先月の検査の結果は、小さな筋腫核がいくつか見つかったものの「しばらくは様子見でだいじょうぶでしょう」と言っていただいて終了。
とは言っても、子宮体がんになる可能性も捨てきれないようで、半年に一度は必ず検診に来なさいと。
来てください、ではなく、来なさい。
風邪もひかないし、多少の睡眠不足はどーってことないし、無理もむちゃもできちゃうくらい元気だけど(さすがに徹夜はできない。そんなことしたら翌日廃人です。)、健康診断では必ずひっかかる。
これはもう、どんなに気を付けていても仕方がないんだ、根気よくつきあっていくしかないんだって思う材料として、1年に1回、自分の体に向き合うこととします。
そして、本日。手術から1周年。
実は、従姉を中学生のときに亡くしている。原因は知らないんだけれど、盲腸の手術をした時の麻酔が合わなくて、彼女は二度と目を覚ますことはなかった。
従姉が中学2年、夏休みのキャンプの1週間前のできごとで、親戚のなかで一番仲がよく、よく遊んでもらっていて、あたしは手術の3日前に会ったばかりでした。
昨日まで元気だった人が、そして手術そのものはそんなに難しいものではない、と言われている盲腸の手術で、順調に回復すればキャンプに行けるよね~って話して手術室に入って行って、帰ってきたときには眠ったままだった。
ずーっと受け入れられなくて、悲しいというよりも「わからない」と言ったほうがぴたりと来るかも。
なんで?なんで目を覚まさないの?なんで彼女なの?なんで?
ひょっこり目を覚ますんじゃないかって、親戚中が願っていたけどそのまま3年間、眠ったままでした。苦しむこともなく旅立っていきました。
その日のことも葬儀のこともよく覚えていない。
3年間の間、日々は普通に流れて行って薄れてしまうこともあったけど、でも、中学2年の夏で止まってしまった従姉の分まで、2人分生きなくちゃと思っていた頃もありました。
月日が経って、悲しみも薄れていったけれど、でも、ふとしたときに思い出す。
手術をするって決めたとき、どうしたって頭をよぎったのがこのことだった。
医学、医療はまったくもって門外漢だし、そこは先生に全幅の信頼を置いているから、「事故」が起こるんじゃないか?とは思わなかった。けど、手術ではなく麻酔で帰らぬ人になってしまう可能性はゼロではない。
もちろん、技術も進歩しているし、その頃とは比較するのもナンセンスなんだけどね。
だから、手術が終わって
「三日月さーん、終わりましたよー」って声が聞こえたときに思ったことは、「戻ってきたんだ」ってことでした。
先生をはじめ手術チームのみなさんのおかげで、あたしは元気に帰ってくることができました。
1年経ってあらためて感謝の気持ちを伝えるのもなんだけど、
ほんとうにありがとうございました!
で、1年経って・・・
手術後はぐろくてとても注視できなかった傷痕ですが、美白クリームを塗った成果か、しみかしら?ってくらいの薄さと自然さを取り戻しました。
もう、「ガン見」もOKです。笑。
ところで・・・
傷がきちんとくっつくのってどのくらいなんでしょうね?例えばすっごーく太っちゃった場合、傷口が裂けるなんてことはないんだろうか?ありそうで怖い。そんなことにならないように腹筋鍛えなくっちゃ
とは言っても、子宮体がんになる可能性も捨てきれないようで、半年に一度は必ず検診に来なさいと。
来てください、ではなく、来なさい。
風邪もひかないし、多少の睡眠不足はどーってことないし、無理もむちゃもできちゃうくらい元気だけど(さすがに徹夜はできない。そんなことしたら翌日廃人です。)、健康診断では必ずひっかかる。
これはもう、どんなに気を付けていても仕方がないんだ、根気よくつきあっていくしかないんだって思う材料として、1年に1回、自分の体に向き合うこととします。
そして、本日。手術から1周年。
実は、従姉を中学生のときに亡くしている。原因は知らないんだけれど、盲腸の手術をした時の麻酔が合わなくて、彼女は二度と目を覚ますことはなかった。
従姉が中学2年、夏休みのキャンプの1週間前のできごとで、親戚のなかで一番仲がよく、よく遊んでもらっていて、あたしは手術の3日前に会ったばかりでした。
昨日まで元気だった人が、そして手術そのものはそんなに難しいものではない、と言われている盲腸の手術で、順調に回復すればキャンプに行けるよね~って話して手術室に入って行って、帰ってきたときには眠ったままだった。
ずーっと受け入れられなくて、悲しいというよりも「わからない」と言ったほうがぴたりと来るかも。
なんで?なんで目を覚まさないの?なんで彼女なの?なんで?
ひょっこり目を覚ますんじゃないかって、親戚中が願っていたけどそのまま3年間、眠ったままでした。苦しむこともなく旅立っていきました。
その日のことも葬儀のこともよく覚えていない。
3年間の間、日々は普通に流れて行って薄れてしまうこともあったけど、でも、中学2年の夏で止まってしまった従姉の分まで、2人分生きなくちゃと思っていた頃もありました。
月日が経って、悲しみも薄れていったけれど、でも、ふとしたときに思い出す。
手術をするって決めたとき、どうしたって頭をよぎったのがこのことだった。
医学、医療はまったくもって門外漢だし、そこは先生に全幅の信頼を置いているから、「事故」が起こるんじゃないか?とは思わなかった。けど、手術ではなく麻酔で帰らぬ人になってしまう可能性はゼロではない。
もちろん、技術も進歩しているし、その頃とは比較するのもナンセンスなんだけどね。
だから、手術が終わって
「三日月さーん、終わりましたよー」って声が聞こえたときに思ったことは、「戻ってきたんだ」ってことでした。
先生をはじめ手術チームのみなさんのおかげで、あたしは元気に帰ってくることができました。
1年経ってあらためて感謝の気持ちを伝えるのもなんだけど、
ほんとうにありがとうございました!
で、1年経って・・・
手術後はぐろくてとても注視できなかった傷痕ですが、美白クリームを塗った成果か、しみかしら?ってくらいの薄さと自然さを取り戻しました。
もう、「ガン見」もOKです。笑。
ところで・・・
傷がきちんとくっつくのってどのくらいなんでしょうね?例えばすっごーく太っちゃった場合、傷口が裂けるなんてことはないんだろうか?ありそうで怖い。そんなことにならないように腹筋鍛えなくっちゃ
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