杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

上川陽子 視点を変えれば見えてくる

2020-09-16 19:23:10 | 国際・政治

 2020年9月16日に発足した菅内閣で、上川陽子さんが三たび法務大臣に就任されました。岸田派の陽子さんが入閣するのは難しいだろうと思っていましたが、菅さんは派閥の理屈よりも実力重視で選んだようだとニュースで聞いて、改めて、歴戦錬磨の政治家仲間からも高い評価を受けているんだ!と我がことのように嬉しくなりました。

 テレビ報道での事前の入閣予想リストに陽子さんの名前が挙がることはなく、女性で候補に挙がるのは知名度だけは高いマスコミ受けする人ばかり。途中から陽子さんの名前が出始めると、顔写真の用意がないためボードに手書きで名前を走り書きして貼る、なんて失礼な番組もありました。

 私は幸いなことに、1996年に陽子さんが初めて衆院選に挑戦する以前からご縁をいただき、2011年4月から放送が始まったコミュニティFMの番組『かみかわ陽子ラジオシェイク』で毎月、陽子さんとご一緒し、この10年の陽子さんの政治活動をつぶさに知る立場にありましたから、マスメディアが上川陽子を知らなすぎることに多少の義憤を感じています。今回の組閣でも女性が少ないため、政界における女性の人材不足が話題にされていますが、地盤・看板・カバンのなかった陽子さんがこれまでどれほどの努力をされてきたのかしっかり取材し、そこから見える女性政治家を取り巻く課題をしっかり分析してほしいと思います。

 …ということで、ありがたいことに、このブログも〈上川陽子〉で検索して来た訪問者が急増しています。今日は、2018年10月に法務大臣(2度目)を離任したときのことをラジオシェイクで話された一部を紹介し、視点を変えれば見えてくる政治家上川陽子の姿勢をお伝えしたいと思います。

かみかわ陽子ラジオシェイク

第168回「法務大臣就任一年2ヶ月を振り返って」(2018年10月27日収録/11月6日オンエア)

           

(上川)リスナーの皆さま、こんばんは。上川陽子です。

 

(鈴木)コピーライターの鈴木真弓です。どうぞよろしくお願いいたします。今日は陽子さんが第100代法務大臣を退任されてから初めての収録になります。陽子さん、まずはおつかれさまでした。退任時は省内でどんなふうに見送っていただいたのですか?

 

(上川)法務大臣に就任し、丸1年2ヶ月法務省の中で走り抜きました。前週から留任の期待の声も聞かれましたが、私としてはけじめをつけることが大事だと思い、荷物を片づけ、大臣室のスタッフの皆さんと記念写真を撮りました。

 引き継ぎの日の朝、法務省の車の中で「今日は水曜日だね」という話になりました。アットホームプランとして定時退社を促す曜日で、朝9時30分ぐらいに管内一斉放送で「今日は水曜日ですから定時に帰りましょう」と呼びかけるのです。そのアナウンスを私にやらせてもらえないかとお願いし、到着早々、放送ルームに向かい、「前法務大臣の上川陽子です。今日は一斉退庁の日です」と呼びかけました。

 次いで「1年2ヶ月、チームとしてご一緒していただき、ありがとうございました」と申し上げたところ、各室から拍手が湧き上がったそうです。後から聞いて感動しました。

 その後、1回目の法相時代に大臣政務官を務めてくださった山下新大臣に引き継ぎを行い、終了後は一番若い男性スタッフから花束をいただきました。玄関には幹部の皆さんがズラッと並び、最後はずっと務めてくれた運転手さん、守衛さんとも笑顔で手を差し伸べ、握手で見送ってくれました。

 

(鈴木)なかなかそうまでして見送ってもらえる大臣っていないのでは?

 

(上川)いつもみんなと一緒にチームとして活動するという思いで過ごしましたから。いい仲間に恵まれ、今思い出しても感動が甦ります。いったん句読点を打つということになりましたので、今後は地道に充電しながら自分の仕事をしていこうと思っています。

 

(鈴木)ラジオシェイクでは一般リスナーが報道では知り得なかった法務省の仕事についてたくさん教えていただきました。振り返っていかがですか?

 

(上川)私自身、深く掘り下げれば掘り下げるほど、司法というものが日本という国家の基本的な土台であり、これがしっかりしなければ国は揺らぐということを実感しました。国という大きな組織は司法がマネジメントできなければ信頼の基盤が消えてしまうのです。信頼が長続きしない組織は崩壊します。

 たとえば成人年齢を20歳から18歳に引き下げた民法改正は実に140年ぶりの改正でした。つまり140年も維持される、賞味期限が極めて長いものです。それが揺らいでいるかどうか、リトマス試験紙のように今の国の有り様を確かめることができる貴重な機会でした。100代目の法相を担うことになった意義とは、基本的な司法の価値を気づかせてくれたことだと思っています。

 

(鈴木)法相を拝命されたことは政治家上川陽子にとっても大きかったわけですね。

 

(上川)とくに力を入れた司法外交(注)ですが、国という組織もガバナンスが高くなければ安定して活動できません。これは民間企業と同じで、ガバナンスが低下し基盤が揺らいでいる国が海外にたくさんあります。日本も、最先端のことをやっているから強い国だという議論ではなく、司法というものにしっかりとした基盤を持っているかどうかで国力が判断されることに気づき、日本はその点で自信を持って司法外交を展開していけると確信し、行動できました。

