった。
いちばん否定していたおぢCに前回の宿題であった「マネジャーの役割とのすみわけと説明」はもうクリアできたのか?と問うたら「全然問題ない。むしろ行って来いと送り出すこともあるかもしれない」とまで。


別にあたしが起案して、あたしがこれから仕事としてやっていくことではないけれども、浅川さんのお話しを聞いたことでこんなふうに受け入れてくれるだなんて、なんだかとっても感激した。


と、ご報告かたがた浅川さんにメールをお送りしたら、


実際に連れてこられたのはあなたです。流れが変化してきているのだとしたら、あなたのお手柄です。もっと自慢してください。すごいすごい!


ですって!!!


でもね、もっと嬉しかったのはそれだけじゃない。最後にアドバイスを2つ、と

「質問があったって喜んでたらダメです、定期的にころあいを見計らってこちらから情報を流していくんです。こんなこと知らない?って訊いてこられるようになったらしいめたもんです。
会社のシンクタンクになるのです。」

「もうひとつ、部下の話を聞くのはマネジャーの仕事。でもちゃんとやっていなかったら、そういう育成をしていない会社の責任です。研修受けたからってすぐにできるわけではないってことをわかってますよね?ご自宅で奥様のお話し聞いてあげられてます?って笑って言ってみてください。」


褒められたことよりも、こうしてさらなる課題を与えてくださったことがとにかく嬉しくシアワセなことだと思った。
会社のシンクタンクになっていきなさい、というメッセージはとても勇気づけられた。密かにそういう存在になりたい、と思っていたので。人事やキャリア、育成という分野だけではなく、障害者雇用の分野においても。


浅川さんは「社内カウンセリングの普及」が夢だ、とおっしゃる。そしてそのためには協力を惜しまない。なかなかできることではないよね。この志の高さと懐の広さに惹かれるのです。


ちょうど、このメールをいただいたときに、見学対応をしていた。
最初はチューニングが合わずにやりにくいなーと思っていたけど、最後はとてもよい濃密な会話ができるようになった。いらしたお客様の雇用にかける思いもお聞きすることができた。こちらが誠意を持って接すれば相手も必ず心を開いてくれる。
そう、これなのよ。あたしが作った会社でもないし、あたしのはたらきなんてちっぽけなものだけど、うちのカイシャが今までやってきたことは世間に対して誇れることだし、障害者雇用の概念を覆すような運営をしている、って自負してる。


障害者雇用、自律・自立した特例子会社の普及が夢です、と言い切るにはまだまだ自信もないし、ひよっこだけど、いつかそう言えるようになりたいと思ったし、そうならなきゃ、あたしがこの会社にいる意味がない。


ステキな先輩たちがこうして導いてくれること、本当にありがたいことだし、シアワセなことです。
ありがとうございます。
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学びは楽しいものなのだ、たぶん、きっとそう。

2012-07-23 01:10:15 | カイシャ・シゴト
怒涛の3週間が終わって、さ、来週(今週?)からは課題やろ、ちょっと腰据えて仕事しよ、と思ってますが、既に次の山場、苦手な仕事が大挙して押し寄せてきております。
いろいろあるけど、このことを整理しておかないと先に進めそうにもないので、ツイートしたのを中心に残しておきます。


先週の木曜日、当社にとってはものすごーーーーーーく久しぶり、実に2年ぶりの終日丸一日の集合研修を行いました。


テーマはOJT。


リーマンショック以降、親会社の従業者数がだだ減りしていたので、当社は新規採用をしなくても雇用率は2.6%あたりの高水準をマークしていました。が、とーぜんのことながら、そうこうしているうちに自然減も含めて、あらら、そろそろ新規採用しておかないとまずいんじゃね?ってな具合で去年の3月にこれまた実に2年ぶりに新入社員を迎えた。その後はほぼ毎月新しい仲間を迎え入れている。


よくある話ですけど、後輩を持つのがはじめて、育成って初めてっていうメンバーが増えてきたこともあるし、入社した人に対してきちんと育成しよう、という機運もそこそこ高まっていたので、OJT担当者研修を企画した。


コンテンツ、講師ともに、この研修は絶対にみんなに喜んでもらえる、絶対的な自信のあったメニューでした。


しかも、ある程度パッケージになっている研修だったにも関わらず、当社の事情を汲み取っていただき、さらには、せっかくひめさんと一緒にやるんだから、とラップアップ(というかクールダウン)にワークショップやりませんか?とご提案いただいて、講師によるメニューが終わったあと、まとめにワークショップを行うことになった。


がちゃトーク形式で、この1日に習ったこと、対話したことを持ち寄って、今、自分自身が抱えている”育成””人を育てる””人に教える”上で困っていることを考えよう、というもの。


このワークショップ部分のファシリテーションと、この研修への参加動機についてきちんとコミットを取っておかなったメンバーがいたことに激しく凹んだ。


すべての人に満足してもらうことはムリだと思う。それでもやっぱり何かを持ち帰ってほしいと思うから、些細な失敗や設計の甘さに激しく凹むのです。たとえ大多数の参加者がよかった!と言ってくれたとしても。
99人がよかった!って言っても1人がイマイチな反応してるとそれだけでダメ。それはプログラムや事務局のあたしの問題ではない、大多数を救えと上司によく諭されるけど、それでもやっぱりダメ。


