杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

介護学習直前詰め込み

2016-01-30 15:14:06 | 社会・経済

 介護ヘルパー初任者研修の試験が明日に迫り、教科書を必死に読み返しているものの、ちっとも頭に入ってきません 前回に引き続き、書き起こしインプット作戦です。

 

高齢者の性格分類/ライチャードの類型論

 私は大家族の初孫として生まれたので、幼い頃から大人の顔色を見るのに慣れていて、年上の人とのコミュニケーションは比較的自然に出来ると自負してきました。取材やインタビューの仕事は自分に向いているとも思ってきましたが、振り返ってみると、年配の取材対象者で気難しく、近寄りがたく、うまく対話ができずに終ってしまったという経験も多々あります。こういう心理学を学んでおけば少しはよかったかなと思えたのが、アメリカの心理学者スザンヌ・ライチャード(Suzanne Reichard)による高齢者の性格分類。高齢期の性格を以下の5つに分けています。

 「成熟型」・・・過去を悔やむことなく、未来を悲観的に考えない未来志向型の高齢者。他者を非難することもなく柔軟で積極的で、毎日が充実して生きられる適応型タイプ。

 「安楽椅子型」・・・成熟型よりは消極的。自分から社会に関わるというよりも誰かに何かをやってもらいたいタイプ。家で穏やかに暮らすことを望む適応型タイプ。

 「装甲型」・・・老いに抵抗する自己防衛型の高齢者。「若いもんには負けんぞ」とムキになるタイプ。仕事し続けることによって老いへの不安を解消しようとするが、現実と自分の思いにギャップが大きくなると不適応を起こす。

 「憤慨型」・・・外罰型とも呼ばれ、さまざまな挫折や失敗を他人のせいにし、自分を守ろうとする。欲求不満に対する耐性も低い不適応型タイプ。

 「自責型」・・・内罰型とも呼ばれ、自分の卑下し、挫折や失敗を自分のせいにする。抑うつ的になる不適応型タイプ。

 取材しづらかった人のことを振り返ってみると、確かに「装甲型」「憤慨型」に当てはまるかな・・・なんて思いますが、高齢者全てがこの5つにきっかり分けられる、というものではなく、複数のタイプを併せ持ったり、状況によって変化することもあります。もともとの性格から来ているものもあるでしょう。自分は時折「自責型」のようにウジウジ落ち込むことがあるので、気をつけようと思います。

 高齢者の性格の特徴としては、若い頃よりも社交性は減少するが、協調性と誠実性は上昇する。一方で、「疑い深い」人のほうが長生きするそうです。適度の疑い深さは、人の言いなりになったり他人の意見にひきづられたり、騙される、特殊詐欺に合う等の防止につながるから。・・・なるほどなるほど、面白い指摘ですね。

 

 

インテグレーションからインクルージョンへ

 “統合”を意味するインテグレーション(integration)の考え方は、ノーマライゼーションの観点から保育や教育現場にも浸透し、障害者が健常者と一緒に学んだり、生活をともにする機会が増えました。でもカタチだけ一緒に平等に、でOKというわけにはいかない。障害があるなしにかかわらず、すべての人々を包み込む環境の中で、一人ひとりの個別ニーズに応じた支援を行なうというのが、インクルージョン(inclusion)の考え方。障害者福祉の分野においてはこちらの考え方が主流になりつつあるそうです。一人ひとりにきめ細かく・・・となると、介護者にもより高い専門性が必要になりますね。これって福祉に限らず、さまざまなサービス事業で多様化する顧客ニーズにきめ細かく対応するビジネスに必要な観点でしょう。

 

 

ボディメカニクスの7原則

 介護職の人の多くが腰痛に悩まされているという話をよく聞きます。腰痛の主な要因は①動作要因(無理な姿勢)、②環境要因(滑りやすい床面や段差など)、③個人的要因(年齢や既往症や基礎疾患など)、④心理・社会的要因(職場での対人トラブル、過度な疲労など)が考えられます。それぞれに対処方法が考えられますが、大前提となるのがボディメカニクスへの理解。

 ボディメカニクス(骨格・筋肉・神経・内臓などを中心とした身体の動きの仕組み)の7原則とは、①支持基底面を広くする(安定した両足の位置)、②重心の位置を低くする、③重心の移動をスムーズにする、④重心を近づける、⑤てこの原理の利用、⑥利用者の身体を小さくまとめる、⑦大きな筋群を使う。・・・慣れないうちは時間がかかると思いますが、利用者にとって安全かつ楽な姿勢での移動、利用者が持つ力を引き出し、生かすという視点を忘れないようにしないといけませんね。いずれにせよ、ご家庭で介護をされている方にも役に立つ知識だと思います。

 

 

エンゼルケア

 私は祖父が自宅で息を引き取る瞬間に立ち会うことができました。かかりつけの主治医が臨終に間に合ったので、事なきを得ましたが、もし家族やヘルパーだけのとき、呼吸が停止するという事態に至ったら、すみやかに主治医を呼ぶ。動転して119番をしたりすると、救急隊が到着した時点で明らかに死亡していたら警察に通報され、不審死扱いになり、検死という手順を踏むことになる。たいへんなオオゴトです。

