とうとうぴあが休刊。
最終号、すごい読みごたえ。
私がライターになったそもそもの始まりは、大学3年生のとき、
編集プロダクションにアシスタントとして入ったことだった。
そのときの試験が、面接と、「ぴあの記事を書く」ということ。
小泉今日子に関する資料と、「○文字×○行」という指定をもらい、
それに沿って記事を書いた。
晴れて合格。
そのあと、私が初めて「原稿を書いてお金をもらう」ということを
実現したのも、ぴあの記事だった。
自分の書いたものが本になって書店に並んだ日のことを、今も忘れない。
ドリカムと稲垣潤一の記事だった。
編プロに入ってから、ぴあは私の担当だった。
何人ものアーティストの記事を書いた。
「ぴあ」のロゴ入り封筒を手に電車に乗るとき、
少しだけ、誇らしい気持ちになった。
時は流れ、25歳で上京した。
まっさきにぴあを買った。
私が東京でいちばんしたかったのは、
「下北沢で芝居を観る」ということ。
ぴあで入手した情報で、私は願いをかなえた。
最初に観た劇団の芝居は、今でも観にいく。
みんな、それぞれに、ぴあと共にした青春があると思う。
さよなら、さよなら。そしてありがとう。
最終号、すごい読みごたえ。
私がライターになったそもそもの始まりは、大学3年生のとき、
編集プロダクションにアシスタントとして入ったことだった。
そのときの試験が、面接と、「ぴあの記事を書く」ということ。
小泉今日子に関する資料と、「○文字×○行」という指定をもらい、
それに沿って記事を書いた。
晴れて合格。
そのあと、私が初めて「原稿を書いてお金をもらう」ということを
実現したのも、ぴあの記事だった。
自分の書いたものが本になって書店に並んだ日のことを、今も忘れない。
ドリカムと稲垣潤一の記事だった。
編プロに入ってから、ぴあは私の担当だった。
何人ものアーティストの記事を書いた。
「ぴあ」のロゴ入り封筒を手に電車に乗るとき、
少しだけ、誇らしい気持ちになった。
時は流れ、25歳で上京した。
まっさきにぴあを買った。
私が東京でいちばんしたかったのは、
「下北沢で芝居を観る」ということ。
ぴあで入手した情報で、私は願いをかなえた。
最初に観た劇団の芝居は、今でも観にいく。
みんな、それぞれに、ぴあと共にした青春があると思う。
さよなら、さよなら。そしてありがとう。