杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

しずおか地酒サロン「地酒は地域の元気のミナモト!」その1

2009-08-31 12:46:23 | しずおか地酒研究会

 8月29日(土)開催の第35回しずおか地酒サロン「地酒は地域の元気のミナモト!」は、月末週末選挙前のハードな日程にもかかわらず40名のみなさまにご参加いただきました。まずは、開催にご協力いただいた会員の方々、当日参加の方々、アンケート等にご協力くださったみなさまに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

Imgp1312  「とても興味深いテーマだけど都合がつかず参加できず残念」という声をたくさんいただいたので、このブログできちんとご報告するつもりでしたが、ICレコーダーの操作ミスで前段の大事なトークセッションの録音に失敗してしまいました。 MC役だったのでメモや速記もしておらず、ホントに申し訳ありません・・・! 事前にいただいたアンケートと、記憶を頼りに書き起こした当日の発言をまとめましたので、当日参加のみなさま、とくにスピーカーの方々はぜひともフォローのコメントをお願いしますね!!!。

 

 

 

◆第35回しずおか地酒サロン「地酒は地域の元気のミナモト!~売り手と飲み手の車座本音トーク」

 

(スピーカー)

Imgp1313 ①高橋晴美さん(財団法人静岡経済研究所・研究員)

「静岡県の蔵元を数社調査取材して感じたのは、どの蔵元も“伝統に忠実に”“酒質で勝負する”という共通理念を持ち、みなさん同じベクトルで進んでおられるということ。モノづくりの信念が堅固でブレがないと感じました。一方、マーケティングにおいては日本酒の消費低迷が続く中、日本酒と接点のない人に向け、新たな戦略が必要な時期に来ていると思われます。地酒まつり等の販促イベント等で消費拡大に努めておられるようですが、そろそろ次のステップに移る時期ではないでしょうか」

*(財)静岡経済研究所の経済情報誌「マンスリーSERI」10月発行号にて詳細論文を発表予定です。

 

 

②塚本英一さん(酒類仲卸・塚本商店/静岡市葵区)

Imgp1315 「私が仕事を始めた1978年ころ、静岡県酒造組合には48社加盟し、41社が稼働していました。09年現在、加盟32社・稼働28社にまで減ってしまっています。この春には杜氏後継者がいないという理由で「忠正」の吉屋酒造(静岡市葵区)が廃業し、これまでも笑千両、士魂、翁弁天、東鶴、松若、曽我鶴、入神、樹里といった取扱銘柄が無くなってしまいました。廃業の現場に立ち会うと、自身の力のなさや不甲斐なさにぶつけようのない憤りを感じます。2度とこんな思いはしたくありません。

 日本酒との接点がない人へのアピールは今後ますます重要です。酒類マーケティング会社フルネットの直近(08年春)の調査によると、首都圏の一般消費者の日本酒好感度地域は①新潟、②秋田、③山形、④静岡、⑤福島という順位でした。東京の名酒居酒屋店主を対象にした調査では、①山形、②静岡、③新潟、④福島、⑤石川という順位。静岡の酒は、首都圏の酒通の間では、これほどの高評価です。静岡県内の県産酒消費シェアは未だ2割以下。まだまだ地元で地酒の価値を知らない人が多いのです。

 先日、清水港の貿易関係者が集まった会合で地酒を紹介する機会に恵まれました。海外のゲストが多いと聞き、静岡県酒造組合のパンフレットを元に自分で英語に翻訳したパンフレット「Shizuoka-pref.is the land of water and a lot of "sake" of high quality is brewed here in shizuoka」を作成し、お配りしました。当社のホームページで閲覧できますので、ぜひご覧ください。海外の方は日本酒に高い関心をお持ちです。これからは「Japanese sake」ではなく、ずばり「sake」が国際語になっていくでしょう。静岡にも空港ができたことですし、新しいマーケットに期待をしているところです。質の高い静岡の酒なら、どこに出しても恥ずかしくありません」

 

 

③篠田和雄さん(酒類小売販売・篠田酒店/静岡市清水区)

