杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

駿府発二十一世紀の瓊遥世界

2013-09-23 22:37:49 | 朝鮮通信使

 今朝(9月23日)の静岡新聞朝刊で紹介されたとおり、昨22日、静岡市清水文化会館マリナートで開かれた『韓日声楽家交流スペシャルコンサート in SHIZUOKA~音楽を通じた交流と協力のメッセージ』に行って来ました。

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 ちょうど秋のこの連休、日韓交流おまつり2013が東京で開催され、これに併せて駐横浜大韓民国総領事館が韓国出身の世界的バリトン歌手・金東圭(キム・ドンギュ)さんを招いて、川崎と清水で地元の音楽家たちとの交流コンサートを企画したそうです。東京での日韓交流おまつりに首相夫人が参加し、自身のFBで紹介したところ、批判コメントが集中した、なんてニュース、やってましたよね。

 

 

 

 清水は、朝鮮通信使ゆかりの清見寺、日韓平和の礎を築いた徳川家康ゆかり地ということもあり、民団静岡県地方本部の皆さんが尽力され、政治の世界でギクシャクする今のような時代にこそ、民衆同士の文化交流を絶やしてはいけないという意志のもと、静岡県、静岡市、静岡商工会議所等、官民挙げて実現させたそうです。

 

 

 私は、7月の静岡県朝鮮通信使研究会の例会で、静岡県議会日韓友好議員連盟の会長も務める天野一先生からご案内をいただき、最初は韓流スターの公演があるんだな~くらいの認識しかなかったのですが、8月に飲み会で久しぶりに金両基先生にお会いし、「大変意義のある会になるから、よかったら聴きにおいで」とお誘いをいただきました。

 

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 チケットは天野先生に頼めばいいのかなあ・・・でもお彼岸でお寺のバイトも忙しいし、行けるかどうかわかんないなあと迷っていたところ、突然、主催者の駐横浜大韓民国総領事館から招待状が届きました。しかもコンサート終了後に日本平ホテルで開かれる『韓日親善 瓊遥世界の夕べ』という懇親会にも参加できると。

 私を、映画『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』のシナリオライターとして参加させるよう総領事館に話をつけてくれたのが、金両基先生だと分かり、ビックリ恐縮しながらも、バイトを早退させてもらって会場へ駆けつけました。

 

 

 

 金東圭(キム・ドンギュ)さん。声楽の世界に昏い自分は初めて知るアーティストです。パンフレットの写真を見る限り、イケメン韓流スターってイメージともちょっと違う?(ファンの方、ゴメンナサイ)。

 しかし一曲目の【セビリアの理髪師~私は町の何でも屋】から、痺れるような歌唱力と豊かな表現力に圧倒されました。会場からも、一曲目から割れんばかりの拍手とブラボーの掛け声。オペラは国内でも海外でも何度か観ていますが、初めて見る反応でした。「在日の同胞の方々が感極まったのかしら・・・」とも思ったのですが、プログラムが進むうちに、こんなに凄いエンターテナーがアジアにいたなんて・・・何でこの人の名前を日本で聞く機会がなかったんだろうと思えてきました。

 

 

 パンフレットを見ると、イタリアヴェルディ国立音楽院を首席入学し、数々の受賞に輝き、ヨーロッパを中心に100回以上のオペラ公演、独奏会も100回以上、韓国の国家ブランドパワー声楽部門第1位に選ばれるほどの逸材とありますが、来日公演は今回が初めてだそうです。

 

 より感動的だったのが、韓国唱歌や民謡を歌ってくれた第2部。最後に、他の出演歌手と三重奏で歌った日本の【浜辺の歌】は、涙がじんわりあふれてくるほど美しい合唱でした。

 

 

 

 

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 夜、日本平ホテルで開かれた『韓日親善 瓊遥世界の夕べ』は、コンサートの開催に尽力した関係者80人が集い、駐横浜大韓民国総領事館の李壽尊総領事が関係者を慰労されました。川勝知事、田辺市長、後藤商工会議所会頭はじめ、上川陽子さん、天野一さん、コンサートで伴奏を担当した静岡交響楽団の理事長曽根正弘さん等、私が個人的にもお世話になっているお歴々がそろった華やかな懇親会となりました。

 

 

 食事の後には金東圭さんがピアノ伴奏だけのミニコンサートを開いてくださいました。大きなコンサートホールでマイクを使わず生声だけでも、物凄い歌唱力なのに、80人程度の小宴会場でマイクを使っての歌唱は、度肝を抜かれる迫力。お馴染み【トゥーランドット~誰も寝てはならぬ】や【マイウェイ】は、今まで聴いた誰の歌唱よりも心揺さぶられ、会場全体が「すごいもの聴いたなー」的興奮状態でした。・・・ひょっとして、初めて朝鮮通信使の行列を目撃した江戸時代の庶民の疑似体験を、今、してるんじゃないかと錯覚したほどです。

 

 

 

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 最後の〆の挨拶に立った曽根さんが「あれだけ声が出るというのは、肉食だからですね。サッカー選手も声楽家も肉をしっかり食べて体を鍛えないと駄目だとよく分かりました」と感嘆していました(笑)。

 

 

 

 

 

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 【瓊遥(けいよう)世界】という言葉、清見寺の境内鐘楼にかかる扁額の文字で、第5回朝鮮通信使(1643年・寛永20年)の製述官朴安期が書き残しました。瓊(けい)とは、もともと美しい赤い玉のこと。2つの宝石のように美しい世界が何時久しく広がっていく・・・朴安期は清見潟の景観を眺めながら、朝鮮国と日本との関係も、かくありたいと考えたのでしょうか。この言葉を今回のコンサートに使うようアドバイスしたのは金両基先生だそうです。

 

 

 

 日本と韓国の外交関係がギクシャクする中、こういう会を実現させ、しかも理屈抜きに誰をも感動させた力とは何でしょうか・・・。朝鮮通信使は国際(国と国の交際)関係史で語られるテーマですが、家康が第1回通信使(1607年)を招いてから、最後の第11回(1811年)までの200余年間は、隣国でありながら紛争のない平和な時代であり、それを支えたのは民際(民衆同士の交際)でした。

 

 

 家康が亡くなってまもなく400年という今、隣国ならではの諍いがあっても民際の太い絆が断ち切れない限り、平和は保たれるはず。この会を導いた李総領事や金東圭さんは、二十一世紀の通信使ともいえる存在で、我々はこれを最初に出迎えた歴史の証人になるかもしれない・・・そんな思いにかられながら、興奮を胸に帰路に着きました。

 

 

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 最後にひとつ。そんな身分じゃないのに金両基先生の顔で懇親会に混ぜていただいたせめてものお礼に、白隠正宗純米大吟醸の朝鮮通信使ラベル(白隠禅師が朝鮮通信使の曲芸・馬上才を描いたもの)を購入して持参したところ、李総領事ご夫妻に直接お渡しすることが出来ました!。

 「日本酒ダイスキ」と喜んでくださった奥様、静岡の地酒の味を覚えてくださると嬉しいなあ。


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地酒ライターのスタンス

2013-09-18 10:26:09 | 地酒

 気が付けば9月も半ば。ここしばらく、デスクに座ってじっくりモノを考える時間がとれず、ついつい更新が滞ってしまいました。

 

 当たり前ですが、フリーで仕事をとるためには、家でじっとしてる間はありません。今までのように運に恵まれ、黙っていてもお仕事の口が入ってきた時代とは明らかに変わりました。来た仕事は選ばず何でも受けられる気力体力も、昔のようには無くて、受けた仕事はギャラと経費の範疇でこなせばいいという気持ちとも違う。後に残るものだし、やっぱり自分のキャリアに恥じない仕事をしたい・・・。

 

 会社経営者に取材すると、企業の寿命はとりあえず30年、と聞きます。自分もあとちょっとでライター稼業30年。スタンスを変えずにいくか、ガラッと変えるか、潮時が近いのかな、と感じる今日この頃です。

 

 

 

