わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

つかうとかせぐ~お金について考える絵本を読んで考えたことあれこれ

2019-11-23 22:00:13 | ドクショ



孫子女子勉強会の田中先生と大加瀬さんが翻訳された絵本。「おかねをかせぐ!」「おかねをつかう!
先月の孫子女子勉強会で、「新刊が出ます!絵本です!うさぎちゃんです!」とお聞きして、制作秘話?もちょこっとお聞きしてから発売を心待ちにしておりました。
それなのに、うっかりしていたら、Amazonでは早速売り切れ。あらららーーーと焦って在庫検索してhontoで手に入れて、わくわくしながらページをめくる。


ん?んんんん?
わからない…。


これが1回目を読んだときの率直な感想でした。
絵本なので、文字量は少なく、平易な言葉で書かれているので、日本語としてはもちろん理解できる。けど、意味がつかめずにもやもやもやったーず。


そう、このときのわたしは「情報」としての読書をしていたのでした。
せっかくの絵本なのだから、と2回目はべたにひと文字ひと文字、ひと単語ずつ噛みしめながら読んでみた。
3回目は挿絵ををじっくり眺めてみた。

そうすると不思議なことに、受け取り方、受け止め方が少しずつ異なってくるのですよ。相変わらず意味はじゅうぶんに掴み切れていない気がするけど。


「つかう」と「かせぐ」ってセットなのかなー。どっちが先の方がハッピーなのかなー?
つかうのが得意な人、苦手な人、かせぐのが得意な人、苦手な人、どっちも得意な人、いろいろいるよなー。
「ほしい」じゃなくて「買いたい」って欲求はどこがどう違うんだろう? ほしい→手に入れる その手段としての「買う」であって、「買う」ための付属品?としてのお金なのかなー。
にんじん2本でロケット買うって答えを出してもよかったんじゃね? 1本残して次に買いたいものができたときに使うとか、そういう教えもあったんじゃないかなー。
「買う」=選ぶっていうのは確かにそうかも。にんじん3本で買えるものを選ぶ…それは「あきらめる」行為ではなく「選びとる」って行為なんだな。
「もらうのはうれしいけど、あげるのはイヤ」、こういう高飛車な発言、結構好き(え?) あげるのがイヤって言ってたのに、自分の歌声が多くの人に届くことが目標になるっていいよねぇ。再分配的な発想で。
とかとか、あれこれ考えを巡らせた。


おかねをかせぐってこういうこと!
好きなことでおかねをかせぐ。自分が直接働きかけて回収できるものは限界があるけど、別の手段を講じればそれが何倍にも何十倍にも広がる。


おかねをかせぐってこういうこと!の「こういうこと!」の意味がずーっとわからなくて、今でもわかってはいないんだけど、でも、「そういうこと?」「それともこういうこと?」とあれこれ考えを巡らせるってことが大事な気がするよ。これこそが、読書を情報としてではなくて、古典として読むってことなんだねぇ。


絵本を「絵」本として読んでみて思ったこと。
あぁぁあぁああああぁ、なんてわたしは「効率」に支配されちゃってるんだろうってこと。
まずは字面を追って、意味をとらえようとしてしまった。ビジネス書や専門書の読み方としてはそれでいいんだろうけど、絵本でそれをやっちゃもったいない。絵から想起すること、少ない文字量から想像すること、行間を埋めて行くこと・・・そういう余地や余白があるのが絵本のいいところなのにね。だから子どもは何度も何度も同じ絵本を読み返す。読むたびに新しい解釈ができるからなんだろうね。わたしだって、子どもの頃はそういう読み方をしていた。挿絵から空想(妄想)を広げて、自分で別の話を作ったりして。


で、じっくり読む、見るとほんとにおもしろい!
背景が出納帳のごとく罫線になっていたり、サニーのおうちの木がすっかり葉っぱがなくなってたり、サニーのママのスカートがかわいい♡とかとか。


みんなのお気に入りポイントを聞いてみたり、日を置いて読んだときに自分がどう感じるのか、どう考えるのかもめちゃくちゃ興味深い。こんなふうにいろんな味わい方ができるのも絵本ならでは、な気がする。読み重ねることで、解釈を積み重ねることができる。ということで、しばらく経ったらもう一度読んでみようと思います。


読んだ後にあれこれ考えを巡らせる、なんて贅沢な読書なんでしょう。
あらためて、田中先生、大加瀬さん、ステキな絵本を世に送り出してくださってありがとうございましたー!