 この先も国民生活が豊かになるために、日本の国の基盤という大切な部分が揺らいでいないかどうか、将来を見据えて行動していきたいと思います。

 

(鈴木)私がうかがったお話では、陽子さんが現場に積極的に足を運ばれ、現場で汗を流しておられる職員や刑務官の方、受刑者を支える民間の方々に寄り添う思いがよく伝わってきました。

 

(上川)中央にいると整理されてくる資料はたくさん来ますが、そこに行き着くまでの最初の生の情報が遠くなるというデメリットもあります。適切な判断ができるよう、現場の状況を肌身で感じる必要がある。法務省は大きな組織なので、一回目の法相拝命時にそのことを強く実感しました。

 キャラバンで地方に回るときも組織の上の声ばかりでなく、本当に現場で活動されている方々の声を聞くように努力しました。本当の声の中に改善点や改革のヒントがあるのです。

 

(鈴木)組織のリーダーシップを取る方にとっても参考になるお話ですね。

 

(上川)作られた情報ではなく自然体で見た情報が重要ですね。この1年2ヶ月、北海道から鹿児島まで回りましたが、行けなかったところもたくさんありましたので、今後は自由に足を運んでみたいと思います。

 

(鈴木)またぜひラジオシェイクでお話しください。陽子さん本当におつかれさまでした。

(注)司法外交についてはこちらの記事を参照してください。

 

*「かみかわ陽子ラジオシェイク」はFM-Hi 静岡(76.9Kh)にて毎月第1火曜18時30分~19時オンエア中

 

 

 前回、こんなふうに法務省を去った陽子さんが、ふたたび法務省を束ねることになり、職員の皆さんはどんな思いで迎えられるのか、ついあれこれ想像してしまいますね。

 今年4月、50年ぶりに京都で国際犯罪防止刑事司法会議(京都コングレス)が開催される予定でしたが、コロナのため、1年延期となりました。京都コングレスはもともと陽子さんが前々回の法相時代に開催を誘致し、準備し続けてきた法務省最大の国際事業なので、来春に延期になったことで、陽子さんが法相としてホストを務める可能性が出てきました。ぜひこちらの公式サイトをご参照ください。

 なお、ラジオシェイクのトークはすべて書き起こし、2011年から2013年までの内容は『かみかわ陽子 視点を変えれば見えてくる』(静岡新聞社刊)にまとめてあります。2014年以降の内容は書籍第2弾として出版準備中。ぜひご期待ください。


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しずおか地酒研究会25周年記念 オクシズの恵み再発見ツアー

2020-09-15 11:50:07 | しずおか地酒研究会

 しずおか地酒研究会は、前身である1995年11月開催の静岡市立南部図書館食文化講座から数え、今年、満25歳を迎えました。今春よりさまざまな感謝企画を考えていましたが、コロナの影響ですべてリセット。代わりに、25年の活動を支えてくれた身近な同志に感謝を伝えるささやかな場を設けることにしました。

 第一弾として9月12日、オクシズの油山温泉「油山苑」で女性6人のお泊まり酒宴を開催しました。油山苑は食事に定評のある温泉旅館で、女将の大塚郁美さんは静岡の地酒への思い入れが深く、私の活動も長年温かく見守ってくださっている方。夕食メニューには静岡の地酒飲み比べセットもあります。

 そして集まってくれたのは萩原郁子さん(「萩錦」蔵元杜氏)、安陪絹子さん(酒匠)、坂野真帆さん(そふと研究室)、川村美智さん(元静岡新聞記者)、田邊詩野さん(静岡新聞出版部)。地酒研25年の活動と私の地酒取材を長年支えてくれたタフな女性たちです。

 当初は油山苑に1泊するだけの予定でしたが、多忙な女性たちが貴重な土日を割いて集まってくれるのだから、翌日、近場の観光ができないかと坂野真帆さんに相談し、玉川の「ガイアフロー静岡蒸留所」、本山茶園「志田島園」、そして旬のブドウ狩りが満喫できる「大塚ぶどう園」をはしごするツアーをセッティングしていただきました。結果、25年前は知る人ぞ知る存在だった静岡吟醸が今は地元の、いや日本の宝になったように、オクシズの食文化も必ずや多くの日本人が自慢する宝物になるだろう手応えをビンビン感じる貴重な2日間となりました。

 ちなみに真帆さんはそふと研究室を起業される前、ライター&プランナーとして活躍されており、1998年に地酒研会員情報を網羅して出版した〈地酒をもう一杯〉で助っ人ライターをしてくれた人です。

 

 9月12日午後、“しずまえ”に位置する萩錦酒造で萩原郁子さんをピックアップし、伊豆の国市から駆けつけてくれた安陪絹子さんとともに油山苑へ。夕方、坂野真帆さんの車で川村美智さんと田邊詩野さんが合流してくれました。美智さんは静岡県における女性新聞記者の草分けレジェンドであり、静岡新聞で地酒研の活動を再三記事に取り上げてくれた方。退職後は静岡市女性会館アイセル21館長として男女共同参画事業に尽力されました。詩野さんは地酒研発足年からの参加者で、2015年に〈杯が満ちるまで〉を作ってくれた、私が心から信頼する編集者です。

 

