杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

プランクトンの未知なる世界

2014-09-12 08:05:59 | 環境問題

 1週間経ってのご報告ですが、9月4日(木)、上野の国立科学博物館日本館講堂で開かれた【生き物文化誌学会シンポジウム~プランクトンの未知なる世界】を聴講しました。パネリストはNHKスペシャルの“ダイオウイカ”ハンターとしても知られる科博のコレクションディレクター窪寺恒己氏、水中写真家の中村宏治氏、作家の荒俣宏氏、北海道大学特任教授の福地光男氏。門外漢の自分には、このメンツの凄さがすぐにはピンと来なかったのですが、お話をじっくりうかがって、百科事典をまるごと読破したような知の充実感にしみじみ浸りました。

 

 プランクトンって海の中を浮遊する微生物、程度の認識しかなく、このシンポジウムを受講したのも、地酒ライターとして“微生物”というキーワードに引っかかっただけだったんです(苦笑)が、窪寺氏がまずプランクトンのイロハを解説してくれました。

 

 

 人間の肉眼では直接見ることはできない数μmのものから、貝やクラゲやイカやタコの赤ちゃんになるものまで多種多様のプランクトン。大きく、植物プランクトンと動物プランクトンに分けられます。植物プランクトンは文字通り植物なので、太陽光をエネルギーにして光合成を経て有機物を生み出す「生産者」。対して、動物プランクトンは、植物プランクトン・他の動物プランクトン・動植物の死骸や排泄物などを餌にする「消費者」なんですね。

 

 島国の日本は豊かな海や河川や湖沼を持っています。水中には有機物を蓄えた植物プランクトンがいて、これを食べる動物プランクトンがいて、動物プランクトンを食べる魚類、髭鯨類がいて、これをまた餌にする大型の魚類、頭足類、海鳥類、鰭脚類、歯鯨類が、食うか食われるかの争いを繰り返しながら連鎖する。窪寺氏はプランクトンを「海洋においては、食う―食われるの第一歩となる基礎生産を支える重要な生き物」と定義します。ダイオウイカのハンターが定義する基礎生産の第一歩・・・すごく説得力を感じました。

 

 

 中村氏は、高性能デジタルカメラを駆使し、ミクロの浮遊生物を見事に可視化してくれました。今回披露された写真の主な撮影地は、山口県長門市・日本海に面した青海島(おうみじま)。なんでも水面近くの中層域で、3cm四方でスキャニングしながら異物を見つけてはライトをあてて、ファインダーの中に招き入れて何百枚も撮るという根気の要る撮影だったとか。それでも「毎週、新種を10数種と発見する。40数年の水中撮影体験でこんな経験は初めて」「新しい海の入口を見つけた気分」とワクワクしたそうです。中村氏ほどの著名な水中写真家が、はるか遠くの外洋ではなく、日本のお膝元を「新しい海の入口」と定義されたことに新鮮な感動を覚えました。

 

 

 

 肉眼では塵か埃にしか思えないプランクトンも、こうして見ると、まさに絵に描いたような美しさ。プログラム表紙の上に掲載された中村氏撮影のエビに似た端脚類のプランクトンは、映画【エイリアン】のモデルになったそうです。

 荒俣氏はプランクトンの姿かたちが文化芸術に影響を与えた具体例を解説してくれました。19世紀末に初めてプランクトン研究を手掛けた博物学者のエルンスト・ヘッケルは、「エコロジー」という概念の生みの親でもありますが、彼が放散虫類(大きさ1mmほどの単細胞生物)をデッサンした図鑑「自然の美的造形」は当時の造形デザイナーに多大な影響を与え、建築デザイナーのルネ・ピネは1900年開催のパリ万博の正門デザインを放散虫のカタチにしたんだそうです。また宝石のデザインにも数多く取り入れられ、実際にヘッケルのスケッチを3D化したグラスフラワーも制作されました。荒俣氏はスイスのジュネーブ自然史博物館で常設展示されたグラスフラワーに出合い、大いに感激されたそうです。

 

 「見るテクニックが発達すれば、海の生物への理解は進む」と窪寺氏も力を込めます。確かにダイオウイカがあんなビジュアルだったなんて、映像でハッキリ観たおかげでダイオウイカという生物の輪郭が理解できましたよね。荒俣氏は「“巨大”の次は、“微小”の時代が来る」と明言し、「重力やエネルギー問題がほとんどなくなるナノ・スケールの微小世界では、生物は奇想天外なカタチや色を、ほとんど自由にとることができる。自然の真の造形美は、微小生物の細部にこそ宿る」と説きます。

 

