杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

松井妙子染色画展のお知らせ

2011-04-29 10:10:09 | アート・文化

 GWが始まりました。今朝は、目覚めに、ニッポン放送のチャリティ番組で取り寄せた福島県JA伊達みらいのりんごジュース『福島林檎 の想い』を飲みました。100%ストレートジュースで甘くて

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濃厚ですが、飲み口が実にさわやか!1缶190g×30缶で3500円と

いう価格は良心的だと思いました。

 伊達市というのは福島市の東、相馬市の北にあり、宮城県の県境にあるんですね。またひとつ、福島の地名と位置を覚えました。

 

 

 

 今朝はまた、「東北新幹線全線復旧で青森から鹿児島まで高速鉄道網でつながった」というニュースを見て、日本の鉄道技術のレベルの高さに感動しています。3・11の後、ただちに高速道路を直して世界から称賛された土木技術にも感動しました。

 こういうときに日本を一つにする・つなげる力の源泉になるのは、コピーライターが考えた台詞をACのコマーシャルで有名人に言わせることではなく、確かな技術を持った現場作業員の縁の下の力なんだな~と、(自分はコピーライターですが父と祖父が土木技術者だったので、余計に)痛感します。

 

 

 

 そうこうしているうちに、松井妙子先生からお電話。実は毎年5月GW明けに松坂屋静岡店で開催する個展について、このブログに検索してくる人が急増したので、昨日、先生に日程や内容の確認をしようとお電話したのです。さっそく案内ハガキを送ってくださり、内容について即興電話取材をさせていただきました。

 

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 今年のテーマは“希望の詩”。こういう時代だからこそ、観ていただく方に希望を持つ心を大切にしてほしいというメッセージを込められたようです。

 50点ほどの出品作品には、先生がひとこと言葉を添えて展示されるとのこと。・・・松井作品というのは30数年ずーっと変わらない穏やかさを持っていますが、今まさに時代が求めているような気がします。「いつもと変わらない、日常に戻りたい」と吐露されていた被災者の声が甦ってきます・・・。

 

 

 

第16回松井妙子染色画展~希望の詩~

日時/2011年5月11日(水)~17日(火) 10時~19時(最終日は16時30分まで)

場所/松坂屋静岡店本館6階美術画廊

 

 

 

 

 今日は衆議院予算委員会で先日いわき市をご案内くださった吉野正芳さんが質問に立たれています。

 アーティストは作品づくりやパフォーマンスを、技術者は持ち前の知識や現場経験を、農業は安心安全の農産物や加工品を、旅行会社はその時々に応じて楽しめるメニューづくりを、そして政治家は今必要な政策づくりを通して・・・つまり日本人みんなが己の分野と範疇で、スキルと矜持を(いつにも増して)精一杯発揮することが「日本を一つにする」のだと思います。コピーライターもその任をしかと自覚せねば。


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静岡県立美術館『百花繚乱展』

2011-04-28 10:27:44 | アート・文化

 昨日(27日)は久しぶりに静岡県立美術館に行ってきました。この4月、副館長に就任された坂田芳乃さんにお会いするためです。県庁の女性幹部職員の中でも、いつもスマートで物腰が柔らかで、ご本人はお酒がまったく飲めない方なんですが、私の地酒支援活動を長いこと見守ってくださり、『吟醸王国しずおか』のパイロット版試写会にもわざわざ来てくださるなど、とっても頼りになる憧れの“お姉さま”です。

 

 

 坂田副館長をお訪ねする前に、せっかくだからと、開催中の『静岡県立美術館開館25周年コレクション~百花繚乱展』を鑑賞しました。開館してもう四半世紀経つんですね・・・。

 今だから話せますが、一応、大学で博物館学芸員の資格を取ってあったので、開館時、臨時職員に応募して落とされたんですよね、私。ちょうど進路に悩んでいた時期で、履歴書に貼る証明写真もどこか暗くて、当時存命だった祖母が「こんな写真じゃ落とされる、ちゃんと写真館で撮ってもらいなさい」と心配してくれたんです。もちろん、顔写真のせいで落とされたわけじゃないと思いますが(苦笑)、「開館25周年」という看板を見て、ふと、あのときのおばあちゃんの心遣いを思い出し、ほっこりしました。

