杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

国勢調査100年

2020-10-20 16:38:55 | 国際・政治

 10月20日は、5年に1度の「国勢調査」の回答期限日。19日の段階で回答率80.9%との報道で、8割超えているならいいほうだと思いがちですが、未回収率は回を増す毎に高まっていて、1995年は0.5%、2000年には1.7%、2005年には4.4%、2010年は8.8%、前回2015年は13.1%に達したそうです。このままだと2020年は20%近い未回答率を記録してしまうことになりますね。

 

 国勢調査については、今年が調査開始100年という節目にあたることから、上川陽子さんとのラジオ番組で取り上げるのに、いろいろ調べた経緯があります。そして、国勢調査のもととなる人口調査が、明治時代に静岡藩で初めて行われたことを知りました。

 国勢調査は今からちょうど100年前の大正9年(1920年)、欧米各国と肩を並べるために国是として始まったものですが、それより約50年前、明治政府ができて間もない頃、 杉亨二という役人が静岡藩で住民に関する人口調査を試みたのです。

 杉亨二は、肥前国長崎の生まれ。医者の書生から、緒方洪庵の適塾に学び、嘉永6年(1853)、ペリーの黒船来航の年に勝海舟と出会い、その私塾長となります。その後、勝海舟の推薦で老中阿部正弘の顧問となり、幕末まで幕府に仕え、維新後も徳川家に仕えて、静岡藩へやってきたというわけです。来年の渋沢栄一を主人公にした大河ドラマでも取り上げられると思いますが、徳川慶喜公が滞在した静岡は、本当に人材の宝庫だったのですね。

 

 静岡藩での調査は一部地域での調査と集計にとどまりましたが、彼の能力を買った明治政府が杉を呼び寄せ、明治12年、今度は山梨県で「甲斐国現在人別調」を行いました。ここから今の時代のように全国調査へ広がればよかったのですが、当時のリーダーには理解がなく、その必要がないと言われ、予算が付かなかったようです。

 明治27年の日清戦争時に、スイスの万国統計協会から「欧米各国と歩調を合わせ、相互に比較可能な形で人口センサスを実施してください」と言われました。人口センサスとは人口を数える全数調査、すなわち今でいう国勢調査のことですが、すぐには実行されません。

 政治家で最初に国勢調査の重要性を説いたのは大隈重信侯でした。8年後の明治35年に「国勢調査ニ関スル法律」が定められ、さらに3年後の明治38 年、第一回国勢調査を行い、世界人口センサスに参加することになりました。ところがその前年に日露戦争が始まり、莫大な予算が必要な国勢調査どころではなくなってしまいました。

 次に予定された大正4年も第一次世界大戦で流れてしまいますが、大正6年に「国勢調査施行ニ関スル建議案」が衆議院で可決、大正9年の実施が決定し、大正7 年度の予算に国勢調査に関する予算が組み入れられました。国勢調査の実施に人生を懸けた杉亨二は、予算案が公表されたその日に息を引き取ったのです。

 

 第一回国勢調査は大正9年(1920年)10月1日に実施されました。杉亨二が「甲斐国現在人別調」を実施してから40年後、大隈公が説いた「国勢調査ニ 関スル法律」が定められてから18年後のことでした。

 第1回の調査は日本国中がお祭り騒ぎだったようです。当時、国民は国勢調査がどういったものなのかよく知りませんから、全国民に宣伝しなくてはいけないということで、政府もいろいろと考えたようで、まず分かりやすい標語を募集し、「国勢調査は文明国の鏡」「一家の為は一国の為になる」というストレートな標語から、「一人の嘘は万人の実を殺す」「申告は一に正直、二に正確」 という諌めの標語もあったようです。

「宣伝歌謡」も作られました。いわゆるコマーシャルソングですね。唱歌、数え歌、和歌、標語、川柳、都々逸、一口噺、安来節など民謡の数々、はては「センサス節」というのもあり、歌集は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されています。

 

 上川陽子さんは法務大臣として以前から無戸籍問題について取り組んでおり、「国勢調査で一人一人の戸籍を確認できなければ、さまざまな政策が立案・運用できない」と強調されていました。「同じ時期に同じ規模で5年ごとの定点観測をしてこそ判ることがたくさんある」と。

 たとえば人口ピラミッドのかたち。1920年の第1回は日本の人口は裾の広い「富士山型」でした。1965年の第10回は戦争の爪痕とベビーブームを象徴する「釣り鐘型」、前回2015年の第20回は「つぼ型」で出生数は100年前から半減しました。今の出生数は86万ぐらいですから100万人を切っているのです。

 このまま推移すると、将来は年齢間の凸凹がほぼなくなり、なめらかに下すぼまりのタワマン形になると予想されます。100歳以上の女性の多さも目立つようになるそう。

 人口ピラミッドは出生と死亡、国際的な人口移動等によって推計され、5年ごとの調査で補正されていきます。100年続く実施調査がなければ将来予測も立てられないということです。

 

 これまでの国勢調査は町内会の皆さんが手弁当で準備し、訪問調査をされてきましたが、コロナによって訪問調査がままならず、調査員自体も集まらない状況のよう。今回はネット回答率5割以上を目標にしたそうです。私は前回からネット回答しており、今回は前回よりも入力がカンタンでした。

 静岡で“試運転”を行った国勢調査、ぜひ実りあるデータサイエンスにつなげていただきたいですね。

 

 

 

 


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上川陽子 視点を変えれば見えてくる

2020-09-16 19:23:10 | 国際・政治

 2020年9月16日に発足した菅内閣で、上川陽子さんが三たび法務大臣に就任されました。岸田派の陽子さんが入閣するのは難しいだろうと思っていましたが、菅さんは派閥の理屈よりも実力重視で選んだようだとニュースで聞いて、改めて、歴戦錬磨の政治家仲間からも高い評価を受けているんだ!と我がことのように嬉しくなりました。

 テレビ報道での事前の入閣予想リストに陽子さんの名前が挙がることはなく、女性で候補に挙がるのは知名度だけは高いマスコミ受けする人ばかり。途中から陽子さんの名前が出始めると、顔写真の用意がないためボードに手書きで名前を走り書きして貼る、なんて失礼な番組もありました。

