休校が決まった3月はじめ、この長くなった春休み、家に居る時間が長くなったこどもとおとなで何かできないか?というシェアオフィスHOOD天神の入居者さんからの呼びかけで企画がスタートしました。
すぐに作戦会議の呼びかけが行われ、ランチを取りながら作戦会議をしてから1週間でオンラインスクールHOOD SCHOOL WITHがスタート。この機動力、ほんとすごい!
授業の内容やこどもたちの様子は、HOOD天神のコミュニティマネージャーである梓さん(ズーさん)がステキにまとめてくださっているので、わたしは省略するとして(おい)、わたし自身の学びやオンラインでの学び方、HOOD SCHOOL WITH(以下、HSW)ってどんな特徴があったのか?などをつらつらと書いておきたいと思います。
企画を考えて行ったときのコンセプト、授業のテーマは「学校で教えてくれないことを学ぶ」だった。別に学校の学びがイマイチだとか、敵対しているとかではなくて、シェアオフィスの入居者やスタッフはちょっと変わった働き方や仕事をしているので、学校で教わる/見る/知る職業や学びとは違ったことを提供できるんじゃないか?という発想の方が強かったように思う。変なオトナだからこそ伝えられるコンテンツってあるよね。あ、ここで言う「変な」は誉め言葉ですからねw
実際の授業のコンテンツも、リーダー(教える担当を「リーダー」と呼んでいました)の仕事や得意分野で構成していった。経済のおはなしでは需要と供給について昨今のマスク不足を例にとって学んだり、音楽の授業では実際に歌を作ってみたり、新聞紙で工作を作ったり、ブドウの栽培について話を聞いたり、レンジでチンするお菓子や料理を一緒に作ってみたり、「ビスケット」を実際に使ってプログラミングを学んだり。わたしもグラレコ的な記録や表現を何コマか担当しました。
昨晩、運営メンバーと振り返りを行ったときに、いろんな話が出て、ひとつひとつをしっかりじっくりと考えていきたいなーという思いはあるのだけれど、ここではいくつかポイントを絞って記していこうと思います。
1) 学校とHSWとの関係って?
当初、わたしたちは「学校では教えてくれない」コンテンツを作っていた。結果として、こどもたちはとても楽しんでくれていて、単に知識やスキルを身につけただけではなくて、自分で考える、自分の考えを発信する、という主体性も身につけてくれたように思う。これは、「学校では教えてくれない」コンテンツがよかった、ということではなくて、ベースに学校での学びがあったからこそ、なのかもしれない。基礎的な学力や社会性、協調性といったものをクラスでの活動を通じて学んでいく。そのベースの上に、「学校では教えてくれない」、否、「学校では教わらない」コンテンツが乗っかったから、こどもたちがのびのびと自由に学びを楽しんだのかもしれない。
もちろん最初から敵対するつもりもないし、いまどきの学校教育はイマイチだよねーなんて言うつもりもない。学校とHSWはここが違う!とことさらに差異化、差別化するものでもないし、その必要はないのかもね、と昨日、振り返りをしながらそんなことを考えていた。
学校と共にある、学校ではなかなか手が届かないことをサポートする、そんな感じなのかも。「学校」って仕組みは実はすごいんだなーって気づいたことはわたしにとって大きかった。
2) オンラインの学びが適しているものって?
