被災地行って考えたことあれこれ。
この週末、被災地にボランティア活動に行ってました、と言っても滞在時間30時間といういつもながらの弾丸ツアー。
こんな短時間で何ができるのか、ほんとに現地の人たちの役に立つのか、逆に足手まといじゃないのかとか、うじうじ悩んでいたけど、思い切って行ってきました。
なんで、今なのか、今更はじめて行ったのか?については割愛します。
ずっと行きたい、行かなきゃ、と思っていたけど、行く!って思える環境心境になったから。でもうじうじうにうに悩みは尽きない状態で向かいました。
以下、いつもながらのだらんだらんな内省です。
行こうと思ってからは1週間もなく、かなりばたばたな状態で向かいました。エントリーも締切数時間前、という超ばたばた。
せっかく行ったのだから、「ハード」と呼ばれる作業をしたい、と思ってました。
でも、つま先に鉄板の入った安全靴が用意できずにフツウの長靴で行っちゃったのでがれき撤去とかはムリですと・・・とほほ。
と、思っていたら、ボランティアセンターの共有部に
「女子部屋の前に放置されていました。持ち主現れず、欲しい人いたらどうぞ」という貼り紙とともに安全靴が!!!
すごい、ミラクルだ。
と事務所の方に、「これっていただいてもいいですか?」と聞いたら、どうぞどうぞ、と。
めでたく安全靴をGETして、こんな環境の現場に行ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/23/9b0a78ca7fa34b16355d70dc7c7d750b.jpg)
ちょっと時間を巻き戻してお話すると、6:00に起床して、7:00までに当日の受付、その後ラジオ体操をして7:40に朝会。ここに参加するときには装備を全部持っていく。この場で今日はどんな作業があってどこに行きますか?という割り振りがなされる。
それぞれの作業場所の隊長が「○○地区で宅地跡の清掃とがれき撤去、20名募集」などと作業の内容を説明して、列を作って誘導される。非常にシステマチック。
事前に申込ができるソフトと呼ばれる軽作業もあって、花壇の清掃や物資の仕分け、お茶会のお手伝いとかホントさまざま。
ここで振り分けられて、バスに乗って1時間くらい、それぞれの作業現場に向かいます。
事務所のスタッフや、その日非勤のボランティアさんたちが力いっぱい手を振って見送ってくれて、それだけでわけもなくうるうる来ちゃいました。
流れるままに列に並んだ結果、陸前高田地区で、杉の木の皮むき、という作業を行ってきました。
いわゆる緊急支援ではないけれども、この杉の木で仮設住宅内の公園やコミュニティスペースの丸太イスを作る、それは無償ではなくて、陸前高田地区産として売るわけで、それが地元の人たちの収入源になる、というそんな仕組みです。
生きていくサバイバルな状態は抜け出たけれども、まだまだ生活していく/働く、という段階には達していないんだな、と身を持って実感した。
マイナス7度で、今日は暖かいと言っちゃうくらいの極寒の東北。都会で暮らした身にはホント堪えた。覚悟はしていったけど、ホント体の芯から冷えるし、手先の感覚がどんどんなくなっていく。とにかく、寒い。
うまれてはじめて鉈(なた)を使いました。通称なたガールwww
作業そのものは女性でも十分できるし、隊長や地元のお父さんたちが「ボランティアにはノルマはないんだからムリはしないで」と言ってくれて、体力的にはムリなく行える。
とは言え、横たわった丸太に向かって中腰になっての作業っていうのは、ジムで運動するのとは違う負荷なわけでwww 珍しく筋肉痛になりました(^_^;)
単純作業なわけですよ。もくもくと丸太に向かって皮を剥く。
まず、無心。
で、そのあと、邪心・・・というか、いろいろ考えた。
単純作業っちゃ単純作業、いわゆる「労働」なわけです。労働と仕事はどう違うの?みたいな話がよく人事とか人材開発系のお話では出てきますが、労働は計画されたもので、やらされているもの、仕事はみずから作るもの、的なことを言われる。あたかも、労働よりも仕事の方が上位な見方をされる。
それにはもともと違和感を持っていたんだけど、現地に行ってさらにその思いを強くした。
労働の何が悪いのさ、と。
