4月27日(火)夜、久しぶりに静岡県朝鮮通信使研究会例会が開かれ、北村欽哉先生が『朝鮮通信使を中心とした江戸時代の外交に関する高校生の認識度』という興味深いお話をしてくださいました。
先生は長年、高校で日本史を教えておられ、朝鮮通信使の研究を始められてからは、歴史教科書にどのように取り上げられ、現場の教師がどう教えてきたか、また生徒はそれによってどの程度理解したのかを追跡調査されています。「学校でどう教わったか」が、やっぱり大人になってからの歴史観や国際交流に臨む姿勢に大きな影響を与えるからなんですね。
・・・かくいう私も、歴史は好きな授業だったのに、朝鮮通信使のことをきちんと教わった記憶がまったくなく、3年前、映像作品『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』の制作に関わるまで理解も関心も持たずに来てしまいました。
北村先生は、1996年に県立高校5校(普通高3校、職業高1校、定時制高1校)併せて391人(うち1年生が6割)を対象に、さらに2009年に県立高校3校(普通高2校、職業高1校)併せて390人を対象に、朝鮮通信使への認識度を調査されました。
それによると、96年調査では朝鮮通信使のことを「まったく知らない」が72%、「ほとんど知らない」20%、「ある程度知っている」6%という結果。“ほぼ全滅”状態でした。
彼らが使っていた歴史教科書に記述がなかったかといえば、決してそうではなく、すでに昭和50年(1975)の東京書籍版には、『中国とは正式な国交は開かれず、商人が往来するだけであった。朝鮮とは、家康のときに国交を回復してから、将軍が変わるごとに慶賀の使節が来る慣例となった。また琉球では15世紀初めに統一政権が成立し、人々は中国胃や南方との貿易にかつやくしていた』と、通信使という表記こそありませんが、家康が朝鮮との国交を回復させたことも、使節団の存在や目的もきちんと紹介されています。
昭和62年(1987)版になると、朝鮮使節の行列図が登場し、さらに平成5年(1993)版では『…将軍がかわるごとに慶賀の使節(通信使)が来る慣例となった。その連絡に当たった対馬藩は、貿易を行うことも許され、朝鮮の産物や中国の絹なども輸入した』と、通信使という言葉が登場します。ちなみに通信とは“信を通わす”という意味で、ビジネスライクな“通商”よりも親しい交流関係を指します。
「慶賀の使節という、ややインパクトに欠ける表現のせいかもしれないが、生徒たちの理解度不足の最大の理由は教える側が朝鮮通信使を理解していないことにも起因するのではないか。かくいう私も、15年ほど前に地元の寺の名前の調査をしていたときに扁額に書かれた『朝鮮』の文字に気づき、友人からアドバイスを受けて初めて朝鮮通信使ということがわかった。それまで授業でも朝鮮通信使をきちっと教えた記憶がなかった」と振り返る北村先生。おそらくほとんどの社会科の先生がそうだったのでしょう。
13年経た2009年の調査では、「まったく知らない」が21%、「ほとんど知らない」31%、「ある程度知っている」が44%。「大変よく知っている」も5%という結果で、高校生の朝鮮通信使に対する理解度は飛躍的に前進しました。この10数年の間、アジアへの関心の高まりや、朝鮮通信使の再現行列が各地のイベントで行われる等、教科書以外に通信使のことを知る機会が増え、若い人の意識にも大きな変化が起こったようです。
ただし、江戸時代の外交全般の理解度(%)となると、96年→09年ではあまり変化がなく、「江戸幕府と交流した国といえば①オランダ・中国39%→38%、②オランダ9%→6%、③オランダ・中国・朝鮮5%→6%」という結果。
北村先生は「多くの歴史教科書が江戸時代の外交のことを“鎖国の結果、わずかに長崎の窓を通して中国およびオランダから世界の知識を得たにすぎなかった。…日本人の大多数は世界の動きも知らず、泰平の夢をむさぼり続けた”というトーンで書いてきた。教科書に載っている長崎港の絵も、シーボルト著「日本」にある出島の部分を中心に描いた絵がほとんど。本来は円山応挙の長崎港之図のように1万坪近くあった唐人屋敷(出島は約4千坪)をきちんと描いた全体図を載せるべき。明治以降、欧米に傾倒してきた結果、事実とは違うオランダ中心の鎖国史観が形成され、生徒も教師もそのような見方から脱出できないでいる」と検証しています。
2009年の調査で、ある学校では朝鮮通信使のことを大変よく知っている2人、ある程度知っている28人、ほとんど知らない10人、まったく知らない0人というクラスもあったそうです。先生は、「高校1年生対象だったので、これは中学の時の教員がしっかり教えていた成果だと思う。教科書や教員の指導体制が少しずつ整い、この先、前進していくものと期待されるが、“鎖国”という言葉があまりにも一般化していて、国を鎖すと聞いただけでオランダ以外との交流、朝鮮との交流が無かったことにされてしまう。研究者・専門家には鎖国を克服する用語の開発を期待したい」と締めくくります。
以上のような調査報告書を、北村先生は手弁当で制作し、我々一般市民にも丁寧に解説してくださいます。教科書の作成に携わる専門家や、朝鮮通信使の取り上げられ方について一家言持たれる研究者は、こういう地道な調査や声にどんな反応を示されるのでしょうか。