みちくさ茶屋

いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと。

人を見たら

2011-10-25 | totsuka
10月半ばの気持ちよい日曜日のこと。

相方とこうたろうが1時から小学校のグラウンドでサッカー練習。
天気がいいので、私もいっしょに出ることに。
図書館で借りている本が3冊あって、1冊まだ読み終わっていなかったので、
近くの川で読んで、本を返して、買い物して帰ろう、と思っていた。

私はよく川で本を読む。
せせらぎの音を聞きながら読書するのが好きなので、いつもは川っぺりまで降りていくのだが、
この日は陽射しが強かったため、遊歩道になっている桜並木の木陰にあるベンチに座った。
右隣にバッグを置き、本を広げる。しばらくすると、背後でわあっと歓声が上がった。
意図していたわけじゃなかったのだが、そのベンチはちょうど小学校のグラウンドの真向かいで、
後ろを振り返ると子供たちがサッカーをしているのがよく見えた。
私は左後方に顔をそらして、こうたろうを目で追った。うむうむ、がんばっているじゃないの。
時間にして3分ほどだったと思う。
愛する息子の姿を愛で、空は青いし、好きな場所で好きな本を読んで、
ああ、私ってしあわせ……
と、川のほうに向き直って読書を続けようとしたときのことである。

はっ!!!

バッグがない!!!!!

さーーーっと頭が真っ白になる。私は飛び上がってあたりを探し回り、交番に走った。
本を返してスーパーで買い物して帰るだけの予定だったので、小さなトートバッグに
財布と携帯と鍵と本、あとはティッシュが入っているくらいのものだったけど、
なによりも財布は困るのだった。
この財布、結婚して最初のクリスマス・イヴに相方がくれたプレゼントなのだが、
その日彼は、仕事の帰り道、プレゼントを車にのせたまま崖から落ちるという事故に遭った。
相方は傷だらけになりながらも、なんとかプレゼントと携帯だけ持ち出して崖をのぼったのだ。
……という、愛と命と思い出のつまった財布なのである。
お金なんかどうでもいいから、財布は返してください、お願い!

そう思いながらも、まず、交番から電話でクレジットカードとキャッシュカードを止めた。
次に、ドコモショップへ行って、携帯のGPSから場所を特定できないか確認に行った。
が、携帯の電源が切られていてアウト。とりあえず携帯も使用できないように止めてもらう。
私は絶望しながら交番に戻って、被害届けの書類を作成してもらった。
名前や住所などを聞かれ、私の口述をおまわりさんが書きとめていく。
職業をたずねられたとき、私の雇用形態は少し変わっていて説明するのがめんどうくさかったので
「パートです」と答えたら、「パートの場合は無職ね」と言われ、めちゃくちゃ不本意だった。
パートったって立派に仕事してんだろ!
100歩ゆずって仕事とみなされないんだとしても、「主婦」じゃいかんのか!
もし私が事故とか事件にまきこまれても、「無職」って書かれちゃうんだなぁ…と、ちょっと落ち込む。

そして、バッグの大きさや財布の色など、持ち物の形状について聞かれる。
「携帯のストラップはどんなものがついていた?」と聞かれたので
「オフロスキーの…」と答えると、おまわりさんが
「オフロスキー! 知ってるよ、みぃつけたでしょ!!」とうれしそうに言うので、
ちょっと場がなごんだ。

次に、持ち物にそれぞれ値段をつけなくてはならなかった。
おまわりさん「バッグは?」
私「1000円くらいです」
おまわりさん「財布は」
私「財布… 値段なんかつけられないです。一千万円出したって…(涙)」
おまわりさん「あ、あのね、思い出は入れないでね」

書類を作成したあとは、現場検証。
そのあと、グラウンドにいる相方のところへ行き、事情を説明して謝りたおす。
相方は怒らなかった。むしろいたわってくれて、自分だけ練習を切り上げて私に同行してくれた。

とりあえず図書館に行って、置き引きにあって本を2冊返せなくなった旨を伝える。
「お気の毒でしたね」と許してもらえると甘い考えでいたら、
「じゃあ、弁償してください」と、てきぱき手続きが始まったので軽くへこんだ。
しかも、お金ではなく、現物を買って返さなくてはならないのだという。
2冊のうち1冊は、どう考えても絶版になっているであろう古い本だったので
「アマゾンのオークションかなんかで落とさなくちゃいけないのか…」とがっくりきた。