っつか、労働の尊さってあるよね。むしろそれが望まれているんじゃね?と。
でも、あたしたちは日々カイシャの中で、変革だのイノベーションだの、変化に対応しろだの、アタマで考えろ、みたいなことをよく言われる。もちろん文系ホワイトカラーとしては逃げようもないことなんだけど、震災直後に多くの文系ホワイトカラーたちが感じた無力感をたまには思いだすべきなんじゃないかと。
やっぱり考えたのは
「あたしは何ができるんだろうか?」
ってこと。
それは被災地支援、ということだけにとどまらず、社会の一員として何ができるのか、何が残せるのか、ってことを考えた。
子どももいないあたしが、この世で何を残すのか、何ができるのか、あたしがしなくちゃいけないことってなんなのか・・・そんなことを考えた。それは決して、またボランティアに来よう、とか、現地の雇用のために何か考えよう、とかそういうことではなくて、毎日の生活の中で何をどんな気持ちで対峙していけばいいのか、ってことをぐるぐるぐるぐる考えた。
答えは出ないけどね。っていうか、そんなに簡単に出ちゃうような答えじゃないと思うけど。
でも、これを考えられたことは意味があったと思う。
だからと言って、その根源的な問いのために、被災地でボランティアするといいよ、的なことは口が裂けても言えない。
正直、帰ってきた今でもそうだけど、ものすごーーーーーーーくハードル高い。
装備を揃えることも、だけど、心的なハードルは相当高い。
行動力あると言われたり、これだけいろんなところに越境している身でも、なかなか踏み出せないでいた。自信がない。どこまで自分の力が役に立つんだろう、っていう不安も大きいし、その場での振舞いもわからないし。
ホント泣きそうだったもん。
作業は15時過ぎには終わって、ボランティアセンターには16時頃戻ってくる。そのあと掃除をみんなでして、今日一日の振り返り会を全員で行う。
今日の活動の報告、事故やけがはなかったか、共有事項、明日の連絡・・・
いわゆる業務連絡がメインだけど、参加したボランティアさんたち100人くらいが一堂に集まって顔を合わせるだけでも壮観。
こんなにたくさんの人がボランティアに来ているんだ、というのが正直な感想。もっと少ないのかと思っていたけど、常時100人くらいが活動している、この時期になっても。それがあたしにとってはものすごくびっくりしたことであり、すごい!と勇気づけられたことでもある。
このあとはごはんを食べたり、お風呂に行ったりと(近くの銭湯やクアハウスに送迎してくれる)自由に過ごせる時間がかなりたっぷりあります。消灯までおおよそ3~4時間くらい。
一人で過ごすこともできたけど、これまたせっかくだから、とボランティアに来ている方とお話してみた。中央のストーブのあたりが談笑スペースっぽくなっているので、そこになんとはなしに集まってきてみんなでおしゃべり。
(ちなみに、男子と女子では部屋が違う。たたみ50畳くらいのプレハブ小屋。)
だいたいどこのコミュニティもそうだけど、なんとなーくその集団をリードしてくれるおせっかい(←これ褒め言葉ですよ)な人がいて、今回も、あ、あの人だ、っていうおばちゃん(と言ってもあたしとそんなに年齢は変わらない)が若いお嬢さんに世話を焼いていて、あたしは一目でこの人のことが好き♪ってなってしまった。
お話聞いたら、三重県からいらしているとのこと。10日間と言って家は出てきたけど、もう20日になるって。1回帰ってまた3月に来るっておっしゃってた。
なんでも、今は無職だそうだけど、もともと児童館かどこかで子ども相手の活動をされていて、被災地でもそういう活動ができないかな、と考えていらっしゃるとか。
ミカさんというキレイなおねいさんが、今日で帰る、という日。ミカさんを慕っていた女子大生のあゆみちゃんが「ホント、ミカさんに会えてよかった、淋しいです。」と名残惜しそうに見送っていたり、みんなそれぞれ5日とか、1週間とか、別々の日程で参加して、重なる期間は短いのに強固なつながりを持っていることに感激した。
カナダからボランティア休暇を使って来ているヤムヤムちゃん。9月から日本に来ているそうです。このセンターに来る前は、同じ地区内でカウンセリングのボランティアをしていたとか。いちどカナダに帰ってまたここに来るって。このヤムヤムちゃんの恋バナで盛り上がったりしたのもいい思い出。
