真央ちゃん、銀メダルおめでとう!
私は真央ちゃんの通っている大学の出身なので、彼女には格別な思い入れがある。
しかも、中京大には名古屋と豊田にキャンパスがあり、
私の学部は体育学部と同じ豊田キャンパスだった。
真央ちゃんも、あの校舎で学んでいるのか……と思うと、
感慨深いものがある。
さらに、真央ちゃん、第二外国語は私と同じロシア語選択したらしいし!
豊田キャンパスは本当にへんぴな場所にあり、
今はどうか知らないけど、私は1時間に1本しかない2車両の電車で通っていた。
学校のまわりには店らしいものはほとんどなく、
小さな喫茶店と、ローソンがひとつあるだけだった。
でもきっと、彼女にはそんなことは問題ではないのだな。
真央ちゃんが入学するにあたって(なのかどうかは知らないけど)
サッカー場だかなんだかをつぶしてスケートリンクにしたらしいし。
オシャレなカフェとか可愛い雑貨屋さんとか、そりゃあるに越したことはないけど、
真央ちゃんにとっては思う存分練習のできるリンクが何より必要なんだろう。
中日新聞の記事を読んで、うるっときた。以下、抜粋。
**************************************************************
天才と言われることをどう思っているのか。1度聞いたことがある。「どうなんですかね」。答えはなかなか見つからず、しばらく考え込んで続けた。「でも、努力をしないでできる人はいないと思うんですよ」
今でも1日に100回から150回のジャンプを跳ぶ。他のトップ選手と比べても倍近い数だ。しかも難しい種類のジャンプばかり。30年以上、フィギュアに携わる日本スケート連盟の加藤修トレーナーは目を見張る。「あんなに練習する子はほかにいない」。
(中略)
練習のやり過ぎを心配したコーチらから「1つのジャンプは1日10回まで」と制限されたことも。だが守らなかった。週1日きちんと休むようになったのは昨秋以降。「滑ってないと不安なんです」。才能ではない。練習が自分を支えてくれていると分かっている。
スランプを乗り越えられたのも、限界まで練習を積み重ねたから。なかなか取り戻せない自分のジャンプ。「気持ちが切れそうになることもあった」。泣きながら跳び続け、感覚を取り戻した。
五輪に向け、中京大で滑り込んだ。午前と午後、2度の練習。不満が残れば、夜にもう1度滑った。納得できるまで。「本番では今までやってきたことを信じるだけ」と初舞台に臨んだ。
****************************************************************
練習に次ぐ練習。跳ぶ跳ぶ跳ぶ。
「努力をしないでできる人はいないと思うんですよ」。
19歳の銀メダリストの言葉が、ずしりと重い。
真央ちゃん、感動をありがとう!
日本に希望を、夢を、愛をありがとう!
まがりなりにもあなたの「先輩」となれたことを光栄に思います。
私は真央ちゃんの通っている大学の出身なので、彼女には格別な思い入れがある。
しかも、中京大には名古屋と豊田にキャンパスがあり、
私の学部は体育学部と同じ豊田キャンパスだった。
真央ちゃんも、あの校舎で学んでいるのか……と思うと、
感慨深いものがある。
さらに、真央ちゃん、第二外国語は私と同じロシア語選択したらしいし!
豊田キャンパスは本当にへんぴな場所にあり、
今はどうか知らないけど、私は1時間に1本しかない2車両の電車で通っていた。
学校のまわりには店らしいものはほとんどなく、
小さな喫茶店と、ローソンがひとつあるだけだった。
でもきっと、彼女にはそんなことは問題ではないのだな。
真央ちゃんが入学するにあたって(なのかどうかは知らないけど)
サッカー場だかなんだかをつぶしてスケートリンクにしたらしいし。
オシャレなカフェとか可愛い雑貨屋さんとか、そりゃあるに越したことはないけど、
真央ちゃんにとっては思う存分練習のできるリンクが何より必要なんだろう。
中日新聞の記事を読んで、うるっときた。以下、抜粋。
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天才と言われることをどう思っているのか。1度聞いたことがある。「どうなんですかね」。答えはなかなか見つからず、しばらく考え込んで続けた。「でも、努力をしないでできる人はいないと思うんですよ」
今でも1日に100回から150回のジャンプを跳ぶ。他のトップ選手と比べても倍近い数だ。しかも難しい種類のジャンプばかり。30年以上、フィギュアに携わる日本スケート連盟の加藤修トレーナーは目を見張る。「あんなに練習する子はほかにいない」。
(中略)
練習のやり過ぎを心配したコーチらから「1つのジャンプは1日10回まで」と制限されたことも。だが守らなかった。週1日きちんと休むようになったのは昨秋以降。「滑ってないと不安なんです」。才能ではない。練習が自分を支えてくれていると分かっている。
スランプを乗り越えられたのも、限界まで練習を積み重ねたから。なかなか取り戻せない自分のジャンプ。「気持ちが切れそうになることもあった」。泣きながら跳び続け、感覚を取り戻した。
五輪に向け、中京大で滑り込んだ。午前と午後、2度の練習。不満が残れば、夜にもう1度滑った。納得できるまで。「本番では今までやってきたことを信じるだけ」と初舞台に臨んだ。
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練習に次ぐ練習。跳ぶ跳ぶ跳ぶ。
「努力をしないでできる人はいないと思うんですよ」。
19歳の銀メダリストの言葉が、ずしりと重い。
真央ちゃん、感動をありがとう!
日本に希望を、夢を、愛をありがとう!
まがりなりにもあなたの「先輩」となれたことを光栄に思います。