杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

上海研修ツアーその3

2009-09-30 22:44:07 | 旅行記

 上海研修ツアー3日目は、まず午前中、3時間かけて杭州から上海まで来た道を戻り、ニュービジネス協議会会員である三島市の㈱ミロクの現地法人・上海未路駆の訪問です。

Dsc_0196  ミロクは建築工具メーカーで、上海では射出成型プラスチック品や真空成型品を作っています。大工さんが現場で使う墨つぼやチョークライン。千年以上変わらなかった構造を飛躍的に進化させ、この分野ではトップクラスの技術と性能を誇るミロクさんですが、現在、生産はすべてここ上海でまかない、三島の本社は開発部門に特化しているそうです。

 

 

 1995年の進出当初、戸惑ったのは中国の役人との付き合い方。最初に工場を建てた土地は、実は高速道路の建設予定地になっていて、入居して1年も経たずに移転を迫られる羽目になったそうです。地元の地主や役人に人脈があれば、道路計画の情報はもらえたはずで、オーナーの古屋憲男会長はいきなり冷や水を浴びせられた心境だったとか。

 一方、当該地の区長は、せっかく日本企業が進出して地元の人間を雇用し、製品は日本に輸出して外貨獲得できるのに、出ていかれるのは困る、本社事務所だけでも残してくれと懇願。自ら、移転先の区長に(同じ中国共産党 幹部のよしみで)話をつけてくれたそうです。

 

 Dsc_0134

  役所の幹部クラスにいわば貸しを作った形になった古屋さん、その後も関税の手続きや制度の活用等でなにかと便宜を図ってもらって、最初のつまづきもチャラになったよう。古屋さんご自身、とても豪傑でお酒が好きで明るく楽しいキャラの方なので、たぶん向こうのお役人さんと腹を割って飲んで、意気投合されたんでしょう。

 「中国人は人を見る。信頼できるとわかれば、とことんつきあう。金勘定も大事だが、人づきあいが出来なけれDsc_0136ば何もできない」と中国人社長の韓さん(写真左端)も強調します。

 

 鴇田団長は視察後の昼食会で「中国でのビジネスは、ルールはあっても解釈次第でどうにでも変わる。それを乗り越える手段はヒューマンコネクションであり、コネクションを作るためにはノミニケーションが何より大事。そこに中国ビジネスの大変さも面白さもある」としみじみ語っていました。金勘定が弱くても、人づきあい=飲みづきあいで勝負できるなら、私も中国で商売できるかなぁなんてチラッと思ってしまいました(笑)。

 

 

 Dsc_0227 午後は森ビルがおっ立てた世界一の高層ビル・上海寰球金融中心(上海ヒルズ)の見学。地上100階・高さ472メートルの展望廊下から、ミニチュアみたいな上海市街の眺めを味わいました。…といっても天気がイマイチで雲が多くてこんなボヤけた写真しか撮れませんでした。

 

 

 床には透明ガラスの部分があって、足元に目をやると、思わずクラっときます。お隣の金茂大厦(写真右)は上海ヒルズが出来る前まで420.5メートルで中国一の高さを誇っていたそうです。上海には地震がほとんどないので、高いビルがいくらでも建てられるみたいでDsc_0233 すが、人はなぜより高く建てたがり、上へ上へと登りたがるのかなぁと、ふと哲学的な思惟に駆られてしまいました。

 

 

 

 

 

 夕方、静岡県上海国際事務所を訪問し、外務省上海領事館領事(経済担当)の佐々木明彦さんに上海経済と日系企業の動向について講話をしていただきました。

 県上海事務所の若田部所長には、事前に日本酒の消Dsc_0238費動向について問い合わせのメールをしておいたのですが、この日は所長が急に北京出張が 入ってお会いできず。副所長の石田さんに静岡県地酒マップと雑誌「Sizo;ka」地酒特集号、それに私が執筆担当するJA静岡経済連情報誌スマイルのバックナンバーをお土産にお渡ししました。