 私は幸いなことに、1996年に陽子さんが初めて衆院選に挑戦する以前からご縁をいただき、2011年4月から放送が始まったコミュニティFMの番組『かみかわ陽子ラジオシェイク』で毎月、陽子さんとご一緒し、この10年の陽子さんの政治活動をつぶさに知る立場にありましたから、マスメディアが上川陽子を知らなすぎることに多少の義憤を感じています。今回の組閣でも女性が少ないため、政界における女性の人材不足が話題にされていますが、地盤・看板・カバンのなかった陽子さんがこれまでどれほどの努力をされてきたのかしっかり取材し、そこから見える女性政治家を取り巻く課題をしっかり分析してほしいと思います。

 …ということで、ありがたいことに、このブログも〈上川陽子〉で検索して来た訪問者が急増しています。今日は、2018年10月に法務大臣(2度目)を離任したときのことをラジオシェイクで話された一部を紹介し、視点を変えれば見えてくる政治家上川陽子の姿勢をお伝えしたいと思います。

かみかわ陽子ラジオシェイク

第168回「法務大臣就任一年2ヶ月を振り返って」(2018年10月27日収録/11月6日オンエア)

           

(上川)リスナーの皆さま、こんばんは。上川陽子です。

 

(鈴木)コピーライターの鈴木真弓です。どうぞよろしくお願いいたします。今日は陽子さんが第100代法務大臣を退任されてから初めての収録になります。陽子さん、まずはおつかれさまでした。退任時は省内でどんなふうに見送っていただいたのですか?

 

(上川)法務大臣に就任し、丸1年2ヶ月法務省の中で走り抜きました。前週から留任の期待の声も聞かれましたが、私としてはけじめをつけることが大事だと思い、荷物を片づけ、大臣室のスタッフの皆さんと記念写真を撮りました。

 引き継ぎの日の朝、法務省の車の中で「今日は水曜日だね」という話になりました。アットホームプランとして定時退社を促す曜日で、朝9時30分ぐらいに管内一斉放送で「今日は水曜日ですから定時に帰りましょう」と呼びかけるのです。そのアナウンスを私にやらせてもらえないかとお願いし、到着早々、放送ルームに向かい、「前法務大臣の上川陽子です。今日は一斉退庁の日です」と呼びかけました。

 次いで「1年2ヶ月、チームとしてご一緒していただき、ありがとうございました」と申し上げたところ、各室から拍手が湧き上がったそうです。後から聞いて感動しました。

 その後、1回目の法相時代に大臣政務官を務めてくださった山下新大臣に引き継ぎを行い、終了後は一番若い男性スタッフから花束をいただきました。玄関には幹部の皆さんがズラッと並び、最後はずっと務めてくれた運転手さん、守衛さんとも笑顔で手を差し伸べ、握手で見送ってくれました。

 

(鈴木)なかなかそうまでして見送ってもらえる大臣っていないのでは?

 

(上川)いつもみんなと一緒にチームとして活動するという思いで過ごしましたから。いい仲間に恵まれ、今思い出しても感動が甦ります。いったん句読点を打つということになりましたので、今後は地道に充電しながら自分の仕事をしていこうと思っています。

 

(鈴木)ラジオシェイクでは一般リスナーが報道では知り得なかった法務省の仕事についてたくさん教えていただきました。振り返っていかがですか?

 

(上川)私自身、深く掘り下げれば掘り下げるほど、司法というものが日本という国家の基本的な土台であり、これがしっかりしなければ国は揺らぐということを実感しました。国という大きな組織は司法がマネジメントできなければ信頼の基盤が消えてしまうのです。信頼が長続きしない組織は崩壊します。

 たとえば成人年齢を20歳から18歳に引き下げた民法改正は実に140年ぶりの改正でした。つまり140年も維持される、賞味期限が極めて長いものです。それが揺らいでいるかどうか、リトマス試験紙のように今の国の有り様を確かめることができる貴重な機会でした。100代目の法相を担うことになった意義とは、基本的な司法の価値を気づかせてくれたことだと思っています。

 

(鈴木)法相を拝命されたことは政治家上川陽子にとっても大きかったわけですね。

 

(上川)とくに力を入れた司法外交(注)ですが、国という組織もガバナンスが高くなければ安定して活動できません。これは民間企業と同じで、ガバナンスが低下し基盤が揺らいでいる国が海外にたくさんあります。日本も、最先端のことをやっているから強い国だという議論ではなく、司法というものにしっかりとした基盤を持っているかどうかで国力が判断されることに気づき、日本はその点で自信を持って司法外交を展開していけると確信し、行動できました。

 この先も国民生活が豊かになるために、日本の国の基盤という大切な部分が揺らいでいないかどうか、将来を見据えて行動していきたいと思います。

 

(鈴木)私がうかがったお話では、陽子さんが現場に積極的に足を運ばれ、現場で汗を流しておられる職員や刑務官の方、受刑者を支える民間の方々に寄り添う思いがよく伝わってきました。

 

(上川)中央にいると整理されてくる資料はたくさん来ますが、そこに行き着くまでの最初の生の情報が遠くなるというデメリットもあります。適切な判断ができるよう、現場の状況を肌身で感じる必要がある。法務省は大きな組織なので、一回目の法相拝命時にそのことを強く実感しました。

 キャラバンで地方に回るときも組織の上の声ばかりでなく、本当に現場で活動されている方々の声を聞くように努力しました。本当の声の中に改善点や改革のヒントがあるのです。

 

(鈴木)組織のリーダーシップを取る方にとっても参考になるお話ですね。

 

(上川)作られた情報ではなく自然体で見た情報が重要ですね。この1年2ヶ月、北海道から鹿児島まで回りましたが、行けなかったところもたくさんありましたので、今後は自由に足を運んでみたいと思います。

 

(鈴木)またぜひラジオシェイクでお話しください。陽子さん本当におつかれさまでした。

(注)司法外交についてはこちらの記事を参照してください。

 

*「かみかわ陽子ラジオシェイク」はFM-Hi 静岡(76.9Kh)にて毎月第1火曜18時30分~19時オンエア中

 

 

 前回、こんなふうに法務省を去った陽子さんが、ふたたび法務省を束ねることになり、職員の皆さんはどんな思いで迎えられるのか、ついあれこれ想像してしまいますね。

 今年4月、50年ぶりに京都で国際犯罪防止刑事司法会議(京都コングレス)が開催される予定でしたが、コロナのため、1年延期となりました。京都コングレスはもともと陽子さんが前々回の法相時代に開催を誘致し、準備し続けてきた法務省最大の国際事業なので、来春に延期になったことで、陽子さんが法相としてホストを務める可能性が出てきました。ぜひこちらの公式サイトをご参照ください。

