みちくさ茶屋

いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと。

だんご虫

2006-04-29 | kid
昨日、保育園の連絡帳に書いてあった先生からのコメント。

「園庭に着くと、落ち葉がたくさんおちている方へ探索に行ったこうちゃん。
だんご虫を発見すると、お友達みんなと興味津々でのぞきこんでいました。

キタ━━━(゜∀゜)━━━ !!!!!

私はもう、何が嫌いって、虫という虫が嫌い。
嫌いというより、こわい。絶対だめ。無理だ。
妊娠5ヶ月のころ、お腹の赤ちゃん(こうたろうのこと)が男の子だと知って
「ええ~~~っ、虫持ってくるじゃんよ~
とホントに泣いたのだ。それくらいイヤ。
でも、育ってみるとどうもこうたろうは虫が苦手っぽいな~という感じだったので
もしかしたら大丈夫かも、とほっとしていたのだ。

な、なのに……。やっぱり2歳半にもなれば、虫に興味がわくのね……。
手始めにだんご虫、というのもスタンダードだわ。
男の子のいるお母さんから、洗濯しようとしたら子供のズボンのポケットから
だんご虫がいっぱい(生きてるのと死んでるのと)出てきた、という話を
聞いたことがあって、私はこれからこの覚悟もしていかなくちゃいけないかも。

そう言う私も、実は小さいころはなぜかだんご虫が好きだったのだ。
しかも、ひっくり返してあの無数の足が動いてるのをじっと観察したりしていたのだ。
さわると、くるんと丸くなるのもかわいらしいと思っていた。
今となっては、その光景を思い出すだけで鳥肌……
どうかしてたよ、あのときの私。

でも、こうたろうだってその楽しみを味わう権利はある。
だからやめろとは言えないんだけど、
お持ち帰りはなしにしてね。お願いします。

東京

2006-04-28 | monologue
今定期的に通勤している会社は千代田区の神保町にある。
引っ越す前は、田園都市線を使っていたので、半蔵門線のある神保町で降りていた。
そうすると、会社まで3分。
引っ越してからは、JRで御茶ノ水下車。歩いて10分くらい。

10分くらいたいした距離ではないのだが、3分との差を考えると最初はちょっとかったるかった。
でも通い出すと、この御茶ノ水からの道のりがけっこう楽しい。
まだ見慣れていない景色に、フレッシュさんな気分にもなる。

神保町は、本当に、本の町。
古いのも新しいのも混在し、まさに本の森だ。
作ってる人、売ってる人、買う人にあふれているのを肌で感じることができる。

対し、御茶ノ水はちょっと趣が異なる。
大学がいくつか密集しているせいか、若い学生風の人が多いし、
飲食店もあきらかにそれを意識しているのがわかる。
そして、なんといっても、連なる楽器屋の数といったら。
朝夕、通勤途中でぴかぴかのギターたちがこっちに顔を見せている姿は
「ほれほれ、早くうまくなりなよ!」って言ってくれてるみたいだ。

こんなに近いのに、道が一本違うだけで雰囲気ががらりと変わる。
地図で見ると23区ってびっくりするくらい小さいけど、
その中にあの世界もこの世界もぎっしり凝縮されているのがすごい。
今さら田舎っぽい発言だけど、やっぱり東京っておもしろいなあ。

イクジ中

2006-04-26 | kid
出産してから、「育児は育自」という言葉をよく聞く。
子供を育てるのと同時に、自分を育てている、という考え方。

いい言葉だと思うけど、私は、この発想がちょっと苦しい。
子供が生まれてから自分も成長したか、って聞かれると、
即座に「ええ、もちろん!」とは答えられないからだ。

それどころか、ワガママな自分、大人げない自分ばかりが顔を出していることに
気がついてびっくりする。
だって、子供はかわいいことばっかりやってくれるわけじゃないし、
こっちにはこっちの事情があるのに予定が狂うこともしょっちゅうだし、
イライラしてついあたってしまうこともあるし、体調も崩したりして、
もうやってられないわ! と母親放棄したくなることもあるのだ。
「子供とともに、私も成長しています」なんて、とても言えない。
むしろ退化してる?と思うこともあるくらい。
(そういう自分と闘うことが「育自」なんだろうけど)

それでも、母親放棄したくなる反面、すごく幸せな気持ちになったり、
「私をお母さんにしてくれてありがとう、君に会えてよかったよ!」と
子供に感謝したくなることもいっぱいあって、トータルでは母性の圧勝。
だからこれまで持ちこたえてきたんだけど、発作的につらくなってしまう時もあって、
育児ノイローゼに悩むお母さんたちのことは他人事として聞けない。

私が好きなのは、育児を「育自」ではなくて「育時」とする考え方。
今は、子供を育てている時期なだけ。私自身が変わったわけじゃない。
育児がしんどくなっても、それはそういう「時」なだけ。
季節がめぐれば、また状況は変わってくる。
そう思うと、ちょっと肩の力がぬける。
永遠に思える子育ても、実はいっときのことなのだと、
長いスパンで考えられるようになる。

だから今、こうたろうが自立したときのことがすごく楽しみ。
そして、育児中のお母さんたちに言いたい。
まだまだ、人生、先は長いよ!


