堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

お殿様の戒名

2008-08-20 04:07:27 | 日記・エッセイ・コラム

忙しいお盆を迎えながら、オリンピックにも心躍らされ、猛暑のなかで汗だくになりながら、一週間が過ぎました。


さて、17日の朝日新聞の天声人語(←クリックすると読めます)が墓碑や戒名についての話です。

三遊亭園朝の墓碑が「三遊亭園朝無舌(むぜつ)居士」と刻んであること。

随筆家の岩本素白は終戦の年の秋、信州で散歩中に「秋山微笑居士」と彫ってある墓石を見つけ、鬱々としていた気分がとても良くなった。


読んでいて、ブログに書こうとおもっていたことをおもいだしました。



ひと月ほど前、堅曹さんのお姉さんのご子孫、Eさんからとても面白いものがあったので、とお手紙をもらいました。

速水家やEさんの先祖が仕えていた越前松平家の藩主、松平直矩(なおのり)(1642-1695)について書かれた短編小説があるというのです。


   杉本苑子著 『引越し大名の笑い』 講談社文庫


     Hikkoshi


時は江戸時代前期の話です。

ちょうど速水家の初代が松平の殿様の家来となったころです。


松平直矩は越前大野で生まれ、播州姫路で家督を相続し、そのときまだ幼少だったため、越後村上藩へ国替を申し付けられます。

成人後、姫路藩にもどり、その後豊後日田藩へ。 

4年後に出羽山形藩にそして最後は陸奥白河藩となります。

その54年の生涯で7度の封地替えを命じられたのです。

しかし直矩の殿様は危うい藩財政を必死に切り盛りし、剛毅よりのん気、朗々と笑顔で宿運を甘受したそうです。

その藩主と家中の引越し人生を語ったお話です。



なにしろ、一家族が引っ越すのではなく、殿様が引っ越すとなればその家中、藩士全員何千人とその家族もすべてが移動するということです。

何回も大変だったでしょうね。ついていった藩士たちもえらいです。

この殿様はその生涯において幾度も越したので、ついには「引越し大名」のあだ名がついたそうです。



その大名、松平直矩の戒名が

   「天佑院鉄船道駕居士」です。

船で駕籠で、水を行き道を行きした引越し大名には、うってつけの戒名というべきかもしれない。(『引越し大名』)


速水の先祖代々が仕えていた藩の殿様はどんな人だったのか、どんな生活だったのか、小説ではあるけれど、垣間見れてとても楽しかった。

この本はもう、品切れで、Eさんは古書で手に入れたそうです。



さて藩士たるもの、お殿様が第一であるのがあたりまえで、堅曹さんも速水家の系図の前に、松平家(越前)の系図を詳しく書き残しています。

それを見てみると、松平家の歴代のお殿様の戒名がわかります。


  松平直基  -  佛性院鉄関了無居士

  松平直矩  -  天佑院鉄船道駕居士

  松平基知  -  仰高院実性英賢居士

  松平明矩  -  正眼院廊然無聖居士

  松平朝矩  -  霊鷲院○華微笑居士

  松平直恒  -  俊徳院仁山良義居士

  松平直温  -  馨徳院大振聲光居士

  松平斎典  -  興国院○徳協和居士

  松平典則  -  松林院尭雲義典居士

  松平直候  -  建中院義恩黎懐居士

 


天声人語で取り上げていたとおなじ「微笑」の文字がはいったお殿様もいます。

お盆は過ぎましたが、こんな視点で戒名を見て、どんな殿様だったのか想像してみるのも一興かと並べてみました。


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