 若田部所長には翌日夜の会食時にご挨拶できたので、日本酒動向を含めた上海の経済状況についてはまた次回ご報告します。

 

 


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上海研修ツアーその2

2009-09-28 18:50:06 | ニュービジネス協議会

 (社)静岡県ニュービジネス協議会の上海研修初日。静岡空港から上海浦東国際空港まで2時間30分の近さで、時差も1時間しかなく、空港に着いてもホントに海外か?と思えるほど。夕方に着いてバスに乗り換え、陸路、杭州へ向かいました。杭州は静岡県の友好姉妹省である浙江省の省都。浙江省には温州みかんの故郷温州市や紹興酒でおなじみ紹興市があります。お茶の産地としても有名で、お茶やみかんつながりで静岡県と仲良くなったんですね。紹興酒と静岡吟醸で友好酒縁都市になればいいのに…なんて思ってしまいました!

 

 

 杭州には上海からバスで3時間30分ぐらいかかりました。静岡―上海間より長いじゃんと参加者は少々不満顔。杭州に着いたのは夜8時すぎで、あわただしく食事してホテルに入ってこの日は終わってしまいました。

 

 

 

Dsc_0021  2日目はあいにくの雨。まずは開発中の銭江新城という新都心エリアの視察です。街中はそこそこ混んでいましたが、よく見るとバスやタクシーや営業車しか走っていません。ラッキーなことにこの日は月1回の市街地自家用車乗り入れ禁止日だとか。そんな日を設けなければならないくらい車社会になっているんですね・・・。

 

 銭江新城は、逆流する河で知られる銭塘江という大きな川のほとりに整備されたニュータウンで、日本でいえば横浜のみなとみらいとか、さいたま新都心みたいな感じ。国際展示場、金融センター、ビジネスセンター、ホテル、市民劇場、市民文化センター、超高層マンションなどが次々と建設されています。Dsc_0002 しかもこ~んな感じのインパクトあるデザイン。なんでも国際コンペでドイツ人が都市設計を、イタリア人が建物設計を担当したそうです。

 

 

 銭江新城管理委員会の広報担当者に聞いたところ、計画からたった7年でここまで出来ちゃったとか。あと3~4年で完成する予定で、総責任者の杭州市副市長が、計画当初から異動も交替もせず一貫して指揮を執っているそう。都市開発のようなビッグプロジェクトを進める場合は、一党独裁のトップダウンで何でもかんでもスピーディーに決められる政治体制というのが奏功するんでしょうね。工期が早く順調に進めば余計なおカネもかからないわけで、参加者からも「…何十年も前のダム建設計画を中止にするだの何だのって揉めてる日本に比べるとねぇ」というため息が聞こえてきます。

 

 

 

Dsc_0043  続いてガイドが市街地にある杭州大厦という高級デパートに案内したのですが、ブランドショップが立ち並ぶデパートなんか観ても意味ない!と男性諸氏がブーイング。「杭州の市民の生活感が伝わる場所へ行きたい」とリクエストし、急きょ下町の自由市場に行き先変更。野菜や肉や魚が所狭しと並ぶマーケットに入ってライチや甘栗を買い食いし、みなさん大満足でした。

 Dsc_0046 こちらは視察団長の鴇田勝彦ニュービジネス協議会会長(TOKAI副会長)と曽根正弘さん(テレビ静岡会長)。地元静岡ではスーパーでお買い物なんてされたことないと思うけど(笑)。

 

 

 

 

 

 

 西湖のほとりにあるリゾートホテルで昼食をいただいた後、午後は霊隠寺のDsc_0076 見学と西湖遊覧。霊隠寺はインド僧彗理が326年に創建した1600年以上の歴史を誇る古刹です。今の建物は文化大革命で壊された後、再建されたもので、鮮やかな極彩色の伽藍や仏像は目にチカチカくるようです。…私が愛する奈良や京の古寺の仏像たちも、出来たばかりの頃はこんなハデハデな感じだったのかなぁと複雑な思いがしました。

