みちくさ茶屋

いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと。

柿のソース

2006-11-09 | monologue
保育園に行く途中に、大きな柿の木があって、たくさん実をつけている。
出勤時間が重なった相方と一緒にこうたろうを送っていった朝、
相方が柿の木を見上げて「前、柿のソース作ってくれたよねぇ」と言った。
しみじみと思い出すような、どこか牧歌的な口調だった。

「柿のソース」とは。
結婚してすぐのころ、私が作ったフルーツソースである。
私は結婚と同時に、相方の親戚以外知り合いのいない静岡に引っ越した。
4年間暮らしたうち、最初の半年くらい、失業保険をもらいながら
明るいひきこもり生活を堪能していたので、時間だけはべらぼうにあったのだ。
で、ちょっと手のこんだ料理を作ったり、セーターを編んだりしていた。
(ああ、なんという贅沢な日々だったのであろう……)
私は行正り香さんの「おうちに帰って、ごはんにしよう」という
お料理本がすごく好き。本当に好き。家庭料理の原点があると思う。
柿のソースも、その本に載っていたレシピで、
熟しすぎてやわらかくなってしまった食べ損ないの柿で作る。
実をつぶし、レモン汁や砂糖で味をつけて、ペースト状にする。
それをアイスクリームにかけて食べると美味しいのだ。

もうかれこれ5年以上前の話だなあ。それも、柿ソースを作ったのは一度だけ。
私自身、もう忘れかけていたようなメニューだ。
でも相方の脳裏にはインプットされていて、木に成る柿を見てそんなことを
思い出してくれたんだな、と、ちょっとうれしかった。

今は、「いかに短時間でできるか」「いかに安くして多くの栄養を摂れるか」
「いかに少ない調理器具でできるか(洗い物を増やしたくないので)」
ということばかりに気をとられている気がする。
このごろはたまーにパウンドケーキなど焼いたりもするが、それにはもう、
「よしっ、作るぞ! ほらっ、手作りのお菓子よっ!」という気合が入ってしまっている。
作る日を選び、材料もあらかじめ仕込む。
そういう点で、柿ソースは、「食べ損ないの柿があったら作りましょう」
という、さりげなく優雅な一品なのだ。

家族の記憶の中に、こんなふうに私の料理が刻まれていくのなら
それは幸せなことだな、うれしいな、とシンプルに思う。
食べ物って、胃袋を満たすだけじゃないんだよね。
今はまだ、私がキッチンに長くいるのを待てないこうたろう。
だから毎日の夕飯の支度はめんどくさいと思うことが多いけれど、
そろそろ、ゆとりある気持ちで「優雅な一品」を作ってみたいな。