昨年の春に入学した完全オンラインの大学院 京都芸術大学大学院学際デザイン研究領域、昨日無事に修了式に出席し、学位を頂戴しました。
この2年間の学びを振り返るには、まだまだ時間が必要だけれど、まずは今の率直な気持ちを書き記しておこうと思う。
2015年に福岡女子大学イノベーション創出力を持った女性リーダー育成プログラム(通称学び直しプログラム)を立ち上げ、毎年のように受講生をお迎えして、送り出している中で、わたしもがっつり学びたい!という思いが年々強くなっていった。学んでいるみなさんが本当に楽しそうで、1年たつと別人のように自信をつけ、いきいきキラキラしていく様子を見ていると、つらいこと、大変なことも含めて仲間と一緒に乗り越えたからこそ、なんだよなぁーと思っていた。
そして、ジュンナカハラ先生がたびたび問う
あなたは他人に「学べ」と言う。
そういうあなたはどうなのだ?
あなた自身は「学んで」いるのか?
がいつも胸に突き刺さっていた。
大人の学びを提供する立場にいて、わたし自身は学んでいるのか?いろいろなセミナーや講座を受講したり、資格は取得してきたけれど、どこか合目的で、ノウハウやコツをつかむために近視眼的に学んできていた。そうではなくて、価値観が揺さぶられるような、そして、これからの人生(というと大げさだけど)を歩んでいくのに、ほんのちょっとでもいいから礎となるような、そんな学びをしたいと思っていた。
いろいろとリサーチしていた頃に見つけたこのコースを見たときには、厚かましくも「これはわたしのためのコースじゃないか!!!」と思った。厚顔無恥にもほどがある(笑)
学び直しプログラムはわたしにとって命みたいなもので(大げさw)、プログラムを立ち上げてからこっち、わたしが学んでいたのはひとえに、プログラムを良くしたい、という思いからだけだった。プログラム開発、プログラム運営、さらにはわたし自身のファシリテーション、授業運営に役立ちそうなものは時間とお金と体力が許す限り学んできたつもりだった。このコースで学びたい!入りたい!と思ったのも、はじめはそんな動機だった。そして、学び直しプログラムを立ち上げて、その大変さや楽しさを知っていたからこそ、1期生として何もないところから一緒につくっていく、そんな経験をしたいと思っていた。
運よく(本当に今となってはあの薄っぺらな研究計画と志望動機でよく受かったな、と思う。)合格。晴れて1期生としての学びがスタートしてすぐに、当初の期待やわくわく感は絶望的な劣等感へと一気に変わった。できない、わからない、ついていけない。そして、できないことを自覚しているのに、とことんやれない自分が情けなく、自己嫌悪に陥っていた。
加えて、学び直しプログラムの開講延期。わたしが学ぶためによすがとしていた講座がない、という事実は自分が思うよりもずっとわたしのメンタルを直撃していたのかもしれない。このまま学び続ける意味があるのか?辞めたところで誰にも何も迷惑かけないから辞めちゃおうか?そう考えることも少なくなかった。
それでも、決められた課題を決められたスケジュールで進めて行くこと、コツコツ続けて行くことで何か見えることがあるかもしれない、掴めるものがあるかもしれない、と自分に言い聞かせ、必死でなんとか過ごしていたのが1年次の前半だった。
劣等感や自己嫌悪は消えずにいたけれど、1年次の後半になってグループ演習が始まって、少しずつ息ができるようになっていった。知らないことを知るのは楽しい、人の話を聞くのは楽しい、自分とは異なる他者の考えに触れるのは楽しい、という「越境学習」をし始めた頃の感覚を少しずつ取り戻していった。そして、異なる意見や拡散・発散された考えが収束していくダイナミズムみたいなものを体感して、やっとここでの学びが「おもしろいかも」と思えるようになっていった。
2年次のゼミを選択するときには、本当に悩んだ。
月に1回のオンラインゼミが、学び直しプログラムの開講日とほぼほぼ被っていて出席ができないことが判明していて、もうこれは1年休学して来年度に調整、挑戦した方がいいのではないか? 学び直しプログラムのために学ぼうと思っていたのに、そのために学びを止めるのはどうなんだ? 自分の領域外、興味関心のど真ん中からではない学びをした方が成長できるのではないか?などなど、相当悩んだ。たぶん白髪も増えたはず(え?)
