杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

碧巌録提唱拾い読み

2020-04-27 14:22:39 | 仏教

 2020年4月がまもなく終わろうとしていますが、今月は予定していた仕事や集会や旅行がほとんどキャンセルになり、行動範囲もせいぜい清水~藤枝まで。こんなにお出かけしない月は、ライターになって初めてかもしれません。

 最近、親しくお話をさせていただくようになった東壽院(清水区但沼)のご住職に「動いていないと死ぬ回遊魚みたいな自分にはストレス半端ない」と愚痴をこぼしたところ、瞑想の時間を持ちなさいと勧められ、自宅では落ち着いて瞑想できないと愚痴ったら、これを読みなさいと勧めていただいたのが、西片擔雪大老師著『碧巌録提唱』でした。

『碧巌録』は、お茶席の掛軸でよく見かける「日日是好日」「喫茶去」等々、有名な禅語の元となる公案(禅問答)を収めた禅宗の定番中の定番テキスト。中国・宋の時代(1125年)に圜悟克勤によって編集されたものです。この内容を、臨済宗妙心寺派第31代管長の西片擔雪大老師(1922~2006)が神戸の徳光院で10年間講義された内容を全3巻に収めたもので、非売品ながら、ネット古書店で運良く入手することができました。

 500ページ強×3巻セットの膨大な文字量で、宅配便の配達員さんから受け取ったときは「なんじゃこの重さ!」とビビってしまいましたが、奥付をみると、出版元は岡本㈱(日本一の靴下メーカー)の岡本哲治氏とあり、白隠研究でお馴染み芳澤勝弘先生が監修され、沼津の㈱耕文社の長澤一成氏(白隠禅師生家のご子孫)が印刷製本されたと。ご縁のある方々が関わっていたとわかって、この本に出会えた縁を、よけいにありがたく思いました。東壽院ご住職には心より感謝申し上げます。

 西片大老師は、京セラ創業者の稲盛和夫氏が師事したことでも知られ、稲盛氏は大老師のもとで得度(=在家僧侶になる)されています。氏の『生き方』等の著作を読むと、なるほど禅の教えが根底にある、と感じます。

 稲盛和夫氏のことは、この本にちょくちょく登場しています。碧巌録第五則『雪峰粟粒』の解説にはこうあります。

 ある社長さんが「社長の第一の心がけは虚心になることだ」と話しておられた。何らの先入観もなしに、虚心坦懐に物事を見る、そのことによって間違いの無い判断がてきる。(略)昨日、知り合いの方から手紙が来て、その中に日経新聞の切り抜きが入っておりました。私のよう知ってる京セラの稲森社長の記事が出ておったので、それを送ってくれた。その方は「この京セラの社長さんの写真を見て、自分は非常に感激した。何の気取るところも無く淡々としてらっしゃる。素晴らしいお顔に自分は感心した」と。

 日本は政治は三流だけれども、経済は一流と言われております。(略)経済界には実にいい顔してらっしゃる方が多い。経済界の人たちは、毎日毎日が命がけの真剣勝負だ。だから、ああいう立派なお顔になるのではないかと思うのであります。

 

 また碧巌録第十四則『雲門一代時教』の解説。

  技術革新の先頭を走っているような京セラの社長さんがおっしゃったそうです。近頃メガトレンドとやかましく言うけれども、これに乗り遅れまいと焦ることはない。時代の変化は急激ではない。だから、自分の本業に専念していれば時流に乗るチャンスは必ずやって来るのだと。私なんかが時代の変化はそんなに急じゃないよと申し上げると「坊主は頭が古い。今の世の中見てみい。この流れはどうじゃ」と反撃を食らうのが落ちでありますけれども、京セラの社長さんがおっしゃると先見の明がある。技術がいかほど進んでも、それを使うのは人間であります。しかしその人間は千年の昔も今も、ちっとも変わっていないのだ。

 

 碧巌録第三十九則『雲門花楽欄』の解説。

 京セラの会長さんが「自分は時に応じて、無理なく狂気の世界に入ることが出来る。狂気になれぬ人は創造は出来ない、物事を創り出すことはできない」とおっしゃっておった。気配りも非常に細やかで親切で、まことに申し分のないお人柄であるのに、時によっては狂気の世界に入るという。常識の世界というものは、他人との間柄に常に気配りをしておる。そういうことはもちろん大切であるけれども、そこに留まっておったのでは物事を創り出すことはできない。時間も否定し、人との義理も否定し、昼夜も否定し、一切に関知せぬというような人、これがつまり狂気の世界でありましょう。その狂気の世界を持っているかどうかが、大きな仕事が出来るかどうかの境目であるという。言葉を換えて言うなら成り切った世界でありましょう。本当に一つのことに成り切ったならば、すべてものものが消えてしまう。ただそのものそれに成り切ってしまうのであります。

 

 西片大老師はこのように、難解な碧巌録を現代人の言動を例に解説されるので、非常にわかりやすい。私自身、書く仕事をしていて、難しいことをわかりやすく伝える力が最も尊いと思っているので、碧巌録の教えはもちろんのこと、大老師の"伝える力”にも大いに感銘を受けました。

 

 私が心に残ったのは、碧巌録第七則『慧超問仏』の解説です。ここで西片大老師が引用されたのは、山本玄峰老師の「法に心切 人に親切 己に辛切」という言葉でした。玄峰老師はご存知のとおり、白隠禅師の再来といわれた名僧で、昭和天皇の終戦の詔「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」を鈴木貫太郎首相に助言されたことでも知られます。
 戦前、旭川刑務所へ講演に行かれた玄峰老師は、二千人の囚人を前に合掌し、「すまんこっちゃ、すまんこっちゃ。お釈迦さまのありがたい教えがあるのに、われわれ坊さんがさぼってるもんやから、あんたたちがこの寒い北海道でこのような苦労をしてござる。すまんこっちゃ」と涙を流され、「一人ひとりのお腹の中に、立派な仏さまがちゃんといらっしゃるのだから、その一人ひとりの仏さまをこれからは大切にしてください、お願いしますよ」とおっしゃった。最初は耳を貸さずに無駄話をしていた囚人たちはシーンとなり、講演が終わるとみんな泣きながら合掌し見送ったそうです。
 碧巌録では慧超という僧侶が師匠の法眼文益禅師に「如何なるか是れ仏」と質問し、法眼禅師は「汝は是れ慧超(おまえは慧超)」と答えます。相手の痛みを自分の痛みと受け取り、相手の悲しみを自分の悲しみと受け取り、相手の喜びを自分の喜びと受け取る。真に無心になれば、そういう仏心丸出しのはたらきが出てくる。そういうおまえが仏なんだよ、ということでしょうか。玄峰老師は二千人の囚人の肚の中に飛び込んで、玄峰は囚人に、囚人は玄峰になってお互い泣き合ったのだと西片大老師はおっしゃいました。これこそ自他一如であると。