 なお、ラジオシェイクのトークはすべて書き起こし、2011年から2013年までの内容は『かみかわ陽子 視点を変えれば見えてくる』(静岡新聞社刊)にまとめてあります。2014年以降の内容は書籍第2弾として出版準備中。ぜひご期待ください。


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上川陽子さんの職責

2017-08-03 18:16:46 | 国際・政治

 上川陽子さんが本日の内閣改造で法務大臣に復帰されました。前回(2014年10月21日~2015年10月7日)は急な拝命であわただしいスタートだったと思いますが、今回は改造内閣全体でリスタートという雰囲気。実績と安定感を買われての再登板で、ご縁をいただいた端くれとしても誇らしく思います。

 私は毎月第1・第3火曜18時30分からコミュニティエフエムFM-Hi(76.9)で放送中の『かみかわ陽子ラジオシェイク』でご一緒させていただいています。前回の法務大臣在任中もいろいろなお話をうかがいましたが、この回のお話が個人的にはとても好きでした。2015年9月15日放送(2015年8月収録)です。法務大臣の職責の一端、そして陽子さんの人となりが伝われば幸いです。

 

 

再犯防止キャラバンと世界大地図展

かみかわ陽子ラジオシェイク 2015年9月15日放送より


(上川)リスナーの皆さまこんばんは、上川陽子です。


 (鈴木)コピーライターの鈴木真弓です。どうぞよろしくお願いします。今日は法務省で陽子さんが力を入れていらっしゃる再犯防止キャラバンについてうかがおうと思います。先月、東北の仙台でキャラバンに行かれたそうですが、まずは再犯防止キャラバンってどんな活動か教えていただけますか?


 (上川)この番組でも何度かお話していることですが、一人でも多くの皆さんにぜひともご理解いただきたいので、改めてお話させてください。

 犯罪や非行が繰り返されないようにするためには犯罪や非行をした本人が過ちを悔い改め、更生の努力をし、国がそのための指導監督を行なうことと同時に、地域社会においても立ち直ろうとする者を受け入れ、その立ち直りに手を差し伸べることが肝要です。それができなければ彼らは孤立し、犯罪や非行を繰り返すという悪循環に陥ってしまいます。

 とくに仕事と住まいを得るための施策が重要だということで、関係閣僚会議の中で明確なメッセージを作りました。犯罪や非行をした本人が「犯罪に戻らない・戻さない」。これを活動テーマにして、地域の保護司や協力雇用主を始めとする多くの民間協力者の方々に取り組んでいただいています。私たちも地域の方々の現場の声を参考にしようと、法務大臣・副大臣・大臣政務官を隊長とする「再犯防止キャラバン」隊を編成し、全国各地を訪問しています。


 (鈴木)今年は第1回再犯防止キャラバンが3月中旬に葉梨法務副大臣を隊長に、福岡県で行なわれ、先月8月、法務大臣である陽子さんご自身が第2回キャラバン隊長として宮城県を訪問されたということですね。


 (上川)キャラバン隊は89日・10日に被災地でもある宮城県を訪問し、再犯や非行の防止、立ち直りの支援等に取り組まれている方々から直接お話を伺いました。併せて宮城県内の復興状況や現状についてうかがってきました。10日は国会会期中のため、事務次官に行ってもらったのですが、私が参加した9日には仙台市における登記所備付地図作成現場を視察し、保護司や協力雇用主等の更生保護に取り組まれている皆様との意見交換をしました。


 (鈴木)登記所備付地図作成現場とは?


 (上川)視察をした現場は山際の集落でした。山を切り開いて宅地化したところ、地震によって地すべりが発生し、家がなだれのように滑り落ちてしまったのです。復興となると、自然現象によって壊された土地に元のとおり線引きをしなければなりません。非常に難しい作業ですが、今回は法務省の登記に関わる測量の専門家に集中的に回っていただいた400世帯ほどの事前・事後の登記現場を見せていただきました。日本の土地の区画を示した地図とは、隣地との物理的な境界を示した地図と同時に、法的な地図でもあるというわけです。


 (鈴木)なるほど。被災地の復興にとっては基本中の基本というわけですね。地元で更生保護に努めておられる皆さんからは、どんな声が聞かれましたか?


 (上川)とくに被災地においては保護司の方も被災者であり、お亡くなりになった方もいらっしゃいました。今はかなり落ちつかれ、全力で保護司の仕事を務めておられて、頭の下がる思いでした。今はご自宅に招きいれて、というよりも、地域の中にあるサポートセンターをお借りして、出所者の方と面談をしているようです。ただ公的施設を利用するにあたっては経費等も問題もあります。国でなんとか支援していただけないかと、切実な声をいただきました。


 (鈴木)被災地での更生保護というのは、経験のないご苦労ではなかったかと思います。


 (上川)地域の絆が災害によって分断されてしまったとき、どうやって取り戻すか。復興の中で更生保護の活動を続けられるというのは強い意志が必要だろうと思います。事務次官が仙台市長、石巻市長と面談した際は、国、自治体、民間ボランティアがひとつの共同体としてしっかり役割を明確にし、果たしていこうということで一定の成果を得たと思います。


 (鈴木)再犯防止キャラバンというあまり日の目を見ない活動に、大臣自ら参加されたということで、インパクトがあったのではないかと思いますが。


 (上川)中央にいて全体を数字で見るだけでなく、実際に動いている現場を見て、実態を知った上で物事を進めていく。これは非常に重要だと思います。何が大事か、直接うかがうことは得がたい経験でした。


 (鈴木)キャラバンは今後、他の地域にも行かれるんですよね。


 (上川)そうです。これからの活動にもぜひ注目していただきたいと思います。


 

       

鈴木)さて、後半は陽子さんも私も大好きな歴史のお話をしたいと思います。先月まで東京駒込の東洋文庫ミュージアムで開かれていた「世界大地図展」をご覧になったそうですね。


(上川)大変面白い展覧会でした。東洋文庫ミュージアムってご存知でしたか?


(鈴木)大学で東洋史を専攻していましたので、東洋文庫の本はたくさん読んでいますが、ミュージアムがあるというのは知りませんでした。


(上川)実は世界5大東洋学研究施設の一つに挙げられているんですよ。もともと1924年、三菱財閥の3代当主岩崎久彌によって設立されました。国宝5点、重要文化財7点をはじめ、100万冊の重要書籍を所蔵しています。目玉はモリソンの東洋関係の蔵書です。


(鈴木)モリソンってどういう人ですか?