 施設ではそのような心配はありませんが、ご家族が到着するまで時間がかかるようなら、寝具を整え、顔をきれいにし、居室内をかたづけるなど“お別れの時間”のための準備をします。これをエンゼルケアというそうです。

 具体的には①器具(医療用カテーテルなど)の除去、②体液や排泄物が漏れ出ないための処置、③褥瘡などの傷を保護する手当て、④身体を清潔にするためのケア、⑤その人らしい外見に整えるケア。こういうことを、長くお世話していた利用者さんに対し淡々と行なう。これは介護職にとっても少なからず心に負荷がかかるものではないかと想像します。【そんなときは一人で抱え込まず、関わったスタッフ同士で話しをする。同じ施設でともに暮らしてきたほかの利用者さんにも、無理に隠さず、お別れの声をかける機会を設けるなど配慮をしましょう】と教科書にありました。・・・あらためて介護職とは、人の死と隣り合わせの仕事であり、人を理解し、人とつながる価値を見出すため、己の力をうちから搾り出す仕事であると実感します。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一夜漬け介護学習

2016-01-28 09:45:18 | 社会・経済

 広報のお手伝いをしているNPOのお誘いで、昨年10月から週一で受講してきた介護ヘルパー初任者研修が、今月末ようやく終了します。・・・といっても試験に合格しないと卒業できないんですけどね。今、にわか試験勉強中で、初めて聞く介護の専門用語をどうやって覚えようか四苦八苦。私の場合、とにかく書き起こすことである程度、脳内整理できるので、ここで忘れそうな専門用語をインプットしておこうと思います(現在、介護職に就かれている方にはタイクツさせる内容ですがお許しください)。今の日本の介護って欧米のやり方を導入しているので、やたらカタカナ用語やアルファベット省略用語が多いんですよー  

 

ICF、ICIDH

 超苦手なアルファベットの省略用語。介護の現場でホントに使ってるんですか~??って訊きたくなるけどで、すごーく大事な「介護」の考え方の指針のようです。ICIDH(International Classification of Inpairments.Disabilities and Handicaps)とは、1980年に世界保健機関WHOが示した「障害」レベル。機能形態障害、能力障害、社会的不利の3レベルで分け、環境や個人の努力によって障害がもたらす影響は変わるんだって点があまり考慮されておらず、“できない面”を強調するネガティブな考え方のようです。この考えだと障害を持つ人=できないことが多い人=何でも助けてやらなきゃならない対象って上から目線の介護になっちゃうわけです。

 2001年にWHOが新しい国際生活機能分類として示したICF(International Classification of Functioning)は、障害を生活機能に関する問題ととらえ、“できる面”を強調します。この考えだと、少しでもできることがあるなら自分でやってもらおう=一緒にできることがないか考え、増やしていただこうという介護になるわけです。今はこちらが主流。専門的にいえば、障害をプラスの面から見て、背景にある環境因子や個人因子の観点を加えたノーマライゼーションの考え方、ということになります。ノーマライゼーション(高齢者や障害者が普通の人と同じように普通に生活できるようにすること)はバリアフリーと同意語として認識していましたが、やっぱり介護の思想の核となるキーワードだったんですね。

 

 

ADL

 これもホントに現場で使ってるのかなーと思ったら、視察した施設の職員さんがわりと使ってました。ストレートに意味が伝わる言葉より、職員にしかわからない言葉のほうが現場では(利用者さんへの配慮から)使いやすいってこともあるのかなと思いました。

 ADL(Activities of Daily Living)とは、食事、排泄、整容(着替え・洗顔・歯磨き・整髪など)、移動、入浴など日常の基本動作全般を指します。身体介護とは、ADLに支障がある人に対して行なう介護、ということになります。

 

 

バイタルサイン

 これも一般には耳馴染みのない言葉ですが、介護現場ではよく聞く、数値化できる生命サイン=体温、脈拍、血圧、呼吸のこと。体温は腋窩検温法(わきの下に体温計をさす)、口腔検温法(体温計を口に加えて測る)、直腸検温法の3つあり、脈拍は橈骨動脈(手首の親指付け根あたり)に人差し指・中指・薬指の3本を並べ、1分間測定(通常1分間に60~100回)。血圧は血液が血管壁に与える圧力のことで、バイタルサインの中でもとくに重要。低い値で70~80mmhg、高い値で120~130mmhg。 呼吸は健康な成人の安静時、1分間に12~20回。これらは一般常識として覚えておかなければいけませんね。

 

 

エンパワメント&ストレングス

 “個人が自分自身の力で問題解決できる能力”を意味するエンパワメント(Empowerment)って一般にも使う英単語だけど、介護分野では自立支援方法を意味します。そのために個人の内にある強さ=ストレングス(Strength)を引き出す。その人がもともと持っている意欲や能力、可能性、志向を活かす支援方法を考えようというわけです。ふと、坐禅のときに唱える白隠さんの「坐禅和賛」の冒頭【衆生 本来 仏なり・・・誰もが仏性を持っている=仏になれる力や可能性がそなわっている】という素晴らしい人間賛歌を思い起こしました。高齢者や障害者を介護するって先に希望を持てない仕事のように勝手に思い込んでいましたが、浅はかな思い込みでした・・・。