 長い間、個人で仕事をしてきた自分は "自己実現” を座右の銘に、「自分自身を貫かねば」「自分は自分、他人は他人」と割り切って、ややもすると己の思い込みだけで行動しがちでした。しかし、今の状況下ではこの3つのシンセツが沁みてきます。

 9年前の4月、福島県いわき市に取材に行って、原発事故の風評被害に苦しむ被災者の声を聞いたときは「他人は他人」だなんて考えに猛省させられたのですが、今回はほんの身近で、感染の脅威にさらされている、感染源として差別を受けている、仕事を失いかけている人がたくさんいます。実生活で距離を取らざるを得なくなった人同士、気持ちの上では自他一如でありたいし、私自身フリーランスという立場で、この先、従来通り仕事ができる確証はありませんが、書くという本業を通してシンセツを実践できればと願っています。

 『碧巌録提唱』はトータル1600ページに及ぶ大著ですので、この先、しっかり読みこなし、折に触れてご紹介していきたいと思います。

 


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ガーベラの灯火

2020-04-20 17:34:24 | 農業

 ちょうど1年前にJA静岡経済連の情報誌スマイル59号で、静岡県内のガーベラ生産者を取材・紹介しました。ご縁をいただいた生産者さんとはSNSで今も情報交換しており、花の販売が激減している今も、急な生産調整が難しい花の産地のご苦労を、我がことのように心配しています。

 4月18日はヨイハナの日、ということで、県内主産地の浜松が中心となって4月18日をガーベラ記念日に制定しました。今年は土曜日なので、本来ならば華やかな販促イベントが予定されていましたが、緊急事態宣言が発令されてイベントの自粛はもちろん、街中は生活必需品の店以外、大半がクローズとなりました。

 19日に訪ねた近くの商店街もコンビニ以外はほとんど閉店という状態でしたが、唯一開いていたのがお花屋さん。その軒先に置かれたガーベラの色鮮やかなアレンジメントが、色彩が消えた商店街の命をつなぐ灯火のように思えました。

 花は、無くては生きていけない生活必需品ではないかもしれませんが、花のない世の中なんて想像できません。生活必需品を調達しに出られる際は、心の栄養になる花を1輪でも2輪でもいいので、ぜひお手にとってほしいと思います。

 

 ガーベラのウンチクと静岡県が生産日本一になった背景について、スマイルの記事を再掲します。

 


 ガーベラは南アフリカ原産のキク科多年草。発見者のドイツ人学者ゲルバー(T,Gerber)の名前にちなんで命名され、19世紀末にイギリスの採集家が王立植物園キューガーデンに贈った橙赤色の小さなキクが現在のガーベラの原種となりました。
 以降、ヨーロッパ各国で交雑が進み、多種多様な品種が作られています。日本には大正時代に渡来し、花のかたちから「花車」「千本槍」という和名が付けられました。昭和40~50年代から本格的な営利栽培が始まって品種改良も進み、現在では500種類を超える品種が流通しています。
 品種は大きく、花径10㎝を基準に大輪系と小輪系の2種類に分けられます。また花の形状、咲き方により、シングル、セミダブル、フルダブル、スパイダー等のタイプに分けることができます。


 日本におけるガーベラの主な産地は静岡県、福岡県、千葉県、和歌山県、愛知県、茨城県。うち静岡県は産出額19億円(平成28年)を誇る日本一のガーベラ産地です。
 最新の統計では、平成29年のガーベラ全国策漬け面積9,000アールのうち、2,820アールを占めており、出荷額は全国1億5,770万本のうち6,200万本を占めました。県内の主要産地は県西部(JAとぴあ浜松管内)、県中部(JAハイナン、JAおおいがわ管内)に広がります。

 

平成29年産都道府県別の出荷量(千本単位)と作付面積(アール)/(農水省統計部)より
 
 全国   157,770(千本)    9,000アール
1 静岡    62,000                           2,820
2 福岡       21,600                          1,200
3 和歌山   15,000                             680
4 千葉       14,200                          1,070
5 愛知       11,400                          800
6 茨城         6,150                          286
7 熊本         3,240                          331
  

 
 南アフリカ原産のガーベラは20~30℃の気温が保たれば、1年中花を咲かせます。静岡県が日本一の産地になったのは、年間を通してこの気温をキープしやすい環境にあるといえます。
 全国のガーベラ流通の一翼を担う㈱大田花き(東京)では「ガーベラは沖縄以外の全国で栽培されていますが、静岡県は日照時間がダントツ。多少天候に左右されても年間を通してつねに出荷量が安定しています」と信頼を寄せます。 

 県の主要産地では、オランダをはじめとする世界のスタンダードだった大輪系からスタートし、1990年代に小輪系も採り入れ、市場で人気の花粉が目立たない系統やポンポン系などさまざまな品種を柔軟に採り入れてきました。
 ガーベラにも旬(4~5月)があるのですが、一年中出荷されているので季節感が出しにくく、店頭ではどうしても他の旬の花に圧されてしまいます。新しい品種に挑戦したり販売イベントを仕掛けるなど、産地からアクションを起こす必要があります。
 主力産地のひとつ浜松では4月18日(ヨイハナ)をガーベラ記念日に制定したり、大田花きと共同で年に数回販促フェアを開催しており、「ガーベラには色別に花言葉があるので、受験シーズンや縁起担ぎの機会に効果的」と手応えも充分です。