(上川)ジョージ・アーネスト・モリソンはオーストラリア生まれのイギリス人旅行家・歴史家です。TIMESの特派員を務め、中国の滞在が長く、いろいろな書籍を収集したようです。それを1917年に岩崎久彌が買い取り、後に東洋文庫ミュージアムの核としたわけです。


(鈴木)そうだったんですか。今回、陽子さんがご覧になった「大地図展~フィルメールも描いたブラウの世界地図」というのはどういう展示会ですか?


(上川)モリソンも冒険家ですが、冒険家というのは地図のない世界に踊り出て、自分で地図を作るという人ですね。では世界地図というのは誰が作ったのか。実は17世紀にオランダの東インド会社なんです。東インド会社が専門の地図作家に作らせた世界地図が、同社の交易を成功させ、巨万の富を与えたと言われます。その地図は単なる地理情報というよりも、豊かな色彩と豪華な装飾で描かれた芸術作品で、フェルメールのような芸術家にも影響を与えた。これを東洋文庫が所蔵しているんですね。初めての北極圏の地図もあって絵葉書でもいいから買って帰りたいと思ったくらいです。


(鈴木)すごい、17世紀に北極圏まで踏破したんですね。その原動力がビジネスのためというのは、なんともナットクさせられます(笑)。ヨーロッパでは領土を巡る戦争がずーっと続いていましたから、地図というのは支配者にとっても重要でしょうね。


(上川)力の誇示、支配の正統性、土地の収益力の算定などを目的に権力者は地図を作ることに血道を上げ、地図の持ち出しを禁制とする時代が続いたんですね。
 17世紀、ポルトガルやスペインに替わって海の帝国を作ったオランダが東インド会社を設立し、貿易だけでなく外交や軍事、植民地政策など国家に代わって独占権をもつ勅許会社としてビジネスを行います。ビジネスには精度の高い地図が必要ということで、ウィレム・ブラウ(1571-1638)とその息子ヨアン・ブラウ(1596-1673)が雇われました。ブラウ一家は天文・測量機器の販売を家業とし、当時のスタンダードなメルカトルの地図の原版を買い取ることに成功してから昇り竜の勢いで栄えたそうで、600点の地図を収録した「ブラウ大地図帳」を完成させました。これがフランス語、ドイツ語などにも翻訳され、ヨーロッパ各地に伝わりました。


(鈴木)以前、『逆さ地図』というのを陽子さんに教えていただきましたが、地図って見方を変えるとガラッと変わりますよね。


(上川)北極圏の地図でいうと、カナダから見るのと、アイスランドから見るのでは、まったく違って見えます。地図を制するものが権力を制するといいますか、私たちもあの日本地図にどっぷり浸かっていますので、ちょっと見方を変えてみると新しい発見があるでしょう。   

     

(鈴木)歴史といえば、法務省の史料展示室にも興味深い歴史資料が展示されています。展示室で発行している「歴史の壺」という会報誌、HP(こちら)でも読めるので興味深く拝見していますよ。


(上川)ありがとうございます。歴史の壺という会報誌では、法務図書館で所蔵する史料を紹介しています。明治政府が外国人を雇用するときの契約書とか、板垣退助が暴漢に襲われ「板垣死すとも自由は死なず」と有名な言葉を残したときの取調べ報告書とか、明治初めの頃の不動産登記簿など、日本の近代史を知る上で貴重な史料を紹介しています。赤レンガ棟にありますので、ぜひお越しいただきたいと思います。


(鈴木)日本史の授業では十分に取り上げられない近現代史ですが、興味を持って探せばアクセスできる学びの機会がたくさんあるんだなと実感します。


(上川)ICTを活用し、どこにいてもホームページで観られる時代になりました。機会があればホンモノを観に来ていただきたいと思いますね。*法務省HPはこちら


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かみかわ陽子ラジオシェイク放送100回!

2015-12-01 09:36:34 | 国際・政治

 静岡コミュニティエフエム=FM-Hi(76.9)で、2011年4月からスタートした【かみかわ陽子ラジオシェイク】が、2015年12月1日のオンエアで100回目の節目を迎えます。当初は月1回、途中から月2回、毎月第1・第3火曜日の18時30分から19時までの放送です。平日夕方の隔週放送ということで、オンタイムに聴いていただける方は限られるかもしれませんが、とにもかくにも、100回も続けてこられたなんてビックリです。

 

 放送開始当時は東日本大震災の直後。しかも民主党政権下で上川陽子さんは落選中という厳しい状況下でのスタートでした。私は、陽子さんが静岡へ戻って政治家を志した頃に出会い、広報のお手伝いをしてきたご縁でラジオの台本制作とMCをおおせつかったものの、しゃべりはまったくの素人で、当初は台本をまったくの棒読み(苦笑)。お忙しい陽子さんは収録直前に台本にサラッと目を通し、あとは完全にご自分の言葉で流暢におしゃべるになる。さすが政治家だと舌を巻く一方で、陽子さんの自在なしゃべりに付いていけず、本当に悪戦苦闘しました。

 この4年間で陽子さんは衆議院議員に返り咲き、総務副大臣、厚生労働委員会委員長、そして法務大臣と、めまぐるしく役職が変わり、ラジオで話すテーマもそのつど変わりました。表立った公職以外にも、さまざまな議連活動や地元静岡での活動にも触れようと、テーマは実に多岐にわたりました。一般のリスナーに、会話だけでわかりやすく伝えるにはどうしたらいいか。30分のトーク番組として全体をどう構成させ、またインタビュアーとしてどのタイミングでどういう質問をすべきか、ライターとして毎回毎回の真剣勝負。収録後は、なんだかボクシングの試合を闘ったような疲労感でグッタリです。

 陽子さんのHPには、ラジオシェイクのトーク内容を書き起こして紹介するコーナーがあるのですが、50回を過ぎた頃から、だんだん台本どおりのトークにはならず、その場で丁丁発止をするようになり、自分自身、オンエアが聴けない機会も多く、書き起こしがしにくくなってしまいました。HPのラジオシェイクコーナーの更新をさぼっていたところ、まもなく100回になるということで、これはいかん!と尻に火がつき、事務所から録音CDをお借りして、この1週間ぐらいで未更新の40数回分をいっきに書き起こしました。おかげでキーボード叩き過ぎによる右手激痛がぶり返し、眼はショボショボ。早く仕事部屋から脱出してぇ~と心内で叫びながらも、懲りずにこうしてブログ書きしてます(苦笑)。

 今日100回目の放送では、特別ゲストに福井県鯖江市のITベンチャー・㈱jig.jpの福野泰介さんをお招きしました。コンピュータを自分で組み立てる面白さを子どもに教えるIT教育の分野で注目されている若手起業家です。先日、静岡ホビーショーのために来静されたついでにスタジオに来ていただきました。福野さんのブログに静岡での様子が紹介されていましたのでぜひこちらを。

 なお、ラジオシェイクはFM-HiのHP(こちら)からインターネットラジオで聴けますので、毎月第1・第3火曜18時30分から、ぜひよろしくお願いします!