 

 

バイスティックの7法則

 英単語にありそうな響きですが、アメリカの社会福祉学者Felix P.Bistek が提唱した介護職の相談援助の基本原則のことだそうです。①個人として尊重する、②自己決定を促し尊重する、③あるがままの気持ちを受け止める、④相手を一方的に非難しない、⑤自分の感情を自覚しながら関わる、⑥相手の感情表現を大切にする、⑦秘密を守って信頼関係を築く。・・・これって何も介護職に限ったことではなく、すべての人間カンケイづくりに共通するマナーですよね。

 

 

レスパイトケア

 これも介護の教科書で初めて知った単語です。自宅で高齢者や障害者をお世話しているご家族のケアのこと。一時的に介護生活から離れてもらい、リフレッシュしていただくための代替サービス。ショートステイ等が該当します。1976年に始まった心身障害児(者)短期入所事業がきっかけで、当初は家族の病気や事故等の事情がなければ利用できなかったそうですが、今では介護疲れといった理由でもOKです。

 私自身は介護の実体験はありませんが、もし介護職に就いたら、心して臨まなければならないのが、ご家族との関わり方だろうなあと想像します。教科書には【介護職が認知症の人に「わかる?」とか、「Fさん、だれだかわかる?」と言ったとすると、聞いている家族は傷つく】とありました。認知症の人に「わかる?」と聞くこと自体間違っていると。認知症の人はわからないことに不安を感じ、家族はそのことに大きな苦悩を抱えている。そういう気持ちを思いやり、「Fさん、娘さんですよ」とサラッと言えばよいと。この仕事は心理学やコミュニケーション能力をしっかりわきまえたプロの仕事だなと実感させられます。

 

 

BPSD

 認知症には、ほとんどの患者さんに共通して見られる中核症状=記憶障害、判断力低下、見当識(時間・場所・人物の認識)障害、失語、失行、実行機能障害等と、行動・心理症状を意味するBPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)があります。BPSDは1996年の国際老年精神医学会で合意された呼び方だそうで、それ以前は「問題行動」とか「行動障害」といった捉え方をされていました。問題行動って言い方は、介護する人にとって手を煩わせる問題だというニュアンスだし、行動障害と言う言い方も、障害は基を正せば行動ではなく認知機能にあるのだから適切ではありません。

 BPSDには行動症状(徘徊、攻撃性、不穏、焦燥、不適切な行動、多動、性的脱抑制等)と心理症状(妄想、幻覚、抑うつ、不眠、不安、誤認、無気力、情緒不安定等)があり、不適切なケアや環境によって悪化させることも。対処方法としては薬物療法のほかに生活環境を工夫したり、心理学的アプローチで症状が低減・軽減するケースもあるようです。ドラマやドキュメンタリー等で時々見る、回想法、音楽療法、バリデーションセラピー(認知症の人にとっての現実を受け容れたコミュニケーション方法)、アニマルセラピー、園芸療法、化粧療法等ですね。現在、このようなプログラムを導入しているのは全国のグループホームの97,7%に達しているそうです。

 

 

マズローの欲求の5段階

 人は誰しも齢を重ねると、見た目の変化、運動機能の低下、自己調整機能(体温調整や免疫機能)の低下、回復機能の低下と、「低下」のオンパレードにさいなまれます。私も時折、自分の親に「頑固」「わがまま」「自己中」「子どもみたい!」とカッカすることがありますが、これも加齢による身体変化が心に影響するから。さらに介護が必要な年齢になると、人生で積み重ねてきた能力や社会との関わりが衰退し、障害を背負うことで自己概念が崩壊するような喪失感を味わうこともある。介護職はこうした心身の変化を理解しなければ冷静で適切な介護はできないといわれます。その適応行動の指針になるのが、人間性心理学の設立者といわれるアメリカの心理学者A.H.マズローの「5段階欲求」。自己実現論やモチベーション向上の法則等で知られています。

 5段階とは①生理的欲求(息をする、食事をする、排泄する、寝る等=人間の本能的な欲求)、②安全欲求(危険、障害、苦痛を避けたい)、③所属欲求(家族、社会、組織の一員として認められたい)、④自尊欲求(自分の価値を認められたい)、⑤自己実現欲求(自分の能力を最大限に高め、発揮したい=知的生命体である人間の究極の欲求)。介護とは違いますが、もし自分が地震や水害等で九死に一生を得て避難所に長期滞在することになったら、こういう心理変化を経験するだろうと想像しました。仏教では、このように欲求を向上させていくことが苦しみにつながるゆえ、欲を棄てよと教える。今でもテレビなんかで、②や①の本能的な欲求にさえ抗って命がけで荒行をする僧侶の様子が紹介されますが、それもこれも、棄てたくても棄てられない人間にこびり付いた欲求だからでしょう。自分もそうだし、高齢者も介護を必要とする人もおなじ人間。その視点を忘れないためにも、こういう知識を持つことは大事だな、と思いました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆとり庵の炊きたてご飯モーニング!