決め手になったのは「チームでの研究」だった。
学び直しプログラムは、グループワーク、対話を中心とした学びによって課題解決力を身に着けることをゴールとしている。
「チームで学ぶ、チームを学ぶ」
これは2年目にわたしがつけた講座のキャッチコピー。こんなコピーをつけておいて、チームでの活動、探求をする機会が目の前にあるのに、やらないなんてどういうこと???ともうひとりのわたしが言う。そうだよね、自分で言ってるんだもん、体現しなくちゃ。
2年次のチームでの研究活動は、わからないことを解明することがこんなにも難しいことなんだ!と吐きそうになりながら、文献にあたったり、毎週の深夜に及ぶミーティングなど大変なことももちろんあったけれど、不思議とつらいと思ったことはなかった。
1年次前半がなぜつらかったのか。非同期のオンラインコミュニケーションに慣れないことや、内容の難易度、自分の理解力のなさといったこともさることながら、たぶん、自分自身がチームにまったく貢献できていないという事実が苦しかったんだと思う。
2年次のゼミで苦しい、つらいと思わなかったのは、やっぱりチームで取り組んだからであって、それぞれが自分の得意なことやできることでチームに貢献し合っていたから、な気がする。わたし自身が学力、能力的に貢献できていたかと問われると、それはかなり怪しいけれど、それでも自分ができることをできるときに貢献する、ひとりで全部を担わなくても、みんなで埋めて行く、そんな関わり方を体感できたからじゃないかと思う。
自分ひとりでは最後まで完走できたかどうか、かなり怪しい。みんなと一緒だから乗り越えられた。誰かと一緒なら乗り越えられるっていう最近接領域はほんとだな。そして、もうひとつは、みんなと一緒だから、わたしだけが手を抜くわけにはいかない、という責任が生まれたことも大きいと思う。たぶんわたしはひとりだったら「こんなもんでいいかー」と手を抜いちゃったと思うもの。おいおい。
いろんな演習で、いろんな人と同じグループ、チームになって、たくさんのディスカッションをしてきた。
そして、ひとつの科目が終わるとレポートをシェアし合って学んだ。これらはとてもしんどくて、他の人の発言、レポートを目にするたびに、それと比較してどよどよよーーんと落ち込む。できなさ加減に落ち込む。でも、本当に落ち込んだのは、とことんやれない自分自身に。これはひとりで学んでいたらきっとずっと気づかずにいただろう。できない自分を自覚して、それを受け入れて、そしてそこからなんとか脱しようともがく。苦しいけれど、それがわたしにとっての学びだったのかもしれない。
今からちょうど干支一回り前の2010年に産業能率大学大学院を修了した。産能では、経営学を学びに行ったはずだったけど、長岡先生に出会ったことで「越境」というマインド・スタンスを手に入れた。
京都芸大ではどうだろう?デザイン思考を学びに行ったはずだったけど、具体的に何が身についたのかはわからない。けれども、チーム活動のおもしろさや可能性を知り、できない自分を自覚して、そこからスタートする、というわたしにとっての原理原則みたいなものに気づくことはできた。
これからも、学ぶことは止めずに、いつまでも「素人」として学び続ける人でありたい。
2年間学んでこれ???ってレベルの低さ加減に自分でもびっくりするけど、この豊かで贅沢な2年間をじっくり反芻して、次に向かえるようにがんばろう。
先生、同期のみなさん、ほんとうにありがとうございました!みなさんと出会えたこと、一緒に学べたことが何よりの財産です。
卒業アルバム「奇人変人図鑑」に掲載した年表もグラレコで。
この2年間の学びを振り返るには、まだまだ時間が必要だけれど、まずは今の率直な気持ちを書き記しておこうと思う。
2015年に福岡女子大学イノベーション創出力を持った女性リーダー育成プログラム(通称学び直しプログラム)を立ち上げ、毎年のように受講生をお迎えして、送り出している中で、わたしもがっつり学びたい!という思いが年々強くなっていった。学んでいるみなさんが本当に楽しそうで、1年たつと別人のように自信をつけ、いきいきキラキラしていく様子を見ていると、つらいこと、大変なことも含めて仲間と一緒に乗り越えたからこそ、なんだよなぁーと思っていた。
そして、ジュンナカハラ先生がたびたび問う
あなたは他人に「学べ」と言う。
そういうあなたはどうなのだ?