 

 

 『百花繚乱展』は、県美のコレクションを同館史上最大の出品点数で見せるもので、伊藤若冲の『樹花鳥獣図屏風』、佐伯祐三の『ラ・クロッシュ』などビッグネームの代表作から、県美自慢の西洋風景画コレクション、初展示の現代アートなど、ジャンルを問わずさまざまな作品がいっぺんに揃った“松花堂弁当”みたいな楽しい展覧会でした。

 

 自粛ムードで美術館や博物館の客入りがどこも低調だと言われる中、平日で、お天気も悪いとあって、館内はとても静かでした。が、それだけに一つ一つの作品とじっくり向き合うことができ、作品によっては至近距離で凝視できる展示もあり、時間の経つのを忘れて見入ってしまいました。

 今まで県美のコレクションにあったとは気付かず、今回初めて見たのが『水上の蛍』。個室に入ると、真っ暗な箱の中で無数のカラー電球がぶらさがり、四方の壁はミラー、床には水が敷き詰められていました。・・・想像できると思いますが、カラー電球が宇宙のような空間を創り出しているのです。外からドアを閉めてもらい、中に数分、一人でたたずんでいると、座禅で無の境地になるような錯覚を覚えます。

 

 

 なお期間中は以下のような企画もあります。これからGWのお出かけ場所を探すという方、県美でのんびり感性を磨いてみませんか?

 

4月29日まで・・・ちょこっとだけ〈ドット若冲〉=若冲の画を一人ひとマス描く体験イベント。10時30分~12時30分・13時30分~15時30分。自由参加。

学芸員のフロアレクチャー・・・4月30日、5月1日、3~5日、7日。14時~(各回40分程度)。

ボランティアガイドのギャラリーツアー・・・5月8日。11時~、14時~、15時~(各回30分程度)。

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いわき視察を終えて

2011-04-24 22:39:32 | 東日本大震災

 福島県いわき市の被災現場を訪問してから、ちょうど1週間経ちましImgp4351 た。今日(24日)は午後、友人を誘って、県アートNPO報告書で取材した『清水アートクラフトフェア』に行ってきました。

 全国から集まったクラフト作家さんたちと、雑貨談義に花を咲かせながらの楽しいお買い物・・・。1週間前と同じ、清々しい青空の日曜日。平和でのどかな「いつもの休日」が、いかに尊いものかを思い知らされました。

 

 

 静岡へ戻った17日夜と翌18日は、なんだか頭がボーっとして全身倦怠状態でした。陽子さんも同じだったようです。短時間にあまりにも多くの悲劇と間近に接し、経験したこともない激しい感情の抑揚に、脳内からいろんな物質が分泌し、体中の神経が少々驚いたのかもしれません。

 車で短時間ぐるっと回っただけでこの疲労感ですから、現地で1ヶ月以上、希望の光を見ることなく過ごす被災者の方々、ガレキの中で行方不明者を探す自衛隊や消防・警察の方々、原発事故の作業員の方々の心身の疲労度はいかばかりでしょう・・・。

 

 

 私自身はこの1週間、幸か不幸か仕事があまり入ってなくて、いわき視察レポートの整理・執筆に集中できました。視察内容は、24日朝8時30分から、FM-Hiでオンエアされた『かみかわ陽子のラジオシェイク』の構成台本、この『杯が乾くまで』、陽子さんのブログ『ヨーコとみんなの広場』の3本に反映させてもらいました。

 

 ただ、記事を書きながら、急にボロボロ涙が出てきたり、途中で何度も「下書き」をリセットしたりで、やっぱりいつもの精神状態ではなかったと思います。仕事の連絡は、今、ほとんどメールでやりとりしているので、一日中パソコンに向かって震災の記事や写真と向き合って、誰とも一言もしゃべらない、という日もありました。

 

 

 先週末、親しい蔵元さんから「とくに用はないんだけど、こっちもひと段落したから・・・」と電話をもらい、新酒の出来や鑑評会の話など、とりとめのない話をしているうちに、ああ、これが自分の日常なんだ~と再確認できて、硬直した心身から余計な力がフッと抜けた気がしました。・・・「日常を取り戻す」ってホント、大切なんですね。その蔵元さんはパソコンをやらない人なので、このブログは見ていないし、私が被災地に取材に行っていたこともまったく知りません。それが却って救われた感じ。なんとも絶妙なタイミングで電話をくれた○○さん、ありがとうございました!