2016-01-22 16:17:13 | 農業

 1月17日(日)~18日(月)、藤枝市主催の【藤枝の地酒蔵元と語る!吟醸旅籠2016】というイベントに参加しました。首都圏在住者を対象にしたシティプロモーション事業の一環で、私が以前お手伝いした県の地酒プレスツアー(こちらこちら)の一般版、という感じなのかな(実際参加されたのはIT関係者やブロガーさんが多かったみたいですが)、今回のサポーターである藤枝市場の渡部晋さん&ときわストア後藤英和さんから、冷やかしに来てと誘われて、17日夜の岡部宿大旅籠柏屋でのお泊り宴会から参加させてもらいました。今は国の登録文化財である柏屋に泊まれるなんて滅多にない機会だし、モーニングはゆとり庵の炊きたてご飯だと聞いて馳せ参じたのでした。

 

 柏屋での交流会では、講談師の田辺一邑さんが新作書下ろしの『家康の最期』を披露され、「初亀」「杉錦」「志太泉」の蔵元が地酒の紹介を、焼津酒米研究会の榊原会長と松下明弘さんが酒米の紹介をし、なんやかんやで午前2時ぐらいまでワイワイ飲み明かしました。私が寝たのは、柏屋のちょうど入口の受付がある土間だったので、目の前の街道は障子と雨戸1枚隔てただけ。折からの風雨で夜通しガタガタ揺れ、熟睡は出来ませんでしたが、現存する数少ない江戸時代の街道旅籠ですから、江戸の旅人気分を疑似体験したようなもの。障子一枚でも閉めれば暖かいんだなあと再発見できました。イベントの様子は参加ブロガーさんがUPしていますので、こちらをどうぞ。

 

 私が一番楽しみにしていたのは、モーニングのゆとり庵さんでした。昨年制作したJA静岡経済連情報誌【スマイル】のお米特集で、初めてじっくり取材させてもらい、もともと好きだった白いご飯がますます好きになり、地酒本【杯が満ちるまで】にもその思いを投入できたきっかけのお店。久しぶりにお会いした店主植田さんに「県外からもスマイルを読んだというお客さんが来てくれましたよ」と喜んでいただき、ホッとしました。

 この朝いただいたのは、磐田産きぬむすめ。2~3時間しか寝てなくて酒も完全に抜けていないというのに、朝からガッツリ2杯お代わりできました。お土産にいただいたきぬむすめのおにぎりを、夕飯に食べたときも、「美味しいお米は冷めても美味しいなあ」としみじみ。スマイルでとくに力を入れて取材した「きぬむすめ」や「にこまる」をふだんも食べているのですが、「日本に、美味しくない米なんて存在しない。どんなふうに食べてもらうか、きちんと考えればいいだけのこと」とおっしゃった植田さんの言葉が身に沁みました。日本酒もそうですね。今の日本に、美味しくない酒なんて存在しない。どんなふうに飲んでもらえばいいのかを考えればいいんだ、と。美味しい米や美味しい酒が日常的に口に出来るようになったのは、ごく最近のことで、思うように米を栽培できない歴史があって、先人たちの苦心の賜物の末、ふつうに食べられるようになったんだ・・・そんな感謝の思いを忘れないためにも、障子一枚で雨露をしのげる旅籠宿泊体験は意味があったと自分に言い聞かせました。

 

 スマイルの表紙にもなった「ゆとり庵」さんの紹介記事を再掲しますので、ぜひご笑覧ください。

 

 

「心にしみるごはんの味」を炊き上げる

釜炊きごはん工房 ゆとり庵(藤枝市岡部町岡部)

 

旧東海道岡部宿の面影を今に伝える大旅籠柏屋のそばにある『釜炊きごはん工房ゆとり庵』。店主の植田稔雄さんは「ふじのくに食の都仕事人」としても知られるごはん炊き職人です。植田さんが丹精込めて土釜で炊き上げたごはんからは、産地や銘柄の“顔”が見えてくると評判です。

 ◇

 ゆとり庵の看板メニューはずばり「ごはん」。暖簾をくぐると、店頭のショーケースには、おにぎりやいなりずしがズラリ。その上のお品書きには、ごはんの品種と産地が、居酒屋メニューのように紹介されています。ショーケースの横には店で使用する萬古焼きの土釜が飾られ、奥には個室が2つあって、予約客には目の前でごはん炊きを披露し、炊きたてごはん御膳をふるまいます。常時10~12の品種から、お好みの、あるいは植田さんお勧めの品種をオーダー。あつあつ、ふっくら、おこげも頼める釜炊きごはんは、まさに「おかず要らず」の逸品です。

 ◇

 2002年の開店時、「ごはんだけでよく勝負できるな」と周囲の料理人から驚かれたという植田さんは、山口県下関出身で、鉄道会社に30年勤務した異色のキャリアの持ち主。サラリーマン時代の愉しみは、出張先で郷土料理を味わうこと。「美味しい料理は数あれど、美味しいごはんに出合えない」のが不満だったそうです。「料理人の世界では、ごはん炊きは皿洗いのひとつ上ぐらいの下っ端仕事のようだが、ごはん炊きは、味付けで誤魔化せない高度な職人仕事ではないか」と思い続けてきました。