 油山温泉は今回初めて訪れましたが、静岡駅から車で30分もかからず、意外に近くてビックリ。新東名の静岡ICからならわずか10分という距離です。温泉自体は約500年前、今川氏親の時代から知られていて、氏親の妻・寿桂尼が遊山保養の地として愛したそう。夕食前に宿の前の東海道自然歩道をブラ歩きし、温泉名の由来となった油山川源流部の森林浴を楽しみました。周辺を囲む常緑樹の深緑と、蒸し暑さを吹き飛ばそうとしているかのような初秋の雲のコントラストが見事。こんなふうに空を見上げる時間が、ふだんほとんどなかったことに気づき、思いきり深呼吸しました。時々、呼吸法を採り入れたストレッチ&筋トレ講座に通っていますが、こういう場所で屋外講座ができたらいいなあと思いました。

(撮影/田邊詩野さん)

 

 少し奥に進むと、あまり人の手が入っていないのか、山林や山道は倒木や雑林が目立ち、不法投棄と思われる産廃ゴミもちらほら。静岡市街から一番近い天然温泉地なのだから、もう少しなんとかならないのかな・・・。

 

 12日夜、食事に定評のある油山苑らしく、地元食材がふんだんに使われ、しかもほどほどの量で多品種。食中酒タイプの静岡の酒がスイスイ進みます。

 油山苑には静岡の地酒飲み比べセットもありますが、今回は特別に持ち込みをお許しいただきました。用意したお酒は、萩錦4種に喜久醉2種。プラス私の酒器コレクション。喜久醉の蔵元青島久子さんもご参加いただく予定でしたが、急用のため、お酒のみの参加となりました。

 萩錦は杜氏の郁子さんの解説付きでいただく贅沢。5年前〈杯が満ちるまで〉の取材時に仕込んでいた大吟醸(2014BY)をわざわざご用意くださいました。喜久醉の松下米も2018BYで仕込んでから1年半以上寝かせたものでしたが、どちらもベストな飲み頃。丁寧に仕込んだ静岡酵母の大吟醸は適正な保存状態であれば1年以上、いやもっと置いたほうが味わいが深化するんじゃないかと改めて実感しました。

 

 ちなみにこちらは1998年の〈地酒をもう一杯〉取材時に初めてお会いしたときの郁子さん。酒造りの面白さについて生き生きと語る郁子さんの表情が素晴らしく、これを本に掲載したら、奥に写っているご主人の蔵元萩原吉隆さんから「なんで自分が添え物扱いなんだ」と怒られましたっけ(苦笑)。

 

 こちらは同じく〈地酒をもう一杯〉に掲載した安陪絹子さん。当時は沼津で伝説的地酒バー『一時来(ひととき)』を経営されていました。店名は河村傳兵衛先生の命名です。

 しずおか地酒研究会の有志が1996年12月、沼津工業技術センターの試験醸造に差し入れ訪問したときもご一緒していただきました。絹子さんの左は河村先生、右隣は現在、磯自慢の副杜氏山田英彦さん。当時は研修生として汗をかいていました。

 

 13日は午前中、ガイアフローディスティング㈱静岡蒸留所の見学ツアーに参加しました。仕込み休業期でしたが、代わりに製造時期には見ることの出来ないマッシュタン(糖化槽)、ウォッシュパック(発酵槽)、ポットスチルの内部を見せていただきました。

 私は3回目の訪問ですが、今回は静岡県産の大麦&沼津工業支援センターで開発したウイスキー版静岡酵母での仕込みが始まるなど毎回来るたびに進化していて、蒸留所自体が生きもので、熟成過程にあるように感じました。酒蔵が、まったくのゼロから動き始めた歴史を間近に見られるというのは、長年酒蔵取材をしてきた身にしてみれば、本当にレアな体験です。廃業のニュースばかりが目立つ酒造業ですが、次世代の起業家や投資家にとって魅力的な事業になる試金石として、オーナー中村大航さん(写真右端)の挑戦を心から応援したいと思います。

 

 昼食は、ガイアフロー静岡蒸留所のすぐ向かいに2020年4月オープンのCAFE RESTAURANT BOSCO でパスタ&かき氷ランチ。店主の福地章仁さんが静岡の農家から集めた旬の食材で、見た目も華やかなメニューを提供しています。女子旅には必須のランチスポットですね!

 

 ランチから合流してくれた神田えり子さん(フリーアナウンサー&地酒チアニスタ)を交えて、午後は本山茶農家『志田島園』へ。江戸期から7代続く農家で、お茶、わさび、林業を手掛けており、母屋を囲むように山懐に沿って広がる傾斜の茶畑が、本山茶産地ならではの景観を醸し出していました。

 7代目佐藤誠洋さんはエコファーマーであり手揉み保存会メンバーでもあり日本茶インストラクターでもあり、自園の製茶工場での自製茶に徹した栽培製茶家。酒造業に例えれば、酒米農家であり蔵元杜氏であり、酒販店兼きき酒師のようなマルチクリエイターです。情報発信能力のあるこの世代が、本気になって継承すれば、静岡茶も変わるだろうとワクワクしてきました。

 佐藤さんの案内で広い園内を40分ほど散策し、母屋の縁側で氷水出し茶と採れたて生ワサビを味わい、静岡に生まれてよかったなぁと心底感動。ちなみに8月末に中田英寿さんが訪問された記事がこちらに紹介されています。

 

 当初はこれで終わりの予定でしたが、前日、安倍街道を北上していたとき、大塚ぶどう園の看板を見つけ、1年のうち2カ月ほどしかないぶどう狩りの時期に、ここを通るチャンスはめったにないかも!と、真帆さんにお願いし、最後の寄り道として福田ヶ谷の大塚ぶどう園へ。

