みちくさ茶屋

いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと。

よちよち文藝部

2014-05-31 | book
「よちよち文藝部」
久世番子・著




コミックエッセイ。すごく面白かったです。
文豪たちのキャラや背景、作品について、詳しく楽しく解説されています。
ためになったり爆笑したり。
こき下ろしているようにもとれますが、愛ゆえなのね。
愛情と敬意がなかったらこんなの描けませんよ。
大作家センセイたちの人間くささに親近感を覚え、微笑みがこぼれる一冊。

帯に「読んでなくても大丈夫」とありますが、
当然、ここに出てくる作品を読んでたらなお面白いです。
これをきっかけに読みたいなと思ったりして、そういう意味でもお勧めです。



女川・神輿担ぎ 後編

2014-05-15 | people
前編からの続き。

そんな感動的な出来事ばかりではない。
歩いていて気になったのは、ゴミだ。
明らかに最近捨てられた空き缶、お菓子の袋…
挙句の果てに私は道端のガムを踏んでしまい、ネトネトした足の裏を引きずりながら、
「こんなところまで来てガム吐くヤツがいるのか!」と本当に腹立たしかった。けしからん。
よそから来る人間がポイ捨てするのか、現地の人間なのか…定かではないが、住人はただでさえ町の復興に手をかけている真っ最中なのに、さらにこんな「ゴミ拾い」まで強いられているのである。
熊野神社の神様、ポイ捨てするような不届き者には、罰として口内炎のひとつふたつ作ってやってください。

昼食は、集会場にて。女川のお母さんたちが作ってくださったサンマのつみれ汁が、声を上げてしまうくらい絶品だった。
「このつみれ汁はここでしか食べられないんだろうなぁ」と惜しむように食べた。
祭りを終え、直会(なおらい)では新鮮なお刺身をたくさんいただいた。
ボランティアに来てこんなご馳走をいただくなんて、いいのだろうかと思うくらい美味しかった。
そのうえ、あのサンマのつみれ汁がまた出てきたので(大量に作ってあったらしい)狂喜した。
ありがとう、女川のお母さんたち。

ひとり参加の女性は私の他に2人いらして、直会までにある程度仲良くなっていた。3人で同じテーブルについていると、主催者数人から、「ひとりでよく参加されましたね!」というようなことを言われた。
私も他のふたりも、基本的にひとり行動がまったく苦でない(むしろ楽なことも)タイプなのだが、私の場合は「勢いで申し込んでしまった」というところが大きい。後から「あ、ひとりだけどダイジョブかな」と思わなくもなかったけど、「まあ、こういうところに集まってくるんだからきっとみんないいひとだ」という、いつになく楽観的な気持ちになれた。

友達や家族と一緒に来ていたら、それはそれで楽しかっただろうと思う。ただ、今回についていえば、私はひとりで参加できたことにとても意義があった気がしている。
ひとり参加同士、とても深い話ができたからだ。違う出会い方をしていたらできなかったかもしれない。

宿泊は「エルファロ」。


女川の復興シンボルでもあるトレーラーハウス型の宿泊施設である。


部屋の中。ひとり参加3人で相部屋だった。
私はアミダでロフトに。ロフトは高所恐怖症の人にはこわいかもしれないけど、下のベッドより暖かかったらしい。


朝食はこちらで。
デッキではコーヒーの無料サービスもあり。


翌日4日。
かまぼこの「高政」で工場見学。おもしろかった。


お店が併設されていて、試食しまくり、お土産をたくさん購入。
高台にある高政は運よく大きな被害に遭わず、町の復興を大きく支えている。


高政の駐車場に貼ってあった。
「おだづなよ」は「ふざけんな」の意。
忍耐強い東北のひとが「ふざけんな!」と勢いよく前を向いている。
このキャッチフレーズにはいろんな意見もあるようだが、私はすごく、いい言葉だと思った。


帰りのバスで、実際に被災されたSさんという名取市出身の男性のお話を聴くことができた。
PTSDと闘いながら東京に避難してきているSさんが、体験を話すのはとてもつらいことだったと思う。
それでも私たちに一生懸命伝えようとしてくださったその想いに、厚く感謝したい。

バスの中でご自身のことを語っていただき、私たちは全員でいったん名取市閖上に降りた。
テレビの報道で繰り返し放映されたあの場所だ。

「ここでは、写真を撮っていただいていいです。
聞きたいことがあったら、わたしに聞いてください」

Sさんにそう言われて、私はスマホのカメラを風景にあてた。
シャッターを押すことができなかった。
スマホ画面に切り取られた小さな枠の中には、なにひとつ、残せるものはないと思った。
私が今見ているものと、スマホ画面に映ったものは、まったく違う景色だったからだ。