 三重県四日市市で営業所開設業務を担当していたとき、萬古焼きの土釜に出合い、自分で炊いてみたところ、試行錯誤の上、理想の釜炊きごはんに近づくことができた。それは「どんな高級炊飯器でも出せない味だった」と植田さん。この感動が原動力となって、約3年後、独立開業しました。「街中よりも田舎がいい。でも多くの人にごはんの美味しさを伝えるなら、田舎すぎないところがベター」と考え、出合った岡部の物件は、たまたま仕事で地縁があった土地に、昭和2年頃、建てられたという古民家。「親戚の家でくつろぐような気持ちになれる」と、店名も『ゆとり庵』にすんなり決まりました。

 プロの料理人が敬遠してきたとおり、ごはんを炊くという作業はシンプルゆえにごまかしが効かない奥の深い職人技。開店13年目の今も、植田さんは「満足できるのは年に数回しかない」と謙虚。「日本に、美味しくない米など存在しない。どういうふうに食べてもらうか、コツをきちんと考えればよいだけのこと」と県内~全国から厳選する米と向き合う日々です。

 ごはんは日本の主食。といっても日本人が生涯で食べる米の品種はごく限られますが、ここでは数種類の品種をすべて同一価格で味わうことができます。価格等の先入観を持たずに味わえば、本当に自分の口に合う米と出合えるはず。名人の手ほどきで、ごはんというシンプルな味の懐かしく新鮮な発見を愉しんでみましょう。

  

 

(料理紹介)

ゆとり庵では毎日、【日替わり食べくらべ3種】のごはんを塩むすびで販売。ごはん炊きに約1時間の浸漬時間を要するため、食事は要予約。土釜をテーブルの上に設置し、目の前で炊き上げてくれます。白米ごはん炊き御膳、たけのこごはん炊き御膳、金目鯛ごはん炊き御膳等、メニューはさまざま。白米ごはん炊き1620円~。

 

(店主紹介)

「おにぎりの味なんて皆一緒だろう?」と言いながら食べてびっくりした壮年男性。食事がとれず衰弱する一方だったおばあちゃんが亡くなる直前「ゆとり庵のおにぎりを食べたい」と言って完食し、今はご家族が墓前にお供えしているご近所さん。「子どもにこの味を覚えさせたい」という若いお母さん。そんなファンに囲まれ、植田さんは「心にしみるごはんの味」を伝えたい、と真摯に語ります。

 

■釜炊きごはん工房ゆとり庵

藤枝市岡部町岡部839-1 TEL 054-667-2827

営業時間 9時~14時 火曜定休  *食事は要予約。夜の予約可。

                <JA静岡経済連情報誌スマイル53号 静岡のお米特集(2015年6月発行)より>


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー第1弾

2016-01-12 19:20:46 | しずおか地酒研究会

 1996年に発足したしずおか地酒研究会は、今年20周年の節目を迎えました。長いようであっという間の20年でした。

 発足のきっかけは、前年1995年11月に開催した静岡市立南部図書館食文化講座『静岡の地酒を語る』。静岡酵母の河村傳兵衛先生と静岡県酒造組合専務理事の栗田覚一郎先生が、おそらく初めて、一般市民を対象に静岡吟醸について語った講座で、終了後も「有料でもいいから続けてほしい」という声をいただき、ちょうど20年前の1996年正月、家のコタツでチビチビ呑みながら、独りであれこれ妄想していました。妄想の成果が、以下にまとめた発足趣意書です。

 

 水に恵まれた静岡県は、近年、日本酒の分野で日本の最高水準の酒を生んできました。昭和61年の全国新酒鑑評会では出品酒21点のうち10点が金賞、7点が銀賞に選ばれ、入賞率で全国1位になるなど、静岡の地酒は全国的に評価が高まっています。しかしながら静岡の地酒の消費量は、県内で飲まれる日本酒のうちのわずか18%足らず。地酒のよさを知る人はごく一部に限られているのが現状です。日本酒の消費そのものがビールや低アルコール飲料の台頭で落ち込む今、この18%という数字を上げるためには生産者や販売者の経営努力のみならず、消費者の、優れた地場産品を支援する意識の高揚が大切ではないかと思われます。

 洋の東西を問わず、成熟した文明圏には相応の酒文化があるといわれています。地酒とは、その土地の文化レベルを示す顔。静岡に、レベルの高い酒造技術が育っている今こそ、これに“文化の香り”を醗酵させ、熟成させる好機ではないでしょうか。そのためにもまず、酒の業界の皆さんと、地域社会や文化を担う県民の皆さんとの枠を超えた交流から始めたいと思うのです。

 「しずおか地酒研究会」は、地酒の素晴らしさに感動し、地酒によってふるさと静岡のよさを再認識した人々でたちあげる、手作りの研究会。これまで接点が限られていた造り手・売り手・飲み手の交流の場として有機的な活動を、そしてさらに、着実に地酒振興につながるような運動に発展できればと思います。

 ある造り手から「酒を、人を感動させる芸術品を創るような気持ちで造っています」というお話を聞きました。まずは、勉強会や交流会を通して、地域の人々が、このような真摯な思いを受け止める感性を磨く機会を広げようと思っています。

 