 

 

 ここでは、ここ最近のオンエアで私が印象に残った回の書き起こしを紹介します。ちょっと長くなりますが、地元有権者にも知られる機会の少ない上川陽子さんの地道な政治活動について、少しでもご理解を深めていただければ。

 

かみかわ陽子ラジオシェイク 第62回「新国立公文書館建設と平和祈念展示資料館」 ~ 2014年5月6日オンエア

 (上川)リスナーのみなさん、こんばんは。上川陽子です。 

(鈴木)コピーライターの鈴木真弓です。どうぞよろしくお願いいたします。今日は陽子さんが力を注いでおられる公文書管理についてお聞きしようと思います。2月下旬に新しい議連を立ち上げたそうですね。

(上川)私がライフワークとして取り組んでいる公文書管理。この一環として、国立公文書館の新館建設を目指す超党派の議員連盟『世界に誇る国民本位の新たな国立公文書館の建設を実現する議員連盟』を立ち上げました。会長は谷垣禎一法務大臣にお願いしました。

(鈴木)日本の公文書館は欧米に比べると手狭で活用しにくい、というお話、このラジオシェイクでも何度かうかがいましたが、いよいよ建て替えですね。

(上川) 昨年私も国会に復帰し、公文書館建設問題が宙に浮いていた状態だと知り、予算を付けるよう政府に要請する活動を具体化させたところです。最終的に4700万円の予算を得て、新しい公文書館建設のための調査を行い、超党派で推進母体を作る事になったのです。

(鈴木)静岡新聞の報道で、この議連の発起人に、上川陽子(自民、衆院静岡1区)、大口善徳(公明、衆院比例東海)、榛葉賀津也(民主、参院静岡選挙区)の3氏が名を連ねた、とありました。本当に超党派の活動なんだなと嬉しく思いました。

 (上川) 超党派で立ち上げるということにあたっては、関心を持っていただいた先生方に発起人になっていただくことができました。3月には公文書館ツアーも実施しました。憲法の原本、終戦の勅書といった大変重要な歴史的文書も残っていますので、なんとか国民の皆さんに活用しやすい施設にしたいと考えています。議連としては、新館建設のほか、外交史料館や宮内庁の公文書館などに分散して所蔵されている公文書についても、デジタル素材として閲覧できるような機能を持った新館建設を目指しています。

(鈴木)私は毎年、奈良の正倉院展を楽しみに観に行くのですが、正倉院は図書館、博物館、公文書館をひとまとめにしたようなすごい施設です。奈良時代にあれだけのナショナルアーカイブを造り、中国大陸や朝鮮半島ではとっくに失われた貴重な文物が1300年経た今も当時の原型のまま残っている。専門家がきちんと管理しているからです。もちろん今の国の公文書館とは内容や目的は違いますが、ぜひ21世紀の正倉院を造るぐらいの気構えで挑んでほしいですね。

(上川)通常、近代国家の定義の中に、図書館、博物館、公文書館がバランスよく配置されているということがあります。ぜひ公文書館を正倉院並みのナショナルアーカイブスにしていきたいと思います。

(鈴木)陽子さんが以前訪問されたヨーロッパの公文書館は、宮殿のような建物だったそうですね。日本の公文書館も、日本の歴史と伝統を感じさせる建物にしてほしいなと思います。

 (上川)現在、国立公文書館の本体は北の丸公園にあり、つくばに分館があります。本館も分館も書庫が満杯状態で、各省庁から集まる重要文書を収容できなくなる可能性があります。それほど時間的余裕はないんですね。谷垣会長からは具体的に新館建設の道筋をつけていくのが重要だとおっしゃっていただきました。外交資料館や宮内庁資料館に分散した資料もありますので、それらとネットワークできる機能も考えています。

 (鈴木)どんな建物になるかわかりませんが、21世紀の正倉院になってほしいなと思います。

             ♪            

(上川)ところで真弓さんは「平和祈念展示資料館」という施設をご存知ですか? 

(鈴木)いえ、戦争に関する施設ですか?

(上川)平成12年に設立した国の施設で、総務省が民間に運営を委託しているんです。場所は東京・新宿住友ビル48階です。展示しているのは太平洋戦争に関する資料で、戦前の国内外の政治・経済状況から始まり、アジア・太平洋全域における戦線拡大の様子、「赤紙」による召集から軍隊生活、さらには終戦後の引き揚げやシベリア抑留などに至るまで、その過酷な実態等が様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどでわかりやすく紹介しています。

(鈴木)今まで行ったことのある戦争資料館といえば、広島の原爆資料館ぐらいでしょうか。新宿の高層ビルの中にそういう施設があるとは知りませんでした。

(上川)広島の原爆資料館が、原爆の恐ろしさや被爆者の悲劇を通して平和の尊さを伝えるものだとしたら、この資料館は、戦地に赴いた人々の、戦争が終わってからも労苦(苦しくつらい)体験をされた、兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の3つの労苦を通し、平和を祈る施設といえるでしょう。多くの方々がご自宅で大事にされていた遺品類を寄贈されたのです。祈念資料館の【祈念】は、祈り念じると書く【祈念】です。総務副大臣として2月に初めて訪問させてもらいましたが、戦争経験者と思われる年齢の方がお2人いらっしゃって、じっと食い入るようにご覧になっていました。

(鈴木)とくに印象に残った展示は?

