みちくさ茶屋

いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと。

ふたたび

2011-09-23 | kid
ケンタッキーのセットを買うと
ワンピースのマグ(シャーベットが作れる)がついてくる、というのがあります。

店頭のポスターを見て、
「チョッパーがほしい!」と言うこうたろう。
でも、ルフィやナミなど、5種類あり、
箱の中身が何かは開けるまでわからない。

「買っても、チョッパーが出るかわからないよ」と
何度も何度も念押し。

で、買いました。


「チョッパーがほしい」


だからー、チョッパーが当たるかわかんないって。


チキンのセットと箱を受け取り、
家まで待ちきれず店内で開封するこうたろう。




当てちゃったよ、この人は!!


じゃんけんは弱いくせに、クジ運はかなりのものかも。
でも、これから先の長い人生、
いつもこんなふうに思ったとおり手に入るとは
思わないほうがいいぞ、こうたろう。


再会

2011-09-17 | people
このところ、立て続けに、旧友との再会がありました。

ひとりは、高校時代いちばん仲が良かったY。
ずっと名古屋から出たことがなかった彼女、
ご主人の転勤により7月に東京に出てきたそう。
来年からは、5歳の娘さんと上海勤務についていくらしい。

高校時代のこと、
今のこと、
これからのこと、
たくさんたくさん話をした。
高校のときの「実はあのときね」という秘話を
今さらになって聞かされて驚いたり笑ったり。
まあ、ここには書けないこともあるんだけど、
私がいちばん胸キュンしてしまったのが、
「暗証番号」エピソード。
高校を卒業するあたりで、私の友人(男)がYのことを好きになり、
私に橋渡しをたのんできたことがあったのだ。
で、ふたりはなんとなくちょっとつきあったっぽい感じになっていたのだが
3ヶ月くらいでフェイドアウトしたので、
まあ、お互い新しい世界に入っていくとそんなもんかもな、くらいに
思っていた。
ココからちょっといい話。
Yは大学に入ったときに銀行口座を作ったのだが、
そのときの暗証番号を、その彼の(高校時代の)出席番号にしていたんだとか!
それで、その銀行を今でもずっとメインバンクにしているので、
いまだに、Yの銀行口座の暗唱番号はその元彼の出席番号なのである。うわー。
手をつなぐかどうかの、短くて淡いおつきあいだったみたいなのに、
それが結婚して子供も産んでこの年になっても彼がそこに息づいているわけですね。
なんかほっこりする話だわ~。

Yはママ友グループとのしがらみを極端に嫌っており、
「東京に出てきてそういうのがなくなってほんとにせいせいした!」
と言っていたのだが、今度上海に行ったら行ったで、今度は
駐在員婦人としての日本人社会が待っているので覚悟しているとか。
駐妻(ちゅうつま)と言うらしい。
それもかなり狭くて濃そうだなあ。ぜひがんばってほしい。


もうひとりは、小学校一年生からの竹馬の友、K。
入学式のときにKから「友達になろうよ」と声をかけられて以来、
実に34年のつきあい。
今も会ってるおさななじみって言えるのは彼女だけかもしれない。
ここ数年は年賀状くらいで会っていなかったんだけど、
その会っていなかった間に、お互いにいろんないろんなことがあって、
特に彼女はかなり壮絶な経験をたくさんしていて、
やっとひとだんらくついたところで私が暑中見舞いを出したのを機に
ランチすることになった。
つらいつらいことのあったK。
震災後、被災者の状況を知り、「自分は不幸だと思っていたけれど、
そんなことはなかった。恵まれていると思った」という。
今は、得意の英語を生かして、被災者を南の島に受け入れる(国が介入している)
コーディネートのお手伝いをしているそうだ。
Kのこれからの人生が、第2ステージに入って、
今度は幸せで満ち足りたことがたくさんあるようにと願ったし、
そうであるような気がしてならない。
幸せでいてほしい。


私もこの数年、しんどかったけど、今年に入ってから、
やっとこんなふうに、人と積極的に会いたいと思えるようになった。
そうすることで、流れが変わってきたようにも感じる。
竹内まりやの大好きな曲に「みんなひとり」というのがあって、
「生まれるときも死ぬときもひとりだから、生きている間は
人と心を通わせたい」というような歌詞がある。
ほんとにね、ひとりなんだよね。
その人の、うれしいこともつらいことも、つきつめれば
その人だけのものなんだよね。
それをさびしいと思ったこともあったけど、そうじゃない。
あたりまえのこと。
だからこそ、大切な人と分かち合いたい。そう思う。


2011-09-12 | monologue
311から半年、911から10年。
昨日はそんな日で、いろんなことを考えながらテレビを見ていた。

宮城の和菓子屋さんの社長。
からっぽになった神棚を見上げながら
「神も仏もねぇよ」とつぶやいていた。

夜、グランド・ゼロでの追悼式を
生中継しているのを見た。
こちらは、「神は、神は」と言っている。

あんなひどいことがあったのに、あの人たちは、
それでもこの世界は「神」の加護のもとにあると
信じているのだろうか。
「苦しいことにも意味があり、神の導きである」と
思えるのだろうか。
私だったらきっと思えない。

つくづく、宗教を持っている人は強いなと思う。
信仰することで、救いがあるから。

私は、神様に対してどうしても半信半疑だ。

「いるんだろうな」とは思う。
というか、人型をした存在ではなくて、
なにか大きな、エネルギーのようなものが、
「あるんだろうな」と思う。

たいして努力していないのにどういうわけだか物事がすごくうまく運んだとき、
特に強く「神様ありがとう!」と思ったりする。

でも、何も悪いことをしていないのにつらいことが起きたとき、
「神様なんかいない。いるとしたら意地悪だ」と思ってしまう。

和菓子屋さんの「神も仏もねぇよ」ってぼやきが、
私にはすごく胸せまるものがあった。


神なんかいないと思いながら矛盾しているけれど、私は日々祈る。
私たちを取り巻くこの世界が平和でありますように。
もうこれ以上のつらいことが起きないように。
もっとも、それは神への祈りではないのかもしれない。
イメージの力。
念の力。
言葉の力。
そして、クサいことを言うようだけれどやっぱり愛の力。
そういうものを、どこかで信じているのだと思う。