 

 

 ほんとに五百体ありそうな五百羅漢堂には、自分の顔に似た羅漢さまが必ず見つかると聞いて、一生懸命探してみました。顔は似てないけど、本を持ってるこの人、MY羅漢さまDsc_0093にしようと思いました。杭州には中国最高峰の芸術大学である中国美術学院があって、この五百羅漢はそこの教授と生徒たちが作った像だそうです。

 

 

 

 

 西湖は面積6,38平方キロメートルの湖で、周辺の風景名勝区59平方キロメートル圏内は、中国でも指折りの名勝地。「蘇堤春暁・曲院風荷・平湖秋月・断橋残雪・花港観魚・柳浪聞鶯・三潭印月・双峰挿雲・南屏晩鐘・雷峰夕照」Dsc_0105 と称される西湖十景は歴代皇帝や詩人画人書家に愛されました。今回は雨中に遊覧船で30分ほど回っただけで、十景を堪能する余裕も雰囲気もありませんでしたが、この四字熟語を読むだけでその美しさが想像できますね。

 

 

 

 

 この後、オプション参加の足裏マッサージ!19人の参加者のうち13人が「行きた~い!」と喜びいさんで西湖の近くにあるホテルの併設マッサージサロンにDsc_0114 向かいました。男性客には若い女性の、女性客には若い男性のマッサージ師が着いて、3人ひと部屋でちんぷんかんぷんの会話をしながらワイワイ楽しく施術してもらいました(写真のモデルはニュービジネス協議会専務理事の末永和代さんです)。…イケメンマッサージ師くんたちでしたが、マッサージの腕はイマイチくんだったなぁ(苦笑)。

 つづきはまた。


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上海研修ツアーその1

2009-09-26 14:57:05 | ニュービジネス協議会

 21日(月)から25日(金)まで4泊5日の日程で(社)静岡県ニュービジネス協議会上海研修ツアーに参加しました。

 年1回開催するニュービジネス協議会の海外研修は、昨年はロシア極東、一昨年はフランス、その前はドバイ、ベトナム等など、注目の国や都市を訪問しています。私はこの協議会の広報担当で機関誌を執筆編集していますが、取材経費が出ず参加費も全額自己負担なので、そうしょっちゅうは参加できません。過去3回、参加費がリーズナブルだった香港&シンガポール、上海&深圳&香港、サンフランシスコ&シアトルの視察に参加しています。

 

 

Dsc_0207  上海を訪れるのは1995年の視察以来。95年当時の日系進出企業数は約600社で、オフィスや駐在員用住宅や通訳スタッフが慢性的に不足していると聞きましたが、2008年調査では進出企業数7200社と劇的な変化。万博開催を間近にするほど成長発展する都市の勢いというものを、まざまざと実感しました。

 

 当時の会報誌に、参加者から「かつてフランス領だった名残の古い町並みを残す傍らで、高層ビルがどんどん建てられている。建設中のビルの足場は竹。噂に聞いていたがホントに驚いた。見た目にも、とても人命第一とは言い難い。ともあれ人手は十分、活気十分、車はクラクションを鳴らしてかっとばし、その隙間を自転車が平気で横切って行く。市民の暮らしぶりは終戦直後の日本といった感じだろうか。でも人間のパワーはものすごかった」「10年後に同じルートを視察したらどんな変化が見られるだろうか」という紀行文を寄せてもらっていました。今回は、これを地で行くツアーとなりました。

 

 

 

 さて、上海に上陸する前に、3か月ぶりに訪れた富士山静岡空港の印象から。ちょうど大型連休中とあって、搭乗客よりも見物客の数が圧倒し、駐車場にたどり着く前、長い渋滞が出来ていたのにビックリ。危うく見学者車両の渋滞の列に並んでしまうところでした。

 

