この映画を見ようと某ビルに入ったら、斉藤由貴さんに遭遇しました。
突然のことで、一瞬目があったときはわからなかったけど、娘さんに「手芸屋さん行ってみる?」と言っている声で確信しました。やっぱり一般人と違ったオーラが出てるなぁと思いつつ、「お母さん」としての斉藤由貴さんを拝見して心温まりました。探し物はなんですか?
で、お母さんを見たあとはお母さんの映画、「おおかみこどもの雨と雪」。
※ネタばれありです。
この映画、評判は良いと聞いていたものの、見るつもりはなかった。
キャラクターの絵がアニメっぽくて。いや、アニメなんだけど、なんて言ったらいいのかなぁ、ちょっと萌え系が強い感じがしたし、私は細田監督の「サマーウォーズ」にはさっぱり入り込めなかったので。
でも、この映画、とにかく映像がすばらしい。
空や草原や川の流れも、雨に濡れるクモの巣も、ガラス瓶などの小物も、時々はっと息をのむほど美しい。
最初に抵抗のあったキャラクターの萌え的な雰囲気も、その背景があまりにも見事ですぐ慣れた。ストーリーを語る前に、ビジュアルだけでも何度も惹きこまれ、うっとりと溜息をつき、映画館の大きなスクリーンで観てよかったと思ったことを特筆したい。
さて、この映画、どの層をターゲットにしているのかなというのが最初の疑問。
公開が夏休みだったし、絵の感じとかファンタジックな設定だけ聞いたら、親が小学生くらいの子供といっしょに観に行っちゃうと思うんだけど、これは完全に大人の映画だと思う。まあ、解釈の問題で、小学生が見てもそれはそれなりに楽しめるからいいんだろうけど、私個人の感覚では子供に見せたくないなという場面がふたつほど。
ちなみに、私の息子(小3)も興味がありそうだったのだが、なりゆきで私ひとりで観た。連れて行かなかったことを怒るので、ないしょである。
主人公花は19歳の大学生。一橋大学をモデルにしているらしい。優秀である。
優秀な大学の中でも、花はさらに勉強家だ。奨学金で大学に通い、まじめに授業に出席している。
花は恋をする。しかし彼(最後まで名前が出てこない)はおおかみおとこだった。
人間の姿をしていたおおかみおとこが変身するシーン、本編の前に「妖怪人間ベム」の予告がやっていたので亀梨くんに見えて仕方なかった。妖怪人間とおおかみおとこ。近しいものがある。
しかし声は大沢たかおなので、通じてたかおを感じた。どうでもいいことだが私は大沢たかおが好きだ。
冬の夜、待ち合わせ場所におおかみおとこは来ない。店が閉店してもなお来ない。小説をちら見したら、彼が現れたのは夜中12時をまわっているので、推定だが6時間は待たされている。しかし花は怒らない。顔をあげて笑っている。ここんとこはちょっとイラッとした。怒れよ!
そしておおかみおとこの告白。自分はニホンオオカミの末裔であり、半獣であると。花はおおかみおとこを受け入れる。「怖いかい?」と尋ねるおおかみおとこに「ううん、あなただから」と身をゆだねる。
「好きになった人に奥さんがいただけよ!」と同じく「好きになった人がおおかみおとこだっただけよ!」という論理である。ちょっとウッフンな場面なので、お子ちゃまにはどう説明したらいいのかしら、他のお母さんたちはどうしてるのかしら。5歳くらいだったら逆にスルーできるところだが、9歳の息子に見せられないシーン、その1。
ふたりは一緒に暮らし始め、花は身ごもる。本来ならばここで「学校はどうする?」「生活費は?」「どこで産んでどうやって育てる?」と危機になるところであるが、ふたりは素直に喜び、つわりに苦しむ花のために、おおかみおとこはキジを狩ってきて(買ってきて、の変換ミスではない。狩ってくるのだ)キジうどん(?)を作ってくれたりするのである。
ええ? キジ? こんな都会にキジが…? なんて言うのは野暮かもしれませんが単純な驚き。
そして花は、「おおかみの姿をした赤ん坊が出てきたらお医者さんが驚くから」と自宅でこっそりと子供を産む。おおかみの姿でもいい、という、これまた受け入れ体制。愛だな。
このあたりかなりはしょられているのだが、ひとりめを出産したあと、年子でもうひとり子供を産む。
これが、娘の雪と息子の雨である。
えーと、だいぶ急展開でしたけど、おふたりはご結婚されたんですか?
そして下の子が赤ん坊のうちにおおかみおとこが突然死んでしまう。身体にキジの羽がついている。またキジ? けっこう人通りの多い場所だったんだけど、そんなところにキジいるの? しかも、買い物の袋がふたつ、玄関に置かれたあとだ。なぜ部屋に入らないでキジ狩りに行ってしまったのだろう。スーパーの鶏肉じゃだめだったのだろうか。そして、ゴミ収集車に回収される遺体…… むごい。むごすぎる。かなり引きずる。
ここが、私が息子に見せたくないシーンその2である。
こんな過酷なことがあったにもかかわらず、花はその日のうちに悲しい現実を受け入れ、「がんばって子供を育てるからね!」と彼に誓う。ほんとにもう、いったいどれだけ受け入れ体質なんだ。
花はシングルマザーになるのだが、大学を辞めざるを得ない。アルバイトにも行けない。おおかみおとこが残した貯金(っていうか、そんなに貯められるほど稼いでたの?)で食いつないでいる。
もう一度聞きますけど、おふたりはご結婚されたんですか?