 北大特任教授で南極観測隊隊員でもあった福地光男氏が加わってのパネルディスカッションでは、荒俣氏の「タローとジローはオキアミ(動物プランクトン)を食べて生きながらえたのでは?」との質問に、「昭和基地に残していくとき、餌はたくさん置いていったが、いっさい手をつけていなかった。後に、アザラシの脱糞を食べていたことが判った。昭和基地周辺の食物連鎖に2頭だけがうまくマッチしたのでは」と福地氏。プランクトンのおかげで生き残ったのであれば“新たな伝説”が生まれたかもしれません(笑)。

 

 

 自ら水中撮影に挑んだ経験があるという荒俣氏は「ほとんどのプランクトンは透明で、しかも宇宙生物のような姿をしていた。得体の知れない霊体のようだった。陸上でも透明体(=霊体)が存在するんじゃないか」と、らしい?発言で聴衆を沸かせました。透明ということは光を反射せず発光もせず、電磁波を吸収することもない。体の構造は実にシンプルな、究極の水晶ともいうべきものです。ヘッケルが活躍した19世紀末のドイツでは、すでに透明水晶(液晶)の研究が始まっていて、ヘッケルはのちに鉱物学者となってクリスタルの研究にも没頭したそうです。

 

 

 個人的に「おおっ!」と思ったのは、荒俣氏お気に入りのプランクトン「ノープリウス」は目が単眼で、モノのかたちや色は識別できないそうですが、やがてかれらは二つ目になり、脳機能が加わって、「ホウネンエビ」になるんだとか。藤枝の松下明弘さんの田んぼで毎年お目にかかるホウネンエビが、進化系プランクトンの代表選手だなんて、言われてみればそうか・・・とナットクですが、今回のシンポジウムでその名が登場するとはビックリでした。

 

 

 

 荒俣氏がプログラム要旨に書かれた一説が、プランクトンの見方を指南してくれます。

「植物プランクトンのうち藍藻類のような生物が、ある日海の中へわずかに届きだした太陽光をエネルギーとして、光合成を開始したことから、地球の運命は変わる。自力で栄養を生産し、分裂、増殖する中で、酸素と水を産みだし、地球の環境を激変させる。酸素は海中の鉄分を結合させて固体に変え、酸素呼吸をすることで運動することもできるような「動物」も生みだした。いまの地球環境は、藻類が創った。そうした極小浮遊生物の「位相」をたとえて言うならば、「地球原初の生物が経験した世界」の生き残り、ということかもしれない」

 

 21世紀は「微小」に光があたる時代・・・になるのかな。

 


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南伊豆ジオパークめぐり

2013-01-29 18:46:54 | 環境問題

 1月27日(日)~28日(月)と伊豆の下田に行ってきました。地酒に関する活動や取材が目的でしたが、天候に恵まれたこともあって、空き時間を利用し、爪木崎と石廊崎の灯台周辺をDsc01377
歩いてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

Dsc01373
 現在、伊豆地域では『伊豆ジオパーク構想』を進展中で、昨年秋に発行された県広報誌『ふじのくに』でも特集記事を作りました。このとき、実際にジオパークとして注目される地点を回る時間がなく、借り物の写真で済ませてしまったのが心残りで、何とか機会をつくって自分で写真を撮りに行きたいなあと思っていたのです。

 

 

 下田の爪木崎も石廊崎も、過去、何度か行ったことがありましたが、ジオパークという視点で観ると、なんだかまったく違った世界に感じました。

 

 

 

 

 

Dsc01355
 これは、爪木崎灯台の周辺に広がる俵磯。不思議な岩体です。

 

 伊豆半島というのは、今から約2千万年前、太平洋の海底火山群がフィリピン海プレートで移動し、日本列島に衝突して降起したといわれます。伊東の城ヶ崎海岸や大室山、西伊豆の黄金崎や堂ヶ島、天城山や浄連の滝、そして伊豆の代名詞でもある数々の名湯や名水は、このような成り立ちが生み出したものなんですね。

 

 爪木崎の不思議な俵磯も同じ。火山の地下から上昇したマグマが、海底で噴火を起こさず、地層のすきまに入り込んで固まってしまうことがあります。そうして出来た岩体を「シル」と言うそうですが、俵磯のシルは六角柱状になっていて、マグマが冷えるときに体積収縮で割れ目が出来ました。これを「柱状節理」と称します。

 

 

 以前から、不思議な岩だな~と思っていましたが、こうやって地質学的特徴を知ったうえで観ると、「身近にこんなスゴイ地学の標本があったのか、子どもの頃から知っていたら地理や自然科学が得意科目になっていたかも」・・・なんて思っちゃいました。

 

 

 

 

 

 Dsc01387

 こちらは田牛海岸にある竜宮窟。海岸には何度か行ったことがあるけれど、「竜宮窟」のショボい看板(失礼!)を気に留めることはまったくありませんでした。暗い石段を下ると、自然の浸食が創り出したなんとも美しい空間が広がっていました。

 