地域の皆さんに向けて/品質の高い静岡の地酒のよさを、一人でも多くの県民に伝え、地元の食文化として発展させよう。

→地酒のよさを通じて、ふるさとの食の豊かさを知る。

→地元の産物を見直し、ふるさとを誇りに思う気持ちを育て、後世に伝える。

 

酒の業界の皆さんに向けて/地酒の選び方、売り方、紹介の仕方などを考え、地場産品として市場に円滑に循環される環境をサポートしよう。

→飲み手主体の地酒啓蒙活動を行い、顧客サービスや新規開拓に活用してもらう。

→日本酒ファンの底辺拡大のため、潜在的消費意欲の高い20代~40代に向けた商品開発・販売促進ができる素地を整える。

                                                                            (1996年3月 しずおか地酒研究会発会のしおりより)

 

 

 今、読むと、業界事情をよく知らない素人が、言葉足らずを省みず、盛大に打ち上げたまさに妄想花火だなあと恥ずかしくなってきますが、1996年3月の発会式には100名を超える方にお集まりいただきました。会場の静岡県男女共同参画センターあざれあの生活関連実習室では、当時、静岡新聞出版局で「旬平くん」という地域食情報誌を編集していた平野斗紀子さんのコーディネートで、静岡市の農家女性グループがとれたて野菜をその場で調理し、当時売り出し中の御殿場金華豚のしゃぶしゃぶも加わり、地酒と地域食のコラボを存分に楽しむことが出来ました。20年前は「地産地消」とか「コラボレーション」なんて言葉は一般的ではなかったように思いますが、地酒の取材を続けていると、自然にそういうつながりが生まれてくるんですね。

 1996年3月22日に開催された発会式の懐かしい写真です。当時34歳の私めもロン毛でパツンパツンの顔してますが(笑)、皆さんもお若いっすね~!

 

 

 

 

 巡りめぐって20年経った2016年の正月。コタツはなくなったけどデスクに酒瓶をドンと置いて、20年のお礼、本の出版のお礼をするには、初心に戻ってガツガツ活動するしかないと妄想リターンしてました。20年前と大きく変わったのは、静岡地酒の認知度と、造り手や売り手自身が積極的に活動していること。地酒研はひとつ役割を終えたかなあと、嬉しくも寂しくも感じますが、今年とにかく、3月に20年の記念イベントを、4月以降も毎月何かしらのサロンやワークショップをやろうと腹をくくり、現在、鋭意調整中です。

 

20年アニバーサリー第1弾

記念講演会 「造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代(仮題)」

 20年アニバーサリー第1弾は、1996年から20年欠かさず、講師として来て下さった松崎晴雄さんに講演をお願いしました。松崎さんはご存知、日本を代表する酒類ジャーナリストであり、全国各地域の清酒鑑評会審査員を務め、日本酒の海外振興のトップランナーとしてもご活躍中です。

 今年は昭和61年(1986)に静岡酵母による全国新酒鑑評会大量入賞から30年という節目にもあたります。松崎さんには日本酒業界の30年を振り返り、飲み手目線で始めた地酒振興活動について、大所高所から解説していただきます。会場は20年前と同じ「あざれあ」です!

 当日は静岡県清酒鑑評会審査会が県沼津工業技術研究所で開催され、即日結果発表されます。鑑評会主催の静岡県酒造組合会長・望月正隆さん(「正雪」蔵元)にもお越しいただき、松崎さんと大いに語っていただこうと思っています。一般の飲み手から、プロのきき酒師まであらゆる地酒ファンが今、傾聴すべき最新かつ最良の静岡地酒論。ぜひふるってご参加ください。お待ちしています。

 

■日時 2016年3月15日(火) 18時45分~20時45分  *終了後、「湧登」(静岡駅南銀座)にて二次会を予定しています。会費実費。

 

■会場 静岡県男女共同参画センターあざれあ 4階第一研修室  http://www.azarea-navi.jp/shisetsu/access/

 

■講師 松崎晴雄氏(日本酒研究家・日本酒輸出協会理事長・静岡県清酒鑑評会審査員)

      望月正隆氏(静岡県酒造組合会長・「正雪」神沢川酒造場代表取締役)

 

■会費 1000円

■定員 60名 *定員になり次第締め切ります。

■申込 しずおか地酒研究会事務局(鈴木) mayusuzu1011@gmail.com

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福BOOK袋で徒然草

2016-01-07 20:07:04 | 本と雑誌

 年明けの静岡県立図書館で『お楽しみ福BOOK袋』というのを見つけました。図書館員さんがテーマごとに3冊選び、福袋に詰めてタイトルが分からないようにして貸し出すそうで、私が行ったときは残り少なかったんですが、袋の添え書きに【私は「古典に興味があるけれどちょっと自信がない方に読んでほしい本」をセレクトしました】とあった福BOOK袋を借りてきました。

  貸し出しカウンターに持っていったとき、図書館員さんが今まで見たこともない嬉しそう~な顔をしていたのに、ちょっとびっくり。アンケート用紙も入っていたので、今回初めての試みだったのかな? でもすごくナイスな企画ですね。本選びって自分の視野だけではどうしても限られるけど、図書館員のセレクトなら安心できるし、既読本だったとしても今読む意味があるんじゃないかと思える。こういう偶然、好きです。さっそく今回出合った徒然草関連の3冊を通読しています。