 お昼時だったので1つしかないレストランが混んでいたのはやむを得ないとして、ビジネスクラス客向けの当日有効食事券をもらった鴇田勝彦ニュービジネス協議会会長が、「この券で展望デッキでビールでも飲もう」と誘ってくださったのに、食事券はレストラン内しか使用不可と言われ、ガッカリ。時間のない搭乗者には、もうちょっと便宜を図ってくれてもいいのに…と思いました。

 

 Imgp1374

 2階の県の展示コーナーには、静岡県の地酒展示コーナーが新設されていました。地酒通の県職員がプッシュしたのかなぁとも思いましたが、なにせ空き瓶の展示だけじゃねぇ・・・。しかも紹介文は

 『県下各酒販店で購入できますが、店舗によっては取扱い蔵元が限定されています』

 『地酒は早くて12月からその年の新酒を販売しますので、取扱商品も一定ではありません』

 『お目当ての蔵元については空港案内コーナーにあるパンフレットを参考にしてください』

 『どの蔵元も小規模のため品切れ等のため購入でいない場合もありますのImgp1377 で御了承願います』

とデカデカ書かれています。

 

 

 この文章をパッと読んだ人は、「静岡の地酒って買いにくいのか」と思うでしょう。確かに人気銘柄が地元で買いにくい状況は変わっていないけど、蔵元も酒販店も一生懸命努力しているし、せっかく目立つ場所でPRするのに、なんでこんな不親切で否定的なコピーをデカデカ載せるんだろう…。しばらく眺めているうちにだんだん不愉快な気分になってきました。

 

 

 たとえば、『静岡県の蔵元は、小規模ながらも手間ひまかけ、品質を高める努力をしています。県下酒販店では、蔵元の出荷状況に応じ、ベストな品質でお客様にご紹介する努力をしています。詳しくは空港案内コーナーのパンフレットをご覧ください』というふうにサラッと書けばいいと思うんだけど・・・。

 

 

 

 仏頂面をしていた私を、鴇田会長が「(展望デッキで売っていた)ハイネケンがどうしても飲みたいから」ともう一度デッキまで誘ってくださって、紫芋コロッケをつまみにご馳走になりました。 

 通産官僚時代、アフリカに赴任し、「休日は何もすることがなくて、大使館のテニスコートで汗を流した後、ハイネケンを水代わりにガボガボ飲むのか唯一の楽しみだったんだ」と懐かしそうに喉を鳴らす鴇田会長。…確かにハイネケンって水みたいにスルスル飲めるし、全然酔わない。アルコールを飲んでいるって重い気分にならないのがいいのかなぁ。

 

 静岡の酒は食中酒向きのきれいで飲みやすい酒ですが、ガボガボ飲む低アルコール酒と競争できるわけじゃないし、かといって「地酒は特別な存在で、気軽に買える代物じゃありませんよ」なんてお高くとまるのは絶対オカシイ。

 先日の地酒サロンでも参加者から「日本酒が美味しかった、日本酒を飲んで楽しかったという記憶が大切」という声を聞きました。空港のような日本酒未経験者・非経験者の多いパブリックスペースならなおさら、いい記憶を持って帰ってもらえる仕掛けが必要だなと実感します。

 

 …上海ツアーのことを書くつもりだったのに、離陸前の酒の話で終わってしまいました(笑)、すみません。


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浜名湖のCHANGEとは・・・

2009-09-20 10:28:52 | 朝鮮通信使

 17日(木)は午前中、浜名湖畔の村櫛にある田中造園さんにおじゃまし、竹の微粉末を土壌改良材として商品化する事業のパッケージデザインや展示会でのプレゼン方法などを検討しました。

 

 

