海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「ザルカウイの仲間がスンニー派の地方住民と衝突」と題する『ワシントン・ポスト』紙5月29日の記事。

2005年05月30日 | イラク問題
バグダッド発:今月の4日間、アメリカ海兵隊は、彼らがみたいと思っていた種類の戦闘の見物人であった。つまり、アブ・ムサブ・ザルカウイの仲間らしき連中、つまり外国生まれの武装勢力とイラク人スンニー派の部族兵士との間でフサイバという西部戦線の町で行われた戦闘である。
ザルカウイによって命じられた部族長の暗殺によって火がついた衝突で、外国人武装勢力とイラク人の部族戦士とは、小火器と迫撃砲を使って、互いに攻撃を加えた。その間、アメリカ軍は、離れたところから戦闘を見物していた。目標をそれた迫撃砲弾が海兵隊の近くにたまたま着弾したが、「彼らは目標を調節していたのであって、われわれを狙って撃ったのではない。彼らはアメリカ軍を戦闘に巻き込むことを恐れていた」とティム・マンディ海兵隊大佐は言った。米軍側の報告された損害は、好奇心で戦場に近寄りすぎたヘリに対する小火器による攻撃であった。
 部族の一員であるサルマン・レーシャ・スライマンによれば、衝突に巻き込まれたスンニー派のスライマン族は、4人を失った。ザルカウイ側では、11人の外国人戦士が、その場で殺された。未確認数の他の外国人戦士とイラク人の協力者は、部族が彼らの居場所をアメリカ軍に内報した後で、アメリカ軍の爆撃によって殺された。
 フサイバにおける戦闘は、外国人戦士が経験しつつある支持と忠誠が失われた状態の兆候だとイラクの政治的指導者は言っている。
 先週末、ウエッブサイトに投稿されたザルカウイの健康状態に関する矛盾した言明は、彼の副官達が彼はアメリカ軍及びイラク軍との戦闘で負傷したと述べた後でも彼が生きてさえいるかどうかを疑わしくしている。
 フサイバの住民達の経験は、地方のイラク人と外国人戦士との間に緊張がなぜ生じたかの理由を明らかにしている。
 ザルカウイの仲間達が4月にフサイバに作戦拠点を築き始めたとき、町を出る手段を持っていた家族は、逃げだし始めたとフサイバの教育者は言う。彼の氏名は、復讐を恐れて、伏せられている。
「ザルカウイの戦士達は、最近放棄された家屋に居座り、家族が後に残した食糧を食べた」と彼は言う。アラブ系外国人は、町の女性にスカーフを被り長いローブを着るように要求し、若者に西欧風の服を着るのを禁じた。よそ者達は音楽店や料理店を閉めた。」
「私はアメリカ軍が罪のない人たちの血を流さないで、この貧民達(paupers)を片づけることができるだろうと確信していました。私たちは、囚人や奴隷になっていたのです」とフサイバの住人アラー・ムハメッドは言った。
「ザルカウイのグループは、部族長が彼の住民とアメリカ軍の間の善意を示すために海兵隊員を昼食に招いた後で、部族長シェイク・スライマンの暗殺を命じた」と部族の一員であるサルマン・レーシャ・スライマンは述べている。ザルカウイのグループは、ある声明において、部族長の死に対する責任があると認めた。
「人々はファルージャと同じ運命になることを恐れて逃げ出したのです」と上記の教育者は言う。
「フサイバは、現在、あらゆる点で、新しいファルージャだ。われわれはそのことを誇りにしている。もしアメリカ人がフサイバで行動を起こせば、250人のアラブ人戦士が自爆攻撃をする覚悟がある」とザルカウイの仲間のイラク人は言った。
「俺たちはアメリカ人と『トムとジェリー』の関係にある。俺たちがある地域へ行くと、アメリカ人が附いて来るんだ。ネズミがときには勝つこともあるさ。」
「シリア国境に接しているアンバル州での大規模の海兵隊の攻勢は、武装勢力が分散するようにしむけた」と軍関係者は言う。二つめの攻勢は、ザルカウイのもう一つの拠点であるハディタで続けられた。
この攻勢は、今週、遂行されたので、ザルカウイの戦士は、インターネットの中で、ザルカウイは、米軍及びイラク国軍との初期の戦闘で負傷したという声明を出した。ザルカウイの協力者は、彼が重傷であり、彼の外国人とイラク人の仲間から後継者を選びつつあると述べた。
武装勢力の声明については疑いが広まっている。一方では、ザルカウイは、彼の協力者に彼がアメリカ軍の手に落ちる危険がある場合には自分を殺せと指図したという情報がある。
イラク政府筋によれば、彼が戦闘できなくなったというザルカウイの副官の声明は、武装勢力内部の権力闘争を示唆している。外国人戦士とスンニー派イラク人との間の権力闘争を示唆している。
彼らはアメリカに軍を撤退させ、サダム・フセイン後の政府を崩壊させるという共通の目標をもって、時に協力してきたと信じられている。しかし、アメリカ軍筋によれば、1月30日の総選挙後に、ザルカウイのランクが上の協力者を2ダースほど殺すか捕らえるかした。また、それ以外に、何百人もの外国人戦士が殺された。この損害に対する外国人戦士の間の怒りが、彼の仲間の間でザルカウイ支持を減らしているのである。
 選挙をボイコットしたスンニー派を政治的プロセスに参加させようというイラク新政府の努力も、スンニー派アラブ人の間での外国人戦士に対する支持を減らすのに役立ったとイブラヒム・ジャファリ首相は、今週、述べた。
 ある高官によれば、ザルカウイの武器や戦士や資金を集めるためのネットワークのほうがザルカウイという人物よりも重要である。国民議会議員であり、「イスラム革命最高宗教会議」の指導者であるフマン・ハンムーディは、次のように述べた。「彼らはザルカウイをシンボルにした。シンボルがいなくなると、混乱や不安定が起こるだろう。武装勢力の間には安定はない。」
彼は言う。「武装勢力は、再組織するのにいくらか時間がかかる。彼らにそうするチャンスを与えないような重大な努力がなされている。」
[訳者の感想]ザルカウイが負傷したとか、しないとかいうニュースが飛んでいる理由は、武装勢力内部に対立があるせいだというのは説得力があるように思われます。しかし、ザルカウイ達と互角に戦えるほどの武器と兵力を部族が持っているということは、彼らがアメリカ軍に不満を持ったときにどうなるかを考えると余り楽観視はできないと思うのですが。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「中国は、いくつかの行動を... | トップ | 「ミンダナオ島の部族長は、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

イラク問題」カテゴリの最新記事