 ガーベラは完全に咲き切ったかたちで出荷される珍しい花。つぼみの状態から開花までを楽しめるバラと違い、完成形の花を飾る楽しみは何かを模索し、産地では完全に咲き切らない“あまびらき”“ひなびらき”の状態での出荷についてもさまざまな検討もなされているとのこと。産地―卸―小売の力強い連携によるガーベラ市場の発展に、ますます期待が集まります。

 

*ガーベラを長持ちさせる方法

○花瓶にさすときは水の量は2センチ程度でOK

○水は1~2日に1度の交換でOK

○花がグッタリしてきたら、茎をカット。花だけを水を張ったお皿に飾る。

○置き場所は直射日光が当たらない涼しい場所。冷暖房の風が直接当たらない場所に。

 

 


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臨済禅に残る疫病退散のお経

2020-04-13 16:40:15 | 仏教

 このところ読書の時間が増えたので、本棚で埃をかぶっていた未読書を少しずつ拾い読みしています。その多くは「いつか役に立つかもしれない」と思って、とりあえず買い溜めていた専門書。衛生用品や食料品の必要以上の買い溜めはNGですが、本の買い溜めはこういうとき実になりますね!

 今、読み起こしているのは、2月あたまに受講した花園大学仏教セミナーで購入した『禅門陀羅尼の世界ー安穏への秘鍵(野口善敬 編著)』。著者の野口善敬先生は花園大学国際禅学研究所所長で臨済宗妙心寺派教学部長をお務めの、禅宗きっての学識者です。

 以前、先生がお書きになった『ナムカラタンノーの世界』についてこちらの記事で紹介し、禅宗の勤行で "ナムカラタンノー・トラヤーヤー~” と提唱する大悲呪というお経の理解に挑戦してみましたが、今回挑戦するのは却温神呪(きゃくうんじんしゅ)というお経。

 却温神呪経は、インドから中国へ伝わった疫病封じの経典。平安時代に真言宗の僧・宗叡が中国から持ち帰り、密教系の経典として真言宗・天台宗に伝わったといわれます。

 まずはどんなお経か、わりと短いので全文紹介します。陀羅尼(だらに=サンスクリット語の原文をそのまま音読し、当て字したお経)なので、そのまま読んでも呪文のようでチンプンカンプンです。

 

南無仏陀耶 南無達磨耶  なむふどやー なむだもやー

南無僧伽耶 南無十方諸仏  なむすんぎゃーやー なむじーほーしーぶー

南無諸菩薩摩訶薩  なむしーぶーさーもこさー

南無諸聖僧 南無呪師  なむしーしんすん なむしゅうしー    

沙羅佉 沙羅佉 沙羅佉  さらぎゃー さらぎゃー さらぎゃー

夢多南鬼  むとなんきー 

阿佉尼鬼 尼佉尸鬼  あぎゃにーきー にぎゃしーきー 

阿佉那鬼 波羅尼鬼  あぎゃなーきー はらにーきー

阿毘羅鬼 波提棃鬼  あびらーきー はーだいりーきー

疾去疾去 莫得久住  しっこーしっこー まくとくくーじゅう

 

 お経の内容は、疫病をもたらす七種の鬼神ー夢多難鬼・阿伽尼鬼・尼伽尼鬼・阿伽那鬼・波羅尼鬼・阿毘羅鬼・婆提棃鬼の名前を挙げて退散させるというもの。

 古来、中国では疫病は目に見えない悪鬼によって引き起こされると信じられ、悪鬼を追い払うには「お前達の正体は見えてるぞ!」とばかり悪鬼の名前を書いて五色の絹糸で結びつけ、これを門に掲げると効果があるとされていました。この民間風習がベースになったらしいとのこと。却温神呪はお釈迦様が弟子の阿難に授けた疫病封じの対処法としてインドから中国に伝わったとされていますが、来歴は不明で、ひょっとしたら中国で創作された可能性もアリだそうです。

 日本に伝来してからは、七鬼神封じ=疫病封じという認識だけが広く定着し、却温神呪そのものが注目されるようになったのは江戸時代になってから。真言宗の僧・亮汰(りょうたい)が延宝二年(1674)の夏、疫病が大流行したとき、このお経を大量に刷って竹筒に納めて門戸に掛けさせ、そのおかげで疫病が鎮まったといいます。

 亮汰はこのお経の解説本『却温神呪経抄』の中で、疫病のことを「湿気疫毒」と称しています。湿気とは発熱性の疫病、疫毒とは今風に言えば疫病を引き起こす直接原因=病原体(細菌・ウイルス)を意味し、七鬼神の冒頭に挙がる夢多難鬼とは、病気(細菌やウイルス)をまき散らす女夜叉のこと。亮汰によれば、七鬼神とは大黒天に仕える7人の女鬼なんだそうです。今風感覚ならジェンダー差別だ!と文句を付けたいところですが、ネットで「七鬼神」を検索してみると、パチスロゲーム「鬼神7」にヒットします(笑)。

 

 現在、真言宗や天台宗では却温神呪を読誦しておらず、意外なことに臨済宗のみが読誦を続けているそうです。なぜ密教系ではなく禅宗系に残っているのか理由はナゾなんだそう。

 野口先生は、始祖達磨大師が"以心伝心・不立文字”と掲げた禅宗で、陀羅尼を唱える理由として、

①読経に限らず故人への供養は、7分の1しか届いていない。

②供養とは回向(えこう=自分が積んだ功徳を他者に振り向ける)すること。

③お経や陀羅尼を唱えるのは功徳を積むための修行。

④サンスクリット語を音読するだけの陀羅尼は意味を理解する必要がなく、特定の功徳が設定されているので目標を立てて唱えることができる。功徳の分量まで図れる便利なお経。

と解説されています。

 

