わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

なたガール~被災地ボランティアに行ってきた

2012-02-21 01:52:20 | コトバ・ニッキ
被災地行って考えたことあれこれ。


この週末、被災地にボランティア活動に行ってました、と言っても滞在時間30時間といういつもながらの弾丸ツアー。
こんな短時間で何ができるのか、ほんとに現地の人たちの役に立つのか、逆に足手まといじゃないのかとか、うじうじ悩んでいたけど、思い切って行ってきました。


なんで、今なのか、今更はじめて行ったのか?については割愛します。
ずっと行きたい、行かなきゃ、と思っていたけど、行く!って思える環境心境になったから。でもうじうじうにうに悩みは尽きない状態で向かいました。


以下、いつもながらのだらんだらんな内省です。


行こうと思ってからは1週間もなく、かなりばたばたな状態で向かいました。エントリーも締切数時間前、という超ばたばた。
せっかく行ったのだから、「ハード」と呼ばれる作業をしたい、と思ってました。
でも、つま先に鉄板の入った安全靴が用意できずにフツウの長靴で行っちゃったのでがれき撤去とかはムリですと・・・とほほ。
と、思っていたら、ボランティアセンターの共有部に
「女子部屋の前に放置されていました。持ち主現れず、欲しい人いたらどうぞ」という貼り紙とともに安全靴が!!!
すごい、ミラクルだ。
と事務所の方に、「これっていただいてもいいですか?」と聞いたら、どうぞどうぞ、と。


めでたく安全靴をGETして、こんな環境の現場に行ってきました。



ちょっと時間を巻き戻してお話すると、6:00に起床して、7:00までに当日の受付、その後ラジオ体操をして7:40に朝会。ここに参加するときには装備を全部持っていく。この場で今日はどんな作業があってどこに行きますか?という割り振りがなされる。
それぞれの作業場所の隊長が「○○地区で宅地跡の清掃とがれき撤去、20名募集」などと作業の内容を説明して、列を作って誘導される。非常にシステマチック。
事前に申込ができるソフトと呼ばれる軽作業もあって、花壇の清掃や物資の仕分け、お茶会のお手伝いとかホントさまざま。


ここで振り分けられて、バスに乗って1時間くらい、それぞれの作業現場に向かいます。
事務所のスタッフや、その日非勤のボランティアさんたちが力いっぱい手を振って見送ってくれて、それだけでわけもなくうるうる来ちゃいました。


流れるままに列に並んだ結果、陸前高田地区で、杉の木の皮むき、という作業を行ってきました。
いわゆる緊急支援ではないけれども、この杉の木で仮設住宅内の公園やコミュニティスペースの丸太イスを作る、それは無償ではなくて、陸前高田地区産として売るわけで、それが地元の人たちの収入源になる、というそんな仕組みです。
生きていくサバイバルな状態は抜け出たけれども、まだまだ生活していく/働く、という段階には達していないんだな、と身を持って実感した。


マイナス7度で、今日は暖かいと言っちゃうくらいの極寒の東北。都会で暮らした身にはホント堪えた。覚悟はしていったけど、ホント体の芯から冷えるし、手先の感覚がどんどんなくなっていく。とにかく、寒い。


うまれてはじめて鉈(なた)を使いました。通称なたガールwww
作業そのものは女性でも十分できるし、隊長や地元のお父さんたちが「ボランティアにはノルマはないんだからムリはしないで」と言ってくれて、体力的にはムリなく行える。
とは言え、横たわった丸太に向かって中腰になっての作業っていうのは、ジムで運動するのとは違う負荷なわけでwww 珍しく筋肉痛になりました(^_^;)


単純作業なわけですよ。もくもくと丸太に向かって皮を剥く。
まず、無心。
で、そのあと、邪心・・・というか、いろいろ考えた。


単純作業っちゃ単純作業、いわゆる「労働」なわけです。労働と仕事はどう違うの?みたいな話がよく人事とか人材開発系のお話では出てきますが、労働は計画されたもので、やらされているもの、仕事はみずから作るもの、的なことを言われる。あたかも、労働よりも仕事の方が上位な見方をされる。
それにはもともと違和感を持っていたんだけど、現地に行ってさらにその思いを強くした。
労働の何が悪いのさ、と。
っつか、労働の尊さってあるよね。むしろそれが望まれているんじゃね?と。
でも、あたしたちは日々カイシャの中で、変革だのイノベーションだの、変化に対応しろだの、アタマで考えろ、みたいなことをよく言われる。もちろん文系ホワイトカラーとしては逃げようもないことなんだけど、震災直後に多くの文系ホワイトカラーたちが感じた無力感をたまには思いだすべきなんじゃないかと。


