懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本と韓国の世界遺産

2018年08月23日 | 日記
日本と韓国の世界遺産

日本の世界遺産登録数は18で韓国は12だそうだ。
日本で三内丸山遺跡が次回ノミネートされるのだそうだ。
その記事に対して掲示板の書き込みを見た。
三内丸山遺跡に対して否定的な意見が多かった。
私も三内丸山遺跡には行ってみたが埋蔵物の実物は展示していないしレプリカや写真ばかりでは実感が湧かない。
建造物は発見後に建造されたものだ。(縄文時代の建造物が残っているはずもないが)

私も近年の世界遺産に登録された件名には懐疑的である。スケールが小さいし、何が世界遺産なんだろうとおもってしまう。国内の近代化遺産レベルではないかと思う。
地元では観光資源として躍起であろうが。ユネスコもよくも認定するなと思う。
認定すればユネスコに上納金がはいってくるのかと疑ってしまう。
無理やり世界遺産に登録しなくてもよいと思う。石見銀山など当初は見に来る人がいたがリピーターはほとんどいない。

韓国の世界遺産遺産もスケールの大きいものや魅力的なのはすくないように思う。
最近に山寺が登録されている。韓国から日本に仏教が伝来した先進国であったので仏教国とおもっていたら仏教徒は少数派なのだ。
一番多いのはキリスト教で新興宗教も多いそうだ。新興宗教は日本で生まれた創価学会などを在日の人たちが韓国に広めたと書いてある。李氏朝鮮時代に儒教が崇拝され仏教弾圧が起きて寺院が一万寺から248寺に淘汰された。李朝時代1392年から1897年まで
現在韓国には都市部には寺院はなく山寺しか残っていないそうだ。その時に仏像も解体廃棄されている。対馬の寺には難を逃れた朝鮮の仏像が持ち込まれ日本で信仰されていたが韓国の窃盗団が持ち帰り元々は朝鮮のものだといいだした事件があった。
韓国は現在も残る山寺が世界遺産に登録された。日本も廃仏毀釈で明治時代に寺院は迫害をうけたが日本には寺院が7万寺、神社は8万社ある。全国至る所にある。韓国の世界遺産の山寺もネットで見るとしょぼいものだと思う。

私など無宗教で無信仰な人間だが日本の神社や寺院の文化はよく継承されて素晴らしいものだ。祭りや行事として伝統を受け継でいる。神社仏閣には森や林が保護されて残っている。自然遺産としても素晴しい。
中国やインドの寺院は建物中心で森や林はないそうだ。外国人観光客も神社仏閣には興味をもっている。伊勢神宮や明治神宮は人気が高く世界遺産でなくても外人は沢山くる。仏像も歴史のあるものが数多く残っている。しかし最近の盗難は困ったものだ。
定年後はこんな神社仏閣を巡礼し歴史や仏像を通し日本人の文化を理解するが必要があった。残念ながら階段があるので車椅子では難しい。

韓国は古墳群も世界遺産登録されているが日本の古墳はスケールが大きいし数も多い。岡山にも大きな古墳が残っている。堺市の仁徳天皇陵どの古墳も登録にノミネートされているが天皇に由来する施設は登録すべきでないと反対の意見もある。

蒸気機関車 倉敷駅発車

2018年08月21日 | 蒸気機関車
伯備線を走り岡山に向かう列車 D51型蒸気機関車のけん引

倉敷駅は現在は橋上駅になって改装されている。
駅の表と裏が橋で繋がり行き来がしやすくなった。

撮影するときは改装されるのは意識もせず撮影している。
駅のホームで列車を待つ人やホームに入る列車をすべて撮って置くと面白かったすか

ホームで列車待ちをする人も現在ならばスマホを見ているであろう。
学生服もセーラー服は見かけなくなった。女性もスカートを履く人がすくなくなった。
生活習慣や服装も時代とともに変化しているのが一枚の写真から読み取れる。

民俗学の図説の本をみると私の子供の頃の写真に写っている物の解説してある。
木の半鐘や木の橋、地蔵などExcelに写真を貼り矢印と解説文を入れ自分で作ってみても面白い。


懐かしい物 屋久島の荒廃

2018年08月20日 | 懐かしい物
屋久島はいまでこそ世界遺産になり注目を浴びているが昭和45年までは屋久杉の伐採で荒廃していた。
屋久島に行ったのは昭和42年と43年、その頃は宮崎県で勤務していた。
九州に勤務している内に行こうと思った。

屋久杉に覆われた風景にあこがれていったものの千メートルの山で見たのは伐採された荒涼とした風景だった。
屋久島は海抜ゼロメートルが1930メートルまで登らなくてはならない。
半径20kmの円の中心に頂上がある山だ。
森林の中を10キロ歩いて伐採された荒涼とした土地か続く無残な光景に暑い夏の日
歩く足がやけに重かった。
ガイドブックにはこんな事は一つも書いていない。屋久島の魅力のみを書いてあった。

