みちくさ茶屋

いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと。

おめでとう、真央ちゃん

2010-02-26 | people
真央ちゃん、銀メダルおめでとう!

私は真央ちゃんの通っている大学の出身なので、彼女には格別な思い入れがある。
しかも、中京大には名古屋と豊田にキャンパスがあり、
私の学部は体育学部と同じ豊田キャンパスだった。
真央ちゃんも、あの校舎で学んでいるのか……と思うと、
感慨深いものがある。
さらに、真央ちゃん、第二外国語は私と同じロシア語選択したらしいし!

豊田キャンパスは本当にへんぴな場所にあり、
今はどうか知らないけど、私は1時間に1本しかない2車両の電車で通っていた。
学校のまわりには店らしいものはほとんどなく、
小さな喫茶店と、ローソンがひとつあるだけだった。
でもきっと、彼女にはそんなことは問題ではないのだな。
真央ちゃんが入学するにあたって(なのかどうかは知らないけど)
サッカー場だかなんだかをつぶしてスケートリンクにしたらしいし。
オシャレなカフェとか可愛い雑貨屋さんとか、そりゃあるに越したことはないけど、
真央ちゃんにとっては思う存分練習のできるリンクが何より必要なんだろう。

中日新聞の記事を読んで、うるっときた。以下、抜粋。
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天才と言われることをどう思っているのか。1度聞いたことがある。「どうなんですかね」。答えはなかなか見つからず、しばらく考え込んで続けた。「でも、努力をしないでできる人はいないと思うんですよ」

 今でも1日に100回から150回のジャンプを跳ぶ。他のトップ選手と比べても倍近い数だ。しかも難しい種類のジャンプばかり。30年以上、フィギュアに携わる日本スケート連盟の加藤修トレーナーは目を見張る。「あんなに練習する子はほかにいない」。

(中略)

練習のやり過ぎを心配したコーチらから「1つのジャンプは1日10回まで」と制限されたことも。だが守らなかった。週1日きちんと休むようになったのは昨秋以降。「滑ってないと不安なんです」。才能ではない。練習が自分を支えてくれていると分かっている。

 スランプを乗り越えられたのも、限界まで練習を積み重ねたから。なかなか取り戻せない自分のジャンプ。「気持ちが切れそうになることもあった」。泣きながら跳び続け、感覚を取り戻した。

 五輪に向け、中京大で滑り込んだ。午前と午後、2度の練習。不満が残れば、夜にもう1度滑った。納得できるまで。「本番では今までやってきたことを信じるだけ」と初舞台に臨んだ。

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練習に次ぐ練習。跳ぶ跳ぶ跳ぶ。
「努力をしないでできる人はいないと思うんですよ」。
19歳の銀メダリストの言葉が、ずしりと重い。

真央ちゃん、感動をありがとう!
日本に希望を、夢を、愛をありがとう!
まがりなりにもあなたの「先輩」となれたことを光栄に思います。

同級生。

2010-02-23 | people
大学のときの同級生、K君から連絡があり、
東京に出張で来ているとのことで銀座で再会した。
彼は大学を出てから出身地香川に戻り、
大学卒業後も「東京に出張」ということで6年ぶりに会ったのだが、
今回はそれ以来なのでさらにまた11年ぶり。
さすがにもう40間近なので会うのもちょっとだけ躊躇したけど
(つまり、こんなオバハンになった自分を見られていいものかと)
彼は少しふっくらしたもののぜんぜん老けておらず、変わっていなくて驚いた。

思わず、大学時代の共通の友人、キョーカに電話して
「今、おもしろいひとといっしょにいるんだけど!」とK君を交え話すと、
「K君とデートなんていいねぇ!」としみじみ言われ、
本当にそうだなぁ、としみじみ思った。

そうなのだ、K君は、とっても人気があったのだ。
女の子にも男の子にも、すごく好かれていたのだ。
K君と銀ブラなんて、大学時代だったら女の子たちからブーイングである。
しかしそこはやはり年をとったのか、かつてのようなときめきや緊張はなく
ただただ、K君はなつかしくあったかかった。


K君は役所勤めで、仕事が終わって5時40分には家にいるそうだ。
子供は小学校5年生を頭に3人(女女男)で、
5年前に建てた家には大きなお風呂があり、
家族5人でいっしょに入るそうだ。
近所に親戚がたくさんいて、子供をみんなで育てている、という。

口癖のように「オレは恵まれてる、恵まれてる」と言い、
福々しい顔でよく笑っていた。
彼の話を聞いていると、
「これが豊かな暮らしというものなんだなあ」と思わされた。


「うちはひとりっこになりそうだよ」と言ったら、
「あかんよ! 子供がひとりっていうのは、マイナス1やで!」と言われた。
これはどういうことかというと、地球の人口というものは、
大人2人(夫婦)に対し、子供が2人生まれてやっと「ゼロ」だというのだ。
つまり帳尻あわせである。なるほどである。
「日本の将来がかかってるんやから、もうひとりがんばりぃ」と
背中をたたかれた。
「大きなお世話」とか「無神経」とか思わなかったのは、やはりK君の人柄というか、
人徳なんだろうな。その算数はもっともだと納得さえしてしまったくらいだ。
いいともだちだな、と思った。

納得はしたものの、だからといって、マイナス1から加算予定はなし。
K君のところが「プラス1」なんだから、うちとK家で相殺ってことで、どうでしょ。


エジプト。

2010-02-19 | people
もう寒いのあきた。
今年の冬はなんだか長く感じるんだけど気のせいかなあ。
2年くらいずっと寒い思いをしているような……


さて。
先日、会社帰りの東海道線で、親子4チームと遭遇した。
母親4人、男児4人。
聞こえてくる会話から、彼らは幼稚園仲間で、キッザニアに行った帰りらしい。
そして子供たちはこうたろうと同じ、4月から就学の6歳児らしい。