Imgp1316 「若い頃は家業の酒屋を継ぐ意欲が持てなかったのですが、昭和59年ごろ、開運大吟醸と出会い、自分の使命に気付かされた。こういう素晴らしい地酒の存在をお客様に理解していただくには、まずは呑んでもらうしかないと思い、静岡の酒が全国新酒鑑評会で大量入賞した昭和61年から、しのだ酒の会を始めました。最初は少人数でスタートし、蔵元2社に来ていただきました。少しずつ参加者が増え、今では県内のみならず県外の蔵元にもお越しいただき、参加者は200人を超える酒宴に成長しました。今年も9月13日にグランシップで開催予定です。

 お客様にはいいお酒をいい状態で呑んで感動していただきたいと思って努力しているつもりですが、たまに「静岡の酒は静岡酵母を使っているから、どれも似たり寄ったりでつまらない」「クセはないが個性もない」と批判されることもあります。確かに共通点もありますが、よく味わっていただければ、香りや味わいはけっこう違うし、日本酒のこういう繊細な世界が楽しいと自分は思うんですが、それが伝えきれず大雑把に判断され、残念な思いをします」

 

 

④佐藤隆司さん(東海オリコミ社長・浜松地酒倶楽部主宰/浜松市中区)

Imgp1317 「1996年にしずおか地酒研究会が発足した当初からこの会には参加しており、真弓さんが提唱する「造り手・売り手・飲み手の和」を浜松でも実践しようと、5年ぐらい前から愛好会を始めました。そこで改めて、静岡の酒は大吟醸から普通酒まで、どのレベルも美味しいということを実感しました。今年1月の酒の会で喜久醉普通酒しぼりたてを出したところ、他の上級酒をおさえ、圧倒的な人気でした。それだけ静岡の酒はコストパフォーマンスが高いのです。

 会ではたまに県外の人気酒も用意しますが、空瓶になるのは静岡の酒ばかりで、「黒龍」「而今」「醸し人九平次」といった人気銘柄が飲み残されたりします。 

 会を主催するとき不便に思うのは、小売各店で取扱銘柄に偏りがありすぎて、全県の銘柄をそろえるのが大変だということ。なにも銘柄数が何十何百もあるわけではないので、ワンステップで入手できる方法を考えてほしい」

 

 

⑤後藤英和さん(酒類小売販売・ときわストア、地酒BARイーハトーヴォ/藤枝市岡部)

Imgp1318 「私の店は藤枝市旧岡部町の山合いににあります。近くに大型の郊外ショッピングセンターができたとき、価格競争の対象になる商材は思いきって切ろうと決め、店舗の倉庫を半分にし、そこに地酒バーを開設しました。路線バスが夜7時で終わってしまい、他は交通手段がない不便な場所にもかかわらず、地元よりも遠来のお客様が多く、東京からわざわざ新幹線を使って呑みに来てくださる方もいらっしゃいます。飲食店を始めて、それだけ静岡の酒に牽引力があることを改めて実感しました。本当にありがたいことです。

 小さい町の小さな商いですが、近所に初亀醸造さんがあって、水をもらったり造りの現場を見学させてもらったりと、運命共同体のつもりで仕事させてもらっています。私がこの仕事に就いたころ、藤枝市内の酒蔵は7社ありましたが、今は4社に減ってしまいました。酒造の伝統の灯を消さないよう、できる限りの努力をしていきたい。地元の酒蔵との距離の近さを大切に活かしていきます。これからは30代の女性のお客様を増やしたいですね」

 

 

⑥神田えり子さん(フリーアナウンサー・駿河地酒や主宰/浜松市東区)

Imgp1319 「テレビリポーターとして初亀醸造を訪ねたとき、お会いした杜氏の滝上秀三さんのお言葉に感動し、酒の世界に魅了されました。「酒造り30年といっても、30回しか造っていない。まだまだ修業中です」と。それから誰に頼まれたわけでもなく「駿河地酒や」という会を始めました。毎回テーマは設けず、居酒屋さんを会場に、その店をこの日ひと晩だけ「駿河地酒や」という店にして、自分が女将になって地酒を紹介し、みなさんに楽しんでいただいています。仲間で、〇〇美人と名の付く銘柄を集めた「全国美人酒コンテスト」や、「カップ酒コンテスト」、「誉富士の酒コンテスト」をやったり、仲間で育てた米でオリジナル酒を造ったり、夫の実家の梅林で梅採りをしてそれを志太泉さんで梅酒にしてもらうなど、体験や実践を通して日本酒と親しんでいます。今後は「天浜線でほろよい電車ツアー」や「地酒で婚活」なんて企画も考えています。