 偶然にも松下米の松下明弘さんが昼から来園中で、我々が来ると聞いて2時間も待っていてくれたのでした。大塚ぶどう園のオーナー大塚剛英さんと松下さんは栽培者同志として親交が深く、今年のお正月に一緒に呑んだときは熱い農業談義に聞き惚れたものでした。大塚さん&松下さんの手ほどきで食べ頃の房をあれこれ物色し、抱えきれないほどのぶどうをゲットしました。

 

 しずおか地酒研究会25周年記念のオクシズツアー、駆け足でしたが、身近にこんなに豊かな食文化があり、担い手たちの地道な努力を買い支えていかねばという、25年前と同じ思いを再認識できました。その思いが少しでもお伝えできれば幸いです。今ならGoToトラベルで、かなりリーズナブルに楽しめますので、週末や連休にぜひ!

 

オクシズのHPはこちら

そふと研究室のHPはこちら

萩錦酒造のFBはこちら

油山苑のHPはこちら

ガイアフローディスティング㈱静岡蒸留所のHPはこちら

CAFE RESTAURANT BOSCO のHPはこちら

志田島園のHPはこちら

大塚ぶどう園のHPはこちら


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セノバ日本酒学12講座を振り返る

2020-09-07 20:27:48 | 地酒

 昨年10月から始まった朝日テレビカルチャー静岡スクールの地酒講座『セノバ日本酒学』全12講座が無事終了しました。今年に入り、コロナの影響で日程変更が生じましたが、しっかり準備をして臨んでくださったゲスト講師の熱意、コロナ禍でのリアル講座に参加してくれた受講生の意欲、カルチャー事務局の手厚い支援もあって、当初のプログラムを完遂することができました。皆さまには改めて心より感謝申し上げます。

 事前に入校手続きされた受講生(19名)のためのクローズドセミナーですが、手前味噌ながら大変充実した内容でしたので、備忘録がわりに12講座の内容を簡単にご紹介したいと思います。

 

セノバ日本酒学 SAKEOLOGY@SHIZUOKA

2018年に新潟大学で開講した日本酒にかかわる文化的・科学的な学問分野を網羅する「日本酒学(Sakeology)」を参考に、静岡ならでは日本酒学の確立を目指す実験講座。しずおか地酒研究会を主宰するライター鈴木真弓が30年余の取材歴で得た知見や人脈を活かし、日本酒の魅力を全方位からプロデュースします。

 

 

第1回 2019年10月5日 「文学」酒を伝える名文解説 講師/鈴木真弓(コピーライター・しずおか地酒研究会主宰) 

 初回は私が本業の研究をベースに、お酒にまつわる古今東西のユニークな名文を紹介しました。以前、しずおか地酒研究会で開催した酒の文学朗読会の原稿や、このブログで紹介した広辞苑での〈清酒〉解説等がベース。広辞苑ネタは、ブログに書いたときは単に趣味で調べただけのことでしたが、まさかこういうことに役に立つとは・・・。その時々で興味を持ったものにはきちんと向き合って記録しておこうと改めて噛み締めました。こちらをぜひご参照ください。

 

第2回 2019年11月2日 「経済」プロに聞く!酒税のしくみ ゲスト講師/内川正樹氏(税理士・元名古屋国税局酒類業担当官)

 内川さんは名古屋国税局で酒類を担当されていた頃、しずおか地酒研究会の活動に目を留め、何かと応援してくださった方。税理士として独立されたとうかがってゲスト講師をお願いし、快くお受けいただきました。内容はもちろん、我々左党が優良納税者として胸を張れる〈酒税〉の目的としくみについて。国税庁の課税資料やデータを駆使して、大学ゼミ並の濃ゅ~い講義をしていただきました。受講生からも「本当のカルチャー教室みたい」と褒められ?ました(苦笑)。

 

 

第3回 2019年12月7日 「実践」生酛づくり体験(会場/杉井酒造) 解説・指導/杉井均乃介氏(杉井酒造蔵元杜氏)

 杉錦の生酛の酛摺り体験は、2016年にしずおか地酒研究会20周年記念企画で実現し、多くの参加者に喜んでいただきました。セノバ日本酒学でもぜひ実現できたらと杉井さんにお願いし、酒造繁忙期にもかかわらずご協力をいただくことができました。詳細レポートはこちらに投稿してありますのでご参照ください。

 

 

第4回 2020年2月1日 「文化」酒席のマナー ゲスト講師/望月静雄氏(茶道家・日本秘書協会元理事)

 私の地酒講座では初めて、酒類とは直接関わりのないをゲストをお招きしました。望月先生は、このブログでも再三ご紹介している駿河茶禅の会座長をお務めの茶道家。先生はマナー講師としてもご活躍で、酒席の所作について大変お詳しいため、酒瓶や酒盃の美しい持ち方、徳利の注ぎ方等々の所作のご指導をお願いしました。次回以降の講座から、酒瓶の持ち方がキレイになった受講生が増えて嬉しかったです!