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ナカハラジュン対話するカレンダーの作り方~カレンダー作りは内省と学びを促すアクティビティなのである

2019-11-16 22:21:11 | オトナの学び
この時期の恒例行事がカレンダー作り。ナカハラ先生の珠玉の名言を集めた手作りカレンダーです。




毎年、この時期にはラーニングイノベーション論のアラムナイセッションが開催されます。講座の最後に発表したアクションプラン、1年経ってどうですか?な話を聞く会。修了生であるわたしたちもこのセッションの聴講が許され、セッション後は交流を兼ねた懇親会が開催されます。いつのころからかアラムナイセッションにカレンダーをお届けすることがわたしの恒例行事になりました。


ことのはじめは、2012年のこと。MALLのイベント(ペッカーさんのドラムサークル)がナカハラ先生のお誕生日イブに開催されるって言うので、申し込みのときに「お誕生日のサプライズしたいです!」って書いてめでたく当選(おいおい)。
こんな不届きなことを書くのはわたしくらいなもんでしょうけど、MALL理事でもあり、ラーニングイノベーション論1期生でもある尊敬する潤さんがすかさず受け止めてくださって、サプライズ企画が進行しました。そのときのプレゼントにと、妄想の神様が降臨してつくったのが、名言カレンダーだったのです。



(このイベントの様子はこんなところに書いてます。)



(と言っても、カレンダーのアイデアはわたしのオリジナルではなくて、イチハラヒロコさんのカレンダーのパクリですwww 2006年くらいからイチハラヒロコさんのカレンダーを愛用していたので、「おぉ、この形式なら自作できるかも!」とひらめいたまででして。余談ながら、イチハラヒロコさんは晃司のファンで、「それ、絶対、晃司に向かって言ってるじゃろ?」ってお言葉がたくさんあるのもツボ。)



これがなかなか好評だったので、おともだちを中心にお配りしていました。押しつけた、とも言うwww






2014年版は、福岡に来て間もない頃だったこともあって作っておらず。2015年度版からは、世界の事務局ホーヤさん宛に10部くらいお送りして、アラムナイセッションでよしなにお配りいただいておりました。
(確か「人事よ、ススメ!」の出版記念イベントのときにも、4月はじまりのカレンダーをいくつか作ったような記憶が。)
働く環境が変わったことや、少しばかり気持ち的にも経済的にも余裕ができたこともあって、ここ3年くらいはアラムナイセッションに参加しつつ、希望された方には実費をご負担いただく形でお分けしております。


そんなわけで、昨日もアラムナイセッションの懇親会の場で、ナカハラ先生に贈呈しつつ、大サイン会(笑)
なんと、ふらりと立ち寄られた服部先生までサインをせがむというレアな光景も!!!
っていうか、先生には何の得もないのに、毎年毎年たくさんのサインを書いていただき(ついでにツーショット撮影まで!)嬉しいような申し訳ないような。でも、まんざらでもない感じなので(かぁくん談)、来年からは先生にもよいことがある仕組みを考えたいと思います。


でね、このカレンダー。
単なる思いつきから作り始めたわけですが、わたしにとってはとっても意味のある行為なのです。


ひとつはカレンダーを作るプロセスを通じて、めっちゃ内省と学びがあるってこと。
どうやって作っているんですか?と訊かれることも多いので公開します。(そんな大それたものじゃないけど)


まず、2,3日かけてナカハラ先生の1年分のブログとインスタを読み返します。読み返しながら、わたしのアンテナにひっかかったセンテンスをピックアップして、ストックしていきます。あくまでわたし基準なので、結構バイアスもかかっているし、そのときのマインドによっても異なるけれど、問題提起をしていたり、世の中で一般的に言われているものに異を唱えているようなことを意識的に選んでいます。あと、脱力系もwww


この時点でお言葉候補は50くらいです。それを一覧化して、似た内容のものを削ったり、キャッチーな言葉で表現されているものを探したりしながら、12個に絞っていきます。