 Dsc01383
スケールは違うけど、昨夏に訪れたグランドキャニオンやアンテロープキャニオンの造形美を思い出し、ここもジオパークとしての解説看板をしっかり作れば、人気観光スポットに生まれ変わるかも、と感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ジオパーク」とは、ギリシャ語で大地を意味する「ジオ」とパーク(公園)をつなげた言葉。1990年代にヨーロッパで生まれた造語です。

 

 

 

 

1819世紀、資源開発を目的に発展した地質学が、20世紀後半、“自然遺産を暮らしに生かす”という視点で再認識され始めたんですが、一般市民も、自分たちが暮らす地域の地形や地質の特徴を科学的に学び、観光や地域づくりに生かし、経済的に保全継続させそうと動き出します。対象となる自然を「ジオパーク」と呼び始めたこの活動は、やがて地球規模に広がって、2004年、ユネスコ支援のもとで世界ジオパークネットワークが発足。これまでに世界26カ国92ヵ所が「世界ジオパーク」に認定されています。

 

 

 

 

 

世界遺産と違うのは、地元が自主的に、経済的に保全継続できるしくみづくりが重視される、という点です。観光や地域づくりにいかに活かせるか、がポイントなんですね。

 

 日本ではジオパーク構想に近い活動に取り組んでいた糸魚川(新潟)と島原半島(長崎)他が中心となって、日本ジオパーク委員会が立ち上がりました。2008年12月に、洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島、アポイ岳、南アルプス中央構造線エリア、山陰海岸、室戸の7地域が日本ジオパークに認定。その後、数が増え、2012年9月24日に伊豆半島を含む5ヶ所が加わり、これまでに25ヶ所が認定を受けました。うち、糸魚川、島原半島、山陰海岸、室戸岬、洞爺湖有珠山の5ヶ所が世界ジオパークに認定されています。

 

 

 

 伊豆半島では1990年代から静岡大学の小山真人教授が地質学的特性に着目したジオパーク的構想を提唱し、2000年以降、伊東市を中心に講座やフィールドワークを継続的に行ってきました。

 

 08年に日本ジオパーク委員会が発足した後、09年の県議会で川勝知事が「伊豆ジオパーク構想」を初めて表明し、ジオパークという言葉が広く注目されるようになります。

 

知事の提言を受け、伊豆半島の6市6町が足並みを揃え、各地でジオパーク認定に向けた研究会や調査活動が本格的にスタート。11年3月には伊豆地域13市町・県・観光協会・企業・大学等が結集し、『伊豆半島ジオパーク推進協議会』が発足。協議会発足からわずか1年半で、日本ジオパークの認定を受けました。

 

 

これから目指すは、もちろん世界ジオパーク認定。世界への推薦は各国1年あたり2件までという制限があるため、推進委員会では1314年度にかけてしっかりと実績を積み、国内推薦を勝ち取り、15年度の世界認定を目指して活動中です。

 

 

 

 

 小山教授がまとめた「伊豆ジオパーク構想提案書」の序文には、川端康成のこんな言葉が紹介されています。

 

 

 「伊豆半島全体は一つの大きい公園である。一つの大きな遊歩場である。つまり、伊豆は半島のいたるところに自然の恵みがあり、美しさの変化がある。」

 

 

「面積の小さいとは逆に海岸線が駿河遠江二国の和よりも長いのと、火山の上に火山が重なって出来た地質の複雑さとは、伊豆の風景が変化に富む所以(ゆえん)であろう。」(川端康成 『日本地理大系』第6巻、昭和6年2月より)。

 

 

 

小山教授曰く、「川端康成は、地形・地質の多様さ・複雑さが、伊豆独特の自然の美しさの原因であることを見抜いていた。とくに、“火山の上に火山が重なって出来た”という表現は、伊豆の大地の本質を見据えたものであり、現代の専門家も脱帽せざるをえない。“伊豆半島全体が一つの大きい公園である”も卓見である」とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

つねづね、優れた文学者とは、優れた観察者であり、分析家であり、ものごとを感覚ばかりでなく、きちんと論理的にとらえる頭脳の持ち主ではないかと思っていましたが、この一文を読んで改めて実感しました。

 

 

 

 

 

 

Dsc01371

 

 

 

 

 

石廊崎の先端にある祠と、その背景に見つけた風力発電の風車(ちょっと写真では見づらいですが、右下写真の中央の稜線の上に風車が数基立っています)。

Dsc01379オパークの象徴的な場所に、感性と知性が同居する、見様によっては実に不思議な風景です。

 

 

 

これが21世紀なんだなあと妙にしんみりしちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊豆ジオパーク構想については、こちらのサイトをご参照ください。

 

 

 

 

 


