わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

謙虚で誠実であり続ける~京都芸術大学大学院 学際デザイン領域を修了しました

2022-03-20 22:56:01 | オトナの学び
昨年の春に入学した完全オンラインの大学院 京都芸術大学大学院学際デザイン研究領域、昨日無事に修了式に出席し、学位を頂戴しました。
この2年間の学びを振り返るには、まだまだ時間が必要だけれど、まずは今の率直な気持ちを書き記しておこうと思う。


2015年に福岡女子大学イノベーション創出力を持った女性リーダー育成プログラム(通称学び直しプログラム)を立ち上げ、毎年のように受講生をお迎えして、送り出している中で、わたしもがっつり学びたい!という思いが年々強くなっていった。学んでいるみなさんが本当に楽しそうで、1年たつと別人のように自信をつけ、いきいきキラキラしていく様子を見ていると、つらいこと、大変なことも含めて仲間と一緒に乗り越えたからこそ、なんだよなぁーと思っていた。


そして、ジュンナカハラ先生がたびたび問う
 あなたは他人に「学べ」と言う。
 そういうあなたはどうなのだ?
 あなた自身は「学んで」いるのか?

がいつも胸に突き刺さっていた。


大人の学びを提供する立場にいて、わたし自身は学んでいるのか?いろいろなセミナーや講座を受講したり、資格は取得してきたけれど、どこか合目的で、ノウハウやコツをつかむために近視眼的に学んできていた。そうではなくて、価値観が揺さぶられるような、そして、これからの人生(というと大げさだけど)を歩んでいくのに、ほんのちょっとでもいいから礎となるような、そんな学びをしたいと思っていた。


いろいろとリサーチしていた頃に見つけたこのコースを見たときには、厚かましくも「これはわたしのためのコースじゃないか!!!」と思った。厚顔無恥にもほどがある(笑)
学び直しプログラムはわたしにとって命みたいなもので(大げさw)、プログラムを立ち上げてからこっち、わたしが学んでいたのはひとえに、プログラムを良くしたい、という思いからだけだった。プログラム開発、プログラム運営、さらにはわたし自身のファシリテーション、授業運営に役立ちそうなものは時間とお金と体力が許す限り学んできたつもりだった。このコースで学びたい!入りたい!と思ったのも、はじめはそんな動機だった。そして、学び直しプログラムを立ち上げて、その大変さや楽しさを知っていたからこそ、1期生として何もないところから一緒につくっていく、そんな経験をしたいと思っていた。


運よく(本当に今となってはあの薄っぺらな研究計画と志望動機でよく受かったな、と思う。)合格。晴れて1期生としての学びがスタートしてすぐに、当初の期待やわくわく感は絶望的な劣等感へと一気に変わった。できない、わからない、ついていけない。そして、できないことを自覚しているのに、とことんやれない自分が情けなく、自己嫌悪に陥っていた。


加えて、学び直しプログラムの開講延期。わたしが学ぶためによすがとしていた講座がない、という事実は自分が思うよりもずっとわたしのメンタルを直撃していたのかもしれない。このまま学び続ける意味があるのか?辞めたところで誰にも何も迷惑かけないから辞めちゃおうか?そう考えることも少なくなかった。
それでも、決められた課題を決められたスケジュールで進めて行くこと、コツコツ続けて行くことで何か見えることがあるかもしれない、掴めるものがあるかもしれない、と自分に言い聞かせ、必死でなんとか過ごしていたのが1年次の前半だった。


劣等感や自己嫌悪は消えずにいたけれど、1年次の後半になってグループ演習が始まって、少しずつ息ができるようになっていった。知らないことを知るのは楽しい、人の話を聞くのは楽しい、自分とは異なる他者の考えに触れるのは楽しい、という「越境学習」をし始めた頃の感覚を少しずつ取り戻していった。そして、異なる意見や拡散・発散された考えが収束していくダイナミズムみたいなものを体感して、やっとここでの学びが「おもしろいかも」と思えるようになっていった。


2年次のゼミを選択するときには、本当に悩んだ。
月に1回のオンラインゼミが、学び直しプログラムの開講日とほぼほぼ被っていて出席ができないことが判明していて、もうこれは1年休学して来年度に調整、挑戦した方がいいのではないか? 学び直しプログラムのために学ぼうと思っていたのに、そのために学びを止めるのはどうなんだ? 自分の領域外、興味関心のど真ん中からではない学びをした方が成長できるのではないか?などなど、相当悩んだ。たぶん白髪も増えたはず(え?)