 

 

第5回 2020年2月29日 「農業」日本一の稲オタクが語る酒米 ゲスト講師/松下明弘氏(稲作農家)

 日本で初めて、酒造好適米の王者・山田錦の完全無農薬有機栽培に成功した松下明弘さんに、90分間、酒米についてしゃべり倒していただきました。お話を伺いながら、喜久醉の松下米純米大吟醸・松下米純米吟醸・有機認証申請中の藤枝山田錦を飲み比べするというぜいたく。山田錦の酒は世に数多ある中で、なぜこの酒は心に響くのだろうと、今更ながら深く感じ入りました。私は松下さんが1996年に山田錦を栽培し始めた頃からのヘビーユーザーですが、初めて呑んだ人にもちゃんと響くのですから、酒と同様、米にも作る人の人となりが現れるものだと思います。

 

第6回 2020年3月7日 「醸造学」醸造科学を知る目的 ゲスト講師/戸塚堅二郎氏(静岡平喜酒造㈱蔵元杜氏)

 静岡平喜酒造の戸塚さんは、以前カルチャーで酒蔵見学させていただいたとき、解説がとても丁寧でお上手で受講生の評判が良かったため、戸塚さんのような次代を担う若い酒造家に思いの丈を存分に語っていただき、酒造業界の明るい未来を想像しようとお招きしました。鑑評会シーズン直前だったため、鑑評会の審査方法や出品酒の設計について、かなり突っ込んだ解説をしていただいて、たぶん私が一番興味津々で聴き入ってしまったと思います。それだけに、鑑評会の一般公開がコロナの影響でことごとく中止になってしまったことが悔やまれてなりません。

 

 

第7回(4月期第1回) 2020年4月4日 「静岡の酒ものがたり」 鈴木真弓

 2020年4月からの後半6回はSAKEOLOGY@WOMENと銘打ち、9月までの6回すべて女性を講師に、日本酒の新たなアプローチを目指して企画しました。トップバッターとして私が静岡吟醸の歴史について、過去のしずおか地酒研究会サロンでゲストにお招きした松崎晴雄さんとの対談内容をレジメに解説しました。レジメはこちらに公開しましたので、ぜひご参照ください。

 

 

第8回 2020年7月4日 「dancyuが発信し続ける日本酒ムーブメント」 ゲスト講師/里見美香氏(dancyu主任編集委員・元編集長)

 コロナの影響で5月6月はカルチャー自体が休校となり、飲食を伴うこの講座は再開が難しいと思われましたが、ゲスト講師とカルチャー事務局のご協力のおかげでなんとか再開することができました。

 里見美香さんはdancyu日本酒特集の生みの親であり、編集長として辣腕を振るった業界を代表する編集者。静岡市ご出身ということで、しずおか地酒研究会にも再三ゲストで来てくださり、今も何かにつけてお世話になっています。学生の頃から「酒呑みになりたい」という夢を持ち、dancyu創刊時に居酒屋・日本酒担当になったことから、周囲の日本酒嫌いを"改心”させるべく、社内に「日本酒普及委員会」を設置。酒を造る人の魅力、呑むという行為の魅力、酒場の魅力を発信し続けておられます。詩飲酒には取材を通して日本酒の未来を担うであろうと実感された6銘柄(荷札酒、江戸開城、風の森、みむろ杉、白隠正宗、奥鹿)を紹介していただきました。

 

 

第9回 2020年7月11日 「“富士の酒”の挑戦」 ゲスト講師/榛葉冴子氏(酒匠・しず酒コーディネーター、オフィスサエコ代表)

 榛葉冴子さんは通販主体の酒販店「富士の酒」を運営する地酒コーディネーター。2017年の起業以来、イベントの企画運営、セミナー講師、酒蔵での商品企画や営業代行、法人向け商品企画等々を幅広く手掛けておられます。元々は㈱リクルート出身で、アメリカでホテル販売業やヘルスケア関連企業の営業経験も持つキャリアウーマン。開運の現杜氏榛葉農さんと結婚し、酒造業を内側から見るうちに、冴子さんならではのアイディアが次々と湧き上がったんだろうと思います。

 自分が酒蔵取材を始めた32年前は女というだけで好奇な目で見られた時代でしたから、彼女の存在を知ったときは、静岡県でもこういうキャリアの女性が登場し、起業する時代になったことに新鮮な驚きを覚えました。今回は、日本酒を呑むきっかけづくり~楽しむシーンづくり~商品提供までワンストップサービスを目指す事業の一端を、実践を交えて伺いました。

 

第10回 2020年8月1日 「静岡と世界を貫く蔵直便」 ゲスト講師/種本祐子氏(ヴィノスやまざき代表取締役)

 ワインの直輸入店として日本を代表する名店・ヴィノスやまざきの種本祐子社長に、父の山崎巽氏から受け継いだ小売業の哲学、静岡の地酒への真摯な思いをうかがいました。詳しくはこちらの記事をご参照ください。

 

第11回 2020年8月8日 「酒造りを生業にするということ」 ゲスト講師/萩原郁子氏(萩錦酒造・蔵元杜氏)

 萩原郁子さんは、一人娘の綾乃さん、綾乃さんのご主人萩原知令さんの家族3人で萩錦を支える蔵元杜氏。郁子さんは薬学部出身、綾乃さんは美大講師、知令さんは建築士というキャリアをお持ちで、私はこのユニークな萩原ファミリーを長年応援し続けるファンでもあります。

 最初に郁子さんと出合ったのは、1998年発行の「地酒をもう一杯」の取材時で、当時から郁子さんは仕込み蔵で杜氏の補佐をしており、現場で肉体労働する蔵元の奥さんがいるんだ…!と目を丸くしたものでした。晴れて杜氏となった2018年に蔵元である夫・萩原吉隆さんが急逝し、この2年は激動だったと思いますが、最近の萩錦はどこか血の通った味になった気がします。今回は静岡酵母HD-1の酒を揃え、亡き河村傳兵衛先生や歴代杜氏の思い出話も添えてくれました。厳しい指導者に現場で鍛えられた経験と、亡き先人に恥じない酒を造らなきゃって決意があるから、血が通ってるって感じられるのかも。…私もそういう文章を書きたいなあと思いました。