それを月別に配置していくわけですが、ここからは完全に独断、そして独り善がり。
なんとなく、3月4月は不安な気持ちをラクにさせるような言葉。8月は夏休みだし、わたしの誕生日もあるし(え?)、脱力系のお言葉。毎年「中原家家訓 風呂上りは 腰に手を当て フルーツ牛乳」でもいいんじゃないか?ってくらい、わたしはこれが好きですw 
10月はナカハラ先生のお誕生月でもあるので(10月1日にマークが入ってるの、気づきました???(笑))、その年の中で一番ぐさぐさえぐられるような厳しめの言葉を選んでいます。こんなこと、ナカハラ先生に言われたらやるしかないよね、って思っちゃうような、そんな言葉を選んでいます。
11月は年末も近づいてきたしね、ってことで、ちょっと焦りを煽るような言葉。そして、12月は定番のあれ、です。


ちなみに、PowerPointで作ってます。はがきサイズにレイアウトして、字の大きさとかレイアウトは行き当たりばったり、もとい、行き当たりばっちりで。基本的には大きめの文字でインパクトを重視しております。
それを家庭用のプリンターでしこしこせっせと印刷。今年は印刷屋さんに発注したけど。


この1年分のブログを読み返す、という行為がわたしにとってはものすんごい内省と学びの時間なのです。そのときには読み飛ばしていたことや、「そうそう、そうだよねー」と安易に納得してしまった内容を、時間を置いて一気に読むことで、違う視点で考えられるようになる。受け止め方も異なる。そして、一気に読むことでこの1年間の人材開発や組織開発に関するトレンド(という表現は正しくない気がするけど)や、大事なことがわかる(気がする)。
あと、ナカハラ先生のメンタルもwww 今年は「キレる系」が多い、なにやら戦ってますね、とか(笑)


昨日、ナカハラ先生が「いい振り返りツールになっている」とおっしゃってくださった。確かに自分の言葉でも時間を置いて眺めてみると、そのときの心持ちとか、置かれた状況とか、いろんなことが蘇って来る。過去の自分から学ぶこともある。そして、今の自分と比較したり、今の自分だったらどうだろう?と考えることもできる。
言語化される過程でいろいろなことがそぎ落とされていく。だから、そぎ落としたものに思いを馳せることは内省を促す気がする。


そして、もうひとつの意味。
それなりの時間をかけて作っているけど、これは完全に趣味、道楽の世界で、こういうことに時間と手間をかけられる気持ちの余裕を持つこと、持てるように努力することがだいじだってこと。
それと、印刷代やら紙代やらは、基本的に自腹でいいと思ってるんだけど(そのくらいの経済力をつけるってのも仕事のモチベーションにもなるわけだし。)、手間もかかっているんだからちゃんとコストを回収しましょうよ!とおっしゃってくださるみなさんに甘えて実費を頂戴しちゃってます。本当にありがとうございます。


昨日の最後にナカハラ先生が「こうして毎年みなさんが集まってくれるのが、何より嬉しいんです」っておっしゃっていた。
学びを継続させていること、実践に変えていること、そして、それを共有しに来てくれること、きっとそういうことが嬉しいんだと思う。ナカハラ先生の思いとはちょっと違うかもしれないけれど、わたしも毎年あの場に行けることがシアワセのバロメーターなのです。
今は人材開発からは離れてしまっていることもあって、アラムナイセッションに行くのって結構な勇気と気合が必要なのですよ、実践してる?学んでる?と突き付けられるし、みなさんがほんとにキラキラしていて物怖じする(汗)
でも、あの場に行けるように、たとえフィールドが違っても自信を持って活動できている?って自分に問う機会をもらっている、と思って勇気を振り絞って参加しております。(え?そうなの???という声も聞こえてきそうですがw)
あの場に集まることだけが重要なんじゃない。けど、あの場に行けるメンタリティも、余裕も(時間的にも体力的にも経済的にも)があるってことはほんとにシアワセなことだし、また来年も来れるように生き延びよう、がんばろうと思うわけです。


ちなみに、2020年版は版型を変えました。だって、ひめくりカレンダーが「場づくりをこなしていませんか?そこに挑戦はありますか?」って言うんだものwww




カレンダーはこんなふうにセットアップされて、みなさんのお手元に旅立っていきました。





みなさんにお配りするかどうかはさておき、これからもこのカレンダーはきっと作り続けると思います。カレンダーって形式じゃなくても、1年の総決算的にナカハラ先生のブログを読み返して、言葉をピックアップするって行為は続けたい。それがわたしと「人材開発」が繋がる術でもあるのだから。


でね、みんなも作ったらいいよ。じっくり読み込んで、内省して、それをアウトプットするっていう行為は学びを深めるもの。


あらためて、ナカハラ先生、今年もありがとうございました!
また来年も学び多き日を!


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