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中日新聞環境特集「豊かな暮らしと廃棄物は表裏一体」

2012-06-23 19:22:20 | 環境問題

 本日(23日)付けの中日新聞朝刊の環境特集で、産業廃棄物問題の記事を書きました。

 震災ガレキ処理で改めてクローズアップされている廃棄物処理という社会の負の問題。今はどちらかというと、産業Imgp0004
廃棄物よりも一般ごみの不法投棄のほうが深刻なようで、処理業者の方々の本音をオフレコで聞いたうえで、広告特集記事(=スポンサーの校正チェックが入る記事)としてギリギリの表現に挑戦してみました。一部、ソフトな表現に直された部分もありますが、一般ごみの“排出者”である我々市民が、少しでも多くの方に考えるきっかけになれば。

 

 

 

 

廃棄物処理の現状と課題「豊かな暮らしと廃棄物は表裏一体」<o:p></o:p>

 

昨年の3・11以降、日本人が直面したエネルギーやゴミ・廃棄物の問題は、今のライフスタイルの見直しを迫る、大きく切実なものとなった。ゴミを減らし、資源や物資を大切に使う循環型社会のしくみづくりに必要なものは何か。廃棄物処理の最前線に立つ静岡県産業廃棄物協会の活動を岩間雄一副会長に解説してもらった。<o:p></o:p>

 

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 産業廃棄物の定義<o:p></o:p>

  モノを作れば、使えば、必ず生まれる廃棄物。モノに満ち溢れた豊かな生活とは、同じ量の廃棄物と表裏一体であることを、私たち生活者は時折、見過ごすことがある。

 廃棄物とは、家庭から出される一般ゴミやし尿と、会社・工場・商店など事業活動にともなって出た事業ゴミに大きく分けられる。事業ゴミのうち、がれきや廃油や汚泥など法令で定められた20種が『産業廃棄物』と定義され、事業者に処理責任が課せられている。処理の形としては、事業者自らが行うケース、処理業者に委託するケース、行政機関が公共サービスとして処理するケースがある。<o:p></o:p>

 

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 静岡県産業廃棄物協会―廃棄物の入口(排出業者)と出口(処理業者)と排出業者が同居する稀有な団体<o:p></o:p>

  「適正な廃棄物処理は、健全な社会の発展に不可欠である」という理念のもと、昭和50年に設立した静岡県産業廃棄物協会。産業廃棄物の処理事業者と、排出事業者を合わせた計1140社が加盟している。<o:p></o:p>

  実は排出(入口)と処理(出口)双方の業者が“同居”する団体は全国的にも珍しい。静岡県産業廃棄物協会は、平成3年の法改正で排出業者の責任が強化された時、全国に先駆けて排出業者の入会を受け入れた。岩間副会長は「多種多様な製造業が拠点を置くモノづくり県静岡では、廃棄物への対応は相対する両者が同じベクトルで取り組む必要があるとの強い共通認識があった」と振り返る。<o:p></o:p>

 

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 社会に不可欠な公益事業<o:p></o:p>

  先月、利根川水系の浄水場で水質基準値を超えるホルムアルデヒドが検出され、関東広域で水道が止まるというアクシデントが発生。今月7日に「原因物質が十分に処理されずに放流されたと強く推定される」との最終的な調査結果が群馬・埼玉両県と高崎市から発表された。<o:p></o:p>

  原因物質が法規制の対象外だったため、原因物質を含む廃液の処理を委託した金属加工メーカーに法的責任はなく、委託を受けた処理業者の処理方法に問題があったとし、文書で再発防止を求めるのみとなった。<o:p></o:p>

  この事例は、排出業者と処理業者の連携ミスや責任の所在の曖昧さ等、廃棄物処理が抱える問題を如実に示す結果となった。「廃棄物処理は自己処理が原則。業者に委託する場合は信頼できるかどうか少なくとも年に1回は処理現場を点検するぐらいの意識が必要」と岩間副会長は指摘する。<o:p></o:p>

 

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 平成24年4月、公益社団化<o:p></o:p>

  静岡県産業廃棄物協会が手がける事業は、<o:p></o:p>

 ①公益目的事業<o:p></o:p>

 ・不法投棄防止活動事業<o:p></o:p>

 ・不法投棄情報収集事業<o:p></o:p>

 ・災害復興支援事業<o:p></o:p>

 ②適正処理啓蒙事業<o:p></o:p>

 ・産廃処理施設視察会の実施<o:p></o:p>

 ・展示会等出展事業<o:p></o:p>

 ③能力開発支援事業<o:p></o:p>

 ④産廃技術ニュース発行<o:p></o:p>

 ⑤協会機関誌の発行<o:p></o:p>

 等、公益性の高い事業を行っている。<o:p></o:p>

  昭和52年に社団法人化した同協会は、平成24年4月1日、「公益社団法人静岡県産業廃棄物協会」に移行した。<o:p></o:p>

 全国各都道府県にある産廃協会のうち、一般社団ではなく公益社団に移行したのは8道県のみ。公益社団への移行はハードルも高いが(注1)、組織としての社会的信用性も当然高くなる。協会幹部も「当協会が、公益目的事業を遂行できる基盤がしっかりあるという証明」と自信を示した。公益社団化初年度の今年は、不法投棄の問題や一般への啓蒙活動に厚みをもたせている。<o:p></o:p>