やっぱり考えたのは
「あたしは何ができるんだろうか?」
ってこと。
それは被災地支援、ということだけにとどまらず、社会の一員として何ができるのか、何が残せるのか、ってことを考えた。
子どももいないあたしが、この世で何を残すのか、何ができるのか、あたしがしなくちゃいけないことってなんなのか・・・そんなことを考えた。それは決して、またボランティアに来よう、とか、現地の雇用のために何か考えよう、とかそういうことではなくて、毎日の生活の中で何をどんな気持ちで対峙していけばいいのか、ってことをぐるぐるぐるぐる考えた。


答えは出ないけどね。っていうか、そんなに簡単に出ちゃうような答えじゃないと思うけど。
でも、これを考えられたことは意味があったと思う。


だからと言って、その根源的な問いのために、被災地でボランティアするといいよ、的なことは口が裂けても言えない。


正直、帰ってきた今でもそうだけど、ものすごーーーーーーーくハードル高い。
装備を揃えることも、だけど、心的なハードルは相当高い。
行動力あると言われたり、これだけいろんなところに越境している身でも、なかなか踏み出せないでいた。自信がない。どこまで自分の力が役に立つんだろう、っていう不安も大きいし、その場での振舞いもわからないし。
ホント泣きそうだったもん。


作業は15時過ぎには終わって、ボランティアセンターには16時頃戻ってくる。そのあと掃除をみんなでして、今日一日の振り返り会を全員で行う。
今日の活動の報告、事故やけがはなかったか、共有事項、明日の連絡・・・
いわゆる業務連絡がメインだけど、参加したボランティアさんたち100人くらいが一堂に集まって顔を合わせるだけでも壮観。
こんなにたくさんの人がボランティアに来ているんだ、というのが正直な感想。もっと少ないのかと思っていたけど、常時100人くらいが活動している、この時期になっても。それがあたしにとってはものすごくびっくりしたことであり、すごい!と勇気づけられたことでもある。


このあとはごはんを食べたり、お風呂に行ったりと(近くの銭湯やクアハウスに送迎してくれる)自由に過ごせる時間がかなりたっぷりあります。消灯までおおよそ3~4時間くらい。
一人で過ごすこともできたけど、これまたせっかくだから、とボランティアに来ている方とお話してみた。中央のストーブのあたりが談笑スペースっぽくなっているので、そこになんとはなしに集まってきてみんなでおしゃべり。
(ちなみに、男子と女子では部屋が違う。たたみ50畳くらいのプレハブ小屋。)


だいたいどこのコミュニティもそうだけど、なんとなーくその集団をリードしてくれるおせっかい(←これ褒め言葉ですよ)な人がいて、今回も、あ、あの人だ、っていうおばちゃん(と言ってもあたしとそんなに年齢は変わらない)が若いお嬢さんに世話を焼いていて、あたしは一目でこの人のことが好き♪ってなってしまった。


お話聞いたら、三重県からいらしているとのこと。10日間と言って家は出てきたけど、もう20日になるって。1回帰ってまた3月に来るっておっしゃってた。
なんでも、今は無職だそうだけど、もともと児童館かどこかで子ども相手の活動をされていて、被災地でもそういう活動ができないかな、と考えていらっしゃるとか。


ミカさんというキレイなおねいさんが、今日で帰る、という日。ミカさんを慕っていた女子大生のあゆみちゃんが「ホント、ミカさんに会えてよかった、淋しいです。」と名残惜しそうに見送っていたり、みんなそれぞれ5日とか、1週間とか、別々の日程で参加して、重なる期間は短いのに強固なつながりを持っていることに感激した。