 浜名湖立体花博(モザイカルチャー博)の開会式前日とあって、庄内・村櫛Dsc_0031 地区の各地に駐車場の案内看板や、地区の人々が自主的に設置したお手製モザイカルチャーが見られました。2004年の浜名湖花博のときにも導入されたパーク&ライド方式の駐車場。この地区には空地がたっぷりあって、04花博時と同じ場所に駐車場を作ろうとしたら、別の地権者が「今度はうちのほうを使ってくれ」とリクエストがあり、道を隔てた向かい側の土地に設置したそうです。04花博時の駐車場だった土地は草ボウボウの荒地状態。…もったいないなぁ、せっかく風光明媚な場所で観光スポットも近いんだから、有効利用すればいいのに、と思ってしまいました。

 

 

 聞けば空地のほとんどがもともとウナギの養殖池だったところで、地盤が弱すぎて建物が建てられないとのこと。その昔、この地をニースやサンフランシスコみたいなお洒落なマリンリゾートとして開発するプランが持ち上がったこともあったそうですが、養殖池の地権者たちは一切聞く耳持たず、だったとか。そのまんま、何の方策もなく放ったらかし。…地域開発の難しさって根っこは人間同士の価値観の対立であり、地域に根を張る者同士だからこそ、心情的な摩擦も深くなるんですね。

 

 

 

 高架橋問題で話題になった広島県の鞆浦に、朝鮮通信使のロケ以来、何度か遊びに行っており、昨年春、鞆の雛まつりを見に行ったとき、池田先生(鞆Img_3364 の浦歴史民俗博物館の元館長)のお宅で地域の皆さんがワイワイ集まって呑むからと誘われました。過去ブログでも書きましたが、そのとき、橋の建設賛成派と反対派の住民が一緒に酒を酌み交わしながら言いたい放題のことを言いあっていて、面食らいました。「みんなこの町で生まれ、同じ学校に通い、互いの家や仕事のことも知りつくしている者同士だから」と池田先生は笑っていました。

 

 

 

 高架橋問題が現在どうなっているのかわかりませんが、あの晩の?み会の熱気は今でも忘れられません。酔っ払ったおじさんに「ねえちゃん、この町が好きならこの町へ嫁に来てくれよぉ」と言われたことも(笑)。…いずれにしても、池田先生のように住民に尊敬される“ご老公様”のような重鎮が、地区にいるかいないかって大きいなぁと思いました。浜名湖周辺にいないんですかねぇ? 意見を異にする者同士も、「あの大将に呼ばれちゃ行くしかねぇな」と思わせ、一堂に集めて一緒に酒を呑ませるような重鎮が。

 

 

 

 

Dsc_0137  午後は、新居町の関所稲荷と浜名湖今切口の写真を撮りに行きました。ここも朝鮮通信使のロケハンで訪ねたことがあります。ロケハンは真冬だったので薄墨の風景の中に、お稲荷さんの赤の鳥居だけが際立って見えた印象が残っていますが、この日は夏の太陽の明るさが残り、視界全体がヴィヴィットカラーで、レンズ越しに見ると日向と日蔭のコントラストが際立ってきます。

 

Dsc_0034  …江戸時代の町の色彩は、今ほど鮮やかではなかったはず。その中に、ヴィヴィットカラーの装いの通信使一行がやってきたのですから、人々はさぞ面食らっただろうなぁと想像します。実際のロケが2~3月で、晴天でも陽光がやわらかく、その分、通信使の再現行列のイメージシーンが際立ったことを思うと、夏のロケじゃなくてよかったな…と改めて思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この後、磐田市にあるヤマハコミュニケーションプラザを取材しました。ヤマハ発動機の展示博物館で、吹き抜けの1~2階フロアには1955年の一号機YA-1から最新モデルVMAXまで、ヤマ発の二輪車すべてのモデルが勢ぞろい。この磐田工場ですべてを組み立てたというTOYOTA2000GT(67年モデル)や、49年前の7馬力から現在の350馬力(世界最大)まで進化したボート船外機など、好きな人には垂涎のお宝展示物を、これでもか!というぐらい華やかに展示しています。

 

 

 

 