読書記録2006-9

2006-04-21 | book
24「アッコちゃんの時代」林真理子 充実度★★★★☆
引っ越しの前に読んだので、ちょっと読後感が薄れてしまったけど記録しておく。
久しぶりに林真理子センセイの小説を拝読。
引っ越しの荷造りをしていてびっくりしたんだけど、私は、
林真理子の文庫本をものすごくたくさん持っているのだった。
いつのまにこんなに集めたんだっけ??
まあでも、そういえば、たしかに20代のころ大ファンでした。

「アッコちゃんの時代」は、バブル時代を背景にした実話をもとに書かれている。
主人公「アッコちゃん」のモデルになった人物を、たまたまテレビで(写真で)見ていたので、
すごく具体的にアッコちゃんのビジュアルを浮かべながら読んだ。
魔性の女、アッコ。そう言われてるけど、読んでいると、彼女のなにがどう魔性なのかと思う。
まず「ウッソー」とか「ヤッダー」とか連発してることにびっくり。
あの時代の流行り言葉だったのを差し引いて、
ちょっとお馬鹿に見せるという計算だったならともかく、まったくの素。
並はずれた美しさゆえに、バブル時代を代表する成金男たちに見初められたというだけの話で、
魔性と呼ばれるにふさわしい「悪どい知性」は感じられなかった。
ずるいんじゃなくて好奇心が強いだけだし、ステディな男性(それが不倫であろうと)には
操を立ててるし、実はそんなに美味しい思いもしていないし。
だから、中身はわりと普通の女の子だったのが意外だった。
あくまでも小説なので、実際はちがうのかもしれないけど。

しかし、この小説、実名がばんばん出てくる。
「キャンティ」などのお店の名前もそうだし、
ユーミンを筆頭に、荻野目慶子とか中森明菜とか。
「えっ、そんなこと書いちゃっていいの?」と思うところもあったけど、
いいんでしょう、林センセイなら。

この時代、私は20歳そこそこで、東京のまんなかで女子大生をやっていれば
それなりにバブルの恩恵にあずかれたんだろうけど、
なにせ私の通っていた大学は、通学路にトラクターが走っているという
ギャグ的なイナカ地帯だったので、いまいち自分がバブルのさなかにいた実感がない。
電車は2両編成で、一時間に2本しかなかったんだよ、マジで!
アッコちゃんが何百万円というお金を男に動かさせている間、
私は時給550円でビデオレンタル屋のバイトをしていたのだ。

その世界とあの世界が、同じ時空に存在していたんだということに改めて驚愕。
それでも私が「キャンティ」がどういう店かを知っていたのは、
やはり林真理子の小説によって学習していたんだなあ。
当時の私にはまったくのおとぎの世界だったけど。

バブル時代を肌で知っている人には、「なつかし記録」として面白いと思う。
ショルダーバッグくらい大きい携帯電話とか。
ただ、ひとりの女性の生き様を描く、という視点でみると、ちょっと物足りない感じかも。
ところで、知ってる人は教えてほしいんだけど、アッコちゃんの親友の元夫って、
歌手のO.Yのことなのかな?
これだけが不明でひっかかっています。

であい

2006-04-17 | kid
こうたろうが保育園に慣れてきたようで、
やっと朝笑顔でバイバイと手を振るようになった。
これでまずは安心。

送り迎えのとき、親が中まで入っていっていろいろと作業するので、
その10分程度のあいだに、室内の様子を見ることができる。
先生の子供たちへの対応や、衛生面、その日の雰囲気までよくわかる。
びっくりしたのが、子供たちが人なつこいこと。
朝、室内に入っていくと、「こうちゃんのママだ~」と早くも覚えてくれた面々。

たとえば、体が大きくておっとりしているゆうきくん。
「これおもしろいよー、こうやってやるんだよ」と、おもちゃを持ってきてくれる。
たとえば、笑顔のかわいいちはるちゃん。
「今日ね、ちーちゃん、バスにのってきたの。今日は泣かなかったんだよ!」
と、誇らしげに報告してくれる。
他のママからも、「今朝、こうちゃんが満面の笑みで迎えてくれたよ」と
教えてもらったり。

他の子供たちと話をするのも、私の楽しみのひとつとなった。
この子たちの大半は、卒園まで一緒に育って、おそらく小学校も一緒に通って、
中には中学も(高校も!?)同じってこともあるかもしれない。
前の保育園でもそうだった。自分の子供だけじゃなくて、彼らの成長を見るのも
とってもうれしいのだ。

