さて、その建物とは
明治政府が丸の内に新しい街をつくるにあたって、この地を三菱の岩崎家に払い下げ、
明治27年(1894)英国人建築家ジョサイア・コンドルが設計、建築した
丸の内初のオフィスビル「三菱一号館」です。
英国のビクトリア時代のクイーンアンスタイルの建物で、
この一角は、その後同じような建物が建てられ、ロンドンの町並みのようになり、
「一丁倫敦」と呼ばれたとか。
しかし昭和43年に建て替えられて、その姿は消えました。
復元された三菱一号館の中で開催されていた
「一丁倫敦と丸の内スタイル」展(~2010年1月11日まで)を見てみました。
今回新たにオフィスビルを建てるにあたり、一号館を当時の設計図や実測図を資料として、
製法、建築技術も可能な限り忠実に復元した、その詳細が展示されている。
外壁に使われた化粧煉瓦と構造煉瓦は当時の小菅集治監でつくられた桜のマークのはいったもの。
大切に一個だけ保存されていた当時の煉瓦を分析し、
同じような光沢のないきめ細やかな質感を再現するため、
明治時代の製法に近い型枠成型を採用し、中国の工場で約230万個の煉瓦を焼成した。
その様子がビデオで流されていて、ひとつひとつ中国人女性が木の枠に粘土を詰めてたたいていました。
組み方はイギリス積みだが、その細かい積み上げ方も再現され、
当時はモルタルの間に帯鉄が敷きこまれてあったのを知りました。
だから関東大震災でも崩れなかったんだ、と納得。
その他、石材、スレート、ガラス、木の骨組みから内装、装飾品、ドアノブ、
窓枠から屋根の避雷針まで、ありとあらゆるものを細部までこだわって、
できる限り復元しています。
しかしただの復元ではない。
今の建築基準法や耐震性、防災等、クリアさせなければならない。
見ていて、ため息がでてしまった。
すごい! すごすぎる!
こんなことできるんだ。
全く知らなかった、こんな明治時代の煉瓦の建物の復元をしていたなんて。
あまりに大掛かりなプロジェクトに本当に驚いてしまった。
外にでて、建物の周りを隅から隅まで見て歩き、
出来上がったばかりの当時の煉瓦ってこんな感じだったんだな、と
富岡製糸場の煉瓦を思い出しながら、壁に顔を近づけてみたり、ちょっと触ってみたり。
帰りに中国で焼いた煉瓦のミニチュアがお土産にあったので、買ってきました。
(モルタルがよく付くように上面がデコボコになっています)
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