Dsc_0056  コミュニケーションプラザ館長と広報課スタッフに各フロアを丁寧に案内していただいたのですが、このジャンルはトンと疎い私には、「はぁ~」「へぇ~」「すごいですねぇ」の感嘆詞しか出てきません。

 

 1998年にオープンした同プラザ。「なんでヤマハ発動機博物館とか二輪車展示館ではなく、コミュニケーションプラザという名前なんですか?」と初歩的な質問しかできなかった私ですが、「もとは、社員同士、あるいはお客様と社員のコミュニケーションを図る目的で造った施設なんですよ」とのこと。事業が増え、社員がお互いの相互理解を得る機会が必要となり、ここに来れば自分が関わる仕事の話ができたり、外からのお客様にも説明やプレゼンがしやすくなる、そんなコミュニケーション醸成の場として生まれたそうです。

 

 

 当初は土日しか一般にオープンしていなかったプラザは、6~7年前から広報セクションの管轄となり、外向け―おもに地域の学校等にアピールするようになり、小中学生の校外見学や修学旅行先として、工場見学とセットで人気を集めるようになりました。平日も開館し、一般見学フリー(入館無料です!)。オートバイファンはもちろん、バイクで全国をツーリング中のライダーさんが必ず立ち寄るおなじみスポットとなり、レストランや休憩ルームもあるので、ヤマハ二輪車愛好会のミーティングの場にも活用されているそうです。

 

 

 オートバイという特定のジャンルでも、地域や世代を超えて人を集める場があるってすごい力だ…!と実感します。何でもかんでも揃えようとする“百貨店”ではなく、“専門店”の強みや深さが、ファンを根付かせ、地域イメージを高めるんですね。

 

 

 浜名湖にも、こういう“専門店”を引っ張ってくる、あるいは浜名湖に息づく伝統や価値をとことん究める、その潔さが必要なんだろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 さて秋の大型連休、天候にも恵まれ、各地は賑わっているようです。モザイカルチャー博も展示物のクオリティが高いという評判ですね。

 私は21日から25日まで(社)静岡県ニュービジネス協議会海外研修の同行取材で上海に行ってきます。夜、時間があれば上海の日本酒事情を探ってみたいのですが、夜は台湾でハマった足つぼマッサージ通いしちゃうかも…(苦笑)。またご報告します。

 

 

 

 

 

 

 


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こなみさんの手紙

2009-09-18 21:17:03 | 日記・エッセイ・コラム

 16~17日と2日続けて浜松方面を走り回り、夜も原稿をまとめるのに追われ、新内閣発足のニュースもほとんど見る時間なく、疲れました~。今日(18日)は静岡で原稿書きと会議でしたが、やっぱり20代30代の頃に比べると、疲労が抜けるのに時間がかかります。ふぅ・・・。

 

 16日は樹木医塚本こなみさんのインタビュー取材。こなみさんが庭の設計を手がIt2b4912 けた浜松駅前の地ビールレストラン『マインシュロス』で写真を撮らせてもらいました。プロのカメラマンにお願いしたので、本当にこなみさんの自然なスマイルをバッチリとらえることができました。餅は餅屋だなぁと改めて実感です。

 

 こなみさん、来月のお誕生日で還暦を迎えられるんです。一番上のお孫さんが中学生ですって。仕事で輝いている人って年齢を超越しますよね。

 「5年前に、5年後の自分にあてた手紙を書いたの。書いたことすっかり忘れちゃったんだけど、今年の初めに父が亡くなって実家の整理をしていたらその手紙が出てきて、日本中のフジを元気にする花咲かばあさんになって、あしかがフラワーパークを発展させて、心豊かに健康でいてくださいって書いてあったの。まぁまぁ外れずに今いられることが、すごく嬉しかった」とのこと。

 

 こなみさんには、いつも「なりたい自分を強く念じなさい、そのとおりになれるから」とアドバイスしていただくんですが、根がネガティブな私は、「自分はこなみさんみたいに勁くないから、ああなりたい、こうなりたいと思うだけで終わっちゃう」といつも諦めていました。

