わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

まちおこしとか地方創生とか。2つの温泉地で考えたこと。

2019-09-20 23:56:24 | コトバ・ニッキ

小浜温泉の足湯。絶景だねぇ。


昨日、わたし史上最長ドライブ(1日に走った距離としては)で、長崎県は雲仙小浜温泉に行ってきた。小浜地区の中心地の活性化/再開発プロジェクトのワークショップの様子をグラレコしてほしい、という依頼をいただいて。聞けば、ワーキンググループを構成するメンバーの半分が移住者、しかもアーティストやウェブデザイナーなどの若者で、半分が生粋の地元民。こういう融合って割と珍しいのでは?
これから先も続くプロジェクトだし、出た意見を実現させていくためにも、”外”のわたしが描くよりも、”中”の人が描いた方が絶対にいいですよ、そのためのお手伝いは喜んでやらせていただきます!とお伝えしたところ、賛同いただき、講座+グラレコを実施してきたわけです。


プロジェクトの進行は、地元の商工会から依頼を受けた関西のコンサルティング会社が取り仕切っていて、その構図はよくありがちではある。
グループワークでは、はじめのうちは「〇〇がない」「△△が必要」といった、ないものねだり的な話が多くなされていたんだけれど、ファシリテーションが素晴らしく、「ないものを作る、という発想ではなく、今すでに小浜にある価値や魅力を掘り起こしてみましょう」という問いからは建設的な議論が行われていった。


小浜温泉は、島原半島の海沿いの位置している。小浜地区に入ると、海の青、湯けむりの白、そして山の緑のコントラストが本当にきれい。
ワーキングに参加されていた方からも「ここの夕日は本当にきれい」という声がたくさん上がっていた。夕日を見るだけでも小浜温泉の価値がある。だから、日の入りの時刻を発信するなどもっと夕日=サンセットをアピールしては?SNSであればコストもかからずに発信できる、など具体的なアイデアも湧き出ていた。


このワーキングは今後も何度か開催され、参加者の意見やアイデアを地区の活性化、再開発に活かし、実現に向けて、具体的にしていく。その第一弾として、魅力を再発見して、できることから始めよう、という機運が高まったことは素晴らしい成果だと思った。


そのほかにも、まちの中を回遊してもらえるように、いくつかおススメのルートを設定するなど、まちの回遊性を高めるような施策のアイデアも出ていた。


最後に旅館業を営んでいる方から、「旅館での滞在体験が豊かなものにならないと、いくら、いろいろな施策を打ってまちの魅力を高めたとしても、また来ようとは思ってもらえない。旅館業、観光業のわたしたちが危機感を持って、意識を変えて取り組んでいかないと。」という発言があった。こういう本質的な意見や発言が出るってこともまた素晴らしい成果だ。


ワーキング会場の温泉旅館の大広間。なかなか味わい深い。



そして、先週は長岡ゼミのゼミ合宿に参加して、山代温泉でNext Commons Labのお話しをお聞きした。
Next Commons Labもまちおこしの役目を担っているのだけれども、そのアプローチはいわゆるまちおこしや地方創生とはちょっと違っている。極端に言うと、ビジネス視点から発している、ってこと。まちにあるリソースを活用して事業を行う、そのメンバーとして起業家やデザイナー、コーディネーターなど外の人と中の人が協働しながら活動していく、そんな感じ。まちの特産品に価値をつけて流通させたり、ブランディングに近いこともやっている。


「まちおこし」に対する一般的なイメージは前者(小浜温泉)だと思う。まちそのものをブランディングしたり、再開発したりしながら足りないものを補っていく。
わたしがずっと感じていたまちおこしや地方創生に対する違和感はここにあって、足りないものを補って、特産品をブランディングしていく、移住者を増やす(インターネットさえあれば地方にいても仕事ができるよ、的にweb関連の企業を誘致したりとかね。)…それだと結局、ほかのまちと同じになるだけなんじゃない??ってこと。似たような地方都市、地方のまちをたくさん作るだけなんじゃない??ってこと。


「移住」ってことばにも、ずっともやっとしたざらつきを感じている。
自らの意思で移住してきた人は、「このまちのために」って思いが強かったり、たまたま今はこのまちが気に入っているから住んでいるけど、違うまちに住むかもね、というジプシー的なにおいがぷんぷんしたり…。←あ、これはわたしの偏見もかなり入ってますw


