わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

オトナは学び終えた存在なのか?

2009-10-18 23:32:19 | オトナの学び
いいえ。
生涯、学習し続けるんだと思う。もちろん、教科書開いて、単語を覚えたり、公式を覚えたり、という学習ではないけれど。


中原先生と金井先生の共著「リフレクティブ・マネジャー」を読んだ。


中原先生の研究や活動はこの春からおっかけていることもあって、この本で展開されていることは、折に触れ見聞きしていたことでした。
あとがきの中でも触れられていましたが、この本は中原先生が「オトナの学び」について研究されてきたことの集大成(あくまでも現時点での・・・これからも中原先生の活動の領域は広がっていくでしょうから)のような、そんな本です。


なんだろう?
上田先生の「プレイフル・シンキング」を読んだ時にも感じたし、長岡先生との共著「ダイアローグ」でも感じたけれど、うにうにと混沌としている世界だけれど、なんだか勇気づけられる、元気づけられるそんな本なんだ。


全社の人材育成担当になって早半年。予算もない、時間もない、ノウハウも、人脈も、経験も、そして引き継ぎも何もない中で、あたしは迷って悩み続けています。
悩みを解消するだけではだめで、仕事だから何かを残さなきゃならない。けど、「残す」ものは「●●研修をやった」といったあたしの成果ではなくって、働くみんなに何かが残らなきゃ意味がないわけで、そんなパラドクスにうにうにと悩み続けています。
だから、すがるように人材育成関係のセミナーやカンファレンスに参加してきた。悩んでいるんだから答えを教えてくれる人に傾倒すればいいのに、なぜかあたしは具体的に答えを教えてはくれない、「問い」を提供してくれる中原先生のアプローチにはまってしまった。
中原先生の「問い」はあたし(の仕事)にとってヒントにはならないけれど、働く一人のオトナとしてのあたし個人にはたくさんの気づきを与えてくれている。そしてこの気づきを紡いでなんとか仕事に生かしている、そんな感じ。
これがあたしの学習、なのかもしれないね。


この本は、中原先生が日ごろ展開されている、学習には「内省」が必要で、内省するために有効なのは「対話」だ、ということが金井先生との往復書簡のようなかたちでわかりやすく書かれている。
そして、新しい言語としては「越境」というものがあった。これはLearning Barに代表されるような、職場や家庭以外の場に自ら出かけて行き、そこで得るものがオトナの学びには有効かもしれない、というもの。
うん、あたしにとっての大学院や人材育成関連のカンファレンスはまさにそれ。


ところで。
この本は、経験学習は内省してこそ、そして内省するには対話が重要、そして対話や内省する場=学習する場としてはサードプレイス=越境が有効かも、という展開でした。
対話の有用性を説明する部分で、ビジョンマネジメントに触れられている。「ビジョンを浸透させたい」とカイシャは言う、そして、ビジョンを書いたカードを配ったり、唱和したり、ということをしている、でも、そんなことをするより、対話という手法を使った方が有用なのではないか?というような論を展開されていた。


非常に稚拙ですが、あたしの論文のストーリーはこう。
(あたしの行ってる大学院の修士論文は、自分が所属している組織の課題を解決するための実践論文なので、カイシャの問題を深掘っていくところから始まる。)


障害者雇用がミッションなので、雇用は必。採用したら雇用し続ける。これがカイシャの命題。

外発的動機づけが満足させられれば辞めないだろうと各種施策がとられてきた

ところが、従業員の動機付けは外発的なものだけではない。多様で豊かな仕事観を持っているし、モチベーションも様々

じゃあ、いろいろな価値観を持っているからといって、みんながあさっての方向を向いているのか?と言ったらNO。結構、理念に近いスタンスだったりする。
そして、仕事観が強固な人はハイパフォーマーだったりする

ここで、問い。
仕事観を持っているから、理念に近い行動がとれるのか、ハイパフォーマーなのか?
それとも、理念に近い=共感している行動だから、ハイパフォーマーだから仕事観を持っているのか?

仮説はこうだ。
仕事観を明確に持てれば、カイシャにとって残ってほしい人材=ハイパフォーマーになれる
よしんば、仕事観を明確に持つまでに至らないのであれば、手持ちのカードをいくつか持たせてあげればよい

で、本論は
手持ちのカードを作る=働き方、志向性のラベル、ゲージを作る きっとどれかには当てはまるはず、そうするとそれがその人の仕事観になるかも?
あるいは、どのカードを手持ち札にするのか、それを選ぶための仕掛けづくり=場の提供をすればよい


……プアーだ


今、本論の実践策をうにうにと考えています。
手持ち札を選ぶための仕掛け、場の提供という段であたしの展開論は非常に弱い。
一つは「語り」。これは「内省」を促す一つのきっかけになると思うんだけど、「対話」まではいかない。個人に自分を語ってもらうことで、マイストーリーを紡いでもらって、そこから仕事観をあぶりだそうってもの。ケイエイガクっていうより心理学、それもセラピーの領域になるんだよね。
「対話」をするまでには成熟しきっていない。語ることで表出化させようってもの。


そして、この「語り」を日日の生活・仕事の中でどう引き出すか・・・これを今ぐるぐるぐるぐる考えています。


あたしの問題意識は「さよなら、ビジョン信仰」
カイシャのビジョンなんか知らなくたってみんなきっちり働いているし、こだわりを持って仕事している。
カイシャのビジョンを浸透させるよりも、個人がもっている仕事観を醸成していくことの方が、働くみんなはシアワセだし、組織として強固になるんじゃないか?ってこと。
どうも、ここ近年の人材マネジメント論が語る対象はホワイトカラーのエリート層に向けられているもののように感じて仕方がないんだよねー。でも、世の中は本当にたくさんの人の働きによって動いているし、支えられている。エリートでなくても働く一人ひとりが「マイビジョン」=わたしの仕事観を持つこと、これが大事なことなんじゃないかなーって思う。


あとがきから書き始めるという暴挙に出た論文ですが、ストーリーが見えたので、割とスムーズに書き溜められております。(でも虫食いだけど。)
実践論文としてはプアーだし、カイシャに提出する気はさらさらないので、せめてものあたしの主張として「ホワイトカラーのエリートがなんぼのもんじゃい みんな仕事観を持っているのだよ」ということを言えたらいいなぁ、と思っている。


これは、優秀じゃないあたしだからこそ書けるんだ、ってそう思ってがんばります
11月は晃司をおっかけるんでね、今のうちに書き溜めておこう。

 







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