 大悲呪(ナムカラタンノー)ではあらゆる災厄の消去と家内安全、消災呪(ナームーサンマーダー)では惑星や星座による災厄の回避と国家安寧、そして却温神呪は流行伝染病にかからない、というように現世利益の功徳設定です。最もポピュラーな「南無阿弥陀仏」は死後に極楽浄土へ行くための念仏。陀羅尼は確かに難解だけど生きてるうちにそれなりの効果アリ、ということでしょうか。

 

 野口先生は「今は、病気になったからと言って一生懸命に陀羅尼を唱えるだけで、病院に行かない人はいない」「少なくとも実用品としての価値は認められていないのが現状」としつつも、読経は国の平和を祈り、自らの修行の成就を願って行うものであり、これに価値を見いだせるかどうかは一人一人の生きる姿勢にかかっていると強調されます。一人一人の姿勢を問われるって今の過ごし方そのものですね。

 

 仏壇のあるお宅でも、実際に自分でお経を読む機会はあまりないと思います。今読むのに一番タイムリーなお経ですから、長い在宅時間のほんの一時でも心の修養になると信じて、Let's Reading!

 

 

 

 


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今こそ茶カテキン!

2020-04-10 16:36:49 | 農業

 静岡県はもうすぐ新茶の初取引を迎えます。県内ニュースの天気予報に「霜注意報」が出るくらい、お茶は、この時期の静岡のニュースに欠かせないネタ。ちょうど1年前にはJA経済連情報誌スマイルの取材で各地の茶産地や研究拠点を回り、大きな曲がり角にある静岡県の茶産業の未来にさまざまな思いを巡らせていたものでした。

 昨年3月からは静岡県茶業会議所会頭を務める上川陽子さんからのお声かけで、『茶と人フロンティア静岡会議』の設立準備会に加わり、消費者目線でさまざまな静岡茶振興策を考える機会をいただきました。

 今年2月22日にホテルセンチュリー静岡で開かれた『茶と人フロンティア静岡会議』設立シンポジウムの席では、静岡茶のヒトモノコト起こしのプラットホーム創出について、11人プラス常葉大の学生さんたちと練り上げた事業案のスピーカーも務めさせていただきました。この会場で22年前『地酒をもう一杯』の出版記念パーティーを開いて頂いた時、地酒イベントでは初めて日本茶インストラクターの方にブース出展をお願いした事を思い出し、改めて、静岡の宴会では飲酒NGの人のため、ウーロン茶じゃなくて静岡茶を!と呼びかけました。

 2月末の時点では、新型コロナウィルスの感染拡大がここまで深刻化するとは想像できず、4~5月の新茶シーズン、フロンティア静岡会議で提案された事業案がいくつ着手できるだろうとワクワクしていたのですが、今、増加の一途をたどる新型コロナウィルスの感染者数に戦慄し、緊急事態宣言という状況に身動きが取れず、外での取材も打ち合わせも行事も中止となり、なすすべもない日々を過ごしています。

 SNSでは茶カテキンが新型コロナウィルスに効果があるという論文が発表された云々という記事を見かけました。この手の不確かな情報を拡散すべきではないと思いますが、この機会に、茶の機能性についてもう一度おさらいしてみようと専門書をいくつか洗ってみました。素人レベルで理解できる確かな情報を紹介したいと思います。

 乾燥茶葉に含まれる主な成分は渋味のカテキン(10~18%)、苦味のカフェイン(2~4%)、うま味のテアニン(0,6~2%)といわれます。その効果や効能は次の通り。

 

◆カテキン/抗酸化作用、抗がん作用、コレステロール上昇抑制作用、血圧上昇抑制作用、抗動脈硬化作用、血糖上昇抑制作用、血漿板凝集抑制作用、抗菌・抗ウイルス作用、腸内フローラ改善作用、抗炎症・抗アレルギー作用、免疫機能改善作用

◆カフェイン/中枢神経興奮作用、眠気防止、強心、利尿作用、代謝促進

◆テアニン/脳・自律神経調節作用、認知障害予防作用、リラックス効果

 

 こうしてみると、カテキンってやっぱりスゴイですね。しかも煎茶が一番多く、ウーロン茶や紅茶には少ない。煎茶の中でも一番茶に一番多く含まれ、二番茶、三番茶とだんだん減っていきます。新茶は値が張るけど、初物の珍しさや新茶独特の香りや味だけではなく、カテキンの多さ=機能性の高さを付加価値にしてもいいんじゃないかと思います。

 茶カテキンが大きく注目されたのは30年ぐらい前。茶どころ川根の町民の胃ガン死亡率が低いことに着目し、統計データを解析し、お茶をよく飲む習慣がガンのリスクを低減させていることが判りました。その後、さまざまな生活習慣病予防効果も明らかとなり、1991年、静岡で初めて開催された国際茶研究シンポジウムでカテキンの機能性についての先進的な研究成果が発表されるなど、お茶の機能性が広く知られる機会が増えました。

 私はこの頃、酒の取材が縁で知り合った山本万里さん(農業技術研究機構野菜茶業研究所主任研究官)に、カテキンの一種・EGCG(エピガロカテキンガレート)がメチルエーテル化したものに抗アレルギー作用があるという話を直接聞く幸運に恵まれました。万里さんの研究で、台湾の凍頂ウーロン茶に多く含まれ、やがて「べにふうき」という紅茶用の品種にも多く含まれることが判明。ご承知の通り、べにふうきはその後、花粉症に効くお茶として一大ブームに。私自身は、紅茶用のべにふうきを緑茶として飲むのは苦すぎるので、緑茶の風味に近くて飲みやすい凍頂ウーロン茶を、横浜中華街の専門店まで買いに行って常飲したものです。

 

 茶カテキンはポリフェノールの一種で、昔から「タンニン」と呼ばれたお茶の渋味成分。主に①EC(エピカテキン)②EGC(エピガロカテキン)③ECG(エピカテキンガレート)④EGCG(エピガロカテキンガレート)の4種類あります。すごーく紛らわしい名前ですが(苦笑)このうち最も含量が多いのが④のEGCGで、他のカテキン類に比べて抗酸化作用が高く、茶の機能性成分のトップランナーともいえる存在です。