 

 徒然草。教科書で勉強していたころは、序段の「つれづれなるままに」や、五十二段の「仁和寺にある法師」ぐらいしか記憶になく、たいして面白いとも思えなかったのですが、この年齢で改めて読んでみると、作者吉田兼好の人間観察力のスゴさ、ちょっとシニカルで保守的なモノの見方がクスッと笑えたりナットクさせられたりで、10代で勉強したことってやっぱり深いんだなあとしみじみ。高校のときの、こけしみたいなお顔の古文の先生が懐かしく思い出されました。

 

 五十二段「仁和寺にある法師」は、石清水八幡宮に初めてお参りに出かけた仁和寺の老僧が、山上の本宮まで行かず、山裾の宮寺と摂社だけ拝んで満足して帰った。同僚に「やっと念願のお参りができた。それにしても多くの人が山を登って行ったけど何だっただろう。自分も行って見たかったけど神詣が本来目的だったから登らずに帰ってきたよ」と。何につけても道案内が必要だ、という教訓話。これ、よく静岡酵母の河村傳兵衛先生がたとえ話にして「酒の本質を知らずに知ったかぶるな、勝手な自己判断をするな」とおっしゃっていたので、すごく身に沁みているんです。

 今回借りた本では、百七十五段を面白おかしく、身につまされながら読みました。酒徒のみなさんなら「あるある」と頷かれるんじゃないでしょうか。これが鎌倉末期に書かれていたのですから、人間の本質って世の中がどんなに変わろうとも基本的には同じなんですね。

 年始にあたり、己の教訓とする意味で、書き写しておこうと思います。なお対訳(緑字)は私が少々意訳しました。ご了承ください。

 

 

徒然草第百七十五段 「世には心えぬことの」

 世には心えぬことのおほきなり。ともあるごとには まづ酒をすゝめて しゐのませたるを興とすること いかなるゆえとも心えず。

(世の中にはわけのわからんことが多い。何かにつけてまず酒を呑ませようと無理強いして面白がる。何が面白いのかわけがわからん)

 

 のむ人のかほ いとたえがたけに 眉をひそめ 人めをはかりてすてんとし にげんとするを とらへてひきとヾめて すヾをにのませつれば うるはしき人も たちまちに狂人と成てをこがましく 息災なる人も めのまへに大事の病者となりて 前後もしらずたふれふす。

(呑まされるほうはウンザリ顔で眉をひそめ、人目のないとき酒を棄て、席を立とうとしても引き止められて呑まされる。どんなに澄ました人だって呑み過ぎて泥酔したらバカをやらかす。健啖な人だってみるみるうちに重病人みたいになって前後不覚にぶっ倒れる)

 

 祝ふべき日などは浅ましかりぬべし。あくる日まで頭いたく 物くはずによひふし 生をへだてるやうにして昨日のことおぼえず。おほやけわたくしの大事をかきて わふらひとなる。

(祝い事の酒席となれば更に浅ましい。翌日まで頭痛がし、物も食べられず、起き上がれず、記憶もすっとぶ。仕事やプライベートにも支障をきたすだろう)

 

 人をしてかゝるめを見する事 慈悲もなく礼儀にもそむけり。かくからきめにあひたらん人、ねたく口のしと思はざらんや。人の国に かゝるならひ有なりと これらになき人事にてつたへきゝたらんは あやしくふしぎにおぼえぬべし。

(人をこんな目にあわせるのは慈悲や礼儀に背くことだ。こんなひどい目にあった人は呑ませた奴を恨みに思わないのか。外国にこんな風習があると聞けば奇怪だと思うだろう)

 

 人の上にて見たるだに心うし。思ひ入たるさまに 心にくしとみし人も 思ふ所なくわらひのゝしり ことばおほく ゑぼうしゆがみ ひもはづし はぎたかくかゝげて よになき気色 日ごろの人ともおぼえず。

(醜いヨッパライはあかの他人でも見ていて不愉快だ。思慮深くおくゆかしいと思っていた人が、憚りなく大声で笑い騒ぎ、饒舌になり、烏帽子をゆがめて紐も外して、着物の裾を脛のあたりまでまくりあげる。ふだんのその人とは思えない)

 

 女はひたひがみはれらかにかきやり まばゆがらず 顔うちさゝげて打わらひ 盃もてる手に取つき よからぬ人は さかなとりて口にさしあて みづからもくひたるさまあし。

(女のヨッパライは額の髪をかきあげて、恥じらいもなく天井をむいて大笑いし、盃を持つ人の手に取り付いたりする。下品な奴は魚を人の口にあてがったり、それを自分もつまんだりと、とにかくみっともない)

 

 声のかぎり出して 各うたひまひ 年老たる法師めし出されて くろくきたなき身をかたぬぎて 目もあてられずすぢりたるを興し 見る人さへうとましくにくし。

(ありったけの大声で歌ったり踊ったり、年寄りの坊さんが呼ばれて小汚い肌をあらわにして、目もあてられない格好で踊り呆けるのを見て喜ぶ連中も、まったくけしからん。みちゃいられん!)