いわゆるホワイトカラー系の仕事は、インターネットがあれば比較的どこでも同じように仕事ができるわけで、だからこそ、場所、まちにこだわらない。もっと住みやすい場所や気に入ったまちができたら、移っていっても、「仕事」はできるわけだ。(東日本大震災以降、東京から離れたクリエイター系の人たちを見ているとことさらにそう思う。)


でも、そのまちで生まれ、そのまちで暮らし続けている人は、そう簡単にはそのまちを出られない。物理的には、出られるのかもしれないけれど、「出る」っていう選択肢を持ち合わせていないってことも往々にしてあると思う。
青くさいし、きれいごとかもしれないけれど、そういう人たちが「なぜ自分はこのまちに住み続けているんだろう」「何があるからこのまちに住んでいるんだろう?」と考えて出す答えこそが、まちおこしの原点な気がする。
昨日の小浜温泉における「夕日」みたいなことだ。


だから、まちおこしとか、地方創生に関わる外の人(行政から委託を受けたコンサルとかね)は、そんなまちの誇りとか、愛着といったこと、ものを表出させて、言語化していくお手伝いをしていってほしいと思う。


グラレコもそう。
昨日の依頼は、発表内容を書き留めてください、というものだった。もちろん発表内容はきちんと網羅して書き留めたけど、発表用の言葉ではなくて、最後に感想としてつぶやいた言葉の数々、これこそが可視化、言語化して残しておくべきものと思ったので、急遽付け加えて記録した。
雲仙市の担当者が、グラレコを見て感激していたけれど、その「感激」はグラレコに対する感激ではなく、描かれていた内容、発言に対する感激だった。グラレコの効果はそこにあると思っている。何気なく発した言葉、感情が動いた言葉、熱量がこもった言葉…そういったものを書き留めることこそがグラレコなんだと。


グラレコの話はさておき。
加賀も雲仙も温泉地としては全国区だけれど、いわゆる消滅可能性都市でもある。観光地としてどう存続させるのか?ということもだいじだし、移住者を増やし定住させていくこともだいじだけれど、そこに住む人たちが住み続けられる、住みやすいまちにしていく、そのための「誇り」を再発見することが何よりもだいじな気がしている。まちおこしや地方創生は門外漢ではあるけれど、移住者の端くれとして、わたしがこのまちに住み続ける理由をこれからも探していこうと思ったよ。


2週にわたって温泉地でまちおこしに触れる。
せっかく温泉地にいったのに、ほぼほぼタッチアンドゴーだったので、集合時間までの30分で足湯につかっただけっていうね(涙)名物も食べてないし(涙)こんどはゆっくり行きたいなぁ。



山代温泉ではかろうじて古総湯に行けました。なかなか刺激的な脱衣所であったよ。



湯上りどころは、狭い階段を登り切ったところに。おばあちゃんの家に来たかのような癒し空間。


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35周年を味わい尽くす

2019-09-14 20:59:43 | キッカワコウジ
台風15号もあってそわそわした気持ちのまま迎え、終わった35周年ツアーファイナル@幕張。


今年の目標に「35周年を味わい尽くす」を掲げていたので、この辺でちょこっと35周年を振り返っておこうと思う。と言ってもいつもの独り善がりなだらんだらんな日記です。


35周年のスタートは2月1日、2日の武道館から。その日の朝の新聞一面広告に
「吉川晃司、起動」



30周年の時も、COMPLEX日本一心の時も、朝日とっててよかった♡と思ったけど、今年も。継続契約しました(笑)


初日は、手作りのアニバーサリーTシャツで、2日はりばさんみほさん夫妻と4人でお揃いのオリジナルK2Tシャツで。ペアルック恥ずかしい、とか、そういう概念は吹き飛んでおります(笑)



ツアー再開してのわたし的初日は横須賀。
思ったよりも横須賀が遠かったり、着いたときには既にアニキ人形が売り切れていたり、横須賀中央駅前のショッパーズが退店していたり…。
劇場って感じのホールは包み込むような一体感があって、楽しかった。