決め手になったのは「チームでの研究」だった。
学び直しプログラムは、グループワーク、対話を中心とした学びによって課題解決力を身に着けることをゴールとしている。
「チームで学ぶ、チームを学ぶ」
これは2年目にわたしがつけた講座のキャッチコピー。こんなコピーをつけておいて、チームでの活動、探求をする機会が目の前にあるのに、やらないなんてどういうこと???ともうひとりのわたしが言う。そうだよね、自分で言ってるんだもん、体現しなくちゃ。


2年次のチームでの研究活動は、わからないことを解明することがこんなにも難しいことなんだ!と吐きそうになりながら、文献にあたったり、毎週の深夜に及ぶミーティングなど大変なことももちろんあったけれど、不思議とつらいと思ったことはなかった。


1年次前半がなぜつらかったのか。非同期のオンラインコミュニケーションに慣れないことや、内容の難易度、自分の理解力のなさといったこともさることながら、たぶん、自分自身がチームにまったく貢献できていないという事実が苦しかったんだと思う。
2年次のゼミで苦しい、つらいと思わなかったのは、やっぱりチームで取り組んだからであって、それぞれが自分の得意なことやできることでチームに貢献し合っていたから、な気がする。わたし自身が学力、能力的に貢献できていたかと問われると、それはかなり怪しいけれど、それでも自分ができることをできるときに貢献する、ひとりで全部を担わなくても、みんなで埋めて行く、そんな関わり方を体感できたからじゃないかと思う。


自分ひとりでは最後まで完走できたかどうか、かなり怪しい。みんなと一緒だから乗り越えられた。誰かと一緒なら乗り越えられるっていう最近接領域はほんとだな。そして、もうひとつは、みんなと一緒だから、わたしだけが手を抜くわけにはいかない、という責任が生まれたことも大きいと思う。たぶんわたしはひとりだったら「こんなもんでいいかー」と手を抜いちゃったと思うもの。おいおい。


いろんな演習で、いろんな人と同じグループ、チームになって、たくさんのディスカッションをしてきた。
そして、ひとつの科目が終わるとレポートをシェアし合って学んだ。これらはとてもしんどくて、他の人の発言、レポートを目にするたびに、それと比較してどよどよよーーんと落ち込む。できなさ加減に落ち込む。でも、本当に落ち込んだのは、とことんやれない自分自身に。これはひとりで学んでいたらきっとずっと気づかずにいただろう。できない自分を自覚して、それを受け入れて、そしてそこからなんとか脱しようともがく。苦しいけれど、それがわたしにとっての学びだったのかもしれない。


今からちょうど干支一回り前の2010年に産業能率大学大学院を修了した。産能では、経営学を学びに行ったはずだったけど、長岡先生に出会ったことで「越境」というマインド・スタンスを手に入れた。
京都芸大ではどうだろう?デザイン思考を学びに行ったはずだったけど、具体的に何が身についたのかはわからない。けれども、チーム活動のおもしろさや可能性を知り、できない自分を自覚して、そこからスタートする、というわたしにとっての原理原則みたいなものに気づくことはできた。


これからも、学ぶことは止めずに、いつまでも「素人」として学び続ける人でありたい。
2年間学んでこれ???ってレベルの低さ加減に自分でもびっくりするけど、この豊かで贅沢な2年間をじっくり反芻して、次に向かえるようにがんばろう。


先生、同期のみなさん、ほんとうにありがとうございました!みなさんと出会えたこと、一緒に学べたことが何よりの財産です。


卒業アルバム「奇人変人図鑑」に掲載した年表もグラレコで。
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人の話を聞いて描くのは楽しいことなのだ~グラレコもくもく会+自画持参の会をやってみた

2022-03-16 18:36:32 | グラレコ

これは昨日わたしが描いたグラレコ。ペンと裏紙使ってアナログに。

ここ最近、グラフィックレコーディングを目にする機会が多くなってきた。ワークショップや対話の場、会議やミーティング、トークイベントなどいろいろな場でグラレコが活用されているのは、とってもいいことだと思っている。グラレコは作品ではなくて、記録だし、そこで何が話されたのか共有、振り返りするためのツールでもあるので、描きっぱなしはよくないけれど、聞いたこと/体験したことをグラレコ的手法で記録する人、機会が増えたのはとっても嬉しい。