 会をやるとき不便なのは、佐藤さんと同様、銘柄が一度に集まらないということ。せめて県東部・中部・西部に地酒のアンテナショップ的な場所ができるとありがたいです。また消費者の立場としては、500mlで1000円ぐらいの手ごろなラインナップがあると、ちょっとしたお土産に遣いやすいです。新酒の時期に発砲系の限定酒を出す蔵がありますが、ぜひ全蔵で出していただきたいですね。発泡酒の感覚って今の若い人や女性にウケると思います」

 

 

 

 この後、休憩をはさんで、参加者全員のトークセッション、『吟醸王国しずおかパイロット版09バージョン』試写を行いました。その模様は後日つづきで。

 


新知事との遭遇

2009-08-28 21:27:27 | 本と雑誌

 今日(28日)は県広報誌MYしずおかに掲載する川勝知事のインタビュー取材をしました。MYしずおかでは5年前に当時の石川知事と川勝さんの対談企画があって、グローバルな視点から静岡県の魅力を明朗に語る口調が印象的で、さすが当時の県政のキャッチフレーズ「富国有徳の地域づくり」のネタもと識者だけあるだなぁと思っていましたが、まさか、現職知事としてふたたびお目にかかるとは・・・。

 

 

 インタビュアーのテレビ静岡アナウンサー田中宏枝さんに、事前に「川勝知事のプロフィールに“最も愛するもの=酒、最も嫌いなもの=酒”と書いてある理由を聞いてね」と私的に?お願いしたのですが、インタビューの開始時間が遅れ、しかも話がいきなり空港問題から始まったので、こりゃぁ酒談議はお流れかなぁと思っていたところ、ギリギリ最後に田中さんが「お酒はお好きなんですか?お嫌いなんですか?」と切り出してくれました(苦笑)。

 お祖父さまのススメ?でご幼少のみぎりから舐めていたくらいお好きだそうですが、もともと酔いやすい体質で肝臓にも気を遣っているんです、と、まぁ無難な?ご回答でした。

 

 

 帰り際、知事が私に「今日の話、まとめるの大変でしょう」と声をかけてくださったので、「一応、お話全文をストレートに書き起こした原稿と、規定文字数に編集した原稿の2種類ご用意しますので、ご判断ください」と答えたところ、「編集原稿だけで結構、ストレートに書き起こしたものなんて読むつもりないから」と真顔で言い返されてしまいました。

 こちらとしては、新知事1回目のインタビュー企画だし、ダブルチェックしやすいように2本用意するって言ったつもりなのに、キツイ言い返しだなぁと憤慨しつつ、「まかせたから、ちゃんと書け」と肩を叩かれたような気もして、2本書くより重い荷を背負った心地で県庁を後にしたのでした。

 

 締切は月曜朝。明日はしずおか地酒サロンだし、明後日は滋賀県高月町と静岡市の交流セミナーがあるし、うぅ、夜中しか執筆時間がない・・・。なんともハードな週末になりそうです。

 

 

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 ところで、明後日8月30日(日)に新聞折り込みで配布される『県民だより9月号』の2ページ目に、先日の地震の話題が紹介されます。

 その中で、『固定されておらず倒れてしまった本棚』というキャプションの写真が掲載されますが、これ、当ブログに掲載した我が家の見事な倒壊本棚写真です(苦笑)。昨年度までMYしずおかを担当し、今年度から県民だよりの担当になった県広報局のM氏が、ネットでこの写真を見つけて「地震対策をアピールするのにうってつけ!静岡県民の生命と財産を守る意味で、ここはひと肌脱いでくれ」と連絡してきたのでした。

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 最初は、駿府公園の外堀崩壊写真を載せる予定だったそうですが、この写真のほうが生活感があって読者に危機感を伝えられると、県危機管理局のお墨付き?ももらったとか。。…そんなふうに言われちゃぁ断れませんよね。しかも川勝知事の顔写真と同じページに載るなんて、光栄だなぁ・・・(苦笑)。

 

 

 

 