 未来の自分に手紙を書くって、小学生のタイムカプセルみたいで楽しいけど、自分に自信のない人間にはなんだかコワい気もします。…とりあえずこのブログを5年後も続けていられるようにとだけ願いましょう。

 

 

 16日午後は朝鮮通信使が扁額を書いたとされる奥浜名湖の名刹・龍潭寺へ写真を撮りに行きました。

Dsc_0015   本堂はあいにく改修工事中でしたが、国指定の小堀遠州作名勝庭園の品格は十分堪能できました。

 なぜ東海道を外れたこの寺に通信使の扁額が残っているかと言えば、寺がある旧引佐町井伊谷は井伊家発祥の地とされ、龍潭寺は井伊直政や井伊直弼など歴代当主の位牌を祀る由緒ある寺。朝鮮通信使がやってきたとき、僧や学者や医者などのインテリ層の間で通信使にサインをもらうことがステイタスみたいになっていて、龍潭寺の住職も「うちの扁額も書いてほしいなぁ、井伊の殿様に頼めばなんとかなるかなぁ」と考えて、通信使が彦根に滞在中、井伊家のコネを使ってサインをねだりに行ったのです。

 …歴史的には大Dsc_0003した意味もないローカルエピソードですが、なんだか人間臭い親しみある話ですよね。通信使にはこういうエピが全国各地に残っていて、それだけ当時の通信使人気が凄かった裏付けにもなっています。

 

 名刹龍潭寺の扁額が通信使の手によるものだったなんて、北村欽哉先生はじめ通信使研究をしている方々は大注目のネタですが、世間一般的には、かなりの歴史ファンでもフーンで済ませちゃうんでしょう・・・。歴史を大河ドラマみたいに大上段に構えるのではなく、平均的な日本人の等身大目線や生活感覚で「わかるなぁ」「面白いなぁ」と感じられる物語として読み解きたいと思いました。

 通信使の扁額だって、海外の情報が少なかった時代、大陸から珍しい外交使節団がやってきて、中には時代の最先端を行く知識人も多いという。彼らの文化の一端に触れたい、サインだけでも欲しいという気持ちの表れだったと知れば、ただの扁額が生活感覚で見えてくる。当時の人も、同じ人間なんだよなぁって実感できる。歴史をそんなふうに、学ぶものから感じるものへ受け止められたら、と思います。

 

 龍潭寺の入口で拾った観光パンフレットに、車で15分ぐらい先の方広寺で水戸黄門ゆかりの仏像を特別開扉中とあったので、ついでに足を延ばしてみました。

Dsc_0022  方広寺は山門をくぐって本堂に着くまで、五百羅漢様が自然の岩肌に沿ってさりげなく迎えてくれます。龍潭寺も方広寺も、訪ねるのは十数年ぶりでしたが、これほど趣のある寺だったとは…改めて見直しました。

 

 方広寺も本堂改修中で、内部は落ち着いて観る雰囲気ではありませんでしたが、お目当ての黄門様ゆかりの釈迦如来像は、それなりに秀麗なお顔で見ごたえがありました。…天平・平安・鎌倉期の傑作仏像を見慣れている身としては物足りなさを禁じ得なかったのは確かですが。

 

 

 学生時代に熱中した仏像巡りや歴史探訪に、ふたたび夢中になって、歴史に関わることを書く仕事にも巡り合えたというのは、自分の潜在意識の中に、「こうなりたい」「こういう仕事がしたい」という強い願望があったのかなぁとふと思います。

 

 優れた作品を残した書家や仏師には、何十年何百年経たのちの人々にも、自分の仕事を誇りを持って残したいという強い意志があったのでしょうか。・・・いずれにしても、この日は、未来に誇れる自分を、今どう耕しておくべきかを深く考えさせられました。

 


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