 1993年、EGCGとTF3(テアフラビンジガレート=カテキン類が酸化重合したもの)が動物実験でインフルエンザA/H1N1とB型ウイルスの感染を阻害することが判りました。2002年にはEGCが感染直後であればウイルスの増殖を効果的に抑制すること、2005年にはEGCGとECGがインフルエンザA/H1N1、A/H3N2、B型ウイルスの感染や赤血球凝集活性、ウイルスRNA合成等を阻害することが判明するなど、EGCGに代表される茶カテキンの抗インフルエンザウイルス活性パワーが続々と解明されました。

 2009年には、パルミチン酸モノエステルという化学修飾を加えたEGCGが、前年にパンデミックを引き起こした新型A/H1N1ウイルスで特効薬タミフルが効かない耐性株、季節性A/H3N2やB型ウイルス、さらに鳥インフルエンザA/H5N2の感染を効果的に阻害することが判りました。

 とりわけ注目するのは、①EGCGパルミチン酸モノエステル②EGCG③タミフル④アマンタジンの各化合物を、鳥インフルエンザA/H5N2に感染したニワトリ発育鶏卵に接種し、胎児の感染致死阻害率を調べた研究。②は7日後に70%致死、③と④は7日後に80~90%致死したのに対し、①は致死0=すべての胎児が生存したのです。

 

 新型インフルエンザウイルスの感染阻害に効果があることを実証したEGCGパルミチン酸モノエステルに続き、今現在、新型コロナウイルスの感染阻害にカテキン類が何らかの効果を発揮するのではないかという研究論文が海外からいくつか発表されているようです。

 現時点で確かなことは言えないにしても、茶カテキンには免疫機能改善作用という頼もしい機能が備わっています。細菌やウイルスなど外から入ってくる病原体の攻撃から体を守る免疫機能。病気にかかりにくい体をつくる上で欠かせないもので、これにはEGCGよりもEGC(エピガロカテキン)のほうが力を発揮するようです。

 一般に煎茶を淹れる湯温が70℃前後またはそれ以上では、ECGCとEGCの比率が1対1だそうですが、70℃より低い温度で淹れるとEGCGが減り、EGCは変わらず。長時間かけて抽出した水出し煎茶と、熱湯で淹れた煎茶をマウスに経口摂取させたところ、水出し煎茶を飲んだマウス群のほうが、免疫系で重要な役割を果たす有効成分(イムノグロブリンA)が多く作られました。EGCの増加が有効成分の上昇に一役買ったのです。

 

 専門書のカテキン解説の中で、抗ウイルスや免疫改善の部分だけを拾い読みしただけですが、カテキン含有量が増える一番茶=新茶シーズンを目前に知っておいてよかった!と思いました。

 カテキンの抗ウイルス効果が期待できる熱めの煎茶なら、お出かけ前や外出先で。免疫調整してくれる、ぬるめのお茶や水出し煎茶は家でくつろいでいる時に。・・・そんな飲み分けも効果的ですね。水出しならばテアニンが増えるので、脳・神経調整作用やリラックス効果が期待できるし、これから暑くなる季節、重宝しそうです。

 

 私たちが目に見えない新型ウイルスとの戦いに振り回されている中、茶畑では新芽が日々刻々と成長しています。自然のチカラに今一度、謙虚な気持ちで、向き合わなければと思う毎日。早くみんなと「喫茶去」し合える時間が来るといいな。

 

参考書/

茶の機能―生体機能の新たな可能性 2002年 学会出版センター刊

新版・茶の機能ーヒト試験から分かった新たな役割 2013年 農山漁村文化協会刊

平成30年度茶学総合研究センター実績報告書 静岡県立大学刊


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静岡の酒が目指してきたもの

2020-04-06 19:40:25 | しずおか地酒研究会

 前々回の記事でご紹介した静岡朝日テレビカルチャー地酒講座「セノバ日本酒学~SAKEOLOGY@WOMEN」の第1回を4月4日(土)に開催しました。

 この時期の開講ですので大いに逡巡しましたが、ありがたいことに新規受講者が増えたため、カルチャー事務局と再三検討し、現状、静岡市内で感染拡大傾向が見られないという判断のもと可能な限りの予防対策を講じて開催させていただきました。

 

 第1回のテーマはズバリ「静岡の酒ものがたり」。新規受講生には入門編として、継続受講生にとっては復習編として、静岡の酒が今のように支持されるようになった過程をおさらいしました。テキストに使ったのは、7年前のしずおか地酒サロンでゲストにお迎えした松崎晴雄さんと私の対談記録。今読み返してみても含蓄に富み、静岡の酒を支える次の世代にぜひ伝えておきたいと思える内容です。

 今、ご苦労されている静岡の酒の造り手・売り手の方々に、私ができる支援といったらこういうものを公開するぐらいしかありませんが、ご紹介させていただきます。宅飲みが増えた飲み手の皆さま、おつまみ程度に楽しんでいただければ幸いです。

 

朝日テレビカルチャー静岡スクール セノバ日本酒学2020春
SAKEOLOGY@WOMEN 第1回テキスト
静岡地酒ものがたり

対談 松崎晴雄×鈴木真弓

 

松崎晴雄氏(日本酒研究家) 
日本酒輸出協会理事長 静岡県清酒鑑評会審査員
1960年横浜市生まれ。上智大学卒業。西武百貨店の食品・酒類バイヤーを経て1997年酒類ジャーナリスト、コンサルタントとして独立。著書に「新銘酒紀行」(あすなろ社)、「Tastes of 1635 日本酒ガイドブック」(柴田書店)、「日本酒のテキスト」(同友館)ほか多数。

 

 

 
(鈴木)松崎さんは日本を代表する酒類ジャーナリスト・日本酒研究家で、日本酒輸出協会理事長として海外普及事業にも尽力されています。全国各地の鑑評会=日本酒の品質コンテストの審査員を務めておられ、 毎年3月中旬に開かれる静岡県清酒鑑評会の審査員も長年お務めです。まずは現在の酒造り全般の傾向からお聞きします。
 
(松崎)冬が冬らしく寒い年で酒造りには好条件であっても、原料米によって左右されるようです。ブドウの品質が直結するワインに比べると、日本酒の場合はさほど影響はないといわれますが、全国の酒蔵や鑑評会を巡って当事者の声を拾ってみると、年によっては「今期は米がよくなかった、米に苦労した」という反応も聞きます。
 
(鈴木)とくに凶作でもなければ大きな自然災害もない年でも、米の出来がよくないという声を聞くことがありますが?

