昨日、尊敬する大好きな板谷さんと企画した推し活対話の会を開催しました。推しを語る会ではなく、推し活を語る会。ここ重要。
ことの始まりはいつものように、ライブ(いわゆる推し活)で上京するんですけど、日中時間があるんですけど、何かやりませんかー?という図々しすぎるお願いに「やろうやろう!」と巻き込まれてくださって、で、何やる?実はやりたいことあるんですー、かくかくしかじか、じゃあ、テーマが必要だよね?推し活を語る会にしよう!とサクサクサクサク話が決まり、プログラムデザインしてタイムスケジュール作って、大体の予算を設定して、雑な告知をして、Peatixを作って、あっというまに当日を迎えたわけです。
(今回、Peatixの告知文は割と真剣に考えて、企画の思いを書いたのよ。その話はまた後日。)
いやはや。
目論見ももちろんあったし、やりたいこと(実験的にやってみたかったこと)もあったし、絶対に楽しい会になる!って確信はあったけど、本当に豊かなひとときだったんですよぉおぉぉお。ありきたりな言葉だけれど、知的刺激と発見に溢れていて、いろんなことを再確認できた時間でした。
もうねぇ、昨日の3時間の対話やプログラムの話だけで3つくらいブログ書けるんじゃないか?って勢いですよ。
書きたいこと、残しておきたいことはいくつかあって
・プログラムデザインのこと
・好きと推し活の違いが生み出すもの
・推し活は自己マネジメント力を高める!?
・推し活は元気の源なのだ
あたりに集約されそう。
プログラムデザインのことやグラレコ(可視化)については、またあらためて記しておくとして、ひとまず、昨日のテーマでもあった「推し活の効果って?」「推し活は世界を広げるか?」についてちょろっと振り返りも兼ねて書いておこうと思う。いつものだらんだらんな極めて自己満足なブログだけどね。
推しにはまるきっかけは、いろいろあるけれど、総じて「かわいい」「かっこいい」から始まる。
でもその先が割と重要で、キャラクターだったら原作を読むと実は奥深い人生哲学が流れている、とか、裏側から人間模様を描いている、とか、単に「かわいい」「かっこいい」だけではない深みや広がりを知ってはまっていく。
そして、「かわいい」「かっこいい」が「好き」に変わるわけですが、じゃあ、その「好き」と「推し」の違いって何だろうね?
皆さんとの対話の中からなんとなーく浮かび上がってきたのは、行動がついてくる、ってこと。会いにいく、ゆかりの場所に行く(聖地巡礼ってやつね)といった物理的な行動だけではなくて、ほかの作品に触れる、紹介されたものに広げるなど、ただ見ているだけではなくて自分が何かしらのアクションを起こすことなのかも。コンサートや観劇といったわかりやすい「推し活」でなくてもいいんだよね、きっと。
そして、行動の次のアクションとして「貢献」っていうのもあるのかもね。推しのことを発信する、推しがやろうとしていることを後押しする。
クラウドファンディングも推し活の一種かもしれないし、グッズを大人買いするのだって貢献の形だと思うのよ。(はい。せっせと貢いでおりますよ。)
そう考えるとね、推しがいない、ハマるものがない、ってことは「ない」って思えるのよ。
昨日飛び出した名言に「気づいていないだけで推しはある(いる)」。
対象はアイドルとか俳優とかミュージシャンでなくたっていいわけで、○○のためならって行動する(お金を使う)対象はきっと誰にでもあると思うのよ。それはビールかもしれないし、作家かもしれないし、犬かもしれないし、食器かもしれない。好きなもののために動く、ってことなんだろうなぁと思うのですよ。
あえて広げない、やらないこと=制約をつけているというエピソードや、推し活するにはスケジュールやお金、家族との役割分担など調整が必要というエピソードもあった。そういった調整ややりくりは、推し活をしていく上で大事なことだし、スキルといってもいいんじゃないかと思う。
板谷さんが「諦めたくない気持ちが創意工夫を生む」っておっしゃってたけど、仕事やプライベート、ほかの予定など時間は有限なわけでどうやりくりするのかはまさに自己マネジメントでもあるわけです。