はじめてグラレコを学ぶ人のための講座や書籍は増えてきたけれど、もうちょっと錬成したい、描き方にバリエーションつけたい、といった要望に応えることはなかなか難しくて、「場数を踏みなさい」としか言えないのがもどかしかった。わたし自身も、描いては「もうちょっとなんとかならないかなー」「何年も描いてるのに相変わらず表現のバリエーションがないなぁ」と凹むこと多数だったので、場数を踏む以外の錬成の場があるといいなぁ、と思っていた。


で!
あるとき妄想の神様が降りてきたんですよね。
(正確には、何もないところから閃いたのではなくて「ツールで仕掛ける共創の場 Co-Creation TOOL」を読んで触発されたまでですがw)


「自画持参」ワークショップ形式でグラレコもくもく会(ひたすら描く会)をやったら楽しいんじゃないか⁉


自画持参とは、長岡先生と加藤文俊先生が2010年に作り出した新しいコミュニケーションの手法のこと。
(2022年3月現在、自画持参のwebサイトが見当たらないので、その思いや成り立ちについては、ちょっと心もとないのですが)
曰く、対話の場は増えてきているけれど、話す内容、話し手は決まっていて、聞き手は聞くだけ、それって予定調和だし、それがコミュニケーションなのか?って問題意識からスタートしている。「自画持参」では、参加者自身がテーマに対してアイデアを持ちよることから始まる。どのようなテーマで誰が話すのかは、その場で決める。話したいのに話せない、聞くだけでよかったのに話さなきゃ、こんなテーマで話せないよぉ、などなど、一見不自由な中で、役割や関係性をつくりながら場に関わっていくことこそがコミュニケーションなんじゃないか、ってこと。


進め方は以下の通り。
1)話すテーマ(お題)を決めます ※抽選
2)テーマが決まったら何を話すか考えます 2分間
3)話す人を決めます ※抽選
4)テーマに沿って3分間話します 
5)対話します 8-10分
 →1)から5)を繰り返します


この4)の工程を、話を聞きながら描いて、
5)の工程で、描いたものを互いに見せ合いながら、「その書き方いいねー」とか「なるほどー、そう書くとわかりやすねー」など新たなコツを持ち帰ったり、話そのものの感想や、自分が当たったら何を話すつもりだったのかを共有しながら過ごせたら、これはきっと楽しいに違いない!!と妄想スパークさせて、すぐさま、描き描き。


これは妄想スパーク後に描き描きしたメモ

そして、描き描きしたものを、親愛なるひめチルドレンのあかねさんとせりかさんに「こんなこと考えてるんだけど、どう?」って送ったら
おもしろーい
やりたーい
と前のめりでお返事くれて、あれよあれよという間に企画が決定。メッセージ送ってから1時間後にはやること決まって日程まで決まっていたっていう。もうねぇ、この前のめりな感じが大好き♡♡♡ おふたりに相談してほんとによかった!



3人でも十分おもしろそうだけど、もうちょっと集まったらさらに面白いことになりそう!と、IDS(京都芸大大学院学際デザイン領域)グラレコ仲間のゆりさん、みなぴん、むらやん、やっさんをお誘いしたら、これまた2つ返事で「やりたいー!」と。
SNSでの呼びかけに集まってくださった方含め11名でお試し会をやることになりました。


いやー!これがめちゃめちゃ楽しかった!!!


オンラインで実施ゆえ、「問いと名前をガチャ玉に入れて抽選する」ができないので、問いは事前にGoogleフォームを作成して登録してもらい、オンラインツールで抽選する形式に、名前は抽選箱を用意してわたしの黄金の右手が引き当てる形式にしました。
抽選ツールの仕様上、どうしても当たらなかったほかの問いが見えてしまうのは致し方がないけれど、ツールを使うといろんなことができるんだなぁ、というのも今回の収穫。



オンラインワークショップの強い味方「抽選箱」


問いが決まって2分間考えて、話者を決めて3分話す。その間、もくもくとグラレコ描いて、3分経ったら、ブレイクアウトルームを作って振り返り。これを3セット。
ブレイクアウトルームを作るのにややもたついたのだけれど、これが怪我の功名とでも言おうか、ルームを開けるまでの時間で、描いたものに色をつけたり、書き足したり、体裁整えたりすることができて、このぐだぐだな間合いが意外と好評だった。これは想定外のよいこと(笑) 何がどう転ぶかわからないものだねぇ。