 

第12回 2020年9月5日 「しずまえの味と静岡地酒のマリアージュ」 ゲスト講師/山崎伴子氏(鮨処やましち(蒲原)店主)

 セノバ日本酒学の最終講座は蒲原の鮨処やましちでの酒食体験。しずまえ料理の看板店主としてメディアにも引っ張りだこの山崎伴子さんにご協力いただき、駿河湾の海の幸との食べ合わせを考えて開発された静岡酵母の酒の実力を、実際に食べ合わせてみながら受講生に体感していただきました。ご用意いただいたメニューは生しらす、生桜えび、清水港のマグロお造り、太刀魚の酢味噌和え、茶くらえび(生茶葉と生桜えびのかき揚げ)&太刀魚の天ぷら、鯵のすし。鯵のすしは昔ながらのビッグサイズな握り。2つに切って出されたことから1貫=2個になったそうです。由比蒲原の鯵はなんといっても桜えびを餌にしてますから、やっぱり格別です。

 私が駆け出しライターだった頃、静岡の酒を語れる女性料理人が県内に3人いました。沼津の「一時来」長沢絹子さん、浜松の「豆岡」岩崎末子さん、そして蒲原の「やましち」山崎伴子さん。この3つのお店には同じデザインの壁据え付けの酒専用冷蔵棚がありました。河村先生、磯自慢の寺岡さん等から「静岡の大吟醸を扱うために」と薦められたそうです。カウンター越しの壁一面を冷蔵棚にするのですから、個人店で設えるのは容易ではなかったと思いますが、酒を我が子のように大切に扱う母性に近い感性と、自店の料理と相性のいい酒を決してぞんざいにはしないプロ姿勢に、私も心底勇気づけられました。そして、静岡吟醸は造り手だけでなく、売り手のこの姿勢がなくては世に出なかっただろうと実感し、造り手ー売り手ー飲み手の和を伝えるべく、しずおか地酒研究会を作ったのでした。

 そんな歩みを振り返りながら、「しずまえ料理と静岡の酒は最強のペアリングだ」と再認識できた、やましちでの酒食体験。コロナ禍のもと多くの関係者にご配慮いただき、実現できたことに心から感謝いたします。しずまえ料理についてはこちらの記事もご参照ください。

 

 なお朝日テレビカルチャー地酒講座は、コロナの影響で蔵元の協力が難しいとされたことから、今秋以降、休止にしました。しずおか地酒研究会25周年で温めている企画もいくつかありますが、会の方向性を含め軌道修正する必要があります。新たな地酒ファンづくりに、自分のこれまでの知見がどれだけ活かせるのか or 本当に必要とされているのか、当面は迷いながらの暗中模索が続きます。

 

 


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聚光院伊東別院訪問

2020-09-01 10:39:35 | 駿河茶禅の会

 9月の声を聴き、「コロナ」「猛暑」に先んじて、「台風」がニュースの冒頭を飾るようになりました。立秋を過ぎてから蒸し暑さが本格化するなど、季節の巡りが迷走しっぱなしの今年、台風シーズンがいつまで続くのか、秋はちゃんと来るのか心配は尽きません。

 そんな中、8月30日(日)に駿河茶禅の会で聚光院伊東別院を訪問しました。今年の初めに同院を取材し、小野澤虎洞和尚に茶禅の心得を直接うかがう機会に恵まれた私は、駿河茶禅の会のお仲間をぜひお連れしたいと企画。コロナの影響で紆余曲折ありましたが、院を預かる東谷宗弘和尚の細部に亘るご配慮のおかげで、無事、拝観と坐禅体験をさせていただくことができました。

 宗弘和尚とは不思議なご縁がありました。私自身は、伊豆高原のアート情報誌『iS』の取材で今年1月21日に同院を訪問したのが最初ですが、奇遇にも、今年の正月、駿河茶禅の会の望月座長が個人的に同院を拝観しており、私が取材した翌日22日の茶禅の会初釜例会で、望月座長が駿府城公園紅葉山庭園茶室に虎洞和尚が揮毫した禅語『千里同風』を掛けられたのです。「私、昨日、伊東別院に取材に行ってきたんですよ」と話したら、座長も驚かれ、会でぜひ訪問しましょうという話になりました。

 8月30日にはふだん禅道をご指導いただく東壽院の曦(あさひ)宗温和尚も参加されたのですが、宗弘和尚から「曦さんは京都の修行時代にご指導いただいた恩人です」とうかがい、二度ビックリ。さらに、昨年秋の博多茶禅研修でお世話になった承天寺塔頭乳峰寺の平兮正道和尚とも修行時代にご縁があったとのこと。この世に禅宗の僧侶が何人いらっしゃるのかわかりませんが、そんなに狭い世界なのか??とビックリ続きでした。

 

 コロナ禍によって人との出会いや接触が制限されるようになり、人脈づくりが仕事上の生命線にもなっている我が身としては、ソーシャルディスタンスの取り方に戸惑いや息苦しさを感じていた、そんな中、マスクを付け、冷房が効かない坐禅堂で足を組まさせてもらい、じんわり汗をかいた後に千住博さんの滝の襖絵を見直したとき、何か腑に落ちる感覚がありました。制約があるから気づける、見えてくる価値があるのだと。