そして、元気の源でもある。推しがいなかったら世界が真っ暗だ、みたいな悲壮感は全くなく、推しに依存しているわけでもない。気兼ねなく、惜しみなく推しを応援できる、そんな環境、状況を自ら作り出していっているんだと思うのですよ。そりゃあ、お金もそこそこ必要になるし、時間だって割く。家族の理解だって必要だ。もちろん恵まれた環境であることに感謝はしている。恵まれているってだけじゃなくて、そういう環境、状況にしていく努力もしているんだと思うのね。だから「羨ましい」って言われるとちょっともやっとする。それなりに頑張ってるのよ、わたしだって、仕事に支障が出ないようにめちゃくちゃ前もって調整するし、経済的にも時間的に体力的にも精神的にも、推し活(っていう言葉とわたしの普段やってることがあんまりしっくりきていないんだけど)できるだけの余裕が持てるように頑張っている結果でもあるわけで。ちょっと話が逸れましたね🙇♀️
昨日の推し活対話の会では、話題提供としてわたしと板谷さんの推し活道をプレゼンしたわけですが(資料まで作っちゃって、板谷さんのプレゼンがこれまた学びいっぱいで!)、
板谷さんが
60歳になった田中圭くんのお芝居を見たい(から健康でいたい)
とおっしゃっていて、それ!まさにそれ!!!とめちゃくちゃ共感。
奇しくも、昨日のライブのMCで晃司が
「ミック・ジャガーやポール・マッカトニーは80超えても歌ってる。キッカワもいけるでしょ、って言われるけど、そっち(観客)はどうなんだ?腕痛いとか言ってんじゃないか?キッカワ80までやるからみんなも着いてこいよ」(やや意訳)
って言っていて、ライブ中ずーっと踊ってられるおばあちゃん目指して頑張るよ、と思ったよ。ツアーTシャツをシュッと着こなせる、何ならお腹も出せちゃうおばあちゃん目指すよ。
そんなこんなで、推し活は元気の源だし、若さと健康の源なのだなぁーというのがひとまずの結論。
日曜の朝からお付き合いいただいた皆様、めちゃくちゃ忙しいのにプレゼン資料作ってくださったり、会場提供してくださったり、何よりも「それいい!やろう!」と楽しんで巻き込まれてくださった板谷さん、本当にありがとうございました!また語らいましょう!!
まだまだ書きたいことがあるので、続きはまた後日。
昨日描いたグラレコをこそっと。
ことの始まりはいつものように、ライブ(いわゆる推し活)で上京するんですけど、日中時間があるんですけど、何かやりませんかー?という図々しすぎるお願いに「やろうやろう!」と巻き込まれてくださって、で、何やる?実はやりたいことあるんですー、かくかくしかじか、じゃあ、テーマが必要だよね?推し活を語る会にしよう!とサクサクサクサク話が決まり、プログラムデザインしてタイムスケジュール作って、大体の予算を設定して、雑な告知をして、Peatixを作って、あっというまに当日を迎えたわけです。
(今回、Peatixの告知文は割と真剣に考えて、企画の思いを書いたのよ。その話はまた後日。)
いやはや。
目論見ももちろんあったし、やりたいこと(実験的にやってみたかったこと)もあったし、絶対に楽しい会になる!って確信はあったけど、本当に豊かなひとときだったんですよぉおぉぉお。ありきたりな言葉だけれど、知的刺激と発見に溢れていて、いろんなことを再確認できた時間でした。
もうねぇ、昨日の3時間の対話やプログラムの話だけで3つくらいブログ書けるんじゃないか?って勢いですよ。
書きたいこと、残しておきたいことはいくつかあって
・プログラムデザインのこと
・好きと推し活の違いが生み出すもの
・推し活は自己マネジメント力を高める!?
・推し活は元気の源なのだ
あたりに集約されそう。
プログラムデザインのことやグラレコ(可視化)については、またあらためて記しておくとして、ひとまず、昨日のテーマでもあった「推し活の効果って?」「推し活は世界を広げるか?」についてちょろっと振り返りも兼ねて書いておこうと思う。いつものだらんだらんな極めて自己満足なブログだけどね。
推しにはまるきっかけは、いろいろあるけれど、総じて「かわいい」「かっこいい」から始まる。
でもその先が割と重要で、キャラクターだったら原作を読むと実は奥深い人生哲学が流れている、とか、裏側から人間模様を描いている、とか、単に「かわいい」「かっこいい」だけではない深みや広がりを知ってはまっていく。
そして、「かわいい」「かっこいい」が「好き」に変わるわけですが、じゃあ、その「好き」と「推し」の違いって何だろうね?