(松崎)ひとつは、昨今の猛暑による高温障害の問題ですね。実っているけれど中身がよくない。酒を仕込むとき、米が硬くて融けていかないのですね。酒造りとは、米のデンプンを麹によって糖化させ、酵母が栄養にして発酵させるというメカニズムです。米が融けていかないと結果として味がのらない・・・そんな苦労があると聞きます。
  実際に、各地の新酒鑑評会で出品酒を唎いても、そんな傾向が見受けられます。元来、新酒というのは若い状態の酒が多いのですが、前年猛暑だった年は例年以上に味が軽い。日本酒にとって最高の米といわれる山田錦を、北海道から九州までほとんどの酒蔵が最高級の大吟醸=鑑評会出品用に使うわけですが、山田錦で仕込んだ酒らしい、味のふくらみや伸びやかさというものが感じられない年もあります。
 
(鈴木)山田錦以外の米はどうでしょうか?

(松崎)代表的な酒造好適米の五百万石、静岡県の酒造好適米の誉富士、東北の方ではササニシキのような飯米も使いますし、銘柄米ではない一般米も酒造りに活用されていますが、夏場の高温障害に遭えばどの米を使っても苦労するようです。
 米によって酒の出来が決定してしまうわけではありませんが、出来たての新酒というのは、米の素性や性質が出やすいものです。東日本大震災があった年も冬が寒く、その前年の夏が非常に暑く、結果として酒が軽かった。新酒のこの時期、新酒特有の荒さや強さがなく、サラッとしていました。

(鈴木)静岡県の酒はどうでしょうか?

(松崎)本来、静岡県の酒造りは、あまり米を融かさず、硬めに仕込み、きれいに仕上げます。麹造りも長期低温ですので、気候条件のハンディはあまり感じません。さらに言えば、静岡流の酒は米の不出来な年にも影響を受けず、静岡らしさを保っていると言えるでしょう。
 
(鈴木)松崎さんはいつもどのような基準で審査されているんですか?

(松崎)毎度のことながら、県の鑑評会はトップの県知事賞を決めるわけですが、1次審査、2次審査をやって、結審(最終審査)に残った中で最も静岡県らしい酒、というのを私は選ばせてもらいます。他の審査員の先生方も静岡の酒のスタイルをよく熟知された方々です。静岡スタイルというのを言葉で表現するのはなかなか難しいのですが、少なくとも審査員の先生方の中では共通のコンセンサスがとれていたと思います。人が唎き酒をして選ぶわけですから、人としての感性が大事なファクターとしてかかわってきます。その中から選ばれた県知事賞は、静岡を代表する、最も静岡らしい酒と言って支障ないでしょう。
 
(鈴木)先ほどのお話にあったように、気候変動の中、米の品質をいかに保持していくかは、酒造業にとって重い課題だと思いますが。

(松崎)酒米の作り方や栽培適地などを見直す時期にも来ているように思います。
  山田錦は兵庫県の山間部が主産地です。昔は灘の酒が日本酒のトレンドを推し進めた代表格でしたが、山田錦というのは、本来なら灘が持っている酒造りの技術、風土に適した技術を背景に生まれてきたものです。この地域の特異性というものが、だんだん変化しているように感じますね。
  もちろん、日本酒は嗜好品ですから時代に合わせて変えていかなければならないでしょうし、造り手が世代交代している影響もあるでしょう。それでも、日本酒が今、全体に消費低迷する中、本来持っていた地域性や風土に根ざした技術を見直し、より、酒質の違いを意識しながら残す努力をしていかなければ、違うジャンルのものに凌駕されてしまうのではないか、と危惧しています。それは造り手だけが意識し、こだわっていてもダメで、流通業者や消費者にも理解を進める努力が必要です。
 その点、静岡県は、造り手と売り手と飲み手が一体となって静岡吟醸という形を守っています。静岡の酒は川上から川下まで一体となって守って伝えている。酒自体の出来不出来や技術的にどうこう、というよりも、静岡吟醸がそういう形で守られているというところに、得難い気高さを感じます。

(鈴木)心強いお言葉をありがとうございます。鑑評会といえば、なんといっても100年以上続く全国新酒鑑評会があります。松崎さんは全国新酒鑑評会について深く研究されていますね。

(松崎)国をあげて、これだけの歴史を持つ酒の品質コンテストは世界にも例がありません。明治の中期、酒造技術の向上のため、国が中心になって始めた公的なものです。富国強兵時代、日清・日露という大きな戦争を経験し、国の財源確保が急務でした。酒税は税収全体の3割を占めており、科学技術が今ほど発達していない当時、いかに酒を安定的に造り、安定収入を得るかが課題だったという背景もあります。
 
(鈴木)吟醸酒というのは、この、鑑評会出品用に生まれた技術研鑽のための酒ですね。

(松崎)吟醸酒は本来、門外不出のもので、鑑評会に出品することでひとつの使命は終わり、残った酒は他の酒と混ぜてしまうか、一般にはほとんど知られていない「吟醸酒」ですから、「超特選」というラベルで売るなどしていました。
  地方の銘酒が注目され始めたのは、ここ30~40年ぐらいのことです。古くは、吟醸酒造りの発祥の地広島とか、もっとさかのぼれば加賀の「菊酒」や河内の「天野酒」など地方の伝承酒が都に伝わって評判になったという例もありますが、今の地酒ブームは昭和50年前後が黎明期とされています。
  中でも昭和48年(1973)という年は、地酒が注目される大きな転機でした。この年、日本酒の出荷量がピークを迎えたのです。昭和のはじめ、戦時中や終戦間もない頃は米が統制されて、蔵元が思うように酒を造れない時代もありましたが、高度経済成長期になると自由に造れるようになり、大手メーカーは地方から桶買いをしてまで積極的に売るようになりました。
  ピークを過ぎると、大量生産の時代の三倍醸造や、糖類や醸造アルコールの大量添加による量産水増しに批判が向けられるようになり、アルコール添加量を低く抑えた本醸造酒や、添加物をなくした純米酒に注目が集まるようになります。もっとも当時は純米酒という言い方ではなく「無添加酒」と言っていたようですが、そういう一部の酒を通して、量から質へと酒に対する価値観が変化していったのですね。