横須賀から帰ったら不在通知。いわきのチケットが届いておりました。
寝かせたらいい席になってるかな?というのはさておき、しばらく経ってから開けてみたら、なんと1列目。
もうねぇ、無事にいわきまでたどり着けるよう、体調崩さないようにやたらと気を使いながら過ごす日々が始まったのでした(笑)


1列目はもはや記憶がない(笑)
あまりにも近くて、毛穴まで見えちゃう至近距離。息遣いや衣擦れの音まで聞こえちゃうんだもの。
でもね、席は関係ないんだなーって思った。そりゃー没入感は違うけど、どんな席でもカッコイイし、楽しい。


横須賀、いわきはひとり参加だったので、ライブの感想をあれこれ語らうこともできず、ネタバレになるからオットにも言えず、うぅううぅううん、早くあそこがよかった、ここがかっこよかった!と言いたい!という思いにさいなまれながらの7月、地元福岡。やっとオットと一緒の参加です。
ピックが飛んできたり(取れなかったけどw)、晃司絶対わたしたちのこと見た!って妄想(ええ、周りの人みんなそう思ってますから)も堪能できて、ライブ後に焼き鳥とビール片手にあれこれ語らえるシアワセ噛み締めました。


この地に来てから行くように(行けるように)なった広島。地元ってこともあって、いつもご機嫌だし、饒舌だし、広島弁バリバリだし、わたしたちも楽しい。この日は影ナレがウエノコウジの広島弁バージョン。こういうサプライズはほんとに楽しいし嬉しい。
(ちなみに、翌日は島根までほてーさんのライブに。裏COMPLEXツアー的なwww 備忘録的に、ほてーさんのライブ会場の益田市のグラントワは美術館が併設されていて、この企画展「いのくまさん」がすっごいよかった!しかもコンサートチケット持ってると割り引いてくれる。)


そして、静岡。
前日に実家に帰りつつの静岡移動だったんだけど、この時も台風予報。ところが「台風どこに行っちゃんだろう?」ってくらいの青空。暑かったねぇ。髪の毛降ろしていられずに結んだのは初めてだったかも。
実家に帰ったこともあったので、高校時代の友人5人と再会。めちゃくちゃ久しぶりだったけど、会えばすぐにあの頃に戻れるっていうのはステキだ。晃司がまだアイドルだった時代に出会ってたんだなーって思ったら、なんだか感慨深い。そして年をとったことを自覚するなど(笑)


地方最後は名古屋。この日もりばさんみほさんと4人でお揃いのTシャツ着て参加。ひとりでも楽しいけど、みんなと一緒だとさらに楽しい。


ラストの幕張。
いろんなラッキーと事前の予定変更が功を奏して、台風の影響をそれほど受けずに行って、帰ってこれたんだけど、いろんな葛藤があったんだろうなと推察して、ちょっと心が痛い。
もちろんライブはライブで楽しいし、全力なんだけど、どこかに「台風大丈夫かな」「みんなちゃんと帰れるのかな」「何かあったらどうなっちゃうのかな?」みたいな心配がよぎってしまって、余韻を楽しむことができにくかった。それは残念ではあったけど、ファイナルにふさわしい素晴らしいステージでした。
あんまり(っていうかほとんど)キッカワ友達いないんだけど、以前、氣志團との対バンイベントをご一緒した方が「負けてらんねーって思った」ってつぶやいていて、そうそう!そういう元気ややる気をもらったステージだった。


月光浴が生SEだったり、「せつなさ」が追加になったり、恋とめでピンクのテープが降ってきたり、サムライロックでは火柱が上がったり、ファイナルならではのお楽しみもたくさんあったねー。


幕張では、フェスっぽい!とテンション上げて、キッチンカーで販売していた広島焼を食べたり、



タピオカドリンク飲んだり(ステッカーはがしてくるの忘れたw)



ツアトラの前で写真撮ったり、

満喫した。
こういうのが楽しい。

あ、はじめてネイルもK2仕様にしたし。



そうそう、ツアー日程が発表になったころ、ちょうど今年の授業日程を組んでいて、ファイナルいつになるかな?24日かな?31日かな?なんて予想していて、そうなると授業と被って行けないなーと思っていたら、9月8日!授業外れてる!!!と嬉しさのあまり、うっかり新潟の先行予約を忘れたっていう失敗もありました(汗)
で、その日、九州縦断ツアー中の大沢誉志幸さんが福岡に来てたので、行ってきました。ラビアンローズをうたうときに、晃司とのFNS歌謡祭の思い出を話してくれたり、サポートに酒井麿さんが入っていたり、晃司を感じるライブだったなぁ。そんなことも嬉しい。そんなことが嬉しい。
Wowowの特集もオンタイムで夢中になって見たし、ある町の高い煙突も見に行けたし、三国志の前売りも買ったし、現在我が家が絶賛断捨離中につき過去の思い出グッズを紐解いていることもあって、懐かしいDVDを視聴したりと、何かと晃司を堪能しております。