あなた自身は「学んで」いるのか?
がいつも胸に突き刺さっていた。
大人の学びを提供する立場にいて、わたし自身は学んでいるのか?いろいろなセミナーや講座を受講したり、資格は取得してきたけれど、どこか合目的で、ノウハウやコツをつかむために近視眼的に学んできていた。そうではなくて、価値観が揺さぶられるような、そして、これからの人生(というと大げさだけど)を歩んでいくのに、ほんのちょっとでもいいから礎となるような、そんな学びをしたいと思っていた。
いろいろとリサーチしていた頃に見つけたこのコースを見たときには、厚かましくも「これはわたしのためのコースじゃないか!!!」と思った。厚顔無恥にもほどがある(笑)
学び直しプログラムはわたしにとって命みたいなもので(大げさw)、プログラムを立ち上げてからこっち、わたしが学んでいたのはひとえに、プログラムを良くしたい、という思いからだけだった。プログラム開発、プログラム運営、さらにはわたし自身のファシリテーション、授業運営に役立ちそうなものは時間とお金と体力が許す限り学んできたつもりだった。このコースで学びたい!入りたい!と思ったのも、はじめはそんな動機だった。そして、学び直しプログラムを立ち上げて、その大変さや楽しさを知っていたからこそ、1期生として何もないところから一緒につくっていく、そんな経験をしたいと思っていた。
運よく(本当に今となってはあの薄っぺらな研究計画と志望動機でよく受かったな、と思う。)合格。晴れて1期生としての学びがスタートしてすぐに、当初の期待やわくわく感は絶望的な劣等感へと一気に変わった。できない、わからない、ついていけない。そして、できないことを自覚しているのに、とことんやれない自分が情けなく、自己嫌悪に陥っていた。
加えて、学び直しプログラムの開講延期。わたしが学ぶためによすがとしていた講座がない、という事実は自分が思うよりもずっとわたしのメンタルを直撃していたのかもしれない。このまま学び続ける意味があるのか?辞めたところで誰にも何も迷惑かけないから辞めちゃおうか?そう考えることも少なくなかった。
それでも、決められた課題を決められたスケジュールで進めて行くこと、コツコツ続けて行くことで何か見えることがあるかもしれない、掴めるものがあるかもしれない、と自分に言い聞かせ、必死でなんとか過ごしていたのが1年次の前半だった。
劣等感や自己嫌悪は消えずにいたけれど、1年次の後半になってグループ演習が始まって、少しずつ息ができるようになっていった。知らないことを知るのは楽しい、人の話を聞くのは楽しい、自分とは異なる他者の考えに触れるのは楽しい、という「越境学習」をし始めた頃の感覚を少しずつ取り戻していった。そして、異なる意見や拡散・発散された考えが収束していくダイナミズムみたいなものを体感して、やっとここでの学びが「おもしろいかも」と思えるようになっていった。
2年次のゼミを選択するときには、本当に悩んだ。
月に1回のオンラインゼミが、学び直しプログラムの開講日とほぼほぼ被っていて出席ができないことが判明していて、もうこれは1年休学して来年度に調整、挑戦した方がいいのではないか? 学び直しプログラムのために学ぼうと思っていたのに、そのために学びを止めるのはどうなんだ? 自分の領域外、興味関心のど真ん中からではない学びをした方が成長できるのではないか?などなど、相当悩んだ。たぶん白髪も増えたはず(え?)
