「乳と卵」川上未映子著
私は川上未映子さんが好きで好きで、彼女からずいぶん影響を受けていると思う。
とか言いながら、まだ「乳と卵」を読んでいなかった。
このあいだ図書館で遭遇したのでやっと読了。
豊胸手術に挑もうとするシングルマザーと、初潮におびえる小学生の娘。
語り手はその母親の妹で、血の通った3人の女たちの2泊3日の物語である。
なんというか、「女に生まれてしまったからには受け入れるしかないね」というような、
女体という入れ物の中で起こるさまざまな変化や苦悩や芽生えがなまなましく描かれていて、
読んでいて何度も「う、これは男子禁制区域では?」と思ってしまった。
この作品で芥川賞作家になられた未映子センセイですが、
選考委員は男性いっぱいいたよなあ。よく受賞したなあ。
I氏なんかは酷評していたようだけど、あたりまえだ、
あんな頭の固いオッサンに理解できるはずもない。
話が逸れましたが、そんな「女ならでは」のあれこれを通して、
「結局、生殖ってなんなの?」というところに行き着いているように思う。
私は妊娠中にエコーで胎児を見てもらったときに
「おちんちんがありますね、お坊ちゃんですね」と言われ、
「ええっ、私の身体の中におちんちんが!」というのがけっこうな驚きだったのだが、
女の子を産んだママ友は
「子宮が見えますね、女の子ですね」と言われて
「ええっ、子宮の中に子宮が!」と、たいそうめんくらったという。
言われてみれば、そんなマトリョーシカみたいな状態のほうが衝撃かも。
まだ自分が生まれてもいないのに、子供を産むための機能を携えているなんて、
生命というのは最初から次の生命のために作られているんだなあと思う。
小学生の緑子は、そんな女の身体の仕組みを嫌悪している。
自分が女であることをのろっている。
「母乳で育てたせいで胸が小さくなった」と嘆く母親に
「じゃあ、私のことなんか産まなきゃよかったじゃん!」と憤る。
思春期の子供が親に「産んでくれなんてたのんだ覚えはない!」と暴れるのは
ありきたりで陳腐といえばそうかもしれない。
でも、なんというのだろう、「よくある話よね」で終わらない何かが
この小説にはあって、あらためて女という性について考えさせられた。
ストーリーのほとんどが、巻子&緑子親子に関する記述で、
語り手である夏子のプロファイルやエピソードがほとんど出てこないのだが、
ひとつだけ、夜中に目が覚めて、予定より早く生理がきていて、
血痕の処理をするというシーンがあり、ここだけ際立って印象的。
「生理の周期が早くなっている」という、夏子の身体の変化に触れられているのは
唯一この場面だけ。このあたり、彼女の心情をもっと知りたかったな。
クライマックスは、緑子が玉子を頭にぶつけて大騒ぎするところで、
それまで淡々としていた物語に一気に躍動感を与えるのだが、
この「生卵」の使い方が絶妙。
……と、多くの書評で書かれている。
が、私はあえて、ここではなくて、夏子が巻子に勧める飲み物が
「豆乳」であることを特記したい。
豆なのに、植物なのに、乳なんよ。
それが女のホルモンにいいんやて、なんやのん。
って、未映子さんが笑ってるような気がするのだ。
川上節は、おそらく好き嫌いが分かれるところだと思うので
万人にはおすすめしませんが、私は好きです。