(鈴木)その頃から新聞等で、大手の特級酒は実は地方から桶買いしていたものだとか、地方で二級酒として売られている酒が特級酒よりうまいと報道されるようになったそうですね。

 (松崎)ちょうど国鉄がディスカバージャパンのキャンペーンを始めるなど、東京ではなく地方にこそ日本の真の豊かさがあり、地方の良さを発掘しようという機運が生まれました。これに呼応するように地酒が注目され始めたようです。
  もっとも当時は、酒造りがどのように行われ、蔵元がどんなこだわりを持っているかという突っ込んだレベルまではいかず、地酒の中にも糖類やアルコール添加量の多いものや、米も普通の飯米を使ったものが多かったようです。
 「越乃寒梅」が幻の酒として名声を得、樽酒の「樽平」、にごり酒の「月の桂」など変り種の酒が話題になりましたが、これらブームは酒屋さんが仕掛けたというよりも、文人墨客といいますか有名な作家や文化人が雑誌・小説で取り上げて人気に火がついたものですね。
  私はこの頃、大学生でしたので、1升瓶で1200円ぐらいの二級酒しか飲めませんでしたが、とにかくいろいろな二級酒を飲んではラベルを剥がして収集したりして、愉しんでいました。

(鈴木)その頃、静岡の酒と忘れ得ぬ出会いがあったとか。

 (松崎)ちょうど、伊豆の宇佐美でゼミの合宿があったとき、御殿場の「富士自慢」という酒を飲みました。初めて飲んだ静岡の酒です。
 当時飲んでいた二級酒は糖類添加で精米も低い、甘くゴツゴツした酒がほとんどでしたが、「富士自慢」は同じような値段帯にもかかわらず、口当たりの良いすっきりとした味わいで、ほのかな吟醸香もありました。おそらく当時すでに実用化されていた静岡酵母のスタンダードSY103と富士山湧水によって醸されたと思います。お煎餅だけかじって5合スイスイ飲んでしまい、翌日二日酔いをしたことをよく覚えています(苦笑)。
 やがて日本名門酒会のような全国組織の酒販店グループが各地の地酒の流通に力を入れ始め、「一ノ蔵」や「司牡丹」のような人気銘柄が生まれました。それら地方から発掘された地酒は、大手メーカーの酒よりも精米歩合が数パーセント高く、醸造アルコール添加量も少なく、飲めばあきらかに違う。まだ級別制度によって酒の良し悪しが判断されていた時代でしたが、級別というのは特級で(プレミア感を出して)売りたければ国税局で特級の鑑査を受ける、いわば自主申告制。鑑査を受けない酒はすべて二級酒扱いです。「一ノ蔵」は、それを逆手に「無鑑査」をウリにしたのです。

(鈴木)吟醸酒が注目され始めたのも昭和50年代後半から昭和60年頃ですね。

(松崎)地酒の中の、本醸造や純米酒の価値はそこそこ浸透してきた頃でした。精米歩合が異様に高く、口当たりがなめらかで、他の酒にはない華やかな香りがする・・・日本酒を初めて飲む人も、長く飲み続けてきた人にも、一口で、質の違いを認知できたのが吟醸酒でした。
  ときはちょうどバブル経済の入り口。私は百貨店に就職して2年目、郊外店の酒売り場にいまして、吟醸酒を名指しで買いに来る人が、週に2~3人ぐらいいたでしょうか。その人たちは、当然、吟醸酒がなんたるかを知っていて、新しい銘柄が入るたびに試し買いする。吟醸酒は、新しい酒質と新しい価値観を日本酒の世界に吹き込んだのだと現場で実感しました。
 
(鈴木)その吟醸酒ブームの始まりの頃、昭和61年(1986)の全国新酒鑑評会で静岡県が10銘柄金賞を獲得しました。松崎さんはこのニュースをどう見ておられたのですか?

(松崎)この年、金賞を授与された酒は全国で100銘柄ちょっとでしたので、静岡県が金賞の1割を占めたというのは異例の出来事でした。
 吟醸酒は“デリシャスリンゴのきれいな香り” “味の線は細いが後きれがドライ” “口あたりがなめらか”な酒といわれます。精米歩合は大吟醸で40~50%程度。今では30~40%ぐらいの大吟醸もゴロゴロありますが、精米歩合60~70%程度の本醸造酒や純米酒とはあきらかに違う。日本酒の最高峰に位置する圧倒的な存在感を示しました。その吟醸酒の酒質を競い合う全国新酒鑑評会で、まったくノーマークだった静岡県が一躍、主産地として躍り出たことに、私も当時、興奮を覚えたものです。地酒を扱う酒販店や居酒屋のオーナーたちも、なんだなんだと目を見張りましたね。
  静岡県のことをいろいろ調べてみたら、河村傳兵衛さんという立派な先生がいて、静岡酵母を開発し、何年もかけて実用化させ、吟醸酒造りを牽引してきたとわかりました。

(鈴木)河村先生は昭和50年代から酵母開発に取り組んでおられました。静岡の蔵は規模が小さく、物流が活発で他県の酒が潤沢に入ってくる。その中で地元の蔵が自立するには、普通に造っていたのでは無理で、何か技術的な付加価値が必要だった。それが吟醸酒だったとうかがいました。