こういうことがあると、自分がずいぶん長く生きてきたという気がするし、
年をとるのも悪くないなあ、なんてちょっと平和な気分になる。
生まれてからまだ3年もたっていないあの子たち。
でも、しっかり人格があって、いろんなことを考えていて、
好きなものと嫌いなものがいっぱいあって、立派に自立してる。
こうたろうはもちろん、私にとっても、
これもれっきとした「出会い」だなあと思う。



スピッツの神様

2006-04-14 | monologue
妹に借りたスピッツのアルバム、
「CYCLE HIT」(1991-1997、1997-2005)をずっと聴いている。
知っている曲ばっかりなのに、どれも、そのつどいい。
知らなかった曲にいたっては、あらためて自分がいかにスピッツを好きかを再確認。

繰り返し聴いていると、歌詞に「神様」という言葉がよく出てくるのが耳に残る。
草野君の描いてるのって、どんな神様なんだろうな。
ちっぽけだけど懸命に生きてる人間たちを、広く大きく見守っているような感じかな。

私は無宗教だけど、小さいころから神様的なものをいつも感じていたように思う。
それは、姿形があるというよりは、もっと宇宙的なもの。
日本は神様的なものを「天」と表現することがあって、(天命とか、天罰とか)
私にとっての神様は、これにすごく近いし、しっくりくる。
便宜上、「神様」という言い方をするけど、私が描くのはそんな感じ。

がんばってるのにうまくいかないときや、どうにもこうにも体調が悪いとき、
「神様なんて存在しない」と思ったりもしたけど、
神様は願いをかなえてくれるだけじゃなくて、意地悪もするし、
ただ見てるだけで何もしてくれないときもあるんだなとこのごろ思う。
それも意味があるんだろうけど、渦中にいるときはそんなのわからないし。

だから、あんまりあてにするのはやめた。存在は確信してるけど。
努力しても(この努力してるということが前提だけど)うまくいかないときは、
ため息のかわりに深呼吸して、甘いものでも食べて、次の季節を待とうと思う。


プリマダム

2006-04-13 | television
そういえば新しいドラマが始まっている、ということに気がつき、
昨日テレビガイドを購入。
私が新ドラのチェックを忘れてるなんて~!
でも、いちばん面白そうな(というか私の好きそうな)ドラマの初回に間に合ったようでよかった。
ということで、さっそく「プリマダム」を録画視聴。

黒木瞳扮する主婦が、子供のころ大好きだったバレエにもう一度トライし、
自分を開拓していく、というような内容。
実は私も、幼少のころちょっとだけバレエをやっていたのだ……
今ではすっかり体が固くなっちゃったけど。

まあそんなこともあって、とても面白く見ていたのだが、
夫役の古田新太がつらそうだ。
たとえば、こんなセリフ。

「おまえなあ、どこからどう見たって、ただのおばさんじゃないか!
もう女なんかとっくに終わってるんだよ!
おまえのバレエなんてなあ、モスラのバレエだよ!」
(そこで娘)「お父さん、モスラのバレエなんて見たことあるの?」
「世界で一番見たくないものってことだよ!」

どう思います?
あの!あの黒木瞳様に向かって、「ただのおばさん」とか「女終わってる」とか。
いくら脚本にあるとはいえ、ものすごく無理のあるセリフ。
ただでさえ、夫役が古田新太? ん? なんで? って感じなのに。(←すごい失礼)
もちろん、古田新太が悪いのではない。こんなこと言わされて、むしろ同情する。

黒木瞳は、脚が高く上がらないとか、腕がしなやかに曲がらないとか、
そういう演技をしているんだけど、彼女のダンスのうまさを知っている我々ファンとしては、
こういう「体が固い」という演技も大変だろうなあと思ったり。

たぶん、最終回に近づくころには、黒木瞳の美しいバレエが見られるんだろうなあ。
すごく楽しみ♪
で、結局何が言いたかったかというと、私は黒木瞳が好きってことです。

おむつ

2006-04-12 | kid
早いもので、保育園10日め。
最初は慣らし保育で2時間だったし、あんまり状況がよくわかっていなかったこうたろうも、
保育時間が長くなるにつれ、うれしそうに朝いっしょに出かけていっても
私が保育園を出ようとするとしがみついてくる。
そして涙

でも私が去ると、とりあえずひと泣きして、ふっきれたように遊び始めるそうだ。
私のほうも、一年保育園に預けて、免疫ができてるみたい。
今は別れ際に泣いても、そのうち園のお友達や先生とすごすのが楽しくなって、
彼なりに居場所ができて、お迎えに行っても帰りたがらない、
そんな日がそう遠くない未来にやってくる。
それを体をもって知っているので、後ろ髪ひかれつつも動揺はしない。