カナダからボランティア休暇を使って来ているヤムヤムちゃん。9月から日本に来ているそうです。このセンターに来る前は、同じ地区内でカウンセリングのボランティアをしていたとか。いちどカナダに帰ってまたここに来るって。このヤムヤムちゃんの恋バナで盛り上がったりしたのもいい思い出。


おばあさんがこの地区に住んでいたので、おばあちゃん家に泊まりながら活動していたんだけど、おばあちゃんが施設に入ったので今回はじめてセンターに泊まっているという方とか、北海道で陶芸の仕事をされている、おばあちゃんとお呼びしてもよいくらいの年齢の方(たぶん70歳くらいにはなっているんだろうな)とか、お母さん+娘2人という参加者も。お母さんは何度もこのセンターに来ているそうで、今回は娘さんを連れての参加。娘さんのお一人はフィンランドにお住いで現地でいろいろと被災地のことを訊かれる、同じ日本人として意識が薄くて語れない自分が歯がゆくていつか来たいと思っていた、など。本当にさまざまな人が参加されていた。


このコミュニティがものすごくあったかい。


基本的にはみんな一人で、帰ってしまえばみなバラバラ。連絡先を交換したりと「友達」として付き合っていく人たちもいるんだろうけど、このコミュニティ内だけで形成される関係。

それでも、互いのことを思いやって、それが鬱陶しいレベルのおせっかいではなく、ごく自然。いい意味でみんなマイペース。だから、もしもあたしが一人でぽつんと本を読んでいたとしたら「こっちへ来て一緒にお話しましょうよ」とは言うことはなかったと思う。
それがとてもここちよかったのです。


今度来たら一緒に酒飲もうね、とか、ほんの1日ちょっとしかいなかったのに、最後に見送りに何人も出て来てくれたり、あぁ、ほんとに人ってあったかいなーと思った。



行ってしまえばなんとかなるし、こんなあたしでも役に立つこともたくさんあるってことは分かった。
自信っていうか、ふん切りっていうか、覚悟もついた。
けど、今でも2回目行く?って言われたら躊躇してしまう自分がいる。それがなんなのかはよくわからないけど、やっぱりハードルは高い。


行ってよかったと軽々しくは言えない。


行ったからこそ、なんでもっと早く行かなかったんだろう、っていう後悔もあるし、どうせ行くなら1日だけじゃなくて数日間行った方がいいだろう、とかネガティブに考えてしまっている。


それでも、行こうと思っていて行けなかったあたしが、行けた、っていう事実は残った。


作業現場に行く途中で会った地元のおっちゃん、おばちゃんたちが必ず声をかけてくれて、ありがとうっていってくれることにいちいちうるうるしてた。おっちゃん、いろいろ話かけてくれるんだけど、方言率80%とかでほとんど言っている意味がわかんなかったのは内緒ですwww


きっと、こういうことなんだろうな、と思った。
ひとりができることなんて、たかが知れてるけど、忘れないこと、触れ合うこと、自分にできることをやること・・・・そういうことの積み重ねなんだろうな、と思った。


まずは、自分のことをちゃんとやるってことなんだろうな。
迷ったら行け、じゃないけど、後回しにしたりせず、今できることを今やろう、って強く強く思う。


まだ低空飛行な状態は続いているけど、がんばっていきます。


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これやったら絶対ウケる!思いこみとおせっかいが場作りのベースにあったらしい、の話。

2012-02-09 12:52:26 | オトナの学び
中原研のD3たってぃーさんのインタビューを受けました。
研究対象、ということではなく、もっとざっくばらんにとのことだったので、ホントに好き勝手に喋ってきました(^_^;)
1時間程度、なはずが、なぜ外に出るようになったのか、どんな場をどんな思いで作ってるのか、場作りする上で社内・社外で違いや難しさってあるか?場作りする原動力って何?って話から、ギター男子のコミュニティの話まで1時間半以上も赴くままに話しちゃいました。
たってぃーさん、ごめんなさい、お忙しいのに(>_<)


