海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「われわれはなぜ自分のところから始めないのか」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2010年07月18日 | 中国の政治・経済・社会
マルクス主義的世界観の中で、中国社会で今日まで一般に広まったものがあるとしたら、それはあらゆる意見と情報とは利害関心に結びついているという説である。それゆえ、北京政府にとっては、西欧のメディアにおける中国についての批判的報道は、中国に悪意をもつ政治的力の産物であるということを国民に確信させために、これより大きな口実は存在しない。
「大人達は世界を殆ど変えられない確固たるイデオロギー的枠内から観察し説明する傾向がある」と今共産党機関誌『人民日報』で述べられている。
「中国がその国際的影響を高め、先進国に圧力を加え始めたことは良いことだ。」公共性はそこでは単なる力の問題、圧力と反対圧力の体験だと見なされている。
両方の文章は、「ハインリヒ・ベル財団」がドイツの中国報道に光を当てているある研究報告についての記事の中に書かれている。「ドイツのメディアは、その中国に関するステロタイプを止めるべきだ」と党機関紙は、その総括についての記事の見出しに書いた。それによると考慮された記事の半分以上が中国に対する否定的なステロタイプを示したそうだ。このことは勿論、誤解を招く主張である。この研究報告は、むしろ、「考慮された中国関係の記事の半分以上において、テーマではなくて、「中国」というキーワードは、単にアレゴリカルな仕方で取り上げられた。
アレゴリーは、確かにしばしば集団的なステロタイプを暴露している。それは、「西欧のメディアがそれ自身の視点を反映しているかどうか」という問いのように、この研究が残念ながらそのままにしておいた事情である。『人民日報』は、この研究が取り上げた他の中国メディアと同様、ステロタイプで満足し、内部の多元主義やドイツのコミュニケーション学者たちが彼らが研究したテキストの中で知覚した細分化を隠した。中国語の党新聞『環球時報』は、報道の前提された党派性を勝手なねつ造のための認可であると見なして、そこには全く書かれていない文章をベルリンで発行されている『ターゲス・シュピーゲル』から引用している。
かなり多くの国家メディアがドイツの研究報告の自己批判的試みをその目的のために利用することが期待された。
それに対して、そこから、今度はその國の内部である議論が持ち上がったのは驚くべきことだ。そこでは、二人の中国知識人が、宣伝臭の強い道具化を厳しく批判した。広東で出ている『時代時報』は、「中国のソフト・パワーを広める際の隠れた作戦」という見出しで、そのような場合に一ページまるまる費やした。そこでは、中国学者のトマス・ヘーベラーと"taz"の編集員スヴェン・ハンセンとカトリン・アルトマイアーが中国メディアにおける研究報告の操作的叙述を批判する機会が与えられた。(後略)
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