ブレイクアウトルームの対話では、みなさん、描いたものをシェアしあってくれて、同じ話を聞いてもひとそれぞれアウトプットの形式は違うし、レイアウトや言葉の選び方、絵や図での表し方が多様で、人が描いたものを見るってほんとに学びが多い。
そして、次の回で「さっき〇〇さんが描いてたの、試してみよう」「今度はこうやって描いてみよう」とすぐに試せる/実践できるのもいいよね。


10分程度の時間だったので深い対話には至らなくても、同じ話を聞いて描く、自分が話す前提でその問いに対して考えた、という共通体験があるからか、楽しく情報共有がなされていたのも嬉しかったなぁ。


2分考えて3分で話す。当たるかもしれないというドキドキ感と、3分間は何があっても話さなきゃならないという緊張感と、3分間話を聞いて描く没入感は、ある意味「非日常」だったのかもしれない。非日常だからこそ、どんなお題が出ても話せるし、描ける。それが「自画持参」ワークショップの特長でもあると思う。
(本来の「自画持参」が目指しているコミュニケーションとは違ったものになってしまったかもしれないので、次回以降そこはもうちょっと丁寧にやっていきたい。)


ちなみに、昨日のお題は
・コロナ完全終息!!まずやりたいことは?!
・季節を感じる時ってどんな時?
・あなたを野菜に例えると?
の3つ。


昨日、ご参加いただいた方は「対話」よりも「グラレコ」を描きたいい、練習したいというニーズが強かったようではあるけれど、思いがけない問いが出されることによって、思いがけない答えが見つかったり、人の話を聞いて、へぇ、そうなんだーという発見があったり、対話の楽しさも味わえたのもよかった。
何よりわたし自身が、人の話を聞いて描くってこんなに楽しいんだ!!と再確認できたことが大きい。ほんと、めちゃくちゃ楽しかった。仕事じゃなくて好きでやってることだから、うまく描こうって気持ちはまったくなかったし、勢いのまま描けたのが本当に楽しかった。やっぱりね、ライブ感だいじ。「!」と思ったこと、心が動いたことをアタマと手が一体になったが如くに描くのは本当に楽しい。


しかもこの仕組みだと、毎回問いと話し手が異なるから、毎回違う話を描ける。運よく(運悪く)話し手になると、もくもく描けないジレンマはあるけれど、グラレコ練習には最適じゃない???みんなで一斉に同じ話を聞いて描くことでアウトプットの違いが如実になって、そこからの学びや得るものも大きいし、いいことづくめじゃないか!(自画自賛)


ということで、調子に乗って、定例で企画することにしました。
昨日(3月15日)の第1回開催を記念して、毎月15日はもくもく会の日に制定します(笑)
次回は4月15日(金)。詳細はもろもろ整えて発信します。
8月は夏休みだからお休み。
そろそろグラレコ練習したいなー、とか、誰かとお話ししたいなー、とか、タイミングとキモチが合ったときに気軽に気楽に参加してもらえたら嬉しいなあ。


描くことが楽しくなって、人の話を聞くのが楽しくなって、学ぶこと/新しいことを知ることが楽しくなったら最高だよね。楽しく描く人が増えることがわたしの喜びでもあるから、楽しく描ける場が作れるなんて最高過ぎる。


ご参加いただいたみなさん、おもしろそー!と盛り上がってくれたあかねさん、せりかさん、ほんとにありがとうございました!
これからも残したいものを楽しく描いていきましょうー!

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世の中は確実に変わっている、きっと良い方に~「あしたがあるから」を観て

2022-03-07 00:01:46 | コトバ・ニッキ
何がきっかけで見始めたのかわからないのだけれど、つい最近「あしたがあるから」を観た。1991年放送の今井美樹主演のドラマで、一介のOLが社長の策略によって特別企画部の部長となり、新規事業を立ち上げるって話。そこに結婚問題や家族の問題が絡んでくる。



これ、リアルタイムでも観ていた(はず)。当時はフツウに特段の感情移入もせずに観ていたし、「部長なんてムリ、あたし、仕事辞める、健太と結婚したい!」と仕事を放りだす今井美樹にもそれほどムカつかずにいたけれど、今観るとツッコミどころ満載。まず、「仕事辞める、健太と結婚したい」って時点で「はぁ?」ってなるよね。


今井美樹が部長となった特別企画部に配属された福山雅治が、それまでは今井美樹のことを「細かな仕事をやってくれるOL」として重宝して、ありがたがっていたのに、上司になったとたん「女の上司になんて仕えてられるか」って不機嫌になるあたりもツボ。今、こんな態度取ったら炎上するよ。