皆さんとの対話の中からなんとなーく浮かび上がってきたのは、行動がついてくる、ってこと。会いにいく、ゆかりの場所に行く(聖地巡礼ってやつね)といった物理的な行動だけではなくて、ほかの作品に触れる、紹介されたものに広げるなど、ただ見ているだけではなくて自分が何かしらのアクションを起こすことなのかも。コンサートや観劇といったわかりやすい「推し活」でなくてもいいんだよね、きっと。
そして、行動の次のアクションとして「貢献」っていうのもあるのかもね。推しのことを発信する、推しがやろうとしていることを後押しする。
クラウドファンディングも推し活の一種かもしれないし、グッズを大人買いするのだって貢献の形だと思うのよ。(はい。せっせと貢いでおりますよ。)
そう考えるとね、推しがいない、ハマるものがない、ってことは「ない」って思えるのよ。
昨日飛び出した名言に「気づいていないだけで推しはある(いる)」。
対象はアイドルとか俳優とかミュージシャンでなくたっていいわけで、○○のためならって行動する(お金を使う)対象はきっと誰にでもあると思うのよ。それはビールかもしれないし、作家かもしれないし、犬かもしれないし、食器かもしれない。好きなもののために動く、ってことなんだろうなぁと思うのですよ。
あえて広げない、やらないこと=制約をつけているというエピソードや、推し活するにはスケジュールやお金、家族との役割分担など調整が必要というエピソードもあった。そういった調整ややりくりは、推し活をしていく上で大事なことだし、スキルといってもいいんじゃないかと思う。
板谷さんが「諦めたくない気持ちが創意工夫を生む」っておっしゃってたけど、仕事やプライベート、ほかの予定など時間は有限なわけでどうやりくりするのかはまさに自己マネジメントでもあるわけです。
そして、元気の源でもある。推しがいなかったら世界が真っ暗だ、みたいな悲壮感は全くなく、推しに依存しているわけでもない。気兼ねなく、惜しみなく推しを応援できる、そんな環境、状況を自ら作り出していっているんだと思うのですよ。そりゃあ、お金もそこそこ必要になるし、時間だって割く。家族の理解だって必要だ。もちろん恵まれた環境であることに感謝はしている。恵まれているってだけじゃなくて、そういう環境、状況にしていく努力もしているんだと思うのね。だから「羨ましい」って言われるとちょっともやっとする。それなりに頑張ってるのよ、わたしだって、仕事に支障が出ないようにめちゃくちゃ前もって調整するし、経済的にも時間的に体力的にも精神的にも、推し活(っていう言葉とわたしの普段やってることがあんまりしっくりきていないんだけど)できるだけの余裕が持てるように頑張っている結果でもあるわけで。ちょっと話が逸れましたね🙇♀️
昨日の推し活対話の会では、話題提供としてわたしと板谷さんの推し活道をプレゼンしたわけですが(資料まで作っちゃって、板谷さんのプレゼンがこれまた学びいっぱいで!)、
板谷さんが
60歳になった田中圭くんのお芝居を見たい(から健康でいたい)
とおっしゃっていて、それ!まさにそれ!!!とめちゃくちゃ共感。
奇しくも、昨日のライブのMCで晃司が
「ミック・ジャガーやポール・マッカトニーは80超えても歌ってる。キッカワもいけるでしょ、って言われるけど、そっち(観客)はどうなんだ?腕痛いとか言ってんじゃないか?キッカワ80までやるからみんなも着いてこいよ」(やや意訳)
って言っていて、ライブ中ずーっと踊ってられるおばあちゃん目指して頑張るよ、と思ったよ。ツアーTシャツをシュッと着こなせる、何ならお腹も出せちゃうおばあちゃん目指すよ。
そんなこんなで、推し活は元気の源だし、若さと健康の源なのだなぁーというのがひとまずの結論。
日曜の朝からお付き合いいただいた皆様、めちゃくちゃ忙しいのにプレゼン資料作ってくださったり、会場提供してくださったり、何よりも「それいい!やろう!」と楽しんで巻き込まれてくださった板谷さん、本当にありがとうございました!また語らいましょう!!
まだまだ書きたいことがあるので、続きはまた後日。
昨日描いたグラレコをこそっと。