 8月30日(日)の朝刊折り込みです。静岡県内の新聞購読者のご家庭にはもれなく配布されますので、みなさん、反面教師にしてやってくださいまし~。


東海道の難所

2009-08-27 11:06:34 | しずおか地酒研究会

 29日開催のしずおか地酒サロン~地酒は地域の元気のミナモト!は昨日(26日)受付を締め切らせてもらいました。酒蔵見学でも美酒美食探訪でもなく、著名人の講演会でもないただの座談会だし、8月月末の土曜夕方、しかも選挙前のゴタゴタした日の開催なので、いつものサロン(20人前後)ほど集まらないかなぁと思っていましたが、フタを開けてみたらその倍の参加希望をいただき、嬉し限りです。アンケートも、本当に多くの方に丁寧にお答えいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

  

Dsc_0015  さてさて、11日の駿河湾地震で、日本国中に強く印象付けたのが、静岡県は日本の交通・物流の大動脈が通っていて、これが寸断されたらとんでもないことになる!ということでしたね。静岡県って、改めて地図を見ると、県全体の面積の中で平野部の割合が小さくて、海と山に囲まれていて、大動脈が通る環境として決して恵まれているわけじゃないんです。

 先週から今週にかけて、時間を見つけては東海道の「難所」の写真を撮りに行っています。先のブログでも紹介の、北村欽哉先生にご協力いただいた朝鮮通信使ゆかりの史跡探訪の記事を書くためです。クライアントの要望は「静岡県を象徴する歴史スポットの紹介」なので、朝鮮通信使のみならず、広く静岡県史を特徴的に物語るスポットはないかと考え、目をつけたのが、ずばり「東海道」。浜名湖、大井川、薩埵峠、箱根といった「難所」は、朝鮮通信使の1000人規模の行列を通すために大々的な整備をしたのです。

 

 

Dsc_0047  水の難所―浜名湖や大井川は、徳川幕府は防衛上、橋を造らせないという方針だったので、船やみこしで一行を運び、激しい水流のところは人間の壁を作って流れをせき止めるなど、大変な人海戦術で渡したのでした。

 世界一長い木の橋として有名な、大井川の「蓬莱橋」は、明治初期、牧之原の茶畑開墾工事のために架けられた橋なんですね。

 

 山の難所―薩埵峠の道は朝鮮通信使のために造られ、箱根の峠道も通信使のために整備されました。箱根の道は天気が悪いとぬかるみになりやすいので、箱根竹とよばれる自生の竹の葉を編んで道に敷き詰め、後に石畳化しました。通信使の日記使行録に「箱根道に数十里、編んだ竹が敷いてあって、何と人力を費やすことか驚いた」という記述が残っています。

 

 

Dsc_0052  もともと竹道は、戦国時代に伊豆や相模を統治していた北条氏が手がけていたもので、毎年、竹1万7~8千本、人足3千人を動員し、ぬかるみ対策として整備していたそうです。人足は奥伊豆の1万9千余りの村々に割り当てられていました。

 江戸幕府でもこの整備事業を継承し、1680年に1400両かけて石畳化。奥伊豆の村々は年に100両ずつ納め、幕府はこれを元金として国中に貸し付け、その利息によって石道の維持を計ったそうです。

 しかし実際のところ、箱根峠が通りやすくなっちゃうと江戸の防衛に支障があるわけで、石道の修理はほとんど放ったらかしで、朝鮮通信使の来日、幕末の和宮様下向(実際は中山道を通った)、将軍家茂の上洛(実際は海路を使った)の前だけあわてて修理したそうです。・・・ったく、ひどい交通政策ですよね!!

 

 

 箱根の峠道は、地元の篤志家の人々の手で、すでに9世紀ごろから旅人の避難所や救護所みたいなものが設けられていました。民間は民間で助け合うしかないんですね、やっぱり。

 歴史の教科書では、とかく国と国の戦争や、国家事業レベルの話しか取り上げられませんが、その舞台を支えた多くの庶民の血と汗の存在と、交通の大動脈をどうやって整備するかが、国づくりに大きくかかわることを、改めて実感します。

 

 一昨日(25日)は薩埵峠で、昨日(26日)は箱根峠で、そんなことをつらつらと考えました。東海大地震で東名も国1も新幹線もJRもマヒしたときは、・・・お上に頼らず、民間は民間でやれることをやるっきゃないか。

 


