茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

泉涌寺

2010年02月21日 | Weblog
和宮さまゆかりを訪ねた旅をしていてやはり外せないのはこちらの御陵だと思いました。
兄上様やお父上様多くの皇室の方々が眠っている月輪陵です。
どうしても行きたく、いやご挨拶をしたく夕刻になってしまったのですが立寄ることにしました。月輪陵は泉涌寺の奥に位置していました。
空気の違いに少々佇んでしました。
そもそもこちらは・・・、
 泉涌寺霊明殿の東に鎮まる陵墓は月輪陵(つきのわみさぎ)と呼ばれています。
四条天皇をはじめ後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓が営まれ、ここに鎮まるかたがの御葬儀は泉山長老が御導師をお勤め申しあげ、御陵もすべて仏式の御石塔でお祀りされています。
また月輪陵の背後の山腹には、南に孝明天皇の後月輪東山陵、北に英照皇太后の後月輪東北陵が築かれています。

泉涌寺とは、月輪山の麓にたたずむ皇室の菩提所として、また諸宗兼学の道場として、壮麗な堂宇が甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっています。
天長年間、弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と名付けられたことに由来し、後に仙遊寺と改名され建保6年(1218)に、当寺が開山と仰ぐ月輪大師・俊(がちりんだいし・しゅんじょう)が宇都宮信房からこの聖地の寄進を受け、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄2年(1226)に主要伽藍の完成をみました。
その時、寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めこの泉は今も枯れることなく涌き続けているそうです。
後鳥羽・順徳上皇、後高倉院をはじめ、北条政子、泰時も月輪大師について受戒するなど、公家・武家両面から深く帰依されました。
大師入滅後も皇室の当寺に対する御帰依は篤く、仁治3年(1242)正月、四条天皇崩御の際は、当山で御葬儀が営まれ、山稜が当寺に造営され、南北朝~安土桃山時代の諸天皇の、続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の御葬儀は当山で執り行われ、山稜が境内に設けられて「月輪陵(つきのわのみさぎ)」と名づけられました。
こうして皇室の御香華院として、長く篤い信仰を集めることとなり泉涌寺が「御寺(みてら)」と呼ばれる所以ということです。

一種別天地の雰囲気をかもしだし実に美事な聖域に感じます。
ご挨拶ができてほっとした気分でした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。