 “千里同風” を地で行く場で、多くの仲間と共有できた時間に心から感謝します。

 

『iS』は伊豆高原でブックカフェ〈壺中天の本と珈琲〉を経営されているたてのしげきさんが発行するアート情報誌。写真や挿絵が素晴らしく、作家やエッセイストが寄稿する珠玉の文章も光っています。発行編集人のたてのさんご自身、マスコミのご出身で鋭い審美眼の持ち主。編集者の田邊詩野さんは静岡新聞社で私の『杯が満ちるまで』を作ってくれたスペシャリストで、彼女が書き下ろした貴重なルポやエッセイも素晴らしい。観光ガイド本とは一線を画す、読み応え十分の一冊です。お求め・お問合せは壺中天の本と珈琲(こちら)まで。

 以下、『iS』第4号に寄稿した記事の草稿を紹介させていただきます。荒削りで理屈っぽくて編集長から却下された草稿💦ですが、それなりに思いを込めて書いた原稿なので、備忘録として掲載します。

 

 

茶禅の世界へ誘う風 ―聚光院伊東別院

 

 聚光院は京都大徳寺の山内にある塔頭の一つで、茶道の千利休一族の菩提寺として知られる。

 千利休(1522~1591)は大徳寺第107世笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)和尚に禅を学び、笑嶺和尚が三好義継に請われて聚光院を開いたとき、多額の浄財を喜捨。自刃する2年前に仏塔形の墓を建て、自分と妻の名を彫り込んで寄進状を添え、一族の供養とした。三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)が交替で毎年28日に行う利休忌法要と茶会は、今も連綿と続いている。

 美術ファンならご存知だと思うが、聚光院方丈の襖絵「竹虎遊猿図」「花鳥図」等は狩野松栄・永徳親子が描いた日本画史上最高傑作のひとつ(国宝)。1974年に東京国立博物館がモナリザ展を開いた際、返礼としてルーブル美術館に貸し出された。

 通常非公開の聚光院が創建450年記念で特別公開された2017年5月、私は主宰する『駿河茶禅の会』の仲間と訪問し、保管先の京都国立博物館から里帰りした国宝の方丈襖絵と、2013年落慶の新書院の襖を彩る千住博画伯の、真青と純白のコントラスト鮮やかな「滝」を拝見した。千住画伯は、狩野永徳と並べて観られる作品を生み出す苦闘の中、「宇宙から見た地球の青=さすがの永徳も見たことのない色」に到達したという。

 宇宙、と聞いて脳裏に浮かんだのは禅画の円相。一筆でマルを描いたあれだ。

 2013年に渋谷のミュージアムで観た白隠禅師の円相には、〈十方無虚空、大地無寸土〉という画賛が添えられていた。「虚空もなければ大地もない。ただ清浄円明なる大円鏡の光が輝いている」という意味。これは、考えようによっては、量子論を取り入れた宇宙物理学―「宇宙の始まりは“無”だった」「宇宙が誕生する瞬間、“虚数時間”が流れた」「それによって宇宙の“卵”が大きくなり、急膨張した」「高温・高速度の火の玉状態(ビッグバン)を経て恒星や銀河が出来た」を表現しているようにも思える。

 後日聴講した科学者と禅学者のディスカッションによると、「科学の力で観測・実証できたとしても、人間自身が認識するものである以上、宇宙はイコール自己とも言える」という。武藤義一氏の『科学と仏教』には「釈尊は宇宙の創造神を認めず、内観によって自己を知り、智的直観によって宇宙や人生の全てを成り立たせる法を悟った」とある。「科学はwhat に答えるもので、仏教はhowに答えるもの」とも。となると、“己の認識の絶対矛盾をつきつめよ”という釈尊の法を科学者が実践してきた先に今日の宇宙物理学があるとも言える・・・。禅寺の障壁に宇宙を描いた画伯の“直観”に痺れたと同時に、500年後、宇宙の何処かに移住した人類が、里帰りした地球でこの絵を見て、あの「竹虎遊猿図」や「花鳥図」の熟成感に似たものを味わう姿を空想し、興奮を覚えた。

 

 iS第3号の巻頭特集―千住博「美と生命を語る」で紹介されたとおり、茶禅の聖地・聚光院の別院が、伊豆高原の富戸に1997年創建された。大徳寺塔頭では初めて、地方に置かれた別院である。

 創建のきっかけは聚光院前住職の小野澤寛海和尚が東京の篤志家より土地と建設費用を寄進されたこと。篤志家とは、福富太郎もボーイとして働いていたという浅草の伝説的キャバレー『現代』のオーナー岡崎重代氏。鳩山内閣の安藤正純文部大臣の秘書を務めた寛海和尚の伯父が常連客だったそうで、信心深く茶道の造詣も深い岡崎夫妻が「こういう商売をして儲けさせてもらっているから、何か社会に還元したい」と寺の寄進を申し出られたという。寛海和尚が聚光院住職となって2年目、1972年頃のことである。