静岡の酒に愛を込めて…

2009-08-24 21:02:22 | しずおか地酒研究会

 今週末29日(土)16時から開催する『しずおか地酒サロン~地酒は地域の元気のミナモト!売り手と呑み手の車座本音トーク』の資料として、しずおか地酒研究会のみなさんや当ブログの読者の方々からアンケートを募集し、集まった回答を少しずつまとめています。面倒な書き込みを要するアンケートにもかかわらず、これまで回答を寄せてくださった方の中には、これをこのまま“静岡酒へのラブレター”みたいなタイトルでエッセイ集にしたくなるほど、ジーンと来るエピソードも。当日参加の方も、参加できない方も、アンケートに時間をかけて応えてくださる方というのは、ふだんから静岡酒への(愛情も苦情も含めた)あふれんばかりの思いを持っておられるんだなぁと実感します。

 

 冗談抜きに、みなさんの素晴らしいメッセージを集めた本ができたら…と本気で思い始めています。いただいたアンケートは、サロン当日、参加者に資料として配布するほか、当日はメディア関係者も何人か参加予定なので、本気で書籍化することを相談してみようかな。

 今回は『静岡の酒を扱う上で励みになった・静岡の酒を扱ってよかった!と思えたエピソードを』という設問に対する3本の回答をご紹介しますので、「私にも静岡酒愛がある!」という方は、26日(水)までにアンケートをお寄せくださいませ! お待ちしております。

 

 

 

平成16年に静岡県清酒鑑評会純米部門で初めて一位になったとき、同じ樽の酒を少ないながらも商品化して販売したところ、またたく間に売り切れてしまいました。自分のために取っておいた酒までも「どうしても」というお客様に譲ってしまい、じっくり楽しむ間もなく、その味は思い出の中となってしまいました。 

 平成19年の静岡県地酒まつりIN TOKYOで一組のカップルから声をかけられました。「実はわれわれこのたび結婚しまして、このお酒の造り手のあなたと、これで一緒に乾杯してほしかったので…」と取り出された酒が、その幻の酒でした。ありがたさと嬉しさと懐かしさで思わず涙が出てきてしまい、お2人の前で封を切らせていただき、その場で思い出深い乾杯をさせていただきました。感動の味が一瞬のうちに思い出の中から飛び出して来て、たった5分ぐらいの出来事でしたが、心をこめて造ったものがこんなにも人に喜ばれた、造り手冥利に尽きる時間でした。(富士錦酒造社長・清信一さん/芝川町)

 

 

当店では地酒好きのご常連様がたが集まって、毎年1回の割合で唎酒会を楽しんでおります。県産酒8銘柄を選び、種目別当て(本醸造・純米・吟醸)や銘柄当てを競い、上位者には賞品を授与します。表彰式では出場者は童顔の顔で大騒ぎ。その後は8銘柄をゆっくり呑み直し、楽しいひと時を過ごします。終わり際には次回の8銘柄の選定に取り掛かります。真剣に考えたり楽しんだりする方々のお姿を拝見していると、地酒を愛してこうして集まってくださる御常連の皆様が何よりの宝物だと幸福感に浸っております。

 転勤となったサラリーマンのお客様が、赴任先の大阪でひとり静岡の酒を宣伝してくださって、職場の社員一同を引き連れ、大阪からツアーで来てくださったこともありました。カナダの某大学の教授が「磯自慢が呑めるから」と教え子の招待で来られ、大喜びされたことも。

 こうして静岡の酒を扱って35年。今のような経済情勢の中で初心を貫き、持続させていくことは大変ですが、ご理解ご支持くださるお客様を宝に、これからも大切に歩んでまいりたいと思います。

 蔵元の皆様には、我々売り手が責任を持ってお酒とお客様を大事にしてまいりますから、どうぞこれまでの姿勢を崩さず、美味しい酒をお願いいたします。(豆腐料理「豆岡」女将・岩崎末子さん/浜松市)

・・・便箋5枚つづりでご丁寧に直筆でいただきました。当日参加できないからと、わざわざ参加費を同封してくださいました。本当にありがとうございました。

 

 

 

以前、しずおか地酒サロンに参加した帰りに、日本酒をお土産に買って帰りました。その日、家には母と祖母がいて、2人が日本酒を喜んで飲んでくれたのはもちろん嬉しかったのですが、それ以上に、3代そろって地酒の味や香りを同じように味わい、楽しく過ごしていることに、大きな幸福感を感じました。(20代・一般女性)

 

 

 

 

 

 

第35回しずおか地酒サロン~地酒は地域の元気のミナモト! 売り手と呑み手の車座本音トーク

日時 8月29日(土) 16時~18時ごろ

場所 静岡市産学交流センターB-Nest 6階プレゼンテーションルーム

内容 トークセッション&映像鑑賞&売り手イチオシの酒テイスティング

 

 

*今、川下(消費側)が求める地酒のあり方や、地酒の地域における存在価値について、静岡県内の酒販店主&地酒愛好会主催者がざっくばらんに語り合います。たとえば・・・

売り手は、地酒への理解度・愛着度の異なる飲み手にどんなアピールが必要か?