 

 6日間連続掲載の視察レポート「福島いわき・ほんとうの被害」。一日も早く、一人でも多くの人に、いわきの被災者の声を届けたいとの一心で、本当に何かに取り憑かれたかのように書きなぐってしまった感傷的な記事でしたが、きちんと読み込んで自身のブログにリンクしてくれた人もいました。『吟醸王国しずおか』の制作パートナーの一人・オフィストイボックスの櫻井美佳さんです。感想コメントの書き込みやリンクをしてくれる方が少ない過疎ブログなので、本当に嬉しかったです。美佳さんありがとう!

 

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 24日オンエアの『かみかわ陽子のラジオシェイク』では、被災現場で感じたことを陽子さんが直接語ってくれました。トーク内容は、陽子さんのブログ『ヨーコとみんなの広場』で私が代筆紹介していますので、よかったらご覧くださいね。

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福島いわき・ほんとうの被害(その6)

2011-04-23 08:46:22 | 東日本大震災

 4月17日のいわき視察。11時から17時まで約6時間、久之浜から勿来までの50キロほどの海岸沿いを走っただけですが、振り返ってライター稼業25年の中で、こんなに重い6時間はなかっただろうと実感しています。

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 訪れたのが桜の季節だったというのも、哀しみを増幅させました。ふつうの年なら、4月中旬の日曜日、絶好のお花見日和だったでしょう。

 

 町はガレキの山でも、桜はちゃんと咲くんですよね・・・。

 

 

 

 

 

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 勿来の手前の植田地区にある植田小学校。今回ご案内くださった地元選出の衆議院議員吉野正芳さんの母校です。地割れした校庭が、 まるで棚田のようになっていました。

 陽子さんと吉野さんが地割れをまたぐようにして歩いて確かめていると、吉野さんの奥さまが「早く戻ってきて、余震が来たら怖いわ」と心配そうに見守っています。

 

Imgp4330 ・・・ここが小学校の校庭だなんて、子どもたちがこの上を駆け回っていると想像したら末恐ろしくなりました。いつも遊んでいる校庭がこんな姿になっちゃって、子どもたちは今、どんな思いでいるのかしら・・・。

 

 

 

 

 

 

 校舎と体育館は3・11では外壁が一部壊れただけなので、教育委員会から使ってもいいと言われたそうですが、校長先生は余震に耐えきれないと判断し立ち入り禁止に。それも道理で、校門から体育館に続く通路はジョイント部分がずれて、体育館のImgp4332軒下も一部地盤沈下しているのがハッキリ確認できました。ふたたび大きな余震が来たら、完全にアウトでしょう・・・。

 

 

 

 

 校門の前の道は所々陥没していて車両は入れません。歩道には八分咲きの桜。その下を、親子連れが散歩に来ていました。就学前と思われる子どもは母親に手を引かれ、無邪気にスキップしていました。ふだんの年なら、お花見しながら「○○ちゃんも早く1年生になりたいね~」なんておしゃべりしていたのかな。

 

 

 

 

 

 被災された吉野さんのご自宅を回ってお見舞いし、次いで4・11のM6弱の余震で崩落した山の急斜面を案内しようとした吉野さんを、奥さまが「今、余震が来たら命がない」と引きとめ、最後の視察地・いわき市勿来地区災害ボランティアセンターへ。

 

 

 今回、陽子さんは静岡茶、静岡市小坂産のスルガエレガント30キロ、うなぎパイ10箱、後援会事務所の女性スタッフ手作りのラスク、マーマレード、オレンジオピール等を差し入れ用に持参しました(私と、もう一人の同行者Iさんは荷物持ちも兼務してました)。

 