おばあさんがこの地区に住んでいたので、おばあちゃん家に泊まりながら活動していたんだけど、おばあちゃんが施設に入ったので今回はじめてセンターに泊まっているという方とか、北海道で陶芸の仕事をされている、おばあちゃんとお呼びしてもよいくらいの年齢の方(たぶん70歳くらいにはなっているんだろうな)とか、お母さん+娘2人という参加者も。お母さんは何度もこのセンターに来ているそうで、今回は娘さんを連れての参加。娘さんのお一人はフィンランドにお住いで現地でいろいろと被災地のことを訊かれる、同じ日本人として意識が薄くて語れない自分が歯がゆくていつか来たいと思っていた、など。本当にさまざまな人が参加されていた。
このコミュニティがものすごくあったかい。
基本的にはみんな一人で、帰ってしまえばみなバラバラ。連絡先を交換したりと「友達」として付き合っていく人たちもいるんだろうけど、このコミュニティ内だけで形成される関係。
それでも、互いのことを思いやって、それが鬱陶しいレベルのおせっかいではなく、ごく自然。いい意味でみんなマイペース。だから、もしもあたしが一人でぽつんと本を読んでいたとしたら「こっちへ来て一緒にお話しましょうよ」とは言うことはなかったと思う。
それがとてもここちよかったのです。
今度来たら一緒に酒飲もうね、とか、ほんの1日ちょっとしかいなかったのに、最後に見送りに何人も出て来てくれたり、あぁ、ほんとに人ってあったかいなーと思った。
行ってしまえばなんとかなるし、こんなあたしでも役に立つこともたくさんあるってことは分かった。
自信っていうか、ふん切りっていうか、覚悟もついた。
けど、今でも2回目行く?って言われたら躊躇してしまう自分がいる。それがなんなのかはよくわからないけど、やっぱりハードルは高い。
行ってよかったと軽々しくは言えない。
行ったからこそ、なんでもっと早く行かなかったんだろう、っていう後悔もあるし、どうせ行くなら1日だけじゃなくて数日間行った方がいいだろう、とかネガティブに考えてしまっている。
それでも、行こうと思っていて行けなかったあたしが、行けた、っていう事実は残った。
作業現場に行く途中で会った地元のおっちゃん、おばちゃんたちが必ず声をかけてくれて、ありがとうっていってくれることにいちいちうるうるしてた。おっちゃん、いろいろ話かけてくれるんだけど、方言率80%とかでほとんど言っている意味がわかんなかったのは内緒ですwww
きっと、こういうことなんだろうな、と思った。
ひとりができることなんて、たかが知れてるけど、忘れないこと、触れ合うこと、自分にできることをやること・・・・そういうことの積み重ねなんだろうな、と思った。
まずは、自分のことをちゃんとやるってことなんだろうな。
迷ったら行け、じゃないけど、後回しにしたりせず、今できることを今やろう、って強く強く思う。
まだ低空飛行な状態は続いているけど、がんばっていきます。
この週末、被災地にボランティア活動に行ってました、と言っても滞在時間30時間といういつもながらの弾丸ツアー。
こんな短時間で何ができるのか、ほんとに現地の人たちの役に立つのか、逆に足手まといじゃないのかとか、うじうじ悩んでいたけど、思い切って行ってきました。
なんで、今なのか、今更はじめて行ったのか?については割愛します。
ずっと行きたい、行かなきゃ、と思っていたけど、行く!って思える環境心境になったから。でもうじうじうにうに悩みは尽きない状態で向かいました。
以下、いつもながらのだらんだらんな内省です。
行こうと思ってからは1週間もなく、かなりばたばたな状態で向かいました。エントリーも締切数時間前、という超ばたばた。
せっかく行ったのだから、「ハード」と呼ばれる作業をしたい、と思ってました。
でも、つま先に鉄板の入った安全靴が用意できずにフツウの長靴で行っちゃったのでがれき撤去とかはムリですと・・・とほほ。
と、思っていたら、ボランティアセンターの共有部に
「女子部屋の前に放置されていました。持ち主現れず、欲しい人いたらどうぞ」という貼り紙とともに安全靴が!!!