地酒を地域活性化に生かしたいという他団体・異業種と、どんなコラボが可能か?

呑み手が求める地酒情報・地酒体験とは?

今の静岡の酒に対して言いたい・聞きたいことがある方の飛び入りトーク大歓迎!参加酒販店主一押しの静岡酒テイスティングタイムも設けます。セッションの内容は(財)静岡経済研究所「SERIマンスリー10月発行号」にて紹介予定。

(映像上映)『吟醸王国しずおかパイロット版09バージョン(20分)』・・・先月急逝された開運の名杜氏波瀬正吉さんのインタビューも収録!、『日本酒造組合中央会制作・SAKE~日本酒が出来るまで(15分)』

 

会費 1000円

申込 鈴木真弓のメールアドレスまで(プロフィール欄参照)

締切 8月26日(水)

 

アンケートのお願い

当日の参考資料にしますので、以下の設問のうち、お答えできるものについてご意見をお寄せください。当日参加できない方はぜひ!

お名前(                      ) 

*外部へ記名はOK?・NG?

 

①売り手(酒販店・飲食店)ならびに地酒愛好会主催者にとって、静岡の酒を扱う上で励みになった・静岡酒を扱ってよかった!と思えた「ちょっとイイ話」「深イイ話」をなるべく具体的に教えてください。

 

②売り手(酒販店・飲食店)ならびに地酒愛好会主催者にとって、静岡の酒を扱う上で一番苦労することは?またどんな改善策が望ましいと思いますか?

 

③呑み手(消費者)として、静岡の酒で感動した・楽しめた「ちょっとイイ話」「深イイ話」をなるべく具体的に教えてください。

 

④呑み手(消費者)として、静岡の酒で残念な思いをしたこと、日頃から改善してほしいと思っていることがあれば教えてください。

 

⑤地酒でこんな企画をしてみた、地酒と〇〇〇がコラボすると面白い!というアイディアがあればお願いします!


レキジョからの卒業

2009-08-23 12:29:59 | 仏教

 21日(金)は午後から県商工会連合会の会合に出席し、夜は(社)静岡県ニュービジネス協議会西部部会の例会で浜松へ。終了後、新幹線で京都へ。駅前のビジネスホテルに零時前に着いて、翌22日(土)は東アジア仏教史にどっぷり浸かってきました。学生時代、ちゃんと授業に出て勉強してればよかったものを、25年以上も経って同じことしてます(苦笑)。本当に勉強したくなる年齢って、人それぞれかもしれませんね。

 

 

 

Imgp1310  昨日の朝は久しぶりに東寺の仏像群を観に行きました。今までは講堂の立体曼陀羅の世界―とりわけイケメンの帝釈天や梵天ばかりに気を取られていましたが、金堂の薬師如来・日光菩薩・月光菩薩のトリオもいいなぁとしみじみ。1603年に再建された金堂そのものも密教的空間を醸し出しています。天井の高さといい、仏像ぎゅう詰めの講堂とは対照的に三尊をすっきり配置し、御堂全体の光の加減を計算した空間設計につくづく感心します。先人たちの、こういう素晴らしい手仕事に触れるたびに心が洗われます。

 貴重なストレス解消の場だった居酒屋や映画館が、(酒の映画を作り始めたばかりに)そうでなくなってしまった今、古寺や仏像の存在感がますます大きくなっていることに気づき、学生時代は、今どきの“レキジョ”みたいなノリだった自分も、やっぱり確実に歳を取っているんだと痛感します・・・。

 

 

 

 

 東寺を後にして、京都国立博物館で開催中の特別展『シルクロード文字を辿って~ロシア探検隊収集の文物』へ。敦煌や中央アジア各地で発見された古い経典や書簡や官文書など、古文書だけを集めた地味~な?展覧会でしたが、歴史好きのライターにはかなりマニアックに楽しめる内容でした。