 

(注1)平成18年の法改正で、公益法人は、①一般社団法人及び一般財団法人、②公益社団法人及び公益財団法人の2つに改組された。②の認定には、主たる目的とする公益目的事業費比率を50%以上とし、その事業を行うために必要な経理的基礎および技術的能力を持つこと、すべての関係者に特別の利益を与えないことなどがある。税制に関しては、公益目的事業として認定された事業は収益事業から除外される等の優遇措置がある。<o:p></o:p>

 

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 浜松市と不法投棄防止協定を締結<o:p></o:p>

  今年3月、協会は浜松市と「廃棄物の不法投棄等の防止に向けた協定」を締結した。従前より不法投棄防止にかかわる協力関係にあった協会が市と正式に協定を結ぶことにより、連携をより強固で円滑なものにし「美しいまち浜松」の創造を目指すこととなった。<o:p></o:p>

  その一環として6月8日、浜松市北区三ケ日町大崎一帯で実施された回収作業には、59人の協会員と自治会10人、市職員12人の計81人が参加。協会浜松支部がアームロール5台、ユニック6台、小型重機2台を提供し、不法投棄された15トンあまりの廃棄物を回収した。4トントラック14台分に相当する量である。<o:p></o:p>

 

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 増加する一般ごみの不法投棄<o:p></o:p>

  今回、回収した廃棄物の中には浜名湖のマリンレジャー客が投棄したと思われるレジャーごみや生活ごみも目立った。場所は「車で運びやすく、捨ててもすぐに自分の視界から見えなくなるところ」という。<o:p></o:p>

  このように現在、顕在化している廃棄物問題の主役は、産業廃棄物から一般廃棄物(生活ごみ、廃タイヤ、廃家電等)へと移っている。昨年度から廃棄物処理法の一部が改正され、不法投棄や不適正処理への対策、最終処分場の環境汚染対策、廃棄物の循環的利用の促進等が強化された。協会の法令遵守への働きかけも奏功し、県内では大規模は産業廃棄物の不法投棄は減少傾向にある。<o:p></o:p>

  一方、生活ごみや廃家電といった一般廃棄物の扱いは、法というよりも一般市民のモラルに依るところが大きい。岩間副会長は「産業廃棄物は入口(排出業者)と出口(処理業者)の努力によって減らすことができた。一般ごみも同じ。自分が出すごみには自己責任を持つという意識を、家庭や職場で保持してほしい」と力を込める。<o:p></o:p>

 

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 御前崎中学の“亀バックホーム作戦”をサポート<o:p></o:p>

  協会では日頃から廃棄物処理事業への理解や啓蒙にも努めており、県内7支部ごとに、地域の小・中・高校で環境教育プログラム事業を実施中だ。今年度は協会中遠支部が中心となって、御前崎市牧之原市学校組合立御前崎中学校全生徒(約450 名)を対象に行った。<o:p></o:p>

4月の廃棄物セミナーでは、会員企業の社員が講師となってごみ問題やリサイクル事例等を紹介した。5月には、御前崎マリンパーク海岸で同校が行った清掃活動“亀バックホーム作戦”に協力。重機等を提供し、燃えるごみ約1460キログラム、金属くず60キログラム、その他(廃タイヤ・ビン類等)1200キログラムの回収をサポート。廃棄物セミナーでごみ問題について理解を得ていた生徒たちは、リサイクル可能な廃棄物を海亀の棲息地に投棄する“愚行”に心を痛めていた。<o:p></o:p>

 

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 電子マニフェストの推進<o:p></o:p>

  協会では廃棄物の減量化に向け、県が奨励する3R運動(注2)を事業所にも広く呼び掛け、研修会を各地で開催している。<o:p></o:p>

  また廃棄物を適正に処理するために有効な「電子マニフェスト」の加盟登録を事業所に呼び掛け、静岡県は平成23年度までに、東京都、神奈川県に次いで全国3位の登録件数(6232件)となった。27年度までに8000件を目指している。<o:p></o:p>

  岩間副会長が所属する協会の医療廃棄物部では、医療施設への電子マニフェストの導入を積極的に呼び掛け、部会員のほとんどが導入している。その一方で導入が遅れている一部の医療機関には、処理業者の立場から導入をお願いしている。岩間副会長は「静岡の電子マニフェスト導入は全国的なモデルケースとして注目されている。会員企業に趣旨を徹底させたい」と気を引き締める。<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

<o:p> </o:p>(注2)3R運動=ゴミを出にくくする(Reduce)、再使用(Reuse)、再生利用(Recycle)を呼び掛ける。<o:p></o:p>