この伐採された土地を抜けるのに一時間半は掛かった。
昭和40年代は公害が酷く環境破壊が話題になった。
昭和45年に屋久島の伐採もやっとストップがかかり営林署も撤廃した。
1000メートルの標高に営林署と小学校もあった。

登山の際にフィルムは5本くらいしか持って行かず撮ったのは屋久杉や山の写真ばかりだ。
荒廃した伐採された写真をもっと撮っていたら今では貴重だ。50年も経過しているので今は植林もされ山は緑に復元されているであろう。


茅葺き民家 斜面に建つ

2018年08月19日 | 茅葺き民家
撮影場所  兵庫県猪名川町

斜面に民家が階段状に建っている。
昔からの宅地は斜面に建つことが多い。山間地では田や畑の地が優先され宅地の建つところは傾斜のきついところが多い。
集中豪雨や地震があれば土砂崩れを起こしやすい。
400mmも降ると土石流に襲われる。
日本の宅地は平地だと液状化を起こしやすいし川の氾濫による浸水もある。
密集地は大規模火災の恐れもある。どこに住んでもリスクはある。

こんな斜面の土地は道路も細いしUターンも難しい。
不便でも昔から住み慣れた土地は離れ難い。
こんな場所の写真の撮影は下の広い場所に車を置きひたすら歩いて撮影が無難だ。
車で登ると土地の人の迷惑になる。

ボランティアとSNS

2018年08月18日 | 日記
ボランティアとSNS

周防大島で行方不明になった2歳男児を救出してスーパージイチャン尾畠氏
誰もが諦めかけた三日目の朝にわずか30分で発見した快挙に国民皆が感動してテレビにくぎ付けとなった。140人が二日探しても見つからないのが30分で発見したのには懐疑的な報道もあり掲示板にも疑惑の書き込みもあった。発見者が誘拐して自作自演ではないかというのであった。
周防大島家房地区はどんなところか地図を見ていただきたい。こんな鄙びた田舎まできて祖父が最終確認して5分や10分の間に誰が誘拐するのか
大勢が捜索したのは死にそうなところに視点であるが尾畠氏は子供の行動と生き延びられるところに視点を置いている。子供の行方不明は時々発生し好条件が重なり生き延び発見された。祖父母の家に行ったりハイキングで見知らぬ地で失踪する事が多い。
2016.6月 北海道駒ヶ岳の自衛隊倉庫で7歳の男の子を一週間ぶりに発見。2016.12.8.大分県佐伯市の山中で2歳の女の子発見、夜間の気温が16℃くらいあり森の中で凍死を免れた。最低気温早朝に13.8℃
自分の子供も男の子三人で居なくなりよく捜しに行った。自分も子供の頃に居なくなり何度も親が捜した事を教えられた。

尾畠氏は78歳にもなり人のためにボランティアで活動できるものだ。体力も優れている。それと国民年金から費用を捻出している。学歴も中学卒で劣等感をバネに頑張っていたのを神様が遭難児童と巡り合わせてくれたのであろう。誰にでも努力した人は人生で脚光を浴びる機会が与えられる。しかし、スーパーボランティアと言われ有頂天になり奢たかぶるのは避けてほしい。

普通の定年族は自分の身が大事で年金の事や健康の事や遊びが中心で他人の事など関わらない。自分もパソコンでネットを見てSNSを見て一日暮らす。
SNSは時間泥棒と言われている。見ていたら何も出来ない。タイトルに興味があり見たが内容がまったくない。タイトルだけで内容を書いていないヤツもいる。他人の記事のコピペだったり著作権侵害の記事もある。読んだあと時間を返してくれと言いたくなる。
人のために頑張っている定年族の人もいる。SNSをやっているなど恥ずかしくて他人には言えないな。SNSは暇人の戯れだもの。

日本茅葺紀行 NO,464 山形県川西町

2018年08月18日 | 日本茅葺紀行
川西町には茅葺き民家が沢山残っていた。ここ10年20年は茅葺き民家が残ると思ったが急激に姿を消した。茅葺き民家の耐久性のなさ住む人の高齢化や過疎化、葺き替えの経費で解体されていく。
住む人が亡くなると解体されてしまう。
崩れたまま放置は危険だし問題もあるので遺産を受け継いだ者に解体依頼がいくのであろう。
写真の民家もお婆さんが住んでいが次に行ったら解体されていた。
次ぎ来た時に撮影しようと思うのはいけない。
今すぐにやる事だ。定年後まだ先があると思ったらすぐに10年は過ぎる。
物事をやろうと思ったらすぐやる徹底してやることが必要だ。
時代は容赦なく過ぎてゆき昔には戻れない。