今までの少人数制とちがって、朝夕、先生とろくに話す時間もないし、
着替えや小物がどっかにいっちゃってたり、話がうまくとおっていないこともある。
連絡帳のコメントも意味が伝わりにくかったり。
でも、預ける以上は、安全面だけ気をつけてもらえればある程度は信頼して
まかせてしまう、というほうが精神的にもスムーズな気がする。
これも、一年の保育園生活によって私自身が鍛えられたことかも。
もし、保育園に預けるのがこれが初めてだったら、私なんてすっごい不安で
いっぱいだったろうと思う。
つくづく、経験って自分を助けてくれるなぁと実感。

目下、気がかりな点は、おむつ。
保育園にいる間は布おむつを使用しているんだけど、これがくせもの。
いやがるかなと思ったこうたろうは意外とよろこんでいて(?)
パンツタイプの履く紙おむつと違って、ころんと仰向けになって布おむつをしていると
「こうたろう、あかちゃん……ふふふ♪」と
なにやら楽しそうなのだ。(ちょっとアブナイ?)
なのでそれはよかったんだけど、慣れない布おむつがムレるようで、
自分でお尻をばりばり掻いてしまうみたい。
ものすごい掻きキズと腫れで、椅子に座るときも「いた~~い~~」と泣きそうになる始末。
どうしたもんかと連絡帳でその旨を相談したら、
「おむつをしていない時間をなるべく長くとるようにします」という返事。

え?
ってことは、なに?
上半身だけ服を着て下はフルチンっていう状態??

まあでも、保育士さんはプロ。
いささか無視できない発言ではあるけど、大丈夫でしょう。
もうすぐおむつがはずれる予定なので、こうたろうにもがんばってもらおう。

招かざる客

2006-04-09 | Weblog
まだ友達をお招きできる状態ではないのに、
毎日、訪問客が多い。
それは、呼んでもいない人々。

クリーニング屋の御用聞きにダ○キン、
壁紙業者に新聞屋。

あちらさんも商売なので、ここぞ!とばかりにねらってやってくるけど、
こういうやりかたの営業って、ホントに成果があるんだろうか。
Y新聞なんて、3回もしつこくやってきて、まるで
初めて訪れたかのような口調で勧誘してくる。
こうなると、絶対Y新聞はとらないぞ、なんて逆に思ってしまう。

唯一、私がさっそく利用したのは、お蕎麦屋さんの出前だ。
ポストにメニューと出前専用ダイヤルが書いてあったから。
日本には引越し蕎麦なんて風習があるから、
このタイミングでのポスティングは大正解だと思う。

あー、早くダンボール片付けて、ホントに来てもらいたい人たちを
呼びたいよ~~。


新生活

2006-04-05 | kid
義兄さんのおかげで、ネットがつながりました。
感謝感謝。

月曜からこうたろうの新しい保育園生活が始まり、慣らし保育実施中。
こうたろうは「ちゅうりっぷ組」になりました。

子供にとってはもちろんだけど、親にとっても慣らし保育期間だ。
朝、指紋照合して扉を開け、保育園の中まで靴を脱いで入っていってタイムカードを押し、
子供の靴を靴箱に入れさせ、ちゅうりっぷ組の教室へ。
先生にカードを渡し、ハンドタオル2枚、体拭き用タオルを1枚、
それぞれ指定の位置にかける。
着替えをロッカーに入れ、連絡帳とコップを所定の場所へ置く。
んで、こうたろうの紙おむつをはずし、布おむつにあてなおす。
月曜は、敷布団のシーツをセッティング。
帰りはこれの逆をやるわけです。(金曜にはシーツをはずしてくる。)

こんなもんだろう、と思えばこんなもんだろうけど、
これまで通っていた保育園は少人数の民間保育室だったので、
朝、必要なものをバッグに入れて、保育園の玄関のところで
先生に子供とバッグを渡して「あとはよろしく!」の毎日。
そんな生活を知ってしまったがばかりに、
「ひええ、これ毎日やるんすか!?」と汗がにじむ。
出勤前、時間のない時なんかパニくるだろうなあ。
これからは早起き必須ですね。
相方にも覚えてもらおうと、昨日一緒に行ってもらって手順を説明したが、
ふりむくとすっかり送り迎えの自信を失っている彼の青ざめた顔が……。

ちゅうりっぷ組は11人。2人の担任の先生が見てくれる。
先生もまだいっぱいいっぱいな感じで、連絡帳の返事も書けない状態。

そこへ行くと、子供たちはすごい。
もちろん泣いたりはするけど、オトナよりもずっと柔軟に
保育園を楽しもうとしているみたいだ。
私もめげてられないね、がんばるよ。