そして、自分の娘が、今井美樹と付き合っている石橋凌に惚れていることを知った社長が、娘のためにと今井美樹と石橋凌を結婚はさせない、といろんな妨害をするわけですよ、ついにはやり手で仕事ができる石橋凌をそれまで手掛けていたプロジェクトから外して、仕事をさせない、ということまでやる。ひどいパワハラ。今こんなことやったら即刻アウトだよね。


さらには他社への転職を検討し始めた石橋凌にそれすらも妨害しようとする社長が「君は脱サラする勇気があるのかね?」と詰め寄る。石橋凌も答えられないし、会社を辞めるってことが決断できないで、自分にできることをしよう、と新たな仕事の企画書を書いたりする。今ならこんなことされたら、パワハラで訴えることもできるだろうし、会社を辞める、転職する選択肢も脱サラ=起業するという選択肢も持ち合わせている。
もちろんドラマだからかなり誇張もされているけれど、こんな横暴で理不尽な目にあっても耐えるしかなかった30年前と比較したら、選択肢がある今の方が絶対にいいよねぇ。


石橋凌は仕事はできるし、やさしいんだけど、おいおいそれどうなんだ?って言動がそこかしこに。社長から結婚を邪魔されて、それを押し切る形で今井美樹が転がり込んできて同棲を始めるわけなんだけど、家事は一切合財が今井美樹の仕事なわけですよ。っていうか、あんたこれまで一人暮らししてたんじゃないのかい?と言いたい。今井美樹が仕事で遅くなって帰宅しての第一声が「ごめーん、遅くなった、急いで作るね」って、ただ待ってるだけかーい!さらには用意された晩ごはんを食べた後に、お皿をシンクに運ぶだけで洗いもしないってどゆこと???
さらには、「俺、嫁さんに働かれると、なんか自分が男じゃなくなる気がして」と仕事は辞めて家にいてほしいと言う。さらには、仕事も家事もがんばってる今井美樹を見て「週に1度くらい家政婦さん頼むか?」って。その前にお前がやれー!(とはいえ、そこでの今井美樹の返答が「あたし、そういうバリバリのキャリアウーマンみたいなのイヤなの、家事もやりたいの」っていうねぇ)ふむー。でも、当時はこれがイイ男だったんだよなぁ。
今井美樹にしろ、仕事ができて優秀な仙道敦子にしろ「あたし、結婚したらいいお嫁さんになる」って言っちゃうのも、今となっては逆に新鮮。


対して、福山雅治は最初こそ、女の上司に仕えるなんて…って言ってたけど、ちゃんと仕事をしている女性たちを見て(まぁ、下心があって近づいたっていうのもあったけど)、徐々に考え方が変わって来て「俺は家に閉じ込めておく気はありません。輝いててほしいし、お互いにバリバリ仕事して、家で仕事の話ができるなんて最高じゃないっすか」って言うあたりはプラス加点。


とは言え、気楽なOLで結婚することだけが目的だった今井美樹が役割を与えられて、結果が出ることで、どんどん変わっていくのは見ていて心地よい。「あたしね、OLの頃にやってた仕事は男の人たちが大きな仕事をするための手助けだったんだってわかったの。」なんて言っちゃうの、すばらしいリフレクションじゃないか!影響や規模の大きい小さいはあるかもしれないけど、どんな仕事にも意味と役割があるんだよ。そういうことがきちんと描かれているのはよき。


どうでもいいことだけど、内館先生の脚本すごいなぁ、と思ったのが、
福山にふられたけど諦めきれない中嶋朋子が、福山に突き飛ばされてスカートが泥で汚れちゃったときに、スカートをしごきながら言う「これ、1万7千円もしたのに…」ってセリフ。もうねぇ、やりきれなさやら、諦めなきゃいけないんだってせつなさや、諦めたくない悔しさが全部入った秀逸なセリフだ。


福山雅治が初々しすぎて見ていて恥ずかしくなっちゃったり、30年も前の恋愛のもつれ(?)を仕事に持ち込む社長ってあり?とか、ツッコミどころ満載なドラマだけど、2022年の今観ると、あぁ、時代は変わったんだなぁって思うし、それはきっと良い方に変わってるって思うもの。少なくとも、仕事か結婚かの二択ではなくなったし、会社以外の選択肢もできたもの。まだまだ不自由なことはたくさんあるけれど、こうやって少しずつ変わっていければいい。でもね、反町健太(石橋凌)的な男はまだまだたくさんいるから気をつけなくちゃ、だよ。

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