私は長椅子のはしっこに座っていたのだが、
私の横から一列、男児が4人座り、その向かいに母親が立った。
男児たちは椅子に座るやいなや、

ばっ

と、おのおのDSを取り出し、ぴこぴことやりだした。
しょえええ。
まあ、ぎゃあぎゃあ騒ぐよりいいのかもしれないけど、
こんな小さな子供たちが一列に並んで小さな箱に集中してる姿、
ちょっと異様だった。
(大人でも異様だけど)

で、私の隣にいた男の子の母親が、DSの音がどうしても気になったらしく、
「ヒロくんっ、ヒロくん、音消しなさい!」
「ヒロくんっ、音、消してって言ってるでしょう! ジュース買ってあげないわよ!」
と、何度もしきりに注意していた。
ヒロくんは「音消したらつまんねぇんだよお」とうったえていた。

ヒロくんのおかーさん……
私もうったえていいですか……

DSの音なんて、別にそんなに気になりません。

それよりヒロくん、
私の足を肘掛けみたいにして腕ついてるんです……
靴履いたままばたばたして、靴の裏が私のズボンにつくんです……


私がうつむく中、
ママ4人組は、幼稚園の誰それがどうとか、小学校への不安とか、
春休みにみんなで旅行に行こう、とか、延々とお話してました。
私だって、立ち位置としては彼女たちと同じカテゴリーに属しているはずなのに
なぜだろう、自分とはまったく違う人種のように感じる……。
ヒロくんママが
「だんなが前の奥さんと行った新婚旅行がエジプトでさ。
だからウチではエジプトって言葉は禁句なのよね~!」
という、実にコメントしかねる発言を明るく放ったところで
私は先に下車しました。

っていうか、結局DSの音消さなかったし。


悪夢。

2010-02-10 | monologue
世の中、受験シーズンらしいです。
受験生でない学生さんたちも、学年末試験のあたりかな。

私は40を目の前にした今でも、
「試験勉強をしていないのにテストの日になってしまって焦る」
という悪夢をたまに見ます。
うわ~、なんにもやってない~!! ど~~しよ~~~
……というところで目がさめたときの安堵といったら。
「ああ、夢だった……よかった……」と布団の中で大きなため息。
あれ、心臓に悪いよなぁ。ホントに汗かいてるときあるもんね。
なんでいまだにあんな夢見るんだろ。何かの強迫観念なんだろうか。

学校での定期テストって、大人になってから資格試験を受けるとかいうのとは
絶対違うと思う。
少なくとも、私にはすごいプレッシャーだった。
数学はテスト中に必ずおなかいたくなったし。
資格試験だってそりゃあ受からないより受かったほうがいいんだけど、
ダメだったらダメで、人生が損なわれるわけじゃない。
そもそも、好きで受けてるし。
「受かったらこの先役に立つ」というプラスの要素はあっても、
落ちたからといってマイナスにはならない。
学校の定期テストは、ダメが続いたら進級できないという、
人生設計を狂わされるものすごい危険性にはらんでいるではないか。
もう二度と受けることはないんだけど、思い出しても身震いするな。

そんなふうにビクビクしなくちゃいけないくらいなら
普段からちゃんとお勉強してればいい話なんだが、
テスト前以外は大胆に遊んでばかりいたこの矛盾。


こうたろうももうすぐ学生さんだ、がんばれ。
こんな母ちゃんだから、「勉強しなさい!」とは言えないな、やっぱり。



「虚構の世界」

2010-02-05 | kid
保育園の文化行事で、「ウィンターコンサート」という催しものをやることになった。

あるお母さんがブラスバンドに所属していて、彼女のご協力により、
小学校の体育館を借りて演奏会が行われることに。
私は文化班なので、企画会議に出席したり、当日の受付などを担当。
班会で、何の曲を演奏するか?という議題になったとき、ブラスバンド所属のお母さんが
「それならもう、決めてあります。シンケンジャー(の主題歌)と、アンパンマンと……」と
アニメのテーマソングをいくつか列挙。そのとき、先生の顔色が変わった。

「保育園の想いとして、テレビの虚構の世界と現実の世界は分けたいと思うので、
シンケンジャーはちょっと……血を流したり戦ったりっていうのは……」

今度はお母さん側の顔色が変わった。
「うーん、でも、今回の演奏用に、編曲もして練習してるんです……」

話し合いの末、先生から「アンパンマンはOK、ジブリ系もOK」とのこと。
要するに、シンケンジャーはとにかく却下!ということらしい。

先生の言うこともわかる。
でも、映像を流すわけでもないのに、
「シンケンジャーはダメでアンパンマンはOK」っていうのも、なんだかなぁと思ってしまった。
血を流すとか戦うっていうのに抵抗があるって、
それを言うなら、アンパンマンだって戦うし、頭取れたりしてかなりシュールだし。
そして虚構中の虚構であるジブリアニメなら文句なしという……宮崎駿、おそるべし。

その後、園からのおたよりに、
「子供にとって、テレビ番組の内容によっては刺激が強すぎる」とあって
これは遠まわしにシンケンジャーの一件を言ってるな、と思った。

シンケンジャーも嫌われたもんですが、
戦隊モノが廃れない理由って、やっぱりそこに子供の欲望を満たすものが
あるからじゃないだろうか。いちがいに、ダメってことじゃないんじゃないかな。
私はシンケンジャー見たことないので、曲が流れてもきっとわからないと思うけど。