「彼」は運転免許証を持っている。「おおかみおとこであることを知らない親戚に育てられた」という説明もある。
「実は半獣」とはいえ、それは誰も知らなかったことで、「本籍」があり、職について賃金を稼いでいた彼は、人間としてのいろいろな権利や身分を持っていたんじゃなかったのかな。
子供たちの出生届を出していたから児童相談所の人も様子を見に来たんだろうし。
だったら生活保護とか、母子家庭が受けられる援助があると思うんだけれど、花はそのあたりはあえて手を出さない。そこは受け入れないのか? オオカミになるのがバレちゃうかもしれないから健診には行けないにしても、手続き上のことはできたはずだ。
でも、育児の大変さはよく描かれていた。時々オオカミになるぶん、さらに手がかかるだろうけど、まあ「にんげんこども」もあんなものだ。毎晩夜泣きするし、家具によじのぼったり、食べ物ぐちゃぐちゃにしたりするし。雪がシリカゲルを飲んでしまったとき、小児科に行くべきか獣医にかかるべきか迷うシーンは、なるほどそうだよね、ってうなずいてしまった。
花とふたりの子供、雪と雨は、人目を忍び、田舎に引っ越して暮らし始める。
しかし、花たちを助けてくれるのはやっぱり「人」である。
がんこものだけど根のやさしい爺さんや、世話好きのおばちゃん、うんちく語るおじさんたち。「田舎」イコール「善良な人々」という、いきなりトトロの世界に放り込まれたようなステレオタイプな設定にちょっと鼻白んだものの、けなげな花を思いやる温かな周囲の目に、やはり救われる。
韮崎の爺さんが「なんで笑ってるんだ、笑ってたって解決しないぞ」というニュアンスのこと(セリフを忘れた)を言うのだが、これがちょっと新鮮だった。そのとおりである。「つらくても笑っていなさい」と父親に教えられた花は、「父親の葬式でも笑っていて、親戚に叱られたの」とまた笑う。それは叱られます。「笑ってたって解決しない」というのは私も爺さんに一票だが、花の場合、やっぱり彼女は笑うことで苦難を乗り越えてきたのだろうし、また、そんな彼女の笑顔に、爺さんみたいに心を動かされて手を貸したくなる人が集まるのだろうと思う。花の父親の教えは、あながち間違いではない。ただし、それは花の愛らしさとキャラクターによるところが大きい。そしてじいさんの声を担当している菅原文太がまたいい。
子供たちはすくすくと育つ。
雨の細い身体や、お母さんの膝であまえてるところとか、うちの息子みたいだなぁと思ってみていたのだが、小学3年生に上がったあたりで私が熱愛している(デスノートの)エルみたいになってきて、「あら!」と喜んでいたらだんだん顔つきがりりしくなり、5年生になったら声まで変わってすっかり私好みの男の子に育っていた。「萌え系だから見ない」とか言っておきながら萌えた。不覚。
やがて、子供たちはそれぞれの道を選びはじめる。
つまり、「おおかみとして生きるか、人間として生きるか」という選択である。
本能のままに生きていた雪が、恋(めいたもの)を知り、人間を選ぶのと対照的に、「おおかみなんかいやだ」と泣いていた雨が、自ら山の主になるべく人間の姿を捨てるのは見ごたえがあった。
でも、10歳の雨がおおかみとして巣立ってしまうのはやっぱりせつないなあ。
成長していく雨に、花は少なからず、恋人だったおおかみおとこの面影を見ていたはずだし。
雨の幼少時代に我が息子を重ねあわせていたので、ここは花の「いかないで」という気持ちに共鳴した。優等生だった花の中の、いじらしいわがまま、女心母心が見えて、ここは非常に良かった。
でも、後ろ髪をひかれつつも雨は去ってしまう。花は涙をこぼす。
……が、やっぱり、数分で受け入れちゃう! すごいね、花!
崖の上から聞こえてくる雨の雄叫びが、花の願いどおり雨が「しっかり生きて」いる証なのでしょう。
全体を通しておもしろかったので、ラストは期待しすぎたかな。意外にあっさり終わってしまった。
6年生の雪があまりにも大人っぽいのも、ちょっと残念。草平はとてもいいキャラだったけど、彼のお母さんが「赤ちゃんができたらもう草太のことはいらない」というあたり、もうちょっと状況描写がほしかった。それは草平の被害妄想では?という気もするし、そうであってほしい。
雨は山へ行き、雪は全寮制の中学に進学した。
花は広い古民家でひとり暮らす。
19歳で子供を産み、大学を辞め、都会から離れた花が、これから本当にやりたかったこと……おそらく、育児に追われて中断してしまった何かを、やり遂げてくれたらいいと思う。
映画の中では、花が何の勉強をしていて何になりたかったのかが描かれていなかったけど、彼女にはきっと何か志があったはずだ。
乱暴な言い方になってしまうかもしれないが、女は男によって、そして妊娠出産によって、時として進んでいた方向を転換したり立ち止まったりを強いられる。それがいい、悪いということではない。そういう必要性が生まれることがあるという話だ。
子育てがひとだんらくした、これからの花の人生が、実りゆたかであることを祈りたい。
……でも実際、にんげんこどもが巣立つのは、もっともっと時間がかかるよなぁ(笑)。