すごい、ミラクルだ。
と事務所の方に、「これっていただいてもいいですか?」と聞いたら、どうぞどうぞ、と。
めでたく安全靴をGETして、こんな環境の現場に行ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/23/9b0a78ca7fa34b16355d70dc7c7d750b.jpg)
ちょっと時間を巻き戻してお話すると、6:00に起床して、7:00までに当日の受付、その後ラジオ体操をして7:40に朝会。ここに参加するときには装備を全部持っていく。この場で今日はどんな作業があってどこに行きますか?という割り振りがなされる。
それぞれの作業場所の隊長が「○○地区で宅地跡の清掃とがれき撤去、20名募集」などと作業の内容を説明して、列を作って誘導される。非常にシステマチック。
事前に申込ができるソフトと呼ばれる軽作業もあって、花壇の清掃や物資の仕分け、お茶会のお手伝いとかホントさまざま。
ここで振り分けられて、バスに乗って1時間くらい、それぞれの作業現場に向かいます。
事務所のスタッフや、その日非勤のボランティアさんたちが力いっぱい手を振って見送ってくれて、それだけでわけもなくうるうる来ちゃいました。
流れるままに列に並んだ結果、陸前高田地区で、杉の木の皮むき、という作業を行ってきました。
いわゆる緊急支援ではないけれども、この杉の木で仮設住宅内の公園やコミュニティスペースの丸太イスを作る、それは無償ではなくて、陸前高田地区産として売るわけで、それが地元の人たちの収入源になる、というそんな仕組みです。
生きていくサバイバルな状態は抜け出たけれども、まだまだ生活していく/働く、という段階には達していないんだな、と身を持って実感した。
マイナス7度で、今日は暖かいと言っちゃうくらいの極寒の東北。都会で暮らした身にはホント堪えた。覚悟はしていったけど、ホント体の芯から冷えるし、手先の感覚がどんどんなくなっていく。とにかく、寒い。
うまれてはじめて鉈(なた)を使いました。通称なたガールwww
作業そのものは女性でも十分できるし、隊長や地元のお父さんたちが「ボランティアにはノルマはないんだからムリはしないで」と言ってくれて、体力的にはムリなく行える。
とは言え、横たわった丸太に向かって中腰になっての作業っていうのは、ジムで運動するのとは違う負荷なわけでwww 珍しく筋肉痛になりました(^_^;)
単純作業なわけですよ。もくもくと丸太に向かって皮を剥く。
まず、無心。
で、そのあと、邪心・・・というか、いろいろ考えた。
単純作業っちゃ単純作業、いわゆる「労働」なわけです。労働と仕事はどう違うの?みたいな話がよく人事とか人材開発系のお話では出てきますが、労働は計画されたもので、やらされているもの、仕事はみずから作るもの、的なことを言われる。あたかも、労働よりも仕事の方が上位な見方をされる。
それにはもともと違和感を持っていたんだけど、現地に行ってさらにその思いを強くした。
労働の何が悪いのさ、と。
っつか、労働の尊さってあるよね。むしろそれが望まれているんじゃね?と。
でも、あたしたちは日々カイシャの中で、変革だのイノベーションだの、変化に対応しろだの、アタマで考えろ、みたいなことをよく言われる。もちろん文系ホワイトカラーとしては逃げようもないことなんだけど、震災直後に多くの文系ホワイトカラーたちが感じた無力感をたまには思いだすべきなんじゃないかと。
やっぱり考えたのは
「あたしは何ができるんだろうか?」
ってこと。
それは被災地支援、ということだけにとどまらず、社会の一員として何ができるのか、何が残せるのか、ってことを考えた。
子どももいないあたしが、この世で何を残すのか、何ができるのか、あたしがしなくちゃいけないことってなんなのか・・・そんなことを考えた。それは決して、またボランティアに来よう、とか、現地の雇用のために何か考えよう、とかそういうことではなくて、毎日の生活の中で何をどんな気持ちで対峙していけばいいのか、ってことをぐるぐるぐるぐる考えた。
答えは出ないけどね。っていうか、そんなに簡単に出ちゃうような答えじゃないと思うけど。
でも、これを考えられたことは意味があったと思う。
だからと言って、その根源的な問いのために、被災地でボランティアするといいよ、的なことは口が裂けても言えない。
正直、帰ってきた今でもそうだけど、ものすごーーーーーーーくハードル高い。
装備を揃えることも、だけど、心的なハードルは相当高い。
行動力あると言われたり、これだけいろんなところに越境している身でも、なかなか踏み出せないでいた。自信がない。どこまで自分の力が役に立つんだろう、っていう不安も大きいし、その場での振舞いもわからないし。
ホント泣きそうだったもん。
作業は15時過ぎには終わって、ボランティアセンターには16時頃戻ってくる。そのあと掃除をみんなでして、今日一日の振り返り会を全員で行う。
今日の活動の報告、事故やけがはなかったか、共有事項、明日の連絡・・・
いわゆる業務連絡がメインだけど、参加したボランティアさんたち100人くらいが一堂に集まって顔を合わせるだけでも壮観。