これが、ものすごーーーーーーーく豊かなリフレクションになったのです。


というわけで、思い出すままに少々リフレクションしてみます。


なぜ外に出るようになったのか?これに関してはいろんなところで喋っているので割愛します。去年の夏に長岡先生の授業でおしゃべりしたときにまとめたのは

 ・キャリアチェンジとマネジメントの葛藤→カイシャだけでは行き詰る
 ・チームメンバーに対しての思い→専門知識、裏付けとなる根拠が欲しい

要は、小売の不規則な仕事から完全週休2日制の会社に転職したことと、上司とどーにも合わずに辞めちゃおうかなーと思っていたら思いがけず慰留されて、じゃあ、せっかくなので仕事以外で楽しんじゃおう、と不謹慎に思っちゃったから。


とは言え、この時期は完全に受け身。
学びのコミュニティに出かける≒越境やら、それを持ち帰ったり、自分で場を作るなんてことはまーーーーーったく想定していなかった。というか、そんな場があることすら知らなかった。


転機は長岡先生の授業。
・長岡先生の定性調査(フィールドワーク)の授業で「学び方を学ぶ」 
・2年次 とにかく本を読むことで、似非持論を持つ  
・「Learning Bar」に出会う →中原先生のおっかけ(笑) 会いに行くには外に出なくちゃ。


で、今があるわけです。 


んで、越境って何ですかね?という質問があったので、以前、ラーニングイノベーション論の最終セッションで中原先生がおっしゃっていたのは
越境1.0 外に出る 誰かが作った学びの場に参加する
越境2.0 学んだことを持ち帰る、実践する
越境3.0 自分で作る
(相当意訳、相当省略)


これ、その後、長岡先生の授業でしゃべったり、イタヤさんのLカレッジでおしゃべりしたりしながら、あたしなりに考えたのは
越境2.0は「いざなう」 なんじゃないかってこと。学びの場に誰かを誘うことでLearnerを増やし、コミュニティを形成していくってこと。


で、以外とこの2.0が難しいという話をした。
これは調査結果でも表れているようで、越境学習をする人は1回限りか、複数回頻度高く、の二分化されているそうです。
そうなの。ひめさんが行くなら行く、的なことはよく言われるし、誘ってね、とか、いつも前向きで刺激受けてる、と言われて鵜呑みにしてお誘いするとのらりくらりとかわされる、というのはよくあることです…。外に出るってことはそれだけでハードルが高い。自分の時間、お金を使うわけだし、時間≒仕事のやりくりも発生する。さらに言えば行った先でのお作法もよくわかんないし。あたしもはじめて行ったラーニングバーでは、お隣の人としかお話できなかったもん。



場作りっていっても、やろうと思ってもなかなか実行できないのに、やっちゃう原動力って何?というお話。


それってあたしにとっては2つあって、
1つは、無条件に応援してくれて、参加してくれるのってくれる前のめりな人たちがいるってこと。
もう1つは、これをやったら絶対に喜んでくれる/ウケる、という思い込み


前者はLIN論もそうだし、WSDの仲間も、大学院の同期や先輩、後輩たちとの関係もそう。あ、あとギター男子もそうだね(ここはあたしは乗っかる方ですがwww)


となると、そういうコミュニティ、というか信頼関係、仲間ってどうやって形成されるんじゃろ?という疑問もあるねぇ。
ひとつには、求心力となる存在、な気がする。憧れの誰か・・・うーん、ちょっとキワな言い方をすると教祖的な存在。
LIN論でいえば、中原先生。3期の皆さんの中原先生リスペクト度合ったら半端ないし。ギター男子で言えば、もちろん、布袋さんであったり、ナイトの存在であったり。

(余談ですが、LIN論やギター男子たちのGive,give,give&giveな感じを「気持悪いほど仲がいい」とか「気持悪いほど前のめり」と表現していたら、ものすごくウケてた。気持悪い、褒め言葉ですよ(笑))



これをやったら絶対に喜んでくれる、って思いつくと後先考えずにやりたくなっちゃう。駆け引きとか利害関係とかあんまり考えずに、誰と誰と誰にお願いして、何を準備したらいいかな、それってどこにあるのかな、とぐぐって行けそうならすぐ行っちゃう。なんでしょね、この行動力。違うところで生かしたら成功してたかもしれん(笑)


どういうときに思いつくんですか?と言う問い。


わからーーーーーんっ!