 この日の登録ボランティアさんは150人ほど。うかがったときはみなさん外で活動中で、事務所にスタッフが数人残っているだけでした。施設長は地元の産婦人科のドクターだそうです。

 

 

 

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 陽子さんと私で持参したキャリーケースをパカッと開けると、ケース一杯のスルガエレガント! 前日に山で刈ったばかりだそうで、みずみずしいオレンジの香りが事務所中に広がり、スタッフのみなさんは歓声を上げて喜んでくれました。

 

 

 

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 プレハブ事務所の外には、「いわき市4月17日12時現在の放射能測定地0.33μsv」の表示。一見、どれくらいの線量なのかピンと来なかったのですが、夜、静岡へ戻ってネットニュースを見たら、同じ日に原発20キロ圏内に入った枝野官房長官が、完全防備で屋外に5分間滞在し、線量は0.5μsvだったと知りました。

 

 

 ちなみに静岡市では過去0.0281~0.0765μsvという変動幅(静岡新聞より)なので、ひとケタ多いのは確かですが、0コンマ以下のμsvなら健康への影響を心配することはありません。でも、テレビで大きく紹介されるのは白仮面で完全防護服の枝野さん。普段着で懸命にガレキと格闘し、日常を取り戻そうと努力しているいわき市民やボランティアさんたちの映像は流れないでしょう。

 

 もちろん、政府の要人が20キロ圏内に入るのだから、防護服は必要必然なのでしょうが、あんな緊迫感ある姿ばかり見せつけられたら、原発周辺の町もしくは福島県全体があんな状態だと誤解する人は少なくないと思う。海外で日本渡航をキャンセルする人は、あれが日本全体の状態だと思い込んでいるかもしれません。・・・映像メディアは、その影響力をきちんと「想定」して発信してほしいと思いました。

 

 

 

 

 静岡へ帰ったその日の夜、いわき市は震度4の余震に見舞われました。昼間、久之浜で「今日から我が家で暮らす」と気丈に語ったご夫婦、薄磯のガレキの上に置かれた名前入りのトロフィー、植田小学校の地割れした校庭などが真っ先に目に浮かんできました。

 

 「4・11のM6弱の余震で、水道が再び止まり、山崩れで3人亡くなった。復旧への意欲がくじけそうになった。余震だけは勘弁してほしい」と嘆く吉野さんや、山崩れ現場の視察を引き止めた奥さまの怯えた表情を思い返し、いわきの人々は今も大震災と戦っているんだ、私は戦地へ行って来たのだと深く深く噛みしめました。

 

 

 歴史が好きで、書くことが好きで、友人から「マユミちゃんの前世は江戸の瓦版屋の早筆師に違いない」なんてからかわれたこともある私ですが、まさか生きているうちに、世界の歴史教科書にも載るような大災害の地を取材するなんて夢にも思いませんでした。

 このような機会を与えてくださった上川陽子さん、一日、丁寧にご案内くださった吉野正芳さんご夫妻に、心より感謝いたします。

 

 この6時間は今まで経験したことのない、ものすごい時間でしたが、取材活動として見たらほんの序の口。せっかくご縁をいただいたいわき市です。これから何年、何十年とかかる復興の歳月を、現役ライターでいられる限り、しっかり見守っていきたいと思っています。

 

 

 


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福島いわき・ほんとうの被害(その5)

2011-04-22 08:30:59 | 東日本大震災

 今日は最初にちょっとコマーシャルを。今回、私が上川陽子さんの福島県いわき市視察に同行したのは、4月24日(日)朝8時30分~9時まで、FM-Hi(76.9 シティエフエム静岡)でオンエアされる『かみかわ陽子のラジオシェイク』という新番組の取材の一環でした。

 この番組は、陽子さんが日本や世界で起こっている気になるニュースや社会問題を、地元静岡の身近な例にたとえながら、おしゃべり解説したり、地域の話題をカジュアルトークする番組(になる予定)です。私は構成作家兼聞き役としてお手伝いします。

 24日の第1回目は、いわき視察のエピソードを中心にお話します。初回のテーマとしては非常に重いのですが(ホントは4月の入学式や母校の思い出など、季節感のある明るい話題を予定していたんです)、今は避けて通れません。