このツアー中、毎回Dream Onで涙腺決壊。なんででしょうね?泣くような歌詞でもないけど、この歌が出た頃のことをあれこれ思い出してなんだか泣ける。そういう琴線に響く歌、感情を動かす歌があるっていうのはシアワセなことだよなーと今、しみじみ思ったり。


35周年、あっという間だったなー。
でも、ひとつひとつが楽しかったし、思い出深い。以前のように、細かなことが覚えていられなくて、フロー状態で駆け抜けちゃうんだけど、ひとつひとつのライブが愛おしい。


あ、そして、今ツアー中にわたしの晃司ライブ100回も達成しました。名古屋で。
200回目指してがんばるぞ。晃司もがんばれ(笑)


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学ぼうとする姿勢が学びを阻害する⁉~長岡ゼミ合宿に参加してきた

2019-09-14 17:42:12 | オトナの学び


5月にゼミにお邪魔してグラレコのワークショップをやった。そのとき、ゼミ合宿をそろそろ決めないと、今年は金沢に行く、という話が繰り広げられていて「行きたーい!」とつぶやいたら、ぜひぜひー!と社交辞令半分のお返事いただいたので、図々しく合流してきた。


ゼミのみんなは金沢から移動、わたしは小松空港から移動しての加賀、山代温泉。
ゼミ1期生の小杉さんが、この春からこの町に住んでいて、山代コドンというコミュニティカフェの運営をしながら、まちおこしっぽいことに携わっている。そのお話しを聞く、というのがゼミのメインテーマ。


(ここが山代コドン)


小杉さんは、Next Commons Labという団体に属していて、ここは、行政から委託を受けていわゆる町おこしを行うコーディネーター。その町を舞台に何かビジネスを興そう、興せる起業家や町の人を繋いで活性化していく役目、でもある。
小杉さんと、同じNext Commons Labでデザイナーとして加賀茶の再興を手掛ける直地さん、お二人のお話を聞いた。


お二人のお話を通じて、地域創生や町おこしに対する一般的な価値観が覆った。
人口が減っていく今、どんな人が住んでいて、どんな産業があって、どんな推移なのか…そうしたデータ先行で打ち手を考えるいわゆるマーケティング的な考えから入りがちだけど、専門家として自分のスキルやコンテンツでまち、まちの産物、まちの人に関わる。まちは、このまちでなくてもいい。自分の価値が発揮できるのであれば、この地にこだわらない、ってスタンスがとっても心地よかった。これはあくまでもわたしの受け取り方だけど。


小杉さんは、前職の時に感じていた違和感を置き去りにせず、この町に来てもその違和感を抱えながら、やってみたいと思ったことを自分のできることから始めている。小杉さんの役割は「まちおこし」なのかもしれないけれど、いわゆるまちおこしっぽくない。
それは、まち(場所)起点ではなく、小杉さんが自分の中の問題意識を具現化しているからなんだろうな。


地方創生とかまちおこしの文脈では、長岡ゼミのチューターのくりちゃんとTwitterでやりとりして、わたし自身もあれこれいろいろ考えた。このへんはあらためて言語化したいんだけど、今回は長岡ゼミに参加して、あぁ、やっぱりここはわたしにとって知的刺激溢れる場だなぁ、と実感したので、そのことについて少しだけ書いておこうと思う。


長岡ゼミでは恒例ですが、ゼミの最初にチェックインを行う。何を話してもいい、今感じていること、思っていることを素直に話す。「がんばります」は要らない。順番も決めない。正解も優劣もない。先生もコメントを入れたり、入れなかったり。


このチェックインでの問い。
「春学期に学んだことは?」


この問いに対して、みんなの答えがステキだった。
プレゼンの仕方、グラレコ、〇〇さんの話を聞いた、カフェゼミを開いた…といったコンテンツではなく、みんながマインドや態度を話していた。それがよかった、とってもよかった。