 <o:p> </o:p>

 <o:p></o:p>

  「モノを造ればゴミが出るのは当たり前。健全で豊かな暮らしとは、廃棄物と表裏一体であることを忘れないでほしい」と真摯に語る協会スタッフ。毎年8月には協会7支部で小学生を対象にした施設見学会「ぼくらはさんぱい探偵団」を実施しており、今年も準備に余念がない。

 子どもの意識が変われば親の意識も変わり、地域や職場での行動にもつながってくる。公益社団化した協会の使命もそこにある。<o:p></o:p>

 (文・鈴木真弓)<o:p></o:p>

 


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中日新聞富士山特集「富士山県民講座」

2011-09-17 10:56:29 | 環境問題

 中日新聞で月1回書かせてもらっている富士山特集の第5弾が、本日(9月17日)付け朝刊8面に掲載されました。今回は10月から始まる県主催の『富士山県民講座』の紹介。10月2日の第1回講座を受け持つ静岡大学理学部の増沢武弘先生から、“文化遺産を育んできた富士山の自然と植生”について、大雑把な解説をうかがっています。

 

Imgp4869
 増沢先生によると、富士山って麓には杉やヒノキの人工林、600~1700メートルあたりにブナやミズナラといった山地林(天然林)、その上の亜高山帯にハイマツやシラビソ、さらにその上の高山帯にはコケ類と、標高によって植生が垂直に変化する稀有な山なんですね。それは、室町時代に描かれた富士曼荼羅図にもしっかり描かれている。植物学者にとっても貴重な研究対象なんだと解ります。

 

 

 600~1700メートル周辺の山地帯にあるブナ林は、今から500年ぐらい前(室町末期から戦国時代)に突然現れたそうです。なんでもこの頃、日本は小氷河期だったそうで、各地で飢饉が頻発した(・・・政情不安の世になるのもうなづけますね)。本来、白神山地のような場所に代表されるブナ林が、富士山の、しかも太平洋側だけに現れた。まさに気候変動の現れです。そのブナ林が、県東部の函南~伊豆天城へと植生を広げ、今も太平洋側では貴重なブナの森が残っているというわけです。

 ちなみに、天変地異が身近に感じられる昨今ですから、取材時に恥を承知で思い切って増沢先生に「大震災の影響で地殻変動が起きたりして、富士山が爆発する可能性もありですか?」と訊いてみました。・・・だって、せっかく世界文化遺産に登録されたと思ったら爆発・・・な~んて哀しいじゃないですか。先生曰く「富士山が噴火するときは、周辺で1年ぐらいの間に300~400回以上の地震が頻発する。その予兆はないから、当分は心配なしというのが専門家の共通認識」とのことです

 

 自然環境によって、あるいはその環境の変化次第によって、生まれてくる文化のカタチや質も変わってくると思います。富士山をこういう角度から見てみるというのも面白いですね。興味のある方はぜひ県民講座にいらしてください。いずれも参加無料です。

 

 

 

富士山を知る

 「学び」、「考え」、「想いを寄せる」富士山の自然と文化<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>富士山の世界文化遺産登録推薦書草案が今月末までにユネスコ世界遺産委員会に提出され、いよいよ“本選”を迎える。提出された登録推薦書は精査を受け、2012年3月から約1年をかけて現地調査も行われる。調査のポイントはハード面もさることながら、地域住民の富士山に対する“熱度”。県ではさまざまな事業を通して、登録への気運醸成に努めている。<o:p></o:p>

 

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 県学術委員による富士山県民講座<o:p></o:p>

  2009年9月、富士市、裾野市、静岡市清水区の3カ所で『富士山県民講座』という公開セミナーが開かれた。富士山の文化的価値を県民に広く理解してもらおうと、県学術委員会委員が講師となって3回シリーズで企画したもの。第1回は土隆一静岡大学名誉教授が「富士山の自然の特性」と題し、<o:p></o:p>

 ●1700万年前、フィリピン東方の熱帯火山群だった伊豆半島が、フィリピン海プレートとともに北進し、200万年前までに本州と衝突。その際、南海トラフが折り曲げられ、大量の玄武岩マグマが供給され、富士山ができた。<o:p></o:p>

 ●富士山の主な湧水は標高1千メートル以上で降った雨が1015年かかって湧き出たもの―等、富士山の成り立ちについて解りやすく解説した。<o:p></o:p>

   ◇<o:p></o:p>

  第2回は中村羊一郎静岡産業大学教授が「富士山の歴史と信仰」をテーマに、<o:p></o:p>

●富士山は漁師や航海者にとって位置確認の目印「ヤマアテ」であり、海上安全と豊漁を祈る神でもあった。<o:p></o:p>

 ●富士山には原始的な山岳信仰の形態が残り、世界でも稀な精神の象徴として位置づけられる―等と分析。<o:p></o:p>

  第3回は片桐弥生静岡文化芸術大学准教授が伊勢物語や鎌倉以前・以降の富士山の絵画を題材に、「富士山はいかに描かれたか」を解説した。<o:p></o:p>

  さらに受講者を対象に行った現地学習会では、富士宮本宮浅間大社とその周辺を視察し、参加者から「富士山について新たな発見があった」「詳しい説明で非常に勉強になった」等の意見が多数寄せられた。<o:p></o:p>