 

 あるは又 我身いみじき事ども かたはらいたくいひきかせ あるは酔ひなきし 下さまの人は のりあひいさかひて あさましくおそろし。

(あるいは自慢話をひけらかしたり、酔い泣きし、下々の者は罵り合ったり喧嘩を始めたりする。浅ましいやら恐ろしいやら)

 

 恥がましく心うき事のみ有て はてはゆるさぬ物どもをしとりて 縁よりおち 馬車より落てあやまちしつ。物にものらぬきはゝ 大路をよろぼひゆきて つゐひぢ門の下などにむきて えもいはぬ事共しちらし 年老けさかけたる法師の小童のかたをおさへて聞えぬ事共いひつゝよろめきたる、いとかはゆし。

(ドンちゃん騒ぎの後は、人さまのものを無理やり奪い取ったり、縁側から落ちたり、馬や車から落ちて怪我をする。徒歩で帰る者は大路を千鳥足で歩いて、土塀や門の下で粗相をし、袈裟をかけた年寄りの坊さんは小童の肩に寄りかかってわけのわからない戯言を言い、よろめいている。何やら気の毒になってくる)

 

 かゝることをしても 此の世も後の世も益あるべきわざならいかヾはせん。此の世にはあやまちおほく 財をうしなひ病をまうく。百薬の長とはいへど万の病は酒よりこそおこれ。うれへを忘るといへど ゑひたる人ぞ過にしうさをも思い出てなくめる。

(こんなことをしても、現世や来世で役に立つのであれば仕方ない。だが実際はこの世では酒で失敗することばかりで、財産も失うし病気にもなる。百薬の長といっても大半の病気は酒が原因だ。呑めば憂さが晴れるというが、ヨッパライほど過去の失敗を思い出してはメソメソしている)

 

 後の世は人の智恵をうしなひ 善根をやくこと 火のごとくして悪をまし よろづの戒を破りて地獄に堕べし。酒を取て人にのませる人 五百生が間 手なきものに生るとこそ 仏は説給ふなれ。

(来世では智恵を失い、良心が焼失し、悪行を増して数多の戒律を破って地獄に堕ちるだろう。「酒を手にとって人に呑ませた者は五百回生まれ変わる間、手のない者に生まれる」と仏は説いておられる)

 

 かくうとましと思ふ物なれど をのづからすてがたきおりもあるべし。月の夜雪のあした 花もとにても 心のどかに物語して 盃出したる 万の興をそふるわざ也。

(このように疎ましいものであるが、酒はおのずと捨てがたいときもある。月夜や雪の朝、花の下で心おだやかに語り合いながら交わす盃は、なんとも興をそそられる)

 

 つれづれなる日 思ひの外に友の入きてとりおこなひたるも心なぐさむ。なれなれしからぬあたりのみすのうちより 御くだ物 みきなどよきやうなるけはひして さし出されたるいとよし。

(所在ない日、思いがけなく友がやってきて一杯やるのも心癒される。近づきがたい身分の御方の御簾の内から、いかにも上等な果物や酒などをお上品にいただくのも悪くない)

 

 冬せばき所にて 火にて物いりなどして へだてなきどちさしむかひて おほくのみたるいとおかし。たびのかり屋 野山などにて 御さかな何がななどいひて しばの上にてのみたるもおかし。

(冬の寒い時期に狭い座敷で煮炊きをして、心隔てのない仲間と差し向かいで一杯やるのも実にいい。旅先の宿や野外で「肴に何かないかなあ」などと言いながら芝の上で呑むのも趣がある)

 

 いたういたむ人のしゐられて すこしのみたるもいとよし。よき人のとりわきて 今ひとつ うへすくなしなどのたまはせたるもうれし。近づかまほしき人の上戸にて ひしひしとなれぬる又うれし。

(下戸の人にちょっぴり呑ませてみるのも面白い。高貴な方が特別のはからいで「もう一杯どうだ、あれ、空っぽだ」などとおどけながら注いでくれるのも嬉しい。お近づきになりたいと思っていた人がかなり呑める人で、すっかり気が合う、なんてのも喜ばしいことだ)

 

 さはいへど 上戸はおかしくつみゆるさるゝもの也。酔くたびれてあさゐしたる所を 主のひきあけたるにまどひて ほれたるかほながら ほそきもとヾりさし出し 物もきあへずいただき持、ひきしろひてにぐる かひどりすがたのうしろ手 毛おひたるほそはぎの程 おかしくつきつきし。

(なんといっても酒上戸は愛嬌があって罪がない。酔いつぶれて朝になり、その家の主人に戸を開けられ、二日酔いでボーっとした顔でまごまごしながら細い髻を付き出し、着物を着る間もなく抱えて引きずり、裾をちょっぴりたくしあげて脛毛丸出しで逃げ帰る、その後ろ姿も実に愛嬌がある)

 

出展/古文書入門くずし字で「徒然草」を楽しむ 中野三敏著 (角川学芸出版)、 ビジュアル版日本の古典に親しむ⑨ 徒然草・方丈記 島尾敏雄・堀田善衛著 (世界文化社)

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする