地球環境・命を守るために「原発ゼロ」を実現させましょう
明治乳業争議団と支援共闘会議は、福島原発爆発事故から放射能汚染の影響を受け続けている南相馬市を訪ねてきました。
この間、半世紀にも及んで争議を生み出している株式会社 明治(旧明治乳業)のもとで、この明治から、学校給食牛乳や乳幼児粉ミルク「明治ステップ」などセシウム汚染が検出されている問題から、独自にその原因と対策を求める「シンポジウム」を開催し、また、直ちに製品検査を実施しその数値を公開せよと本社への宣伝、株主総会にも事前質問書を提出し明治の姿勢を追及してきました。
しかし明治は、行政のモニタリング検査で安全は保障されているとして、自主検査は行わないと多くの消費者や団体の疑問・不安に対しも拒否してきました。
私たちは、その様な態度を取り続けている明治に対し、「検査の実施と数値の公表を」、「東電に原発ゼロ」を求めて6・19銀座デモを実施しました。
震災の被害や放射能に苦しむ方々に、団員の中にも食糧を抱えて訪問活動を定期的に行っている報告を受けて、争議団としての取組みを位置づけてはどうかと提起されました。
銀座デモの第二弾として準備している10・20を前にして、ともかく被災地を訪問し実態を把握しようと、10月11日マイクロバスに地域の方を含め22名で南相馬市を訪れ、鹿島区、原町区、小高区の行政区を回り被害状況を目の当たりにしました。
団員の奥様が、南相馬市の議員活動をしている関係から自宅を訪問し情況を聞き、12年9月11日現在取りまとめた被害状況の資料をいただいてきました。
仮設住宅の生活をやむなくされている方々に少々野菜を持参し話も伺いました。
「復興予算の使い道」の話には怒りの気持ちと、俺たちに予算を「直にまわしてくれるなら」もっともっと復興が進むとも言っていた。
集団避難や自主避難先から多くの市民が戻り、自由に立入りできるようになったとしても、幼稚園児を抱える家庭で2~3割、小中学生では5割、高校生の生活で7割程度の戻り率だという。
訪問する経路の飯館村などは、人影も見えないし「田んぼ」は草が伸び放題、山もどこかしか呼吸していない重苦しい状況に映った。
南相馬市の小高区は、目抜き通りの道路は地震で波打ち、家屋は全壊、半壊、傾いたままの状態だ。放射能汚染でいまだに整理に取り掛かれないでいるのだろうか。人っ子一人見えない。東電と歴代政治の「安全神話」がつくりだした「ゴーストタウン」だ。
商店も会社も子どもたちの学び舎も日常生活すべてが破壊されている。人間が生きていくための食糧生産の手段である、「田畑・果樹園・牧場」が使えない。農家の方々の悲痛な叫びがそこにある。人災であって完全補償は当たり前だ。
実際現場に来て「原発ゼロ」はスローガンではない。完全ゼロの要求は、人間が、生き物が地球上にいる限り在ってはならない。直ちに「原発ゼロ」の決断は人間最大の課題だと強く抱いて帰ってきた。
明治乳業争議団と支援共闘会議は、福島原発爆発事故から放射能汚染の影響を受け続けている南相馬市を訪ねてきました。
この間、半世紀にも及んで争議を生み出している株式会社 明治(旧明治乳業)のもとで、この明治から、学校給食牛乳や乳幼児粉ミルク「明治ステップ」などセシウム汚染が検出されている問題から、独自にその原因と対策を求める「シンポジウム」を開催し、また、直ちに製品検査を実施しその数値を公開せよと本社への宣伝、株主総会にも事前質問書を提出し明治の姿勢を追及してきました。
しかし明治は、行政のモニタリング検査で安全は保障されているとして、自主検査は行わないと多くの消費者や団体の疑問・不安に対しも拒否してきました。
私たちは、その様な態度を取り続けている明治に対し、「検査の実施と数値の公表を」、「東電に原発ゼロ」を求めて6・19銀座デモを実施しました。
震災の被害や放射能に苦しむ方々に、団員の中にも食糧を抱えて訪問活動を定期的に行っている報告を受けて、争議団としての取組みを位置づけてはどうかと提起されました。
銀座デモの第二弾として準備している10・20を前にして、ともかく被災地を訪問し実態を把握しようと、10月11日マイクロバスに地域の方を含め22名で南相馬市を訪れ、鹿島区、原町区、小高区の行政区を回り被害状況を目の当たりにしました。
団員の奥様が、南相馬市の議員活動をしている関係から自宅を訪問し情況を聞き、12年9月11日現在取りまとめた被害状況の資料をいただいてきました。
仮設住宅の生活をやむなくされている方々に少々野菜を持参し話も伺いました。
「復興予算の使い道」の話には怒りの気持ちと、俺たちに予算を「直にまわしてくれるなら」もっともっと復興が進むとも言っていた。
集団避難や自主避難先から多くの市民が戻り、自由に立入りできるようになったとしても、幼稚園児を抱える家庭で2~3割、小中学生では5割、高校生の生活で7割程度の戻り率だという。
訪問する経路の飯館村などは、人影も見えないし「田んぼ」は草が伸び放題、山もどこかしか呼吸していない重苦しい状況に映った。
南相馬市の小高区は、目抜き通りの道路は地震で波打ち、家屋は全壊、半壊、傾いたままの状態だ。放射能汚染でいまだに整理に取り掛かれないでいるのだろうか。人っ子一人見えない。東電と歴代政治の「安全神話」がつくりだした「ゴーストタウン」だ。
商店も会社も子どもたちの学び舎も日常生活すべてが破壊されている。人間が生きていくための食糧生産の手段である、「田畑・果樹園・牧場」が使えない。農家の方々の悲痛な叫びがそこにある。人災であって完全補償は当たり前だ。
実際現場に来て「原発ゼロ」はスローガンではない。完全ゼロの要求は、人間が、生き物が地球上にいる限り在ってはならない。直ちに「原発ゼロ」の決断は人間最大の課題だと強く抱いて帰ってきた。