   ◇<o:p></o:p>

  翌2010年の講座は4回シリーズで、建部恭宣県文化財保護審議会委員が「富士山信仰と浅間神社の社殿について」、中村羊一郎氏が「富士山の歴史と文化について~海からの視点」、山田辰美富士常葉大学教授が「命の山・富士山」、東惠子東海大学教授が「富士山と景観」について、それぞれ学術研究家の立場から興味深い講義を行った。<o:p></o:p>

 

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 文化遺産を育む富士山の自然を再考する<o:p></o:p>

  今年も10月に開講する『富士山県民講座』。4講座のうち、自然をテーマにしたプログラムが3つそろった。<o:p></o:p>

  第1回講座「世界文化遺産を護る~富士山の自然」を担当する増沢武弘氏(静岡大学特任教授)は、極地植物研究の第一人者。富士山が初めて世界遺産登録を目指した30数年前から、登録に向けたさまざまな調査や提言を行ってきた。県が世界遺産登録を自然遺産から文化遺産へと切り替えた後も、理系の専門家ではただ一人、県学術委員に残って、登録の重要ポイントである世界遺産の包括的保存管理計画づくりに尽力している。<o:p></o:p>

 

曼荼羅図に描かれた富士山の植生<o:p></o:p>

  室町期の作とされる『絹本着色富士曼荼羅図』(富士山本宮浅間大社所蔵)を、「古い時代の植物垂直分布が描かれた貴重な史料」と説く増沢氏。山麓の富士山本宮浅間大社一帯は、スギやヒノキの人工林が神殿の屏風のように広がり、600~1700メートルあたりの山地帯にはブナやミズナラ等の天然林、1700~3000メートルの亜高山帯にはシラビソ、ハイマツ等、3000メートル以上の高山帯にはいヒゲハリスゲやコケが植生する。曼荼羅図には山頂まで続く岩と砂の荒涼とした斜面をジグザグと登っていく人々の姿が描かれている。<o:p></o:p>

  今回の講座では山地帯のブナ林に着目し、「東北や日本海側にしかないブナの群生が、500年ほど前の小氷河期をきっかけに、富士山の静岡県側から函南、伊豆天城へと突然分布が始まった。富士山から伊豆へとつながる貴重な樹林帯であることを知ってもらいたい」と力を込める。<o:p></o:p>

 

今年の講座のみどころ<o:p></o:p>

  第2回講座では静岡文化芸術大学教授の片桐弥生氏が富士山と文学について解説する。主催の県文化・観光部総務企画課では「県西部地区の方にも、富士山の世界文化遺産登録活動について関心を深めてもらえれば」と期待を寄せる。<o:p></o:p>

  第3回は「富士山に生息する動物」、第4回は「富士山の自然と災害について」という時機を得た内容が組まれた。<o:p></o:p>

  富士山に特化した専門性の高い講座を、県民だれもが無料で受講できる貴重な機会。今年のプログラムは、県民の秘めた“富士山熱”をさらに熱く掘り起こしそうだ。<o:p></o:p>

(文・鈴木真弓)<o:p></o:p>

 

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 〈取材協力〉<o:p></o:p>

 静岡県文化・観光部総務企画課(富士山総合調整担当)、静岡大学理学部増沢研究室<o:p></o:p>

 

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 富士山県民講座2011年度プログラム(参加無料)<o:p></o:p>

 

●「世界文化遺産を護る~富士山の自然」<o:p></o:p>

 日時/10月2日(日)14時~16<o:p></o:p>

 場所/修善寺総合会館大研修室(伊豆箱根鉄道修善寺駅よりバス約10分)<o:p></o:p>

 講師/増沢武弘氏(静岡大学理学部特任教授・世界遺産県学術委員)<o:p></o:p>

 申込締切/9月22日(木)<o:p></o:p>

 

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●「描かれた富士山~文学との関係を中心に」<o:p></o:p>

 日時/10月9日(日)14時~16<o:p></o:p>

 場所/浜松労政会館大会議室(JR浜松駅よりバス約10分)<o:p></o:p>

 講師/片桐弥生氏(静岡文化芸術大学教授・世界遺産県学術委員)<o:p></o:p>

 申込締切/9月29日(木)<o:p></o:p>

 