そしてSさんに、聞きたいことはたぶんたくさんあった。
でも何も言葉にならなかった。

私は、40歳まで生きないだろうと思っていた時期がある。

43歳の私が今、こうして生きていて、Sさんも今、こうして生きていて、
同じ空間で大切な時間を、いっしょに過ごしている。
そのことがなんだかとてつもなく尊いことに思えて、会えてうれしい、ありがとう、そんな気持ちでいっぱいになった。

「自分に何ができるだろう?」
その問いの答えは、今のところ、
「やっぱり何もできない」
としか言えない。それが正直な気持ち。
無力な自分と、あらためて対面した。
そのことに落ち込んではいない。しっかり受け止めている。

ただ、今回、神輿担ぎに参加したことで、私にとって宮城は、女川は、特別な場所になった。
そして、大好きになった。もっと仲良くなりたいと思った。
空がきれいで、花がきれいで、タイルアートが素敵で、海の幸がおいしくておいしくて。
私が触れることのできたのは被災地のほんのごく一部だけれど、
東北の人たちには、笑っていてほしい。今はただ、そう願っている。


最後に、強く感じたこと。
ボランティア参加している人たちにも、それぞれの事情、それぞれの想いがある。
当たり前だ、人生だもの。
Sさんはお話の締めくくりに、とても大事なことを話してくださった。

「みなさんにお伝えしたい。どうか、無理はしないでください。ご自身の生活を守ってください。
その中で、ほんの少し、ほんの少し… 時間や気持ちに余裕がありましたら…
私たちに分けて下さったら、こんなにうれしいことはありません」


その言葉を、きちんと胸に留めていたいと思う。

私は今回、たまたまタイミングよく、この企画に参加することができた。
でもそれは、本当に「めぐりあわせ」のようなものだったと思う。
「現地に行くこと」がイコール「たいそうなこと、ご立派なこと」では全然ない、それも実感した。
次回、いつどんな形で現地に足を運べるかわからない。
でもそれでいい。無理はしない。自分の生活を守る。
そして、慌ただしい日々の中でふと、東北だけじゃなく「誰か」のことを、気にかけている自分でいたい。


女川名物、さんまパン♪
生地にさんまが練り込んであり、さんま風味なんだけど、どことなくほんのり甘い。
すごい日持ちするのでびっくり。オススメです。


女川・神輿担ぎ 前編

2014-05-15 | people
ゴールデンウィークの5月2日夜から4日にかけて、宮城県女川町に行ってきた。
熊野神社で行われる例大祭に参加するためである。
初めての「震災ボランティア」だった。でも「ボランティアに参加してきた」という感は薄い。それよりも、私自身が大きな学びを得て帰路に着いた。
あれから10日が経ち、日々の雑多な出来事を前に、早くも過去になりつつある。いろんなことを感じたはずなのに、想いも記憶も風化してしまうのがこわい。
すごく長くなるけれど、備忘録も兼ねて、ここにきちんと記録したい。また、このブログを知っていて読んでくださる方、何らかの検索でひっかかってこの記事に来てくださった方の、何かのご参考になればと思う。

女川復興事業のため、現在の場所にある熊野神社は移転となるので、ここでのお祭りは今年で最後。しかし、女川町は震災後の離町率がとても高く、神輿の担ぎ手がいない。
そこでボランティア団体が企画した「神輿担ぎボランティア募集!」の案内を見つけたのが、今年3月11日の夜だった。寝付けなくて布団の中でスマホをいじっていて、たどりついた。

「一緒にねり歩くだけでOK!」「女性・お年寄り大歓迎!」
「お祭り大好き、神輿好き、東北好き、ただ行ってみたいな~って方、出番が来ましたよ~!」


そのコピーを何度も何度も読んだ。

あの震災から3年、ずっと「何かしたい、でも、自分に何ができるんだろう?」と、悶々としていた。
きっとそんな人が日本中にたくさんいると思う。
相方は震災後すぐに瓦礫撤去の手伝いに行っていたが、私にそんな力仕事はできない。足手まといになるだけだ。
行動はもちろん、震災関連について言葉にすることもためらわれた。
何を言っても何をしても、「偽善じゃないか」「傲慢じゃないか」「見当違いな空回りじゃないか」…そんな自問自答が始まってしまうと、動けなかった。

