みちくさ茶屋

いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと。

乳と卵

2012-04-24 | book

「乳と卵」川上未映子著

私は川上未映子さんが好きで好きで、彼女からずいぶん影響を受けていると思う。
とか言いながら、まだ「乳と卵」を読んでいなかった。
このあいだ図書館で遭遇したのでやっと読了。

豊胸手術に挑もうとするシングルマザーと、初潮におびえる小学生の娘。
語り手はその母親の妹で、血の通った3人の女たちの2泊3日の物語である。
なんというか、「女に生まれてしまったからには受け入れるしかないね」というような、
女体という入れ物の中で起こるさまざまな変化や苦悩や芽生えがなまなましく描かれていて、
読んでいて何度も「う、これは男子禁制区域では?」と思ってしまった。
この作品で芥川賞作家になられた未映子センセイですが、
選考委員は男性いっぱいいたよなあ。よく受賞したなあ。
I氏なんかは酷評していたようだけど、あたりまえだ、
あんな頭の固いオッサンに理解できるはずもない。
話が逸れましたが、そんな「女ならでは」のあれこれを通して、
「結局、生殖ってなんなの?」というところに行き着いているように思う。

私は妊娠中にエコーで胎児を見てもらったときに
「おちんちんがありますね、お坊ちゃんですね」と言われ、
「ええっ、私の身体の中におちんちんが!」というのがけっこうな驚きだったのだが、
女の子を産んだママ友は
「子宮が見えますね、女の子ですね」と言われて
「ええっ、子宮の中に子宮が!」と、たいそうめんくらったという。
言われてみれば、そんなマトリョーシカみたいな状態のほうが衝撃かも。
まだ自分が生まれてもいないのに、子供を産むための機能を携えているなんて、
生命というのは最初から次の生命のために作られているんだなあと思う。

小学生の緑子は、そんな女の身体の仕組みを嫌悪している。
自分が女であることをのろっている。
「母乳で育てたせいで胸が小さくなった」と嘆く母親に
「じゃあ、私のことなんか産まなきゃよかったじゃん!」と憤る。

思春期の子供が親に「産んでくれなんてたのんだ覚えはない!」と暴れるのは
ありきたりで陳腐といえばそうかもしれない。
でも、なんというのだろう、「よくある話よね」で終わらない何かが
この小説にはあって、あらためて女という性について考えさせられた。

ストーリーのほとんどが、巻子&緑子親子に関する記述で、
語り手である夏子のプロファイルやエピソードがほとんど出てこないのだが、
ひとつだけ、夜中に目が覚めて、予定より早く生理がきていて、
血痕の処理をするというシーンがあり、ここだけ際立って印象的。
「生理の周期が早くなっている」という、夏子の身体の変化に触れられているのは
唯一この場面だけ。このあたり、彼女の心情をもっと知りたかったな。


クライマックスは、緑子が玉子を頭にぶつけて大騒ぎするところで、
それまで淡々としていた物語に一気に躍動感を与えるのだが、
この「生卵」の使い方が絶妙。
……と、多くの書評で書かれている。
が、私はあえて、ここではなくて、夏子が巻子に勧める飲み物が
「豆乳」であることを特記したい。
豆なのに、植物なのに、乳なんよ。
それが女のホルモンにいいんやて、なんやのん。
って、未映子さんが笑ってるような気がするのだ。

川上節は、おそらく好き嫌いが分かれるところだと思うので
万人にはおすすめしませんが、私は好きです。



もう一度君にプロポーズ

2012-04-22 | television
今期は8本も観たいドラマがあって、どうしよう忙しすぎると思っていたんだけど、初回でリタイアが何本か出てきた。
どうしてなのか、事件解決モノばっかりだよね。
バタバタと殺人事件が起きて疲労感が募ったところに、きました、純愛ドラマ「もう一度君に、プロポーズ」。


主演は、竹野内豊と和久井映見。
ざっくりとあらすじを言うと、結婚5年の夫婦(コドモなし)がいて、奥さんがくも膜下出血で手術したらだんなさんとの5年だけごそっと忘れてしまっていて、夫である竹野内豊(の役)が、もう一度奥さんと恋愛しようとする、というラブストーリー。


波留(竹野内豊)がとにかくかっこよすぎ。
私がすごく好きなシーンが2つあって、ひとつは、奥さんである可南子(和久井映見)が手術するために運ばれているとき。
ハワイでツーリングしよう、って話をするの。バイク乗りである波留は「可南子はサイドカーでもいいかもな」って。
手術のことに関係なく、楽しい未来の話して、元気づけようとしてるんだね。
可南子は「早くしてくれないと、おばあちゃんになっちゃうわよ」と答える。
これもまた、「手術に成功しておばあちゃんになるよ」っていう可南子の返答だと思う。
「ツーリングしてるじいちゃん、ばあちゃんっていいじゃん」っていう波留の笑顔。
これは「いっしょに年を取ろう、絶対死ぬなよ」っていうメッセージに他ならず、
この時点で、ああ、いい夫婦だなあと。


で、手術は無事に終わるんだけど、可南子は波留のことがわからない。
医者は「記憶の混乱はよくあること。心療内科に行ってください」とか言うんだけど、そういうもの?
私だったら「あんたの医療ミスじゃないのっ?」って食ってかかってしまいそうだわ。
オペによる記憶障害が、心療内科で治るとはとても思えないんだけど……。

で、波留は、「あせらなくていいから、ゆっくり思い出せばいいよ」って
すごくやさしいの。ほんとにやさしいの。慣れないキッチンでうどんとか作ってくれるし。
俺はソファで寝るから、可南子はベッド使いな、とか。
でも、戸惑ってばかりの可南子。
しまいには実家に戻ってしまう……。


「あなたのことを好きだという気持ちが思い出せない」という可南子。
うーん、それは気の毒だけど、でもさ、
記憶なくして、目がさめて、「これ、あなたのだんな」ってあんな男性が出てきたら
「マジで!? でかした、私」って思わないかなあ。私だったら小躍りするよ。


そしてもうひとつ、私が大好きなのがラストシーン。
4月7日はふたりが出会った記念日で、バイクで実家に迎えに行く波留。
出会った場所(図書館)に連れていくものの、やはり可南子の記憶は戻らず。

そこに、桜の花びらが。
波留の頭についたそれを、とってあげる可南子。
初めて出会ったその日にも同じことがあったのを思い出し、
波留は思わず、可南子の手をにぎる。そして見つめる。

キャーーーー


もうさ、それまで何も覚えてなかったとしたって、このときに恋に堕ちるよね!?
っていうか、私は堕ちたよ、竹野内くんに!!
こ、このあたりで私の心拍数は3倍に。


……が、きょとん顔の可南子。
なんでじゃーーー!!!


去ろうとする可南子に「今度はいつ会えるかな?」と言う波留。

「思い出せなくていい。結婚していたことも、俺のことを好きだっていう気持ちも。
だから、また最初から始めよう。可南子。いや、可南子さん。
俺とデートしてください」



ひゃあああああああ、し、死んだ
キュン死だよ、キュン死。

床にばったり倒れていたら、こうたろうに「お母さんっ、お母さんに言ったんじゃないから!」と揺り起こされた。


ところが、可南子さん。
「…ごめんなさい」


ええええええ、なんでごめんなさいだよ。デートくらいしたっていいじゃんか。
背を向けた可南子を見送る、竹野内くんの弱々しい笑顔がまたステキでせつないわー。


でも、どうかしら。
もしも私の身に可南子と同じことが起こったとして、相方がいきなり「だんなです」と現れたとき、どう思うのかしら。
そして相方はどうなのかしら、と、強制的に録画を見せた。
相方に「きっとあなたは、竹野内くんみたいに心を尽くして新しい恋を始めようなんて思わないよね」
と言ったら、「そんなことはありませんよ」との返事。
「でもさ、俺がすごいがんばったとするじゃん。そしたらmichikoは、もし記憶が戻っても、
戻ってないふりして俺のアプローチを喜んで見てるんだろうね」だって。

……たしかに。
それ、記憶のある状態で見たいわぁ。



敬礼

2012-04-17 | kid
買い物に行く途中、こうたろうが道で100円玉を拾った。

スーパーに行く前に、交番へ。
こうたろうに持って行かせると、若い男性のおまわりさんに
「書類を書きますので、お母さんも中へいらしてください」と言われる。

おまわりさんと対面するようにしてこうたろうが椅子に座る。
私は後ろに立っていた。
おまわりさんが地図をひろげ、こうたろうに
「どこに落ちていましたか?」とたずねる。
もじもじしているこうたろうをせかすこともなく、
おまわりさんはゆっくりと話を聞いていた。

名前、年齢、住所、電話番号。
おまわりさんは、ひとつひとつこうたろうにたずねる。
「えーと、えーと」と、何度もつっかえながらしどろもどろなこうたろう。
私が後ろにいるのに、それでもこうたろうに聞くのがすごい。
こんなもん、「お母さん、ここ書いてください」ですむのに。

おまわりさんは専用の封筒を取り出し、こうたろうに説明した。
「こうたろうくんが拾ってくれたこのお金、
ここに入れて、ちゃんと交番で保管しておくからね」
大きな封筒に、100円玉が一枚おさめられ、封がされた。

