二尊院(にそんいん)は、京都市右京区の嵯峨野にある天台宗の寺院。
山号は小倉山。小倉山二尊教院華台寺。
二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像からである。
境内の墓地には、角倉了以、三条実美、阪東妻三郎らの墓があって、総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られる。また、奥には、百人一首ゆかりの、藤原定家の時雨亭跡とされる場所がある。
平安時代初期の承和年中(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝える。以後、荒廃するが、鎌倉時代初期、法然の高弟である湛空らにより再興される。
応仁の乱により堂塔伽藍が全焼するが、本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に三条西実隆によって再建された。
このお寺は実に魅力あるお寺でした。
山門を入って暫く長い広いなだらかな階段を登り左へ行くと本堂、右へ行くと墓地。
本堂へ行ったつもりがなぜか墓地への階段を登って歩き出していました。
一段一段矢印の方へどこだろう?お墓は?そんな気持ちで迷い込んだようにお墓を歩き回ってました。お導きでしょうか?ただひたすら上へ上へと登っては手をあわせどちらのお墓かしら?失礼します!こんにちは?数珠を片手に人様のお墓をお参りめぐりしてしまいました。
行き着いた先?というより、まずは土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨を安置する三帝陵へ手を合わせに行きました。
そして、公家の二条家、三条家、四条家、三条西家、鷹司家の墓地のほか、伊藤仁斎・伊藤東涯父子、角倉了以・角倉素庵父子の墓などにもお参りしてしまいました。
気がつけば、法然上人のお堂に辿り着きご挨拶!
何だか墓地めぐりで数時間も費やしそして本堂へ行きました。
普通とは逆な回り方だなと少々思いはしたのですが満足のいくお墓めぐりでご住職のお話を如何って帰りに再度墓地めぐりをしてしまいました。
とっても不思議な感覚でとっても面白いお寺だと思いました。
ご住職がお優しくて沢山の疑問に答えて下さって有難い限りでした。
ぜひ京都のお寺散策の一つに二尊院へ行かれて下さい。
法然さんの800年にむけて貴重な資料を拝見できますよ!
山号は小倉山。小倉山二尊教院華台寺。
二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像からである。
境内の墓地には、角倉了以、三条実美、阪東妻三郎らの墓があって、総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られる。また、奥には、百人一首ゆかりの、藤原定家の時雨亭跡とされる場所がある。
平安時代初期の承和年中(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝える。以後、荒廃するが、鎌倉時代初期、法然の高弟である湛空らにより再興される。
応仁の乱により堂塔伽藍が全焼するが、本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に三条西実隆によって再建された。
このお寺は実に魅力あるお寺でした。
山門を入って暫く長い広いなだらかな階段を登り左へ行くと本堂、右へ行くと墓地。
本堂へ行ったつもりがなぜか墓地への階段を登って歩き出していました。
一段一段矢印の方へどこだろう?お墓は?そんな気持ちで迷い込んだようにお墓を歩き回ってました。お導きでしょうか?ただひたすら上へ上へと登っては手をあわせどちらのお墓かしら?失礼します!こんにちは?数珠を片手に人様のお墓をお参りめぐりしてしまいました。
行き着いた先?というより、まずは土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨を安置する三帝陵へ手を合わせに行きました。
そして、公家の二条家、三条家、四条家、三条西家、鷹司家の墓地のほか、伊藤仁斎・伊藤東涯父子、角倉了以・角倉素庵父子の墓などにもお参りしてしまいました。
気がつけば、法然上人のお堂に辿り着きご挨拶!
何だか墓地めぐりで数時間も費やしそして本堂へ行きました。
普通とは逆な回り方だなと少々思いはしたのですが満足のいくお墓めぐりでご住職のお話を如何って帰りに再度墓地めぐりをしてしまいました。
とっても不思議な感覚でとっても面白いお寺だと思いました。
ご住職がお優しくて沢山の疑問に答えて下さって有難い限りでした。
ぜひ京都のお寺散策の一つに二尊院へ行かれて下さい。
法然さんの800年にむけて貴重な資料を拝見できますよ!