今回の研修では(というか集合研修って大なり小なりそうだと思うんですけど)、具体的なノウハウを身につけるというよりも、OJT担当者としての心構えとか、相手本意のスタンスが大事だよ、ってことを伝えたかった。
だから、「相互理解や相手本意はわかるけど、時間がない中でそんなことはムリ。だから心構えよりもすぐに役立つことを教えてほしい」と堂々と主張して参加した人がいたことに少なからずショックを受けた。いや、そういう考えもあっていいのに(共感は1ミリもできないけど)、その考えはおかしいよ、って言いたくなっちゃう自分がいて、それって参加者を統制しようとしてるってことでは?と思って凹んだり…つくづくこの仕事向いてないなぁと思う。


そして、社内で、特に研修の一環でやるワークショップでは設計通りに進まないと気が動転する。テンパってしまう。
研修だから目的を達成しなければ・・・とゴール志向になってしまうから、シナリオに戻そうというファシリテーションをしてしまう。
イマココをだいじにしたいのに、組織の意向との葛藤が生まれて混乱しちゃうんだ。


カラ回りしている感、前のめり過ぎてる感、いろんな感情が渦巻いて、どよよよーーーーんと落ち込む。いつも研修の後はこんなキモチになる。


でもね、ネガティブなこと書いてるけど、すごーくよかったんですよ、研修。
終わった後、何人も「楽しかった!」って高揚した顔で言ってきてくれた。後からいろんな人から、「研修に参加した○○がものすごく愉しかった、良かったって言ってました」って聞いたり、まだまだ〆切りまで時間があるのにどんどんとレポートが集まってきていたり。
共通した感想は「楽しかった!」


楽しいだけでいいのか?とおぢらは言うだろうし、研修なんだから何かを学んでこそ、実践できてこそ、なんだろうとは思う。


でも、いいんだよ。楽しいだけで。
楽しくなかったら、学びが苦しいものになったら誰も学びたがらなくなっちゃうもの。


自分自身のファシリテーションの未熟さ、設計の甘さ、根回しの甘さはこれからも精進するとして、今回の研修を通じて、ひとつだけ確信が持てたことがある。


学びは楽しいものなのだ、楽しく学ぶ、学んでるって感覚なしに学ぶ…そんな場を作りたい、いざないたい。


中原先生追っかけてたときの原点がこれ。そして、これがあたしの根源的能動性なんだと思う。
人材育成とか人事とか、教育とかそーゆー括りはどーでもよくて、楽しく学ぶ場を作ること、ただそれだけ。
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「成長」の呪縛。

2012-06-03 01:58:00 | カイシャ・シゴト
ことの発端は、隣の室のマネジャーに、彼の親友だという別のマネジャーのことを「最近○○さん、ヤバそうです。何か会話してます?」と言ったことから始まった。
会話の中心は「ヤバそうなマネジャー」の仕事っぷりだったんだけど、最近、元気なさそうに見えるけど、と心配された。「そりゃー、いろいろ悩んでますよー、このままでいいのか症候群です」と軽口叩いたら、


事業で仕事するって選択肢はないの?
今とは違った「成長」ができると思うけどな。


と。


ありゃりゃ。激しく違和感。


なんで?


ひとつめは、もともと、あたしはライン志向だったってこと。今のカイシャに入ったのだってそれが出発点だったし、社会人のスタートもそう。そういや、就職活動してたときにも「ライン志向なんですね、スタッフでもじゅうぶんにやっていけると思うし、むしろスタッフに欲しいけど」みたいなことはよく言われた。
社会人大学院に入るときの研究計画もIEとからめて「効率的な組織設計と運営」みたいなことをやりたい、ってものだったし、何よりも、ケイエイキカク室に異動、専任になるときに、泣いて嫌がって(あ、泣いたというのは嘘ですwww)、おぢCに怒られたし。


もうひとつの違和感は「成長」ってことへの呪縛。


成長って言葉に今、異常なほどに拒否反応示してるんだけど、それってなんでだ?っていうと概ね3つの理由から。


一つ目は、
成長成長っていうけど、そんなに右肩上がりでがんばっていかなきゃならないのはしんどすぎる、って思い。これは今、殊更に弱っているからそう思うのかもしれないけれど、しゅーかつ中の大学生が陥るように、ばりばりと働くのはあたしにはムリってキモチに近いかも。どこまで行ってもゴールがない、あの坂を登れば海が見えるはずだったのに、また坂かい??見たいな息苦しさ。

二つ目は、
そうは言っても「成長」の尺度っていうのは、第三者によって定められているっていう違和感。特にカイシャ組織にいるとなおさらで、上司の思う方向に成長してはじめて、成長したと言われる。あたし自身が自分でいくら成長した、これができるようになった、と思っていても、カイシャ/上司が認めなければ成長したとは認めてもらえないわけで。評価、とも言えるね。
あいつ、成長したな~っていうとき、なんとなーくですけどね、組織にとって都合のいい人になっていくようなそんな違和感を覚えて仕方がないわけです。上司にとって自分の存在を脅かすほどに成長してしまった部下は脅威でしかないわけで、見えない枠があるような気がするんですよ。もちろん、上司に力があればそんなこと全然怖くないんでしょうけど。

三つ目は、
あえて言っちゃいますが、成長しろ、と言っているあなた(上司)は成長してますか?しようとしてますかってこと。
中原先生と長岡先生の「ダイアローグ」のあとがきにも書かれていたこのことは、自らに言い聞かせている。他人に強要しちゃいかん、と思うけど、それでもしたり顔で「成長」って言葉を口に出されると、じゃああんたは?といいたくなっちゃうココロの狭いあたしがいます。


昨日より今日の方が素晴らしい一日でありたい、そのために一生懸命生活する、生きる。成長ってそういうことな気がする。カイシャとか仕事って文脈で言う「成長」ってコトバが好きじゃないだけなんだ、とあらためて気付いた。
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