(上川)それぞれの場面で、聞いていたものと、ホンモノとでは印象が違うと思いました。赤紙といっても薄いピンク色だったんですが、これを実際に手にされた方はどんな思いだったんだろうと。私が1月に訪問したウズベキスタンでの、シベリア抑留者によるナヴォイ劇場建設の記録もありました。現地を見てきたばかりでしたので、目が釘付けになりました。展示コーナーには袖のない防寒外套というのがあって、シベリアの冬は零下30~40度になるのですが、この外套の持ち主は飢えに耐えかね、現地の労働者が持っていたパンと外套の袖を交換したんだそうです。本当に見ていてつらかったですね。当時を懸命に生きた日本人一人ひとりの貴重な記憶や記録を次の世代につないでいく責任を強く感じました。

 (鈴木)ウズベキスタンのナヴォイ劇場建設のお話、以前、ラジオシェイクでうかがったとき、ひときわ心に残りました。もう一度紹介していただけますか?

(上川)戦争が終わってシベリアに抑留された方の中で、ウズベキスタンの街の復興のため、労働者として駆り出された人々がいました。ナヴォイ劇場はボリショイ劇場と並ぶ国を代表する劇場で、日本人の強制労働者は建設に当たって一切手を抜くことなく、立派な劇場を建設しました。このことをウズベキスタンの人々は大変尊敬しているのです。大きな地震があったときもこの劇場だけがびくともしなかったと。私たちの先輩方が国のほこりを守って行動されたことが、今の日本外交の礎になっていることを忘れず、次の世代に伝えねば、と感じました。

 (鈴木)平和祈念資料館、グラフィックや映像資料も充実しているようですね。

 (上川)抑留者の証言ビデオがかなり残っており、生きた記録として大切にされています。お元気なうちに証言を残そうとされたことは、これから公文書館の建設に向け、大いに参考になりました。

 (鈴木)映像というのは一度に大勢の人にわかりやすく情報を伝えることが出来ます。ナヴォイ劇場のエピソードなどは映画化してもいいくらいですよね。

 (上川)ウズベキスタンに行ったとき、ちょうどナヴォイ劇場の内装工事を行なっていました。完成時には日本人のこともスポットがあたるといいなと思います。

 

 

かみかわ陽子ラジオシェイク 第89回 「世界経済フォーラムラテンアメリカ会議、法務省矯正支援官」 ~2015年6月15日オンエア

 (上川)こんばんは。上川陽子です。今夜もお電話で失礼いたします。今日はまず、前回の放送で途中だったゴールデンウィークの海外視察についてお話させてください。

(鈴木)前回はカナダでのテロ対策の視察で入国管理上の仕組みを視察されたお話でした。今日はメキシコについてうかがいましょう。

(上川)メキシコは5月5日から実質2日間半の滞在でしたが、世界経済フォーラム・ラテンアメリカ会議に参加しました。カナダのオタワからシカゴ経由でメキシコに入りました。

(鈴木)世界経済フォーラムって1月にスイスのダボスで開かれる「ダボス会議」で知られていますよね。先月でしたか、事務局から 2015年の旅行・観光競争力ランキングが発表され、日本は世界141か国・地域の中で第9位になったと話題になりました。

(上川)前回2013年の14位から順位を上げ、2007年の調査開始以来、過去最高の順位です。とくに「客の待遇」の項目で首位。鉄道網の整備や衛生状態、飲用水へのアクセスなどで順位が高く、円安の恩恵もあってホテル料金が71位から36位へと大幅に改善しました。さらに今回から安全面の評価に「テロ発生率の低さ」と「殺人事件の発生率の低さ」が加わり、それぞれ1位と2位です。これらが総合順位を押し上げたんじゃないでしょうか。

(鈴木)法務大臣としても誇らしい評価ではないでしょうか?

(上川)そうなんです。今回招かれた世界経済フォーラム・ラテンアメリカ会議でも、ずばり治安がテーマでしたので、治安の良い日本から学ぼうと招聘されたわけです。

(鈴木)世界経済フォーラムってスイス以外でも開かれるんですね?

 (上川)世界経済フォーラムはスイスのダボスで開かれる年次総会に加え、東アジアやラテンアメリカなど数ヶ所で地域会議を開催し、中国やアラブ首長国連邦においても別途の年次総会を開催しています。会議だけではなくさまざまな研究報告書を発表し、メンバーたちが各業界に関連したイニシアティブに関わるなどの活動を行っています。先月の旅行・観光競争力ランキングの発表もその一環ですね。

(鈴木)なるほど。今回陽子さんは治安以外のセッションにも参加されたんですか?

 (上川)今回のラテンアメリカ会議では、治安をめぐるセッション、女性セッション、IGWELトップ会談という3つのセッションに招かれました。各セッションには民間NGO等も参加し、自由闊達な議論がなされます。さらにコアの会議には世界トップレベルの経済学者や各国リーダーが少数集まるのですが、そちらにも今回初めて参加させていただきました。

(鈴木)大忙しでしたね。

 (上川)それ以外にもさまざまな会談をこなし、マスコミ取材も受けました。世界経済フォーラムの役割は何か等、さまざまなインタビューを受けたんですよ。それらは紙媒体や電子レポートとして世界に発信されます。

 (鈴木)陽子さんが地球の裏側で日本を代表してそのようなメッセージを発信されていることを、日本国内ではなかなか伝えられませんので、世界のメディアのレポートを期待したいところです。

 (上川)ラテンアメリカ地域の持続的な発展の観点から、将来的な社会あるいは国家の安全、また治安という点について議論したいという意向があり、日本は犯罪率が低いということ、また国民に信頼される確固たる司法制度が実現しているという実態に注目され、日本の経験を聞きたいというのが招待の理由でした。非常に驚きを持って聞いていただきました。

 メキシコを中心に、中南米はものすごい勢いで経済発展しています。日本の自動車メーカーも、製品輸出のみならず、現地に生産拠点をもうけ、北米に売っていこうというシフトに変わりつつあります。そうなりますと、日本人がビジネストリップする機会も増えますし、現地での治安問題にも取り組まなければなりません。現地の生産工場を持っていくということは、雇用の創出や技術の移転ということで、現地では大いに歓迎されます。治安の問題を払拭すべく、日本の信頼される司法制度を参考にしたい、ということが、招待の理由の一つでした。

(鈴木)他に参加されたセッションとは、どういうものでしたか?