 

 

 

 一見、漢字によく似た西夏文字、アルファベットを数珠つなぎにしたような文字を漢字と同じようにタテ書きで左から右へ読むウイグル文字、アルファベットとハングルを足して2で割ったような中央アジア・コータンのカローシュティー文字、コータンの経典に残されたブラーフミー文字(梵語)などなど。アジア大陸には本当にいろんな文字があったんですね。しかも、アルファベット、アラビア語、ロシア語、ハングル、漢字、平仮名など、今、私たちが知っている文字のどれもにちょっとずつ似ていて、文字がまるで微生物のように環境に対応し、変化していった様子がわかります。

 個人的には、大学の卒論で書いたキジル石窟のあるクチャの文書に感激!サンクトペテルブルグのロシア科学アカデミーまで行かなければ見られなかった(素人には見る機会は皆無であろう)クチャの人々の生活文字を、卒論執筆後、25年経て目の当たりにできたわけです。館内には学生らしき若者を何人か見かけ、ホンモノを見て勉強できる彼らの幸運を羨ましく思いました。

 

 

 

 

 午後は、佛教大学四条センターで開講中の高麗美術館提携講座『朝鮮の仏教文化②~考古学から見た朝鮮古代の仏教』を聴講しました。考古学(古墳)を専門とする佛教大学の門田誠一先生が、朝鮮三国時代、百済の首都だった扶余(プヨ)郊外にある陵山里寺址や王興寺址を発掘調査したときの写真資料や出土品の価値について、本邦初公開のものも含め、興味深く解説してくれました。

 

 

Imgp1311  考古学をきちんと勉強したことのない私にとっては、実証をベースに歴史を推理する手法がとても新鮮で、なぞ解きをするみたいでワクワクしました。

 たとえば三国史記で西暦600年以降に創建されたと記される王興寺は、誰が何の目的で建てたのかわからなかったそうですが、2007年10月に舎利容器が出土し、そこに刻まれた文字から、577年2月に百済王の発願で創建されたことが判明。日本書記によると577年11月に百済王から日本へ技術者が派遣され、11年後の588年8月に仏舎利が届いて飛鳥寺の造営が始まり、596年に仏塔が完成したわけで、王興寺と飛鳥寺の関係性にがぜん注目が集まっています。

 

 

 

 さらに興味深いことに、王興寺から出土した遺物の中に、朝鮮半島では産出されない硬玉(硬質翡翠)で造られた勾玉が発見されました。軟玉(軟質翡翠)は朝鮮~中国大陸~台湾などでも広く産出され、台湾の故宮博物館で観たばかりの有名な『翠玉白菜』も典型的な軟玉ですが、硬玉が採れるのは、世界でもメキシコ、ロシア、ミャンマー、日本の新潟・糸魚川流域のみ。特殊な低温高圧な地質のところだけだそうで、糸魚川もフォッサマグナ地帯特有の地質のおかげで産出されるとか。王興寺で出土した硬玉はまちがいなく日本から贈られたものと推定されます。

 

 

 王興寺創建直後の577年に百済から日本へ職人が派遣され、仏教ウェルカム派の蘇我馬子が584年、私邸に仏殿を、585年に仏塔を造ります。仏教NO派の物部守屋が塔や仏殿を焼き討ちすると、蘇我氏と物部氏のガチンコ対立が勃発し、587年、蘇我氏が勝利して崇峻天皇が即位。588年に百済が仏舎利を献上して僧や寺工を派遣して、飛鳥寺の建立が晴れてスタートします。

 ただ、飛鳥寺の伽藍様式(一塔三金堂)は、百済の王興寺(一塔一金堂)と異なり、高句麗の影響も受けているようです。このあたりの時代の、日本と百済と高句麗のこんがらがった関係は、今後の発掘調査などで少しずつほぐし解かれていくでしょう。

 

 

 

 とにかく、朝鮮半島の古代仏教遺跡の調査は始まったばかりだそうで、考古学の進展が歴史を塗り替え、日本と朝鮮半島のつながりや関係性にも新しい視点が注がれるでしょう。古いことを研究しているけど、その成果は現代の価値観を変えるはずだって実感します。

・・・この感覚、レキジョ時代にはなかったなぁ。大学卒業して25年経つけど、年齢相応に自分の歴史観も、多少は進化してるんだろうか(苦笑)。