こんなにたくさんの人がボランティアに来ているんだ、というのが正直な感想。もっと少ないのかと思っていたけど、常時100人くらいが活動している、この時期になっても。それがあたしにとってはものすごくびっくりしたことであり、すごい!と勇気づけられたことでもある。
このあとはごはんを食べたり、お風呂に行ったりと(近くの銭湯やクアハウスに送迎してくれる)自由に過ごせる時間がかなりたっぷりあります。消灯までおおよそ3~4時間くらい。
一人で過ごすこともできたけど、これまたせっかくだから、とボランティアに来ている方とお話してみた。中央のストーブのあたりが談笑スペースっぽくなっているので、そこになんとはなしに集まってきてみんなでおしゃべり。
(ちなみに、男子と女子では部屋が違う。たたみ50畳くらいのプレハブ小屋。)
だいたいどこのコミュニティもそうだけど、なんとなーくその集団をリードしてくれるおせっかい(←これ褒め言葉ですよ)な人がいて、今回も、あ、あの人だ、っていうおばちゃん(と言ってもあたしとそんなに年齢は変わらない)が若いお嬢さんに世話を焼いていて、あたしは一目でこの人のことが好き♪ってなってしまった。
お話聞いたら、三重県からいらしているとのこと。10日間と言って家は出てきたけど、もう20日になるって。1回帰ってまた3月に来るっておっしゃってた。
なんでも、今は無職だそうだけど、もともと児童館かどこかで子ども相手の活動をされていて、被災地でもそういう活動ができないかな、と考えていらっしゃるとか。
ミカさんというキレイなおねいさんが、今日で帰る、という日。ミカさんを慕っていた女子大生のあゆみちゃんが「ホント、ミカさんに会えてよかった、淋しいです。」と名残惜しそうに見送っていたり、みんなそれぞれ5日とか、1週間とか、別々の日程で参加して、重なる期間は短いのに強固なつながりを持っていることに感激した。
カナダからボランティア休暇を使って来ているヤムヤムちゃん。9月から日本に来ているそうです。このセンターに来る前は、同じ地区内でカウンセリングのボランティアをしていたとか。いちどカナダに帰ってまたここに来るって。このヤムヤムちゃんの恋バナで盛り上がったりしたのもいい思い出。
おばあさんがこの地区に住んでいたので、おばあちゃん家に泊まりながら活動していたんだけど、おばあちゃんが施設に入ったので今回はじめてセンターに泊まっているという方とか、北海道で陶芸の仕事をされている、おばあちゃんとお呼びしてもよいくらいの年齢の方(たぶん70歳くらいにはなっているんだろうな)とか、お母さん+娘2人という参加者も。お母さんは何度もこのセンターに来ているそうで、今回は娘さんを連れての参加。娘さんのお一人はフィンランドにお住いで現地でいろいろと被災地のことを訊かれる、同じ日本人として意識が薄くて語れない自分が歯がゆくていつか来たいと思っていた、など。本当にさまざまな人が参加されていた。
このコミュニティがものすごくあったかい。
基本的にはみんな一人で、帰ってしまえばみなバラバラ。連絡先を交換したりと「友達」として付き合っていく人たちもいるんだろうけど、このコミュニティ内だけで形成される関係。
それでも、互いのことを思いやって、それが鬱陶しいレベルのおせっかいではなく、ごく自然。いい意味でみんなマイペース。だから、もしもあたしが一人でぽつんと本を読んでいたとしたら「こっちへ来て一緒にお話しましょうよ」とは言うことはなかったと思う。
それがとてもここちよかったのです。
今度来たら一緒に酒飲もうね、とか、ほんの1日ちょっとしかいなかったのに、最後に見送りに何人も出て来てくれたり、あぁ、ほんとに人ってあったかいなーと思った。
行ってしまえばなんとかなるし、こんなあたしでも役に立つこともたくさんあるってことは分かった。
自信っていうか、ふん切りっていうか、覚悟もついた。
けど、今でも2回目行く?って言われたら躊躇してしまう自分がいる。それがなんなのかはよくわからないけど、やっぱりハードルは高い。
行ってよかったと軽々しくは言えない。
行ったからこそ、なんでもっと早く行かなかったんだろう、っていう後悔もあるし、どうせ行くなら1日だけじゃなくて数日間行った方がいいだろう、とかネガティブに考えてしまっている。
それでも、行こうと思っていて行けなかったあたしが、行けた、っていう事実は残った。
作業現場に行く途中で会った地元のおっちゃん、おばちゃんたちが必ず声をかけてくれて、ありがとうっていってくれることにいちいちうるうるしてた。おっちゃん、いろいろ話かけてくれるんだけど、方言率80%とかでほとんど言っている意味がわかんなかったのは内緒ですwww
きっと、こういうことなんだろうな、と思った。
ひとりができることなんて、たかが知れてるけど、忘れないこと、触れ合うこと、自分にできることをやること・・・・そういうことの積み重ねなんだろうな、と思った。
まずは、自分のことをちゃんとやるってことなんだろうな。
迷ったら行け、じゃないけど、後回しにしたりせず、今できることを今やろう、って強く強く思う。
まだ低空飛行な状態は続いているけど、がんばっていきます。