「3ヶ月たっても落とし主が現れない場合、このお金は
こうたろうくんのものになる権利が発生します。
こうたろうくんは未成年なのでお母さんに確認したいのですが、
その場合、その権利はどうしますか?」
と聞かれ、私は「いただきます」と答えた。

おまわりさんは、カーボン式になっているその書類を一枚はがし、
こうたろうに渡した。
「落とし主が出てこなかったら、電話をします。
そうしたら、この紙を持ってきてね。だから大切にとっておいてください」
こうたろうはうなずいてその紙を受け取った。

「ありがとうな」
おまわりさんが、こうたろうの頭にぽんと手を置いた。


私は泣きそうになった。
おまわりさんが、こうたろうを、ひとりの区民として
ちゃんと尊重してくれたこと。
100円玉をばかにしなかったこと。
おまわりさんがおまわりさんとして、
とても真摯な仕事ぶりを見せてくれたこと。
こうたろうの頭に置かれた手からにじみ出る、幼い者への愛情。
感動して、その場でひれふしたくなるくらい感謝した。


交番を出るとき、こうたろうがおまわりさんに小さく「さようなら」と言った。
おまわりさんは、こうたろうに向かって敬礼をした。
こうたろうも、まねして敬礼返しをした。
てれくさそうに、ぴょんと外に飛び出したこうたろうの
晴れやかな顔が忘れられない。


この最初の経験のおかげで、こうたろうは、今後道でお金を拾って
「ラッキー」と懐に入れてしまう人間にはきっとならないだろうと思う。
ありがとう、おまわりさん。交番の前を通るたび、私も心で敬礼をしている。


アートセラピー

2012-04-08 | monologue
先日、縁あって「アートセラピー」を受けてきました。

参加者は6名。いずれも30代~40代の女性。
コの字型にセッティングされた机に座り、
それぞれの絵を見せ合います。
机の上には、24色のクレヨンが置いてありました。

絵は3枚描きました。
まず1枚目。

「最近、頭にきたこと、怒ったことを思い出してください。
そのときの気持ちを色にたとえると何色ですか?
その色を使って、思ったまま描いてみてください」

私が選んだのは迷わず黄色。
何かが爆発したときのような、ピカっと光る感じに
強くクレヨンを押し付けました。

それをみんなで見せ合うと。

みなさん、黒、茶色、グレー、青…と、暗い色ばかりで、
パステルカラーを選んだのは私だけ。びっくり。
ええっ、怒りってもっとエネルギッシュな色ではないの?
描き方も、けむりのような形が多かったです。

うーん、そうか。
一般的に、怒りというのはダークな感情なのだな。
私にとっては、むしろパワーの沸き起こるものであっても。


次に、「幸せな気持ち」。
私はオレンジ。みなさん、ピンク、赤、水色などでした。


そして最後に、「好きなように、自由に描いてください」と配られた白い画用紙。
まんなかに、直径10センチくらいの円が薄く印刷されていました。
円について、先生からのコメントはなし。


私は、その円を、じゃまだな、と思いました。
だって、自由に描いてくださいと言われているのに
この円に何かとらわれるのはいやだなぁ、と。


私が描きたかったのは、まず地平線。
円をぶった切るように、まっすぐと横に線を引きました。
線のこちらは草原、向こうは海。
右側に元気な木が一本立っていて、中央には恐竜の卵みたいなのがあって、
海にはきれいな夕日がまさに沈もうとしているところで。
手前にはおおぜいの人たちが集まって、にぎやかにしている。
そんな絵を嬉々として描きました。
太陽を描くときにちょうど円があたりましたが、円をなぞるのがいやで、
あえて円より大きく太陽を描いて、中を赤く塗りつぶしました。


先生の合図で、それぞれの絵を見せ合った瞬間、
私は思わず絵を伏せたくなりました。
みなさん、円を上手に使って、すてきな抽象画を描いている人ばかり。
太陽だの木だの、意味不明な恐竜の卵なんか描いているのは私だけで、
ひとりだけ子供のおえかきみたいなのでした。

先生から、円の内側から描いた人は自分の内面と、
外側から描いた人は周囲(他人)と向き合おうとしているという話がありました。
内側も外側もなく、ぶった切った私って……(汗)
他人のことも考えず、我が身も振り返らず、自由すぎなのでは。


絵の意味解きのような時間もありましたが、
まあ、1回こっきりの「無料体験」という刹那的な関係性の中で、
先生もみなさんも他人(私)に対して否定的なことは言うはずもなく、
自己解釈によって、私は自分がいかに自分勝手で気ままに生きているかを思い知ったのでした。
そして、多くの人が、そこにあるもの(場合によっては人)と
うまく協調して生活しているのだということもわかったのでした。
それが良識のある大人ってもんだよな。