(上川)女性のリーダーシップに関するセッションに参加し、本当にリーダーの中のリーダーという方々と議論することができました。10人ぐらいのメンバーで、自国における女性活動の問題について、類似性や違いを洗い出してみました。ラテンアメリカの場合、性別による役割分別が根強いという感があります、日本にも同様の問題があって、ワーク・ライフバランスに取り組みながら、社会全体の風土を変えていこうと取り組んできました。現地は日本の20年ぐらい前の状況かなという印象でした。それでもそれぞれの分野、それぞれの国々の中で苦労することは似ていて、みな同じように頑張っていて、「そうそう、そうよね」と共感できることもたくさんありました。

(鈴木)今、ものすごい高度な女子会トーク、みたいなものをイメージしました(笑)。 

(上川)そうですね。ネットでこれからもつながっていこうと、メールアドレスを交換して帰ってきました。国籍が違っていても、抱えている悩みは同じなんですね。日本ではとにかく政治的なリーダーシップをとって動いていることをアピールしてきました。この秋、日本で女性リーダーを集めた国際サミットを予定していますので、ぜひ来ていただきたいとお声かけしました。

(鈴木)その報告も楽しみにしております。

 ♪                         

(鈴木)さて、後半は私も芸能ニュースで観て関心を持ったのですが、エグザイルのアツシさんや浜崎あゆみさんといった著名な芸能人が「法務省矯正支援官」に委嘱されたというニュースについてうかがいます。

(上川)さる4月22日に法務省において「法務省矯正支援官」の委嘱式が開催され、芸能人11組に任命いたしました。アツシさん、石田純一さん、桂才賀さん、コロッケさん、清水宏保さん、貴乃花光司さん、高橋みなみさん、夏川りみさん、浜崎あゆみさん、Paix²(ペペ)さん、MAXさんです。これは、全国の矯正施設の慰問を55年も続けていらっしゃる杉良太郎さんの呼びかけで実現したものです。

(鈴木)杉良太郎さんがそういう活動をされていることは芸能ニュースで知っていましたが、55年も続けていらっしゃったんですか。

(上川)杉さんは法務省にとってなくてはならない方で、今は「特別矯正監」になっていただいています。お一人だけなんですよ。 

(鈴木)確か、エグザイルのアツシさんが北海道の網走刑務所を訪問され、アツシさんの歌のおかげで自殺を思い止まったというファンからの手紙を引用され、涙ぐみながら熱唱されたシーンをニュースで拝見しました。おそらく聞いていらした受刑者の皆さんの心にも訴えるものがあったのではないかと思いました。矯正支援官という制度は今回新たに作られたのですね? 

(上川)法務省の仕事の一つに、犯罪や非行をした人の改善更生及び円滑な社会復帰を促進するというものがあります。刑事施設や少年院でさまざま再犯防止のための施策を推進しているんですが、犯罪や非行が繰り返されないようにするためには、犯罪や非行をした本人が過ちを悔い改め、自らの問題を解消するなど、その立ち直りに向けた自助努力が必要です。国がそのための指導監督を徹底して行うべきことは言うまでもないところですが、同時に、犯罪や非行をした人を社会から排除・孤立させるのではなく、再び受け入れることが自然にできる社会を構築していくことも必要です。これが法務省の基本的な考えで、「犯罪に戻らない・戻さない」を合言葉にしています。

(鈴木)陽子さんが再三おっしゃっているキーワードですね。 

(上川)そうです。このような観点で、杉さんが55年も活動を続けていらっしゃって、立ち直りの応援団として大きな役割を果たしていただきました。刑務所や少年院に直接出向いて直接声をかけることが有益だということから、多くの芸能人のお仲間にお声かけをくださったのです。

(鈴木)実際にお会いになった支援官の皆さんは、どんな印象でしたか?

(上川)委嘱式の部屋に入ってびっくりしたんですが、みなさん全員、制服でビシッと並んでおられたのです。刑務に実際に携わる人と同じ気持ちで向き合うという意志を表明していただいたんですね。本来ならばそれぞれのパフォーマンスに応じた衣装をお持ちだったと思うのですが、刑務官の制服を着ていただいたということが、非常に嬉しかったですね。まずこういう仕事が大切であることを知って、実際に行動していくことの価値を実感していただいたのではないでしょうか。今後、各施設の訪問活動をはじめ、矯正展でのテープカット等にも参加していただく予定です。

(鈴木)芸能人の活動として話題になりがちですが、この制度が本来の目的を遂げ、よりよい社会づくりに寄与することを祈っております。

 


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エターナル・ナウ

2014-12-06 22:00:13 | 国際・政治

 インターネットを利用した選挙運動が解禁になって初めて迎えた衆議院議員の総選挙。フェイスブック等でもわりと政治に関心のある人が多く、特定の候補者をはっきり支持する!と堂々宣言する書き込みに新鮮な感動を覚えます。昔に比べ、「政治家なんて誰がやっても同じ」「選挙なんかしたって何も変わらん」な~んて冷めたことを言う人は少なくなっているような気がしますがどうでしょうか。

 

 私が長く広報のお手伝いをしている上川陽子さんも静岡一区に立候補し、法務大臣の公務や他県の新人候補の応援に走りながらも頑張っておられます。選挙期間中に陽子さんのことをブログで書けるなんて、これまた新鮮な感じがしますが、皆さんの関心が集まるこの時期だからこそ伝えておきたいことを、ちゃんと書いておきたいと思います。

 

 2011年4月からスタートしたFM-Hi の【かみかわ陽子ラジオシェイク】では陽子さんから心に残る言葉をたくさん聞かせていただいています。中でも一番好きな言葉は2013年1月の放送でうかがった「エターナル・ナウ」。

 陽子さんは2000年に初当選し、その後所属したのが自民党の宏池会。ご承知の通り、池田勇人元首相に始まり、歴代宰相を輩出してきた政策集団です。その中のお一人、大平正芳元首相が座右の銘にされていたのが「エターナル・ナウ Eternal Now 」だったそうです。

 直訳すれば「永遠の今」。神学者ポール・ティーリッヒの言葉だそうで、

 

  すべては「いま」という瞬間につくられる

  過去の歴史も「いま」という時間の連続の中で積み重ねられていて、

  未来は「いま」という時間が連続することでつくり上げられていく

 

 と解釈されています。

 

 大平内閣は昭和53年2月から、大平さんが心臓発作で急死した昭和55年7月まで。(享年70歳)。当時、私は高校生で、「アーウー」と物真似される総理、というイメージしか残っていなかったのですが(苦笑)、大平さんご自身は敬虔なクリスチャンで、知性派の文人宰相として知られた方。首相になる前も、池田内閣の官房長官をはじめ、外務大臣、大蔵大臣、自民党幹事長という要職を務め上げた実力者でした。とりわけ外相時代の昭和47年には日中国交正常化を果たし、大平内閣では地方の時代、文化の時代を予期して田園都市国家構想を打ちたて、昭和54年には東京サミットを成功させました。