だから、「神輿担ぎボランティア」を見つけたとき、「何かしたい」の「何か」を探し当てたような気がした。ボランティア保険の加入が義務付けられ、名目は「震災ボランティア」だったけれど、そもそも神輿担ぎはお金をもらってする「仕事」じゃない。
女川の人たちが「遊びに来てね!」と言ってくれているのだ。それなら「遊びに来たよ!」と顔を出していいんだよね? 一緒にお祭り楽しんでいいんだよね? そう思った。

2日の夜、東京駅から参加チームと一緒に夜行バスに乗った。
私はひとり参加だった。宮城に行くのは初めてで、ひとり旅も夜行バスも20年ぶりくらいだった。
バスに乗り込み、ほどなくして、団体代表社のAさんから説明があった。
配布されたプリントを見ながら、行程の案内のあと注意事項を伝えられる。
例大祭における個人での写真撮影は禁止とのことだった。

「写真は、伝えるため・語り継ぐためにとても必要なものです。しかし、多くの方が犠牲になられた被災現場で、外部からやってきたたくさんの人々がカメラ(スマホ)片手に次から次とシャッターを切ったとしたら…そんな光景は被災された方々の目にはどう映るでしょうか?」

気が引き締まる想いがした。
私は、フルに充電したデジカメを持ってきていた。当然、スマホもだ。つまり、写真をたくさん撮ろうと思っていた自分がたしかにいたのである。
少し前、すごく好きだった居酒屋が火事になった。私はたまたまそこに居合わせていて、茫然と立っていた。野次馬たちがパシャパシャとスマホで写真を撮っている姿を「なんて醜い。なんていやらしい」と、いまいましい気持ちで見た。彼らが薄ら笑いを浮かべていて、目がキラキラしていたからだ。
もちろん、私を含めたボランティア組は、被災地の写真を撮りながら薄ら笑いを浮かべたり目をキラキラさせるつもりはまったくないけれど、現地の方からしたら、それに少し似た、少し近い状況になりかねないのではないか。
携帯電話普及のおかげで、写真撮影はごくごく身近なものになった。それ自体は悪いことではないけれど、日本が今、見落としている「デリカシー」の部分がそこなんじゃないかと、あらためて思った。

団体のカメラマンが代表で撮影したものを「ご自由にどうぞ」ということなので、祭りの風景はそれをいくつか掲載させていだく。

3日の朝、女川に到着。バスではほとんど寝られなかったが、体はシャンとしていた。
今回、団体に応募した人数は58人。全体を合わせると、全国から150人のボランティアが集まったそうだ。
男性ばかりだと思っていたら、思いのほか女性も多い。女神輿もあって安心した。
私は非力なので「ねり歩きにやる気まんまん」だったのだが、「ねり歩き用と、神輿担ぎ用、どちらのハッピにしますか?」と尋ねられ、つい「神輿担ぎ用でお願いします」と手を伸ばしていた。


本堂に続く200段の階段。


いざ出陣。中央で髪をちょんと束ねている黄色い帯がわたし。


神輿の向こうに見える平地。かつてここに、家やお店が建ち並んでいた。
津波の後、ここまで整備するのに、どれだけ大変だったろうと思う。


休憩をはさんで、神輿担ぎを交代しながら6時間歩いた。
掛け言葉は「チョーサイ、チョーサイ」


女川を生きる人々の、雄々しい姿。
鳴り続く太鼓。


神輿が通るのを待っていたという表情で、現地の方がうれしそうに家の外に出てきてくれていた。
にこにことこちらを見ているおばあちゃん、手を合わせてくださるご婦人、「来てくれてありがとう」というおじさんの涙声…
忘れられない。
直接お話することはなくても、こんなふうに笑顔を交わすことができて、「会いに」こられて、本当によかった。

お母さんと手をつないでいる2歳くらいの男の子もいた。
獅子舞をじいっと見ている。
「この子は震災後に生まれたのかな」と思い、その子のお母さんにいろいろな想いを馳せた。


後編につづく。


贈り物

2014-05-12 | kid

母の日、今年はこんなプレゼントをもらいました。



こうたろうがお店であれこれ考えている姿を想像して
とてもうれしかったです。

こうたろう本人はまったく本を読まない子なので、
「本ばっかり読んでる母ちゃん」がたぶん不思議なんだと思うけど、
「しおり、一枚にしようと思ったけど、母ちゃんは
一度に何冊も並行して読んでるから」という言葉に
よく見てるな~とオドロキ。

大切に使うよ。