 戦国武将が庇護する時代ならいざ知らず、寺の新設や経営が一筋縄ではいかない現代。何度か固辞をされた寛海和尚だったが、岡崎氏と共に浅草寺の総代理事を務めていた竹村吉左衛門氏(安田生命会長)の後押しもあって1977年頃から計画が動き出し、場所は富戸にある岡崎氏の所有地に、設計は日本を代表する建築家吉村順三氏に依頼することになった。皇居新宮殿の基本設計や奈良国立博物館新館の設計で名高い吉村氏も、寺院を手掛けるのは初めて。氏は残念ながら完成の直前に亡くなり、吉村設計の最初で最後の寺となった。

 岡崎氏の発案から四半世紀の時を経て、1998年3月に落慶式が執り行われた。その数年後、千住画伯が8室77面の襖絵を描き下ろし、寄進した。代表作「滝」のバックカラーは墨。大徳寺聚光院書院の青の滝を先に見ていた私は、地球から見た宇宙の闇を表現したんだな、と直感した。

 

 画伯がニューヨークのアトリエで、2001年9月11日の世界貿易センタービル爆破テロを間近に体験しながら苦悩の末に完成させた作画工程がNHKのドキュメンタリー等で詳しく紹介されると、伊東別院は千住アートの殿堂と称され、国内外の美術ファンが集うようになった。

 一方で、聚光院現住職の小野澤虎洞和尚は明言される。「ここへは茶を飲み、坐禅をしに来ていただきたい」と。

 ガラス張りの鉄筋吹き抜け構造。ロフトのような2階に坐禅堂を置き、ロフトからは「滝」の黒面と白瀑布が見下ろせる。伊東別院は類のない新しい禅寺のスタイルを打ち出している。しかしながら、ここは住職がおっしゃるとおり茶禅の聚光院であり、発起者岡崎氏も禅と茶道の実践道場に、と願っていた。

 

茶は服のよきように点て (相手が飲みやすいように点てよう)

炭は湯の沸くように置き (湯沸かしの準備やタイミングを大切に)

花は野にあるように生け (自然にあるように=本質を見失わずに)

夏は涼しく冬暖かに (相手が快適に過ごせるように)

刻限は早めに (時間は余裕を持って)

降らずとも傘の用意 (余計な心配をさせないように)

相客に心せよ (客同士で気を遣わせないように)

 

 茶道を修養する者が最初に叩き込まれる〈利休七則〉である。亭主にはこれだけの配慮が、客にはその配慮を理解する心が必要だからこそ、ただ座って茶碗を受け渡すだけの所作が「茶道」になるのだ。

 佗茶の創始者村田珠光は一休宗純に禅を学び、修行僧が坐禅や公案(禅問答)で無や空の境地を目指すように、茶道の一連の所作を通してこれを目指した。将軍足利義政に茶の奥義を問われた珠光は「茶ハ一味清浄禅悦法喜(一碗の茶をいただく中に、禅の悟りと同じほどの喜びがある)」と答えている。利休はこの精神を受け継ぎ、「仏法を以て修行得道する事なり」と終生、禅の修養に努めた。

 「茶をやる者は坐禅をせなあきません」と強調される虎洞和尚。兄の寛海和尚から住職を継いだ後、より積極的に伊東別院の坐禅堂と茶室の利活用を呼びかけておられる。東京に近いこともあって、首都圏の茶道関係者の利用が多いようだが、「門はいつでも開けておく。高い敷居なら削ってしまう。間口は狭いが気持ちは広い。それが寺の本来あるべき姿」とし、その意を受けた常在の東谷宗弘和尚が、地元伊東や伊豆の人々にも茶禅の心を伝える機会を設けておられる。毎月第2土曜の夕方17時から1時間程度、誰でも気軽に参禅できる坐禅会を開催中だ。

 

 今年1月、静岡市の駿府城公園紅葉山茶室で開いた『駿河茶禅の会』の初釜で、床の間に掛かった軸は、偶然にも虎洞和尚の筆による〈千里同風〉だった。会の座長である望月宗雄師匠に趣意を伺うと、伊東別院の正月特別拝観に行かれたからと。私が本稿の執筆依頼を受けたのはその直後。こういう縁の風が吹くのかと驚いた。

 千里同風とは、千里離れていても同じ風が吹いている=直接言葉を交わさずとも心は通じると解釈される。

 1591年に没した利休とは400年以上の時の隔たりがあり、伊東別院の創建に尽力された岡崎、竹村、吉村各氏は鬼籍に入られ、千住画伯はニューヨークに、虎洞和尚もふだんは京都におられる。離れた時空にあっても、この寺を現代に活かしたいという同じ思いの風が、ここに集まっている。虎洞和尚のまるくしなやかな筆づかいのその先で、塵のような存在の私も同じ風を感じている・・・。伊東別院には、そんな錯覚を覚えるほど心地好い風が帰着していた。

 京都の聚光院は利休の時代に生きた人のために建てられた。こちらは、当然ながら、今の時代を生きる人のために創られたのである。吉村デザインも千住アートも、現代人を茶禅の世界に誘う風だと思えば、こんなに美しい風の通り道はない。

 

 

聚光院伊東別院

〒413-0231 伊東市富戸1301-104

TEL 0557-51-4820

拝観は要予約。拝観料2000円。

坐禅会は毎月第2土曜17~18時。初めての人は電話でお問合せください。

 

(参考文献)

大徳寺聚光院別院襖絵大全/著・千住博

科学と仏教/著・武藤義一 

山上宗二記/校注・熊倉功夫

利休覚え書き「南方録覚書」/全訳注・筒井紘一

茶文化学術情報誌「茶の文化」4号/(社)静岡県茶文化振興協会


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