 毎月第4日曜の同時間にレギュラー放送の予定です。76.9の受信エリアの方はぜひお聴きください。 

 

 

 

 さて、いわき市の小名浜漁港の周辺に来たら、景色がImgp4313一変しました。大きな港湾施設のほか、石油や石炭火力関連施設、日産自動車、呉羽工業、旭化成系の製塩会社「新日本ソルト」等の大規模生産プラントが林立しています。

 船が横倒しになっている光景を見物に来る人が多いらしく、巡回パトカーが「関係被災者以外はむやみに入らないでください」と拡声器で叫んでいました。

 

 

 テレビ報道でよく見た、丘で干上がったような船の数々。ひと月以上、このままの状態なんですね・・・。Imgp4314

 

 

 小名浜港から少し南の高台にあるゴルフ場は、奇跡的に被災をまぬがれ、なんと震災の翌日(3月12日)から通常営業をしたそうです。高台で津波が来なかったというのはわかるけど、大地震でライフラインにダメージがあったはず・・・。詳しく聞いたわけではありませんが、たぶん自家発電を完備した、鉄壁の自己完結施設だったのでしょう。

 さすがに12日のお客さんは1組、13日は3組だけだったそうですが、日本中が自粛自粛で金縛り状態になったときに、ここ、いわき市で、「いち早く日常に戻る」という強い意志を示されたオーナーとゲストの判断は潔いと思いました。

 

 

 Imgp4320 次いで訪れたのは、常磐共同火力勿来発電所近くの川田という海岸でした。防潮堤がこのように無残な状態で、その先にあったはずの中州が完全に地盤沈下して、海岸線が陸側に押し寄せていました。

 

 

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 横倒しでむき出しになった堤防の床断面は、まるで石コロを土で固めただけの岩の塊。これじゃぁ、とてもじゃないけど津波は防げないって、素人目にも理解できます。

 

 

 

 川田海岸には、前回記事で紹介した、江名の水産加工業夫妻の奥さまの実家(材木会社)があったそうですが、工場は跡形もありません。奥さまのご家族や会社の社員は無事だったものの、海岸一帯で11人が亡くなりました。

 

 

 会社が残っても復興の道は厳しいようです。放射能の風評被害で、魚や野菜ばかりでなく、木材や工業製品まで、“福島産は放射能がかかっているから”と取引拒否をされたり、いわきナンバーの車両で来ないでくれと言われることも。ネット上の噂ばなしかと思ったら、どうやら本当のことのようです。

 

 ここへ来る前、一夜漬けながら静大サイエンスカフェの講座で放射能の基礎知識を頭に入れておいたおかげか、冷静を装い、「無知な人が多いもんだ・・・」な~んて上から目線で聞いていたんですが、だんだん腹が立ち、言いようもない虚無感に襲われました。差別の根源である原発事故にはもちろん、差別発言をする人や差別を払拭できない情報機関・マスメディアにも腹が立つけど、直接こうして風評被害に遭っている人を目の前にしながら、自分はあまりに非力です・・・。

 

 

 

 いわき市は、大震災のちょうど一ヶ月後の4月11日に、M6弱の余震に襲われ、せっかく水道が97%まで復旧していたのに45%に逆戻りし、17日当日も一部で断水状態が続いていました。

 

 

 Imgp4329 ちょうど常磐共同火力勿来発電所の近くのコンビニ駐車場で、自衛隊の給水車を見かけました。群馬からやってきた部隊だそうです。

 

 コンビニは通常営業しているのに、その横で自衛隊員が給水活動している・・・。震災ニュースを見慣れてしまった身としては、さほど驚く光景ではありませんでしたが、よく考えてみると、自衛隊の方々が、日常の街角で作業しているってちょっと異様ですよね。

 

 

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 災害派遣された自衛隊員が、「自分たちが歓迎され、感謝される時というのは、日本人が不幸のどん底にいる時」と語った・・・そんなニュースをふと思い出しました。

  

 

 

 ひと月経っても、生きるために最も必要な「水」が足りない・・・。そのこと一つとっても、この震災の甚大さがよく解りました。(つづく)


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