決め手になったのは「チームでの研究」だった。
学び直しプログラムは、グループワーク、対話を中心とした学びによって課題解決力を身に着けることをゴールとしている。
「チームで学ぶ、チームを学ぶ」
これは2年目にわたしがつけた講座のキャッチコピー。こんなコピーをつけておいて、チームでの活動、探求をする機会が目の前にあるのに、やらないなんてどういうこと???ともうひとりのわたしが言う。そうだよね、自分で言ってるんだもん、体現しなくちゃ。
2年次のチームでの研究活動は、わからないことを解明することがこんなにも難しいことなんだ!と吐きそうになりながら、文献にあたったり、毎週の深夜に及ぶミーティングなど大変なことももちろんあったけれど、不思議とつらいと思ったことはなかった。
1年次前半がなぜつらかったのか。非同期のオンラインコミュニケーションに慣れないことや、内容の難易度、自分の理解力のなさといったこともさることながら、たぶん、自分自身がチームにまったく貢献できていないという事実が苦しかったんだと思う。
2年次のゼミで苦しい、つらいと思わなかったのは、やっぱりチームで取り組んだからであって、それぞれが自分の得意なことやできることでチームに貢献し合っていたから、な気がする。わたし自身が学力、能力的に貢献できていたかと問われると、それはかなり怪しいけれど、それでも自分ができることをできるときに貢献する、ひとりで全部を担わなくても、みんなで埋めて行く、そんな関わり方を体感できたからじゃないかと思う。
自分ひとりでは最後まで完走できたかどうか、かなり怪しい。みんなと一緒だから乗り越えられた。誰かと一緒なら乗り越えられるっていう最近接領域はほんとだな。そして、もうひとつは、みんなと一緒だから、わたしだけが手を抜くわけにはいかない、という責任が生まれたことも大きいと思う。たぶんわたしはひとりだったら「こんなもんでいいかー」と手を抜いちゃったと思うもの。おいおい。
いろんな演習で、いろんな人と同じグループ、チームになって、たくさんのディスカッションをしてきた。
そして、ひとつの科目が終わるとレポートをシェアし合って学んだ。これらはとてもしんどくて、他の人の発言、レポートを目にするたびに、それと比較してどよどよよーーんと落ち込む。できなさ加減に落ち込む。でも、本当に落ち込んだのは、とことんやれない自分自身に。これはひとりで学んでいたらきっとずっと気づかずにいただろう。できない自分を自覚して、それを受け入れて、そしてそこからなんとか脱しようともがく。苦しいけれど、それがわたしにとっての学びだったのかもしれない。
今からちょうど干支一回り前の2010年に産業能率大学大学院を修了した。産能では、経営学を学びに行ったはずだったけど、長岡先生に出会ったことで「越境」というマインド・スタンスを手に入れた。
京都芸大ではどうだろう?デザイン思考を学びに行ったはずだったけど、具体的に何が身についたのかはわからない。けれども、チーム活動のおもしろさや可能性を知り、できない自分を自覚して、そこからスタートする、というわたしにとっての原理原則みたいなものに気づくことはできた。
これからも、学ぶことは止めずに、いつまでも「素人」として学び続ける人でありたい。
2年間学んでこれ???ってレベルの低さ加減に自分でもびっくりするけど、この豊かで贅沢な2年間をじっくり反芻して、次に向かえるようにがんばろう。
先生、同期のみなさん、ほんとうにありがとうございました!みなさんと出会えたこと、一緒に学べたことが何よりの財産です。
卒業アルバム「奇人変人図鑑」に掲載した年表もグラレコで。