敢えて言うなら、楽しかったことと空間が交錯したとき、な気がする。大学院のOB会を企画したのも、イタヤさんたちと女子会やったのが楽しくってまた集まろうネ、と別れて、ちょうどそのころ大学院の授業を聴講していてキャンパスに行ってて「この教室借りられないのかなー?」と、楽しい出来事と空間が交錯して、その足で事務室行って、かくかくしかじかこーゆーことって可能ですか?と聞き、本学職員で大学院後輩のツカハラさんに「借りられるかなー?」とメールし、とあれよあれよと決まって行った。


LIN論の卒業文集も、大学院の修了式後の飲み会のコンテンツにアベさんがアンケートを取ってくれていて、出席できなかった人もいたし、冊子にしてみようかな?と思い付いたものがきっかけになってるし。一から(ゼロから)モノを生み出せるほどくりえいちぶではない^^;


掛け算、なんだろね。


いっこだけではダメで、何かと何かが合わさったときに、あたししかわからない方程式で解が出る。っつか、あたしにもわからん方程式だ。


思い起こせば、こんなことはずーっと前からやっていたんだよねー。
取締役会に手作りスイーツの差し入れ持っていく前は、授業に差し入れ、その前もお正月に職場にお重に詰めたおせち持って行ったり、大学の学祭かなにかの場所取りをする男子のためにお重いっぱいのお弁当詰めって行ったりとか。
卒業文集作ったのもそうだ。本業とは関係ないところでがんばっちゃうのは昔から変わらんのかも。



というわけで、オチにもなんにもなっていないけど、無理やりまとめると

・好きな人(もの)を作る。求心力憧れれの存在があるとコミュニティのつながりは強固になる
・強固なコミュニティ・・・何やっても受容してくれる存在がいると、足を踏み出しやすい
・これやったらウケる!という思い込み(とおせっかい)

この3つがあたしの場づくりのベースにあるんだなぁ、ということに気づいたインタビューなのでした。


長時間に及ぶくだらない話に付き合ってくださったたってぃーさん、本当にありがとうございます。
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What are you passionate about?

2012-02-06 00:20:56 | カイシャ・シゴト
ちょっと前に中原先生がツイートしていたコトバ。


仕事、家庭、趣味、そのほか、いろんな対象があるけれど、ここはひとつ仕事に絞って考えたい。


仕事っていうか、労働することは好きだ。自分の「はたらき」が誰かに作用して、レスポンスがあるってことが楽しい。それは新卒で入った小売業の時から、対象は異なるけれどずーっと同じ思いでいる。小売のときには、店内のディスプレイを変えたり、コーディネート提案をすることでお客様に喜んでもらう、売上が上がるっていうのが嬉しかったし、今のカイシャに入ってからはちょこっとシフトや作業動線、業務フローを見直すことで生産性が○%上がるってことが楽しかったし、ひめさんとまた一緒に仕事したい、って言ってもらえる人たちに出会えたことが嬉しかった。
そうやって、小さなレスポンスを喜びに仕事してきたような気がする。


今の仕事は楽しい。趣味と実益兼ねてる、って言ったら言い過ぎだけど、場作りやコミュニケーション誘発の仕掛け、”研修”や日々の業務を通して関わった人の変容・・・そうしたことは楽しいと純粋に思う。
ちょっといやらしいけど、親会社のロゴマークと特例子会社であること、あたし自身のワークショップデザイナーやプロボノワーカー、社会人大学院卒、という経歴は、今の仕事をしていく上ではとても有用に作用している。


カイシャも好きだ。
20周年誌を作るときに、いろんな人にインタビューして、設立したときの思い、20年間の変遷、うちのカイシャに寄せる期待・・・いい会社だな、って思う。現実は厳しいことも多いけど、でも、設立時の崇高な意思は今でも続いている、と思っている。


でも、一方で健常者としてこのカイシャに関わっていくことのプレッシャーを感じ続けていて、いつもそれに押しつぶされそうになる。これはあたしが勝手に思っていることで、誰に強要されたわけでもないし、きっと、他の人から見たら十分に役割果たしている、と思ってもらえてる、と思う。