 

 先日、県立図書館で、大平元首相の在職時の演説や対談をまとめたその名もズバリ【永遠の今】という本を見つけました。それによると、大平さんは香川県豊浜町の農家の次男坊で苦学して東京商科大学に進み、大蔵省に入省。若い頃、農民が造った密造酒の摘発現場に立会い、「権力と民草、治者と被治者の哀しいかかわりあいについて、何かしら割り切れない、やり場のない気持ちに沈んだ」と吐露したそうです。

 戦時中、食糧統制で国民生活が極度に悪化する中、東京財務局関税部長だった大平さんは、きびしい耐乏生活とはげしい勤労に疲れ果てた庶民のささやかな息抜きに、一人一杯のコップ酒がのめる「国民酒場」というのを創設されました。どれくらいの効果があったのかは計り知れませんが、当時の大蔵省のお役人がそういう気持ちを持っていたというのは意外、というか、映画の世界の話みたいですよね。

 

 【永遠の今】の中でひときわ印象に残ったのが、昭和55年5月、亡くなる2ヶ月前に上智大学学長のヨゼフ・ピタウ氏と行なった対談でした。この中でお2人は日本を「伝統と変化を同時進行させる民族」と述べています。発言の要旨を上げてみると―

 

(ピタウ)18世紀のイギリス国会議員で政治思想家でもあったエドモンド・バーク氏は、「政治をつくるのには、これという慎重な思慮深さは必要としない。なぜかというと、権力の座を確立すれば、また服従を教え込めばそれで行政的なことは十分だ。また、自由だけでも確立しようと思うならばなおさら簡単だ。勝手気ままにさせておけばそれでいい。しかし、自由と政府を共に確立するのは、この世でいちばん難しいことだ。制約と自由、行政と自由、相対立するこの2つの要素を調和的に一貫した制度にあわせるのはなかなか難しい」と。

 私に言わせれば、日本は、ほんとうに自由と秩序を一緒にあわせた国です。全世界を見回しても、おそらく、この2つのことを、こんなふうに調和的に合わせた国はたぶんないかもしれません。ただ自由の要素だけを取るならば、たぶんアメリカは日本より自由であるかもしれない。しかし、秩序はそれほどでもない。秩序だけを取るならソ連とか共産圏、あるいは独裁的な国家では、たぶん日本よりまとまっているかもしれない。しかし、この2つを調和的にきれいに合わせた国は日本だけだろうと。

 私の母校であるハーバード大学の学長がきて、「日本はふしぎな国ですね」とおっしゃるんです。みんな、日本は社会福祉は遅れているといっているのに、「平均寿命はもう世界一ぐらいですね。幼児死亡率も最低、また犯罪の面でも一番少ない」と。

 ヨーロッパは、ある意味において革命によって進歩する。そして断絶があるわけです。日本の場合には、伝統を守りながら改革を行なう。あるいは保守主義と革命主義を一緒にしたというひとつの伝統があるということですね。“主義”にとらわれないで、国のために必要なものをどんどん受け入れると。しかし、共同体は生きたものであると考えるから、今断絶して、今までのことを全部捨てるということではなくて、それを活かしながら発展させる。伝統と変化を一緒にする。

 

(大平)われわれが師と仰いでおるヨーロッパの国々は、生い立ちからいって、環境からいって、協力というよりは激しい対立のなかで、調和というよりは闘争的な状態の中で生き抜いてきた歴史ですね。日本の場合、そういうことがなく、海を隔てて大陸から離れた単一の民族が、単一の言語を持って、外からの刺激といえば仏教や儒教、明治時代にはいろいろ西洋の思想も入っていきましたけれども、日本を土台からやり直すほどの力にはならないで、長い間われわれの伝承がどうにか保たれてきたからではないか。つまり歴史の経過がそうさせたのであって、日本人がア・プリオリに、政治的に優れておるといえるのかどうか、私は若干疑問を持ちます。

 日本には、革命の歴史はなくて、維新があった。エボリューションの歴史はあるけれどもレボリューションはなかったと。言い換えれば、完全な断絶というのはなくて、依然として昨日が今日に継続していますね。それがまあ明治維新もそうだったし、昭和20年の敗戦のときもそうだったし、遡って大化の改新とみんないいますけれども、あれは、少なくとも革命ではなかったということ。

 

 この一説を読み終えた後、今日(6日)は午後から修験道をテーマにした歴史講座に参加し、講師の田中利典さん(吉野・金峯山寺宗務部長)から面白い話を聞きました。

   1 → 70     500 → 1500    15 → 12769

 この数字の変化の意味が解るか?と訊かれ、きょとんとしていると、

「3000年前、地球上の人口は1億人だったのが、現在70億人(70倍)になった」

「3000年前、ユダヤ人は500万人いたが、現在1500万人(3倍)」

「3000年前、日本人は15万人だったが、現在は1億2,769万人(880倍)。ちなみに中国は390倍」

 ということ。前述の対談のとおり、日本は人口崩壊=民族断絶を起こしていない稀有な国、というわけです。

 

 神学者ポール・ティーリッヒがどのような文脈の中で「エターナル・ナウ」という言葉を使ったのか、ティーリッヒの本まではさすがに触手していないのでわからないのですが、昨日が今日に、今日が明日に、という時間の連続が日本という国を創ってきたという解釈を得て大平さんがこの言葉を座右の銘にされたのだとしたら、この数字を見てしっくり来ます。・・・というか、こういう理解を以って治世にあたられていたのかと感動すら覚えます。

 

 その大平元首相を尊敬されている陽子さん。ラジオでは、日常の中で、つねに永遠なるものに自らをさらし、「いま」の意味を自問自答している、と述べていました。

 いまの日本人が選ぶ日本の政治家。大義なき選挙と言われますが、国の主権者である国民が声を示せる貴重な場である選挙には、目先の大義を求めるだけでなく、日本が持続可能な国であり続けるための人材投資として真摯に向き合うべきではないか、と思っています。

 

 それにしても、エターナル・ナウ。響きも素敵な言葉です。禅の言葉にも似たような意味のものがある気がします。今の自分には思いつかないのだけれど。


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