 このところ、酒の会に、一消費者として参加する機会が増えました。今までは取材者もしくは酒の会の主宰者として、一歩引いたスタンスで参加することが多かったのですが、最近は純粋に、きき酒を楽しむことを第一義に参加しています。

 

 自分は長いこと、自分より年上や目上の立場の人に酒を語る機会が多く、若輩者だとなめられないよう理論武装し、書く記事も客観性を重視してきました。ようするに背伸びし、突っ張ってきたんですね。

 

 

 いつからか、酒の会で出会う人たちが、自分より年下や、最近、地酒の美味しさに目覚めた若い人が多くなってきました。書く記事にも、静岡酵母や静岡吟醸の解説よりも、日本酒そのものの味わい方や楽しみ方が求められるようになった。あまちゃんの小ネタのように「わかるやつだけ、わかればいい」路線で行くか、「一人でも多くの人にわかってもらえるように」書くか、酒の記事は、署名記事で書くことが多いので、よけいにプレッシャーを感じるようになりました。後世に残したいと考えている映画「吟醸王国しずおか」の編集も、わかりやすさを第一義とするか、極力加工せずにありのままをつなげるべきか、今また、大きく思案しているところです。

 

 

 

 そんな中、偶然の出会いがありました。

 ひとつは、Imgp16769月15日に開かれた清水の篠田酒店さんの恒例【蔵元を囲むしのだ日本酒の会】で出会った、盲目のギタリスト服部こうじさん(掛川市出身)。特別支援学校の音楽科出身のプロで、ソロCDやジャズピアニスト前田憲男さんとのライブCDも発表しています。

 

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 去年から清水でギター教室を開校したそうで、篠田さんがその生徒さん。教室を提供したのが、いつもニュービジネス協議会茶道研究会に来てくださる建築家の森美佐枝さん。昨年3月26日付け静岡新聞で服部さんの記事を書いたのが、地酒研にも時々来てくださる橋爪充さん。しのだ日本酒の会2
次会で、目の前でリクエストしてイーグルスの「ホテルカリフォルニア」を生演奏してもらったときは、酒の味が変わるんじゃないかと思うほど感動しました。

 

 

 

 

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 9月17日は、沼津で介護職就活セミナーの同行取材。現場訪問で訪れたNPO法人マムの障害児ケアホームで、理事長の川端恵美さんが企業メセナ例として紹介したのが、純米吟醸「TOMO」。川端さんの障害を持つ娘さんがラベルを描き、沼津市内の酒販店の仲介で、京都伏見の山本本家で委託醸造してもらったそうです。

 

 川端さん曰く「福祉に目を向けてくれるのは、関連業者か障害者を抱える家族しかいない状況を打破しようと、積極的にイベントを開いて一般企業の協賛を得る努力をし、今のところ商品化にこぎつけたのがこの酒」とのこと。「私自身がおサケ、好きなのよぉ~」と快活に笑います。私が「伏見の酒なんですねえ」と残念がったところ、「沼津の蔵元さんで原料米から育ててオリジナル酒を造るプロジェクトも企画してるの」とニッコリ。

 

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 障害者と日本酒・・・つながるとしても、ごく稀な例だろうと思っていたことに、立て続けに出会ったことで、「日本酒は地域社会になくてはならない存在」ということ、「障害者(を取り巻く環境)は特別な存在じゃない」ということ、そして「自分が見聞きしてきた酒の世界は、まだまだ狭い」ことを強く感じました。

 

 

 

 

 

 この先、自分がどういう切り口で酒の記事や映像を送り出すべきか、未だ答えは出ていませんが、この先も地元で暮らしていく上は、地域のあらゆる人々と酒とのつながりを丁寧に紡いでいけたらいいなあと思っています。

 

 

 

 

 

 とりあえず、先週末に更新した日刊いーしずの地酒コラム【杯は眠らない】。酒米と誉富士のディープな解説記事で、前回の酒のイベント案内記事よりもはるかに手間がかかったのに、反応はイマイチなのが哀しいです。「わかるやつだけわかればいい」は、やっぱり、あまちゃんのように分母の大きな世界に通じる台詞かな(苦笑)。

 

 


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