(松崎)静岡県の大量入賞の前の昭和59年(1984)頃、東京の酒販店が主催する酒の会で、「國香」を飲みました。ただの本醸造でしたが吟醸香が素晴らしかった。おそらく静岡酵母HD-1を使っていた吟醸規格の酒だったでしょう。その瞬間、学生の頃に出会った「富士自慢」とフッとつながったのです。
 20代だった私は静岡の酒を「青春の味」と形容しました。酒質そのものも軽やかでほろ苦さがあり、蔵元の、本当にいいものを造りたいという純粋な思いが伝わってくる酒でした。

(鈴木)現在の「國香」の蔵元杜氏、松尾晃一さんは河村先生から傳一郎という杜氏名を授かった静岡酵母酒の名手です。松尾さんが醸す酒は今おっしゃったように軽やかでややほろ苦く、青春の味という表現がピッタリです。私はよく「素肌美人の酒」と評します(笑)。

(松崎)静岡の功績は、吟醸酒で名を上げたばかりではありません。一般に、ある有名な蔵が牽引役となってその地域全体のネームバリューが上がるというパターンが多く、典型的な例では、新潟が越乃寒梅によって一気に銘醸地になりました。他の地域でも名だたる人気銘柄があって酒質の方向性を決め、産地化されていった。
 一方、静岡県の場合は、県としての戦略があって、方向性を明確にし、酒質が統一されていったという特徴があります。新しい銘醸地醸成のパターンですね。そこに静岡酵母が存在し、吟醸酒としてはっきりした特徴を持っていた。このパターンを他県も参考にし、独自の酵母を開発し、戦略を持って産地化に乗り出すという流れが出来ました。静岡県はまさにその先鞭をつけたのです。
 
(鈴木)当時、全国新酒鑑評会会場で「静岡みたいな酒の後進県に出来るならうちの県だって」という声をよく聞きました。 

(松崎)静岡酵母のあと、長野県のアルプス酵母、秋田県の秋田花酵母など、1990年代前半、各県の酵母開発競争が活況をみせました。バブル経済の後押しもあり、1本1万円の吟醸酒とか、一杯1000円以上で飲ませる吟醸バーのような店も出現しました。全国新酒鑑評会も、平成3年(1991)ぐらいから金賞の数が200銘柄ぐらいにグッと増えました。それだけ吟醸酒造りが体系化され、それまで吟醸酒を造ったことのない蔵や地域まで造るようになりましたね。

(鈴木)同時に静岡県が鑑評会で入賞できないという現象も起きました。

(松崎)各県の酵母開発がエスカレートし、今までにない香りや強烈な香りを発する酵母が続々誕生したのです。鑑評会の審査は目隠しをして行い、採点するのですが、何十品、何百品ときき酒していけば、どうしても香りの強い酒のほうが印象に残ります。もちろん、審査では、香りだけではなく全体のバランスのよさをみるわけですが、香りがあって、味が濃くて密度がある酒のほうが有利になってしまうのは確かです。

(鈴木)静岡のように繊細で素肌美人の酒は不利ですね。

(松崎)出品酒の多くは原酒で、アルコール度数18度ぐらい。もともと香りが高く濃厚な酒です。いちいち飲み込んでいたら審査になりませんので、一口含んで、一瞬でバランスのよさや欠点がないかを判断する。今、全体のレベルが上がっていますので、欠点のある酒はさほどありませんが、全国新酒鑑評会で実感するのは、はっきり言って量を飲む酒ではないということ。自動車でいえばF1レースの世界です。技術の粋を込めたレース用のマシンは、乗り心地や燃費等は考慮されません。それと同じです。

(鈴木)私はよくミスコンに喩えます。

(松崎)1990年代の吟醸酒ブームでは、そういう酒が全盛になりました。確かに吟醸酒は酒造りの技術の粋を結集した最高峰の酒であることに違いはありませんが、元来、持っていた郷土性は失われていったという声も聞かれるようになりました。地域間の技術格差がなくなったということですね。吟醸酒を造ったことのない地方の小さな蔵でも造るようになった一方、日本酒自体が低迷する中、最高峰を目指すばかりではなく、もう少し、消費者のほうに目を向けるべきではないか、ということでしょうか。
 
(鈴木)静岡県はこれからも吟醸酒で勝負すべきでしょうか?

(松崎)静岡県のようなレベルの高い県の鑑評会で審査する者にとって、あるいは当然のことながら蔵元さんや杜氏さんにとって、吟醸酒というのは、自らを高めてくれる素晴らしい酒です。酒の販売を経験した身で言えば、自分が仕入れた吟醸酒が初めて売れたときはとても感動しました。無名の酒で、吟醸酒という言葉も浸透していない時代でしたが、そういう経験は吟醸酒あってのことだと思います。
   静岡県は、知られざる吟醸酒の実力を世に知らしめ、今では「静岡吟醸」という言葉が生まれたほどの産地です。最初に言いましたように、新酒の時期は米が硬く、線が細いという印象を受ける年もありますが、総じて他県の新酒に比べるとブレがない。それは「静岡吟醸」のスタイルが確立しており、造り手にもしっかり継承されている証拠だと思います。そのことをお伝えできれば幸いです。(了)

 

 


 この対談記事は、2013年4月2日開催のしずおか地酒研究会第41回しずおか地酒サロン『松崎晴雄さんの日本酒トレンド解説~静岡県清酒鑑評会を振り返って』を書き起こし、再構成したものです。

 4月4日は夜、日本酒酒場萬惣屋(HPはこちら)のセミナールームで、しずおか地酒研究会発足25年記念サロンを開催する予定でしたが、断腸の思いで中止とし、ご迷惑をおかけした萬惣屋さんの売り上げに少しでも貢献できればと、カルチャー講座の受講生用に酒肴セットをお願いしました。ささやかな金額ながら、炭火焼を中心にした酒肴の内容は本当に素晴らしく、受講生にも「過去一番おいしい酒肴!」と喜ばれました。

 どんな状況でもお客様に満足していただこうと最善を尽くされる静岡の飲食店の皆さまのご努力が無にならないよう、事態の改善を祈るばかりです。 

 


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