今日はなんとおにぎりの日 だそうです。
そしてこれは、最古の「おにぎり!」です。
石川県旧鹿西町(ろくせいまち)の竪穴式住居跡の遺跡から、日本最古のおにぎりの化石が発見された事で、鹿西町が「おにぎりの里」としての町興しのために制定した。鹿西のろく(6)と、毎月18日の「米食の日」から6月18日が選ばれたとのこと。
昭和62年(1987年)12月、石川県中能登町(旧鹿西町)杉谷チャノバタケ遺跡の竪穴式住居跡から、黒く炭化したおにぎりが発掘されました。
その化石は、約2000年前の弥生時代のものと推定され、日本最古のおにぎりとして話題となりました。
鹿島郡中能登町(旧鹿西町)に所在。
眉丈山系から平野部に延びる丘陵から一部谷部にかけて(標高50~110m)立地。
南北50~100m、東西350m以上の広がりを持つ。
また、縄文時代から江戸時代の長期にわたる人々の様々な活動が確認された。
中でもチマキ状炭化米塊は「日本最古のおにぎり」として話題となった。
チマキ状の炭化米は、底辺約5cm、他の2辺が約8cmの二等辺三角形で、約3.5cmの厚みがある。
日本型のおくてのもち米を使用し、蒸された後二次的に焼かれたものと推定され、現在のちまきに近いものと考えられる。
チマキ状炭化米は、昭和62年11月、丘陵中腹に位置する第22号竪穴式建物の壁際から、単独かつ完全な形で出土した。
同建物は弥生時代の中期の終わり頃(1世紀前半頃)のもので、炭化米塊も同時期のものと推定される。
こうした調理・整形された米は、全国的にみても非常に少なく、なかでも本例は最古級のものだ。
機能的には携行・保存食だが、食用とは別に霊的なものへの供物あるいは厄除けという呪敵な用途をもっていた可能性がある。この発掘を機にまちは大きく変わり、「おにぎりの里」としての様々なイベントが開催されるようになりました。
古代米づくりも、そんな中からはじまったようです。
おにぎりは大好きですので、この日は覚えておきたいです。
そしてこれは、最古の「おにぎり!」です。
石川県旧鹿西町(ろくせいまち)の竪穴式住居跡の遺跡から、日本最古のおにぎりの化石が発見された事で、鹿西町が「おにぎりの里」としての町興しのために制定した。鹿西のろく(6)と、毎月18日の「米食の日」から6月18日が選ばれたとのこと。
昭和62年(1987年)12月、石川県中能登町(旧鹿西町)杉谷チャノバタケ遺跡の竪穴式住居跡から、黒く炭化したおにぎりが発掘されました。
その化石は、約2000年前の弥生時代のものと推定され、日本最古のおにぎりとして話題となりました。
鹿島郡中能登町(旧鹿西町)に所在。
眉丈山系から平野部に延びる丘陵から一部谷部にかけて(標高50~110m)立地。
南北50~100m、東西350m以上の広がりを持つ。
また、縄文時代から江戸時代の長期にわたる人々の様々な活動が確認された。
中でもチマキ状炭化米塊は「日本最古のおにぎり」として話題となった。
チマキ状の炭化米は、底辺約5cm、他の2辺が約8cmの二等辺三角形で、約3.5cmの厚みがある。
日本型のおくてのもち米を使用し、蒸された後二次的に焼かれたものと推定され、現在のちまきに近いものと考えられる。
チマキ状炭化米は、昭和62年11月、丘陵中腹に位置する第22号竪穴式建物の壁際から、単独かつ完全な形で出土した。
同建物は弥生時代の中期の終わり頃(1世紀前半頃)のもので、炭化米塊も同時期のものと推定される。
こうした調理・整形された米は、全国的にみても非常に少なく、なかでも本例は最古級のものだ。
機能的には携行・保存食だが、食用とは別に霊的なものへの供物あるいは厄除けという呪敵な用途をもっていた可能性がある。この発掘を機にまちは大きく変わり、「おにぎりの里」としての様々なイベントが開催されるようになりました。
古代米づくりも、そんな中からはじまったようです。
おにぎりは大好きですので、この日は覚えておきたいです。