私って、もっと消極的で、人目を気にしてばかりで、
他人の顔色をうかがって合わせてるほうだと思ってたけどなあ。
いや、社会で波風立てないよう生きていくためにそういうふうに振る舞ってるけど、
中身はてんでコドモで奔放なんだろうな。
そういう自分に気が付かないふりをしていたのかも。

知らない自分を知る、いい機会だと思います。
アートセラピー、日本でももっと身近なものになればいいのにな。


「身体のいいなり」レビュー

2012-04-04 | book

「身体のいいなり」 内澤旬子著

読書記録が続きます。
いろいろ書き留めておきたいことがあるのですが、
本の感想もどんどん流れていってしまうので。


著者と年齢が近いこと、(著者のほうがちょっとお姉さん)
最近の私のテーマである「女のからだ」について描かれていたこと、
そしてタイトルに魅かれて読み始めました。

著者は38歳で乳がんが発覚し、乳房を摘出しています。
普通にとらえると「闘病記」で、私はこれまで闘病記の類はいっさい
目をそむけて生きてきたので、自分から手にとったのは初めてかもしれません。

ただ、この本は闘病記ではあるのですがあまりにもさっぱりしていて、
何よりご本人が自分の「乳がん(ステージⅠ)」という病を「たいしたことではない」と
言い切っており、実際に読んでいくうちに、
「ほんとだ、彼女の場合は、乳がん自体よりも副作用やアトピーのほうが大変かも」
と思わされるのでした。

著者と自分を比較するのもおこがましいのですが、
私も先月、ちょっと軽い手術をしました。人生初でした。
ありとあらゆる疾患の中で、私なんてホントに特筆するほどのことでもない
ささやかなもんでしたが、それでも、いろいろと不具合があったし、
疾患を治すためのもろもろで「二次災害」の手ごわさを感じたものでした。
一例を挙げると、手術後のテープかぶれに泣かされたり。

内澤さんも、がんそのものとはそんなに「闘っている」という感はなく、
むしろ、その後の「乳房再建」のほうが記述が詳細であったし、
自分の内面での葛藤や医師への怒りが強く伝わる文面でした。

一冊を通して、彼女の「死生観」みたいなものが私のそれととても似ており、
そうそう、そうなんだよね、わかるわかるとうなずきながら読みました。
本文中で、ご自身の死と生に関する考えを述べるとき、
「顰蹙を買うかもしれないが」などといちいち前置きをしながら書かれていたので、
ああ、そうか、私の考えも、はたから見たら顰蹙モノなのかもしれないなあと省みたり。
私も自分の死生観を語るときには相手と言葉を念入りに選ぶことにしよう。


内澤さんは、乳房摘出、再建のあと、大変に元気で過ごされているそうです。
ヨガが相当良かったようです。
この本を読んでヨガを始める人はたくさんいることでしょう。

それにしても、たまに出てくる「配偶者」さん。
内澤さんサイドの話しか聞かずにこんなことを言うのはフェアじゃないかもしれませんが、
あまりにも他人ゴトじゃありませんか? 仮にもだんなさんだよね?
大きなお世話ですが「それって結婚してる意味あるの?」と首をかしげたくなるような点が
いくつかありました。ずっと内澤さんがひとりでがんばっているような感じで。
でもひとつだけ、内澤さんの初めての本の編集を手がけてくれたとあったので、
仕事のパートナーとしていろいろ話せるだんなさんならそれだけでもいいのかな。

それから、内澤さんがご自身を「貧乏、貧乏」と強調していたので
うんうん、フリーランスって大変だよね、なんて、気持ちに寄り添っていたのですが、
うーん、どうだろう、よく読んでみるとフリーランスとしてはかなり売れっこだし、
(仕事があまりなかったという時期の話を読んでも、月15万もレギュラーで稼げてたそうなので、
このご時世、かなり良いほうだと思います)
自宅とは別に仕事場を借りるだけの余裕もあって、
中古とはいえ都心のマンションを全額現金でぽんと買っちゃったりとか、
「なーんだ、お金持ってんじゃん!」ってちょっと肩すかしでした。
1回3000円のヨガスクールに週2回通うというのも、私から見たらセレブですよ。

まあ、そのあたりの私のやっかみは置いといて、読後感はさわやかです。
女ってやっぱり大変だよね、とため息つきながら笑ってしまいました。
婦人科はあるけど紳士科はないもんね。
このめんどうくさい身体の「いいなり」になりながら、意志とバランスをとって
生きていかなくてはならんのだろうな。
共感も、軽い反発も、そして情報収集もできて、いろいろ考えさせられた本でした。

蛇足。内澤さんの描かれたイラストだと思いますが、表紙がえぐい!!(笑)