なんどか、このブログでも書いているけれど、あたしは、特例子会社で健常者が果たす役割は2つあると思っている。
・事業運営のために余人をもって代えがたい能力を持っていること(体力も含め)
・メンバーの力を引き出し組織運営をしてカイシャを導いていけること
どっちの役割も担えるような存在でいたい、と思っている。
ひめさんの研修は楽しい、とか、企画のことだったらひめさんに相談したら、と言われたり、それなりに価値は発揮できているのではないかと思っている。
まだまだ、全然、力不足だけど。


そして、思い。


20周年誌を作ったときに、尊敬するおぢに(入社するときに最終面接で圧迫面接されたけど、そのときに「この人に認められたい」って思っちゃったんだよねー)
「自分がいちばんこのカイシャのこと、障害者雇用のことを考えている、と言える自信があるか?」と問われた。
おぢは、「5年前なら、俺がいちばんだと言えたけど、今は自信がない」と言っていた。
あぁ、こういう思いなんだ、と思った。
あたしは、このときに、あたしがいちばんこのカイシャのこと、グループ全体でいちばん障害者雇用のことを考えている、思っている人でありたい、と素直に思った。
もちろん知見も含めて。あたしにはまだまだ経験が足りないけれど、思いと知識はいくらでも付けることができる。


特例子会社をはじめとして、障害者雇用に関わっている人たちは、熱い思いを持っている人が多い。そりゃ、アタリマエっちゃアタリマエ。当社を作った方もそう。
この方が立ちあげられた発達障害や精神障害の職域拡大のための研究会の末席にお邪魔させてもらっていて、カイシャは老舗だけど事業会社としてフツウに存在してしまっていてこのあたりの知見に乏しい。そしてあたし自身もまだまだひよっこ。それでも当社に期待してくださっているし、あたしにも期待してくださっている。


この研究会、非常に肩身の狭い思いで参加しているんだけど、とても勉強になるし、”楽しい”。熱い思いを持つ人たちが集まる場だから、だと思う。


前回の研究会のときのこと。1年前にとある特例子会社の社長に着任された方。1年前には「何もわからないんですよ」とおっしゃっていたのに、今やいろんな取り組みを社内でもされていて、こうした研究会でもどんどんと発信される。そして、社員のことが可愛くて仕方がない、彼らの成長が嬉しくて仕方がない、そんな話し方をされる。
特段、障害者雇用に関心があったわけでもなく、辞令一枚で着任されたんだろうけれども、この熱さ。あたしはなんだかとても感動したし、何やってんだ?自分?と自分自身が情けなくもなった。


特例子会社だから、と入社したわけじゃないけれど、今、ここにいるのは紛れもなく自分の意思。
うちのボスは確かに辞令一枚で来た人で、相変わらず思い入れは持てていないけれど、それを責めたって仕方がない。


たまたまなんでしょうが、お付き合いのある特例子会社の社長たちが退任を迎えられています。皆さん、立ち上げに関わられた方々。そして皆さん、必ず「次」に行かれる。支援する側に回る方もいれば、別の企業で同じように障害者雇用に関わる方、形は違っても、障害者雇用に関わり続けている。
とても神々しい。まさにパッションを持って、この領域で仕事をされている。


あたしはパッションはあるけど、まだまだ覚悟は持ち切れていない。
そうは言っても一人ひとりに向き合っていくのはしんどい。加齢による障害の進行、特に知的障害や進行性の障害を持つ人にとってはリタイアを促すことをしなければならなくなる。そうなったときにどこまでカイシャは責任を持つのか、あたし自身はどんな心持ちでそれに向かうのか。
けど、次の学びは覚悟を持って始めます。あたし自身のために、カイシャのために、カイシャのみんなのために。
これが、あたしなりのパッションなのだ、と信じて。
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変わってないねー、は褒め言葉なのか。

2012-02-03 00:19:20 | コトバ・ニッキ
大学院のOB交流会とか企画しておいてなんですが、同窓会って苦手。
それは、「変わってないねー」の応酬と、そこに来れない人のメンタリティが気になっちゃうから。


後者はいかんともしがたい。多分、どんな団体に属していたって起きちゃう事象何だと思う。大学とか大学院とか、まぁ、世の中的にはキラキラでガツガツしているような集まりだと尚のこと、今の自分の状況がハッピーじゃないと行きにくいってのはあると思う。経済的、社会的(うーん、これってどういうことかな?カイシャの名前とか規模とか役職とか???)なこと、容姿も含めて、自分で自分に納得がいかないと行きづらいよなぁ、と思う。


