堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

長野親蔵のご子孫

2010-02-04 02:55:25 | 日記・エッセイ・コラム

いや~、ブログやってて本当によかった!

と思えるできごとがありました。



先週末コメント欄に「hironagano」さんから投稿いただきました。

昨年9月、九州に旅行にいった記事(←クリック)についてです。

熊本で長野濬平さんのお墓参りをした記事の写真をご覧になり、なつかしい!と。

長野親蔵さんの直系のご子孫からでした。


親蔵さんは濬平さんの長女の婿で、堅曹が明治3年に作った藩営前橋製糸所に夫婦で伝習にきています。

熊本に帰って濬平さんらと明治8年緑川製糸所をつくり、九州での器械製糸業の嚆矢となります。

非常に優秀で明晰な頭脳が見込まれ、内務省に引き抜かれ、

明治12年、堅曹が富岡製糸所の所長になるとき、No.2として長野親蔵を一緒に連れて行きました。

しかし残念なことに、数ヵ月後彼は製糸場内で事故死します。

まだ若く、小さな子らもあり、なんとも痛ましい事件でした。



その死をいたみ富岡製糸場近くの龍光寺に堅曹らは親蔵さんのお墓(←クリック)をつくります。

ここのお墓はいつ行っても新しい塔婆が立てられており、

130年にわたりご子孫がきちんとご供養なさっているんだ、と感心しておりました。



昨年九州に行く前に、長野家のどなたかに連絡をとりたいと思ったけれど、

個人情報は今の世の中なかなか手にはいらず、連絡するのもちょっと勇気もいることなので、

自分で調べてわかった範囲で訪れてしまいました。


コメントをいただいた後、メールでやりとりをさせていただき、

熊本に来たときに実家に寄っていただければ良かった、とうれしいお言葉をかけていただいたり、

貴重なお話をたくさんうかがったりしています。


なんだか突然降って湧いた話で、

長野家に詳しい夢酔い人Kさんにすぐに連絡して、

二人で「こんなことってあるんだね」と興奮しています。


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