茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

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岡倉天心

2009年06月24日 | Weblog
茨城の五浦にお墓がある岡倉天心を訪ね車を走らせました。
岡倉天心は、アメリカで茶を広めた人物で気になって調べてみました。

岡倉 天心(おかくら てんしん、男性、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年9月2日)は明治期に活躍した美術家、美術史家、美術評論家、美術教育者である。本名は覚三(かくぞう)。
幼名は角蔵。弟の岡倉由三郎は英語学者。横浜生まれ。
東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献し、日本美術院の創設者としても著名。
福井藩士だった父・岡倉勘右衛門は貿易商で、幼いころから英語に慣れていた。
東京開成所(のちの官立東京開成学校、現・東京大学)に入所し、政治学・理財学を学ぶ。英語が得意だったことから同校講師のアーネスト・フェノロサの助手となり、フェノロサの美術品収集を手伝った。
また天心は明治15年(1882年)に専修学校(現在の専修大学)の教官となり、専修学校創立時の繁栄に貢献し学生達を鼓舞した。専修学校での活躍は、文部省専門学務局内記課に勤めていたころである。
また専修学校の師弟関係で浦啓一も天心と出会い、天心の指導によりその一生に決定的な影響を受けたのである。
明治23年(1890年)から3年間、東京美術学校でおこなった講義「日本美術史」は日本(の美術史学)における日本美術史叙述の嚆矢とされる。
東京都台東区に岡倉天心記念公園(旧邸・日本美術院跡)がある。
ボストン美術館中国日本部に勤務していた岡倉天心がアメリカで『THE BOOK OF TEA』(邦題:『茶の本』)を1906年(明治39年)に出版紹介した。
この出版は欧米文化人の関心を呼び、「茶道」を英語で「tea ceremony」というのも一般的になった。(岡倉は「茶の本」に於いて、欧米人にとっての「茶道」への近似体験として、「ティーパーティでのホストの心遣い」を挙げ理解を促した。)

私にとって岡倉天心は何だか好きでない人でした。
的がずれていたのか茶道というよりも、美術にとても関心のあるまた先駆け者でちょっと調べてよかったな!なんて思いました。ただ、五浦まで出かけたのに岡倉天心美術館や六角堂は休館。やっぱり気が合わないか嫌っているか入れませんでした。
まずは、墓参りから?ですかね?
次ぎ訪ねる際はちゃんと調べて行こうと、そう思いました。