こんな晴れた真昼間、のどかな川沿いの遊歩道で、
ほんの3分後ろを向いているすきに、置き引きにあうなんて。
戸塚にそんな悪い人がいるなんて。
ショックだった。
いい思い出がいっぱいの川を汚された気がした。
人通りの少ない場所では決してない。
私が後ろを向いたわずかな時間と、悪いやつが通りかかったのと、
周りに人がいなかった、そういう条件がたまたまぜんぶ一致してしまったのだ。
守護霊なんていないよ、守ってくれなかったもん。そう思った。

ところが図書館から家に帰って、5分後。
警察から電話があって、財布が出てきたのである!!!
うおおお、守護霊、いた!!!
現金はぬかれていたけど、免許証も保険証もカード類もほとんど入っていた。
駅ビルの近くの交差点に落ちているのをおまわりさんが見つけてくれたらしい。
「よかったね。財布が、財布が、って言ってたもんね。一千万円!って」
おまわりさんが苦笑する中、ありがたく受け取って帰宅。

そして帰宅して2分後、また電話がかかってきて、今度はバッグごと出てきたとな!
おまわりさんの捜索により、携帯も本も、ティッシュ(はどうでもいいけど)も戻ってきた。
ああ、よかった。オフロスキーも帰ってきたし、本もオークションを探さなくてすんだ。
その日のうちに解決したことで、本当に安心した。
今まで警察なんてあてにできないと思っていたけど、ちゃんと動いてくれるんだなあ。

「人を見たらどろぼうと思え」ってことわざがある。
そんなふうには思いたくないけど、こんなこともあるってことは肝に命じなければ。
しかし、私のバッグを盗んだどろぼうめ、あんな悪いやつ、絶対に不幸な目にあうに決まってる。
不幸になれ、不幸になれ!!
とか思っていたのだが、その夜、別件でお姑さんから電話があったので事の顛末を話すと、
「それは大変だったわね。でもね、犯人をうらんではだめよ。そういうことする人っていうのは、
さびしい人なの。だから、その人の幸せを祈ってあげなくてはね」と言われてしまった。
で、できないっス……。
電話を切ったら、相方がお茶碗を洗ってくれていた。
忙しい一日だったけど、マザー・テレサのような母親に育てられた相方のやさしさに感謝した。

神様のカルテ 感想

2011-10-14 | movie
「神様のカルテ」観てきました。
ざっくり感想を。(ネタバレありです)

原作は読まず、予備知識なしで鑑賞しました。
まず印象的だったのが、気になっていた櫻井翔くんのおばさんパーマが、意外にしっくりきてたこと。テレビで予告を見ていたこうたろうが「翔君、頭どうしたの?」と聞いていたくらいだったのですが(笑)。
「櫻井翔」ではなく「栗原一止」として映画に入り込んでみると、あの野暮ったさがむしろなじんでいるように思えました。一止を演じるには、アイドルのオーラはオフにしないといけないもんね。

物語の最大のテーマは医療と生死だと思うのですが、重くなりすぎなかったのはやはりのどかな長野が舞台だったからでしょうか。
キーパーソンとなるがん患者の安曇さんを見ていて、こんなふうに、最期に信頼できる医師のもとで、好きな風景の見える場所で逝くことができるのは幸せだなと思いました。
安曇さんが危篤状態に陥ったとき、延命はしないでほしいという彼女の願いを聞き届けた一止。本音を言えば、延命したかったよね… 医者として、人間として、なんとかこちらの世界にとどめさせたいと思うよね。でもそこをこらえて、安曇さんが天に召されるのを見守ったのは、結果としてやっぱり正解だと思う。きっと安曇さんも感謝していることでしょう。

御獄荘の建物や住人は、きっと原作ではとても魅力的に描かれているんだろうなぁ…と思いながら観ました。原作を読んでいない者としては、ちょっと説明不足というか、「えっ、旅館?」「えっ、誰?」と最初に不思議に思うことばかりで、理解するのに時間がかかりました。あとから原作を読みましたが、うーん、この素敵な設定とキャラクターを、医療ネタとあわせて2時間でまとめるのはやっぱり難しかったかも。連ドラでやってくれたらもっとしっかり背景がわかって、登場人物にも感情移入ができて、ものすごく感動しただろうな。映画だけ見ると学士の旅立ちは唐突だったし。