振り返りをしなさい、と言われると「要約」になりがち。だから学んだ“コンテンツ”を思い出して、それを羅列してしまいがち。体験したことから何を学んだか?は振り返り、内省が必要で、それは口で言うほど簡単じゃない。毎回のゼミの後のツイート、それもただ振り返るんじゃなくて、ほかの人と共有して「共に振り返ること」ができるようなツイートをしてきていることもあるだろうし、場に貢献する、ってことを叩きこまれているからなんだと思う。


この場に貢献するってこと。
知識がない、経験がないから意見が言えないのではない。場に貢献しようとする気持ち、つまり学ぶとは場に貢献することで、質問でも感想でもなんでもいいから自分の考えを場に出して、創発(双発)させるってことが大事なんだってこと。自分が知識を吸収して、自分が成長しようとするのは学びではないってこと。場に貢献することは、後から振り返ってみたときに、自分の成長になっているかもしれないけれど、“成長”をはじめから意図して振る舞うってわけじゃない。


この学ぼうとする(吸収しようとする)姿勢が学びを阻害するって長岡先生のお話しは、胸に突き刺さった。アイタタタ((+_+))



場に貢献するためには、勇気も必要。特に自分には知識もない、経験もないと思っていたら、なかなか発信、発言はできない。その殻を破るために必要なのが「試行錯誤」であり、試行錯誤ができる場。それって、ワークショップや最近よく言われる「安心安全な場」「心理的安全」ってことなんだろうけど、ここではもうちょっと突っ込んだ解釈があるように思う。


安心・安全な場ってワークショップのしつらえ(アイスブレイクやります、レイアウトや空間を整えます、リラックスできる環境をつくります、みたいな…)のことではない。「ワークショップとは非日常である」という原点なんだと思う。
ワークショップが学びのためのツールや仕掛けであるとする。学びとは、これまでの自分とは違う何か新しいものを身につけることでもあるわけで、その状態はフツウのことをやっていたのでは到達できない。だから非日常に身を置いて、「できる」「できそう」という感覚を身につけてトライするってことが大事なんだと思う。非日常というのは何もキラキラした世界のことではない。いつもと違う場所、いつもと違う人といつもと違う話をする、そういうべたでひと手間かけた空間、時間、場のことを言うのではないだろうか。


長岡先生とお話をすると、原点回帰というか、忘れていたことや隅に追いやっていたことを思い出す。
なぜわたしが「ワークショップ」にはまったのか、いろいろな場でワークショップをやってきたのか?それは、学ぶためのツールだったから、にほかならない。楽しいから、みんなにも体験してもらいたいから、という思いから出発していたけれど、それは楽しい学びの存在を知ってほしい、って思いでもあった。


ワークショップという言葉や手法が市民権を得て、今やいろいろなところで展開されている。ええ?と思うような場もある、少なからずある。玉石混合。
出来栄えはどうでもいい(極論すぎw)。何のためにやるのか、なぜワークショップなのか?を考えて実施しているだろうか?プログラムデザインとか、仕掛けといった小手先に逃げていないか?と自問自答しながら、もういちどワークショップができることを深く考えてみたい。


ひとつの話を聞いて、それを基にあれこれ考えたり、振り返ったり、自問自答したりできる長岡ゼミは、わたしにとって最高に知的刺激溢れる場なのです。定期的に浴びないとダメかも。いや、そろそろ自家発電しなさいって。いい加減オトナなんだし。


図々しくも合流させてくれた先生、ゼミのみなさん、くりちゃん、小杉さん、直地さん、本当にありがとうございました。また来年も合流したいな。グラレコもさせてもらいたいな。そうなるようにあれこれがんばろう。



※※※※※※※※※


本当に夢のような時間だった。
10年前に、亡くなった部下の男の子のお墓参りに富山経由で金沢、山中温泉を訪れた。できたばかりの20周年誌を持って。ご両親と妹さんと思い出話をして、「いい会社に勤められて幸せだったと思う」と言っていただいて、それがわたしが働く上での指針になった。初心を思い出して背筋が伸びる、北陸はそんなまちなんだな。
また行けるかな。また行きたいな。


小松空港上空より

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