先週、大学時代のOB会があった。と言っても、そんなにきちんと組織だって行われたわけではなくって2代上の先輩がご自身の知る限りの連絡先に連絡してくれて実現したというもの。


久しぶりだから、近況報告を兼ねた自己紹介が始まったんだけど、なんだか違和感。
会社名、カイシャでの仕事の話(転勤歴とかね)子どもの数。以上。
うーん、これはあたしが、子どもが小学生で、、、みたいな話ができないやっかみなのかもしれないけれど、社会的な肩書きで語るってことをここ最近してこなかったから、すんごい違和感があった。


新卒で入ったカイシャから今は4社目で、サラリーマンの傍ら大学院行ったり、プロボノやったり、女子大生と女子会したり、ワークショップやったりしてます、
っていうあたしの自己紹介が逆に浮いてたwww


ま、そりゃそうだ。
そして、偉いね、と言われる。うーん、これまた違和感。みんなが子どもの成長を楽しみにするのと同じこと、なんだけどなー。子どももいないし、自由になる時間と少々のお金があるから好き勝手やってるだけなんだけどなー。


そして、前者の「変わってないねー」攻撃。変わってないねー、と言われることがどーにもしっくりこない。


ひとつは、あたしは自己認識としては外見も中身も大きく変わったと思っている。加齢ってこともあるけど、顔つき、顔立ちが変わった、体型も若干。久しぶりに会った親戚に「誰?」って言われちゃうくらい変わったわけですよ。
そして、中身。確かに活動的な方ではあったけれども、学生時代や20代の頃のあたしは、もっとだらんだらんに生活してた。今でも流されてはいるけれども、こんなに行動してないし、非生産的なことこの上ない生活だった。
活動の仕方だけではなくって、思考/志向も変わったと思っている。昔は和をもって尊しとする、じゃないけど、長いものには巻かれてたし、自分の意見を主張する、なんてことはしなかった。今でも大勢の中で自己主張はしてないけれど、敵をつくることは怖くないし、気が向かないところには行かないし、気が乗らないことはしない。昔は付き合いのいい人だったもんなぁ。それはもちろん年をとって図々しくなったから、かもしれないけれど。


で、「変わってないねー」。
変わってるに決まってんじゃんねぇ。20年もたってて変わってなかったらそっちの方が問題じゃね?と思うわけで。
殊更に何か変わろうと思わなくても、日々の生活の中で、自分の役割って変わるわけじゃない?他人と家族になり、親になり…、カイシャでも後輩ができたり、部下ができたり、場合によっては年下の上司に仕えてるかもしれない。根幹は変わらないのかもしれないけれど、でも少しずつ折り合いつけたりしながら変わってるんだと思う。


あたしは最近、自分の年齢を言うのがとてもイヤなのです。
別に隠しておくつもりもないけど、実年齢を言った後に起こる一瞬の間。いろんな意味があると思うんだけどね。見た目とのギャップ、中身とのギャップ。


自分では、年齢なりの深みや厚みがないことがコンプレックスで、だから殊更に年齢を言いたくない。
これは日々精進してつけていくしかないので、がんばる、しかないのだけれど。


そそ、ことさらに「変わってないねー」というのは容姿に対してだったりするんだけど、それって基準が20年経った自分たちなわけですよ。みんな一緒に年をとっているから基準がぶれる。
20年前のあたしと、今のあたしを比較して変わってない、と言っているわけではなくて、20年経ったという暗黙の了解を加算して、変わってない、と言っているわけです。


いや、だから20年も経ってるんだから変わってますよ。それを「変わってないねー」と何の気なしに言っちゃうってことは、「若いままだね」と言っていることで、それって、やっぱり「若さ」が基準になっているってことなんだなーと思って萎えるわけです。

年取ったんだもん、それでいいじゃん、と自信を持って言いたい。言えない自分がいるから「変わってないねー」と言われることがいやなんだな。
すべては自分自身のことなんだ。と、こんなだらだらと書いてやっと腑に落ちた。


がんばろ。



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