HSWを運営しながら、学齢の問題は何度か話題に上った。同じコンテンツを学齢の違うこどもが一緒に受けることで、物足りなさ、難しさを感じるのではないか?学齢別にプログラムを組んだ方がよいのではないか?と。スタートしたばかりでリソースもマンパワーもないので、今回は同一コンテンツで下限の年齢を表示するにとどめたけれど、学齢は実はあんまり関係なかったのかもなーとわたし自身は思っている。
学校は、年齢が一緒で同じ地域に住んでいる子どもたちが集まっている。たまたま同時期に生まれ、同地域に住んでいる子どもたちが、隣の席に座った、同じクラスになったという偶然の出会いで友達になっていく。
一方、HSWでは、何らかの目的や意図でもって集まったこどもたちが(今回は紹介による参加がメインで、子どもたち同士は“はじめまして”ではあった)オンライン空間で友達になっていく。
年齢や住んでいる場所はばらばらだけど、毎日のように画面越しに顔を合わせて、自分のことを話していく(聞いている)と、かなり関係性は深まる気がした。
そこに集まった人だけで完結してしまうので、それ以上の出会いはないけれど、集まった人との関係性を深めて行くことはオンラインでもできる。むしろ深まるようにも思った。それは、コンテンツの性格にもよる。今回は、一方的に話をするというよりも、なんらか参加型であったこと、朝の会、帰りの会を実施して、参加している子どもたちが必ず自分のことを話す機会があったことが大きい。
オンラインでは、1対他の知識伝達型の学びよりも、もしかしたら、関係性を深めることができるのかもしれないなぁ。自分のことを話す、その前になんらかの内省が発生しているから、っていう前提はあるけれど。
3) オンラインで学びを届けるとき
研修や授業がこのタイミングでどんどんとオンライン化されていく中、いろいろなノウハウが提供、公開されている。既にオンライン講座、オンラインコースが充実している学びの形態もあるけれど、やってみないとわからないことってたくさんあるなーというのが偽らざる感想。これまでもオンライン講座は何度かやっていたけれど、子どもを対象に行うことの難しさと楽しさもあったし、オンラインという環境の難しさと楽しさもある。
オンラインの授業でインタラクティブに進めようと思ったら、対面の講座の半分くらいのコンテンツでもいいくらい。操作や環境の不具合などトラブルも発生しがちだし、ひとりひとり呼び掛けて、回答して、反応して・・・というのをやっていると、意外と時間がかかる。待ってる人は退屈なのかなーと思いきや、オンラインって「先生」と「生徒」が1対1になるので(たとえ同じ画面上に複数人がいたとしても)、ちょっと隣の子の手元をのぞき込む、とか、ぼーっと窓の外を見る、みたいな息の抜き方ができないから、この「ほかの人に注意が向いている時間」っていうのは、集中力を維持するためにも必要なのかもしれない。
集中力はリアルよりも長続きしない。これは受けている時にも感じたけれど、やってみるとさらに如実にわかる。テレビを見ている感覚で、おもしろい話が聞けるのであれば、90分くらいどーってことないんだろうけど、それほどの話術や話のネタを持っている人は稀有なので、集中力が続かない、という前提に立って設計する必要がある。10分くらいの短い時間で変化をつけていく、違う話題にするとか、ワークを入れるとか、順番に話してもらうとか、参加者の動作そのものを変えていく方がいいみたい。オトナ対象だとまた違うのかもしれないけど、ナカハラ先生の今日のブログにも似たようなことが書かれていたので概ね間違ってなさそう。
あと、メンターというか、TA的な存在って絶対に必要。今回は「お手伝い」と称して、HOOD天神のコミュニティマネジャーのズーさん、リコピンが授業に入ってくれたので、めちゃくちゃ心強かった。チャットで話しかけてくれたり、あれ、追いついてないかな?って子をすかさずフォローしてくれたり、そういったサポートがあってこそ、学びが届けられる。オンライン講座だとテクニカルサポートは入るけど、サポートファシリ的な人が入ることはあまり多くない。手間もコストもかかるけど、これは必要だと思う。ぜひ導入していただきたい。(って誰に言ってる?(笑))
まだまだ振り返りたいこと、言語化しておきたいことはたくさんあるけれど、それはおいおいコトバにしていこうと思います。
子どもってすごい。柔軟でどんどん変化していくし、思いがけない発想や発言にドキッとしたり、癒されたり。ともだちのような親戚の子のような、そんな愛おしい感情。ほんとうに関われてよかった。素晴らしい体験でした。
リコピン、ズーさん、ぽんちゃん、どめっち、リーダーを担ってくださったみなさま、本当におつかれさまでした。そしてありがとうございました。また次の展開も楽しみですー!
#WITH日和