山形県は一時渇水で最上川にも海水が遡上して困っている報道があった。その後に下流から中流に300mm大雨がありその後も全域に雨が降り渇水の危機から脱出できたようだ。・
最上川は大きな川だが山形県の端から端まで流れ他県に跨っていない珍しい川だ。
山形県の75パーセントの流域面積を持っている。
水源地は2000メートル超えの吾妻山である。
吾妻山は峠を越えると福島県の裏磐梯にいける。広い道がついている。
私は最上川の流れている流域はほとんど茅葺きを求めて走った。
最上川の名前は武将の最上家からとっているのだろうか
山形の寒河江や天童も地を治めた武将の名前のようだ。

私の昭和鉄道遺産 その79 函館本線ニセコ駅

2018年08月17日 | 私の昭和鉄道遺産

ニセコ駅でD51が交換していたので二台を撮影する。
走行写真を撮るために駅で交換風景は余り撮影していない。
駅での風景もいまとなっては懐かしい。

ニセコは雪質がよくスキャ-よく来る今は外人に人気がある。
旅館や飲み屋も外国人が来ても楽しめるように英語が話せるる人も配置している。
ニセコは滋賀県のマキノ町とともに平成の大合併の前はカタカナの町名だった。

箱根駅伝で東洋大が優勝した。日本テレビで翌日にレース振り返る番組が毎回ある。
ゲスト解説は瀬古利彦氏だった。東洋大の優勝メンバーに瀬古という人がいた。
瀬古利彦氏が君はニセコだなあとギャグを飛ばし事がある。
瀬古利彦氏、マラソン解説で女子アナウンサーにセクハラ発言があったと叩かれていた。
いまの時代は女性には軽い冗談のエロ話もできない。
私なんか前科100犯になってしまう。

懐かしい物 なまこ壁の路地

2018年08月16日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市


倉敷の美観地区の路地
着物姿の土地の人がくるのをひたすら待つ。
観光客は風景に似合わないので入れない。
古い街並みの路地や通り屋根、人々の暮らしを徹底的に撮っておくべきだった。
30年、40年経過すると時代の変遷がよくわかる。

記録写真を撮る意味も分からず適当に撮っていたと思う。
誰かアドバイスしてくれる人や仲間がいれば違っていたと思う。

若い頃は車や家を持つことは夢物語と思っていた。
日本の高度成長で給与も暮らしも向上するとは思わなかった。
日本の風景がどう変化するかも想像できなかった。
その時代に生きる事は常に未来を少しづつ想像してみる事だ。
そうして成長する株に投資する。趣味では移り変わる風景を記録する。

しかし、日本人の悪いクセはすぐに思い上がりの有頂天になる。
太平洋戦争にバブル20年、深く物事を考えない。トップにイケイケドンドンが多い。
次は日本経済破綻で三度目の敗北を味わいそうだ。

人間も国家も有頂天になったら堕落するように思う。

夏野菜

2018年08月14日 | 日記
豪雨被害などで夏野菜が高いというがスーパーマーケットなど行かないのでどの程度高いのか分からない。家内が狭い畑で夏野菜を作ってくれているので不便を感じない。
猛暑でもトマトやナスが割れや日焼もなく食べられる物を作れるものだ。

青野菜もキューリ、オクラ、ピーマン、ゴーヤがあえればビタミンは確保できるか
他に茄子とトマトがあれば夏野菜の栄養は確保できるか
トマトはミニトマトがよくできる。毎日10粒食べる事にしている。
トマトが赤くなれば医者が青くなるの言葉を信じて毎日食べる。

私は人との付き合いもないので近所の人からたまに野菜をもらうくらいのものだ。
家内はよく野菜をもらって帰る。田舎は個人で作っているのでほとんどの人が御裾分けで貰って帰る。
日頃からの人との付き合いだと思う。
若い人の中には義父が度々野菜を持ってくるので困るという恩知らずの人もいる。

この暑さに野菜はよくできるものだ。夏野菜は暑さ対策として種の周りに空気層を作り断熱している。
オクラ、ピーマン、ゴーヤは空気層がある。さっぱりピーマンと頭が空っぽで理解できない時にこんな言葉を使った。
トマトとキューリも種のところは空気層があったが今はサラダやサンドイッチなどで見た目が悪く空気層の無い物に品種改良された。

夏場は白菜やキャベツレタスの葉物は暑さで結球もしないし虫に食われるし腐るしで作れない。高原キャベツや高原レタスの涼しいところの作物を買うしかない。

茅葺き民家 道路沿いの民家

2018年08月14日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県神戸市

神戸市の北区の民家は道路沿いにある。
道路に面していると車が民家に突っ込んでくる事もありセキュリティもプライバシーもよくない。
昔の長屋や通りの家はプライバシーもなかった。
新聞の人生相談で中年の女性が姑と同居している。姑は外出でもすればいいが一日家にいて気の休まるところがない。昼寝も出来やしないと書いてあった。
同居は住宅代も公共料金も安くあがるが煩わしい一面にがある。

介護に来ている90歳過ぎの女性が半日の介護を一日の介護利用に嫁が変更したという。
嫁と言っても65歳、姑が一日家にいては食事の準備も必要で気の休まる時もないのだろう。

年寄りはみんな不要家族なのである。