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 ●「富士山の動物たち」<o:p></o:p>

 日時/1022日(日)14時~16<o:p></o:p>

 場所/清水テルサ大会議室(JR清水駅より徒歩10分)<o:p></o:p>

 講師/三宅 隆氏(NPO法人静岡県自然史博物館ネットワーク副理事長)<o:p></o:p>

 申込締切/1013日(木)<o:p></o:p>

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●「富士山の自然と災害」<o:p></o:p>

 日時/1030日(日)14時~16<o:p></o:p>

 場所/富士市交流プラザ会議室1(JR富士駅より徒歩5分)<o:p></o:p>

 講師/吉栁岳志氏(国土交通省富士砂防事務所所)<o:p></o:p>

 申込締切/1020日(木)<o:p></o:p>

 

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 *受講希望者は①住所②氏名③年齢④電話番号⑤希望参加回次(複数可)を記入し、郵便・FAX・メールで申し込む。<o:p></o:p>

 ○申込先 〒420-8601 静岡市葵区追手町9―6 静岡県文化・観光部総務企画課(富士山総合調整担当)<o:p></o:p>

  電話054-221-3776   FAX 054-221-2980   Bunkakankou-kikaku@pref.shizuoka.lg.jp<o:p></o:p>

 

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「富士山を詠んだ短歌」募集<o:p></o:p>

 『富士山百人一首』『富士山百人一句』を選定した県文化観光部では、このほど富士山を詠んだ自作の短歌を募集している。小中学生は「こども歌」部門、高校生以上は「おとな歌」部門で審査。作品は未発表のもので一人2首まで。<o:p></o:p>

 

○応募方法 はがき・FAX・メールにて、作品の漢字には必ずふりがなを明記し、住所、氏名、電話番号を添えて応募。小中学生は学校名と学年も明記。<o:p></o:p>

 ○選考委員 中西進(国文学者・池坊短期大学長)、馬場あき子(歌人・文芸評論家)、佐佐木幸綱(歌人・国文学者)、田中章義(歌人・元国連WAFUNIF親善大使)<o:p></o:p>

 ○『ふじのくに百人一首』への掲載を持って発表に代える。<o:p></o:p>

 ○募集締切 平成231031日(月)消印有効<o:p></o:p>

 ○応募先 静岡県文化・観光部総務企画課(富士山総合調整担当)*連絡先は富士山県民講座と同じ<o:p></o:p>

 


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ひまわりと風車

2011-07-21 09:51:50 | 環境問題

 16日(土)、市立御前崎総合病院で、ひまわり摘み&コンサートが開かれ、御前崎少年少女合唱団の子どもたちがひまわり畑で愛らしい美声を披露してくれました(こちらをご参照ください)。

 

 

Imgp4630

 同病院の職員有志のみなさんで結成された「御前崎総合病院花の会」が、中央棟2階屋上で屋上緑化&温暖化対策、そして入院患者さんの心のケアに作った花畑。春は菜の花、夏はひまわり、秋はコスモスを咲かせ、満開のタイミングを見計らって花畑コンサートを開いています。

 この日は満開の一歩手前という感じでしたが、快晴の花畑は、青空&病院の白壁&遠目に見える風力発電機の白い羽、そしてひまわりイエロー&葉っぱのグリーンという色彩のコントラストがそれは見事でした。

Imgp4636
 

 

 

 合唱団の子どもたちは鮮やかなピンク色のユニフォーム。日照りのもとで汗だくになりながらも、一生懸命歌ってくれました。

 

 途中、子どもたちが車いすの観客の中に入って、みんなで「ふるさと」を歌った時は、「よくある演出だな」と思いながらも、やっぱりジーンとしてしまいました。自宅を離れ、長期入院されている方は、どんな思いで「ふるさと」を歌っているんだろうと切なくなってしまいます。

 

Imgp4634
 病院の眼と鼻の先には、浜岡原発があり、原発施設から西に向かって、風力発電の白い羽が何機も立っています。ひまわりの花を撮ろうとしたら、ちょうどアングル的に、ひまわりの背景に白い風車が入り込むんですね(この写真では小さすぎて見え辛いですが、奥の緑の木立の真ん中に立っています)。

 ひまわりの花と風車だけを切り取ってみたら、安心安全でエコな風景の象徴みたいに思えるけど、その真横に原発があるのが現実です。

 

 

 

 御前崎病院花の会の代表・塚本隆男さんは、放射線技師として福島にボランティアに行き、ご遺体の放射線量検査と除染作業のサポートをされてきたそうです。・・・あまり多くは語られませんでしたが、それは想像を絶する辛い作業だったと思います。

 原発施設のある町で医療に携わる塚本さんが、こうして花畑を育てて、患者や住民の方々に開放し続ける活動の価値を、あらためて噛みしめました。

 

ひまわりや菜の花を咲かせる運動、病院内だけじゃなくって、御前崎市全域でやってほしいな・・・!


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