堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

フィラデルフィア万国博覧会

2009-12-05 00:49:51 | 人物

ここのところ、堅曹さんに関する資料をまたゴソゴソと集めています。


例の「ヨミダス歴史館」で検索して明治、大正期の新聞記事から「速水堅曹」や「富岡製糸」の記事を検索しました。

まだまだ知らない記事がありました。

国立国会図書館のデジタルアーカイブスで検索をかけると、

国立公文書館やアジア歴史資料センターのものも一緒に検索できるようになっていました。

驚きです。

こんなに便利になっていいのでしょうか。

国立公文書館には行かなくては、とおもっていたので、大助かりです。




そこで、フィラデルフィア万国博覧会の記録です。

堅曹さんは明治9(1876)年、アメリカ建国100年を記念して行われたフィラデルフィア万国博覧会に

日本より審査官として参加しています。

35カ国が参加して、1876年5月10日から11月10日まで開催。

会期中の延べ来場者は1000万人です。


Openday4_r05_c3 万博メイン会場 オープニングデー



日記や自叙伝『六十五年記』にも詳しくその時のことが書かれていますが、

いつか公文書などで、確認をしておこうと思っていました。



ある方から、フィラデルフィア万国博覧会の報告書がある、と教えてもらいました。

早速図書館へ行って閲覧。

 『米国博覧会報告書』 第1~5 明治9年出版 米国博覧会事務局編纂(平成11年復刻)


会場の見取り図や賞牌の図もはいっており、勿論博覧会委員の名簿も。

堅曹さんは

  審査官 勧業寮八等出仕 群馬県士族 速水堅曹 となっています。


そして、博覧会の審査官の名簿もありました。

世界中からあつまった審査官は159名で、そのなかで日本人はたったの2人でした!

速水堅曹と納富介次郎(この人は陶磁器の審査)。


24の部門に分かれて堅曹さんは第8類です。

審査したのは繭、生糸、紡糸縫糸、絹織物等です。


一緒に審査をした人は13名。

アメリカ人7名、イギリス人1名、ドイツ人2名、スウェーデン人、スイス人、エジプト人、各1名です。

このときの記念集合写真が群馬県立文書館に寄託されています。


Cimg0802 写真では全員で13人


やっとここに写っている人たちのことがわかりました。

それにしても、会期中数ヶ月ものあいだ外国人のなかで意見を戦わせて審査をするなんてすごいです。


このときの堅曹さんの武勇伝があります。

当時英仏独伊の審査官は皆資産家ばかりで、勢い全会を圧しており、

日本の蚕糸をほとんど取り上げることもせず、排斥されようとしていた。

そこで堅曹一喝して、「日本の審査官も意見がある」と言って発言をもとめ、

満場の視線のなか、

「文明国の委員と称する諸君の繭糸審査の状況を窺うに、

主眼はもっぱら糸の太さと光沢とにあるようである。

これ、その一を知ってその二を知らないにも甚だしい。

そもそも生糸の審査すべき要点は第一に糸質、第二に製法にして

第三以下また注意すべきものは少なくない。

しかし諸君が審査して優等としている生糸は製法に力点をおいていないため、

もし糸を採り撚りをを戻せば、三四線あるいは六七線よりなる斑(まだら)糸ばかりで、

生糸としての価値はほとんどない。

しかも産地が欧州であるために、いわゆる盲審査をして優等としている。

日本の審査で選んで優等とするのはこういう糸のことをさすのです。」

と言って、日本産の生糸を取って示し、数百メートルの細い糸は皆、七線より成っていてすこしの斑もない。

「これが製法の適切なものである。ただ、日本の製糸業はまだはじまったばかりで

欧米の最新機器には適していないものがあるのが残念である。」

そう言って、目の前に鍋を持ってこさせ繭を煮、自分の手で糸を紡いでこれを示した。

列国の委員皆驚いて、その卓説に感じ入り、堅曹のことを「繭神堅曹」と呼んだという。



まあ、こんなことをしてまで、渡り合った堅曹さん。

まだ当時日本は器械製糸をはじめて6年、やっといい糸がとれるようになっても、

座繰り糸の粗製乱造で落ちた信頼を回復して、日本の器械製糸の品質を認めてもらうためには、

この位の押しでいかなくてはならなかったのでしょう。


こういった開拓者たちの奮闘のおかげで、やっと日本の器械製の生糸は世界に認められるようになり、

輸出貿易に大きく前進することができたのです。


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