あと、映画では、医局長がなぜそんなに一止に入れ込んでいるのかがよくわかりませんでした。内視鏡の検査してるのを一度見ただけなのに、一止の医師としての技量や人間性まであんなに高く評価するのは不自然。
ラストの妊娠オチも、「花男Fかよ!」とややしらけました。原作にはないオリジナルエピソードですが、あれはいらなかった気が。
「死んでいく命があって、生まれてくる命がある」ってことが言いたかったのかな。「ちゅらさん」もそんなエンディングでしたね。ベタだなぁ。

なんだかケチつけるようなことばかり書いてしまいましたが、私の最大の感動ポイントは、一止が若い看護師に「私にはできない役割を君は果たしている」と諭すところ。実際に患者を診断したり手術を施したりするのは医師だけれど、それをサポートする看護師のこともちゃんと見ていて、敬意すらはらっている一止の人となりを感じたし、上司にこんなふうに言ってもらえたらうれしいよなあって、その看護師の立場になって泣いてしまいました。

それから、「夫婦っていいものだな」とも思いました。恋人とはちょっとちがう、「家族」というパートナーに、お互いがどれだけ癒され助けられているかが伝わってきて。
原作ではもう、一止がハルのことをかわいくてかわいくてたまらないというようなことばっかり書いてあって、幸せなふたりだなあとほのぼのしました。

音楽もすばらしかったです。
へたに嵐の歌を主題歌にしなかったところが二重丸。(「大奥」はそのへんがちょっと気になった)ピアノの旋律の美しさが、この映画をとても上品なものにしていたと思います。

個人的には、柄本明さんがいい味だしてて好きでした。
タイゾーもすっかり役者だねぇ。

ということで、久々に映画館での鑑賞。いい時間でした。


生きてる間に

2011-10-11 | kid
夜寝る前に、ふと、こうたろうが
「お母さん、もうすぐ死んじゃう…」と、つぶやくように言った。
「え、だいじょうぶだと思うよ。まだ40歳じゃ死なないよ」
と笑ってとりなすと、
「もう41歳だもん!」と主張。
あ… そ、それはそうだけど。

そしてこうたろうは何度も「お母さん、もうすぐ死んじゃう」と言って
泣きじゃくるのである。
「どうしてそう思うの?」と聞いても、
「41歳だから」という理由らしい。
うーむ、予言なのか予感なのか、ただ不安なのか。

「でも、お母さんまだやることあるよ。
プリキュアの踊りも覚えてないし、こうくんと上野のパンダも見てないし、
怪物くんの映画も行く約束してるじゃん」
そう言いながらぎゅーっと抱っこしてなだめると、
「お母さん、生きてる間に、いっしょに楽しいことしようね!」
と、さらに号泣。うん、うん、そうだね。いっぱいしようね。


昔から、ちょっと不思議なことを言う子だった。
最近はないけど、言葉を覚える前はいろいろと見えてもいるようだった。
こうたろうが「お母さんは41歳くらいで死ぬ」と言うのなら
ははあ、そうなのかなあ、と思う。

私は、自分が死ぬことはぜんぜんこわくない。
むしろ生きていることに時々びっくりする。
ああ、すごいなあ、自分ではなんの努力もしてないのに
息して心臓が動いて血がめぐっているなんて、ふしぎ。

決してネガティブな感情ではなく、あくまでもフラットだと理解してほしいのだが、
私は今の時点でもうすでに寿命より長く生きている気がするのだ。
「本編」はもう終わっていて、「付録」の人生をもらっているような。
子供のころ、「なかよし」とか「りぼん」を買うとき、
漫画本体も楽しみだったけど付録がうれしくてわくわくした。
今は、それを味わっているような感じ。
だから自分が天に召されたときには、
「ああ、たのしかったな。いい人生だったな。みなさんありがとう」
と穏やかに死を受け入れられる自信がある。


こうたろうは、2年前私がこうたろうの目の前でたおれて救急車で運ばれ、
1週間ほど入院していたことを話し出して、
「あのときは、ごめんね。守ってあげられなくて」
と、ぽつんと言った。
あのときのことがトラウマになっているのかなあ、と思いながら
「こうくんがあやまることじゃないよ、
お母さんこそ心配かけてごめんね」とこうたろうの涙をぬぐった。


生きてる間に、いっしょに楽しいことしようね!というのは、
余命が1日でも100年でも同じだと思う。
「そのうち行こうね」じゃなくて、なるべく、思い立ったときに行きたい。
「付録」の人生だからこそ、やたらシリアスにならずに、
そしてできれば愉快な仲間といっしょに、
美しいもの、楽しいものをたくさん見て聞いて過ごしたいと思うのだ。